ジャパリパーク、という場所があるらしいことは知っていた。
洋上に浮かぶ超巨大な人工島に五つの気候を造り上げ、動物たちを「フレンズ」として飼育している。開園した時にはこぞってメディアが報道していたし、お決まりの観光地でもあるから何かしら目に触れる機会は多い。長期連休ともなればパークのホテル宿泊券はプレミアだ。
「でも、今まで行った事が無かったんですよね」
「どうにも暇が無くて……それに、動物も特別好きでは無かったんですよ」
「あら勿体ない。じゃあ今回は良い機会ですよ、フレンズの皆さんとのふれあいで沢山癒されてくださいね。大丈夫、ジャパリパークは本当に楽しい場所ですから」
仕事柄、愛想笑いは得意だ。適当な頷きを返すとパークのガイドを名乗る女性は次の乗客へと声を掛けていく。
(大変だ、って思うのは俺の勝手な思い込みか)
ガイドの女性は本当に楽しそうに他の客と話していて、時には熱く、いかにフレンズが素晴らしいかを演説している。周りの客も歓声を上げ、拍手をしては明るい気勢が上がる。そんな中で俺は置いて行かれているような気さえしていた。どうにも、彼らが遠い。
眼下の景色は海ばかりだ。最先端の技術の粋を集めたジャパリパークに向かうのがプロペラ機だというのがなんとなくおかしくて、窓に映る自分に向けて笑ってみせた。ほんの数週間前までは死にそうなほど疲れた顔をしていたくせに、今ではなんだか肌艶も良くなっている気がする。全く、現金なものだ。
ふと、隣の少年に見つめられていることに気付く。不思議そうな瞳が自分の馬鹿馬鹿しい行動を映し出すようで、なんとも恥ずかしい。
「君は家族と来たの?」
「うん。おじさんは一人?」
言葉に詰まる。おじさんじゃない、という思いが咄嗟に浮かばなかったことが地味にショックだった。
「そうだよ、初めてだからワクワクしてる」
声色まで楽しそうにできるのは社会人の業だ。まだ10歳程度の子供と話すのに大人げない事は言うべきじゃないだろう。特に、この少年のように、パアッと目に見えて嬉しそうにする子供の前で。
「おじさんはどのフレンズが好き? 僕はね、イエイヌと遊びたい!」
「へえー、犬のフレンズなんだ」
「違うよ、イエイヌ! ほら、この子!」
何が違うのか、不満そうに頬を膨らませる少年は可愛いものだ。肩掛け鞄の中にあるガイドブックを取り出し見せてくれたページには、イエイヌ、とポップな文字で彩られた少女姿のフレンズが映っている。
「イエイヌはフレンズの中でいちばん人と遊んでくれるんだって。これ見て!」
「凄いなあ、女の子がこんな風に動けるのか」
「女の子?」
「あ、いや。フレンズって凄いなって思ってさ」
「うん!」
それきり少年は楽しそうにガイドブックを見返し始めた。あと数十分もすれば到着するから、期待感もさぞかし上がっていることだろう。これくらい楽しめたら、と思うと、どうにも申し訳なくなる。
再び手持無沙汰になってSNSを開けば、相変わらず冗談染みた怨嗟の声が届いている。誰もが俺を羨んでくれていることはわかるのだが、困った事に本気で恨めしそうなメッセージを送ってくる人がいないのだ。
(冗談でも譲ってくれとか言ってくれれば、適当な理由を付けて売りつけたのにな……)
今の俺の周囲は良い人ばかりだ。それがもどかしい。周りが余りにも優しいから、俺まで優しく良い人にならざるを得なくなっている。まるで豪奢なビーズクッションだ。一度体を委ねてしまえば、自分では姿勢がうまくかえられないのに居心地だけはすこぶる良い。
ポーン、と軽快な音がして、アナウンスが流れ出す。窓の外には徐々に大きな火山が見え始めている。まもなく着陸です、シートベルトを締めてください。という案内をかき消す乗客達の歓声の中で、窓に映る自分の目はどこを見ているのだろう。
(いいさ、最悪、ホテルでゆっくり英気を養えばいい。何枚か写真でも撮れば土産話にはなるだろ)
眼下はついに陸地となり、近代的なセントラルベースをぐるりと周回するようにして飛行機は降下していく。すると鳥系のフレンズが少し距離を取って並走するように飛び、乗客に手を振っていた。見た目が女の子なのに、空を飛んでいる。
一度だけ、重い溜息を吐いた。
(ここまで来た以上いつまでもうだうだと管を巻いていても仕方ない。バカンスを楽しむことを努力するとしようか)
空は清々しい青だ。こちらを見上げる少年に向かって大袈裟に楽しそうな笑顔を作ると、つられて少しだけ気分も上向くのが大人の業。今となってはありがたいことだった。
フレンズとは。今更そんなことを考えるのは俺くらいかもしれない。
つま先で小突いた虹色の光を放つ宝石のような欠片、サンドスターとかいう物質はどういうわけか、動物を少女の姿に変える。多少の外見年齢に差はあるが例外なく全て少女だ。それも生きている動物だけでなく、化石や体毛の一部だけでも対象となった動物をモチーフとした少女の姿を得る。
『えー皆さん、こちらへどうぞ。ただいまよりジャパリバスでホテルへ向かいます。到着後は自由解散でパーク貸し切り終了予定の十日後まではご自由にお過ごしください。パーク内には色々な地方があり、多くのフレンズが生息しています。またお貸しした腕輪は通行パスも兼ねていますから無くさないでくださいね。あ、皆さん右手をご覧ください。トキのフレンズが歌を歌っていますよ』
バスに揺られ、スピーカーから流れるよどみない案内を聞いていると眠くなりそうだ。温かく、それでいてそよ風が吹く気候もなかなか曲者だ。
『フレンズがなぜ女の子の姿を取るのか、その理由は全く分かっていません。ですが可愛らしいからいいですよね?』
ガイドの冗談に穏やかな笑い声が響く。これが、俺にとって悩ましい。
少女の姿をしたフレンズを飼育するパーク、と話題になった時、俺はすぐに「ああこれは問題になるな」と考えた。人権とかいうものが強く叫ばれる世の中でこれを餌にする団体もいるだろうと思ったからだ。
だが、そんな人物はいなかった。それどころかフレンズなる『少女』に対して、性的興奮を覚える奴はほとんどいないことに愕然とした。ネットでそれらしいことを書き込んだ人物に対して投げかけられた言葉はいずれも異常性癖を揶揄する言葉ばかりで、世間一般、全世界レベルでフレンズは性的な対称ではなかったのだ。
(俺が異常ってことだよな……)
実際、バスの脇でなにやら地面に上半身を突っ込んでいるフレンズなどはスカートが完全に捲れて下着が丸見えだが、誰もそれに眉を顰めたりしない。動物がそうしているのと同じようにしか捉えていない会話が耳に入ってくるのは冷や汗ものだ。
極力フレンズ達から視線を外す様にしていると、ようやくホテルに着いたらしい。「お疲れさまでした」とねぎらうガイドの声に応えつつ、早速に用意された部屋に向かうことにした。
「一階のプライベートビーチ・ルームか。滅茶苦茶豪華だよなあ、ほんと」
呆れた声が出るのも許して貰いたいものだ。なにせホテルは30階建て、室内プールもあり結婚式までできるような大広間もある。パーク全体が見える高層階が人気とはいえ、一人客が使っていい部屋じゃあない。隅々まで磨き上げられた大理石の廊下を抜け、玄関からたっぷり五分は歩いただろうか、旅行鞄を運んでくれるホテルマンも大変だ。
「この辺りの部屋は誰も使わないんですか?」
「はい。他のお客様は皆様上層のスイートを選ばれていますので、こちらの部屋と周囲の施設はおおむねお客様専用となっております」
「そりゃ凄い……従業員も楽ですか、客が100人くらいだと」
若いホテルマンは言葉にはしなかったが、曖昧な笑顔を返してくれた。
やがて南国風の装飾が増えてくると、すぐにビーチ・ルームになる。
扉を潜り、唖然とした。ホテルマンからしたらさぞかし滑稽だろうに、笑わないのはさすが一流ホテル。キングサイズのベッドが二つもあるのに、どうにもデカい顔をせず窓際で縮こまっている。そう見えるのだ。
「広いですねえ」
「寝室はこちらと、隣にもう一部屋ございます。反対には応接室、簡単な物ですがキッチンとバーがあり、奥へ行くと専用の露天風呂がありますので是非ご利用ください。こちら、当ホテル自慢の源泉かけ流しとなっております。また外は直接ビーチと繋がっていて、完全プライベートビーチです。ただ……」
「ただ?」
何を言葉を濁すことがあるだろう。既に俺の貧乏たらしい感覚は完全にマヒしていて、今更マイナスがあっても怒りすら湧いてこない自信がある。
「海は外海と繋がっていますので、水辺に生息する動物やフレンズ、あるいは空を飛べるフレンズなどが時折訪れることがありますがよろしいでしょうか。ご希望があれば部屋を変えることも可能ですが」
「ああ……」
少しだけ、迷った。だが別段フレンズが嫌いなわけじゃないし、周囲に他の客の姿が無いというのは個人的にありがたい。
「ここで大丈夫です。ありがとうございます」
「承知いたしました。当ホテル内では鍵と財布が手首のデバイスと一体化しておりますので、お出かけになられる際は必ず装着してくださいませ。では、失礼いたします。何かあればフロントまでご連絡ください」
最後の最後までスマートなホテルマンを見送ると、途端に手持ち無沙汰になる。だいたいこういう時に役立つのはホテルの案内冊子なのだが、なにぶん、パークの案内も兼ねているせいか下手なガイドブックよりも分厚い。読み込んでいては半日終わってしまいそうだ。
最初の数ページを飛ばし、レストランの位置だけ頭に叩き込んでベッドに放り投げる。柔らかい、包み込む音がして冊子は沈んでいった。