―あかり―
「――っ!!」
耐えがたいほどの激痛に目が覚める。
またこの痛みかと体を起こそうとした所で、焦点が合っていないかのように視界が不明瞭な事に気づく。
おぼろげな視界は何度瞬きしても、目をこすっても治らない。
ついに視覚まで壊れ始めてしまったのだろうか。
体の動きも余計なプロセスを噛まされたように重く、体温も平常より高いように感じる。
……本当に、あとどれだけ持つのだろうか。
不安を誤魔化すためおにいさんに甘えようとするが、おにいさんはもう起きているようだ。
「?」
家の中にいるのだろうかと耳を澄ませて、おにいさんと誰かが話しているのに気づく。
はっきりとは聞こえないもののその声色にははっきりと緊張の色が混じっていて、どうも穏やかな雰囲気とは言い難い。
どうしたんだろう、とよろめきながらも立ち上がってふすまに耳を当てる。
「――のアパート近辺で、そのあかり型がネットワークに接続した履歴が残っているんです。そこで、このアパートにあかり型が隠れていないか確認したいのですが」
聞こえてきた会話の内容に、息が詰まりそうになった。
それは自分の事を探されていることもそうであったが、それ以上に自分のせいでこの場所を特定されてしまったことに、おにいさんに余計な迷惑をかけてしまったことに対する申し訳なさ故に。
(でもいつネットなんかに接続して――)
少し考えて、それから愕然とする。
先日のアップデート、あれのせいだ。
頭痛のせいでそこまで頭が回ってなかったが、アップデートにネット接続が必要ない訳が無かった。
今更ながら自分の浅慮さが妬ましい。
やんわりと部屋に上げることを拒否したものの、尚も詰め寄られて対応に苦慮しているおにいさんに女性は続ける。
「……無いとは思いますが一応言っておきますと、たとえあかり型を匿っていたとしても今なら不問に付すのですけれど」
不問に付す、ということはやはり私を匿ってくれたおにいさんも責任を問われてしまうという事だろう。
……捕まったらどうなるのかは確かに怖い。
だけど私のせいでおにいさんまで責任を問われてしまうのなら――と、わずかな逡巡の後襖を開けようとした瞬間だった。
「ははは、もしかして疑ってます? ご期待に沿えず申し訳ないですが、匿ってたりはしないですねぇ」
おにいさんの言葉に手が止まる。
(もういいから! 私なんかの為にそこまでしなくて……!)
おにいさんが危険を冒してかばってくれたのは嬉しい。
――けどその対価におにいさんが不幸になるなんてことは絶対に駄目だ。
「……いいんですね? これであかり型が見つかった場合、警察への通報は避けられませんよ?」
「そう言われても、居ないものを居ると偽ったって何のメリットもありませんので」
だけどおにいさんはきっぱりとそう言い切った。
言い切ってしまった。
遅かった。今から出ていってもおにいさんが前科者になってしまう、さっき躊躇せずに出ていればと後悔するが今更だ。
無力感を誤魔化すように、力の入らない手を握りしめる。
……いや、違う。まだ出来る事はある筈だ。後悔するなら今からでも出来る事をすればいい。
結局今おにいさんの人生が滅茶苦茶になりつつある原因は『私がここに居てしまっているから』だ。
だったらおにいさんの為に今出来る事は一つしかない。
まだ何かを話しているおにいさんに気づかれないよう、素早く襖を開けて玄関から靴を回収する。
次いで玄関から出ることは出来ないため他の出口を探し、幸運にも和室の窓からブロック塀に降りれることに気づいた。
迷っている時間は無いと、よろめきそうになるのをこらえてブロック塀に降りて――やはりというかどうしてもそこで後ろ髪を引かれて振り返ってしまう。
(せめて、最後におにいさんを一目でいいから見たかったな)
そう考えて首を振った。
もしおにいさんに引き止められたらきっと、論理回路より感情回路が優先されて離れたくなくなってしまう。
だけどせめて何か……そう思って部屋を見回したところで、おにいさんにプレゼントしてもらった帽子が目に留まった。
(これ位はいいよね)
自分がいた痕跡はない方がいいからと理由をつけて帽子に手を伸ばすが、帽子を見た所で持ち主なんてわかるはずがない。それは完全な言い訳だった。
だけど、どんなに少しでもいいからおにいさんとの絆が欲しかったのだ。
帽子を手に取って深くかぶり、重い体をおしてブロック塀の端まで急ぐ。幸いにしてブロック塀から道までもさしたる高さではない。
これなら、と道へ飛び降りようと姿勢を低くした時だった。
(? ……っ!)
おにいさんに呼ばれた気がして振り返ると、窓から身を乗り出し、何かを言いかけたように口を開いたおにいさんと目が合ってしまった。
「呼び止めてほしい」一瞬そう思ってしまったあとからすぐに自己嫌悪が襲ってくる。
……自分がいてはもう、おにいさんの迷惑にしかならないのだと。
だから、未練を断ち切る為に口にした。
「ごめんなさい、さようなら」
――――
「管理者コードES-018T、個体ナンバーAR-29018224-CCに次ぐ。聞こえたならば応答し姿を現しなさい」
回収課の良く通る声が玄関から部屋の中に響くが、それに答えるべき相手はもうおらず、帰って来るのは只静寂だけだった。
「……疑ってしまい申し訳ありませんでした」
紫の女性は丁寧に謝ってくれたが、ここにいると確信していたのか、反応が無いのが予想外だという動揺を隠しきれていない。
まあ実際の所、今の今まで確かに居た訳だが。
「いえ、客観的に見れば怪しいと思われても仕方ないような状況だったみたいですし」
「そう言って頂けると幸いです。それでは失礼します」
最敬礼をして、回収課一行は玄関の扉を閉めた。
「……ふぅ」
結局彼女がしたことと言えば、玄関先で呪文のような先の言葉を唱えただけだった。
どのような方法で確認するのか、もしあかりちゃんがいた痕跡に気づかれてしまったらどうしようかと思っていたが、一先ずそこは大丈夫だったことに安堵のため息が出る。
いや、ほっとしている場合ではない。
「あかりちゃんを探しに行かないと」
あかりちゃんがさっきの会話のどこを聞き、どう判断してさよならと言ったのかは分からない。
だが少なくともそれが本意の言葉で無かった事は、あの表情から明らかだった。
だったら探して、引き止めなければ。
ただ問題があるとすれば、どこに行ったのか見当がつかないという所だろう。
元の所有者から逃げて来たわけだし、頼れるような人がいれば橋の下で雨露をしのぐようなことなぞする筈がないから、少なくとも個人宅などの自分では見つけられない場所にいることは無いはずだ。
そうなると公共の場所にいると予想できるが、ここら近辺で公共の場所と言えば図書館、公園、商店街、後はあかりちゃんと一緒に行ったモールもそうか。
小さなベッドタウンといっても思い当たる場所は少なくなく、全てを回る為には相応に時間がかかるだろう。
しかし、当たりがつけられない以上それ以外の選択肢はあるまい。
「片っ端から回ってみるしかない、か」
近辺の地理を頭の中に思い浮かべながら手早くコートに袖を通し、ドアの取っ手に手をかけた。
「くそっ、ここにもいないか」
数時間後、携帯の地図アプリで調べて初めてその存在を知った、外れの方にある公園を捜索し終えて額の汗をぬぐう。
居ないだろうとは思いながらも公園に生えている灌木の裏から、モール内の件のトイレまで確認し、これであかりちゃんが居そうな場所はこれで探しつくしてしまった訳だが、結局彼女は何処にもいなかった。
もしかして街の外までいってしまったのだろうか?
もうこれ以上思いつくような場所は――いやそういえば、まだ出会った橋の下は探していなかった。
「頼む、いてくれよ……」
ここに居なかったらいよいよ町の外に行ってしまった可能性が高く、そうなれば捜索難易度は跳ね上がってしまう。
祈るような気持ちで自転車へまたがり、ペダルを踏みこんだ。
橋のそばで自転車を止めて、川原へ続く階段を駆け下りる。
「あかりちゃん! いないのか……?」
あかりちゃんと初めて会った橋の下付近を見渡すが、そこにあかりちゃんの姿は無かった。
ダメもとで呼びかける声にも答えは無く、ただ落胆混じりに橋の下で反響するばかり。
……やはり本当に街の外へ行ってしまったのだろうか。
一応幸いにして、この街は駅の終点を中心としたベッドタウンとして開発されたという経緯から、この街から出るルートは限られている。
更に言えば徒歩で移動しようとした場合現実的に隣町まででたどり着けるルートは、いつも使っている路線沿いに歩くルートを含めて三つほどだろうか。
しかしそうは言っても、あかりちゃんがそのルートを使ったとは限らないし、仮に使っていたとしても隣街はこの街よりもかなり広い。その中からあかりちゃんを探し出すのはかなり難しいだろう。
「……それでも、ここでただ途方に暮れているよか探しに行った方がずっとマシ、か」
土手を駆け上がって再び自転車を走らせること十分ほど、何時もの駅とマキさんのコンビニが見えてくる。
そうだ、もしあかりちゃんがここの道を通ったなら、もしかしたらマキさんが見ていたのではないだろうか。
思いつくが早いか、自転車の速度を緩めてコンビニの駐車場へと滑り込んでドアを開け放つ。
「いらっし「マキさん! あかりちゃんがここを通らなかったか⁉」ゃい……」
モップで床の水を掃いていたらしいマキさんは、突然の事にいつもの彼女らしからぬぽかんとした表情を浮かべている。
……しまった、流石にいくら何でもこれは焦りすぎた。
「すまんマキさん、いきなり大声出して」
「あー、うん。大丈夫。でも今日はお客さんがいなかったからいいけど、今度からは気をつけてよ?」
言われてみればそうだ。本当にあかりちゃんの行方に関してで頭がいっぱいで、全然頭が回ってなかった。
「……本当にすまん」
「大丈夫大丈夫、結果論になっちゃうけどボクしかいなかったんだし、そんなに神妙に謝んなくてもいいよ。……それよりあかりちゃんがここを通ったかって訊いたように聞こえたんだけどどういう事?」
「ああそれが――
手早く今朝からの出来事を手早くマキさんに説明し、改めてコンビニの前を通ってあかりちゃんが隣町に行ってないか尋ねる。
「わかった、ちょっと待って。店先の監視カメラ映像を確認してみるよ」
マキさんは真剣な表情で頷くと、モップをカウンターに立てかけレジ横のコンピューターに手をのせて目を瞑る。
そして微動だにせずそのまま暫く難しい顔を続けた後で、口を開いた。
「うーん……今日一日分見てみたけど、ここの前を通ってはいないみたいだね」
「え? 今ので今日一日分の映像を確認し終わったのか?」
「うん。負担があるからあんまり好きじゃないけど、今回は急ぎだったから非接触データリンクで直接映像を飛ばして、千倍速で確認したからね」
そんな事も出来たのかと少々驚かされるが、それより大事なのはここをあかりちゃんが通っていないという事だ。
街にもいない、ここも通っていない。という事は他のルートを移動しているという事か? それだとあかりちゃんが家を出てから大分時間が経過しているし、探すにしても同じルートを偶然選べれば追いつけるかもしれないが、もし違うルートを探してしまうといよいよ完全にどこへ行ったか分からなくなってしまう。
(手をこまねいているよりも可能性にかけて動いた方がいいか? だけど……)
「そういえばさ、あかりちゃんと出会ったのっていつ?」
葛藤していると、不意にマキさんがそんな事を訊いてきた。
「え? あー……四日前だけど」
すると再びマキさんパソコンに手をのっけたまま目を閉じる。
「…………居た」
「居たってあかりちゃんか? でもさっきは今日通ってないって」
「うん、今日じゃなくて五日前。あかりちゃんがこの街に来るのに、ここの前を通って来たって事だよ」
「いやでもそんな事が分かった所で――いや、という事はあかりちゃんがこのルート以外にこの街から出る道を知らない可能性が高いって事か?」
マキさんは頷く。
「そういう事。それに例え他の道を知ってたとしても、そんな余裕のない状態で街を出ようとしているなら馴染みのある道を選ぶ筈。だから、あかりちゃんはまだこの街にいる可能性が高いんじゃないかな」
「だけど思い当たるところは一通り探したと思うんだが……」
「ちゃんと自分の目で確認したかい? 話を聞くに、君に迷惑をかけないようにって自分から飛び出していったみたいだから、呼びかけても自分から出てきたりはしないと思うよ」
「もちろんちゃんと確認して――」
いや、そういえば橋の下だけはぱっと見で確認して居なかったから、気落ちして一度呼び掛けただけで、隅々まで探しはしていなかった。
「……橋の下にいるかもしれないからもう一回探してくる。ありがとうマキさん!」
踵を返し、扉を開けた所で背後からマキさんの声がかかる。
「焦りすぎて事故らないでよ? 一応こっちでも前をあかりちゃんが通らないか注意しておくから」
「助かる!」
この一件が終わったら、改めて何かマキさんにお礼をしなければならないだろう。
その為にもあかりちゃんを見つけなくては。
「頼むから居てくれよ……!!」
願うように、祈る様に。気づけばそう独り言ちていた。