今川軍との合戦後、尾張へ帰還中の織田家の者々は一つの村を通りかかった。
そこの村の住人達は織田軍の活躍を労い、信奈を称賛する者が多数見受けられた。もはや崇拝と呼べるほどの称賛っぷりである。
「ここの村は三河との国境に一番近い村さ。そのせいで度々今川軍の狼藉に遭ったりして大変なんだ」
と、後ろから現れたのは六と呼ばれた少女だ。鎧越しでも分かる爆乳が馬の動きに同調してぷるぷると揺れる。義和だって男である。目線がそちらにゆくのは致し方ないことなのだ。
「信奈様から織田軍のことを教えてやれと命されたのでな。特別に教えてやるから一度で覚えるんだぞ。いいな?」
「これはこれはありがたいことです。えーと、お名前は……」
「織田家家臣、柴田勝家だ」
「しば、た?」
織田家屈指の猛将、柴田勝家がまさかこんな女の子だったとは、夢にも思わないだろう。やはりこの世界は何かが違う。しかし、だからこそこれからがワクワクしてたまらなかった。
「なんだその顔は!? 私の名前がおかしいとでも言うのか!」
「誤解ですよ。いやはや、まさかかの柴田勝家殿がこんな可愛らしい麗人だったことに驚きを隠せなかっただけでして……」
「か、可愛いだと!? ええい、やめろ! 私をそんな目で見るな!」
勝家は真っ赤にして槍の石突きでついてくるものの、身をよじるだけで簡単によけられる。
やがて諦めたのか、長いため息と共に槍を引っ込めた。
「彼らからすれば信奈様はそれこそ地獄に仏と同等なのでしょうね。しかし村を出るという選択は?」
「信奈様も何度か村長にそう助言したんだが、故郷の村を離れたくないと駄々こねてな。最悪、食料を渡せば命は助かるから大丈夫だと強情なもので困ってるんだ」
そこから義和は勝家に尾張や周辺諸国の情勢を簡単に教えてもらった。
駿河や遠江の守護大名である今川義元は上洛し、足利家を補佐するためにもこの尾張を手にいれたいらしい。
本来なら織田家一丸となってこの今川家を討伐するべきなのだが、現在織田家は信奈派とその弟である信勝派で内紛状態にあり、戦える余裕はないとのこと。
そこで重要となるのが美濃の大名である斎藤道三である。道三は信奈の父信秀と何度も戦った仲で、油商人から大名まで成り上がった傑物。まさしく下克上を体現した男。
信奈はそんな男と同盟を結びたいというのだ。
「あたしは心配なんだよ。相手はあの美濃の蝮だぞ? 同盟というのはフリで、本当は尾張を手にいれようと画策してるに決まってる。下手したら信奈様の身を狙ってくるかも……」
「何、万が一の時は私が盾となってお守りします故」
「本当か!? お前いいやつだな!」
という過程を経て、織田軍は尾張を経由して美濃の正徳寺という寺に来た。
ここら一帯は寺院勢力が強く、非武装中立地帯を貫いており、会談の場としては最適ともいえる。
信奈は庭で待つように指示し、着替えをしに別の部屋へと消えていった。
「……」
「……」
残ったのは小ぢんまりとした少女と義和だけである。
少女はチラリとこちらを見ると、その小さい口を開く。
「……誰?」
「先の今川軍との戦で織田家に仕官した桜場義和だ。好きに読んでくれて構わないよ」
「……犬千代。姫様の小姓」
どうやらこの少女は犬千代という名らしい。見た目は幼女ながら小姓というのは、よほど信奈から信頼されているのだろう。
さて、すでに本堂には斎藤道三が腰を下ろしていた。老年のハゲ親父ではあるが、纏う空気が他とは別格だった。
ギロリ
そんな道三に睨まれる。それこそ蝮が睨むように、元油商人とは思えぬほど鋭い眼力である。隣の犬千代が目線から逃げるように義和の後ろに隠れるくらいだ。ただの老年の男と侮ってはならなそうだ。
そしてもう一人。庭で警備をしている人物がいた。
「どうやら信奈様はご到着されたようですね」
声をかけてきたのはおでこの広い女侍。義和から見てもこの女侍は相当の腕前というのが佇まいから分かっていた。
「ええ、しばらくは着替え中です。失礼ながら名をお聞きしても?」
「これは失敬です。道三様の小姓、明智十兵衛光秀と申す者です」
(……この女が……)
その名を聞いた途端、義和の身には激震が走った。
明智光秀。後に織田家の家臣となり、戦国最大のクーデター、本能寺の変を引き起こすこととなる戦国武将。戦国時代における裏切りの代名詞。
この時はまだ道三の小姓として活動しているが、いずれその刃が信奈に向けられる日が来るのだろうか? だとしたら、義和は織田家の侍としてこの十兵衛を斬ることが出来るのだろうか?
自問自答してもその答えは出てこない。とりあえず今は道三との会談が成功することを祈るだけであった。
「美濃の蝮、待たせたわね!」
結果だけを述べると同盟は成功といっていいだろう。ヒヤヒヤした会談ではあったが、最後は蝮が折れた形で決着がついた。
美濃を中心とし、自由な商売が可能な国造り。さらには西欧列強と肩を並べることが信奈の最大の野望。他者からすればスケールが大きすぎる夢だ。誰からも理解されず、誰からも褒められぬ野望。
だが、道三はこの信奈の夢に賭けることにしたそうだ。老い先短い自分では天下統一は不可能。なら同じ夢を持つ信奈に己の野望と美濃を譲ろうという腹だったのだ。
これで信奈は道三という後ろ楯を得た。あとは尾張に帰るだけである。
ところが部屋から去ろうとしたところ、道三が待ったをかけてきた。
「そこの小僧を少し貸してくれんかの」
「カズを?」
義和を含め、この場にいた全員が『何故?』だと思っただろう。家臣でもないただの男に執着する理由がないからだ。
「なに、男同士のつまらぬ世間話じゃよ。そこまで時間はかけぬから、ちょいとばかし貸してくれんか」
「……ま、いいわ。それじゃカズ。蝮に無礼のないようにしなさいよ」
「はい」
信奈達が全員出ていったところで、道三は控えていた十兵衛に目配せして下がらせる。
部屋に残ったのは道三と義和のみとなった。
「さて、何から話すかの……」
そう言って戸から取り出したのは徳利と御猪口である。
おいおい、寺で飲酒ってどうなんだ?
「主もどうじゃい? 美濃一の酒じゃぞ? どうせ飲んだところでバレはせんよ」
「いえ、私は遠慮しておきます」
「固い奴じゃのう」
酒を注ぎ、グイっと一杯飲み干したところで、道三は口を開いた。
「──お主、何者じゃ?」
核心をついた質問に心臓が跳ね上がりそうになった。
義和は顔色を変えることなく、ただ冷静な口調で返した。
「……私はただの足軽です」
「嘘をつけい。見慣れぬ格好……南蛮のものではないな。それに部屋に入ってきた時から気になってたが、足軽にしては作法が出来ておる。はてさて、よほどの高名な家の者か……訳ありか……お主、何かとんでもないことを隠しているな?」
恐るべき観察眼。さすがは蝮と呼ばれた男。
道三の言葉を最後に、無音だけが部屋内を支配していた。彼に睨まれているせいか、肌寒さを感じてならない。
そんな中、道三は『ふっ』と軽い含み笑いをした。
「安心せい。とって食おうとは思っとらんわ」
室温が正常になった気がした。ここでようやく肩の荷がおりる。
「よくわかりましたね」
「ワシは油商人から成り上がった男じゃぞ。人の頭ん中見えなければ、大名などには登れんわい。あとな、堅苦しい口調はやめい。主には何故か似合わぬ」
「そう仰るなら……俺としても堅苦しいのは苦手でな。こっちのほうが気楽でいい」
「やっと小僧らしくなったもんよ」
ニヤリと微笑んだ顔は無害な好好爺そのものだ。いくつもの顔を使い分けるその様はまさに策略家。
道三相手に下手な隠し事は無意味。ここはいっそ、胸の内を明かすことにした。
「実を言ってしまうと、俺は未来から来た。この時代より四百年は先の未来からな」
「未来、じゃと……!?」
さすがの蝮もこればかりは読めぬはず。その証拠に持っていた御猪口の酒が大きく波立ち、危うく溢れかける。
「神隠しってやつなのかな。突然この時代に放り出された。そこで信奈に仕官したってわけ」
「神隠し……か。不思議なもんじゃのう。もしやするとお主は神仏から送られた天の使いかもしれんな」
「そこまで大層な人間じゃないよ、俺は」
徳利に残った酒を全て御猪口に注いだところで最高に楽しそうな顔で義和に問う。
「でだ。未来でワシはどのように語られておる? 日ノ本一の美男子とかか?」
「美濃を代表する大名として名を馳せてるよ」
「そうかそうか! 天下はとれなくとも名を残せただけで充分だわい!」
満足がいったのか、最後の一杯を豪快に飲み干した。
義和は初めて、この時代で初めて自分の理解者が現れたような気がして嬉しかったりする。
「……あんた達あの後何があったのよ」
仲良しそうに正徳寺から出てくる二人を見て、一同は驚いた。
蝮と呼ばれた男の満面の笑みと新入りの爽やかな笑顔。先程会ったばかりの二者がこうでは会話の内容が気になってたしょうがない。
「信奈ちゃんよ」
「……なによ。またお尻を触ろうっていうなら今度は容赦しないわよ」
「違うわい! ……まったく、信奈ちゃんに一つ助言しておこうと思っての。ま、老いぼれの戯言として聞き流してもよいぞ」
その途端、スケベ親父の顔が腹黒そうな顔になり、周囲に聞こえぬように耳打ちした。
「……義和という小僧、大切にしておくべきじゃぞ」
「……は?」
それだけ告げると、道三は十兵衛はつれて正徳寺を後にした。
信奈は腑に落ちない顔でその後ろ姿を見続けるしか出来なかった。
道三との会談後、ようやく尾張に帰還した。
残念ながら足軽の義和では主君の居城である清洲城には入れない。というか門のところで『お引き取りを』と門前払いされたのだ。
宿にでも泊まるかと考えたが、この世界の通貨などは持ってはいない。さて、どうしようかと悩んでいると服の裾を引っ張られた。横を見れば、犬千代がいた。
「……こっち来て」
犬千代に言われるがままついていくと城とは別方向へ向かい始める。
十分くらい歩くと長屋が見えてきた。年季の入った建物で家屋の一部が朽ちかけている。どうやらこれが家のようだ。
「……私は隣の家。何かあったら呼んで」
「……わかった」
それだけを告げると犬千代は我が家に帰っていった。
ここで一つ、あることに気づいた。家を囲う生け垣なのだが、それは元の時代でもよく目にしていた植物からなる垣だった。
「これってウコギだよな」
山形県米沢市ではウコギを食う文化がある。それは江戸時代、米沢藩藩主である上杉鷹山が倹約令の一環としてウコギを食べることを推奨したためである。
防犯や保存食として使えるウコギは米沢を中心に広まり、鷹山の死後もその食文化は続いているのだ。
義和の祖母は山菜が好きだったりする。時折、近所の山へ行っては山菜を採ってきて義和に食べさせていた。
無論、その中にはウコギも含まれており、祖母と一緒にウコギ集めしたのはいい思い出である。
戻ってきた犬千代にザルを手渡された。
「……義和のザル。これに集めて。集めたら茹でて食べる」
「これが晩御飯かよ……」
さすがにこれだけというのは酷な話だ。男の胃袋を舐めないでほしい。というよりも、育ち盛りであろう犬千代にはもっと栄養を与えなくてはならない。
そこで義和は一つ試してみることにした。力の使い時というのは、こういう時こそ発揮されるべきなのだ。
「なあ、犬千代。弓矢ってあるか?」
「……?」
二時間後、帰ってきた義和の手には動物がいくつか握られていた。
山の中はほとんど人の手が入っていないため、野生動物の楽園のようなものだった。それに祖父の修行では自給自足が基本。幼少の頃から祖父の側で全てを見てきた義和にとって、これくらいのことは朝飯前なのだ。
羽毛をむしり、囲炉裏で塩焼きするだけで簡単な肉料理が出来上がった。
「ほれ、犬千代」
いい焼き色となったキジのもも肉を犬千代に手渡した。
食べていいの?と犬千代が目線で訴えてくる。
「さっきから腹鳴らしてるだろうが。子供はとにかく食って食いまくる。デカくなりたきゃ食うのが一番だ」
「……子供じゃない」
むすっとした顔でモモ肉にかぶりつく。肉なんていつぶりだろうか。長い間食べていないせいか、肉の味なんて忘れてしまったようにも感じた。
そんな犬千代をよそに、義和は採ったばかりのウコギを調理する。ウコギには和え物や塩漬け、味噌汁なんて調理方法もあるのだ。庶民にとっての万能素材といえる。
その前に、天井を見つめ、話しかけた。
「そこにいるんだろ。隠れてないでいい加減出てきたらどうだ?」
「……なんと、お気づきであったか」
微風とともに目の前に影が現れた。黒い装束に身を包んだ子供のくの一である。マスクと髪の間から覗く紅い瞳が何とも艶かしいものだ。
咄嗟に犬千代が身構えたが、手でセーブさせておいた。
「拙者、蜂須賀五右衛門と申す。木下氏の遺言に従い、これより桜場氏におちゅかえ--」
「ほれ、お前の分」
「おっと、忝ない……。って、何故拙者に!? 敵だとは思わぬので御座るか!?」
「敵の前に現れた時点でそいつは敵じゃねぇだろうよ。っていうか、藤吉郎さんの名前だしてる時点で関係者なのは丸わかりだ」
『そ、それは盲点であった』と五右衛門は目からウロコを流さんとばかりに驚いた。
実際、彼女から殺意といったものは感じなかった。素性はどうあれ、彼女が敵ではないということには確証があった。
「し、しかし、何故これを?」
「何だキジは嫌いか? なら野うさぎを……」
「い、いや、拙者は結構で御座る! 忍が主と同じ釜の飯を食うようにゃまにぇは……!」
勘弁してくれと言う顔でモモ肉を囲炉裏に戻す。
義和は再び囲炉裏からモモ肉を取り、五右衛門の前につきだした。
「お前は俺と主従関係を結びたいんだよな?」
「う、うむ。それが木下氏の遺言であるからで御座る」
「じゃ、主の命令だ。飯の時は全員で食べること。旨いものはいくらでもあるけど家族とかで食う飯は格別だろ。違うか?」
その言葉に五右衛門は唖然とした。
忍とは影。影は光を引き立てるもの。忍の世界で生きてきた五右衛門にとって主より上に立つことはタブーともいえる。前主である木下藤吉郎とも、その間柄はどちらかと言えば親分子分の関係であり、対等の関係ではなかった。
だが、義和は皆で食べたほうが旨いという理由で共食を許した。彼にとって部下とは友であり、それ以下はないというのだ。
(拙者、終生の主君を得たり--!)
五右衛門はその場で平伏し、普段より凛々しい声で誓言した。
「──蜂須賀五右衛門はこれより生涯をかけて桜場氏に尽くすことをここに誓いたもう」
契りを交わしたところで五右衛門は勢いよくモモ肉にかぶりつく。
その食いっぷりは忍の部分が抜け落ち、子供らしさを取り戻したような食いっぷりだった。
「おやおや、なにやら旨そうな匂いがしますな」
晩御飯を平らげて大の字になってる二人を跨ぎ、片付けしている最中に誰かがやって来た。
昔話に出てきそうな優しい感じの老人と可愛らしい女の子の二人組だ。
「知り合いか?」
「……浅野のじい様。ここらの長屋で一番偉い人。それと孫娘のねね」
「おうおう、犬千代。しばらく見ないうちにいつの間にこんな旦那様を捕まえたんじゃ。お似合いな夫婦だのう」
「……夫婦に見える?」
「なんでお前は嬉しそうなんだ」
いわゆるこの辺りの長屋を管理している家主のような爺様というわけか。
そしてこのちっこいねねという少女は義和は見るや、畳に座り込んでニコニコ顔で挨拶してきた。
「ねねですぞ! どうぞよろしゅう!」
「桜場義和だ。まあ、仕官されたばかりの新人だが、ご近所同士仲良くしようか」
「うちのねねはお利口さんじゃぞ~。嫁にどうじゃ? ねねはいいお嫁さんになるぞ」
「お、爺様! このお方がねねの旦那様ですか!」
「……ダメ、義和は犬千代の旦那様」
「だから嬉しそうにするなよ」
そんなやり取りはさておき、とりあえずお近づきの印に余ってたウコギの和え物を出してみたら好評だった。
ねねに至っては三回おかわりするほどの気に入った様子で何よりである。
テレッテッテッテ-♪幼女の好感度が上がった!