佐倉慈先生と共依存したい。 作:朝潮
この場所のこと。保存されていた大量の物資のこと。その内の1つである、血清という薬のこと。
櫂は、一生懸命に自分の知り得る情報を慈に話して聞かせた。
緊張によりところどころ詰まったり噛んだりと客観的に聞いてとても聞き辛かった話を、慈は教師らしく最後まで聞き終えた。
「そう…この学校に、そんな物が…」
慈は、「緊急避難マニュアル」というおぞましい書類を読んで、ある程度の情報を保有していた。
しかし、実際に見て経験していた櫂の方が幾分かこの施設や備品については詳しいようだった。
話を聞く限り、この宮本という一年生も、この場所のことは事件が起きてから知ったようだった。
きっと、校舎をまだ把握しきれていなかったのか、逃げ迷っていた中でたまたまたどり着いたのだろう。
「でも、服を脱がす必要はなかったんじゃ…」
慈は、ワンピースに体を隠し、少し頬を染めながら言った。
助けてもらったとはいえ、いくらなんでもこれはやりすぎだ。
しかし慈は、どんな理由だったにしろ櫂を叱るつもりはなかった。
命を助けてもらったという恩もあるが、それ以上に、櫂と話せば分かり合える、改心できると信じていた。
慈は、こんな世界でも生徒のことを信じていたかった。
櫂は、慈のその言葉と、なによりその仕草にどきりと心臓を跳ねさせた。
改めて慈の格好を確認して、かあっと頭が赤くなった。
櫂は、あらかじめ考えておいた言い訳を慈に伝える事にした。
言い訳といっても、それは本当に大事な事だった。
「…そうですよね。自分じゃ見えませんよね…」
櫂の反応は、慈の思っていたものとは違うものだった。
どこか悲しそうな、泣きそうな顔をしている。
櫂は、慈に今の状態を見せるのは大変に心苦しかった。
それほどに、今の慈の体は見せるのを躊躇するほどだった。
「…少し待っていてください。すぐ戻ります。」
「?」
慈は、訳も分からないまま櫂が部屋から出ていくのをキョトンとした表情でただ見ていた。
そんな慈を見て、櫂はグッと心臓を掴まれたかのような感覚を覚えた。
今から、櫂は慈に残酷な事実を教えなければならないから。
部屋に戻ってきた櫂が手に持って来たのは手鏡だった。
自分の身なりに無頓着な櫂には必要なかったが、地下シェルターには日常生活に必要だと思われる日用品はある程度揃っていた。
この手鏡も、その備品のうちの1つだ。
慈は、渡された手鏡を覗き込んで。
そして、全身からサーっと体温が引いていくような気持ちの悪い感覚を覚えた。
「なに…これ…」
傷のあった、今は櫂によって包帯が巻かれている肩口。
そこから、下は肘あたり。上は頬にまで届く、大きな火傷跡のようなものが出来上がっていた。
その部分は
「その跡、最初は小さいものでした。時間が進むにつれ、どんどんと広がっていって…」
醜い。あまりにも醜い。
その部分だけが、
そんな気持ちの悪さを孕んでいた。
「……そう…なのね…」
慈は、ゆっくりと言葉を絞り出す。
確かに、こんな物が時間と共に広がっていたら確認せざるを得ない。
冷静に考えれば、だとしても全身を脱がす必要まではない。
が、少し抜けているところもある慈がこれ以上疑問を抱くことはなかった。
(気持ち悪い…)
慈が、自らの肌に抱いたのはそんな感想だった。
この跡が、どのような意味を持つのかは分からないが、きっと良くないものだということはわかる。
全身に回っていたら、きっと手遅れだった。慈は、この傷跡の事をそう解釈して、ぞわりとした悪寒を覚えた。
私がこの場所を知らなかったら。私の意識がもっと早く無くなっていたら。私が地下区画を目指さなかったら。
私も、きっと「彼ら」の仲間になっていただろう。
…今、私が生きているのは奇跡だ。
慈には、昔から自責の念が強いきらいがあった。
不幸は重なり、「自分が唯一の大人」という状況に、それはますます加速していった。
あの時、しっかりと確認していれば。そう、何度も思った。なんども、後悔した。
そしていつしか慈は、悪いのは
(…この子も、被害者だ。)
訳も分からずこんな場所に逃げ込んで、そしてそのまま何日間も一人で生きてきたのだ。
こんなに近くに生存者が、助けを求める生徒がいたのに、なぜ気付いてあげられなかったのか。
慈は、自分の無力さに歯噛みする。
(私のせいだ…私のせいで、こんな事に…)
「先生。…その、痛くないですか?」
櫂が、あまりにもな様子の慈に向かって問いかけた。
…もしかして、この子は私の事を心配してくれているのか。
わざわざ「感染」してから彼の前に現れた、危険を運んできただけの私に。
なんて、優しい子なのだろうか。
もし、感染した人間が現れたら、私は…どうしただろうか。
「ええ…痛くはないみたい。ありがとう…」
(…そうだ。私は先生なんだ。…こんな事で悲しんでなんかいられない…)
痛みは確かにない。
だが、特に女性が、自分の肌がこうも醜く歪んでしまって平気なはずがなかった。
そんな彼の優しさに、慈は心配をかけないように笑顔で答えた。
それは、とても綺麗な、世界で一番悲しい作り笑顔だった。
「…本当ですか?無理してませんか、先生…」
櫂がそう思ったのは、慈のあまりの肌の痛々しさ故にだった。
触れても痛くはないのか確認するため、櫂は慈の首元へと手を伸ばした。
本当は肩か腕へと触れたかったが、そこは慈がワンピースで鉄壁のガードを敷いているため触れることができなかった。
慈は、自分でも気持ち悪いと思ってしまうその跡に躊躇なく触れる櫂に驚いた。
「気持ち悪く、ないの…?」
「…」
櫂はすぐに返答することができなかった。
確かに、その跡は櫂にとっても気持ちの良いものではなかったから。
「正直に言うと、少し怖いです…でも、佐倉先生はゾンビとかじゃないので…」
櫂は、痛みがないか感触を確かめるため、スリスリと跡をなぞる。
しかしそれによって慈が痛みに反応した様子はなく、本当に痛みはなさそうだ。
そう櫂が判断し安心したところで、慈の瞳からひと雫の涙がこぼれ落ちた。
「えっ、あっ…だ、大丈夫ですか!?やっぱり、痛みが…」
「ううん…ちがうの。痛くはないから、安心して…」
慈は泣いてしまった自分を見て焦り出す櫂を安心させるため、流れ落ちる涙をグッと堪える。
私が弱みを見せたら、みんなが不安になってしまうから…
しかし、一度流れてしまった涙は止まらなかった。
慈が、言って欲しかった一言。
こんな体になってしまってもう人間ではなくなってしまった。
肩から頬にかけての大きなあからさまな証拠があれば、人間に戻ることはできない。
そんな現実を突き付けられ、それでも生徒のために動こうと決意した。
「ゾンビじゃない。」
ただ、その一言だけで、慈は救われた。
一度許してしまったら、涙は次から次へと瀬戸際なく溢れ始めた。
あの子達の前でも、一度も見せたことがなかった涙。
これまで泣きたいのを我慢し続けていた。
自分は大人だから、先生だから。
今までそうやって我慢してきた。
それが全て溢れ出してしまった。
「うぐっ…ぅ…わたっ…わだじ…しらな…!こんな…うぁっ…先生…だから…っ!」
櫂はそんな慈を、涙が枯れるまで、ずっとずっとしゃくり上げる背中を撫で続けた。