「ただいま」
靴を脱いで、廊下の電灯を点ける。
暖房を入れていない部屋の中は寒かったが、それでも風が無い分外よりはるかにましであった。
それが自転車を走らせてきた後ならばなおさらだろう。
一応、あの後は彼女と二人乗りして帰ったため、土手を走った時のように飛ばしはしなかったのだが、それでもやっぱり風は寒かった。
そしてそれはあかりちゃんも同じようで、頬がチークを入れたように赤くなっている。
……と言うか、あかりちゃんは何故か扉の外で固まっていて部屋に入ってこようとしない。どうしたのかと、ドアの外で神妙な顔をしている彼女に声をかける。
「どうかした?」
「い、いえ! おじゃまします」
おっかなびっくりと言った感じで彼女は玄関にぴょこんと入り、いそいそと靴を脱ぎ始める。どうやら緊張していたらしい。
『そんなに緊張しなくてもいいだろうに』とも思ったが、彼女になって考えて見ればほとんど知らない男の家に上がる訳で、そう考えると緊張しない方がおかしいのかもしれない。
と、靴を脱いで廊下のフローリングを踏んだあかりちゃんが『あっ』と声を上げた。
「あの、服があんまり奇麗じゃないんですけど、このまま上がって大丈夫でしたか?」
改めて明るい室内で見ると、確かに彼女の服は所々に汚れが目立っている。
フローリング位ならいいが、自室である和室の畳の上はちょっとご遠慮願いたい。
「あー、そうだな。先にお風呂に入った方がいいかもね、扉は左手前の所だから入ってきなよ」
「わ、ありがとうございます!」
お風呂に入れる喜びの方が緊張に勝ったのか、先ほどとは一転して彼女は軽い足取りでお風呂場に入っていった。
「服はそこの洗濯機に入れといて、後で俺が入った後に回すから」
「はーい」
いつもは帰って来ると物寂しい感じがするこの部屋も、あかりちゃんがいて会話が生まれるからか、今日は少し明るくなった気がする。
とはいえほっこりしているわけにもいかない、さっさと部屋を片付けなければ。
我が家の『そういうモノ』たちはおおよそ電子媒体だが、数冊ながら紙媒体の小説やウ=ス異本が無いわけではない。
それに、なぜかは言明しないがごみ箱の袋も変えておいた方がいいだろう、自分の匂いは分からないという話だし。
というか今にして思えば、本当に何も考えずにあかりちゃんを部屋に入れたものだ。もしかしたら自分も存外緊張していたのかもしれない。
そんな事を考えながら、左奥のふすまを開けて自室である和室へと入る。
一応言っておくとここの部屋は、元々借り手の少なくなったアパートの二部屋を無理やり一つにした部屋らしく、玄関入ってすぐのまっすぐな廊下を挟んで、左手奥から和室と風呂が、右手側にダイニングキッチンとトイレが対称に並んでいる。
まあ実際の所一人で住むには広すぎるために、ダイニングキッチンは只の広いキッチンと化しているし、改装の甲斐もなく住人がそれほど入った様子もないのだったが。
幸いにも部屋は大して散らかっておらず、片づけはさしたる時間もかからず終了した。
後はあかりちゃんが風呂から上がるのを待つかと、部屋の中央に置いてある四角いちゃぶ台に弁当の入った袋を置きなおし、布団の上に腰を下ろしたところでふと気づく。
「そういえば、あかりちゃんの動力って何なんだ……?」
ふと、どこからか電源プラグを生やして体育座りで充電を待っているあかりちゃんを想像したが、さすがにそれはシュールすぎる。
考えてみれば、その場の勢いで家に来なよと言ったものの、彼女については未だに何も知らないし、普段話をするマキさんにしても、そこまで詳しく知っているわけではないのだった。
あかりちゃんがお風呂から出てくるまで、すこし彼女について調べてみようと思いたち、部屋の隅にあるデスクトップを立ち上げて椅子に座る。
「ボイスロイド、アカリ、スペック……と」
検索の一番上にAHS社の公式ページが表示される。
ページを開くと、そこにはあかりちゃんと顔から髪から服から、全く同じ姿の写真が載っていた。写真の下の方には、『当社人気のユカリモデルをベースとして、より家庭的な雰囲気を持たせた準新型ボイスロイドです』などと宣伝文句が書かれている。
と言うことは、今隣でお風呂に入ってるあかりちゃんとうり二つの存在がたくさんいるのか、とも思ったがどうやらベース骨格は変えられずとも髪色、多少の顔造形……後は胸部の大きさまで、用途や場所に合わせて調整が効くらしい。
確かにあの白絹のような髪は奇麗だけれど目立ちすぎる。受付とかには不向きかもしれない。
ページを下にスクロールすると、黒いショートでちょっとお姉さんっぽくしたアカリ型が、幼稚園児らしき子供と触れ合っている写真や、どこかのカフェらしき場所で、エプロンをして接客している写真が続く。
それらの写真にも同じように宣伝文のようなものがついていたが、肝心のスペックは出てこない。
そのまま幾枚かの写真を流し見している内に、ページは一番下まで来てしまったようだった。
「あれ?」
スペックなどが一切載っていない。
見落としたかな、と今度はゆっくり見直しながら上の方まで上げていくが、やっぱりそれらしい記述は見当たらない。
最上部のリンク集にも特にここ以外アカリに関するページは無いし――とそこで、一番端に『ご購入について』と書かれたリンクがある事に気づく。
クリックすると、資料請求用に住所や名前を入力するフォームが開かれた。
今請求したところで来るのは数日してからだろうし、そもそも一学生が請求したところで貰えるのだろうか、悪戯だと思われて無視されるかもしれない、などと考えると請求する気にはならない。
その後、ブラウザバックしていくつかのページを見たが、大して彼女について分かるようなページはなさそうだった。
何も分からずじまいか、とパソコンの電源を落とす。
……否、ひとつだけ分かったことがある。
恐らくだが、資料を請求しないと色々分からないことから、あかりちゃんはめちゃくちゃ高い。
そもそも公式のページからして、個人向けと言うより企業や経営者向けに作られているようだった。
とはいえそれも当然か、確かにヒューマノイドは社会に浸透したが、それはまだあくまで企業などを中心に、である。
昔のSFみたく、個人に対して一人とか、一家に一人、みたいな風に車感覚で持っているわけではないのだ。
更にはボイスロイドと言えばその中でもブランド物である。安いわけが無かった。
もしかしたら、頻繁にマキさんと会っているせいで、そこら辺の感覚が少しずれていたのかもしれない。
何にせよ、あかりちゃんに色々聞かなくてはならないだろう。
尤も、値段の事は聞いてもどうしようもないし、何だか人身売買のようで気持ちがいいものでもないので聞かないようにするけれど。
と、背後で襖が開く音がして、あかりちゃんがお風呂から上がったのかと後ろへと椅子を回転させる。
「ぶほぉ!!」
――回転させて、危うく椅子ごとひっくり返りそうになる。
目の前にはあかりちゃんが立っている。いやそれはいいのだ、驚くことではない。
問題は彼女の格好で、確か脱衣所に干してあった青いシャツを着て立っていた。
……より正確に表現するならば、青いシャツ『だけ』を着て立っている。
「き、着たらまずいやつでしたか?」
こちらの反応にびくっとしたあかりちゃんは、小動物のように両腕を胸の前にあげた。長すぎる袖が彼女の手を覆い、俗にいう萌え袖状態になっている。
「いやいやいやいや、そんなことは無い、そんなことは無いんだが……」
そう別に彼女がそれを着てはいけないわけではない。ただ、その結果としてもたらされる視覚的刺激がまずいだけだ。
可能な限り彼女の顔だけを見ようと心掛けるが、人間の視覚は左右に百八十度、上下に百三十度。
どんなに頑張っても、薄布一枚というあってないような装甲にしか守られていない、彼女の肢体が目に入る訳で。
先ほどまでオレンジのタイツに守られていた白い足が、今は無防備にシャツからはみ出て上気したふとももをさらしていたりだとか、パーカーのせいで分かり辛かったけれど、豊かな胸がシャツを押し上げているせいで、お腹のあたりに素敵空間が生まれていたり――――って違う!!
一度モニターの方へ向き直り、呼吸を整える。
真っ黒なディスプレイに浮かぶ緩んだ自分の顔を見ていると、先ほどまで上がっていた心拍数が急速に下がっていくような気がした。
比較的、ましな顔を作ってから改めて振り返る。
「あー、着るのはいいんだけどそれで――」
いいの? と聞こうとしてそれ以外に選択肢が無いことに気づく。
自分が持っている服と言えば、シャツとTシャツとジーンズ。あとは薄手のカーディガンだとかコートだとかの、今のあかりちゃんに着せたらよりやばそうなものと、パジャマ用のジャージ(下のみ)くらいしかない。
ジャージは一見貸せそうだが、ジャージを失った場合こちらは代わりに履くものが無い。
流石にこの状態でパンツしか履いていないのでは、いつ『コンニチハ』してもおかしくないので、絶対に無理である。
結果、長々と考えた後で。
「――それしかないけど、大丈夫?」
あかりちゃんは上気した顔を更にもう一段階赤くして、恥ずかしそうに。
「大丈夫です」
と小さく答えた。
何だか無意味にあかりちゃんを辱めてしまった気がする。羞恥プレイ的な意味で。
「……ごめん、他に着るもの無くて」
「い、いえ!! 無いものは仕方がないですよ。それに、家に上げてもらった上に、お風呂にも入れてもらいましたし!」
そう精いっぱいこちらをフォローしてくれるあかりちゃんの善意が痛い。
これ以上は出来るだけ彼女の格好に意識を向けないようにしようと固く決意を固めて、あかりちゃんが来るまで何を考えていたんだったかと考えを巡らせる。
そして色々聞かないといけないんだった事を思い出し、さて何から聞いたものか、と落ち着きを取り戻し始めた時の事であった。
きゅる~。
可愛らしい音が鳴ったと同時、あかりちゃんが自分のお腹を押さえた。
きゅるる~。
また可愛らしい音が鳴る。強く抑えているのか、お腹当たりのシャツの皺が深くなる。
きゅるるる~。
「……もしかして、お腹減ってる?」
「!! い、いやそんなことは――」
きゅるるるる~
「…………」
彼女が答える前に、お腹の方が答えていた。恥ずかしそうにうつむくあかりちゃんの顔は、今日一番の赤さになっている。
……何はともあれ、最初に彼女に聞くことはこれで決まった。
「あかりちゃん、ご飯は何にしたらいいかな?」
彼女はその言葉に、はっと顔を上げてぷるぷる首を振るが。
くきゅるるるる~~。
「はぅっ!!」
必死で押さえているが、どうあがいてもお腹がすいていることは誤魔化せそうにない。無益な、だが可愛らしい抵抗をしている彼女を見ていると、Sではない筈なのに嗜虐心が湧いてきた。
ちゃぶ台の上においた、コンビニの袋へ手を伸ばし、そこから弁当を取り出してみる。
あかりちゃんの眼が案の定弁当にくぎ付けとなったので、そのままゆっくりと彼女の側へ近づけていくと、彼女も少しずつ前かがみになり弁当に近づいてくる。なんだか小動物にエサを手渡ししている気分だ。
そしてとうとう弁当は彼女の手元へたどり着き、あかりちゃんは、はしっ! と効果音が出そうなくらいしっかりと弁当を捕まえた。
「……はっ⁉」
キャッチしてから漸く自分の行動に気づいたあかりちゃんは、弁当とこちらの顔を交互に数度見比べた後、遠慮がちに尋ねた。
「本当に、貰っていいんですか?」
「お腹すいてるんだろ? 食べなよ」
尤も、遠慮がちなのは口調だけで、目はもう我慢ならんとばかりにらんらんと輝き、口の端からは涎が滝のように垂れていて、手に至ってはもう、蓋を止めているテープをはがしにかかっているのだが。
流石にこの状態からお預けするのは……興味が無い訳では無いが、あまりに酷だろう。
許しが出た瞬間あかりちゃんは口を大きく開いて笑み、ぺたんと女の子座りをすると割りばしを親指と人差し指の間に挟んで手を合わせる。
「いっただきまーす!」
そしておかずのお好み焼きを箸先で切り分けてご飯に乗せて口に運ぶと、その一口目をゆっくりと噛みしめ、幸せそうな表情を浮かべた。
「美味~い」
その後はもう猛然たる食べっぷりだった。
もぐもぐと頬がリスのように動く間に箸が一口分を整え、それが口元に運ばれるまでに口内の物は嚥下され、次の一口を待ち受ける。そして、箸が口の中にごはんを運んだ時にはもう次のサイクルが始まっているのだ。
まるでライン方式の解体工場が如き食べっぷりに、あっという間も無く弁当は最後の一口となってしまう。
「あれ? もしかしておにいさんの分……」
と、そこで今さらながら弁当がその一つしかないことに気づいたあかりちゃんが、その一口をこちらに差し出して。
「た、食べます?」
「いや、それだけ貰ってもなぁ……」
「うっ……ですよね…………」
彼女は困ったように肩を落とす。
「気にしなくていいよ、確かパスタ位は残ってたと思うから」
食材はないが、乾燥ニンニクや赤唐辛子といった香辛料は冷蔵庫に入っているはずだ。ペペロンチーノならそれでも作れるだろうし、手間もほとんどかからない。
頭の中でそんな風に考えを巡らせていると、あかりちゃんが最後の一口を食べ終え、じーっとこちらを見ているのに気が付いた。
「パスタ……」
きゅる~。
先ほどより控えめながらお腹が鳴く。勿論あかりちゃんのが、である。
……もしかして、まだ食べたりないのだろうか。
「あー……あかりちゃん、まだお腹すいてたりする?」
こちらの言葉に正気を取り戻したあかりちゃんは、申し訳なさそうにお腹を押さえる。
「ごめんなさい……。実は、三日くらい何も食べて無くて。さっきまでは大丈夫だったんですけど、お部屋に入れてもらって、お風呂にも入らせて貰ったら何だか気が緩んでしまったみたいで……」
「三日⁉」
それは仕方がないかもしれない。
と言うことは、毎日のように通っていたあの橋の下に、三日もいたという事なのだろうか。
だとすれば、さっき自転車でこけていなければ今日もあかりちゃんに気づかなかった可能性もある訳で。
こけてよかった、とまでは思わないが彼女に気づかないよりはずっといいだろう。
兎も角、今はパスタだ。あかりちゃんほどじゃないが、こちらもお腹がすいている。
キッチンへ向かいながら、ゆでるパスタの量を二人前にするか、三人前にするか少し悩むのだった。