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ぷつん、という小さな音と共に起動したニューラルネットワークが、急速に送信、受信、増幅、反応を繰り返し、徐々に目に映っていたものが何であるかの判別がつき始める。
そこは一面赤いカーペットが敷かれ、アンティーク風の調度がおかれた豪奢な感じのする、しかし薄暗い一室であった。
辺りを見渡しても窓一つなく、標準アップデート用の体内時計が無ければ今が夜だという事すら分からなかったに違いない。
随分と陰気なところで起こされたものだ。果たしてこんな場所で起動するなんて自分のマスターは一体どんな人なのかと、隣で手に握ったタブレットと自分の顔とを見比べる、頬のこけた壮年の男性を見上げた。
「あの、マスター……ですよね?」
男は先ほどからこちらをチラチラと見ていた筈だが、その言葉で初めて私を認識したというように一瞥した。
「ん? ああ。そうだな、そういうことになるのか」
気のない返事に、何故だか急に不安が込み上げてくるが、行動規定に従い努めて笑顔を維持して挨拶をする。
「今日よりよろしくお願いします、私はアカ――」
「いや、そういうのはいい。知った上で購入しているのだから」
名前を言い終わる前に、にべもなく手でさえぎられた。
「お前は仕事さえすればそれでいい、余計なことはするな、考えるな。それから、もう少し自然に笑えんのか……いや、所詮機械人形ではこの程度が限界なのか」
「は、はい。……ごめんなさい」
いきなり飛ぶ叱責に、不安が一層募る。それでも、命令にはきちんと従わねばと全ニューラルネットワークを顔面の神経操作に当てて、精いっぱいの笑顔を作った。
「なんだ、出来るじゃないか。それでいいんだよそれで。……で、今から働けるんだろうな」
「――!! はいっ、何をすればいいですか?」
マスターの少し良くなった機嫌を損ねないようにと、にこにことした笑顔を張り付けながら命令を待つ。だがマスターは壁にかかった時計をちらりと確認すると、舌打ちをしてから乱暴に私の手を取って一言「来い」と言っただけだった。
抵抗することも出来ず、毛足の長いカーペットに足を取られそうになりながらも引かれるままについていく。
マスターが扉を開けると同じように窓のない間接照明だけの薄暗い廊下が続いていて、その片側にはまるでホテルのように扉が並んでいた。
扉には二けたの数字が振られていて、何となくだが中に人の気配はするものの、防音がしっかりしている為か不気味なまでに廊下は静寂につつまれている。
ドン!!
突然、自分の横にあるドアが大きな音をたてた。
びくっと体を震わせ立ち止まりそうになるが、微塵も気にしていないマスターに引っ張られて再び歩を進める。
「マスター、今のは……?」
「余計な事は訊くなと言ったはずだが? 時間が無いんださっさと来い」
「ご、ごめんなさい……」
不気味な廊下に怖いマスター。今や不安は最高潮に達していた。
本来ならマスターに対して怖いと思うなど許されないのかも知れないが、それでもやっぱり怖いと思わずにはいられない。
まるで自分を只の道具のように思っているのを隠しもせず……否、確かに自分は人間ではないのだけれど。
そんな生産性の無いことを考えているとマスターが突然立ち止まり、ぶつからないように慌てて自分も立ち止まる。
目の前には『08』とイタリック体で書かれたプレートのついた扉がそびえていた。
「お客様、失礼します」
自分に向けられた厳しい声とは全く違う、媚を売るような声。
扉を三度ノックしたマスターは鍵で扉を開くと、そんな声で扉の中に向かって呼び掛けた。
お客様と呼びかけたということは、自分の仕事は接客みたいなものなのだろうか。
だが、ホテルでわざわざお客の部屋に出向くなどと言うことがあるのだろうか。そう考えていると、扉の中から答える声が聞こえてきた。
「ああ~、待ちくたびれたよぉ」
粘着質ないやらしさを隠す気の無い声に、全身の毛穴が粟立つような感覚に陥る。
不安に耐えきれずマスターの顔を見上げるが、マスターは私など眼中には無いように、部屋の中の『お客様』に向かって嫌ににやにやとした愛想笑いを浮かべるだけであった。
「お待たせして申し訳ありません。ですが、彼女は今しがた起動したばかりの娘で」
「ほう、新しく入ったとは聞いたがまさか初めてを頂けるとはねぇ!!」
何の話をしているんだろう? と考える間もなく引きずり込まれるようにして、マスターに部屋の中へと入れられる。
果たしてそこにいたのは、ベッドの中ほどに腰かけて煙草の煙を燻らせる恰幅のいいおじさんであった。
いや、それだけなら何てことは無い。
だが、彼は辛うじて股を隠すタオル以外何も身に着けていない真っ裸の姿なのだ。
「な、何で服着て無いんですか!!」
慌てて彼から目を背ける。だが、それを何とも思っていないのか『お客様』は実に面白いものでも見たというように笑った。
「はっは!! まるで、本当に生娘のような反応じゃないかぁ!!」
不安は今や恐怖に変わり、すがるようにマスターと目を合わせようとして
「気にいられましたようで幸いです。では、ごゆっくりお楽しみください。……お客さんの命令を聞くんだぞ」
なんの情けも容赦も無く、扉が閉められた。
煙草の煙の充満する薄暗い部屋に裸の男と二人、恐怖で抜けそうな腰に力を入れてなんとか立ち続ける。
「何をぼけっと突っ立ってるんだ。早くこっちにおいで」
見れば『お客様』が、そこに座れという事だろうか腰かけているベッドを叩いていた。
「あ、あのっ!! 私何も教えられてなくて……」
後ずさろうとして、後ずされなくてドアにぶつかりながらも声を喉から絞り出す。
『お客様』はそれを聞くと「おや」と呟いて、ナイトテーブルに置いてあったクリスタルの灰皿に吸っていた煙草を押し付けた。
「無知な演技かと思っていたが、どうやら本当に無知なのか」
「は、はい!! 私本当に何もっ……?!」
突然『お客様』が立ち上がり、股にかけていただけのタオルが落ちて局部が露になる。
前へ出っ張った腹の下にでろん、と力なくぶら下がる『それ』に驚いてしまい言葉に詰まってしまう。
が、男はそんな事気にした風も無く一歩こちらに踏み出した。
目を瞑ることも手で覆うことも忘れて茫然としていると、男は何に満足してかニタニタと嗤って更に一歩近づいてくる。
「助平な体をしてるのに実に初心だねぇ。大丈夫、おじさんが優しく教えてあげるからねぇ」
そのまま何もすることが出来ないでいるうちに手を掴まれ引っ張られ、ベッドの上に引き倒された。
「あ、あの? 何を、するんですか」
震える声で尋ねると、男は愉快そうに口元を歪めてただ一言。
「セックスだよ」
頭の中が疑問符でいっぱいになる。せっくす? 何を言っているのだろうこの男は……。
「分からないかい? これから君のお大事さんにおじさんのチンポを入れて、奥で精液をいっぱいだして――交尾するんだよ。まあ君は妊娠できないだろうから交尾ごっこだがね」
そう言うと天井の間接照明をさえぎるように覆いかぶさる。
「い、嫌っ!!」
それがマスターの『お客様の言うことに従え』という命令に反している事は分かっていたが、反射的に抵抗してしまった。
脂肪のせいなのかべたべたとする胸板を押し返して距離を少しでも取ろうとするが、男はその抵抗すらも楽しむかのように
「ははは、本当に可愛いねぇ。おじさん、君の事を会社の紹介パンフで見た時からずっとこうしてやりたいと思っていてねぇ。ただ、会社でセクサロイドは買えないし個人で買うには高いだろぉ? だから君とヤれる店を探してたんだよぉ」
男の言葉に目の前が真っ暗になりそうだった。自分がセクサロイド? そんな筈は――と、知識を走査する。
が、どうやら男の言うことは正しいらしい。起動したてなのにもかかわらず、自分の中には標準行動規定群や一般常識と合わせて性技や性知識があるのに気づいてしまった。
つまり、私の『仕事』と言うのは――。
信じたくないと言う気持ちが涙になり、目から溢れてくるのが分かる。
「やだ……やだよぅ……」
流石に、男もこれには平静でいられないようで体をのけ反らせた。
「なッ、何も泣くことは無いだろう!」
怒ったのか驚いたのかは分からないが、語気を強めた男に体がびくんと反応する。
「あーあー……あの店主めぇ、起動したてだとは言ったがまさか真っ新なまま出すことは無いだろうに。……初心な子が淫乱になる変化を楽しみたかったが仕方がないかぁ」
忌々しそうに男はナイトテーブルに手を伸ばして、ペンライトのような銀色の棒をつまみ上げ、その片方を私の左目に近づけた。
「はい、こっち見てねー」
『何を』と思った瞬間赤い閃光が瞳孔を貫き大量の情報が頭に流れ込み始めた所で、今さらながらそれが非接触型のデータ転送ユニットだと気づく。
頭の中を快感と法悦が駆け巡り、ニューラルネットワークが焼ききれたように視界が白く染まった。
「あっ……あ…………」
光はそう長い時を経ず止んだが、その後も現実離れしたフワフワとしたような感覚と体の奥から沸き上がる切ないまでの疼きが残る。
顔を覗き込んだ男の口元が、満足そうに弧を描いた。
「おお、すっかり夢見心地じゃないかぁ。なるほどなるほどぉ、高いがいいものを買ったものだぁ」
そして、胸を乱暴に鷲掴まれる。
「んぁっ……」
その悩ましい声が自分の口から発されたことに遅れて気づき、慌てて手で口を押えた。
「我慢しても無駄だよ、君はさっきので全身の性感帯を開発されたんだから」
男はいやらしい笑みを浮かべて勝ち誇ったように胸へ乗せた手を二、三度揉んだ。
それだけで恐ろしいまでの快楽が背筋を駆ける。
が、それはあまりに不自然な快楽で、口からは嬌声が漏れる一方、同時に血の気が引きそうな気持ち悪さが込み上げて、反射的に足を振り上げた。
「やめてっ!!」
「うぐぉおっ⁉」
ぐにっ、と何かを潰すような感覚を靴先に感じたのと同時、男の顔が苦痛で歪みそのまま力なく横に倒れ込んだ。
標準行動規定が介抱するようにと勧告を送って来るのを無視してベッドから跳ね起き、一直線にドアへ向かう。
その背中から男の怒号が飛んだ。
「糞ッ、いっちょ前に抵抗しやがってこの高級オナホがぁ!!」
違うと叫び返してやりたかったが、そんな声に構っている余裕などなかった。
ドアをあけ放ち、廊下に飛び出て――
がばっと跳ね起きる。
薄暗い常夜灯の中であたりを見渡して、自分の横で寝息を立てているのがあの『お客様』では無くておにいさんである事に、ほっと胸をなでおろした。
荒れた呼吸を整えながら確認する。
そうだ、あの後結局私は逃げたんだ。
途中でマスターに見つかり停止命令を出されたがそれも無視して、ただここにいたくないと、こんなことはしたくないという一心で逃げた。
当てもなく知らない道をさまよい、体力も限界に近づいたところで雨風をしのげる橋の下を見つけ――そして、おにいさんに会ったのだ。
正直おにいさんが土手から転がり落ちてきたときは、人間に関わりたくないという気持ちから介抱することを少しだけ躊躇したが、目の前で意識を失っている人を放って置くことは出来なかった。
結果として、おにいさんが優しい人だったから良かったが――。
否、もしもの事を考えるのは、あそこに戻されることを考えるのはやめよう。
きっと、あの日の事を夢に見たせいで神経質になっているに違いない。
と、少し冷静になってヒューマノイドである自分も、夢を見るんだと改めて気がついた。
「……『初夢』は、もっと幸せなものを見たかったな」
例えば、おにいさんが隣に居てくれるような。
尤も、初夢は年始に初めて見る夢であって、生まれて初めて見る夢ではないのだけれど。
そんなとりとめもないことを考えていると、膣からおにいさんの残滓が溢れてきたことに気が付いた。
本来ならシャワーで洗い流すのが良いのだろうけれど、と自分の手に視線を落とすと、そこにはこちらの手をしっかりと握りしめるおにいさんの手が映る。
私を抱いた後疲れていたのか眠りに落ちたおにいさんは、手を握ったまま寝てしまったのだった。
目をつぶった後の事だったので、きっと無意識な行動なのだろう。
だが振りほどくのも悪い気がして、ティッシュで拭った後私も眠りについたのだ。
……否、どちらかと言えば私が離したくなかったからかもしれない。
それにしても、とお兄さんの手の感触を確かめるように軽く握る。
あそこでの一件で自分はえっちが嫌いなのだと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
目を覚ましたらおにいさんが私のお股の辺りを弄っていた時も、胸を触られた時も舐められた時も、あの嫌な感覚は微塵も無かった。
ただただ気持ちが良くて、そしておにいさんに求められていることが幸福で……だからと言ってちょっと今日は舞い上がりすぎたかもしれない。
自分の行動を思い返し『ちょっと強引だったかもしれない』と頬が熱を帯びるのが分かった。
確かにお礼としてセクサロイドである自分に出来る事はそんなことくらいしかなかったのは事実だが、今や自分の方がおにいさんともっとしたいと、そう思ってしまっているのも事実だ。
結果、おにいさんも気持ちよくなってくれているようで良かったが。
おにいさんの無防備な寝顔を見ているだけで頬が緩みそうになり、胸の奥が温かくなる。
あの時と、今日の違いは何なのだろう。
おにいさんが私の事を人間みたいに扱ってくれたから?
おにいさんが優しかったから?
それとも、私がおにいさんの事を――
「あかり、ちゃん……」
おにいさんに寝言で名前を呼ばれて、思考を中断される。
いつまでもおにいさんに迷惑をかける訳にはいかないし、明日にはちゃんとお礼を言って出ていくことにしなければ。
だけど。
「……今くらいは、いいよね?」
おにいさんの寝言に答えるように手を握り、その胸に顔をうずめて意識を眠気に委ねた。
お兄さんの匂いの中ならば、今度こそいい夢が見れるだろうか、と。