犬千代との同衾から一夜明け、義和は清洲城に足を運んでいた。
何故かと言えば、朝御飯を食べた後信奈の使者として勝家がやって来たのだ。聞けば昨日の件で話があるから清洲城へ来いというのだ。昨日の件というと信澄が頭に過るが、特に断る理由がないのですぐに向かうとだけを伝え、勝家には戻ってもらった。
清洲城へ入り、女中に案内されている間、その隣にはもちろん犬千代が随行し、屋根裏には五右衛門がついていた。
いつの間に帰ってきたのかと聞けば、なんと五右衛門は一夜で美濃の調査を終えてきたようだ。忍びは速さが命。諜報は忍びの独壇場。これぐらい出来なければ忍失格だとか。
しかし、そんな五右衛門なのだが、朝からほとんど顔を合わせてくれない。帰還報告時には目を背けられる始末だ。『せ、せっちゃは何もみてましぇん……』と真っ赤な顔から察するに、事後を見たようである。さすがに一つの布団に二人して裸で寝てるとなれば、ナニがあったかは五右衛門にすら分かるだろう。
そんなこんなで信奈のいる部屋まで来た。戸を開け、部屋の中には信奈の他、長秀、勝家、それと新たに一家臣となった信澄の姿があった。
入室して座りこみ、平伏する。顔を上げたところで信奈は本題を切り出した。
「今日呼んだのは他でもないわ。昨日の勘十郎の礼、言わなかったわよね?」
「いえ、私はただ後押ししただけのこと。最後に決意したのは弟君です。礼なら弟君へ」
「謙虚ね。でも結果はどうあれ、最初にきっかけを作ったのはあんたよ。少なくとも、褒美を貰う理由はあるわ」
問われたものの、特にこれといった要望はなかった。
甚だ自分がこんなにも物欲のない人間だったとは驚きだ。この年代の男子なら多少の欲望は持ち合わせているだろう。だが、彼には何かが欲しいという欲望はからっきしだった。
考えても何も浮かばない。そうこうしてるうちに、信奈が口を開く。
「まあ、褒美は欲しい時に言ってくれればいいわ。それで話は変わるけど、あんたって素浪人って言ってたわよね? どこから来たか教えてくれない?」
急に質問をぶつけてきた。だが、義和にはわかった。これはただの質問ではない。詰問だ。その証拠か、彼女が纏う空気が変わったようにも感じたからだ。
「いきなりこんなこと聞くのも変だと思うけど、私の中で何かすっきりしないのよね。だって蝮がね、義和のこと大事にしとくべきだって言ってたの。あの蝮がよ? あんたのこと、ただの素浪人かと思ってたけど、もしかしたら実は違うんじゃないかって……そう感じたの」
ねぇ、教えてくれない? と茶色がかった髪から覗かせるその目は獲物を狙い定める獣のような目付きだった。彼女は義和の素性を知りたがっているのだ。それは単なる興味本意ではなく、危機感からくる懸念というものだろうか。
場を取り巻く家臣らもそう思ってるのだろう。長秀と勝家の目は信奈と同様の目付きだ。その二人に対し、信澄と犬千代は不安そうな目で見ていた。
「ねぇ、教えて、カズ。貴方は何者? どうして私に仕官したのかしら?」
さらなる後押しに、義和は悩んだ。これは誤魔化す余地はないからだ。彼女は納得のいく答えを望んでいるのだ。下手な嘘では彼女を怒らせるだけである。
これ以上、隠すことは反って身を滅ぼすことになる。
「私は未来から来ました。この時代からおよそ四百年は先の未来の日本からです」
その言葉を聞くや否や、手にしていた刀を抜き、義和の首元に沿えた。少し力を入れるだけでその首に刃が沈むことだろう。誰も信奈を止めなかった。否、止められなかった。
「私はね、冗談は嫌いよ。風流のない冗談は特にね。勘十郎との仲を取り持ってくれたことは感謝するけど、それとこれとは話が別よ」
義和が仕官してから全てがプラスに動いている。それが信奈にとってある意味、恐ろしかったのだ。
命を救われ、かの美濃の蝮に見込まれ、弟との軋轢を埋めた男。この男を中心に歴史が動いているようだった。天下一の美少女と自負している信奈からすれば、嫉妬の対象でもあった。
そんな男が『未来から来た』と口にした。もはやただの素浪人で片付けられる問題ではない。
「これを……」
対し、義和は一つの証拠としてある物を信奈に手渡した。スマホである。それを見るや、怪訝そうな眉間を寄せる。
「なによこれ?」
スマートフォンと言いまして、遠くの人と連絡を取り合ったり、風景を記録したり……まあ、未来の人間が持つ万能な道具のようなものです」
試しにスマホ内に保存されている音楽を流してみることにした。それは世界的な大ヒットソングで義和が好きなアーティストの代表曲でもある。音量を最大にしてスピーカーモードで再生させた。
♪~♪~
「わわわっ!? な、なんだいそれは!」
「い、板から声が……!」
「聞き慣れない言葉ですね。南蛮の言葉でしょうか。驚きました、九十点」
「……妖術?」
一同が驚くのは無理はない。発達した技術は魔術と見分けがつかないと言うように、この世界から見ればもはや技術を通り越した代物なのだ。
信奈も声には出さなかったが、内心は驚きっぱなしだった。
「……なるほど。あんたがただのホラ吹きではないことは分かったわ。でも、何が望みなの? こんな物があれば武田でも上杉でも仕官出来そうなのに、わざわざ織田を選んだ理由はなに?」
「織田を選んだのはある人との約束のため、そして貴女の覇道を見てみたいがためとでも言いましょうか」
ある人とは藤吉郎のことだ。そして覇道とは新しい日本の創造。
彼女の言動に義和はどんどん惹かれつつあるのだ。これも戦国のカリスマが成せる業とでも言おうか。面白みのない人生を送っていた義和からすれば、これほど一緒にいて楽しい人間は他にいない。
「私の覇道……?」
「古い悪習を潰し、新たな日ノ本のための天下統一。私もその夢の先を見たいのです。微力ですが、私もお力添えたいと思います」
信奈の肩は微かに震えていた。
嬉しかったのだ。自分の野望を褒めてくれたのは道三の他は今は亡き父である信秀だけだった。
同世代の人間からは家臣らの除いて誰からも賛同されなかったこの夢を、義和だけは認めてくれた。
ますますこの男が
「……もし、未来に帰れるならどうするの? やっぱり帰るの?」
「帰ろうとは思いません。私は貴女と共にあります
義和は未来に帰りたいといった願望は持ち合わせてなかった。むしろこの時代で生き、往生することが望みだ。なら死ぬまでの間、彼女をサポートしていこう。今はそれしか考えていない。
義和の返答に信奈は胸を下ろす。そしてなんだろうか、この胸の高まりは。感じたことのない感情に揺さぶられながらも誓いの言葉を吐く。
「なら、永遠に私に仕えなさい、いいわね? 」
「承知。その前に一つ、報せたいことが……五右衛門」
呼び出しと共に一つ影が生じる。無音と共に現れた五右衛門を見て勝家が抜こうとするが、隣の犬千代に宥められて刀を下ろした。
信奈もそれなりに警戒していた。攻撃と退避、どちらに転んでもいいような立ち方だ。
「名は蜂須賀五右衛門と言い、私の仲間です。彼女は昨晩、美濃へ諜報しに行っていました」
「蜂須賀五右衛門に御座る。我が主、桜場義和殿の手となり足となり織田家にちゅくしゅようここにちかい──」
いつものように噛んでしまい、部屋に変な空気が漂う。
そんな中、信奈だけがこの空気を打破するように口を開ける。
「何よこの乱波? まともに会話も出来ないじゃない!」
「……五右衛門は長台詞が苦手なので……」
「……では、改めて」
咳払いをしたところで、凛々しい顔に戻り報告を告げる。
五右衛門の口から出た内容は予想外過ぎる内容だった。
「美濃で内紛で御座る」
その情報に場はざわめく。しかし五右衛門は淡々と報告を続ける。
「『美濃譲り状』に不服のようで豪族らは道三の息子、斎藤義龍を担ぎ上げて謀反。道三の家臣もしゅうにんがねらえりして──」
「……それで蝮は?」
「居城である稲葉山城を追われ、長良川で父子決戦に望みゅにょもう──」
「……そう」
それだけを口にすると、信奈は席に戻った。
何もしない様子に痺れを切らした勝家が思いきって聞いてみる。
「──姫様、どうなさるつもりで?」
「……援軍は出さないわ」
誰も何も言えなかった。彼女の顔から察するに本当は助けたいのが見え見えだった。
だが、軍を動かすことは出来ない。いつ今川軍が来襲してもおかしくない状況なのだ。ここで軍を動かせば、上洛のチャンスと見て今川が攻めてくるだろう。数少ない軍を二正面で戦闘させるほどの余裕はないのだ。
故に誰もそれ以上聞かなかった。一番つらいのは信奈なのだ。彼女の覚悟を逆撫でするようなことはしたくなかった。
「姫様!」
そこで従者が登場した。
何よ一体、と不思議がりながらそう返し、彼は驚きまじりの顔でこう答えた。
「美濃より斎藤殿が──!」
外に出ると、なんとそこにいたのは斎藤道三だった。袴の裾には泥土が付着しており服全体が乱れていた。
その傍らには彼の重臣や小姓の十兵衛の姿もあり、駕籠からは豪華な格好をした童女が降りてくる。
「蝮……あんた何でここにいるのよ?」
「いやなに、バカ息子に寝首を掻かれそうになったもんでな。とっとと逃げてきたんじゃよ」
「逃げてきたぁ!?」
隣の勝家が驚きの声を上げるのも仕方ない。五右衛門が謀反を調べたのは数時間前。そしてその数時間後にはこうして眼前に現れているのだ。
「ぬふふ、義龍の軍はワシが長良川に陣を敷いてると思っとるだろうが、所詮戦もまともにしたことのないぼんくら共よ。今頃やつらは、誰もいない本陣で慌てふためいとるに違いないわい」
「まさか、偽の情報を?」
「当たり前よ。だが……最初は武士らしく討死しようと思っとったところでな。尾張に行くなど、考えもしなかったわ」
道三の口から放たれる衝撃の言葉。もしかしてたら、この場に道三がいなかった可能性もあった。先日の会談が最後の相対でもあった可能性もあった。
この時の信奈にはトラウマを思い出しかける。好きになった男の人は死んでしまうという一種の呪い。自分の夢を応援してくれた道三が死ぬという三度めの呪いがもしかしたら引き起こされていたこともあり得たのだ。
だが、と道三は言う。
「気が変わったのよ。ワシは美濃の蝮。汚く生きるのがワシの生き方よ。敵前逃亡など、下克上を繰り返してきたワシにとっては誉め言葉だわい。それにな、残った時間をただ老いるためには使いとうないわ」
それに、と一つ言葉を紡ぐ。
「信奈ちゃんの野望の先が一体これからどうなるものか、気になっておちおち美濃で寝ることも出来んわい。ならいっそ尾張に寝返るのが得策というもの」
「だからって……美濃を捨てたの?」
「今の美濃にワシの居場所などありゃせん。豪族共はワシの政策に反対し、義龍はワシを恨んどる……。あのままいたところで、後々殺られていたことは確かよ。潮時というやつじゃ」
道三は自ら造り上げた美濃という物語に幕を下ろした。
そして次の主役を信奈に譲り、新たな美濃を見るためにこうして生き永らえたのだ。
「どうせ、美濃に戻っても居場所はなし。だったら義娘の元で生きるのも悪くはないかもしれんな。ワシらは信奈ちゃんの客臣となろうぞ。好きに使ってもらって構わん」ぞ。
「……デアルカ」
感極まり、肩が震える。彼が生きていたことが嬉しいのだろう。その二人の様は親子のようにも見え、誰も彼らを邪魔する者はいなかった。
満足がいったのか、道三は義和を見つけると扇子を開く。そして以前見せたような好好爺の顔を見せた。
「義和よ。お主の覇気に触発されたのか、若い頃滾らせていた情熱を再び呼び覚ましてくれたことを感謝するぞ。ワシはまだまだやれる。そう実感させてくれたわい」
「食えないじいさんだ……」
「お前さんほどではないがな」
軽口を言い合ってる最中に使番がやって来た。先程のは違い、やたら血相を悪くしていた。
彼が放った言葉はこの場にいた全員を震撼させる。
「今川軍が……尾張領内へ」
今川軍、尾張へ進行。その報告を聞いた途端、和やかなムードは吹き飛んだ。すぐさま戦の支度に取りかかり、場は混乱の一言に尽きた。
国境を守っていた各地の砦は次々と落とされ、すでに今川軍は目と鼻の先まで来ていた。対し、織田軍は大した準備も出来ておらず、ぶっちゃけてしまえば敗北まっしぐらと言っても過言ではない状況なのだ。
そんな中、現在織田軍は諸将らを集めて作戦会議中だ。勝家の主張する『全軍で正面から突撃あるのみ』と『清洲城に籠り、籠城戦をするべきだ』と主張する他の諸将らの二手に分かれた。どちらにしろ、勝ち目が見えないのは明らかだ。だが、誰もそんな弱音を見せない。見せたら本当の敗北だ。
決まることのない議論の最中、黙り込んでいた信奈が突然動いた。扇子を広げ、舞を舞う。
「人間、二十年──」
敦盛。源平合戦の頃、源氏側の武将、熊谷直実が平敦盛を討ち、出家に至るまでを描いた能楽演目。今歌った節は織田信長が好んだ節として広く知られていることは有名である。
本人が歌う敦盛は見事な歌いっぷりだった。そこへ信奈の容姿が加わり、その踊りはシンプルながらも芸術そのものである。
「馬を! 熱田神宮へ行くわ!」
踊り終えると、あっという間の出撃。誰も彼もがその後を追う。ただ一人、義和は動かずその場に留まるように立っていた。
「義和よ。お主はどうするつもりだ?」
同じく残った道三だ。彼は扇子を仰ぎつつ、縁側に腰掛けながら義和にそう問う。義和は刀を腰に差しながらこう返した。
「決まってんだろ。お転婆な姫様が道を通れるようにするのが俺みたいな輩の仕事だ。悪いが義元の首は俺が頂こう」
「くくくっ、若いのう……」
面白そうにニヤつく義和。普段は見せないような暗黒面に堕ちたかのような笑みだ。
それは道三が若かりし頃、野望を胸に暴れまわったあの頃を彷彿させる笑みだった。道三からすれば、昔の自分を見てるようで懐かしささえ感じた。
「……義和は犬千代が守る」
「拙者も御供つかまつる」
犬千代と五右衛門が並ぶ。両手に花と言わんばかりの光景に道三はスケベジジイへと移り変わる。
「童女が二人……主も物好きじゃのう」
「なに勘違いしてんだおっさん」
とりあえずこのジジイは置いといて、皆の後を追う。馬に股がり、走らせた。目指すは桶狭間。
鉛色の雲が空一面に広がり、すぐにも雨が降りそうな曇り模様をしていた五月のことであった。
原作では道三が好きでした。大抵の作品では渋いオッサンキャラが好きなんです(唐突な自分語り)。