竹中半兵衛、謀反。
この報せが戦場に伝わった瞬間、敵味方入り乱れていた戦場に二つの声が上がった。
一つは織田方、川並衆の歓喜の声。もう一方は斎藤軍の動揺の声だった。
斎藤軍の狼狽え振りを見た義和はこの機を逃がすまいと声高々に吠えた。
「竹中半兵衛は織田家についた! お前ら! 今のうちに押し込むぞ!」
「「「うおぉぉぉおっ!!!」」」
追い込まれていた川並衆が息を吹き替えし、逆に攻勢に打って出た。
斎藤軍の大将は『敵方は寡勢だ!打ち崩せ!』と激を飛ばし、なんとか返り討ちにしようと試みるもその直後、斎藤軍にとっての悲報が届いた。
「子が立ち上がったというのに親が立たずして如何する。この守就の武を見せてやるわい! 者共、かかれぇ──!」
「稲葉良道、これより桜場殿にお味方いたす!」
「同じく氏家直元も織田方につく!」
半兵衛の叔父にして道三の片腕であった安藤守就を筆頭に、斎藤家を支えてきた重臣中の重臣でもある美濃三人衆がこぞって織田側についたことで斎藤軍全体にさらなる動揺が伝播した。
両軍の動向を見ていた半兵衛は今こそ畳み込む時だと悟り、叔父に進言する。
「義和さんが前に出ました! 叔父様は義和さんの援護をお願いします!」
「構わぬが、半兵衛よ。お主はどうする気じゃ!」
「あの墨俣の城を軸に八卦の陣を展開します! 皆さん、お願いいたします!」
五芒星の描かれた札を十数枚を懐から取り出し、宙に放り投げれば式神達が現れた。
天性の才とも呼べる半兵衛の陰陽術によって顕現した十四天将達はどれもこれも異形の姿をしており、各々が腕のある式神だ。それこそ、足軽程度では刃が立たないほどの強さを持っている。
そんな百鬼夜行を止められる軍勢など斎藤軍の中には存在しなかった。
「ひぃ~! もののけじゃあ~!」
「半兵衛が裏切った~! わしらの負けじゃあ~!」
この世のものとは思えない存在の奇襲に思わずチビってしまい、無様に逃げていく者さえいた。
そんな一連の流れを見ていた義龍は顔をタコのように真っ赤にさせて指揮棒をへし折った。
「揃いも揃ってワシを裏切るというのか、貴様らぁッ!! 許せん! 生け捕りにして死よりも恐ろしい苦しみを与えてから殺してやろうぞ!!
者共! 返り討ちにせい!」
「「「おおっ──!」」」
斎藤軍が息を吹きかえす。
戦況はじわじわと押され始めていた。
美濃三人衆が寝返っても元々兵力が少なかったので大した逆転にはならなかったのだ。それに伴い斎藤軍はゆっくりとだが、前進してくる。やがて墨俣城の城門に到達すると思われたその時だった。
「墨俣城の完成まであと少しよ! みんな、美濃勢を追い払いなさい!」
南蛮風甲冑に身を包んだ信奈を筆頭に織田本軍が後方より現れたではないか。
信奈が刀を天に突き上げると各々が織田木瓜の旗印を掲げ、『織田軍ここにあり』と言わしめるかのように彼らは時の声を上げて斎藤軍へと雪崩れ込んだ。
「信奈様……? どうしてここに?」
「どうしたもこうしたもないわ。カズ、あんたが墨俣に居座ったお陰で義龍は城を後にして前に出てきた。これを逃すほど私はうつけではないわ。それにしてもよく墨俣に城を建てたわね。立派な城よ」
「稲葉山城と比べりゃあ貧相な城ですがね」
「何言ってるの。一夜で建てたとはいえ、立派な城じゃない。防御拠点としては十分役に立つわ。名前をつけなきゃ駄目ね。……うん、一夜城なんかはどうかしら?」
「いい名前じゃないですか。気に入りましたよ」
ここで信奈は義和が抱えていた五右衛門の亡骸に目を向けた。
「その乱波……。五右衛門には悪いことしたわね……。せめて、墓は立派なものに……」
信奈が五右衛門の頬に手を添え愛おしく撫でたその瞬間。
二度と開く筈がない五右衛門の瞳が開いた。
「……うにゅう? 拙者は確か義和氏を庇って──。むっ、信奈様?」
「ご、五右衛門ッ!?」
「死んだんじゃなかったの!?」
「失敬で御座るな。忍びたる者、常在戦場を心掛けりゅものでごじゃるよ」
上着を少しだけ捲って見せてきたのは楔帷子だった。
「これを着ていたのをすっかり忘れていたで御座るよ。運良く防いでくれまちたか」
「……」
「ふふっ、びっくりしたで御座るか?」
「……五右衛門ンっ!!」
「わわっ、離すで御座る!?」
義和は五右衛門を抱き締めた。それを見ていた川並衆が『親分に抱きつくンじゃねぇ! 羨まし過ぎるだろうが!』と怒る(尚、二人が身体を重ねたことは知らない)。
「生きてたのかよお前ェ! そうならそうと早く言えよなあこのヤロォ!」
「うぷっ! こんなところで抱きつかないでほしいで御座る!」
「五右衛門~!」
「ぶっ! 義和氏、汗臭いで御座る!」
「こらカズ! まだ戦の最中よ! 盛るのは後にしなさい!」
胸板に五右衛門を押し付ける義和に信奈は一喝した。
義和もそうだったなと現状を理解し、五右衛門を離した。するとお返しに蹴りが飛んできた。
そんな二人の馴れ合いにクスッと笑うと今度は稲葉山城を見据えて気持ちを切り替えた。
「さあみんな! 稲葉山城が見えたわよ! あの城を落とした者には報酬をくれてやるわ!」
現金なやり方だが織田軍のテンションは最高潮になった。
一方、斎藤軍の本陣はエライことになっていた。
使い番がやって来ては報告し、やって来ては報告の繰り返しに本陣はてんてこ舞いになっていた。
「ほ、報告いたします! 長井隊が奇襲を受け壊滅!」
「さ、左翼側が柴田隊に破られました! これ以上は抑えきれません!」
「殿、これ以上は危険! 稲葉山城までお逃げくだされ!」
立て続けにやって来る使番に家臣一同は対処しきれなくなり、思考を放棄してしまっていた。それは諦めと言ってもいい。ただ呆然と敵が来るのを待っているだけの脱け殻のようになってしまったのだ。
そんな中、一人だけ屈していない男がいた。
「皆の衆、刀を持て! 我らの土地は我らで守るのが道理! ここであのうつけ姫の首を落とし、皆で笑って帰ろうぞ!」
義龍はまだ諦めていなかった。
ようやく国主になれたのだ。それをみすみす手放すような真似をするはずがない。むしろ、信奈が前に出てきたことで千載一遇のチャンスが舞い込んできたことに着眼し、家臣達に活をいれるほどだった。
全員の心が一つになり戦いはこれからだ!と言う時、予想だにしなかった報告が舞い込んだ。
「き、北より敵襲! 旗印は三盛亀甲! 北近江の浅井家です!」
「なん、だと……ッ!!」
「『共に天下を』と宣言しておきながらこの体たらく。それこそ浅井家の恥さらしよ…….」
墨俣が一望出来る山に陣取った浅井軍の先頭に立つのは当主長政。
彼──否、彼女は腰の太刀を抜くと手綱を握り直した。
「私が残した汚名は私自身でけりをつける! 者共! 織田家に遅れをとるな! 我が浅井家の力を見せてやれ! ゆくぞ──!」
「「「おお──っ!!」」」
兵は少数なれど、連戦に次ぐ連戦で疲弊した斎藤軍を相手取るには十分な兵力だった。
天高く昇った三盛亀甲の旗印の群れが乱戦中の斎藤軍の背を奇襲した。
もはや雌雄は決した。
「と、殿……」
「これまでか……! 一夜で国が落ちようとは……!」
太刀を落とし、膝をついた義龍はただただ戦場が織田・浅井軍の雄叫びで染まっていくところを眺めることしか出来なかった。
そこからの戦いは一方的なものとなった。
南から織田軍、北からは浅井軍に攻められた斎藤軍はあっという間に瓦解していった。
勝てぬと悟った義龍含む重臣達は降伏。稲葉山城に立て籠っていた残党も義龍捕縛の報せを聞き、これ以上の戦いは無意味なのを悟り降伏した。
戦いの後は勝軍により乱妨取り*1が行われることが屡々あるが、兵に秩序を求める信奈、長政両名の厳命により、このような乱行が起きることはなかった。
さらには美濃でも有数の国人である美濃三人衆がすぐさま戦後処理に移ったことで美濃国内でも混乱は最小限に留まった。むしろ、井ノ口の民は信奈の美貌に見とれ、大通りには野次馬で埋まるほどだった。
こうして新しく生まれ変わった美濃は夜を迎えた──。
稲葉山城に入城した義和は広間を目指していた。
その隣には最初に会った時に半兵衛を名乗っていた優男──"前鬼"を引き連れて。
「……お前が目通りするのかよ」
「おうよ。我が主は大の人見知り。荒くれ武者どもの巣窟に飛び込むのは愚策というものよ」
「いや、お前が半兵衛ではないことは信奈は知ってるんだが」
何せ、小牧山で竹中半兵衛が女性であることを報告してしまっていたのだ。いくら前鬼が中性的な顔つきをしているとはいえ、その背格好は男そのもの。男装していると繕っても苦しい言い訳にしかならないだろう。
「だからこそだ。本人ではなく偽物が目通りしたとき、織田の姫がどうするかを探るのが俺が役目。バレるのは折り込み済みよ」
「……まあ、気を付けてな」
広間に入るとそこには織田の重臣達が勢揃いしている。
一同の好奇心に満ちた視線を意も介さず前鬼は信奈の前に腰かけると頭を垂れた。
「竹中半兵衛重虎に御座りまする。此度は織田信奈様にお目通りしていただき、恐悦至極」
「あっそう。で、仕官の条件は?」
「桜場殿の人柄に感銘を受けた故、桜場義和殿の与力として我が人生を捧げる所存」
前鬼の宣誓に場はおぉ!と声が上がった。
それに対して信奈は何故か種子島を手にし前鬼目掛けて撃った。前鬼は『こーん』と鳴いて煙となって消えてしまった。
「「「ええ──!?」」」
「姫様! 何を!?」
「うっさいわね。そもそも今のやつは半兵衛じゃないでしょ? というか、人間でもなかったわね。陰陽道だか何だか知らないけど、私はそんなものに興味はないのよ! 本物を連れてきなさい!」
「姫様! こんなところに子供が!」
「い、いじめないで……くださいぃぃ……!」
種子島を乱射しかねない空気になった信奈の元に涙目の半兵衛が勝家に首根っこを掴まれて義和に隣に駆り出された。
義和が半兵衛の名を呟けば重臣達にどよめきが走った。
「半兵衛だと!?」
「この子がですか……? 驚きました、八十点」
「ふむ……かような年頃で兵法を熟知してるとは、うちの長可に見習せたいものですな」
三者三様の反応に加えて、最も驚いたのは道三だろう。事実、半兵衛を召し使えていたのは道三自身だ。だというのに、今まで顔を会わせていたあの優男は実は式神で、本物はこの幼女というオチなのだ。
人生六十年近く生きてきてこれほど愉快で面白い計略があっただろうか。
「かかっ! この道三を謀るとは──見事じゃ! 一本取られたのう!」
「笑い事じゃないわよ蝮。これがあの半兵衛? 私、こんな子
種子島を小姓に放り投げると信奈は座り直し、
「それで? さっきの男があんたの影武者ということなら、私じゃなくてカズに仕えたいということなのね?」
「は、はいぃ…! 織田家の人達はみんな恐いです……! 怒ったら何されるか……! ぶるぶる……!」
「恐い……」
「……私、恐い顔してますか?」
「い、いやあ、どうだろうなあ……(万千代は怒ると結構怖いんだよなあ……)」
「勝家殿?」
「な、何だ!? 別に万千代は怖くないぞうん!」
涙を浮かべてる幼女を数人がかりで囲ってるところを端から見ればいじめてるようにしか見えないだろう。各々罪悪感が沸いたところで信奈がため息を吐いた。
「要はいじめられっ子ってことかしら。影武者を使うわけね。それでだけど、もしもカズのところじゃなくて、私の下で仕えるとなったらどうする?」
「よ、義和さんと一緒じゃなきゃ、私は隠遁します! 義和さんのところじゃないと、ダメです……!」
「こら、半兵衛! 姫様に対して口答えとは──」
「別に気にしてはないわ。それにそっちのほうが半兵衛の力を発揮出来そうだしね」
勝家を宥めると信奈は扇子を勢いよく閉じる。これは信奈の中で答えが決まったことを意味していた。
「いい? 半兵衛、あんたは義和を支えなさい! そして義和は私を支えること! わかったかしら?」
「は、はい!」
その命令に半兵衛は力強く頷いた。
半兵衛の仕官からまもなく経った頃、行われるのは本格的な評定だった。
先ほどとは打って変わって場の空気が重々しくなり、皆の顔つきが凛々しくなる。それもそのはず。最初の議題は斎藤義龍の始末なのだ。
兵に連れられて現れた義龍は白装束──即ち死装束に身を包んでいた。これが意味するのは『煮るなり焼くなり好きにしろ』という覚悟の表れだった。
そんな義龍に信奈は詰問する。
「で、申し開きとかあるかしら?」
「──わしはそなたに敗れた。家臣領民の命を助けてもらえるのなら何も言うことはない」
「あらそう? 出家して武士から足を洗うってんなら命だけは助けてやってもいいわよ?」
「そんなみっともない真似が出来るか」
ここで義龍は半兵衛を見た。
「半兵衛は織田についたか……」
義龍の言葉に思うところがあるのか半兵衛は『すいませんすいません!』と頭を下げた。
しかし義龍は謝罪など興味ないと向き直る。
「構わぬ。結局のところ、臥竜を手懐けられなかったわしの失態。今さら半兵衛を責めたところで勝敗が覆るわけではなかろう。それに、わしにも土岐家嫡流として意地がある。かくなる上は潔く腹を切るだけだ」
国主として堂々とした姿に家臣一同は感嘆の声を上げた。
全ての責任を被り、自分一人の命で美濃を生かそうとするその行動に敵ながら天晴れと褒め称えたいほどだった。
「それで──信奈様はどうなさるおつもりで?」
長政の問いに、信奈は部屋の隅っこに着座している道三に声をかけた。
「蝮は何か意見することある? 隠居の身とはいえ、そいつはあんたの息子でしょう? 言いたいことがあるなら今すぐ言いなさい」
「──そいつは顔に似合わず知恵者。放逐すれば後々、復讐に駆られ、いずれ天下取りの障害となるだろう」
道三は扇子を閉じたり開いたりしながら重々しく口を開いた。
「……義龍よ。お主には知恵があるが、土岐家の嫡流という血筋と気位の高さが災いし、此度の結末となったのじゃ。かつて栄華を誇っていた蘇我氏や平家、源氏が滅んだように、古きものは滅びるのが
「十分承知してる。だが、わしにも道三の跡取りとしての誇りがあった。そしてわしの敗因はそれを捨てられなかったこと。古いものを捨てることは己を否定することに繋がると考えていたからだ。だからこそ、新しいものである信奈殿に負けたのだ」
「いや、正徳寺での会見にお主を呼ばなかったのがいけなかった。明かさぬというのは後ろめたいこと。わしの不覚悟こそ、最大の過ちだった」
「──これまで世話になったな、親父殿」
「わしもいずれそっちに行く。地獄で親子水入らず話し合うのもよかろう。……我が息子を斬ってくれ、信奈殿」
呻く道三と頭を垂れて首を差し出す義龍。親子の確執が幾許か氷解した瞬間だった。
だが、信奈はそんな語り合いなどどうでもよかった。
「──義龍は斬らないわ」
「な、何を抜かすか! 信奈殿! 今こやつを斬らねばいずれ勢力を整え、信奈を喰らおうとするぞ!」
「蝮は買いかぶりすぎよ。義龍はもう戦えない。もはや私の敵じゃないわ」
「甘い! 甘いぞ! わしに遠慮してるというなら余計なお世話というもの! よいか信奈殿! 天下取りのためなら時には非情も必携! そなたもいつかは非情な決断をしなければならぬ時が来る!」
「黙りなさい蝮! 義龍の処罰を決めるのはこの私! あんたは隠居の身でしょうが!」
「そうじゃが…….、ならぬ! ならぬぞ! 奴の目を見よ! まるで屈服しておらん! 虎視眈々とそなたを狙う目をしておる!」
「あーはいはい。わかったからさっさと放逐しちゃって」
兵が拘束していた縄を解くと義龍は『親父殿の言う通りだ。いずれ後悔するぞ……』と礼を言うことなく姿を消した。
なんとも後味の悪い空気だけが残る。最初に口を開いたのは長秀だ。
「……本当にこれで良かったのでしょうか?」
「いいのよ。美濃を手に入れてせっかくいい気分な時に血なんて見たくないわ。ほら、さっさと祝賀会やるわよ。お酒持ってきなさーい!」
信奈の強引な切り替えによって評定はお開きとなった。
先ほどの重苦しい評定から解放されたこともあってか、宴会は大盛況である。
稲葉山城を大きく開放し、織田・浅井両軍入り交じっての飲めや食えやの大宴会が行われていた。
皆が飲食に固執してる中、信奈は筆を取り何かを紙にしたためていた。
「よーし、決まったわ! 今日からこの町は『岐阜』よ! 美濃の国、岐阜の城、岐阜の町! 城と町の改名をするお触書を明朝に出しましょう!」
半紙にデカデカと綴られたのは『岐阜』の文字。言わずもがな、後に岐阜県と名を変える岐阜の町の誕生の瞬間である。
「『周の文王、岐山より起こり、天下を定む』という明の故事ですか。他にも孔子が生まれた"曲阜"という地名も含まれていますね。傑作です、九十五点」
「そうよ。武と政の中心がこの岐阜! ここが私の天下布武の始まりの土地なの!」
乱れた天下を武力によって統一する。
悲願の美濃を手中に納めた信奈に堂々たる天下取り宣言だった。
「──信奈殿」
「なによ長政。今いいところなのに」
「婚姻の件なのですが──」
長政の言葉を聞いた途端、重臣達の額に冷や汗が滲んだ。また何かあるのかと身構えた者もいた。
だが。
「あれはなかったことにしていただきたい」
長政の口から放たれたのは意外な言葉だった。
「え、いいの?」
「はい。今回の件は恥ずかしながら私の強欲さが出ていました。その反省として婚姻の話は白紙にしていただきたいのです」
「そ、そうなの。じゃあ同盟は……」
「貴女と共に天下を取る……その約束だけは違えません。どうか同盟だけは結ばせて欲しいのです」
「いいわ。それなら上下無しの対等な軍事同盟ってことにしましょう!」
「願ったり叶ったりです」
二人は盃を交わし、同盟締結を誓った。それを見ていた両家家臣団からは万歳と拍手の喝采が沸き上がる。
そんな折、義和は縁側で夜の井ノ口町を眺めている道三の背に気づいた。
「どうしたんだじいさん。飲まないのか?」
「飲んどるわい。だがのう……不思議と酒が進まん。好きな酒のはずなんじゃがのう」
道三は気が滅入ってるようにも落胆してるようにも見えた。一体何があったのか尋ねるよりも先に答えが浮かび上がった。
「義龍のことか?」
「そうじゃ。あいつは必ず復讐に来る。だというのに信奈殿は奴を斬らなかった。その甘さが命取りになるというのに……」
「だがそれが信奈のいいところでもあるだろ? あんたに息子殺しの汚名を被せたくなかったのさ」
「何を抜かすか! 天下を取るということはその土地に住む者達を武で抑えつけるということ! どうやっても汚名は浴びなければならぬ! 身内一人斬れぬ奴が天下を取れるものか!」
「でも結局は義龍を殺せなかったじゃねぇか。あんた、信奈と会ってから丸くなったよ。以前の蝮の道三なら寝首を掻かれる前に先に殺ってたのにな」
正論を言われ、道三は押し黙ってしまう。
確かに考えてみると何故その手が頭に浮かばなかったのか。何故、家督を信奈に譲ってくれと義龍に頼んだのだろうか。
正徳寺での会見以来、道三は父性に目覚めていた。それこそ、仏の道三と呼ばれても違和感がないほどに。
「……信奈ちゃんはわしのことが嫌いなのやもしれん」
「嫌い? なんでだよ」
「よく考えてみい。わしは悪逆の限りを尽くした蝮ぞ? 嫌って当然だろうに……」
義和はため息を吐く。何故信奈が井ノ口の町と稲葉山城の名を改名したのか、道三は分かっていなかったのだ。
単純に美濃を攻略した記念に名を一新したわけではない。そこには信奈なりの不器用で親思いの考えがあったのだ。
「なんでこの町を岐阜って名づけたか俺でも分かったぜ? この町と城の新しい名前を声に出して読んでみな」
「岐阜の城、岐阜の町……。ぎふのしろ、ぎふのまち……」
──義父の城、義父の町。
合点がいったのか、道三は目頭を押さえた。
「……そうか、そういうことか……」
「とりあえず飲もうぜ。ほら、美濃と岐阜に乾杯ってな」
「……そうじゃのう」
空になった盃に酒を酌み直す。
盃に映る月を肴に二人はそれを飲み干した。