ようやく意識が正常に戻った頃には既に夕食の時間が迫っており、慌ててホテルへ戻る。結局係員もいなかったがインターホンでホテルに繋がって助かった。
夕食は昼とは違うレストランで取ることにした。せっかくだから色んなモノを食べたいというのもあったし、下賤な目的として精力を付けておきたいというのもあって中華だ。わかりやすい回転テーブルがいくつか並んでいて、誰もいない席に座ろうとした時、唐突に声を掛けられた。
「おーいおじさーん! こっちで一緒に食べよーよ!」
「え? ああ、海獣園の」
「ともえ! これがお兄ちゃん」
「これって言わないでよぉ」
「べー」
声を掛けてきたのは海獣園でじゃぱりまんをくれた少女だった。その隣には飛行機の時の少年がいる。確か海獣園で兄妹だと言っていたから、家族で食事に来たのだろうか。
「こんばんは、二人でご飯に来てるのかな。お父さんやお母さんは?」
「部屋で寝てるー。あちこち行ったら疲れたんだって、やっぱ運動不足ってだめだよね」
「えっと、ともえだけじゃなくてガイドのお姉さんとフレンズさんが一緒だよ」
「ミライってガイドさん! 今食べ物取りに行ってくれてるの。あ、おじさんそっちに座ってね。フレンズさんのとなり」
少女に指さされた席に大人しく座ることにした。一緒に食べて当然、とこちらを見る少女を袖にするのも悪いし、一人きりで食べるのも味気ない。
「じゃあお邪魔します。ところでガイドさんとフレンズは? いないみたいだけど」
食器はあるが、人はいない。店員がいるとはいえ子供二人が残されているのは奇妙に思えた。
「えーとね、ミライさんはトイレでー、フレンズさんはキッチンに好物を伝えに行ったよ」
「あー、そうなんだ」
こういう時、子供は純真でなかなか酷だ。
一人増えたにも関わらず、店員の態度はスマートだ。前菜を持ってくると同時に俺の分の食器を並べ、飲み物を用意してくれた。食前酒とのことで、なかなか甘くて口当たりが良い。
「そういえばおじさん、海獣園でなにしてたの? ペパプいなかったでしょ」
「ああ、他のフレンズがいてさ。その子と一緒に……遊んでたんだ」
「泳いだり?」
「そんな感じ。二人はどうだった? 今日は楽しめたかな」
長々と話す内容でもなく露骨に話を逸らしても、二人は気にすることなく話し出す。特にお兄ちゃんの方はサバンナが楽しめたらしく、カラカルのフレンズに色々案内してもらったのだとか。妹のほうはブーたれていたが、「明日は一緒にイエイヌに会いにいこうね」と兄に言われるとコロッと機嫌を直している。仲が良くてなによりだ。
二人が盛り上がり、話しかけてくるのに返しているとガイドの女性が近づいてくるのが見えた。こちらを認めると一瞬驚いてから微笑む。
「こんばんは、初めてのジャパリパークはいかがでした?」
「どうも。想像していたよりずっと……魅力的でした。飛行機の中での話を覚えててくださったんですね」
「これでも記憶力には自信があるんです。お客様もお食事を?」
「ええ、こちらのともえちゃん達に誘って貰えまして。お邪魔でなければご一緒させていただきたいのですがよろしいですか?」
「ええ、ええ。もちろんです。ようこそジャパリ中華へ!」
花が咲く、というよりは太陽が輝くような、と言った方が正しいだろうか。女性として男をくすぐるのではなく、純粋に人を明るくするような笑顔でミライさんは歓迎してくれた。こういった人だから子供たちも懐いているのだろう、彼女の登場により俺はお役御免、兄妹は取り合うようにミライさんに話しかけ始めた。
「ねえミライさん、フレンズさんは?」
「もうすぐ来るはずですよ。あ、ほら」
ミライさんは真っ直ぐ指をさした。ちょうど、俺の真後ろだ。
今更だが中華テーブルは基本的に六人掛けだ。兄弟が隣同士に座り、妹の隣にミライさん、兄の隣がフレンズらしい。
コツコツと、ヒールのような音がした。
「フレンズさんおそーい!」
「ごめんなさい、色々と美味しそうなものがあって選んでいたら時間が経ってしまって」
なぜか、顔が熱を帯び始める。耳触りの良い声、甘い残り香を含んだこの声は。
「リョコウバトさん、こちらのお客様も一緒に食事をしていただくことになりました」
「そうですか、よろしくお願いしま……あ」
「……よろしく、お願いします」
振り返った先にいる、バスガイドの意匠をした服装のフレンズは。艶やかな藍色の髪に、どこか空虚な瞳をしたフレンズは、その目を見開いて俺を凝視していた。
俺は、不自然でなくいられただろうか。
「あら、お二人はもしかして初対面じゃないんですか?」
「ええまあ。ちょうどホテルから海獣園まで案内をして貰ったんです、ねえリョコウバトさん」
「え、ええ……そうですね。はい」
ぎこちなく隣の席に腰掛けたリョコウバトは、どこかぎこちない面持ちだ。頬も赤く染まっていて、これがヒトだったらなんとも形容しようのない空気が漂っていたかもしれない。
だが、彼女はフレンズだ。フレンズとヒトが『そういう関係』になるなんてあり得ないことなのだ。だからミライさんも、「リョコウバトさん風邪ですか?」などと見当違いに首を捻っている。
「おじさんお酒好きなの? たくさん飲むね」
「美味しいからね。二人は大人になってからかなあ」
幸いだったのは人数が揃うや、すぐさま食事が用意された事だろう。フルコースなのだろうか、親しみのあるものからテレビで見るような高級中華までが回転テーブルを飾る。
「すっごーい!」
「なにこれ、なにこれ! 食べたことないー!」
おおはしゃぎの子供たちは椅子に登って立つので、ミライさんとリョコウバトは慌てて隣に座る二人の面倒を見始めた。こういう姿を見るとやはりフレンズとヒトの違いというものが分からなくなる。
特にリョコウバトは……姉のような、母のような慎みのある仕草だ。お兄ちゃんの方に料理をとりわけ、自分はじゃぱりまんやジュースを傾けている。
「――ねえおじさん、聞いてる?」
「え?」
「あー聞いてなかったでしょ! フレンズさんのほうばっかり見てるんだもん」
「ご、ごめん」
頬を膨らませた妹に謝罪し、気付く。
俺はどうしてリョコウバトを見ているのだろう。勘繰られるのが嫌なら見なければいい。気にしなければいい。頬を染めて俺を横目で見るリョコウバトが絡める視線を切ればそれで終いだ。それだけで、いいのに。
「あの……お酒、注ぎましょうか」
「お願い、します」
「あ……お、お食事も取りますね。どれがいいですか?」
「じゃあそっちの餃子、いいですか」
「はい。ふふっ」
魅力的な笑顔だった。いそいそと俺の世話を焼いてくれるリョコウバトは慎みのある――妻のような姿で。
「……」
なぜか俺の脳裏に二人のフレンズが浮かび上がる。一人はカリフォルニアアシカ、俺の心を奪い青い恋を呼び起こしたフレンズ。もう一人は、今、目の前にいる。
思わず酒を一息で呷った。これはきっと危険な思いだ。通常許されない複数へ寄せる心が今、俺の中で芽生えているのがわかる。
「危ないですよ、一気にたくさん飲むと」
「ああ……うん、そうだな。ちょっと飲みすぎたかも」
心配そうなリョコウバトの声が近い。自分のモノではないかのような意識の浮遊感、酔いに絆された距離がいつの間にか急速に縮まり、彼女の手が俺の身体に添えられるのに甘んじているのがわかる。
このままでは。そう思う自分がいるが、同時にそうでない自分もいる。
指先に何か温かいものが触れた。それを掴み、指で抱きしめる。戸惑った彼女がそれに呼応して、俺の目を見ながら握り返した時、喉の渇きの種類が変わった。
(俺ってクズだな)
自嘲も酔いの前では自分を止められない。酒と、精を付ける食事のせいだと言い訳をして理性を封じ込めていく。
ふと周りを見ると、いつの間にか賑やかなBGMが鳴りを潜めていた。兄妹はどうやら眠気が襲って来たらしく、仲良く盛大な欠伸を響かせている。
「あらあら、そろそろお開きですね」
「そ、そうですね」
「この子たちは私が責任をもって部屋まで送りますから、お客様は……酔っぱらってますね。リョコウバトさん、申し訳ないんですけど部屋まで一緒に行ってもらえませんか?」
リョコウバトが、しばらくして頷いたのが見えた。
「おやすみなさぁい……フレンズさん、おじさん」
眠たげに振られる手に振り返し、二人きりになる。しばらく無言でいたリョコウバトはこちらを見つめている。
俺は、彼女に委ねればいいのだろうか。それはさすがに男として、終わってはいないだろうか。
「……リョコウバトさん」
「は、い」
「俺の部屋に、来てくれますか」
白魚のような細指を撫でる。触り心地の良い指先が絡み、立ち上がる。
長い、長い時間をかけてからリョコウバトはハッキリと頷いた。虚ろだった瞳はバスの時のように深い孤独感が滲み、俺に縋るような色をしていた。