「はぁ、はぁ……よっ!」
息を切らせながら橋にたどり着くや否や、自転車を飛び降りた。
スタンドを出す暇も惜しい、自転車を道路わきに転がしてうっすら雪の積もった土手を滑り降りる。
相変わらず橋の下は無人だが、あかりちゃんが隠れているかもと思って再びこうして見てみると、先ほどは気づかなかったが橋桁と土手の間に屈めば入れそうな隙間があるのに気づいた。
半ば確信めいたものを抱いて、屈んでそこをのぞき込むと
「……えへ、見つかっちゃいました」
橋脚の裏側へ隠れるように体育座りをしていたあかりちゃんは、悪戯が見つかった子供のような笑顔を浮かべた。
「はぁ……居るなら呼んだときに返事してくれよな、ほら」
漸く見つかったという安堵のため息をついて、あかりちゃんを引き起こすために彼女へと手を伸ばす。
だがあかりちゃんは寂しそうに首を横へ振るだけで、その手を取ろうとはしなかった。
「……行けません」
「どうしてさ? もしかして、俺の所には戻りたくないとか?」
「そんなことありません! ……私がおにいさんの事嫌いになるわけ無いじゃないですか」
「じゃあどうしてさ? こんな所に居ても寒いわお腹がすくわでいいことないだろ」
あかりちゃんは、体育座りしていた手をギュっときつく締めた。
「……だって、おにいさんの所に行ったら迷わくがかかっちゃうじゃないですか」
「別にあかりちゃんからかけられる迷惑なんか迷惑じゃないさ」
「おにいさんはおき楽すぎます!」
あかりちゃんは本気で怒っていた。
「警さつ呼ばれるって言ってたじゃないですか。もしそれでつかまっちゃったら一生そのけい歴が付いて回るんですよッ!! おにいさんの人生がメチャクチャになっていいんですか⁉」
「…………そうだな、それは確かに困る」
「だったら――!!」
「でもあかりちゃんが、自分の為に本気で怒ってくれる大好きな女の子が隣にいない人生の方がもっと困る」
「~~っ!」
あかりちゃんは何か言おうとしたのか口を開いたが、言葉は出てこずそのまま膝に顔を埋める。
「だったら……だったら私の事はわすれてください。たった五日間しかいっ緒に居なかったんですから」
「そりゃ無理だ、割と衝撃的な出会いの仕方だったから忘れようがないな」
「……それでも、忘れてください。あたまぶつけてでも忘れてください」
「残念ながら男の恋愛は別名保存で、初彼女は生涯忘れられないらしいぞ。それに、例え記憶喪失なってもあかりちゃんの事は忘れんからな」
「じゃあ、おにいさんのことなんか嫌いです、たった今大っきら……いになんかなれるわけないじゃないですか……」
あかりちゃんはスカートを握りしめて嗚咽を漏らす。
「……はなれたく、ないよぅ……」
ぽたぽたと小さな染みがスカートに降り注いだ。
そんなあかりちゃんの背中にそっと手を回して抱きしめる。ずっと外にいたにも関わらず、あかりちゃんの体は暖かい。
「離れなくていいんだよ。あかりちゃんを捕まえに来た奴らは何とかするから、ずっと隣に居てくれ」
……いや、温かいというより熱い?
「むりなんです」
あかりちゃんは涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。
その頬は暗がりの中でも分かる程度には赤く、目は何処かとろんと焦点があっていない。
それに思い返してみれば、先ほどから所々言葉もぎこちなかった。
「かくしててごめんなさい。私、こわれてたみたいなんです」
「壊れてるって……」
何だそれ……今までそんな様子微塵も無かったじゃないか。
「あ。いち応言っておくと、おにいさんのせいとかじゃないから、そこは安しんしてください。多分マスターから逃げたときに壊れたんだとおもいます。……それとも、もしかしてさい初からこわれてたのかな?」
痛々しいほどに無理をした笑顔を浮かべて、あかりちゃんはえへへと笑った。
「初めはず痛だけだったんですけど、だんだん悪くなって。……もう、おにいさんの顔ももざいくがかかったみたいにしかみえないんです」
「……何とか、ならないのかよ」
「何ども自己チェックをかけましたけど、こんなじょう態でも異常なし、なんですよね。……もしかしたら、AHSしゃなら直せるかもしれませんけど」
「……っ!! それは……」
頭を殴られたような衝撃を受ける。
それは、今まであかりちゃんの為と思って回収課から遠ざけてきたが、それは間違いだったのだろうかという後悔だった。
「そんな顔しないでください。朝、おにいさんが私をかばってくれたとき、とてもうれしかったですよ?」
だが、まるで心を読んだみたいにあかりちゃんはそんな事を言う。
「あくまで直せる『かも』ってだけですし、それになおってしまったらきっとマスターのもとに戻されてしまいます。あそこに戻るのは……絶たいに、いやです」
すこし苦しそうな呼吸を整えて、あかりちゃんは続ける。
「だから、どちらにしろおにいさんとこれ以上いっ緒に居る事はできません。だったら、せめて迷わくはかけたくないんです」
そして弱弱しい手つきで胸板を押し、腕を解いて自分から遠ざけようとする。
「だから、わたしのことはみなかったことにして、はやくかえってください」
「…………」
その言葉を無視して、あかりちゃんをより強く抱きしめる。
「はなしてください、おにいさん。……おにいさん?」
「……あかり、俺は君の事が好きだ」
あかりちゃんはその言葉を聞きたくないとばかりに抵抗する力を強めた。
「君に告白する前に、匿っていることのリスクも聞いた。そして一度は止められもした。中途半端に匿うくらいなら引き渡した方がいいって」
「だったら……」
「でも!! それでもあかりと一緒に居たかったんだ!! 君の事がどうしようもないくらいに大好きで、どうしようもないくらい一緒に居たいんだ!!!!」
「~~っ! 嫌だ!! やめてっ! これ以上聞きたくないっ!!」
あかりちゃんは涙をぼろぼろと零しながらイヤイヤと首を振る。
「どうせおにいさんとは一緒にいられないんです! だから、だから諦めさせてくださいよぅ……。 離れたく、なくなっちゃうじゃないですか……」
「それで、いいんだよ」
抱きしめたまま、あかりちゃんの頭を優しく撫でる。
「悪いけど、あかりが壊れてしまうのを何とかすることは出来ない……。だけど、それならせめて最後まで君と一緒に居たいんだ」
「でも、そうしたらおにいさんがつかまってしまうかもしれないんですよ」
「それでもいい。今あかりと一緒に居られるなら、後でその代償を払うことになってもいい。……だから、一緒に居てくれないか」
あかりちゃんはとうとう抵抗をやめて、体重を預けてきた。
「いいんですか、ほん当に? 本当に、おにいさんと一緒にいても」
「あぁ」
「ひぐっ……それなら、最ごまで隣にいてくれませんか?」
あかりちゃんが背中に手を回してくる。
答えなんて考えるまでも無い。
「勿論」
「……寝たか」
暫く背中をさすってやっていると、あかりちゃんは疲れていたのか眠ってしまった。
それも当然だろう、なにせ朝から体調が悪い中こんな寒い所にずっと座っていたんだから。
現にその寝息は何処か苦しそうだ。
少し考えて、起こしてしまうかもしれないが、やはり家に連れて帰って布団に寝かせることに決めた。
「やっと見つけましたよ!!」
と、あかりちゃんを抱きかかえようとした所で、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「……ああ、やっぱりあんたか」
振り返ると立っていたのは、案の定AHS回収課のゆかりという女だった。
何故か何時ものパンツスーツではなく、ズボンだけダボっとした赤いジャージを着ているのが気がかりだが、彼女の要件は結局一つだろう。
少し待っててな、と眠っているあかりちゃんに声をかけて橋脚へ寄りかからせ、こちらへ近づいてくる回収課から守る様にその前へ立つ。
「頼む、彼女の事を見なかった事にはしてくれないか?」
自分でも驚きそうになるくらいの低い声に、女はビクッとして足を止めた。
しかし、向こうも仕事だからか再び少しずつこちらへと近づき始める。
「そ、そういう訳にはいきません。あなたこそそこをどいてください」
「断る、彼女には最後まで一緒に居て欲しいと頼まれたからな」
半身になって、回収課にあかりちゃんの様子が見えるようにしてやる。
「見ての通りの状態だ、どうやらあまり長く無いらしい」
「――っ!」
流石の回収課も、調子の悪そうなあかりちゃんを見て息をのんだ。
「……なぁ、どうか少しの間だけ見なかったことにしてくれないか? 意思があるのに道具扱いされそうになって、それから逃げれたと思ったらもう残された時間が幾許もないんだぜ、この子。少しでもあんたに情けがあるんなら、最後くらい思うとおりにさせてやってくれないか? …………頼む!」
おろおろする回収課に向かって、地面に着くかと思うくらいに深く頭を下げる。
「そ、そんなこと言われても……」
「勿論そっちに損害が出ることは理解してる。だからタダでなんて都合のいいことは言わない、何年かかるか分からないが、必ずその分のお金は払う。 だから……この通り、お願いします」
「~~っ! そうじゃなくてっ!! あー、もう! 管理者コードES-01はち……」
だが、回収課が口にし始めた言葉。それは先ほど玄関で聞いたあの、恐らくはあかりちゃんに行動を強制させる文字列だった。
もしかしたら少しくらい分かってくれるかもしれない、そんな甘いことを考えてしまった心が急速に冷えていく。
「そうか、それが――答えかぁッ!!!!」
吼えて、回収課へと体当たりをぶつける。
「……T――ぎゅっ⁉」
変な悲鳴を上げて倒れた回収課にそのまま馬乗りになって、これ以上文字列を言えないように左手で口を押さえつけた。
「なぁ、あんたが仕事熱心だって事は分かったよ、十っっ分に分かったよ。……だからこっからするのはお願いじゃなくて、命令で、脅迫だ。これ以上あの子に関わるな。さっきのよくわからん命令みたいなのも二度と使うな。俺は今人生で初めて本気で人を殴ってもいいと思ってる」
回収課に見せつけるように右手をゆっくりと握りしめると、あまりに力が入っていた為かそれだけで関節が低い唸り声のようにビキビキと音を上げた。
それを見た回収課の顔から色が失われていく。
「……って訳でもう一度訊くぞ、あかりを放って置いてくれるよな?」
だが、回収課はむぐむぐと音を上げるだけで、否定も肯定もしない。
ああ、そうか。口を押さえつけてるから、言葉での返事も首肯も出来ないのか。
返事を聞くために、手を口から離してやる。
「もがっ! はぁ、はぁ…………緊急停s――ふごっ!!」
即座に再び不穏な事を言おうとした回収課の口を塞ぐ。
「……ふ、ははははははは!! 凄ぇ……凄ぇよあんた。殺されそうになってもまだ、仕事を遂行しようってその態度だけは感心するよ、見習いたくもないけど」
気狂いのように、感情の凍りついた音だけの笑いを上げて、一言一言を殴りつけるようにぶつけた。
……ああ、それとも。
「まさか本気でそんな事しないだろうって思ってる?」
回収課の口を押えている左手にかける力を、万力のようにギリギリと上げていく。
他人を害することの忌避感など、とっくに覚悟で塗りつぶした。
「別に後で捕まろうが、前科者になろうがどうだって構わないんだよ、俺は。今……今、少しでもあかりとの時間を手に入れられるんならな」
回収課の瞳孔が恐怖で縮み、じわりと涙が浮かぶ。体は小刻みに震えていた。
…………いや、駄目だ。
ここで手加減して、さっきみたいにあかりちゃんに何かしようとしたらどうする?
可能な限り何も考えないようにして、右こぶしを振り上げた。
「まぁ、最初の一発目から本気で殴りはしねぇよ、あんたも一応女なんだろ? 顔に傷の一つでもつけば、考えが変わるんじゃねぇかな?」
ぎゅっ、と回収課の女は目を瞑る。
――――っ。
そう、一瞬拳を振り下ろすのを躊躇してしまった時だった。
「ぐほぁっ!」
突然横から飛んできた衝撃に対応できず、回収課の上から跳ね飛ばされて地面を転がる。
「――そんな事してッ! あかりちゃんが喜ぶわけないでしょ⁉」
聞き慣れた、だがこんな鬼気迫る声は聞いたことが無い声の主を、体を起こして睨みつける。
「……何してくれてんだよマキさん?」
マキさんは走って来たのか、肩で呼吸をしながら回収課を引っ張り起こしていた。
「けほっ!! あ、ありがとうございます……マキさん」
「お礼はいいから! 時間が無いんでしょ⁉」
あかりちゃんの元へよろめきながらも向かう回収課との間に、マキさんは立ちはだかる。
「……マキさん、何でそいつに手を貸してるんだよ? 自分が何やってんのか分かってるのかッ――⁉」
いざというときは自分が匿うつもりだといっていたマキさんが、回収課を助けている。
眼前の事実がしばし信じられず思考停止していたが、ようやく理解が追いつき一気に怒りが突沸する。
「ちょっと落ち着いて! ゆかりちゃんは別に――
マキさんにゆかりちゃん……二人が親し気に呼び合う仲であると理解した瞬間、既に体は動き初めていた。
「問答無用ッ!!!!」
地面を蹴り飛ばし、回収課を止めるためにマキを突き飛ばさんと、右手を伸ばす。
「~~っ!! ごめんっ!」
何故彼女が謝ったのか、その疑問への答えはすぐ明らかになった。
体に手が触れるか触れないかの刹那、手首を掴まれ彼女がコマのように回転し始める。
まずいと思うものの対応するには既に遅く、腕を引かれるままに体勢を崩して地面を引きずられ、抵抗する間もなく腕の関節を極められた。
「離せっ! マキィぃっ!!」
「ちょ、ちょっと落ちついて! あんまり暴れると関節を痛めるよ⁉」
回収課を止める為なら、そんな事などどうでもいい。
拘束を解くために無理やりに悲鳴を上げる肘関節を捻ると、ゴキンという嫌な音が骨を震わせ、激痛と共に前腕が関節から自由になった。
「えっ⁉」
まさかそこまでしないだろうと思っていたのか、腕を押さえていた力が緩む。
当然その隙を逃す義理はない。
彼女の体を跳ね飛ばし、ゴロゴロと転がって態勢を立て直す。
だが左手を押さえて立ち上がった時視界に映ったのは、残酷にも今まさに回収課が苦しそうに身もだえるあかりちゃんに、手を伸ばしている光景だった。
「――――!!!!」
やめてくれと、そう叫びたいのに絶望で狭窄した喉からは音が出ない。
静止を求めて伸ばした手は、はるか向こうの回収課に届くはずもなく、ただ虚しく空を切る。
そんな中、回収課の淡々とした声が橋の下に反響した。
「緊急停止コード解除を個体AR-2901224-CCに要請。続いて命令ストリーム内の全プロセスを削除。登録マスターデータ抹消、最後に全パッチをアンロード」
彼女が言い終わると同時、あかりちゃんの苦しそうな喘ぎ声が穏やかなものへと変わる。
「ま、間に合ったぁ~」
その様子を見て回収課の女性はへなへなと地面に腰を抜かし、マキさんも天を仰ぎ見るように安堵のため息をついた。
「……え? は?」
何か知っているような二人に対し、自分一人だけ何が起こったのか分からず、ひたすら間抜けな声が口から洩れる。
それに気づいたマキさんが口を開いた。
「だからちょっと落ち着いてって言ったのに……。実はね――」