ピンポーン
「んぁ?」
チャイムの音に目を覚ますと、もう日は高く昇っているようでカーテンの隙間から日光が差し込んでいた。
昨日の夜は健全な意味でちゃんと寝たはずなのだが、もしかしたら休みで気が緩んでいるのかもしれない。
ふと横を見ればあかりちゃんもまだ夢の中のようで、少し寝苦しそうな寝息を立てていた。
ピンポーン
再びチャイムが鳴る。
「はいはい……」
特に何かをネットで注文した記憶も無いし、どうせ何かの勧誘だかのつまらない用事だろう。
とはいえこれ以上喧しくされたらあかりちゃんが起きてしまうかもしれないと、重い体を引き起こして玄関の方へと向かう。
一応キッチンにインターホンが付いているのだが、そちらまで行くなら直接出てしまった方が早いのだ。
「どちら様ですかー」
扉を開けると、そこに立っていたのはどことなくあかりちゃんに似た顔立ちの紫色の女性……と、その両脇を固めるガタイのいいグラサンをした二人組の大男であった。
予想外の光景に、一気に目が覚める。
「え? ど、どちら様ですか」
「突然お邪魔して申し訳ありません。私こういう者なんですが」
「あ。はい、ご丁寧にどうも」
丁寧かつ優雅に一礼した女性は、名刺を差し出してきた。
あまりにも流麗な動きに思わず受け取って目を通すと『AHS社 技術部 回収課 結月ゆかり――』
AHS社、回収課という文字を見た瞬間、ぞわりとしたものが背中を駆け上がった。
もしかしてあかりちゃんに関することだろうか、という不安を悟られないようにしながらなるべくそっけなく答える。
「……それでAHS社の方が何の御用でしょうか」
「ええ、ここら辺にお住まいの方々に聞き込み調査をしているのですが、ご協力頂けませんか? お時間は取らせませんので」
正直余計なリスクが発生するようなことは避けたい、断れるなら断ってしまうのが一番いいのだろうが、と先ほどから一言も発さず只々立ち続ける男たちの方をちらりと見る。
先ほどから話している結月さんという女性はにこやかで丁寧な口調なのだが、その両隣にいるピクリととも表情を動かさない男たちからは、拒否することなど許さないという重圧感が放たれていた。
少しだけ考えて、下手に拒否した方が怪しまれるかもしれないしと適当に答えて誤魔化す事にする。
「まあ、あまり長くならないのなら……」
「そうですか、ご協力ありがとうございます」
結月さんは軽くお辞儀をすると、胸ポケットから携帯端末を取りだす。
「現在逃走したボイスロイド、所謂野良ボイスロイドを探しているのですが、最近このあたりでこのような外見の少女に見覚えはありませんか?」
そこに写っていたのは、銀色の長髪に青い瞳の少女。
間違いなく現在隣の部屋で寝ているあかりちゃんと同一の姿であった。
半ば予想していたとはいえ、心臓がバクバクと早鐘を打つ。
「……いえ、見覚えは無いですね」
「……そうですか、ご協力ありがとうございます」
もう少し深くつっこまれるかとも身構えていたが、彼女は意外にもあっさりと携帯をしまった。
「先ほどの子はどうやら思考に問題が起こって野良になったみたいで、危険な可能性もありますから、見つけたら名刺に書いてある連絡先にすぐ知らせてくださいね」
「分かりました」
「ああ、それから」
漸く話が終わったと安心してドアを閉めようとした所で、結月さんは思い出したようにとんでもない爆弾を放り投げた。
「無いとは思いますけれど、万一野良ボイスロイドを匿っているようなことがありましたら、犯罪に当たることもありますので気を付けてくださいね」
バタンとドアが閉まった瞬間、背中に幾筋もの冷や汗が浮かぶ。
……今まで情報が少なかった、いやあえて考えないようにしていた事を喉元に押し付けられた気分だ。
野良ボイスロイドの処遇。
野良という名称に引きずられたこともあり、つい放って置くことも出来ずあかりちゃんを家に上げて、一緒に暮らして――そして何となくいつまでもこんな日々が続くものと思っていた。
尤もそんなものは幻想だったと今しがた叩きつけられたばかりなのだが。
……今からでも連絡してあかりちゃんを引き渡した方がいいのだろうか。そんな保身的な考えが一瞬思い浮かんで、苛立ち交じりに壁を叩く。
一度は手を差し伸べ優しい言葉をかけておきながら、今更彼女を裏切って自分の為に引き渡すなど、例え気の迷いからくる想像であっても許されない。
元気のよい笑顔を浮かべるあかりちゃんの顔が、引き渡されて衝撃を受け悲しみに染まるのを想像すれば、そんな事は出来ようはずも無かった。
では、もしも引き渡さなかったら?
自分がそう選択をしたとしても、AHS社があかりちゃんの調査を続けることに変わりはない。
そしてあかりちゃんが見つかって、自分が匿っていることまで分かってしまえばどうなるか。
回収課の彼女の言葉が本当ならば想像の余地なく、自分は犯罪に問われ……そしてやっぱり、あかりちゃんは連れて行かれてしまうのだろう。
「……どっちにしろ手づまりじゃないか」
気づけば、先ほどの名刺がぐしゃぐしゃになるくらい手を強く握りしめていた。
あかりちゃんと離れたくない、という気持ちだけが増幅されて暴れまわるように自分の中を駆け巡る。
だが具体的にどうすればいいのかは全く思いつかないし、それ以前に野良ボイスロイドの処遇に『回収課』……知らない事が多すぎた。
あの結月と名乗った女性のいう事がどこまで正しいのか、そして回収された場合あかりちゃんはどう扱われるのかなど結局何も分かっていない。
例えば匿っていた場合犯罪になると言っていたが、あれは効率的に探し当てて回収するためのブラフだったり――いや、それはあの女性が言ったことを信じたくないという思い込みみたいなものなのだろうか。
兎に角何とかして情報を集めない事にはどうするかも決められないのだが、初日にスペックを調べても出てこなかった程度にボイスロイドの情報は少ない。
だからといってボイスロイドに詳しい人なんて――
「……いや、いるな」
気さくで妙に鋭い所があり――そして何より彼女自身がボイスロイドであるマキさんなら。
「いらっしゃい……って君か。最近はよく珍しい時間に来るね」
来る途中に降り始めた雪を払ってコンビニのドアを開けると、マキさんはレジ奥の椅子に腰かけてくつろいでいる様子だった。
それとは対照的に、あかりちゃんに書置きだけのこして一目散にここまで来た自分の息は上がり切っている。
「随分と急いでるみたいだけど、急に何か必要になったのかい?」
息をするのでやっとな為頷いて肯定を示し、少し息を整える。
すると呼吸が落ち着くのに従って、不安が沸き上がって来るのを覚えた。
そもそもマキさんに野良ボイスロイドの事を訊いて大丈夫なのだろうか、何故そんな事を訊くのかと逆に訊かれたらどう答えればいいのだろうか、あかりちゃんの事を教えた場合、その事を秘密にしてくれるだろうか……。
今更ながらマキさんに相談するのは正しかったのかと疑念に駆られて無言でいると、彼女はいつもの笑顔からふっと表情を真面目なものへと変えた。
「それとも、何か聞きたいことがあってここに来たのかな?」
まるで全てを見通しているかのような目で真っ直ぐ射抜かれる。
「――例えば、野良ボイスロイドについて、とか」
「っ!! ……もしかして、昨日の時点で分かってた?」
「一応新しいモデルが出る度にチェックしてるし、あれだけ基本モデルに忠実な姿をしていればね。それにこう言っちゃなんだけど、君がアカリ型を買えるほどのお金を持っているとは思えなかったし」
どうやら彼女には、すべてお見通しだったらしい。
「それなら頼む!! 野良ボイスロイドがどう扱われるのか教えて欲しい」
勢いよく頭を下げると、マキさんは椅子から立ち上がってこちらに近づいてきた。
「僕も全部知っている訳じゃあ無いけど……そうだね、先ず基本的な事として一般的には『野良ボイスロイド』と言う名称だけれども、実際はマスター、つまり本来の所有者が放棄しない限り所有権が喪失することは無いね」
横を通り過ぎた彼女の足音を追ってそちらを向くと、マキさんはドアにかかっていたプレートをひっくり返して『CLOSED』を表に向ける。
「もし、所有権が放棄されたら?」
「その場合は、AHS社に所有権が戻るという契約になっているはずだよ。ボイスロイドも安い訳じゃないし、そもそも野良になるって事は何かがおかしいって事だから、放置することは出来ないしね」
「じゃあ、もし野良ボイスロイドを拾って匿ってたら……」
「人間じゃないから拉致監禁ってことは無いけど……。他人に所有権があるものを勝手に奪っているようなものだから、窃盗として扱われる可能性は十分にあるね」
振り向いたマキさんは淡々とそう言い切った。
「そうか……」
……覚悟はしていた筈だが、やはり回収課の女性が言ったことに偽りはなく、あかりちゃんと一緒にいることは極めて難しいようだ。
今の生活からあかりちゃんがいなくなることが自然と想像されて、心を切り取られたような空虚感に襲われる。
……いやまだだ。まだ、必ずそうなると決まった訳では無い。
だがその気持ちに反して、一人ではこれ以上どうすればいいかなど思いつきもしそうになかった。
「マキさん、AHS社の回収課って知ってるか?」
「回収課? 悪いけど、それは知らないかな」
「そうか……兎に角、そいつらがさっきあかりちゃんを探しに来たんだ」
「なるほどその様子だと、家にはいないと嘘をついたって所かな?」
「ああ、そうなんだ。だけど、どうしたらいいか分からなくて……」
今更知られて困ることも無ければ、一人では何も思いつきそうにない。意を決してそう言ってみると、マキさんは少しの間の後で静かに口を開いた。
「まあ、君がそこまで思い悩むことは無いと思うよ」
「何かいい方法があるのか⁉」
「何かあっても『家において欲しいと言われた。匿ってはいけないと知らなかったし、頼みこまれて断れなかった』とでも言えば君はおとがめなしで済むだろうからね」
確かに、そうすれば『自分は』助かるだろう。だがそれは――
「あかりちゃんを、あの子を見捨てろっていうのか……!」
どすどすと乱暴に歩み寄り、マキさんの肩を掴む。
彼女が自分の身を慮ってくれていることも、彼女に当たる事が正しくないことも分かっていたが、それでも苛々とした衝動を誰かにぶつけずにはいられなかった。
「僕はお得意様である君が困らないようにと思って助言しているだけなんだけどね」
マキさんは抵抗することなく冷静に、感情を覆い隠した瞳をこちらに向ける。
「それに見捨てる訳じゃないさ、適切なマスターの所だかAHS社だかは分からないけど、迷子になってるのを返してあげるだけだよ」
「本人が、帰りたくないと言っていてもか? それでも回収しに来たあいつらに渡すのは見捨てる訳じゃないって言えるのかっ⁉」
その言葉にマキさんはピクリと眉を動かしたが、それ以上の反応はしなかった。
「……じゃあ君はどうしたいんだい? あの子を返さず犯罪者になってもいいって思ってるのかい?」
「そりゃあ犯罪者にはなりたくないさ。……だけど、あかりちゃんと一緒に居たいんだ」
「それは、彼女がそう望むから? それとも、君自身がそう望むから?」
「それは……」
少し考えて言葉に詰まる。
「僕としては、もし君が頼まれたからとかそんな理由だけで一緒に居たいと望むなら、今すぐ回収してもらった方がいいと思ってる。もしそうなら、いつかあの子の存在は君にとって只の枷になるからね。もし君が引き渡すことに罪悪感を覚えるなら僕の所まで連れて来てくれればいい、こっちでちゃんと片をつけるから」
マキさんの目は今まで見たことが無いような鋭さで、半端な答えは認めないと言外に語っていた。
だけど、答えなんて最初から決まっている。
「……俺の意思だ。俺が、あかりちゃんと一緒にいたいんだ」
「ボイスロイドは人間みたいに、人間らしく作られてるけれど根本的には人間じゃない。その事は分かった上で言ってる?」
「ああ、分かってる。それに、ボイスロイドだろうがあかりちゃんはあかりちゃんだ」
「そっか……」
マキさんは深く頷いて、それからふっと表情を緩めた。
「分かった。君が本気なら、あの子と一緒にいれるよう僕も出来る限り協力するよ」
「本当か⁉」
「わ、ちょっと近いって」
「あぁ、すまん。つい」
思わず近づけてしまった顔を離しマキさんと距離を取ると、彼女は掴まれていた部分の服を直して何時もの声で話し始める。
「さて、それじゃあどうするかを決める前に、君には一つ知っておいて欲しいことがあるんだ」
「知っておいて欲しいこと?」
「うん、それはあの子、あかりちゃんでいいのかな? がボクと同じで完全自我を持ってるって事」
「まるでその言い方だと、不完全な自我をもったボイスロイドがいるみたいな言い方だな」
「その通り、理解が早くて助かるよ」
マキさんはうんうんと頷いた。
「正確に言うと不完全な自我じゃなくて、『疑似自我』ってところかな。過去の情報と基本反応データベースに従って、外部からの反応に対して自我があるように振舞わせるためのシステムがボイスロイドには組み込まれてるんだよ」
「だからボイスロイドは人間らしく行動できる、と?」
「そ。ただ、今言ったように所詮はそう見せかけているだけで、実際に自我がある訳じゃない。そうじゃないと命令を忠実にこなしてくれないしね。一方完全自我を持った個体は人間と同じように自分の情動を持っていて、盲目的に命令を実行するんじゃなくて自分の考えの下で動くんだ」
「つまり、あかりちゃんもマキさんも人間と同じって事だろ。こっちとしては今更それを言われても、という感じもするんだけど」
「まあ、君は完全自我を持ったボイスロイドにしか出会ってないみたいだからね」
マキさんは苦笑する。
「だけど、それはボイスロイドに想定された本来の機能でも役割でもないんだよ。言い換えれば自我はボイスロイドにとって致命的なバグともいえるね。だからもし回収された後で検査を受けたら、異常と判定されて修正される可能性は、完全自我を消されてしまう可能性は否定できない。そうなったら、君の知っている『あかりちゃん』は永久にいなくなると思った方がいい。だから、君が彼女と一緒に居たいなら、彼女を大切だと思うなら引き渡しちゃだめだ」
「さっきは返してあげるだけとか引き渡せばいいとか言ってたのにか?」
むっとして言うと、マキさんはバツが悪そうに素直に謝った。
「ごめんよ、さっきのは君がどれだけ本気か確かめたかったんだ。それに、君が万一引き渡すって言った場合は僕の所で匿うつもりだったし」
「そうだったのか」
「当たり前だよ、同じく完全自我を持つ身として放ってはおけないからね」
強く握りこまれる彼女の拳が、その覚悟の固さを表しているようだった。
マキさんに相談したことが間違いでなかったと分かり、少しだけだが緊張が緩む。
「で、結局引き渡したらいけない理由は分かったけど、具体的な方法とかは分からないか?」
「そうだね……しばらく逃げちゃうのが一番じゃないかな」
何とも無責任な答えに思わず変な声が漏れる。
「……は? いやいや、確かにそうすれば時間は稼げるかもしれないけど根本的な解決にはならないだろう?」
「いや? そうでもないよ。確かにさっき窃盗になるかもとは言ったけれど、そうだとしても確たる証拠が、つまり君の家にあかりちゃんがいるという事がはっきりわからなければ、向こうも警察みたいに家まで踏み込んで捜査する権利なんてないし、動きようがないからね。だったらそもそも探られないように遠くに逃げてしまえばいいんだよ」
「でもそれだと結局問題を先送りしてるだけで、ここに戻ってきたら同じじゃないか」
期待していたのにとため息をつくが、マキさんはそんな様子を歯牙にもかけず自信満々に指を振った。
「確かに向こうが何時までも同じところを探し続けていたらそうだろうね。……でも相手は企業だから、回収するのに必要なコストが回収して得られる利益を上回るようなことは、つまり長々と同じ場所を探すような事はしない筈さ。だからその間だけ君は逃げきればいいんだよ。そして彼らがここを探しきったと思い込んだ後に帰ってくればいいさ」
「成程……」
『相手が企業だから不利益になる事はしない』その視点は盲点だったが、言われてみれば確かにそうかもしれない。
幸いにも今は冬休み、その間帰省という事で実家へ戻れば……両親にあかりちゃんをどう説明するかは置いといて、不自然でもないだろう。
「じゃあ今からでも……ってあいつらが近くに居るかもしれないし今日明日はやめて明後日ぐらいの方が安全か?」
「うーん、そうだね。それがいいと思うよ。とと、それから昨日帽子は買ったんだよね?」
「ああ」
「だったら、ちゃんと外を移動するときは帽子をかぶらせるんだよ? あの銀髪が少しでも目立たないようにね」
「……まさか、そういう意図で帽子を勧めて来たのか?」
『まあね』と不敵な笑みを浮かべる彼女相手では、もしかしたら何の隠し事も無駄なのかも知れない。
まあ結果としてあかりちゃんが喜んでくれたし、可愛らしい姿も見れたしいいのだけれど。
「兎に角、色々とありがとう。色々と準備もあるしこれで帰らせてもらうよ」
「あ、ちょっと待って」
明後日の出立の為に荷物の準備やルートの検索などをするため家へ帰ろうと、ドアに手をかけた所でマキさんに背後から呼び止められた。
「さっき、あかりちゃんには完全自我があるっていったよね?」
「ああ、だから引き渡すわけにはいかない、だろ?」
「うん、それもそうなんだけどね。もう一つ、自我を持ってるって事は人間と同じように感情も持ってるって事を覚えておいて」
「? そんなの当たり前だろ」
あまりに当然な事を言い出した事に疑問符を浮かべるが、マキさんはそうじゃ無いんだなと頬を掻いた。
「僕があかりちゃんを見たのは昨日のほんの一瞬だったけどさ、その一瞬であの子がとても楽しそうで、生き生きしてるのが十分に伝わって来たんだ。……そして、その原因が君と一緒にいれるからだって事も」
最後の言葉に心臓が期待と不安で跳ねる。
「はは、何だかその言い方だと、あかりちゃんが好意を向けてくれてるみたいに勘違いしちゃいそうになるな」
「勘違いじゃないと思うよ」
早とちりをしないようにと石橋を叩くように紡いだ言葉はあっさりと打ち砕かれた。
「ただ助けてくれたから、それだけじゃあんな楽しそうには出来ないさ。少なくとも友人に向ける以上の好意を持っていないとね」
友人以上の好意、それが意味するのは一つしかない。
「君はあの時あの子の事を彼女だと言ったけど、あれは単に誤魔化すため? それとも――