「――っ。ふわぁ……」
ピピピピ、という如何にもな電子音のアラームに、電車の揺れがもたらす心地の良い微睡から意識を引き上げられた。
暫くぼんやりと虚空を見つめた後で『ああ、そういえば乗り過ごさないようにアラームをかけてたんだっけな』と膝の上に乗っていた携帯の画面をつついて黙らせる。
イヤホンを外しながら辺りを見渡すが、自分以外の乗客はおらず、青白いLED光に照らされる車内は何だか物寂しい雰囲気であった。
何時も乗っている時間帯ならば、もう少しサラリーマンやら学生やらで満員とはいかずとも、いくらかの賑わいを見せるのだが。
とはいえその理由は分かっている。
携帯の液晶をちらりと見れば、もうすぐ二十四時を示すところであった。
これが中心部付近の駅か、そうでなくとも中心から直通の駅なら話は違っただろうが、ここは乗り換え必須なローカル線の終点付近だ。
たとえ終点周りが少しばかり発展していると言っても、こんなものなのだろう。
現に窓の外を眺めようとしても、遠くに一軒家や街灯の灯りが飛び飛びに入って来る以外は、一人ぽつんと長椅子に座る自分の姿を鏡のように映すばかりである。
そういえば今晩遅くから雪が降り始めるとか朝のニュースでやっていたっけな。
疲れ切った自分の顔が見えないよう、窓に顔を押し当てるようにして空を見上げると、星も月も見えないのっぺりとした真っ暗な空が広がっている。
一応まだ雪は降っていないらしいが、家路を急ぐに越したことは無いだろう。
座りなおして大きく伸びをすると、自然と口からあくびが出た。
単位の為とは言え、今日は大変な一日だった。
テストの点が足りないということで『単位が欲しけりゃ研究を手伝いな』と教授に呼ばれた所まではいい。
……いや本当はその時点で良くないのだけれど。
ともかく、一日で終わるからと朝九時に召集。
こんな朝早くから一体何をするのかと思っていたら、棚からファイル詰めされた資料や専門書を引っ張り出し、階上の部屋まで棚を運んでまた詰めなおす。
はっきり言って研究の手伝いなんてのは名目で、実際は研究室の引っ越しを手伝わされただけであった。
そしてそれが朝九時から始まり一時間ほど前まで続いたのである。
「何で試験前に後一点分頑張れなかったんだろうなぁ……」
そんな愚痴が口をついてしまうのも無理からぬことだろう。
だが、ともあれこれで単位が一つ確定したことに変わりはない。
冬休み前にテストをすると、あの気まぐれな教授が言い出した時はブーイングが起こったものだが、新年前に単位が一つ確定するという安心感は存外悪いものではないものだ。
……ただしその対価として、今日一日がまるっと潰れてしまった訳だが。
今日一日の重労働を思い出し、疲れた体を少しでも誤魔化そうと二度目の伸びをしていると、唐突に空腹が襲ってきた。
大学を出た時はお腹もすいていないし、今日はまっすぐ帰ってさっさと寝ようと思っていたのだが、恐らくあの時は疲れすぎて空腹を感じられなかったのだろう。
……正直、帰った後自炊する気力も、冷蔵庫の食材も残っていないのだが。
こういう時ばかりは、普段気楽でいいものだと思っている一人暮らしも恨めしく感じてしまう。
だが、何も絶望することは無い。あの駅前には独り身の心強い味方、コンビニがあるのだから。
「自分、今日、頑張った。晩飯、楽する」
あまりの疲れから、何時の時代のロボットだよと突っ込みたくなるような独り言を呟き立ち上がった所で、電車は最後のカーブを抜けて緩やかな減速に入った。
きれいに保たれてはいるが、少しレトロな雰囲気を放つ個人商店系のコンビニ。
人の住んでいるところから少し離れたこの駅前に、ポツンと一人たたずむようにして立っているそれを見ながら独り言ちる。
「しかし相変わらずいつ見ても、どうしてやっていけてるのか分からん店だな……」
とはいえそれについて考えるのは、寒風の吹きすさむ今日みたいな日じゃなくたっていいだろう。
まるで誘蛾灯に誘われる虫のように、いそいそと寒さから逃がれるべく扉を押し開ける。
すると、カランコロンというこれまたレトロな音が店内に響き渡り、奥にある飲料棚の前に立っていた金髪の女性がこちらへと振り向いた。
「いらっしゃいませー……って君か。こんな時間に来るのは珍しいね」
こちらが誰だか気づくと、彼女は接客モードの声から一段階高さを落とし、友人と出会ったように気さくな感じで話しかけてくる。
ほっそりとした顔のラインに大きく開いた緑の眼、地毛故に一切のくすみが無い艶やかな金髪がトレードマークの彼女こそ、ここのコンビニ唯一の店員であるマキさんだった。
シャツとジーンズの上に赤いエプロンを付けただけという飾りっけの無い格好だが、彼女の豊かな胸囲と締まった腰というメリハリのある体型のおかげで、雑誌の表紙になっていてもおかしくないカッコよさがある。
「今日はさっきまで教授にこき使われてたからな」
「あれ? 君の大学はもう冬休みが始まって――さては単位がピンチだったな?」
彼女はいたずらっぽく瞳を輝かせると、ニヤリと笑って犯人を見つけた探偵のように指さしてくる。
「……相変わらず感が鋭いな」
「ふっふっふ……ま、伊達に長いこと店員をやっているわけじゃあないって事だよ、ワトソン君」
「店員じゃなくて探偵になってるじゃねーか」
「はっはっは……君のそういうノリがいいとこ好きだよ。ま、とにかくお疲れさん」
美人な割にマキさんと話していても緊張しないのは、こういう冗談めかした気さくさがあっての事だろう。
「そういえばこっちに越して来た時には既にマキさん一人でこの店やってたけど、長いことってどれ位やってるんだ?」
「んー三年ちょっとはやってるね。まぁ、長いと言えば長いけれど長くないと言えば長くない位の期間だよ」
「中学生が高校生になる期間と考えれば長いと思うが」
「いやー、色々学んだことや経験したことを考えると、ボクとしてはもう少し長いかなと思っていたんだけどね」
「へー、マキさんみたいなヒューマノイドでも、学ぶことってあるもんなんだ。てっきり最初から必要な事は全部知ってるか、アップデートみたいな形で学べると思ってたけど」
そう、一見どころかこっちに越して以来ちょくちょく会って、それでもなお女子高生にしか見えないマキさんだが、実際の所彼女は人間ではない。
「そりゃあボイスロイドにもアップデートが無いわけじゃないけれど……色んな役割を期待される以上その全てを画一的なアップデートで網羅するのは不可能だからね。それに、君みたいな常連客の情報なんて細かな情報はアップデートで何とかなる物じゃないし」
国内ヒューマノイドの最大シェアを占める大企業、Advanced_Humanoid_Solutions、通称AHS社。
マキさんは彼らの主力商品である、音声操作と対人コミュニケーションに重きをおいたヒューマノイドシリーズ、ボイスロイドの一体である。
国によっては今もなお、宗教や文化的理由から主流となっていないところもあるらしいが、元々漫画やアニメ、はたまたドラマや映画などで人型ロボットになじみのあった日本は、ここ十年で一気にヒューマノイドが普及していた。
故に自分も小学生くらいのころから、そこそこヒューマノイドを見知っていたつもりだったが、それでもマキさんがヒューマノイドだと初めて知った時にはだいぶ驚かされた。
それまで大抵のヒューマノイドというのは、仕事においてはまるっきり人間のようだが、仕事以外の事、例えば雑談などは苦手、というかそもそも出来ないものだと思っていた。
しかしマキさんはこうして本当の人間のように話しかけてきて、しかも話していて楽しかったこともあって、マキさんからそうだと聞かされるまでついぞ分からなかったのだ。
とはいえ驚きはしたものの、別段それを知ったからと言ってどうという訳ではない。
なんというか人間だとかヒューマノイドだとかいう前に、マキさんはマキさんなのだった。
飲み物が入っている冷蔵棚の前で、バインダーに何かを書き込んでいくマキさんの隣で弁当を物色しながら――尤も残っている弁当はお好み焼き定食弁当と焼ききりたんぽ弁当とかいう炭水化物過多なものしか残っていなかったのだが――答える。
「でも、と言うことは共通化できる知識とかはアップデートで学習できるって事だろ? それだけでもすごく便利な気がする、というか正直羨ましいんだけど」
もしもそんなことが出来るなら、大学修了程度の知識をインストールされたいものだ。
そうすれば単位に困ることなど無いだろうから。
「あはは、一応各個体でインストールされた情報を自分の環境に適応させてるから、何の労力も無いわけじゃないらしいんだけど」
「それでも例えるなら公式や年表を何の苦も無く暗記できてしまうような感じだろ? それだけで十分羨ましいよ……って『らしい』?」
弁当の選択は色んな意味で極めて悩ましいものだったが、長い葛藤の末結局お好み焼きの方を選び――そこで、マキさんの語尾が引っかかる。
「あー……ボクは特別製みたいなものだからね。元々ボイスロイド自体がより人間らしくを目指して作られてるけど、その中でも特に人間らしくって言うのかな? 兎に角、昔一回ダウンロードしたことがあるけれど、何だか気持ち悪い感じがしてそれ以来やってないんだよねぇ」
「へー、便利なだけかと思ってたけど、気持ち悪いんだ?」
「そりゃあ、自分が全く経験してない知識がふと気づいたら増えてるってのは気分がいいものじゃないかな」
マキさんはその時の事でも思い出したのか、どこか遠くを見ながら眉根を少し寄せた。
「ネットで情報を調べるのと同じような気がするけど」
「その場合でも、少なくともそれについて調べた経験は残るでしょ? そういうのすらない知識は、なんというか唐突に自分が記憶喪失だと気づいたような、自分が地に足のつかない存在なんじゃないか、っていう気持ち悪さがあるんだよ――あ、430円ね。いつも通りあっためなくていいんだよね?」
「ああ、どうせ帰ってる間に冷えるからな、ありがとう」
交通系ICカードをレジにかざして料金を支払い、レジ袋を受け取る。
マキさんはもう店を閉めるからと、扉の外まで出て見送ってくれた。
「もうすぐ雪が降るらしいし気を付けてねー」
手を振るマキさんにこちらも手を挙げて答え、駅前に止めていた自転車のペダルを踏みこむ。
こんな時間でも元気に対応してくれる彼女と話した為か、少しばかり疲れを忘れられたような気がする。
そんなマキさんがやっているから、ここのコンビニは潰れないのかもしれない。
何時もの疑問にそんな答えを出し、坂道で重くなったペダルと格闘しながら川沿いの土手へ上がると、あたりは真っ暗で、視界の向こうに目指す住宅街の灯りと、その手前にかかる橋の街灯が見えるだけだった。
自宅が駅から遠いのも運動になるし悪くない、と春秋ごろは思わなくもないが、やはりこういう寒い冬の、しかも夜中などだとたまったものではない。
風を切って走るというと何だか清々しい字面だが、その風が十二月も暮れの風だと肌を刺すようだ。
ゆっくり行けば風はましになるかもしれないが、そんなことをしては帰る時間が遅くなる。
覚悟を決めて、さっさと帰りつくためこぐ足に力を入れた。
――思い返せばここで急いだという選択こそが、きっと分水嶺だったに違いない。