「さて、ひどいことになったもんじゃの、雁夜」
目の前にいるのは間桐雁夜。しかしそれも皮膚は焼け爛れていることをはじめとして、これまでの蟲蔵による調教を除いたとして目に見れるようなものではなくなってしまっている。
こうなったのは理由としては至極単純、遠坂時臣との魔術戦に敗北したから。
雁夜が聖杯戦争の参加者としてバーサーカーのマスターとなったあの時から、基本的には俺の知る通りに道筋は進んだ。
そうしてつい昨日、深遠川で出現した大海魔とキャスターに対抗するための同盟が発生してキャスターは討伐されたのだ。そして同時に、雁夜は時臣に対して戦闘を挑み完膚なきまでに敗北を喫した。今の雁夜は時臣への憎悪に染まっている。そこに桜を解放するためという名目さえ与えればきっとどのような非道でも行えるのだろう。……彼が憎悪する魔術師と同じように。
「じゃが、正直ここまで貴様が生き残るとは思っておらなんだ。
故に一度だけチャンスを与えてやろう」
「チャンス……だと……」
声は掠れている。もはやまともな判断すらもできないのだろうことははっきりとわかった。衝動的に笑いたくなるのをどうにか抑えて、雁夜に対して指令を与える。
ここからは、もう自分の知る
「アインツベルンのホムンクルスをさらってこい。
あやつこそがこの聖杯戦争における賞品である聖杯。今ならばサーヴァント三騎を取り込んだ影響で動けんじゃろう。それさえ成せば、もはや貴様が敗れたとしても聖杯はこの手のうちにある。
聖杯が完成すればその時には貴様に桜をくれてやるとも。」
「わかった……」
ゲスな笑みを浮かべたい。浮かべたい気持ちは大きいが、今はまだ恐ろしい怪物としての姿を見せなければならないだろう。こちらは向こうに対して桜という切り札があるが向こうには切り札となりうるものがないと思わせなければならない。
あくまでも、自分が固執しているのは聖杯であって個人ではないと思わせなければ。
「ああ、じゃが気づかれれば面倒なことには変わりない。
決して気がつかれることはないようにな」
気がつかれれば、それは間桐の家が攻め込まれる理由になって桜も危険に晒されるのだから。
そう言ってしまえば向こうも従うしかない。間桐臓硯の言うことを聞くと言う一点だけで嫌そうな顔をしながらも、雁夜は頷いた。
やはり雁夜には勿体無いサーヴァントと言うべきか。ランスロットは雁夜の令呪によって”アーサー王を無視しながら””ライダーに化けてアイリスフィールをさらって”きた。とはいえ、雁夜以外ではあのサーヴァントを召喚できる保証はなかったので召喚は雁夜に任せる他なかったのは事実なのだが。
そんな益体のないことを考えながら、アイリスフィールの肉体を持ち帰ってきたバーサーカーから受け取り蟲蔵に連れて行く。
「まさかここまでうまく行くとは思わなかったな」
アイリスフィールという人間の姿をした外装の機能はすでに停止を始めていて、残り二騎倒れれば完全に停止することになるだろう。聖杯が降臨するのは五騎の英霊が倒れてからになるのだが、今の、三騎しか倒れていない時点でアイリスフィールの肉体が生命活動を停止しても聖杯は確実に降臨することになる。
蟲蔵にたどり着いた。普段の、雁夜に対する魔術師としての授業であればここで行うのだが、アイリスフィールに関しては誰かに見られるのは好ましくない。”間桐臓硯”の蟲蔵とはまた違う、俺自身の蟲蔵へと連れて行くとしよう。
そうと決まれば話は早い。俺が手をとある一点に触れるとそこが開いて階段が現れる。アイリスフィールは未だ目覚めず、運ぶのには苦労しない。誰も知らない、皆が知る蟲蔵よりは小さく、けれど間桐の家のリビングよりかは広い
「ああ……やはり蒼崎に頼んでよかった」
魂が移動したことで動き始めた肉体を試してそう呟く。
これが、雁夜がやって来る前からアクセスを取っていて、雁夜がやってきてからの一年でどうにか作ってもらった己の新しい肉体。本来の臓硯であれば魂の劣化によって原作の姿しか取れないのだが、”俺”は別に劣化なんてしていないので問題はなく若い姿になることができる。ついでに、これを本体とするつもりなので、この中にはこれまで自分の本体であった、聖杯の欠片を使って作った刻印蟲も心臓と同化する形で埋め込まれている。
己の肉体の横には、同様にして作ってもらったアイリスフィールの新しい肉体がある。間桐臓硯が生き残るために行ってきた延命手段は魂の移動。それを使えば、すでに生命として終わりかけているアイリスフィールの抵抗など怖いものではなく、もう一つの肉体に移すのは簡単なこと。
そして何より、新しい肉体の方は魔術回路は開いていない。
魔術回路の数は間桐臓硯の知るユスティーツァについての記憶から、ある程度の想定はついている。そして蒼崎曰く魔術師としてとても優秀な状態に整えてあるらしい。聖杯としての機能は望むべくもないが、そこに関しては魔術回路を移植することでその特性を受け継がせればいいだろう。
「ククク……」
ようやく、アインツベルンの女が手に入る。
間桐臓硯に憑依したあの時からずっと、”間桐臓硯”の悲願と”俺”の欲望が混じり合ってとてもドロドロとした感情を向けていた相手が。
そう思えば、どうしようもなく笑いが止まらない。アイリスフィールの魂を移し変えるその作業が終わるまで、久方ぶりに感情を抑えきれない時間を過ごすことになった。