Quatro XX ~スパイ未満のオレの胃はもう限界かもしれない~ 作:滑落車博士
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―――その夜。外務卿主催の舞踏会には、各国の外交官や大使が集まっていた。
欧州のみならず、東はロシアから西は新大陸まで。呼ばれている人間も上流階級の人間ばかりだ。今、この会場内は世界の社交の中心と言える状態だった。ここで交わされる会話一つで、どこかの国の外交施策が左右され、海の向こうで巨額の投資が動き、時には陰謀の糸が張り巡らされる。
アルビオンの東西対立だけではない、世界の動向の縮図。
それが、この舞踏会の裏側で繰り広げられているのだ。
顔見知りの外交官は、ブルグント王国の官僚と別室に入っていった。聞こえてくる言葉はアルビオン語だけではない。左耳に入ってくるのはイベリア語だし、右耳に入ってくるのは東カロリング語だ。欧州で話されている言語の大半は、この会場内で交わされているのではないか。アルビオン語でさえ、ウェールズからインコグニア訛りまで様々な発音が聞こえてくる。
華やかな音楽を流しているのは、この会場に設置された
各国から客を招待しているだけあり、贅の凝らされた華やかな舞踏会である。
「―――ああ、すまないが、ワインを貰えるかな?」
レスターは、舞踏会の片隅でグラスワインを受け取っていた。
それから、別室に行くと、葉巻を取り出して火を点けた。
(もう慣れたとはいえ、あまり人が多いのは好きではないんだよなぁ…)
愛想笑いも、社交辞令も、咄嗟の冗句も、全て身につけてきた。海千山千の政治家を幼い時から見てきたレスターにとって、社交という戦場での振る舞いの重要性は身に染みている。誰もが笑顔で本音を隠し、握手をしている逆の手で弱みを握っているのだ。
場の華やかさとは裏腹に、ここは互いに抜身の剣を突きつけ合うような修羅場である。
―――端的に言って、疲れるのだ。本音を言えば、ゆっくり屋敷で
だが。
今のレスターには『生徒からのお願い』を果たす、という理由があるのだった。ワインを飲み干し、葉巻を吸い、震えそうな手と強張る表情を何とかする。……まだ何も動いていないというのに、心臓が張り裂けそうだ。
『ーーーシャーロット様が、生きていた』
その事実を目の前で見たときから、本音を言えば大声で泣き叫んでしまいたかった。まさか、と思った。信じられない、と思った。それでも、あの瑠璃青の瞳は、紛れもなく十年前の姫様のものだった。
それを、レスターは言葉では確認していない。
ただ、確信しただけだ。
具体的な話は何もしていない…お互いに、それとなく雑談という形で伝えただけだ。アンジェという名前を名乗って転校してきた理由も、この舞踏会に来るという話も、「不審ではあるが不自然ではない会話」の中で遣り取りしただけだ。
ーーー協力してほしい。
強いて言うならば、それだけの会話。
レスターは大広間に戻ると、会場内をざっと眺めた。
会場内に、目立つ場所が幾つかある。
まずは演奏機械の周辺。ここには物珍しさから男女問わず人が集まっている…が、その性質は流動的だ。単に目を惹く機械であるから人が集まるだけであって、そこに集まる人々に理由はない。興味本位で近づいて、すぐに離れていく集団だ。
次に、外務卿とアルビオンの官僚の一群。ここは今回の
この集団に「何か」をするということは、世界大戦の導火線を点火するようなものだ…「お願い」が、そういった性質のものではないと信じたい。
弦楽を鳴らす一団、貴族の男女が踊りの相手を互いに品定めしている集団。舞踏会の参加者にも、様々な意図がある。レスターは、壁に寄りかかりながら各集団の性質を観察する。
(ーーーシャーロット様は、壁の向こうで生きていた)
つまり、西側で生き延びていた。
名を変え、今は東側に潜入している。
震える体とは裏腹に、脳髄は血が巡って冴えていく。
レスターの目は、一人の女性を捉えていた。
ノルマンディー公の横に控えていた秘書だ。
その女性が、共和国の大使団の中にいる。
「ーーー。ーーー」
一瞬、ガゼルと目が合った。
互いに社交用の仮面を顔に貼り付けて、軽く会釈するだけだったが…なるほど、何かノルマンディー公が動いているのは間違いない。それも、王国と共和国の調略合戦は今まさに進行中…という訳だ。
…お願いとは、これか…?
レスターは、王国からも共和国からも、深い情報を与えられていない。今夜の舞踏会についても、ノルマンディー公は何一つ言及していなかった。
にも関わらず、懐刀であるガゼルが共和国に接近している…ということは。
(何か、見えない場所で動いている…筈だ)
レスターは
素人にしては深入りしすぎているが、本職ではない。
下手に接近すれば死ぬのが判っている。
ガゼルが居る、という事実を認識して、別所に移動する。
他の集団…と周囲を見渡して、一ヶ所に人が集まっていることに気づく。
ああ、そうだ、と。レスターはその集団に近づいていく。
ーーーここは舞踏会だ。
一番の華は、アルビオンの誇る美しき姫君に決まっている。
ーーーーーーーーーー
姫様は、いつだってお優しい方です。
でも、延々と続く社交辞令の挨拶に、少しお疲れのようでした。
「姫様っ、お水をお持ちしましたっ」
「ありがとう、ベアト。丁度、喉が乾いていたの」
お水を手渡すと微笑み返してくださる姫様ですが、その声には少し元気がありません。王族って面倒なものね…なんて、普段はおっしゃらないことまで口に出されます。
そんな姫様の姿を見ていると、さっきからずーっと挨拶に並んでいる男の人たちに文句も言いたくなっちゃいます。…貴方たちは一回の挨拶ですけど、姫様は五十回も百回も同じようにニコニコしなくちゃいけないんですよ! …なんて、言えたらどんなにいいでしょう。
「ベアト」
でも、姫様はお水を一口飲んだだけで、微笑んでくれます。
疲れを外に出さないように、嫌な顔の一つもしないで。
そんな姫様を見ていると、わたしは何も言えなくなります。
…だって、そんな姫様の優しい笑顔が好きだからです。
そんな時に、その人はやってきました。
「失礼。ーーープリンセスにご挨拶申し上げたいが、宜しいかな」
上等な生地の燕尾服を着て、にこやかな笑顔で話しかけてきたのはクロフォード伯爵でした。
「はいっ、先生…じゃなかった! えっと、姫様っ、クロフォード伯爵がお見えです」
姫様にはクスクスと笑われてしまったけれど、わたしは挨拶の取り次ぎをします。身分の高い方に直接お声をかけるのは不敬ですから、側に控えている人間を介するのが礼儀なのだそうです。
「こんばんわ、クロフォード卿。……いえ、クロフォード先生とお呼びした方が良いかしら?」
「姫様、お戯れを…。クイーンズ・メイフェア校の授業中であればともかく、この場でそのような呼び方をされては…私も、どのように返せばよいか困ってしまいます」
「あら、先日の授業では難しいラテン語の文法問題を私に回答させたりしたのに?」
「それは…。姫様は優秀でおられますから、他の生徒では答えられない問題であっても、必ずや正解されると確信していたからにございます。姫様ならば、他の生徒の模範として間違いなどなさらないだろう、と」
「それは、姫だからと随分と贔屓目に評価して貰えてるのかしら」
「とんでもございません。教師として、客観的に評価しておりますとも」
クロフォード卿とお話ししている時の姫様は、少しだけ楽しそうです。クロフォード卿のお母様が姫様の養育係であったとのことで、ご幼少の頃から知己であり、他の貴族よりも距離感が近いように見えます。
―――姫様は、王宮や貴族内では『空気姫』と綽名されています。
それは政治的な後ろ盾を何一つお持ちにならないという事情に拠るものですが…、…それでも強いて言うならば『シャーロット姫派』という派閥が無いこともないのです。筆頭は、姫様のおばあさま…現女王であらせられるクイーンです。姫様を形容する際には、必ずと言っていいほど「女王陛下のお気に入り」という呼び方がされています。まぁ、女王陛下は表立って姫様支持をしているわけではないのですが、姫様の今のお立場を一番守っているのは女王陛下の御意向と、それを周囲が忖度しているからなのです。
それから、国内穏健派の非主流派……権力闘争からは遠い貴族の一群です。クロフォード卿も、ここの派閥の一員です。いわゆる中間層、というのでしょうか。強硬的なタカ派であるノルマンディー公の閥には入っていないけれども、王位継承権の争いなどには巻き込まれたくはない…そういう理由で、第三軸として姫様を支持すると表明している貴族たちがいるのです。もちろん、王宮内の権力を握ってはいませんが『次の王位が誰に渡ったとしても、何一つ変わることなくアルビオン王家を支える』という…貴族の中では穏健な派閥ですね。
そういった派閥が姫様の周りにいる貴族、ということになります。
・・・正直、軍や政治には直接の権力を持っている貴族は、ほぼ皆無です。そもそも姫様自身が
それこそ、クロフォード卿が『シャーロット姫派』の若手有力貴族…ということになってしまうのですが…。クロフォード卿個人は穏健派の中ではノルマンディー公に近しいという噂もあります。それが、少し気がかりです。
「―――…リス君、…ベアトリス君?」
「ひぇっ! は、はいっ!」
突然、クロフォード卿はわたしに話しかけてきました。
ヘンな声が出てしまったわたしに、困ったように苦笑しながらクロフォード卿は話を続けます。
「いや…すまないね。もし私が女の身に生まれついていたのならば、姫様に側仕えをすることもできたのだが…。…知っての通り、貴族の社会も厄介な事が多くてね。政治的な意図も悪意も持たない侍女を探すというのも、これも中々難しいんだ。
正式な王宮付きの侍女でもないベアトリス君に、学校内から社交場まで姫様の側仕えをさせてしまっていることは、心苦しく思っているんだよ」
「いえ――わたしが好きでお仕えしているだけですから…」
わたしの立ち位置が、政治的には微妙なことは知っています。
大人の論理でいえば、ただの男爵家の娘が無給で『侍女の真似事』をしているのが宜しくないことも…それを、姫様の御意向であるから、と多少の無理を通していることも。
「・・・現状は、『クイーンズ・メイフェア校内においては、王家の一員といえども侍女を大勢引き連れて学生寮に入るわけにはいかない』…と、そういう理屈で他の侍女たちを弾いているところだ。姫様が卒業されてしまえば、ただの御学友でしかないベアトリス君は姫様にお仕えする大義名分を失う…ここまではいいね?」
「はい…」
それが、
姫様の近くに居たいのはわたしなのに、姫様の力を頼らなければ近くでお仕えすることもできない。今、傍でお仕えしているのは、姫様が『ベアトリスがいい』と言ってくださっているからという理由しかないのだ。ある種、学生の間ならば…と周囲が姫様の滅多に言わない我儘を呑んで、無言の譲歩をしてもらっているだけ。
こほん、と。クロフォード卿がわざとらしく咳払いをします。
「それで―――姫様? 宜しいのですね?」
「ええ。…今後は、卒業後も見据えて動かねばなりませんから。ベアトならば信頼できます」
「―――御意に」
クロフォード卿と姫様がしたり顔で目配せするのを、わたしは戸惑いの視線で見ていました。
「それが主命なれば…。…侍女の一人くらいならば、潜り込ませてみせますとも」
「お願いね、クロフォード卿。・・・私は表立って動かない方が拗れないでしょうから」
「えっと…ひ、姫様…?」
話の流れが見えないわたしに、姫様が耳打ちします。
「学校を卒業しても、私はベアトに居て欲しいわ」
「・・・っ!?」
普段よりも悪戯っぽい姫様の笑みと、いつにも増して困り笑顔のクロフォード卿の顔を、わたしは交互に見遣ります。それは、えっと、つまり…。
「これから、王宮内での根回しを本格的に進めます。卒業までの二年間、今よりは成績は上げてもらわねばならないでしょうね。あと、下準備としてベアトリス君にも社交界に顔を出す機会も増やしてもらいますし、…ご実家の事情も清算する必要があるでしょう…。…ですが、それが叶えば」
「私個人に仕える侍女として、一緒に居られるようになるわ」
「問題は山のようにあります。…あまり、簡単でも無いのですが」
―――最終的には、どこかの派閥に頭を下げないとなりません。
ですが、いずれ直面するべき問題でしたし…と、クロフォード卿は呟いた。
「姫様にとって唯一の友人を引き離すというのは、些か臣下としても肯んじえませんので」
姫様と、一緒に居られる。これからも、卒業してからも…!
それは、わたしにとってこの上なく嬉しいお話でした。
「クロフォード卿。えっと、ありがとうございます…っ!」
「いえ、姫様がお望みとなっただけです。それに、まだ確約はできませんので…。
姫様のご意志であれば、私としては可能な限り沿うようにはいたしますが」
謙遜するようにして、クロフォード卿はあえて『姫様が』『姫様の』と強調していた。
彼の視線を追えば、どこだったかの侯爵様がいる。今話している声の届く範囲なら、伯爵家から子爵まで。踊っている夫人は、どこの貴族の奥方だろう…? そういった中で、既に言外の交渉は始まっているのでしょうか。
きっと、今この場所で話があったことも、偶然では無くて、きっと姫様との打ち合わせが前々からあったのでしょう。できるだけ、多くの耳目がある場所で話ができるように…とか、たぶんそんな理由で。
「では、私は一度下がりますが―――」
「ええ、どうかよろしく頼むわね。クロフォード卿」
あまり長い時間、一人の伯爵と姫様が話し込む…というわけにはいきません。
ただでさえ社交の席は忙しく、姫様が誰と親しく近しいか、などという話題が政治の槍玉にもあがってしまうのです。醜聞めいたゴシップも含め、政敵に弱みを見せれば根も葉もない噂が流布されることでしょう。クロフォード卿は、周囲を気にしつつ退席の伺いを立てて…。
そこで、すっと顔色を変えました。いつも見せている笑顔が消えて、一瞬だけ、怖い表情になります。目が細められて、鋭く光っていました。
クロフォード卿は、下がっていくときに、小さく一言呟きました。
それはわたしと、きっと姫様にしか届かないほど微かな呟きでした。
「・・・姫様、今宵は別件で吉報がございます。仔細は、後ほど…。
……私めは、シャーロット姫の忠実な部下でありますれば」
「・・・そう。では、レスター、後でお願いね」
姫様は、伏し目がちの笑顔でクロフォード卿が退がっていく姿を見送られました。
「珍しいわ。―――クロフォード卿が、あんな言い方をするなんて」
その背を見送って、姫様は少し驚いたように口にしました。
『あんな言い方』というのが、わたしには判らなくて。
姫様が、『レスター』なんて呼び方をした意図も、わたしには判らなくて。
・・・けれど、このあとで姫様のドレスにワインを零してしまった女性のせいで、何を疑問に思っていたのかも頭から吹き飛んでしまったのでした。
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・・・アニメ本編の第二話、脚本が偉大なので
付け加えるの無理無理の無理でござるよな。
おおよそ、この後は本編準拠でアンジェさん接触シーンになります。
次は少し時間が飛んで第三話冒頭になるかな…。(まだ考えてない)