織田本隊は熱田神宮へ向かったが、義和らは別方向へと馬を進めた。
道中、馬に乗った五右衛門とその配下が現れる。
「桜場氏、これからどうするで御座るか?」
「桶狭間に向かうぞ。確か奴等は桶狭間にいるはず」
教科書にも載っている有名な戦いだ。この戦いで織田信長の名は全国へと知れ渡ることになり、今川家は滅亡の一途を辿ることになる。
「それは未来の知識というやつで御座るか?」
「未来の知識というか、少なくとも俺が学んだ知識はそうだ。桶狭間と言う地名は知っているか?」
「桶狭間……確かこの先にある山の名に御座るよ」
その提案に非難をあげる者々がいた。五右衛門の後ろを追うように張り付く強面の男達だ。
「しかし旦那! 相手は二万は下らねぇ軍数ですぜ!」
「まともにぶつかったら勝てるわけねぇぜ!」
「それに義元の本陣すら分からないってのによぉ!」
川並衆と呼ばれる五右衛門の部下達だった。
彼らは長良川ら辺を縄張りとしている川賊集団だが、鍛えぬかれたその隆々しい肉体はただの賊で済ませられるほどではない。聞けば元侍出身の者が多く、今は五右衛門に忠誠を誓う忍の一団なのだ。
「ふむ、川並衆の言っていることも一理。やはりここは援軍を待つのが得策かと」
「そうだ! 俺らだけじゃ多勢に無勢! 織田の姫様を待つのが一番だ!」
「親分の言う通りだぜ! 戦力を整えるんだ!」
「真っ向から突撃するなんて馬鹿の本分だ!」
五右衛門の提案に大賛成と言わんばかりに首を縦に振る川並衆。
しかし義和はそれを否定する。
「誰が俺達だけで戦うって言ったよ。俺らは偵察部隊だ。義元の本陣を見つけ、それを本隊に伝えるんだ」
「間諜に御座るか……。その案、乗ったで御座るよ」
「……犬千代も乗った」
「俺も乗った!」
「さすがは桜場の旦那! 親分が認めただけあるぜ!」
「俺たちゃああんたについていくぜ!」
「……なんだその手のひら返しは……」
「……気持ち悪い」
さっきから川並衆の意見がはっきりしない。大の大人が幼女の意見に振り回されているところを見ていると、何とも哀れである。
「おやおや、カズ君! この僕を忘れるなんてひどいじゃないか!」
突如、派手な戦装束に身を包んだ集団が現れた。そのほとんどが女の子だけで形成されており、その中心にいたのは白馬の王子様ぶりの気取り顔をした信澄だった。
「織田勘十郎信勝改め、津田信澄ここに推参! 姉上と尾張、そして仲立ちしてくれたカズ君のため、手を貸そうじゃあないか!」
「……なんだお前か」
「なんだとはなんだい、なんだとは!? この僕が助けに来たんだよ!? 泣いて喜ぶのが当然じゃあないかあっ!」
あの家督争いとの一件以来、二人は兄弟分のような間柄になった。相も変わらず、信澄の貴公子キャラに振り回されてはいるが。
「……で、後ろの女子達は何なんだよ」
「ふふんっ、彼女達は尾張中から集めた僕の美しき部下達さ。総勢百人! 僕らの力を惜しみ無く使ってくれたまえ」
「……全然役に立たなそう」
「足手まといで御座る」
犬千代らにもこう言われる始末だ。なぜなら彼女らは武家の生まれではない。農民や商人出身がほとんどだ。
戦闘経験もあるかが怪しい素人同然の集団を活用出来る軍略など持ち合わせていない。精々、裏方の仕事が関の山だ。
「──いや、待つで御座る。これなら手分けして探索できるで御座るよ」
「そうだとも! これも僕の作戦通りさ」
「嘘つけ」
ここで部隊は二手に別れる。
義元の本陣を見つけ、その事を即座に熱田神宮にいる信奈本隊に報告し、進言する。これが彼らの作戦だった。そのために川並衆は西側を、義和+犬千代+信澄隊は東側を探索することにしたのだ。
川並衆と別れて三十分もしない内に桶狭間山のやや開けた平地に置かれた陣幕を見つけた。丸に二引両という今川家の家紋を確認する。
多くの近衛兵が辺りを巡回し、その陣幕からは笑い声がしていた。
「今川の本陣だ。休憩中のようだな」
「数はおよそ五千といったところかな。とはいっても、さすがに僕らだけでは太刀打ち出来ないね」
「……どうする?」
「俺達だけじゃ勝てない。信奈を連れてくるしか他にいい作戦はないな」
では誰がいくか、それを決めようとしたところで信澄が待ったをかける。
「ここは僕らが足止めしておこう。これ以上、今川勢に進軍させられたらいくら姉上でも奇襲することは難しいからね」
「……足止め?」
「祝勝の前祝いとでも言って、彼らにお酒を振る舞うんだ。敵の領地内で休憩するぐらいさ。さぞかし、油断しきってるはずだよ」
「なるほど…そいつは名案だ」
「……犬千代は?」
「ここで残りの女子を守ってろ。敵もただ遊んでるわけじゃない。一人ぐらい斥候がいてもおかしくないからな」
「……わかった」
「それじゃ、二人とも気をつけてな」
その言葉を最後に、各々が己の役割を全うするために動き始めた。
熱田神宮にいる信奈本隊へ言伝てを伝えるために馬を走らせる。
山中を駆けている時、背中より鋭い気配を感じた。
その気配は駆ける馬がスピードを緩めた時、さらに色濃く強まった。
「……っ!」
飛来してきた何かを超人的な身のこなしで避け躱し、落馬と共に臨戦態勢をとる。
後ろの木に目をやれば、飛んできたのは手裏剣だった。そして殺気。
「我が手裏剣を避けるとは見事……」
現れたのは全身黒づくめの忍者。声と容姿から男なのは間違いない。だが、彼の纏う殺気はそこらの足軽が抱くような殺意さえも生易しく感じてしまうほどの殺気だった。それは目の前に立つ忍が戦闘を専門としている忍である証しでもあった。
「今川の忍か…?」
「概ね合ってる。我が名は服部半蔵。織田の間者を見逃すわけにはいかぬ」
忍者と聞いて真っ先に思い浮かべるであろうビックネーム、服部半蔵。徳川家康の元で暗躍した忍の頭領だ。
彼は懐より手裏剣を手に取り、眼光を鋭く光らせる。
「その佇まい、名のある武士と見た。貴様の命、貰い受ける!」
「やってみろってんだ!」
再び手裏剣が飛んでくる。
ただ闇雲に投げているわけではなく、義和が今立ってる場所、そして彼が逃避するであろうルートを予測した先を目掛けた投擲だ。
だが義和はそれを難なく避ける。しかも、ただ避けるだけではなく、避けた後、攻撃が来てもすぐ行動出来るような受け身をとっていた。
このままでは埒が明かない、と半蔵が背中の刀を抜く。
「貴様には手裏剣が効かぬようだ……なら刀で参る!」
凄まじい跳躍力で一気に近づき、喉元目掛けて刀を振るおうとする。大抵の武士ならこの一撃で沈むだろう。
しかし相手は武道界の神童と称された男。これぐらい対処出来なければ、神童の名折れだ。
「なんと!」
鞘から刀身を半分まで出して止め、そのまま受け流しながら完全に引き抜く。
そしてすれ違い様に刃を走らせた。体勢が崩れてしまったために完璧な一閃は出来なかったが--。
「……まさかこれほどの手練れだったとは」
半蔵の腕に傷を作ることは容易なことだった。鮮血と共に黒衣に闇色の染みを滲ませる。
だが、義和とて無傷ではない。頬に一筋の裂傷が走る。半蔵相手に無傷で帰れるなどと甘い考えは持ち合わせていない。
「ますますここで逃すわけにはいかなくなったわ! 覚悟!」
二人の得物が激しくぶつかり合う。お互い一刀に全身全霊をかけての一刀故、当たるだけでも致命傷になりうる。
半蔵は言うまでもなく忍として一流だ。しかしながら相手は武神と称された男の実孫であり、その武神に育てられた男。
半蔵以上の強さを持つ男の元で育てられれば、どうなるかはお察しの通りである。
(これで決めるッ!)
相討ち覚悟でこれまで以上の一刀をお見舞いせんと躍動する。
右側面からの鋭い一撃。狙いは右胸、心臓目掛けて飛び掛かる。
しかし──。
「ッ!?」
鞘で防がれた。腰から引き抜いた鞘を犠牲にする形で半蔵の刀を防いだのだ。
深くまで食い込んでしまい、引き抜こうにも手間がかかる。ならば、これを捨てて懐の暗器でと考えたが、もう遅い。
半蔵が動くより先に、胴体へ一刀が刻まれた。
「見事……」
脇腹からこれまで以上の血が流れた。内臓に届いてるかはさておき、さすがの半蔵といえど、これほどの傷を追っては戦闘続行は難しいはず。
「……殺せ」
膝をついて前のめりになり、首を差し出す。だが、義和は半蔵の覚悟を一瞥したのち、納刀した。
「主君の元に帰りな。一つ貸しだぞ」
「なっ……!? この俺を見逃す気か!?」
何故、逃がすのか。それは
もし──、もしもだが、本能寺の変が起きてしまった時、秀吉の代わりである自分が死んでしまった時、その後を担うのは松平元康、即ち後の徳川家康だ。
本能寺の変の後、家康は明智軍から逃れるために京から浜松城へ逃走することとなる。そのためには最短ではあるが道などはなく、おまけに山賊が蔓延る伊賀を越えなければならない。その際、伊賀忍者を活用して家康の安全と逃走ルートを確保し、無事浜松城へ送り届けたのはこの服部半蔵である。
つまり、ここで半蔵を逃がすことは元康の幕府設立のための保険なのだ。
「元康は三河の大名として独立したがっている。違うか?」
「……だとしたら何だというのだ?」
「この戦いで信奈は義元を倒し、元康は今川の手から離れるだろう。そして信奈は元康を仲間にするはずだ」
「織田の犬になれというのか!?」
「違う、同盟国だ。確か元康は信奈とは顔見知りだよな?」
信奈の狙いは三河ではなく、美濃だ。そのためにも、避けれる戦いは避け、少しでも兵力を温存するだろう。そして幼なじみである元康を滅ぼすような真似はせず、仲間に取り入れるはず。
これにより、三河という東国への牽制のための要所を手にいれ、信奈は西国へ駒を進めることが出来るようになる。
「これから信奈が天下統一するためには多くの有能な家臣が必要だ。それは元康も一緒だろ。だからお前を逃がす」
「……なるほど。姫のため、か」
合点がついたのか、忍者刀を鞘に納めた。
そして消えた。霞のように、ぼんやりと姿を歪め、風と同化する。風音と共に聞こえるは半蔵の声だ。
「あくまで俺は織田ではなく、姫のために動く。だがお前に救われた命、忘れるわけではない──!」
一拍置き、さらに半蔵の声がこだまする。
「此度の合戦、どうなるか楽しみぞ!」
「織田信奈の戦い、しかと目に焼き付けるがいい! 」
ただの忍びなら義和の言葉に耳を傾けることもなければ、堂々と一騎討ちすることもなかった。だが半蔵は忍でありながら武士の魂を持つ男。彼もまた、義和の性根に惚れた者なのだ。
織田本隊はすでに熱田神宮に集結しており、戦勝を祈願して参拝に来ていた。
熱田神宮は三種の神器である草薙の剣が御神体として納められている。戦勝祈願するにはうってつけの寺社といえるだろう。
「信奈様! 義和が信奈様に申したいことが!」
満身創痍で現れた義和を見て場はざわめくが、信奈は違った。
彼の目を見て何かを感じ取ったのか、彼女は凛々しい顔のまま義和に問う。
「カズ、何か言いたいことがあるようね」
「はい、吉報です。桶狭間山の東の麓にて今川義元本隊が休憩中。現在は信澄隊が足止めしています」
「勘十郎が? あの子ったら……」
「いかがなさいますか?」
「決まってるわ! 全軍で突撃! この奇襲に私のすべてをかけるわ!」
その一言に兵達は鬨の声を上げる。調子を良くしたのか、信奈は神殿の前まで近寄ると天まで届くような声で叫んだ。
「まったく、八百万の神々と聞いて呆れるわ! この国が乱れたままでいいの? 私がこの国をまとめあげるから私を勝たせなさい! いいわね!」
隣に立つ長秀が冷や汗をかくほどに、神殿を前に神をも恐れぬ所業。それは他の部下たちも同じで難色を示す
「信奈様は神仏をも恐れぬお方!」
「なんと罰当たりな!」
そして天もが顔色を悪くしたのか、天候が大きく変わる。鉛色の空はより深い色へ移り変わり、龍の遠吠えのように雷鳴が走った。
横殴りの豪雨が激しく地に降り注ぐ。
「これぞ我が天運! 天照大神までも私達に味方してるわ! この雨が私達の足音をかき消し、今川兵の足をからめとろうぞ!」
「「「うおおー!!」」」
織田軍の士気は最高潮。雄叫びを上げて馬を走らせ、我一番と桶狭間目指して突き進む。
豪雨の中を進軍するその姿はあたかも地を走る黒龍の如き姿だった。
木々を駆け抜け、義元本陣が崖下に見えたところで信奈は抜刀し、その先を本陣に向ける。
「かかれぇぇー!」
単騎、谷より駆け下りる。家臣らが後に続き、本陣へと雪崩れ込む。
織田の奇襲により、今川軍は何事かと慌てふためき、事態を読むことが出来ずに討ち取られていく。
あまりに一方的な戦いに不満を抱く勝家が馬上で声高に叫んだ。
「私は織田家が家臣、柴田勝家! 今川の将に骨のある者はいないのか!」
鬼柴田の名を聞き、今川兵の足はすくむ。ところが、中からがたいのいい壮年の武者が現れ、抜刀ともに口上を述べた。
「我こそは今川家家臣、松井宗信! かの鬼柴田が相手となれば、武門の誉れ! いざ、尋常に勝負!」
「面白い!」
一部の猛者は勝家に夢中になり、義元本人の護衛が疎かになったところで、義和は本陣奥へと走る。
そこへいたのは大きな和傘の下、毛氈を広げて宴会をしていた見目麗しい女性だった。しかし、どこかポンコツ臭が漂っており、気が抜けている感がすごかった。
「な、何事ですの~! ま、まさか奇襲だなんて……も、元康さんっ、やっておしまいなさい! ……あれ、元康さんは何処に?」
「この子が今川義元か……」
今川義元は昔話に出てくるお姫様といって風貌をしていた。
最高級の生地から作られた十二単は戦場には似つかわしくあらず、むしろ逃げれたであろう好機を自ら不意にしてしまった。
「ひぃ! な、なんですの貴方は!」
「今川義元公。此度の戦、織田の勝利。降伏を薦めよう」
「い、いやですわ! 妾は今川家が当主、"東海一の弓取り"、今川義元ですのよ!? 尾張の山猿どもに降伏なんてするものですか!」
公家のプライドからか降伏をはね除け、その煌びやかな太刀を抜き放つ。しかしその切っ先は大きく震え、まともに扱ったことがないことを見せつけてしまう。
そんな義元に対し、こちらも切っ先を向けながら再度、先程よりドスの利いた低い声で降伏勧告を促す。
「義元公、降伏を」
「…くっ…こ、これまでですわ……」
敵わないと自覚したのか、その手から太刀が転げ落ち、首を項垂せた。敵意も戦意も感じられない。言うなれば、脱け殻だ。
脱力感漂う義元に軍の采配は不可能と確認した義和が辺りに聞こえるように大声で叫んだ。
「大将、今川義元は降伏いたした! これ以上の争いは無意味! 両軍、武器を納めたまえッ!!」
その声高に今川兵は無気力に膝をつき、織田兵は歓喜の声を上げ大いにはしゃぎ始める。
信長の天下統一への道を刻む最初の戦、桶狭間の戦いは僅か三十分足らずで織田軍の大勝利に終わったのだった。
その晩、清洲城ではドンチャン騒ぎの宴が繰り広げられていた。織田家の家臣はもちろん、城の女中や警備の足軽などもが宴に加わり、無礼講の酒宴と化していた。
「うわははっ! 飲め飲め~! おい侍女、酒が足りないぞ! もっと持ってこい!」
「か、勝家、僕は侍女じゃあないぞ! 信澄だってばぁ!」
「信澄~? そんな侍女いたっけか?」
「女中じゃあないって! 信奈の弟、信澄だって言ってるじゃあないかっ!」
「勝家殿、はしたないです……五点です……」
勝家が徳利片手に信澄にからんでいるところを除けば、和気あいあいとした宴会といえる……というのは嘘で、勝家が最悪なだけでほとんどの家臣らは酒癖が悪かった。上着を脱いだり、中にはふんどし姿になる家臣とまだ始まって早々経っていないにも関わらず、酔いが回っていた。
義和らはそんな粗暴集団から離れ、上品に飲み食いしていた。
「ささっ、義和殿。どうぞですぞ!」
ねねや浅野のじい様も宴にかけつけ、嬉々たる様で宴を楽しんでいた。
お猪口から中身がなくなる度、ねねがこうして注いでくれる。将来は良妻まっしぐらの計らいぶりが垣間見え、酒がよく進む。
「なんといっても義和殿は義元公捕縛の立役者! 全国へとその名が轟きますぞ!」
「……おまけに義元の本陣を突き止めた。これは大手柄」
「これで川並衆も侍として取り立てられるで御座るよ」
次から次へと酒が注がれ、さあイッキイッキと囃し立ててくる。ダメ、イッキ飲み。
しかし義和はそれを一気に飲み干し、見事な飲みっぷりを披露する。彼の身体は生まれながらにして酒豪でもある。これくらいのことは造作もないことだ。
「おいおいお前らも飲めよ~! ひっく!」
さらには顔を真っ赤にしたベロンベロン状態の勝家が絡んでくる。
この手の輩は非常にめんどくさい。一番手っ取り早いのは本人を酔い潰すことだが、潰れる気配がない。さすがは鬼柴田。身体の頑丈ぶりは伊達ではない。
「お前らは飲むなよ。ああなったら手がつけられんだろうからな。最低でも二十歳になってからだぞ」
「……むっ、子供じゃないもん」
「飲むなって言ってるだろうが!」
子供扱いが癪なのか、直に飲もうと徳利に口をつけたところを無理やり押さえつける。その体型のわりに力強いため、引き離すのが困難である。
取っ組み合いの終止、新しい飲み物を取りに行こうと辺りを見回してみると、肝心の人物がいないことに気づいた。
「そういや信奈は?」
「……部屋にいると思う」
大勝利の祝賀会にも関わらず、信奈は参加していなかった。
何故、と犬千代に聞くと罰の悪そうな顔で教えてくれる。
「……姫様はあまり本心も見せたがらない。主君は冷然であるべきだと思ってるから」
彼女は常に織田信奈であろうとする。弱音を見せることもなければ、勝利に驕ることもなく、そして誰にも心の内を明かさない。
その場の情に流されれば、自身の本心がぶれてしまう。故に誰とも交わることがない。
「……本当は姫様も嬉しいはず。さっきういろうの山が姫様の部屋に運ばれてた」
「ふーん……」
とはいえ大将のいない宴会など、義和にとって素直に楽しめなかった。
ほとんどの人間が宴会に参加してしまってるため、無人と化した城内を一人歩いていた。
勝家に無理矢理飲まされたせいで体が熱く、熱を冷ますために風当たりのいい場所を探していたところである人物に出会った。
「信奈様?」
寝間着姿の信奈だった。当主という肩書きから解放されて年相応の普通の女の子らしい姿の信奈だ。
「あら、カズじゃない。向こうに参加しなくていいの?」
「いえ、ちょっと風に当たろうかと思いまして」
「そう、ならちょっと付き合いなさい」
そう言われ、後をついていくと部屋に通された。
彼女の部屋は様々なもので散らかっているものの、そのほとんどが南蛮の物だ。南蛮かぶれと言われる所以の物だろう。
信奈は座るなり、酒器に飲み物を注ぐ。意外にも、中身は甘酒だった。
「お酒は飲まないのですか?」
「あまり飲めないのよ。飲むと気持ち悪くなるっていうか……苦手なの」
織田信長は下戸という一説を聞いたことはあるが、本当だったとは。
とはいうものの、元の世界なら彼女は未成年扱いだ。いくら元服した身とはいえ、身体が飲酒についていけてないのかもしれない。ただ単に彼女の舌に合わなかっただけな可能性もある。
「あんたは平気なのね」
「祖父の血筋が強いせいか、あまり酔わない体質でして」
「へぇそうなの。カズの祖父ってどんな人なの?」
「人間をやめた人間ですよ」
「な、なによそれ……」
それ以外の表現法がないので致し方なし。
「ま、まあ、今回の戦いは見事だったわ。あんたを召し仕えた私の目に狂いはなかったっていったところかしら。そうだ、奉公に対しては恩賞で返さなきゃいけないわね。これは断っちゃダメよ?」
その恩賞とは──。
「褒美として家臣にしてあげる。これからも私のために奉公なさい」
「恐悦至極です」
仕官されて数週間で家臣とは、異例の大出世である。それもそのはず、この数週間で彼の功績は多い。足軽のままにしておくほど無価値な訳がない。
同時に、義和を織田家に釘付けにするための餌でもある。これほどの逸材、他国も欲しいはず。信奈の性格上、自分の物を他人にあげるような性分ではないのだ。
「さ、出世祝いに私が注いであげる。天下一の美少女の酌よ。泣いて喜びなさい」
「ありがとうございます」
酒器に並々まで注がれた甘酒をありがたく頂きながら喉へ流し込む。
「どう? 美味しい?」
「はい。中々の美味です」
「でしょ? なんたって私が認めた甘酒よ。不味いわけないじゃない」
太陽のように明るい満面の笑顔で話しかけてくる信奈に義和の胸は思わずときめいた。
こんな少女に魔王は似つかわしくない。彼女は信長ではない、信奈だ。ただの少女、織田信奈なのだ。
「俺……やっぱり貴女に仕官してよかったですよ」
「ち、ちょ、ちょっと! いきなり何言ってんのよ!」
向かい合って褒められたことなど、信秀以来だ。しかも同年代で顔もいい。それでいて爽やかな笑顔を向けられては冷然ぶる信奈の顔にも羞恥が生じた。
真っ赤な顔をした信奈を肴に、義和は残った甘酒を流し込む。
祝勝の余興と言わんばかりに輝いている月が、二人の時間を見守ってるようだった。