“女難の対魔忍”暗躍譚 ―対魔忍RPGX HAERESIS― 作:holmint
対魔剣術「逸刀流」道場内。
「……変わった? 私がですか、あず姉?」
「ああ、無論いい意味でだぞ。剣を振るっている時だけでなく普段の立ち居振る舞いも、以前より自然体で余裕が感じられる。逸刀流や五車の模範たれ、と無駄な力みをすることがなくなった」
「そう……ですか。それは多分、ふうまのお陰かもしれませんね」
「ふうま……ふうま小太郎の事か? あの若いふうま家当主の」
「ええ。今は新設された独立遊撃隊の隊長でもあります。本人は忍法が使えないとのことですが、目端が利く男で、先生たちも知らないような魔物や魔界技術の知識も持っています。何度か任務を共にしたことがあるのですが、その際いくつか参考になる助言をもらいました。それが良かったのでしょう」
「助言……それはどんな?」
「そう、ですね。主には私の空遁……空間転移や五感跳躍以外にも、私では思いつかないようなアイデアをもらいました。後は……ええと、恥ずかしながらその、男性との付き合い方を、少々……」
「! ……ふふっ、成程。その変貌は男を知ったが故、か。噂だがその若当主、相当な女好きらしいじゃないか。免疫のないお前を誑し込むなど容易いだろうな」
「べ、別にそういう訳では……彼は良い友人です。それは、口さがない連中の戯言です……よっ!」
「おっと……ふふ、今のは危なかった。だが、別に悪口を言った覚えはないぞ。女好きな男は嫌いではないし、お前をそういう風にした彼は確かにいい男なのかもしれん。……しかし、お前が家の者以外の男と親しくなるとは以外だ。これも単なる噂だが、レズだと生徒内で言われるくらいには男っ気がなかったろうに」
「な……! あず姉、いくら貴女でも怒りますよ!」
「もう怒ってるじゃないか。剣が、乱れてるぞ……!」
「くっ……! あっ……!?」
「焦って距離を取ろうとしているのが見え見えだったぞ。私がもし敵なら剣を払い落とすだけでなく、腕も斬り落とされていただろうな」
「……すみません。戦いの最中で心を乱してしまいました」
「気にするな、私も意地悪を言った。実戦形式かつ能力を使いながらの戦いで、後輩のお前に不覚を取るわけにはいかんのでな。それに、何度も仕合をした私だからこそ突けた隙だ。お前の技が鈍ったわけではない」
「それでも、負けは負けです。これで私の10敗……ですね。勝負はあず姉の勝ちです」
「ふむ……賭けるものを決めずに10先を始めてしまったが、今決めた。ふうま小太郎と何があったか、馴れ初めから詳しく聞かせてもらおうか。男に興味のなかったお前が如何にして堕とされたか、興味がある」
「えっ……いや、あの、別に私と彼は男女の関係というわけではありません! 以前ちょっとした事件に巻き込まれた時に縁ができて、それ以来たまに相談をし合っているというだけで……!」
「相変わらず嘘が下手だな、凛子。これも単なる噂だが、お前とふうま小太郎がまえさきの商店街を一緒に歩いていたのを見たと、お前の取り巻き女子の1人が話していたぞ。しかもそのまま、ホテル街の方へ2人で歩いて行ったとも言っていた」
「な、見られっ!? ……ちょっと待ってください。確かにまえさき市で彼と同行しましたが、あれはアルバイトをした帰りに偶然会っただけですし、ホテルへ向かってもいません。その子の勘違いでしょう」
「ふむ、ではデートしたのは間違いないのだな」
「デッ?! …………い、いえ。そういうのでは……ない、と思うのですが……」
「ふーん。では、ふうま小太郎には何の感情も抱いていないのか? 男との接し方について相談したのは、本当は彼が好む振る舞いを知りたかったからではないのか?」
「えぁ、そ、それは……男のことは私から相談したわけではなく、話の流れでそうなっただけで……それに、彼はゆきかぜや鬼崎と仲が良いようですし…………私が、入り込む余地なんて……」
「ふふ……あっははは!! 何だ、思った以上に本気じゃないか。くくっ、あははははっはは……!」
「…………そんなに、笑わないでください。正直言って、自分でもよく分からないんです。これが本当に、そういった感情なのかどうか。男を意識するというのは、一体どういう事なのか……」
「ふふふ……成程、それはすまなかった。まあ、戸惑うのも無理はないか。せめてお前に男の兄弟でもいれば、話は違ったんだろうがな」
「兄弟、ですか。兄弟弟子なら何人もいますが……それとはやはり、違うものなのですか?」
「ああ、ちがうな、全く違う。……そう言えば、お前とは長い付き合いだが、恋バナなんて一度もしたことなかったな。よし、今日の鍛錬はここまでにして、その辺ゆっくり語らうとしようじゃないか。まずは湯浴みだな。汗まみれの体では恋バナも何もあったものではない。行くぞ、凜子」
「あ、はい………………恋バナ…………」
俺がアサギ先生の『過去』を知ったのは大分昔、誰から聞いたかも覚えていない程子どもの頃だった筈だ。
それを知って、同情や憤りより先に俺の胸に去来した感情、それは確か──義務感だった。
そんな寂しい思いをしているなら、俺があの人を慰めなければ、元気にしてあげなければ―と。
馬鹿な話だ。道端で泣いている子どもに手を差し伸べる感覚で、自分なら“最強の対魔忍”のトラウマを晴らせると思っていたのだから。当時の俺はふうま一族のガキ大将みたいなものだったから、一緒に遊べば彼女も元気になる、くらいに考えていたのかもしれない。
こんな幼稚な記憶、正直今すぐにでも忘れたいが、そういう黒歴史程しつこく脳内にへばり付いてしまうものだ。本当に、思い出とは厄介極まる。
「俺は笑わんよ。例え子どもの戯言だろうと、叶えた以上は本物だ。アサギもそのことに関しては心から喜んでいるはずだ。あいつはそういう、純な心にめっぽう弱いからな」
盲目の対魔忍、八津九郎から唐突にそんな優しい言葉をかけられて、俺は暫し面食らってしまった。
今俺と九郎さんはサービスエリアで、少し早めの夕食を摂るべく注文した料理が来るのを待っていた。
ちなみに俺は天麩羅蕎麦で、九郎さんはかけ蕎麦(ネギ抜き)を頼んだ。
「……そういうもんですかね。これで真実アサギさん一筋だったら、恰好もつくんでしょうけど」
「それはお前の器量次第だな。籍を入れ、家族という社会的単位を形成するつもりなら浮気癖は問題になる。だが今のところこの国では、同時に複数人の女性と関係することそのものは違法ではないからな」
俺は痛いところを突かれ、気分を紛らわすために水を一杯飲む。
たかが18の餓鬼に、所帯という概念が現実味を帯びてしまうことは恐怖でしかない。
セックスしておいて結婚は絶対嫌だ―とか、普通に考えれば終わってる感性だという事も自覚はしている。
だが今の暮らしを始めてから、公私ともに順調なのも確かなのだ。我儘だ微温湯だと言われようが、体に合ったライフスタイルを完全に変えてしまうこと自体にも強い心理的抵抗がある。
だからこそ関係を深めても責任を口にしなさそうな相手とばかり関係を持ち、万が一にも『出来ちゃった』なんて事にもならないよう細心の注意も払っている……うん、どう考えても屑の所業だなこれは。
そんな俺の怯懦と自嘲を見透かされたのだろう。
おいおい──と苦笑が漏れてきそうな表情で、九郎さんが言葉を続ける。
「お前は只の学生でもなければ一般的な対魔忍でもない。忍法が使えないということが実戦以外ではディスアドバンテージにならないように、お前は指揮とコミュニケーションに専念すればいい。そう言っただろう」
「ええ。……初めて聞いた時はまさか、こういう意味だとは思いませんでしたけどね……―ありがとうございます」
そこで注文した品が届き、俺たちは食事を始めた。
2人とも食事には集中したい性質なので会話はせず、黙々と椀の中のものを平らげた。
大盛りの蕎麦を3分も経たずそれぞれの胃の腑に収めた後、俺たちはお茶を啜りながら会話を再開する。
「……俺って、昔からそんなスケベに見えてました?」
「俺達が初めて会話した時、お前はたしか15だったな。まあ、その時は年相応の風貌だったさ。今みたいに好色のオーラをまき散らしてはいなかったな」
「ど、どんなオーラですか、それ……!?」
これが全く冗談に聞こえないのが、九郎さんの恐ろしいところだ。
八津九郎という対魔忍は、視覚が失われて“不死覚醒”の忍法が使えるようになると同時に、第六感とでも言うべき超感覚を会得した。それは喪われた感覚を他で補おうとして聴覚や嗅覚が鋭敏になった―という事ではなく、一種の超能力に近いものだ。
彼は目が見えてなくても、周囲の人物や物体が持つオーラみたいなものを色彩のある風景として捉えることができる。1世紀ほど前に流行ったレトロフューチャーを舞台にしたSFによく登場する、黒いモニターにポリゴンで描かれた古臭いレーダー図や、荒い画素数の立体映像。イメージとしてはそういったものが近いらしい。
「まあぶっちゃけて例えてしまえば、映画の『マトリックス』で救世主に覚醒したネオ・アンダーソンに見えてたアレだよ。あそこまでビカビカ光っちゃいないがね」
「……身も蓋もない補足どうも。で、今の俺は九郎さんから見れば女好きのオーラを発していると?」
「おいおいマジに取るなって。俺はニュータイプでも霊媒師でもないし、この力は千里眼や心眼とは全く違う。魂の色なんて見える訳ないだろ」
「……でも幽霊は見えるんですよね?」
「それとこれとは別だ。一般に幽霊と呼ばれるものは死者の精神波が土地に根付いた魔力、或いは人為的魔術によって形を成し、現世に定着させられている、精神生命体とでもいうべきものだ。だから実体を『視る』ことはできるが、専用の装備がなければ触れることはできないし、相手の状態が安定していなければ話すこともできん。別にこの力も万能というわけじゃないし、俺の霊感が強いというわけでもない」
そう言うと残ったお茶を一気に飲み、九郎さんは席から立ち上がった。
俺も続いて立ち上がり、勘定をするべくレジへと向かう。九郎さんが当然のように、俺の分も払ってくれたのは嬉しかったので丁重にお礼を言ったが、何故か微妙な表情を向けられた。
そのままトイレで用を済ませてから、2人並んで車に戻る。
「それで、結局誰なんですか? 今日会いに行く人って」
「さっきも言った通りアミダバラにいる。ま、向こうのご意見番だな。喰えない婆さんだがあそこでは一番信頼できる。そこで成果がなければ諦めて、野暮用を済ませてお前を五車に送り、俺は空港へ直行する」
「え? 九郎さんは家に帰らないんです? 随分戻ってないんじゃないですか?」
そう言いながら俺は車に乗り込み、シートベルトを締める。
九郎さんは個人的な信条により、仕事で運転する時はベルトもドアロックもしない。警察に見つかったらどうするんだ、と聞いたことがあるが「そんなヘマをした事は一度もない」らしい。
最近は高速の至る所に高性能カメラが設置されているし、道交法を守らず捕まるのはヘマとかそういう問題ではない気もするが──信条ならまあ、仕方ないか。
「連絡は定期的に取ってるさ。紫の奴は遠慮して滅多にしてこないがな。実を言うと向こうでの仕事をほっぽり出して帰国したんでな。なるべく早く戻らんと向こうの仲間に殺されかねん」
「あ、そうなんですか。……態々急に帰国するほどに、この『対魔石』の案件は重要だと?」
「当然だろ、単に俺たちのイメ損なんて問題じゃない。お前も散々人間が化物になるところを見てきただろうが、あれは魔界基準でもドーピングなんてレベルを超えている。恐らくだが、お前でも適量を投与し続ければアサギと互角に戦える身体能力を身に着けるだろう。そういうものが世に出回り始めてるんだぞ」
「そんな……!」
衝撃的すぎる話だった。五車での会議で出た情報で、『対魔石』が対魔粒子の結晶化したものという情報は確かに出ていた。
そんなものを摂取すれば忍法の威力や身体能力の向上が見込めるというのは容易に想像できるし、映像で見たように過剰な摂取によって肉体の変貌や崩壊が起こるというのもあり得る話ではある。
だが、よりにもよって“あの”アサギ先生に匹敵する力を得られるというのは俄かに信じがたい。
単身でマフィア組織を壊滅させたり、武装した数百人規模のオークを全滅させる。
あの石を使えば、そんな出鱈目なジャンキーがあっさり量産されるというのか。
もしそんなものが国内の魔族や反対魔忍の集団に渡ったら、パワーバランスの崩壊どころではない。誇張抜きで五車存続の危機じゃないか。
「まあ、大抵はオーバードーズで死ぬか、そうでなくても肉体のパワーアップについていけず精神が崩壊するだろうがな。『あれ』は間違いなく、そういった障害を乗り越えてしまっていた」
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九郎さん曰く、最初に海外で『対魔石』らしきものが見つかったのはアフリカの某国だそうだ。
1週間ほど前、とある反政府組織の戦闘部隊に所属する民兵や傭兵たちが、ある日突然狂暴化して無差別に街や集落を襲い始めた。
現地の警察や正規軍も対応を試みたが、銃弾を食らっても平然と戦い続ける常識外れの強靭さに手を焼き、何より手足が砕けても狂気の笑みを浮かべて敵兵が襲い掛かってくるという異常な光景に現場は騒然となり、やがてまともな戦いにならなくなった。
そこで、各種のコネを通じて現地政府の黙認を得た後、九郎さんたちが協力者とともに鎮圧に乗り出した。
一般人の部隊に包囲と通行規制を任せ、虱潰しに怪物と化した兵士たちを倒していったのだ。
殆どの兵士は理性をなくし只破壊をまき散らすだけの暴徒と化しており、中には肉体が溶けたように崩壊したり、常とは異なる場所から腕が生えたり等、最早人間とは呼べない姿をしている者もいた。
しかし、どれも九郎さん達を手こずらせるような連中ではなく、作戦の途中までは半ば駆除作業に近かったという。
だが、その中に1人“規格外”がいた。
初見ではその男も、他の兵士と同じように正気を失っているだけに見えた。銃器はおろかナイフすら携帯していなかったが、服装が周りより派手で軍帽を被り、正規品のアーマーもしっかりと着こんでいたため、部隊の指揮官か組織の幹部だったのかもしれない。
しかし向こうがこちらを認識し、襲い掛かってきたその動きを見て、瞬時に九郎さんはその認識を訂正した。
見て―というのは中々微妙な表現だが、この場合は2つの意味で正確ではない。元々何も映さない彼の瞳だけでなく、目よりも鋭敏に周囲の状況を掴む彼の超感覚をもってしても、戦闘を開始した瞬間の敵を捉えきることができなかったからだ。
一瞬だけとはいえ、近接戦闘中に敵の姿を見失う―戦場においてそれが死に値する失態であることは明白であり、まして八津九郎にとっては対魔忍になって以来初めての経験だった。
気づかぬままに接近され、咄嗟に防御した腕を掴まれるという事態に陥り、九郎さんは己が油断していたことを悟った。心の中で舌打ちをしつつ、刹那の間に意識を切り替え反撃に移るが、そこで驚愕の事実に気づいた。
「服を再度見ると、赤いと思っていた軍服の色は全身にびっしり付いた血によるものだった。戦いで傷つけられたからか、と思ったが、服のどこにも傷を受けた跡は見られない。つまりその血は全て返り血だったわけだ」
更に観察してみると、その化け物になった男の体にさらなる異常を発見した。
激しい戦いを経たのは乱れた服を見れば一目瞭然だが、それにしては手足や頭部の皮膚が綺麗過ぎたのだ。
九郎さんにはその不自然な体の有様に心当たりがあった。何せ、彼自身も馴染み深い状態だったからだ。
「試しに一発斬りかかってみたら直ぐに確証が取れた。俺の斧やナイフ、仲間が撃った弾丸による傷さえ瞬時に塞がっていたからな。……ふっ、流石の俺も顔が半分切り取られた奴に全力で組みつかれるってのは初めての経験だった。『自分』と戦ったやつらの気持ちが嫌でも分かったよ」
人ならざるアンデッドの群れと化した兵士たち、そしてそのボスであるヤク中のバーサーカー。
殺した人間の血肉を食らっていたわけではないからグールやヴァンパイアとは呼ばないが、どちらにせよ一般人からすれば悪夢としか言いようのない連中数百人を、九郎さんたちは一晩かけて鎮圧に成功した。
その作戦所要時間の内実に7割以上は、先述の疑似的な不死身と化した対魔石の完全適合者たち『数人』との戦いに費やされたという。
「倒すのは大変だったが、後始末にはまた骨が折れた。何せ向こうの現場は魔界の連中や対魔忍の事なんぞ碌に知らんからな。百人以上はいた怪物をわずか数人で始末した俺たちも、連中からすりゃ人ならざる者に見えたようだな」
ま、それは何にも間違いではないが―そう言って九郎さんはニヤリと笑った。
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「……そんな大事な話、さっきの会議でしなくて良かったんですか?」
「後で報告書は出すさ。あの場であれこれ突っ込まれるのが鬱陶しくてな」
「え、ええ……」
報告をすっぽかした理由のあんまりさに思わず絶句し、これからの事を考えて思わず溜息を漏らした。
他の奴がこんな真似したら叱責じゃすまないだろう。俺だったら間違いなく罰則ものだ。
一番情報を欲しがってた静流先生辺りはマジ切れだろう。
それなりに任務で共に行動したが、未だ本性を見たことないあの英語教師が激昂する様を想像し、俺は軽く頭を抱える羽目になった。ああいう人ほど、本気で怒ると手が付けられないとはよく聞く話だ。
うちの『女性3人衆』の中でも、最も怖いのはお説教が多い時子でも、常日頃その時子に対して喧嘩腰な天音でもなく、誰に対しても物腰柔らかな災禍だというのは家族の共通認識だからな。
「……それで、そいつらには『対魔石』が使われていたと?」
「その通り。もう少し詳しい裏話をすると、だ。その反政府組織っていうのは同じアフリカの巨大軍需企業から軍事的支援を受けていてな。『フリーダムオブアフリカ(F.O.A)』っていうんだが……聞いたことあるか?」
「……たしか、本社は南アにあるんでしたっけ。向こうじゃ珍しく強化外骨格の開発に熱心だというのは聞いたことがあります。テロ屋と繋がりがあるっていうのは初耳ですけど」
「はっ。その手のコネがない武器屋がアフリカで生き残れやせんよ。だが問題なのはこの会社にとって最上位のお得意様は、俺たちが相手した現地のならず者じゃない。もっとあくどくて、喧嘩が滅法強い超大国だ」
「米連、ですか」
「正解。……ま、正確に言うなら米連の中でも、特に東南アジアで幅を利かせている連中だ。そいつらとこの会社は昔から仲が良くてな。資源採掘やら紛争やらを利用して、一緒にぼろ儲けしてる。で、今や米連における軍事関連の最大手と言えば……」
「ノマド……でしょう? 態々もったいつけなくてもいいでしょう、そんな分かり切ったこと」
──『ノマド』。
「遊牧民」の名を冠するこの組織は、表向き米連でも有数のコングロマリットとして知られている。
米連の首都ニューアークに本社機能を構え、重工業、精密機器製造、企業コンサルタント、資源採掘、軍事兵器開発・販売など様々な事業をグローバルに展開している。
が、無論俺たちにとってはそんな表看板よりも遥かに、裏の顔の方が重要である。
総帥たる吸血鬼エドウィン・ブラックの下、圧倒的な力を背景に世界中の裏社会に影響力を伸ばしつつある、恐るべき魔の組織という実態の方が。
「正確に言うと、『F.O.A』と『ノマド』が直接繋がっているわけではなく、国務省の下部組織である『特務機関G』が間を仲介している。積極的に魔界技術を応用したCS―サイボーグソルジャーを生み出しているこの組織にとって、ノマドからもたらされる技術と、人体実験をやりたい放題なアフリカとの繋がりは欠かすことができん」
「『G』ですか。連中のサイボーグとはヨミハラで戦いましたよ。アキラか日本人ではないのに何故か関西弁で話すふざけた言動の奴でしたが、実力は確かでした」
名は……ヘスティアとか言ったか。
こてこてすぎて現地の人間ですら忘れたような関西弁を使いこなし、両腕から超高熱の火炎放射をしてくる女サイボーグだった。俺は言うまでもないが、閉所で戦う羽目になったら九郎さんでもタイマンは厳しいかもしれない。
「……ヨミハラといえば。あれから佐郷文庫のことは、何か掴めたのか」
唐突に話題を変えられ、答えに窮する。
いつか聞かれるだろうと思っていたが、いざ突かれると胸に鈍い痛みを感じずにはいられない。
幸いなことに丁度トンネルに入ったことで、車内にいるお互いの表情も見えなくなった。
──佐合文庫。
かつてふうま宗家に仕えていた対魔忍であり、15年前にふうま一門が起こした”反乱“が鎮圧された後は里を脱し、米連へと逃げ延び『特務機関G』によってサイボーグ化手術を施される。
その後は『G』の尖兵として働く傍ら五車や日本政府への復讐を果たすため活動していたが、ある日一人娘が死んだことを知り、それまでの全てが虚しくなり戦意を喪失。
せめて娘の墓参りだけでも行いたい、その一心で組織を抜け、宿敵である五車への投降を決意した。無論そのような背信を『G』が許すはずもなく、過酷な逃避行の末、文庫は昔の伝手を頼ってヨミハラへと流れついた。
そんな彼を機密保護と粛清のために差し向けられた追っ手から守り、五車へと連れ帰る。
それが先々週、俺たち『独立遊撃隊』が総隊長井河アサギから直々に受けた指令であり、かつての忠臣とその息子が数年ぶりの再会を果たすという、予想すらできなかった再会の機会でもあった。
だが、任務自体は成功裏に終わったにもかかわらず、俺は文庫と“その日”以来会っていない。
それどころか、彼の生死すらも確かめられてはいない。
「…………やっぱり、何かご存じなんですか?」
「ほう、なぜそう思う?」
口をついて出た質問にも、さらりと微笑を交えて流される。
根拠が何もないことがとっくに見抜かれているわけだが、こちらも確信した。
やはりこの人は真相を知っている。
こういう時、八津九朗はハッタリを言ったり、知らないことをはぐらかしたりはしない。
そして、俺から確証を得る術もない。だから、迂遠でも1つずつ状況を確認し、彼の気まぐれか温情かによって、何か情報をポロリしてくれるのを期待するしかない。
「俺達が佐合文庫を引き渡した時、紫先生の様子は明らかに変でした。まるであの時、彼が銃撃されるのが分かっていて、その現場から俺たちを遠ざけたいかのような……」
そう、文庫は銃撃されたのだ。しかも、俺たちの目の前で。
自動車に乗って護送される彼を鹿之助、蛇子と一緒に見送り、最後に手を振って別れようとした、正にその時だった。頭部に一発を喰らい、すぐさま彼は地面に倒れた。
「着弾後銃声が聞こえたことからして、使用されたのはスナイパーライフル、数百メートル離れた場所からの狙撃で間違いないでしょう。撃たれた瞬間はよく見えませんでしたが、紫先生はすぐさま護送役の人たちに文庫を運ぶ指示をして、俺たちには伏せていろ、と怒鳴っていました。……二発目が来るかもしれない状況では、余りにも無防備です」
ふん、と鼻を鳴らす九郎さん。
「場所がヨミハラの出口すぐの道路というのも不可解です。あの辺は魔族も寄り付かない廃墟しかなく、武装した人間が出入りすれば嫌でも目立ちます。……そして俺たちは、紫先生が盾になってくれながら射線の通らない地下へ戻り、呼ばれた応援が周囲の安全を確保した後に五車へと帰ってきた……」
それが、我ら独立遊撃隊にとって初となるヨミハラ潜入任務の顛末である。
雇われた傭兵の裏切り、サイボーグである文庫の機能限界、賞金目当てに群がる敵。
ひっそりと付いてきた『援軍』の助けもあったとはいえ、これだけの悪条件に晒されながらよくやったとは思う。
それだけに、最後の最後で喰らった卓袱台返しはかなり心にきた。
しかも自分たちの手を離れた瞬間、あまりにも怪しい状況での惨状であったために余計引っ掻かかっている。
たとえ先生方から「気にするな」と言われても……いや、だからこそ謎を明らかにせずにはいられない。あれで気にしないのは無理だろう。
「お前は、俺の妹や校長が文庫を謀殺したと考えているのか?」
微笑を浮かべたまま、盲目のドライバーはえげつない質問を被せてくる。
冷房の効いた車内にも関わらず汗が流れているのを感じたが、俺はなけなしの勇気をもって首を横に振る。
状況だけを見るなら、裏切り者を確実に始末し情報の漏洩を防ぐするために五車が謀った―そういう見方もできなくはない。
作戦後の俺に一切を隠しているのもそれならば説明はつく。そしてだからこそ、俺は最初にその可能性を否定することができた。
アサギ校長はそういう「キャラ」じゃない。万が一それが目的なら紫先生や俺を関わらせることなく、全て自分で殺ろうとするだろう。今の俺にもそれくらいは分かる。
そう口に出して説明はしなくとも、九郎さんにはお見通しらしい。
俺が無言で否定したのを見て、微かにだがほっとした様子を見せた。
「ならいい。もしそういう疑いを持っているのならさっさと晴らそうと思ってな。……全く、あいつらもこういう腹芸は不得手だと自覚してるなら、さっさと話せばいいのにな」
やっぱり何か知ってるんじゃないか。
追求しようとした俺を、九郎さんは「おおっと」と大げさな手振りまで加えて制する。
「悪いがアサギが話す気にならん限り、俺の口からは何も聞けんぞ。……それに、今のお前は奴の居場所より、この後敵がどう動くかを気にしたほうがいい」
え? と首を傾げる俺。
今の「居場所」というワードからして、言外に文庫の生存は確かめられたのは嬉しいことだ。
さりげなくだがちゃんとヒントはくれるあたり、なんだかんだ九郎さんもお優しい。
だが、その後に続く台詞の意味はよく分からない。
「敵って……佐郷を追っていた連中の事ですか?」
「そうとも言えるし、違うともいえる。あの男が只の抜け忍……いや、亡命者ではないことはお前も分かってるな。奴が五車を離れてからヨミハラに来るまでの線を辿ってみろ。もう少ししたら、奴らの方から直接接触してくる筈だ。その時、恐らく知りたいことも分かるだろう」
結局、九郎さんは思わせぶりなことだけ言って、決定的な情報をくれることはなかった。
だが今の忠告によって、結果的に俺は五車始まって以来の危機を脱することができた。
しかしその「危機」すらも、長きに渡る戦いの序章でしかなかった──。
―ふうま小太郎と八津九郎が「アミダバラ」に到着する2時間ほど前。
同都市内の某所に存在するとある一軒家から、爆発音が響き渡った。
「―……げほ、ゴホッ、こほっ……! ……ちょっと、ミチコ! あんた何……けほっ!」
家中に立ち込める黒煙の中から、1人の女性が逃げ出すように屋外へ飛び出してきた。
艶のある黒い長髪を灰らしきもので白く染め、涙目になりながら咳き込んでいるが、その姿さえ絵になるほどの美女である。
しかし彼女が只者ではないことは、腰に差した一本の刀を見れば幼児にも理解できるだろう。
その美女が振り返り睨んだ先には、美女と同じく白に染まったメイド服を着た女性が一人いた。
彼女は増え続ける白煙や立ち込める異臭を意に介さず、右手で盆を掲げながら黒髪の美女へ向かって歩いてくる。
盆の上には皿が1つあり、みたところ煙はその皿から立ち上っているようである。
「ちょっとアンネローゼ! せっかく作ったんだから食べてよ、ほら! ちょっと風変りだけど焼き具合は悪くないでしょ?」
「焼き具合とかそれ以前の問題でしょ……! 大体何入れたの、それ? まだ煙吹いてるじゃない!」
盆を持ったメイド姿の女は立腹した様子で、煙塗れの皿を剣を持つ女に差し出す。どうやら自分の作った料理を食べてもらえないことに腹を立てているらしい。
だがアンネローゼと呼ばれた女の方に、それを食するという発想は一切ない。
そもそも彼女の常識から言って、煙を吹きながら生臭い匂いを放つモノを食わせるべき相手は人の口ではなくゴミ箱だ。
おまけに、目の前にいる作り手は卵焼きどころかカップラーメンすらまともに作れないレベルの料理下手。
しかも人間ではない故に、ヒトの味覚が全く理解できないという手合いだ。
何故味が分からないという自覚が本人にもあるというのに、事あるごとに料理―と呼ぶには烏滸がまし過ぎるナニカを自分に食べさせようとするのか。
アンネローゼが長年付き合いになる相棒の、一番理解できない所だ。
「いいじゃん煙くらい! お腹に入れば同じだって!」
「何と何が同じだって言うのよ……。大体ねえ、あんたが魔女をどういう風に考えてるか知らないけど、明らかな爆発物を口に入れるのは……―」
そこでアンネローゼの声が止まり、後ろを振り返る。
そこにはいつもと同じ家の景色、夕焼けの空が包み込む都市アミダバラが広がっているように見える。
だが、彼女の勘と嗅覚はそれ以外の『何か』を感じ取っていた。
この街に薄汚れた闇へと引き込もうとする、得体のしれないナニかの存在を嗅ぎ取ったのだ。
「ミチコ、悪いけど晩飯はキャンセル。ちょっと出かけてくるから、家の片づけやっといて」
「え? ちょ、何いきなり? 何かヤバいのがいるんなら私も……」
唐突な展開に戸惑いつつも、相棒の様子から只ならぬ事態であることを察し、同行を申し出るミチコと呼ばれたメイド姿の女性。
彼女の名はミチコ・フルーレティ。この魔族と犯罪者が犇めくアミダバラで探偵業を営むアンネローゼの相棒にして、彼女と契約した悪魔である。
「疲れて帰ってきて煙まみれの家に入れっていうの? それに、戦いになるかどうかは分かんないわよ。何か妙な気配がするってだけ。……ほんとにちゃんと掃除しておいてね。それと、今度はせめて家を汚さないものを作って頂戴」
そう言って、アンネローゼのミチコの返答を聞かずに街へと駆けて行った。
彼女のフルネームはアンネローゼ・ヴァジュラ。
アミダバラで活動する探偵であり、魔剣『金剛夜叉』を振るう魔女剣客でもある。
裏社会では、最も天下無双に近い女としてその名を知られている。
拝啓 五車の皆様。
橋を渡ったその先は、灼熱地獄でした。
初めてのアミダバラに着いて早々、そんな陳腐な言い回しが口から出そうになったが、幸いにして俺にそんな余裕はなかった。
灼熱地獄の名の通り、街路のあちらこちらから火の手が上がっていたからだ。
しかも只の火災ではない。
家屋や空地の草花等は一切延焼せず、道にだけ大きな火柱が立っているからだ。
天空まで届かんばかりの高さがある火で出来た柱が、そこかしこの道に生えている。
それらは燃え広がることも勢いが収まることもなく、その場にずっと立ち続けている。
大通りには余さず生えているところを見るに、その数は10は下らないだろう。
車内からも感じられる熱気と空気の薄さで、喋るどころか呼吸すら辛い。
突然別世界に放り込まれたような気分になり、軽く脳がパニックを起こしているのを感じる。
しかし頭の片隅では、危機に陥るほどに冷静な思案を巡らしている自分がいる。
如何なる状況においても打開策の検討や状況判断に務められるようになったのは、指揮官としてそれなりの場数を踏んだ賜物というやつかもしれない。
「……一応聞きますけど、これって異常事態ですよね?」
「アミダバラに火祭りの風習はないし、常日頃街から火災が起きる程世紀末でもない。……状況を把握するぞ、ついてこい」
そう言い、九郎さんは車を適当な路肩に駐車した。
街の中心部に近づくほど火柱の立つ密度が濃くなり、これ以上来るまで接近するのは危険と判断したのだろう。俺もその判断には賛成だ。
俺たちは降車し、熱気を避けながら街の中を進んでいくことにした。一瞬車が心配になったが、すぐに無駄な心配だと悟った。
何といっても八津九郎の車だ。そこらのチンピラが手を付けようものなら存分に後悔する事になる仕掛けが施されているだろう。
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俺と九郎さん、男2人旅の目的地であるここアミダバラは、大阪湾内に浮かぶ人工島都市だ。
東京キングダムと同様の工程を経て作られたここは、東京湾上に新たな都心を生み出すためにつくられたかの“王国”と、その建造目的も似通っている。
だがこちらは始まる前から躓いた東の同輩とは違い、当初は都市として順調な滑り出しを見せた。多数の商業施設とレジャー施設、研究設備が立ち並び、関西の交易や技術開発における新世紀の中心都市として発展。発足後数年で日本第三位の経済規模を誇るまでに成長した。
しかしアミダバラの繁栄は、実に不条理かつ悲惨な方法で崩壊することになる。
十数年前に勃発した『半島紛争』の煽りを食らい、ミサイル攻撃の標的となって壊滅的な被害を受けたのだ。
煽りを食らった―とはいうが、未だにアミダバラが攻撃された正確な理由は分かっていない。
俺自身一度気になって、結構な時間と労力を用いて(授業をブッチしてまで)調査したことがあるが、結局の所確かなのは、
① アミダバラに着弾したミサイルは全部で8発、その全てが多弾頭型だった。碌な迎撃態勢が取られなかったのは、電波吸収体等のステルス技術が用いられたためと見られている。
攻撃は地形を変えるほどの被害をもたらしたが、搭載されていたのは核弾頭ではなく、通常弾頭だった。発射地点が当時戦地だった半島の北部なのは確実だが、どの国で製造されたミサイルかは不明。
② この都市の研究地区で開発されていた最先端技術が米連に渡ることを恐れた中華連邦が、親密な関係だった半島の独裁政権を唆して攻撃させた、というのが現在の定説である。
しかし事件当日の内に中華連邦はもちろん、実行犯と見られた政権首脳部もこの件に関する関与を公式に否定しており、紛争後軍事独裁政権の崩壊とともに他国へ亡命した軍幹部や政治家たちも「そういった作戦は行われていない、攻撃と自分たちは無関係だ」と証言している。
③ 日本政府は②の定説に関しては否定も肯定もしていない。それどころかこの攻撃に関しては一貫して「調査中である」と述べるだけで、現在に至るも具体的な公式見解を表明していない。
隣国で起きた紛争の最中自国の都市が一方的にミサイル攻撃され、しかもその発射地点が国交を断絶していた敵国の勢力圏内だった。本来これだけで非難声明を出す根拠としては十分にも関わらず、である。
当然この対応は国内中から非難され、世論だけでなく野党や与党内部からも真相究明を要求する声が上がった。それでも政府は沈黙を保ち、当時の閣僚達は今でもこの件に関しては何もコメントを残していない。
④ ②で挙げた説を含め、アミダバラが攻撃された理由については様々な憶測が交わされた。
しかし、攻撃後の廃墟からは証拠となるものは一切残されていない。
ミサイル着弾後、都市の7割は壊滅し、特に商業及び研究施設があった地点は人間や施設の原型が判別不可能なほど徹底的に破壊されていたという。
また監視カメラの映像や破壊された施設の見取り図、被害者の個人情報も含め、事件に関連するデータは日本政府によって厳重に秘匿されており、一般人は閲覧不可能となっている。
生存者に対する事情聴取や取材なども幾度かなされたものの、確認された限りその全員が軍事や諜報には何の関わりもない一般市民であった。
消失した地点に職場があった者も何人か生き残っていたが、彼らも他の被害者同様、攻撃を受ける理由には一切心当たりがないと証言している。
また自社含め当該地区の企業や研究施設が軍関係の仕事をしていたという話は噂ですら聞いた事がなく、それらしい人間が出入りしたのを見たこともない、とも話している。
──と、要するに「詳しいことは一切分からない。日本政府は恐らく真相を知っているが隠している」という、余りにも当たり前の事実だけだった。
これほどの事件でありながらあまりにも謎だらけで、逆にどうとでも筋書きを立てられるからだろうか。
事件後数年はこの件に関するドキュメンタリーや報道特番が腐るほど大量に制作された。時には余りの過激さやプライバシーに欠ける表現を叩かれつつも確実な人気を獲得し続けた挙句、この事件を題材にした映画やドラマも両手で数えきれないほど存在している。
ネットにも穴だらけの前提に基づく自説を掲載した記事やブログ、SNS上においては議論という名の罵倒合戦やレッテルの貼りつけ合いが繰り広げられた跡がそこかしこに残っていた。
被害者の正確な数すら公になっておらず、未だどこからの攻撃かすら確定していない。どれだけ外野がもっともらしい根拠を並べて好き勝手な結論を出そうと、それらは結局野次馬根性から発した雑音に過ぎない。被害者達からすればミサイルよりも憎らしいことだろう。
そんな訳で、調べども調べども芳しい成果は出ず、唯々社会の無情さを思い知らされて気分が悪くなるだけだったので、公文書館の記録を漁ったあたりで資料探しは打ち切った。
俺一人の調査で謎が解けると期待するほど浅はかでもないが、とは言えここまで何も分からないと無性に悔しさがこみ上げてきたのも事実だ。
いっそ誰かに聞いてみるか、とも考えたが、身内である対魔忍でこの件に詳しい人物などとんと心当たりがない。当然現地の人間や政府筋に知り合いなぞいるはずもなく、万が一当てがあったとしてもこんな若造に何か話してくれる道理がない。
唯一希望が持てる目前の禿男にもダメ元で聞いたことがあるが、
「俺は何も知らんし、調べる伝手も存在しない。暇潰しでやるなら止めておけ。今以上に腐るだけで何も成果は得られんぞ」
と、きっぱり無駄だと宣告されたことで諦めがつき、俺はあっさりとこの件から手を引いた。