茉子と将臣がちょっと遠くへ出かける日の朝のお話になります。
ルートのネタバレがちょっとあるので、できたらシナリオクリア後に読んで頂ければと思います。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってまいります」
「いってらっしゃい、二人とも気を付けて」
笑顔の、だけど少し眠たそうな安晴さんに見送られ、俺と茉子は二人並んで歩き出す。
まだ太陽に温められていない空気はひんやりとしているけど、風から少しだけ感じる生暖かさは、もうすぐ本格的な夏が始まる事を感じさせてくれる。
「この分だと、向こうに着く頃にはもっと暑くなってるのかな」
「そうですね……それに穂織は山間の町ですから、多少は他の地域より涼しいはずですし」
「確かに、暑さで言ったら都会の方が辛かったかも」
「ですが、ワタシ達の目的地を考えれば、むしろ好都合かもしれません」
「それもそうだね」
~~~
きっかけは、商店街で行われていたイベントだった。
旅行者向けではなく、地元の住民向けに行われていた、よくあるタイプの福引き抽選会。
そして、デートを兼ねて夕食の買い物をしていた俺達の手には、ついさっき魚屋のおじさんから貰った抽選券。
まぁ、折角だし……そんな軽い気持ちで、俺と茉子が引き当てたのは――
「まさか1等とは……」
「あ、あは……どうしましょう、これ」
俺でも名前を知っている程度には有名な、海が綺麗な観光地……のすぐ近く、ちょっとお高めのホテルの無料宿泊券、それもペアチケット。
まさかの目玉景品を引き当てた茉子の顔は、どう表現すればいいのか……とにかく驚きと、困惑の色に支配されていた。
「成程、夕食の時に茉子君が落ち着かなかったのは、そう言う訳だったんだね」
「すいません、隠していた訳ではないんですが……」
「わかっているよ、それは気にしないで欲しい」
優しい笑顔を浮かべながら、安晴さんはそう言ってくれた。
「それで、将臣君はそのチケット、どうしようと思っているんだい?」
「安晴さんさえ良ければ、茉子と一緒に行ってこようかと思います」
「一応、確認なんだけど……最近、何か茉子君の体に異変が起きた、何てことは?」
「今の所、あの日以降は何も」
あの光る雪の夜以来、茉子の体が子犬になる事もない。
とにかく何が起こるか分からないからと、俺も茉子も引き続き朝武家にお世話になり、様子を見てはいるが……今の所は、平和そのものだった。
「それなら、是非行ってくるといい」
「いいんですか?」
「いいに決まってるとも、僕達の事は気にしないで、沢山思い出を作ってきて欲しい」
何処か遠くを見るような、優しい表情でお茶を啜りながら、安晴さんは続ける。
「もう呪いも、祟り神も終わったんだ、頼りっきりだった僕が言えた義理じゃないのはわかってるけど……」
「そんな事はっ」
「いや、すまない……とにかくこれからは今までの分も、君達には色んな所に行って、色んな物を見て、知って欲しいんだ」
「……ありがとうございます」
「いいんだよ、お礼なんて」
だけど……、と付け加えながら、安晴さんが苦笑いを浮かべる
「僕は大丈夫だけど、茉子君の説得は大変かもしれないね」
「そうですね、正直な所、俺もそう思います」
「ははは、まぁそこは彼氏の腕の見せ所、と言う奴かな」
呪いが解けても、子犬に変化する事が無くなっても。
朝武家での日々の仕事はあるし、朝武さんに仕える茉子の立場も変わった訳ではない。
安晴さんはこう言ってくれて、きっと朝武さんも賛成してくれるだろうけど……
以前、リフレッシュで仕事が休みになったの時の事を考えれば、茉子がこの話を固辞するだろう事は、容易に想像できた。
と、思っていた。
「……あれ? 茉子君?」
「え?」
ゆっくりと開いた襖の奥から現れたのは、既に寝たと思っていた茉子だった。
そのまま何か言いだそうとして、止まって、を何度か繰り返した後、意を決した茉子の口から飛び出したのは、ある意味で予想通りの一言。
「実は、ご相談がありまして……」
~~~
「やっぱり、意外でしたか?」
「正直な所、最初は俺が茉子を説得しないとって思ってたから」
普段は喧騒と足音で賑わっている表通りを、俺と茉子の二人だけが歩く。
日の出まではまだ10分位ある、町の皆はぐっすり夢の中だろう。
だけど、中々見る事のできない静かな穂織の景色に、まるで俺達の方が夢の中に居るような錯覚を覚えていた。
「そうですね、実際の所、悩まなかったと言えばウソになってしまいますし」
「とすると、何か切っ掛けがあった?」
「切っ掛け、と言うほどではないのかもしれませんが……えっと」
そう言って、困ったような笑顔を浮かべた茉子が、朝靄の中で何かを探し始める。
「あ、丁度良かった。将臣さん、あれ覚えていますか?」
そうして茉子が指差したのは、この町の隠れた名所。
「足湯だよね? この前、デートの時に寄った」
「そうですね、将臣さんがワタシの太ももを、いやらしい視線で見つめていた足湯です」
「そうだったっけ?」
「ジー……」
「……はい、見ました、すっごく見てました、ごめんなさい」
観念して頭を下げる俺を横目に、茉子が続けて指を差す。
「それじゃあ……あのお店は?」
「あぁ、確か先週位だっけ? 夕食の買い物に二人で行って、お店のおじさんに”よっ新婚さん!”なんてからかわれて」
「将臣さんがはっきり否定しないから、お店の方もどんどん調子に乗ってしまって……」
「結局、恥ずかしさ極まった茉子が苦無を出そうとして、慌てて止めたっけ」
「あれは悪乗りした将臣さんが悪いですっ」
「はは、ごめんごめん」
……何だか俺、茉子を怒らせてばっかりな気がするな。
「何だかワタシ、将臣さんにいっつも困らされてばかりな気がしてきました」
「……ごめんなさい」
「でも、いいんです」
「えっ?」
「だって、それだけじゃないですから」
予想外の一言に驚く俺を置いて、茉子は言葉を続ける。
「本当は、少し怖い気持ちもありました、穂織の外……遠い所へ行こうとした事なんて、今までの人生で一度もありませんでしたから」
呪いに祟り神、そしてお勤め。
朝武さん達と同様、茉子も呪いと共に、この地に縛り付けられていた一人だったことは……俺も重々承知している。
「ですがワタシ、気付いたんです」
「気付いたって、何に?」
「最近、町のどんな些細な所にも、将臣さんとの思い出があって……どの思い出の中でも、ワタシは笑っているんです」
そう言って、振り向いた茉子は俺の事を真っ直ぐに見つめる。
「呪いの事もあって、今までは正直、楽しい思い出ばかり……と言う訳にはいきませんでした」
「それは……うん、そうだよね」
「ですが、将臣さんと出会って、まだ1年も経っていないのに……今はもう、楽しかった思い出が一杯なんです」
ですから、きっと
そう続けた茉子の表情は、暖かみを感じる優しい笑顔で。
「将臣さんと一緒なら、大丈夫かなって……ワタシでもちゃんと、楽しい思い出を作れるかなと、そう思いまして……」
照れながらもハッキリと言ってくれた茉子の表情が、どんどん赤くなっていく。
そうして、暗がりの中でもはっきりと見て取れる程に真っ赤になった顔を隠すように、茉子の顔がだんだんと俯いていった。
「な、なーんて……ワタシ、また恥ずかしい事を言ってしまってます……よね?」
「いや、凄く嬉しい事を言ってくれてる」
「あは……でもそうだとしたら、それは将臣さんのおかげですので」
「そんな事ないよ、茉子の方こそいつもありがとう、傍に居てくれて……あっ」
話しながら歩き続けて、町の外に一歩を踏み出した、丁度その時だった。
山の間から顔を出した太陽、そこから降り注ぐ眩しくて暖かい光が、俺達二人を包み込む。
「綺麗ですね……」
「……うん」
思わず目を細めてしまう強い日差しで、だけど目を離せない位に綺麗で。
俺と茉子は足を止めて、暫く無言のまま、それを見つめていた。
「……このまま、さ」
「はい?」
「旅行じゃなくて、このまま二人で、何処か遠い所にでも行っちゃう?」
何か具体的な考えがあって言葉にした訳じゃない。
むしろ、この光景があまりにも綺麗で、何も考えられないからこそ口から零れた様な、そんな言葉だった。
「将臣さん、いきなりどうしたんですか?」
「何となく、今の状況って漫画でよくあるシチュエーションかな、なんて思って」
「あー、ありますね……ヒロインと主人公の駆け落ち! とか、禁断の恋からの逃避行! なんてシチュエーション」
「そうそう、丁度大きな荷物も持ってるし……そんな感じかなって」
この道を真っ直ぐ歩けば、俺達の目指す駅に辿り着く事ができる。
だけど、道はもう一つじゃない。
茉子にはもう、自分の道を自分で選ぶ権利と、その意志がある。
どの道をどう歩くかは、もう茉子が選ぶ自由なんだから。
「もし……ワタシがそれを望んだら、将臣さんはどうしますか?」
「ん? そりゃあ付いていくよ、何処までだって茉子の隣に居る」
「あは、嬉し恥ずかしい事を随分ハッキリと言って下さるんですね」
「ほんとの事だからね」
そう言って、はにかむように照れる茉子。
だけど迷うような言葉とは裏腹に、答えは最初から決まっていたかのように、はっきりと茉子は告げる。
「行きましょう、あまりゆっくりしていると、電車の時間に遅れてしまいます」
そうして茉子が指差したのは、真っ直ぐ進む道。
「いいの?」
「いいんです、このまま将臣さんと二人で旅に出て、楽しい思い出を沢山作って……」
朝の日差しを受けて、まるで輝くような笑顔の茉子が続ける。
「そうしたら、また穂織に帰ってきましょう、二人で笑って、沢山お土産を持って」
「……うん、そうだね」
「そうと決まれば善は急げです、と言う訳で行きましょう、将臣さん」
そうして差し出された手を、俺は優しく握り返す。
「……そう言えば、さ」
「はい?」
「何で、駅まで歩いて行こうって言ったの?」
穂織から最寄りの駅までは、歩くには結構な距離がある。
だけど茉子からの提案で、朝武家から駅までは歩いて行こう、と言う事になっていた。
だからこそ、日の昇る前なんて時間に出発した訳だけど……
「あれ? ワタシ、言ってませんでしたっけ?」
「言ってないかなぁ」
「あは……すいません、でも言ってしまえば、これも特に理由は無いのですが……」
「えっ、そうなの?」
苦笑を浮かべながら、うーん……と小さく声を漏らす茉子。
やがて言葉を選び終えたみたいで、ゆっくりと口を開いた。
「何となく、歩きたかったんです……将臣さんと一緒に、一緒の道を」
「なるほど」
「申し訳ありません、こんなふわふわとした理由で……」
「いや、そんな事ないんじゃないかな」
「え?」
「何となく、茉子の気持ちが俺にもわかるから」
朝の日差しに照らされた道は、何処までも続いている。
この先にどんな景色が待っているのか、何が起こるのか……当然だけど、未来の事は何も分からない。
だけど、茉子と一緒に選んだ道なら、きっと何が起きても、楽しい思い出に変えていける。
はっきりと、そう思えるから。
「行こう、茉子」
「はい!」
そうして俺達は、二人並んで新しい一歩を踏み出す。
どんな未来が待っていても、隣に寄り添う愛しい人と、これからもずっと一緒に居られる事を願って。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
千恋はシナリオがシリアス寄りだった分、どうしてもちょっとしんみりしたお話になっちゃうなぁ…
と思いつつ、茉子ルートのEDをイメージしながら書いてみました。
二人ならどんな道を選んでも、きっと幸せに生きていけるのかな、なんて思います。
最近仕事が忙しくて更新できていませんでしたが、
まだまだ色々書いて行こうと思いますので、よかったら読んで頂けると嬉しいです。