今回はカッツがメインです。最初は男装っ娘だと思ってました。
この世界に来て数日くらいが経った。
この数日間は基本的には採取したウコギや山菜や川魚を売ったりして生活するためのお金を稼いだり、それを元手にして安物の武具を買ったりしていた。
その間、いつでも戦に出れるように稽古も続けている。日々の鍛練が肉体を作る。一日やらないだけでも身体というものはすぐ鈍ってしまう。足軽の仕事は戦働きが基本だ。
犬千代とはお隣さんだからか、よく家にやって来る。それこそ、一日の三分の二は一緒に過ごしてたりしている。というか犬千代は家事が苦手なようで、特に料理は壊滅的といっていいほどに出来ない。そのためか、義和が料理し始めるといつの間にか上がり込んで出来上がるのを待っているのだ。
そして遊びにきたねねと料理の取り合いに発展したりする。そんな日が一週間続いたある日のことだった。
いつものように犬千代と一緒にウコギを売りに城下町に行こうと長屋を出たところで、若侍の集団が待ち構えていた。そこそこ身なりのいい集団に混じり、一人白い馬に乗った貴公子然とした冷笑気味の美少年がいた。顔からして率直に分かった。彼が信奈の弟、信勝である。
「君が新しく入った足軽という桜場義和くんか」
「……そういう貴殿は織田信勝様でいらっしゃいますね」
「おや、僕のことを知っているのか。いやはや、さては僕の美形っぷりが伝わっているようで嬉しいね」
(うぜぇ……)
ボンボンでナルシストというのは義和が苦手なタイプだ。何というか、生理的に受け付けないのだ。とはいえ、相手は主君の弟君なので、それを顔に出すわけにはいかないが。
「おい! 若殿がお前のためにわざわざこんなボロ屋まで足を運んだだぞ? 頭の一つや二つ、下げらんか!」
横暴な態度で会釈を強要してくる彼らは織田家の重臣の子息かと思われる。そこに信勝の親衛隊という肩書きが加わり、ここまで傲慢になったのだろう。
ボロ屋と発言してしまったことで、見物人達が嫌な顔をし始める。長屋に住むのは何も義和だけではない。彼らはここらの住民を敵に回してしまった。
「……ご足労いただき恐縮です」
「ははは、あのうつけ姫が雇ったにしては中々礼儀がなってますなあ」
「うむ。最近の姫様は何かとうつけに磨きがかかっておりますから、猿でも雇ったのではと思ってましたが──」
「案外使えそうですぞ、若殿」
(うぜえぇぇぇぇ!)
やはりこいつらとは馬が合わない。一緒にいるだけで虫酸が走る。
すると犬千代が袖を引っ張りか細い声で教えてくれる。
(……信勝様は謀反の常習犯。あまり口論してると斬られる)
勝家が言っていた当主争いだろう。守護代ともなれば、こういったお家争いがあっても不思議ではない。しかしいつ今川軍が攻めてくるかも分からないこの状況下でこんなことしている暇はないのではないのか。
とりあえず、面倒事は早めに処理したい。ということで去ろう。
「……では、我々はこれで──」
「まあ、待ちたまえ」
信勝が馬から下り、目の前までやって来る。やはり近づけば信奈そっくりである。男とは思えないほど透き通った肌に人形のような愛くるしい顔付き。女と見紛うくらいだ。
「……まだ何か用が?」
「なに、ちょっとした勧誘さ。勝家から話を聞いたけど、姉上の窮地を救ったらしいね。さぞかし、剣の腕が立つんだろう。それでどうだい、僕の家臣にならないかい?」
「家臣……?」
「いずれ織田家当主は僕がなるだろう。その時のためにも有能な家臣を集めているんだ。それに僕のほうが姉上より金払いがいい。君のような人材は姉上よりも僕の元でその力を発揮するべきだね」
金払いがいいのは彼の格好からしてよく分かる。金に糸目をつかないような浪費家という性格なのだろう。
「お主なら我らのように奥方様にも気に入られよう。どうだ、我らと共に若殿に仕えてみぬか?」
「悩む理由はないはずぞ。そもそもあんなうつけが当主では尾張はもちろん、日ノ本をダメにしてしまうだろうからなあ」
「織田家の面汚しとはよく言ったものよ」
「……」
この取り巻き達には遠慮という概念がないのだろうか。
信奈を姉同然と慕っている犬千代の前で彼女の悪口を言うのはもちろんのこと、自ら口の悪さを晒してしまっていることを自覚してないようだ。
仕える価値もない。この一言に尽きた。
「……確かに、生活する上で給金は大事ですよね。それほどの厚待遇とは嬉しい限りです」
そうだろうそうだろう、と一同は軽くふん反りかえる。だが、紡がれた言葉は彼らの予想を裏切った言葉だった。
「ですが、信奈様に仕えることは給料以上の価値がある。それは金額や地位だけでは語れないものなのです」
義和はこの時代で一つ目的を見出だした。彼女の覇道の行く先を見てみたいという願望だ。
彼女の望みを叶えるにはそれなりの年月と人材が必要となる。そしてそれをサポートするのが本来織田家に仕官されるべきだった木下藤吉郎。そんな彼が死んだ今、その役目を担うのは彼の後を継いだ自分しかいないのだとも悟った。
だからきっぱりと断ってやった。こんな奴等に付き従うのは御免だった。
「私の主君は信奈様ただ一人。貴方はその弟という立場だけなのです。どうかお引き取りを」
足軽にここまで言われてプライドが許さないのだろう、彼らの顔が面白いほど真っ赤になる。
「何だと貴様!」
「若殿よりあのうつけ姫を選ぶというのか! よもや貴様もあのうつけと同類……うわっ!?」
家臣の一人が犬千代に押し出されて派手にスッ転んだ。犬千代はその小柄な体型に似合わず、パワー系だ。そしてその顔は幼いながらも怒りを秘めたしかめっ面である。
「……姫様を、馬鹿にしないで……!」
「このガキぁ!」
「や、止めないか!」
残りの二人が抜刀した。まさか部下達が抜くとは思わなかったのか、信勝が焦りながら制止を試みようとするもののもう遅い。上げた刀を犬千代目掛けて振り下ろし──。
「義和……!」
「な、なにやってんだ君は……!?」
犬千代を庇う形で義和が前にいた。
刀を振り下した家臣の両腕を押さえる形で袈裟斬りを止めたのだ。しかし、流れに乗った一刀を急停止することは出来ないわけで、刃が義和の肩に食い込んだ。刀身を伝って血の滴が落ちたところで、辺りに悲鳴がこだまする。
「ぶべぇッ!?」
二の太刀を許さぬよう、肘打ちが顔へと放たれた。あまりの速さに何の対処も出来ぬままその一撃を食らい、バキッと嫌な音を立てて後ろへ吹き飛んだ。
「あ、顎ぎゃぁ……、い、いてぇよぉ!」
「貴様ァ! よくも勘平をがぼぉ!?」
「ぐぶっ!?」
鋭い蹴りが叩き込まれ、二人は簡単に失神してしまう。
「……強い……!」
「あわわわ……!」
武器も使わずして三人を無力化するその強さは武勇に優れた犬千代から見ても目を見張るものがあった。
対し、信勝は微動だに出来なかった。それは戦いを経験したことのない者が抱く恐怖心からくる竦みである。
そのせいで逃げられなかった。眼前まで来たところで襟首を掴まれる。
「な、なにをするんだ! 僕を誰だと思ってる! のちの織田家当主、織田信勝だぞ!」
「お前、信奈が羨ましいんだろ?」
その言葉に信勝の目が見開いた。図星なのだろう。焦点が合わない目を泳がせながら大した反論もなく狼狽えていた。
「やっぱりな。姉と比べると覇気の無さで分かるよ。まあ、お前が当主になって何したいのかは知らないが、これだけは言えるな。……信奈のほうがお前の何倍も優れている」
容赦ないダメ出しに信勝の心はズタズタだ。悔しそうに涙を漏らし、抵抗する様も見られない。完全に心を折られたようだった。
言いたいことを言えて満足した義和が手を放そうとしたところで囁き声が聞こえた。
「……が分かる……!」
「あ?」
「き、君にッ! 僕の何が分かるってんだ!? 何をやっても敵わない……そんな姉をもったことがあるのか!?」
その場にいた全員が息を飲む。感情を爆発させた信勝を見るのは始めてだからである。
そもそもの話、信勝は当主になりたくはなかった。
それは自分自身が当主に似つかわしくないと自覚していたことと信奈という存在があったからだ。
信勝は知ってしまったのだ、姉の天才ぶりを。信奈といういずれ天下をとってしまうような傑物を。今川軍を討ち滅ぼし、尾張を救えるのは姉の他にいないんだと。
一つ欠点をあげるとするならばあのうつけぶりである。しかしこれを信勝は思春期特有のやんちゃな時期だからかぶきたくなるのも仕方ないし、いつかは治るだろうと思っていた。
しかしそんな考えを全否定するように、事件は起こってしまった。
先代である信秀の葬儀だ。父親の葬儀にはさすがに喪服で来るだろうと普段の信奈を知っている者は思うだろう。
だが信奈はいつものように傾奇姿で現れ、位牌に向かって焼香を投げつけたのだ。その姿はまさしくうつけ。親族ですら織田家の恥と侮蔑した。
だが、信勝には分かっていた。その行いは参列者の中から織田家に忠心がある家臣がいるか否かを見定めるための仮の姿。事実、葬儀後に数人の家臣が他の大名へ鞍替えしている。
信奈は自らの評価が下がろうとも、織田と尾張のことを気にかけていたのだ。信勝はそんな自傷気味の姉を見てられなかった。
「誰も姉上を理解してくれない……! なのに、姉上はまだうつけを止めようとしない……!」
表面でしか判断出来ない家臣団は信勝のほうが当主に相応しいと擁立してくる。中には信奈を討ち倒そうとする過激派も出る始末だった。
さらに、彼にとって最大の障壁が立ち塞がった。母の土田御前だ。彼女はうつけの姉よりも、利口な信勝を支持した。信勝も最愛の母からそう言われては、『当主にならない』とは言えなかった。それは母を否定してしまうことと同義だったからである
「でも、僕が姉上に勝てるわけないのに……」
昔からそうだった。すべての事柄で自分は姉の劣化という立場だった。剣術や学問などでも負けっぱなしで、父親に褒められたこともなかった。信秀は信奈を通して信勝を見ていたからである。次の当主に信奈を指名したのも自明の理といえよう。
「姉上が当主を譲ってさえくれれば、何とかなると思って……」
何をやっても勝てない姉相手に勝負の仕様がなかった。なら信奈が負けを認めればいい。尾張内に姉の居場所が無くなれば、当主が嫌になって譲ってくれるはず。その日から信勝は、姉を追い込むような流言を流すようになった。
しかし、ここで矛盾が生じる。姉を想っていながら、姉の居場所を無くすように仕向けていたのだ。結局のところ、姉を傷つけているのは信勝自身なのだ。だが、盲信的になった信勝にそんなことが気づくはずもなく、それが最善の道として信じてきた。
母の期待を裏切りたくない。姉を救いたい。そんな思いから始まり、今の今まで続いたのが家督争いだったのだ。最も、信奈はそんな流言などに屈することはなかったが。
「僕が当主になれば、姉上は諦めてくれるだろうと思った……そうすれば母上と仲直りも出来るし、姉上がうつけと呼ばれることもないんだ……」
「無駄だろうよ、そんなの。例えお前が当主になっても、あいつは再び返り咲こうとしてくるさ。信奈はそういう奴だ」
決めたら成し遂げるまで止めないほど一途過ぎる信奈。たかが当主の座を奪われたぐらいで諦めるような性分ではないことを義和は知っていた。
「おい信勝。お前、当主になって何がしたかったんだ?」
「決まってるだろそんなの……! 尾張と姉上を守るんだ……」
「ならあいつを支えてやれ。それが一番の得策だ。弟として、男として、あいつを守ってやるんだ。だからよ、まずは謝るんだ、ごめんなさいと」
「無理だよ……言えない……」
その言葉に義和は怒った。仁王像のような怒り顔を見せ、叱りつける。
「相手はお前の姉だろうが! 何故ごめんなさいの一言も言えないんだ!」
「言えるわけ……ないだろ! 僕は何度も姉上に謀反を起こしてる。姉上は、僕のことなんて……嫌いに決まってる……!」
「謀反を起こす度に許される奴が嫌われてるわけないだろう!」
信奈は謀反を起こす信勝に頭を抱えても、殺そうとはしなかった。
実の弟を好き好んで殺す姉が、どこの世界にいるというのか。嫌いなら最初の謀反時に殺してるはずだ。
「まずはあいつに会え! 俺がついてってやる!」
信奈と話がしたい、と清洲城にやって来た義和を見て、誰もが驚いたはずだろう。女中も家臣も、泣きじゃくった信勝と共にしている義和を見て、思わず道を譲る他なかった。
そして信奈のいる部屋の戸を開けた。その時の信奈は小姓上がりの家臣、丹羽長秀と談笑中だった。いきなり入ってきた二人を見て驚いたものの、何事とすぐに冷静を取り戻した。
「カズ! これは一体どういうことかしら!? ……なによその傷!?」
信奈は怒りは最も。謝意を見せるためにも、その場で平伏した。
「いきなり入ってきたことを許していただきたい。私への処罰は後々に好きなようにしていただいて結構。まずは弟君です」
「……勘十郎じゃない。何の用よ」
「あ、姉上……」
義和につれてこられている間、信勝は自分なりに考えていた。
姉が何故こんなにも家督に執着したのか。それは信勝よりも、この尾張にいる誰よりも尾張のことを案じているから。信勝に当主を譲らなかったのも乱世に巻き込みたくないがためである。
信勝はようやく気づいた。姉を苦しめていたのは自分なのだと。
「うわあああ! ご、ごめんなさい姉上!」
「な、なによいきなり……気味悪いわね……」
突然大泣きしながら頭を畳に擦り付ける弟を見て、信奈は多少顔をひきつらせる。
しかしそんなことも構わず、信勝は必死に謝った。
「今まで僕は姉上の足を引っ張っていました! 姉上のことないがしろにしてました! もうしません! これからは姉上のために生きます!」
「か、勘十郎……?」
「許していただけるのなら僕は織田姓を捨てます! 分家の『津田』姓を名乗ります! 清流のように澄み渡った心でお仕えするよう名前も『信澄』に改名します! どうか僕をお許しください!」
必死の謝罪に姉はどう思ってるだろうか。やっぱり許してくれないだろうか。けれども構わない。このまま斬首されようとも、最後に姉に本心を打け明けられただけで十分だった。
そんな信勝に対し、信奈は落ち着いたような口調で--。
「ういろう、食べる?」
そう聞いてきた。顔を上げてみれば、その手にはういろうが握られている。
「いいのですか?」
「なによ、いらないの?」
「い、いえ、食べます……」
ういろうは信勝の好物だ。子供の頃、ほぼ毎日信奈が半分こにして自分に分けてくれたからだ。庶民のおやつであるういろうだが、信奈からもらったういろうだけはどんなご馳走よりも美味しく感じてきた。
「塩辛くて美味しいです、姉上」
「ういろうが塩辛いわけないでしょ。あんたの涙よ」
「そ、そうでしたか。ははは……」
姉弟そろって一緒に食事をするというのは何時ぶりだろうか。思い返すと家督争いが激化する前、まだ信秀が存命していた頃以来な気がした。
久しぶりの会食だというに信勝は歓喜の涙でういろうを濡らすばかりである。そんな信勝を見て、信奈は一つ忠告を入れた。
「二度と謀反なんて起こさないでちょうだい。さすがの私でも、今度ばかりは許さないわよ」
「は、はい! 絶対にしません! 僕は姉上のためになら死ねます!」
「……デアルカ」
こうして二人は仲直りした。織田信勝改め、津田信澄は信奈の一家臣として活動することになった。反信奈派は信澄の改名を機に地方へ左遷。数年に渡った家督争いはようやく終わったのだった。