「そういえば、靴の事は完全に忘れてたな……」
玄関に置かれているあかりちゃんの靴を見ると、昨晩は全く気付かなかったが随分と泥だらけで外には履いていけそうも無かった。
朝食後、服が乾き次第あかりちゃんと一緒に必要なものを買いに行こうということになったのだが――
「ちょっとこれだと難しそうだなぁ……」
靴の前でどうしたものかと考え込んでいると背後の洗面所へ続く扉が開き、昨日の服を着たあかりちゃんが出てきた。
「お待たせしました、着替え終わりましたよ」
るんるんと楽しそうにしている彼女に申し訳ない気持ちから、おずおずと指で靴の惨状を示してやる。
「あー、それなんだけどさ……」
あかりちゃんは一瞬疑問符を浮かべたものの、指さす先にあるのがお世辞にも綺麗とは言い難い自分の靴であることに気づくと「あー……」というような顔になる。
「完全に忘れてました……というか、こんなに汚れてるものとは思ってなかったです」
「昨日は夜遅かったし、お互い疲れてたから気づかなかったんだな」
「はい……。折角おにいさんが誘ってくれたのに残念です……」
先ほどまで出かけると聞かされ、ワクワクしていたあかりちゃんのテンションが一気に下がっていく。
銀色が奇麗な二本の三つ編みも、今はなんだか散歩の直前で雨に降られた犬の、たれさがったしっぽみたいだ。
「まあまあ、別にショッピングモールは逃げないんだし必要なものも無くならないんだから、今日は靴を洗ってまた明日行こうか」
「うー、でもせっかくお出かけできるって盛り上がったこの気持ちはどうすればいいんですかー……」
「確かに気持ちも分からなくは無いけどさ、流石にこの靴だと服屋とかから入店拒否を喰らいかねないし、勘弁してくれ」
ふにゅー、と壁に張り付くようにして凹んでいるあかりちゃんはまるで実家のわんこみたいで、ついいつもやっているように頭に手を乗せてわしゃわしゃとしてしまう。
「わわ……!」
「あ、ごめん。つい癖で」
吃驚したあかりちゃんの声で自分が何をやっているか気づいて、慌てて手を引っ込めるが
「あ……」
折角整えた髪を乱されたからか、あかりちゃんは残念そうな声を上げた。
「ほんとすまん、髪からまったりしてないか?」
「……え? ああ! 全然大丈夫です!! 確かにこの靴じゃ今日は無理ですもんね! という訳で靴を洗うために洗面台お借りします!!」
そう言ってそそくさと靴を片手に再び洗面所へと戻っていく。
「……しまったな」
自分の軽率な行動を反省して独り言ちる。
『いきなり頭を撫でるとか彼氏気取りか、自意識過剰も対外にしろよ』と。
とはいえしてしまった行動は変えられない、頬を軽くたたいて気持ちを切り替えて彼女に呼びかける。
「あー、あかりちゃん。洗うんなら洗面台においてるブラシと洗剤勝手に使っていいから」
「あ! はい、分かりました!!」
扉からひょっこりと顔だけ出して答えるあかりちゃんを見送って部屋に戻る。なんとか怒ってはいないようだなと、心の中で安堵のため息をつきながら。
「……さて、これで予定が潰れた訳だけどどうするかな」
何時もなら何となくゲームをしたり動画を見たりして過ごすのだが、今はあかりちゃんがいる。
「流石にあかりちゃんを放置して一人だけで何かしてるのも何だかなぁ……」
そうなると二人で出来る事を――と考え始めた瞬間に、セックスという言葉が浮かぶ。
「……いやいやいやいや、それはない。昼間からそれはない。ありえないから」
そんなことでは覚えたての猿と大差がないではないかと、頭を振ってあんまりにあんまりな考えを追い払う。
そもそも、確かに昨日はそういうことになってしまったけれど、あかりちゃんは居候みたいなもので決してそういう関係ではないのだから、次そういうことになりそうなときは年上としてしっかり断らなければならないのだ。
「あかりちゃんはただの同居人あかりちゃんはただの同居人……」
しばし自分を戒めるために正座をしながら言い聞かせ、それから再び健全な方向でこれからどう過ごすか考える。
とはいえまだあかりちゃんの事をよく知らない訳で、一人で考えてもいい案は思いつかないだろうとゲームでもしながら彼女を待つことにした。
「お風呂場に干していいんですよね? って何してるんですか?」
あかりちゃんがやって来たのは丁度狩りゲーで一区切りがついた所、具体的には一狩り終わって丁度剥ぎ取りを済ませた所だった。
「あー、それでいいよ。あかりちゃんを待ってる間にちょっとゲームをね」
オンラインモードでもないので手早く電源を待機状態にしてコントローラーを置き、視線をモニターからあかりちゃんの方へと向ける。
ゲームをしている間にぼんやりとだが、あかりちゃんの事を知る為にも興味がある事を一緒にできればいいのではないだろうかと考えていたのだ。
「さて、出かけられなくなった以上今から時間がある訳だけど、あかりちゃんは何かやりたいことある?」
「やりたいことですか?」
あかりちゃんは暫く首を捻った後で。
「食事?」
危うくスッ転んでモニターを壊す所だった。
「いやいやいや……それは六時くらいまで待って、ってか食事以外に何かないのか」
「そう言われても…………あ」
再びあかりちゃんは考え込んだ後で、何かに気づいたように顔を赤くして手をもじもじと擦り合わせた。
「あの……そういうことだったら、もっと直接誘ってくれていいんですよ」
「いや違うっ! そうじゃない!! そういう事じゃなくてだなッ……!!」
予想外の不意打ちで上がった心拍数を一つ深呼吸して落ち着ける。
何だろうか、自分では気づかないうちにそんなギラギラと欲望に燃えた瞳をあかりちゃんに向けてたりするのだろうか? ……気をつけよう。
気を取り直して再び尋ねる。
「要は、暇なときに何をして時間を潰すのかって聞きたかったんだけど」
「時間の潰し方ですか?」
あかりちゃんはその言葉に疑問符を浮かべてしばらく唸っていたが、やがてあきらめたようにため息をついた。
「ごめんなさい、思いつかないです」
「そうか。んー、なら――」
好きな事は? と聞こうとして、もしかしてあかりちゃんにはまだそういった物が無いのではないかと気づく。
ここに来るまで何も食べて無かったということは、多分起動後すぐに野良となったのではないだろうか。
そうすると料理の知識はあってもおいしいか分からなかったように、行動の意味などは常識として分かっていても、その中に好きな行動があるかどうかは分からないのだろう。
「興味がある事――っても聞き方が変わっただけで同じだろうしな……」
どうしたものかと考えていると、あかりちゃんが何かを言いたそうにしているのに気づいた。
「そういうことなら、さっきおにいさんがやっていたゲームをやってみたいんですけど」
それから一時間後、あかりちゃんはゲーム内のキャラクターと同じ方向に体を倒しながら、必死にコントローラーを握っていた。
「うわうわ……こっち来ないでこっち来ないでー!!」
プレイしているのは狩りゲーというジャンルを確立した作品の最新シリーズで、今でも不動の人気を獲得している作品だ。
そして現在あかりちゃんの操作するキャラクターは、大型モンスターのチュートリアルを担当している敵に追い回され、体力残り僅かの状態で逃げ回っていた。
この敵、通称『師匠』はそれまでの敵よりも高い攻撃力と体力、そして多彩な攻撃パターンを持ち初心者にとっては恐ろしい強敵となる一方、慣れたプレイヤーからすると予備動作が明確かつダブりが無いため、ノーダメージ撃破も余裕という絶妙なバランスの存在である。
ここまで何とかやってきたあかりちゃんも、まだボタンとアクションの対応も十分ではなくスタミナ管理も出来ていない為、大して攻撃を当てられないままあっという間にボロボロにされていた。
体力はもう赤ゲージ、回復アイテムも半分ほど使い切ってしまっている。
そして今も案の定と言うか予想通りと言うか、モンスターから距離を取ろうと走っている途中、スタミナ切れで立ち止まった所を轢かれて残機が一つ減ってしまった。
「あー、今のは後ろに逃げるんじゃなくて、ちょっと斜めにすれ違う感じで回避を入れた方がよかったかもな」
「うう、分かりました。回避回避……回避ってどのボタンでしたっけ?」
「回避は……R1だね」
そして自分はお願いに答えてあかりちゃんの後ろから色々とアドバイスをしているのだが……これがなかなかに難しい。
途中からとはいえシリーズを追いかけてプレイしているため、操作感やおなじみの対処法と言うのを指の感覚で覚えてしまっていて、改めて説明するにはその状況を思い浮かべたうえで操作を一々指を動かして確認しなくてはいけないのだ。
「すれ違うようにコロン、すれ違うようにコロン……」
開始地点に連れ戻されたあかりちゃんは、先ほど言った事を練習しているのか拠点内をせわしなくころころと転がっている。
多分次は回避しすぎてスタミナ切れだなー、と何となく予想を立てつつ指摘はしない。
狩りゲーは死に覚えゲー。
実際に経験する方が手っ取り早く納得できるし、それにゲームは自分の思うようにやるのが楽しいのだから。
何にせよ、自分が好きなゲームにあかりちゃんもはまってくれているようで嬉しい。
出来れば携帯機版を引っ張り出して一緒にプレイしたいとも思うが、それは基礎ができてからの方がいいだろう。
逸る気持ちを抑えながらその後もちょくちょくと助言を挟み、結局あかりちゃんが最初の壁と言われている『師匠』を単独で撃破するまでゲームを続けたのだった。
「やった! やりましたよおにいさん!!」
「おー、おめでとうあかりちゃん」
ぴょんぴょんと椅子の上で跳ねる彼女の頭を梳かすように撫でて……
(あ、しまった!?)
またやってしまったと慌てて手を引っ込めようとするが、あかりちゃんは目を細めて心地よさそうにえへへと笑っている。
(あれ? 嫌がってる訳じゃない……?)
少し考えたが、嫌がっている訳じゃないならいいかと手を再び動かす。
……そういえば、こんな風に同じ部屋でゲームを誰かと遊んだのはもしかしたら中学生の時以来かもしれない。
懐かしさに引かれるまま、マルチプレイでもしようかと携帯機を取り出そうとして……目に入った窓の外の景色は、既に夕闇の中に沈んでいた。
どうやら気づかないうちに随分と時間が経ってしまっていたようだ。
明るいうちに食材を買いに行こうと思っていたのだが、どうやら時間を潰しすぎてしまったらしい。
昨夜パスタを消費し、朝は卵を消費してしまったので、いよいよ本当に食品の類が無いのだが……。
一縷の望みを抱いて、保存食の類は無いかとキッチンへ向かい食品棚を開けてみるが、カップ麺などもまるで無い。
これは、今日もマキさんの所へお世話になるしかないだろうか。
「あー……あかりちゃん、今日もコンビニの弁当でいい?」
「あっ、もうそんな時間なんですね。勿論大丈夫です」
「そっか、じゃあちょっと行ってくるよ。あかりちゃんはそのままプレイしてていいから」
コートを羽織って部屋から出ようとすると、あかりちゃんもばたばたと出かける用意をし始めた。
「待ってください、私も行ってみたいです」
「行くってもコンビニだよ? 面白い所は無いと……いや、店長はなかなかユニークな人ってかボイスロイドだけど」
それを聞いたあかりちゃんは、ますます興味深そうに「わぁ」と声を上げた。
「ボイスロイドの方がやってるんですか? 他のボイスロイドに会ったことが無いですし、益々行ってみたいです」
「あぁ、成程。それじゃあ一緒に行こうか」
「はーい」
元気よく返事をして洗面所へ靴を取りに行ったあかりちゃんだったが、すぐにがっかりと肩を落として洗面所から顔をのぞかせた。
「うぅ、靴がまだ乾いていませんでした……」
手に持った靴から水滴が垂れるような事は無かったが、それでもどことなく重そうな感じがする。
きっとまだまだじっとりしているのだろう。
「そりゃ仕方ない、一人で行ってくるからあかりちゃんはお留守番よろしく頼むよ」
「えー……おにいさんとお出かけしたかったです」
「まあまあ、明日の買い物には一緒に行くんだからそれで我慢してくれ」
「むー……分かりました、約束ですよ」
割り切れないのか、まだ少し残念そうなあかりちゃんに見送られながら、靴を履いてコンビニにへと向かうのだった。