Fate/stay night : 2.5i+3.10i+BERSERK = The Future Remember 作:形のない者
朝。
キャスターはそれを間近で目撃して、以降あの
「――ってことで、マスター。昨日は随分と静かな夜でな。戦闘は一度もなかった」
問題は今夜だ。
今夜、柳洞寺に士郎と慎二が乗り込んでくる。
あの影はサーヴァントを重点的に狙ってくるだろうが、それは大きな餌だからであって、腹を空かせていれば小さな餌である人間も襲うだろう。
「――ほい、定時報告は終わり。腹減ったからなんか作ってくれよ」
もしも今夜の予定調和が少しでも崩れれば、全てが水の泡になる。
過去のターニングポイントは、確実に今夜の事件が鍵となっているからだ。
これからの未来が、もし少しでも違う過去に進路を変更してしまえば……全てが終わる。
……本当に――――
「……おい、マスター。考えごとか?」
「――ん? な、なに? バーサーカー」
「だから、飯を作ってくれ。頼むよ。……ダメか?」
「いや、全然! ……えっと、昨日のと同じでいいわね?」
いつもの定時報告を済ませて、私は昨日から飯をたかりにくる黒い剣士のためにエプロンを着る。
ピーマンを濯いで種を取って、手で程よい大きさにちぎってフライパンに入れる。
次にゴマ油を掛けて炒める。焦げ目がついたら火を止めて醤油をかけて味を付ける。
これにてピーマン炒めの完成~。あとはポトフとパスタを作ればすぐに朝食ができる……。
「…………」
今夜が勝負。
あまり気負ってもいいことはないけど、命運の瀬戸際で冷静に朝食を作っていられるほど私は強くない。
だって抑止力の手助けがないのに、私独りで世界を救うなんて、そんなこと……出来るわけないじゃない――――
「――って、あちっ!」
「あ? なんだ、やけどか?」
oh……鍋物で考え事はいかん。
うっかり手首の位置を下げて、鍋の縁に触れてしまった。
「おいおい。考え事もそこまでにしておけ。続けてねぇで水で冷やせ、水で」
……後ろの姑剣士がうるさいので、水道の水で手を冷やす。
まぁ、予定取りに行けば結果は収束するんだから、私は悪役を演じきればいいだけだ。
「……絶対に、守るから……」
「やけどした手を守るのもいいがな、鍋の煮込み過ぎにも気をつけてくれよ」
「違うわよ。……ところでバーサーカー。今日はずっとここにいて。絶対に外に出ないでね」
「そりゃなんで?」
「貴方みたいな不確定要素が出歩くと、計算が狂うのよ。少なくとも柳洞寺には絶対に現れないでよね。その時点で世界が滅ぶと思いなさい」
「……? へいへい。食い物を用意しておいてくれれば、言う通り、ここからは出ねぇよ」
「ありがとっ。はい、朝ごはん」
野菜を煮込んだだけのポトフとパスタ。
この中で一番味の濃いピーマンのごま油醤油炒めを食卓に出す。
「野菜と麺ばっかだな……肉はねぇのかよ肉は?」
「基本的に贅沢はしない主義なの。一度でも食べちゃったら、旅してるときにお肉食べたい禁断症状が出ちゃって辛いからね?」
「なるほど。若いのにしっかりしてる。……あぁ、うめぇぞ。現代と比べたら一昔前の飯だが、オレの時代だと絶品扱いになるなこれは。本当に時代の流れを感じさせてくれるぜ……。まぁ十年の現代生活で、俺の舌も結構肥えてきてるがな。特にあの金ピカのおかげで……」
……なんか、英霊ならではの食レポを披露されたけど、まぁ美味しく食べてくれる分には有難いから、その様子を暫く観察しておく。
――裏側の英霊。
人類史から消え失せた空白の時代の英雄。
彼の真名を知る者は世界のどこにもいなくて、ゆえにサーヴァントとしての知名度補正は皆無となる。
「ふぅ。ごちそうさん。爪楊枝あるか?」
ほんと、これまた珍しい英霊もいたものだ。
◇
夕方。
約束の公園まで歩く。
それと昨夜、また桜が倒れた。高熱を出して一日中寝込んで、目を覚ましたのはつい先ほどのこと。
それから桜は昨日と同じように、夕飯は自分が作ると言って聞かなかった。
その後、慎二から電話が来て、夜の十時頃に柳洞寺のお山の前に集合と云われた。
そのときに桜が高熱を出したと報告したが、慎二のやつ、そんな事はどうでもいいとか言いやがった。
……今の時刻は、夕刻の五時前。
セイバーが夕飯の匂いに釣られて起きてくる前に、約束の公園に向かおうとオレは家を出た。
そこで昨日寒そうにしていたイリヤを思い出し、何かあったまるものを買ってやろうと、商店街でアツアツの肉まんを一つだけ購入する。
約束の公園に到着する。
相も変わらずベンチには、白い少女が手をさすりながら白い息を吐いていた。
「――――! シロウー!」
呼び声に応じて手を振る。
隣に腰掛けると同時に、オレはイリヤがひっきりなしに気にしているビニール袋から、肉まんを包んだ袋を取り出した。
「ほい、土産。熱いから気をつけろ」
「これ、なに?」
「肉まんだ。知ってるか? 豚肉が入っていて、ホクホクしてて、冬には定番のおやつだ」
「へぇ……あれ、お兄ちゃんのは?」
「俺か? 俺はいいよ。イリヤが全部食べてくれ」
「……むー。シロウってば、食事はみんなで食べるのが美味しいって知らないの?」
むっ。いや、知ってはいるけど、申し訳なくなるくらいには知ってはいるけど。元々俺は出費を抑えるためにだな……。
「――はい、半分こ!」
けれど、こうして肉まんを半分こにされて笑顔で渡されたら、確かにこれは断れない。
「それじゃあ遠慮なく、いただきます」
「えへ……んむっ――――あふぃ!」
猫舌なのか、肉まんの皮を食んだ途端、舌を出して熱がるイリヤ。
それから少しずつ食べてはいくが、手に持って温まるのが気に入ったらしく、中から出てくる湯気が特にお気に召したようだ。
「これ、あったかいね! 食べられる湯たんぽとか、ホントにさいこー!」
「それでも早く食べろよ。すぐに冷えちゃうからな」
うむうむ。こんなに美味しそうに喜んで食べてくれるとは、買ってきて良かった。
俺はゆっくりと味わうように肉まんを頬張るイリヤを眺める。
「……なぁ、イリヤ。俺、今日は用事があるから無理だけど、明日なら平気だ」
「ふん、ふん……?」
「俺の家に、イリヤが遊びに来る件。明日なら用もないし、一緒に茶を飲んで寒さをしのぐってのも良いんじゃないか? 昼間はマスターじゃないってイリヤは言ってただろ? だからそれを信じて、なんとかセイバーを説得する。それでどうだ?」
結果的に返事が必要な問いになってしまった。
「ふん……ふん……」
肉まんを食べ終えて、指をぺろっと舐めとるイリヤ。
「…………でも」
イリヤは何かを言おうとする。
「……でも、わたしはシロウを殺しに来たのよ。そのわたしが、シロウの家にあがってもいいの?」
――――その問いの真意は判らない。
だが、アインツベルンと衛宮切嗣の確執を指しているのは明らかだ。
確かに俺は、衛宮切嗣という親父から。
イリヤの場合は、アインツベルンという家系から。
俺たちは何かを受け継いで、この聖杯戦争に参加している。
おそらくイリヤは、アインツベルンを裏切った衛宮切嗣を憎んでいる事だろう。
復讐対象であった切嗣がとっくに死んでいたと知っても、その息子である俺を殺すつもりなのは変わっていない。
それでもイリヤが本当にオレの事を嫌っているのなら、俺はとっくに何回もこの公園で殺されていたはずだ。
イリヤは「マスターは昼間に戦わない」と神秘の秘匿を理由に色々と言ってはいたけど、実際に俺を殺すつもりがないのは、薄々判ってきていた事だった。
もちろん、イリヤの上辺に騙されているわけではない。
可愛い無垢な少女でも、裏の顔がバーサーカーのマスターなのは嫌というほど知っている。だって一度殺されかけたし。
……家柄同士が敵対していて、しかし下の子たちは仲良くしたいと思っている。
どこかにあったな、そんな戯曲。なればこそ、家柄の運命なんて知ったこっちゃない。
オレはイリヤと仲良くしたいと思っているし、イリヤだって内心はオレの事を気にかけている、はず。
じゃないと、今までの公園での交流はなんだったんだという話になる。
だから物怖じするイリヤを、お兄ちゃんと呼ばれる俺が信じてやって、こうして言わなければならないんだ。
「――あぁ、もちろんだ。……って、いや、俺を殺すって件は全然もちろんじゃないんだが、それとこれとは話が別ってやつだ。オレはイリヤのことが好きだからな」
「――!」
「ほら、それに昼間はマスターとか関係ないんだろ? なら別に家柄の問題とかも関係ないじゃんか。……って、これは流石に無茶かな? いや、まぁ、イリヤが嫌なら諦めるけど……」
うむ。我ながら少し傍若無人すぎたか。
ほら、イリヤも呆れて口をあんぐりと開けて、俺の顔を見つめてくるし――――?
「ううん――――全然いやじゃない! ありがとう、お兄ちゃん!」
「うぉっ!」
弾けるような笑顔でイリヤは、俺の腕に抱きついてきた。
「それじゃあ約束だからね、シロウ!」
深夜。
あれからイリヤと別れて、夕飯を食べて、桜を寝かせたあと。
俺とセイバーは集合場所である円蔵山の麓へ、時間ぴったりに到着した。
「……シロウ。サーヴァントの気配が、あそこに。おそらくライダーだと思われます」
セイバーの視線の先には、確かにライダーと慎二がいた。
向こうもこちらに気付いて、柳洞寺に向かう階段の前で待ってくれている。
「よぉ衛宮。遅いじゃないか。待ちくたびれたよ」
「……それで、慎二。作戦はどうなんだ。決めてきたんじゃないのか」
「あぁ、作戦、作戦ね。まぁほら、ライダーによると、三騎士とライダーのクラスには対魔力? ……ってものがあるらしいじゃないか。そしてキャスターとは魔術師の意味だ。これはもう作戦を立てる前に勝負が決まっていると僕は思うね。そもそも二対一だ。向こうに勝ち目はないよ」
……なるほど。対魔力のクラス別能力か。
確かにセイバーは高い対魔力のランクを備えているし、ライダーもセイバーには劣るが、かなり高いランクを持っている。
ただ、やはり慎二は正規のマスターではないのだろう。
どうやらマスターに備わるサーヴァントのステータスを閲覧する能力が使えないでいるらしい。
曖昧な物言いも、そのためだろう。
「……シロウ。本当に彼が貴方の友人なのですか?」
「ん? そうだよ。クラスメイトでもあるな。腐れ縁とも言えるかな」
「……そうですか。いずれにしても、私から離れないように」
「あぁ」
それからライダーが先行する形で、後ろにセイバー。そのまた後ろに俺と慎二という布陣で階段を駆け上がる。
その移動速度は小走りというやつだったが、しかし慎二は足並みを揃えずゆっくりと階段を踏みしめていた。
「おいおい、そんなに焦ることないだろ。……別に慎重になれとは言ってないさ。ただ急がずともキャスターが僕たちに殺されるのが早いか遅いかの違いだろ? だからさ、もっと優雅に行こうぜ。勝ちは決まってんだからさ、な? 衛宮」
……セイバーに目配せをする。
同盟を組んだからには、こういった
特に、慎二相手には。
サーヴァント組とマスター組で距離に差が開く。
「なぁ衛宮。おまえってさ、どんな魔術を使うんだ?」
唐突に慎二は、そんな事を訊いてきた。
「俺は強化の魔術しか使えない。前までは成功率自体かなり低かったんだが、最近はうまくいくことが多い。最近ってのも、ランサーに襲われたときと、遠坂に襲われたときが一番だけどな」
「ふぅん。確か強化ってさ、モノの存在を高めさせる魔術の基本中の基本なんだろ? 衛宮って案外、難しい事はできないんだな。もっと器用だと思ったのに」
「それを言われると痛いな。俺にできることは本当にこれくらいしかなかったんだよ。切嗣もあまりほかのことは教えてくれなかったし……」
「だれ、それ? もしかして魔術の師匠ってやつ? へぇ、意外だな」
そんな魔術界隈の世間話を済ませて、山門に近付く。
今にして思えば、まさかあの慎二とこんな会話をする事になるとは思ってもいなかった。
長いこと友人をしているが、あまり共通する話題を持ったことは少なかった気がする。だから、なんというか、少し面映ゆいところもあった。
それは慎二も同じだったのか、そっぽを向いて俺に顔を見せてくれない。
やがて山門まで上りきる。
その時、どうにもライダーが怪訝そうに口を開いた。
「おかしいですね……門番がいないとは」
「門番? ライダー、それはどういう事ですか」
「セイバー。ここにはキャスターと同盟を組んでいたアサシンのサーヴァントがいたのです。門番として境内に入ろうとするものを阻もうとしてくるのですが、なぜか姿が見えない……」
……そんな、同盟を組んでいるのなら、いの一番に教えてもらわなきゃ困ることを、ライダーは平然と言ってのけた。
「し、慎二。今、ライダーが言ったことは――!」
「あぁ、本当だよ。ここにはアサシンがいた。でも確かにおかしいね。もしかしてもうほかのサーヴァントに殺られちゃったんじゃない?」
「違う慎二。俺が言っているのは……!」
「あぁもうわかってるよ。なんで先に言わなかったんだって言いたいんだろ? そんなの言う必要ないじゃないか。どうやらここの門番はアサシンの癖に気配を隠さない変なやつだったみたいだし、隠れるしか脳のないやつが隠れずに門番をしている時点で、セイバーとライダーに敵うはずがないだろう? 衛宮のセイバーも最優のサーヴァントって称号があるんだし、どうせ言ったところで歯牙にもかける必要はないよ」
……ダメだ。慎二は分かってない。
俺が言っているのは、同盟を組んで協力関係になった以上、情報の共有はしておくべきという話だ。
いや、慎二はそれが分かった上で、俺たちに教える気がないのか……?
「ほら行こうぜ。もう柳洞寺で隠している事はないよ。アサシンはいないみたいだし、このまま境内に上がってキャスターを仕留めようぜ」
「……仕方ない。すまない、セイバー。行くぞ」
「――……はい」
うわぁ……。慎二のやつ気付いてなかったけど、今のセイバーの冷ややかな視線、あれはかなりやばかったぞ。
ついでに俺にも向けてた気がするけど……。
あれ、これはもしや、最速で同盟決裂の危機が?
さらにその危機とやらも、目の前にまで来ている可能性が……?
「ア――――」
境内に上がる。
セイバーとライダーを前に、山門を背後にして辺りを警戒する。
奥へ進み、寺の近くを周る。
「――――! マスター!」
ふと、セイバーの鋭い声が夜の中に響いた。
セイバーの見ている先を目で追い、そこにある人影を注視する。
そこで俺たちは、目的の人物を確かに発見した。だが、どうにも様子がおかしい。
何故ならそこには、既に真っ赤な血に濡れて呆然と座り込む、キャスターの姿があったのだから……。
その手には、何か歪な形をした短剣を持っている。
そしてキャスターが見つめる先には、
◇
――時はほんの少し遡り――
深夜の柳洞寺にて。
私は帰りの遅いマスター・葛木宗一郎様の事が気になって仕方がなかった。
「どうしのかしら。こんな夜遅くになって帰ってこないだなんて……教師としての仕事は私自身よく知りませんけど、さすがにこれは遅すぎるわ……」
まさか、アサシンを倒した刺客に狙われてしまったのかしら……。
嫌な想像をしてしまい、そんな事はないはずと頭を振る。
昨夜、境内に現れた謎の黒い影と新たなアサシンに境内を侵食されたあと、大事がないようにあれこれと結界や陣地を整えていたら、昼間から宗一郎様の姿を見失ってしまった。なんのパスも繋いでない以上、私が常に宗一郎様の隣にいて警護なりサポートなりしなければならないのに、それを疎かにしてしまった事を、私は今になって後悔している。
「ご無事で、宗一郎……」
もう夜になってしまったから迂闊に外には出られない。
サーヴァントでは、それが現れるまで知覚できない影とは相性が悪すぎる。
全てが後手に回ってしまう相手なんて避けるに限る。
なによりここで私が出向いてしまったら、夫の帰りを待つ家内としての義務を放棄する事になってしまうもの!
「――――」
――――ふと。
なにか、虫のさざめきのような音が耳に入ってきた。
「――――れ」
――――これは、一体なんでしょう?
聴覚に訴える幻術でもないようだし、耳を澄ませてみる。
「――てくれ」
「――――――――」
「たすけてくれ、キャス、ター……」
「――――宗一郎様!」
確かにこれは宗一郎の声!
寺の中。寝室として割り当てられた部屋から居間を渡って廊下に走る。
廊下の奥には玄関があり、ガラスの奥に宗一郎と思しき人影が見える。
「たすけ、て、くれ……キャスター……」
「宗一郎! 今!」
スカートをたくし上げ、全力で廊下を駆け抜ける。
玄関にまで辿り着き、戸の把手に手をかける。が、何故か横に引いても戸が横に滑らない。
力強く引っ張っても開かない! なぜ、なんで!
「キャスター……」
苦悶に満ちた声で、私に助けを求めるあの人。
「待ってください! 今、開けますから! ――この、なんで!?」
次の瞬間、あまりに軽く簡単に戸が開かれた。
そこで、なんで戸が開かなかったのかを理解した、次の瞬間――――
「ダメだ。来るな、キャスター……!」
――――宗一郎の背後に、あの白い仮面が浮かんでいた。
「■■ー■―■」
……あぁ、戸が開かなかったのは、宗一郎が残った左腕で戸を抑えていたからだった。
それは既に、宗一郎の体ではなかった。
宗一郎の黒い右腕が、私の胸に伸びる。
これはアサシンとランサーを殺したものと同じ宝具だ。
そのことを咄嗟に理解した私は、
……私は、
……わたしは、
――――わたしは、
わたしは、
わたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは、、
どうしたら――――――――
この手に宝具の短剣を構えて、伸ばされた腕に刃を突き立てた。
――――――――私は私が助かるために。あの人を……宗一郎様を殺したのだ。
宗一郎の黒ずんだ右半身から白い仮面が飛び退る。
「■■―■―■」
初期化された宝具を即座に再使用し、今度こそ飛びかかってくるアサシン。
――――私は、その罰を受け入れる事にした。
何もせず、何も為さず、迫り来る死を受け入れる。
その前に宗一郎を抱きとめて、互いの位置を真逆に置き換えた。
これで心臓を潰されるのは私。宗一郎はこのまま玄関に上がって、家に帰る。
疾うにその命がなくなっていたとしても、せめて、これだけのことはしてあげたかった……。
――目に涙が溢れる。
そのせいか、いま見ているものが現実だとは到底思えなかった。
私のせいで半身が消失して絶命していたはずの宗一郎が、残った左腕で私の体を強引に引き戻し、互いの位置を反転させたのだ。
「うそ……」
「――――――――」
宗一郎の背後に、アサシンの右腕が伸びる。
「そういち――――!」
前に出る体を突き飛ばされた。
それとほぼ同時に、宗一郎と私の間に黒い影のようなものが高速で通り過ぎる。
――あぁ、貴方は、最期まで、私のことを……。
彼には疾うに半身がなく、ゆえに心臓を潰されたところで、失うものは何もなかった。
――
その声を聞いて、ついに立っていられなくなった。
玄関に尻餅を搗いて、その亡骸をただただ見下ろす。
何も出来ないで、ただ溢れるばかりの涙が止まらなかった。
――――、…………。
それから、どのくらいの時間が過ぎただろうか。
もしかしたら、一分すら経っていなかったかもしれない。
……なにやらドタドタとうるさい。野次馬の声なんか聞いている暇はない。
「……ひっ。なんだよ、これ。死体……なのか? 半分、綺麗にないじゃないか!」
「…………っ」
どうやら空気の読めない坊やたちが現れたみたい。
「…………」
中には空気の読める女性もいたようだけど、これは寡黙というのかしら。
「……キャスター。まさか貴様、己がマスターを裏切ったのか!」
――――――――。
中には、正論を言ってくれる王道な人もいたみたいね……。
――
これを見たら、誰だってそう思うわよ。
あの人は、最初から最期まで私を助けてくれたのに。
私が出来たことは、最期にあの人を人間として死なせてあげたことだけ……。
えぇ、だから、やはり私には、裏切りの魔女が似合っているのよ――――
「は――――はは、アハハ……アハハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
そう思うと、なんだか全てがおかしくなった。
おかしくならないと耐え切れなかった。
この筋書きを仕込んだ黒幕は、どうしようもないくらい筋金の入った極悪人だと。
「ア――ハハ、は。そうよ。私が、私が殺したのよ? だって、どうしようもなかったじゃない! どうしようも、なかったじゃない!」
「黙れ外道! サーヴァントであるものが主を裏切るなどと……ここで斬る!」
セイバーがこちらに駆けてくる前に吶喊する。
それは捨て身の特攻。私の宝具で触れさえできれば、道連れにはできるかもしれない。そんな事は不可能だと知っていても、それでも、最期まで諦めなかったあの人みたいに、私は――――!
「――――そうよ。最後まで、諦めちゃダメなんだから――――」
◇
――時は戻り――
「……キャスター。まさか貴様、己がマスターを裏切ったのか!」
セイバーの怒号が飛ぶ。
それでようやく、キャスターはこちらの存在を把握したらしい。
フードに隠れてその素顔は見えない。
それからキャスターはゆっくりとこちらを見上げて、突然、狂いだしたように笑い出した。
「は――――はは、アハハ……アハハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
狂乱するキャスターは、短剣を手にゆらりと立ち上がる。
「ア――ハハ、は。そうよ。私が、私が殺したのよ? だって、どうしようもなかったじゃない! どうしようも、なかったじゃない!」
癇癪を起こすキャスターは、甲高い絶叫をあげる。
その姿は、見るに痛ましいものだった。
「黙れ外道! サーヴァントであるものが主を裏切るなどと……ここで斬る!」
――――っ! セイバーが駆けた。まずい。
キャスターの短剣が危険なものだと解析できていたのに、あまりの事態に伝え忘れていた!
「ま――」
待て、と。俺はセイバーに待ったを掛けようとする。
が、次の瞬間ーーーー頭上から、思わぬ声が割り込んできた。
「――――そうよ。最後まで、諦めちゃダメなんだから――――」
『――ッ!?』
その場にいる全員が顔を上げた。
頭上からこだましてきた声の主は、セイバーとキャスターの間に割って入る形で立ちはだかる。
その手には、煌びやかな小剣を携えていた。
そしてキャスターを斬ろうと駆けていたセイバーは、突然の乱入者に驚きつつも、乱入者諸共キャスターを切り伏せようと駆け続け、容赦なく不可視の剣を振り下ろす。
それから剣と剣が鍔迫り合い、一回だけ火花を散らす。
続けて二度、三度、敵はセイバーの不可視の剣を見切っているのか、その全てを完璧に弾いていた――!?
「――ッ!」
あまりの正確無比な対応の仕方に、セイバーは戦慄を覚える。
まさか、敵には見えない剣が見えているのか?
それは否、あれはどちらかというと、敵は
だってあの剣捌きは、そうとしか思えない動きからくる体動だったからだ。
遥かに自分より強く速い剣筋でも、どこから来るのかさえ知っていれば、予めそこに剣を用意しておくだけで難を逃れることができる。
あの斬り合いはそういうものだ。何故なら敵は、セイバーの剣をまったく見ていない。
ましてや背後にいるキャスターに顔を向けて、会話さえこなしていたのだから……!
その、ある意味ではデタラメな戦い方に、俺は敵の持つ剣に秘密があるのではないかと思い解析する。
それで分かった事は、あの剣は暴風の化身であり、体が剣で出来ている虎の化身でもあった。
神秘の濃さでいえば、人類が存在する前という領域にまで片足を突っ込んでいる太古の霊剣。
まさにそれは
少なくとも俺には、そんな風に見えた。おそらく俺の感想は近いだけで、厳密にはまったく違う魔術なのだろう。
ゆえに、その剣には神秘が詰まっているというだけで、特別秘密のような秘密はなかった。
何故よそ見をしながらセイバーと斬り合えているのかという説明には、まるでなっていない。
さらに、その小剣の能力は単純威力系宝具に含まれるもので、それもセイバーの有する宝具『風王結界』の攻撃版。『風王鉄槌』と同じ属性の魔術である事が分かった。
流石にサーヴァントの宝具には匹敵こそしないものの、かなりの高ランク。それこそAランク級の魔術として確立している。
「――Gale Saber――!」
――なっ!
「――にっ!
だっていうのに、Aランク級の大魔術を一小節で打ち放つなんて、デタラメに過ぎる!
セイバーの暴風と敵の暴風がぶつかり合う。だが、敵の暴風はただ圧のある風ではなかった。
それは風の刃と虎の牙を混ぜ合わせた、どれだけ失血させるかという効率を極めた鋒。
たとえ魔術的な風の刃をセイバーの対魔力と宝具の暴風で完璧に防げたとしても、物理的な虎の牙がセイバーを噛み砕く!
「う――うぉおおおお!!」
マスターとして分かる。セイバーの直感スキルが発動した。
セイバーは、その剣から風の嵐を解き放ち続けながら一歩引き、二歩引き、最小限の首、膝、腕、胴の動き、くねらせ方で牙を紙一重のうちに躱していく。その全てが致命傷の一撃を、セイバーは一つのミスなく悉くを躱していく!
「っ――危ない!」
「うわっ、ライダー!?」
突然、ライダーが慎二と俺の前に躍り出た。
次の瞬間、ライダーの服に一線の切り込みが入る。同時にライダーの体から大量の鮮血が迸った。
最小限の傷で止血不可能の出血をさせる。あの古代の霊剣は、そんな殺意に溢れすぎる魔剣だった!
「ラ、ライダー!」
慎二の甲高い悲鳴が上がる。
やがて風は止み、虎も牙を引っ込めた。
セイバーと相対する謎の敵、突然の乱入者。
俺と慎二は、その敵の姿を確かめようと、我が目を見張り、そして――――疑った。
「――――な!」
「なんで――?」
――――なんで、あいつがここにいるんだ?
……おそらく俺の感想は、隣で驚いている慎二と、まったく同じものだった。
◇
「なんで――なんでお前がここにいるんだよ、ソニア!」
今の僕の叫びは、きっと衛宮も同じ感想を抱いていたことだろう。
マスターを殺したと思われるキャスター。
それを衛宮のセイバーがトドメを刺そうとして、けれど突然の乱入者が現れてそれを防いだ。
さらにその乱入者は、僕たちのクラスメイトである、ソニア・ド・ヴァンディミオンだった!
「おい、ソニア! お前、おまえ……。おまえも、魔術師だったのかァ!?」
「……………………」
ソニアは何も答えない。答えてくれない。
その瞳は、僕の知る彼女じゃなかった。
冷酷で、無慈悲で、きっと呆気なく僕を殺してしまいそうな、そんな冷たい目をしていた。
「――――トレース・オン」
横から衛宮の声が聞こえる。
今のは何かの自己暗示……魔術の詠唱なのだろうか。
背負っていた木刀を取り出して、それが鈍く光っているということは、さっき衛宮が言っていた強化の魔術?
ならば、木刀の硬さが強化されたっていうのか?
――なんだ。地味だな。
なんて事を思いながら、僕は衛宮が武器を構えている事に、遅まきながら、それがどういう事なのかに気が付いた。
「お、おい……衛宮、な、何してんだよ。相手はソニアだぞ? 僕たちの友達だぞ?」
「下がっていろ、慎二。あいつ、本気だぞ」
……本気? 何が?
「シロウ。つかぬことを聞きますが、彼女は貴方の友人なんですか?」
「そうだ。彼女の名前はソニア・ド・ヴァンディミオン。俺たちと同じ学校に通うクラスメイトだ。それでも、まさか魔術師だったなんてのは知らなかった……!」
「そ、そうだよ。衛宮の言う通りだ。だからライダー! それに
しかしソニアは、背後でうずくまるキャスターに対し、背中を向けたまま声をかける。
「……キャスター。今、私が話した通りに動きなさい。死に物狂いには慣れているでしょう?」
――――クッソォ。無視。無視だ。
あいつ、僕を無視しやがってる!
「あ……あなた、何者なの?」
呆然と立ち尽くすキャスターが、ソニアを見て問いかける。
「さぁ……強いて言うなら、ノルンの三姉妹ウルズの娘とでも名乗っておきましょうかね。あっでもカサンドラって名乗るのも、かなり皮肉が効いていて面白いわね。どっちにしようかしら。まぁどっちでもいいわよね」
ふと、あの冷たい目の色は消え失せて、今度は飄々と振る舞い始めた。かなり演技臭い。
「それでキャスター。貴女はどうするの? さっき話した通り、私なら三十秒が限界だけど、セイバーとライダーを足止めすることが出来るわ。その間に貴女は距離を取って、戦闘準備を整えなさい。ライダーはすぐに逃がしちゃうけど、その代わりセイバーは五分未満で倒してあげる。相性勝ちってやつね。それで、貴女はライダーと戦って時間を稼いで欲しいの。私がセイバーを倒したら、すぐに追いついてライダーを片付けてあげるから。――ねぇ? できるでしょ?」
……な、何を言っているんだ、あいつは? 馬鹿なのか? に、人間の癖して、サーヴァントを倒すだって?
いや、確かに今のでソニアはすごい魔術師なんだなと漠然と思ったけど、それでも無理だ。
サーヴァントはレベルが、次元が違いすぎるんだよ!!
「どこの魔術師だか知らないけど、正気?」
「正気じゃなかったから、こんなことしてないわよ。莫迦……」
その言葉は、誰に向けた言葉でもなく、自分に当てているかのようなセリフだった。
「……良いでしょう。無駄な悪あがきだとは思いますけど、確かに諦めきれない。諦めてはいけない。聖杯さえあれば、あの人を。……だから貴女の口車に乗ってあげましょう。どんな
「……交渉、成立ね。まぁ時間を稼ぐと言っても、逃げるだけで構わないわ」
話は終わったのか、キャスターはマントを広げて、ふわりと宙に浮かんだ。
「待て、キャスター! ――ッ!」
逃げようとするキャスターを追おうと、セイバーが前に出ようとする。
しかし、身も凍えるような殺気を向けてきたソニアを前に、セイバーは足を止めた。
「クソッ。おい、
「……シロウ。ライダーのマスターに何か言ってやってください」
「慎二。セイバーの言う通りだ。ここでセイバーがソニアから目を離したら、俺たちは一網打尽だぞ」
「……チッ。だったらライダー! おまえがキャスターを追え! おい、起きろよ!」
「慎二! ライダーは血まみれなんだぞ!」
「それがどうした! 魔術師なんかにやられやがって! お前は僕のサーヴァントなんだぞ! だったらほかのサーヴァントの一人や二人、仕留めてこいよ! ライダーァ!」
「……ふ、ぐっ……」
偽臣の書を持ち出して、言う事を聞かないライダーを縛り上げる。
するとライダーは、血を流しながらも立ち上がった。
そうだ。そのままキャスターを追え!
ソニアのサーヴァントがキャスターだとしたら、それを倒すことで僕の力を見せつけてやるんだ!
どいつもこいつも魔術師魔術師。僕だってマスターなんだから、同列のはずなんだ!
「ベルナデット!」
――ソニアが叫んだ。
次の瞬間、ライダーの身体に一本の茨が蛇のように巻き付いて、ライダーを縛り上げる。
それからソニアは、またあの冷酷な目を作り、今度はライダーを見下した。
「さて、ライダー。貴女には醜い醜い、醜悪極まりない怪力があるのでしょう? それを使えば、私のベルナデットなんて簡単に引き千切る事が出来るわよ。……え? 美しい女? ふざけないでよね。貴女は蛇蝎のようにしか生きられない、生まれ落ちた怪物の女神なんだから。――――なにより貴女のせいで、美しく可愛い姉たちが地獄に落ちたのは、本当に滑稽な話よね?」
「――――ッ!」
……? なんだ。あんなライダーの顔、初めて見たぞ。怒っているのか? 何に?
「……貴様、ソニアという名だな。シロウの友人だと聞いていたが、いくらそれ相手でも、サーヴァントの過去を侮辱するのは許せない。ライダーの過去に何があろうと、貴様がそれを罵っていいはずがない! 待ってろライダー。今その茨を斬ってや――っ!」
剣と剣の打撃音。
一瞬、まったく目で追えなかった。
セイバーがライダーに近付こうとしたら、数十メートルの距離を一瞬にしてソニアが詰めて、セイバーを吹き飛ばしたのだ。
互いに傷はなく、膠着状態が続く。
「あら――――そういえば三十秒。簡単に過ぎちゃってたわね。この分ならあと一分は時間稼ぎできるかしら? キャスターの手間なんか借りなくても、たかがサーヴァント二騎、楽勝かも知れないわね」
「ほう。言ったな。ならばサーヴァント相手に本気で打ち合うか。手加減はしないぞ」
「まっ待て、セイバー! ソニアと戦うな……! 俺の友人だって言っただろう!」
……くそっ。なんだよこれ。
お前ら全員、ソニアのいいように操られてんじゃないか。
ソニアの狙いが何かは知らないけど、これじゃあ、あいつの思うツボだ。
ライダーもセイバーも、ソニアの煽りを真に受けている。
……仕方ない。こうなったらソニアの口車に乗るしか状況は進展しない。
ソニアはセイバーが相手をするとして、ライダーにはキャスターを追わせないと。
「おい、ライダー。その茨を引きちぎって、キャスターを追いかけろ! 早く!」
「――ぐっ、う、うぅぅっ――」
ライダーの筋肉に力が入る。
みしみしとライダーに巻きつく茨は音を立てて、やがて茨は跡形もなく引きちぎられた。
「よし、ライダー、行け!」
「……………………」
ライダーはソニアを一瞥したあと、跳躍して寺の屋根に登っていく。
「衛宮、分かってるな。そこのサーヴァントに、絶対ソニアは殺すなときっちり命令しとけよ! 僕はキャスターを追いかける! じゃあな!」
「待て慎二! 単独行動はまずい! それにライダーと二人がかりでなら、ソニアを抑えられたはず――――慎二!」
うるさいうるさい。
これは僕が一人で敵を倒さなきゃダメなんだ。二人がかりなんて僕の手柄じゃなくなっちまう。
魔術師ひとりを倒すより、サーヴァントを倒さなきゃいけないんだ!
「――ほう? 何やら面白い諍いが起きておるのう。野次馬根性ではないが、儂も混ぜてはくれんかね?」
――――そこで、こんな場所で聞くはずがない、厭な胴間声が耳に響いた……。
◇
「――誰だ!」
セイバーと共にソニアと対峙して、慎二が走り去ろうとした、そのとき。
やけに耳に厭な感じを残す寂声が境内に響いた。
俺たちの前に現れたのは、嗄れた老爺。
それを見て慎二は固まったあと、次にこう言った。
「おじい、さま……」
おじいさま? つまり、慎二の祖父?
……ってことは、桜の祖父? とどのつまり――――魔術師!
「――っ! シロウ! 下がって!」
ふいにセイバーの怒号が入る。
が、その耳に聞き届けた言葉を理解する前に、俺の顔面めがけて放たれた絶対の死を予感した。
――それは容易く俺の顔面を吹っ飛ばす戦車砲並みの一撃。
しかし、その形状は砲弾のように大きなものではなく、手のひらサイズの短刀だった。
「ハァ――!」
渾身の一撃でその短刀――――ダークを弾き、俺を守ってくれたセイバー。
セイバーはソニアと老人、そしていつの間にか老人の傍らに立っていた白い仮面のサーヴァントから、俺を守るように剣を構える。
「……アサシンのサーヴァント」
白い仮面のサーヴァントを見て、セイバーが呟く。
「お……おじいさま、なんで……」
「慎二。我が孫よ。おぬしはほとほと頭の悪い小僧よなぁ。セイバーと同盟を組んだのなら、ここはライダーと協力して、そこな不穏分子を始末しておくべきじゃろうに……」
「な、なに言ってんだよ。あ、あいつはダメだ。それに、これは僕の戦いだ。い、いくら、おじいさまでも――」
「――うぬ?」
「ひぃいい!」
悲鳴を上げて後退る慎二。だが、どうやらあの老人は慎二をどうにかするつもりはなさそうだった。
魔術師は身内に甘いと聞くが、もしやそれは今みたいな事だろうか。
「まぁよい。ライダーはもう行ってしまったしな。ほれ、向こうで戦闘音が聞こえる。ならばここは同盟者の祖父はまた同盟者ということで、セイバー、どうかな? ここはアサシンと協力して、そこの娘を殺すというのは……」
「ふざけるな。今の一撃を放ったあとでよくもぬけぬけと。まさか一分前の出来事は忘れてしまうという呆けた老爺ではないだろうな」
「儂がボケ始めておると? まぁ否定はできんが、協力を拒むのならそれでよい。何故なら、あの娘を倒すのは至難だが、セイバー。おぬしは簡単に倒せるからのう」
……なんだって?
「――――っ。どいつもこいつも、セイバーのクラスを甘く見ているな。その身を以て分からせてやろうか」
「待て、セイバー。これは罠だ。煽られているのが分からないのか!」
「シロウ!」
その一喝。
俺の名前を叫んだあとで何も言わないということは、俺ならそのあとに続く言葉が何であるか分かってくれると、セイバーがそう信じてくれているからか。
「あら、セイバーとアサシンの果し合い? 面白いわね。私はお邪魔らしいから去らせてもらうわ」
ソニアが言った。
老人に気を取られていたため、セリフを聴き終えると同時に振り向く。
すると、先程までそこにいたソニアの姿はどこにもなく、どこかへ消えてしまっていた。
「……ソニア?」
「シロウ。あの少女はライダーとキャスターのところへ向かいました。数秒でも私と斬り合える相手です。キャスターと彼女を相手にして、ライダーが無事でいられるかどうか分かりません……」
「そうか。かと言って、今の俺は完全に足でまといだ。現在の柳洞寺にサーヴァントは四騎。強力な魔術師が二人。マスターなだけのへっぽこが二人……。そのうちサーヴァント二騎と魔術師二人が敵とは、お世辞にも良いとは言えない戦況だ。混沌としすぎている」
「良い状況判断です、マスター。ゆえに今から勝利ではなく生還のために戦います。私から離れることのないように。マスターの命は、私が命に代えても守ります」
「馬鹿言え。女の子にだけ命を張らせるか。俺も戦う」
「なっ――貴方という人はこんな時に……えぇい。とにかく離れないように! 分かりましたね!」
セイバーと肩を並べて木刀を握り締める。
「作戦会議は終わりかのう? では――」
「おおいまてまて、待てよ! おまえら僕のことを無視しすぎじゃないのか! おじいさま、僕は今、衛宮とは同盟を組んでいるんだ。それに衛宮を倒すのはこの僕だ! 僕の邪魔をしないでくれよ!」
「ダダをこねてくれるな、慎二。……お主はそれで良いのか? お主のサーヴァントであるライダーは、今もキャスターと戦っておるぞ。ここでのうのうと喚くだけで、本当に良いのかのう?」
「――――っ。あぁもう、お願いだから殺さないでよ、おじいさま! ……ぐっ、くそっ、くそう!」
地団駄を踏みながら、慎二は走り去っていく。
ライダーのところへ向かったんだろう。
「クカカッ。……それではアサシン。あとは頼んだぞ」
「――――御意に」
そして、セイバーとアサシンの正面対決が始まった。
黒衣を翻したアサシンは駆ける。まさかセイバーと正面から打ち合うつもりなのか!?
「驕ったな、アサシン!」
その行動に憤慨したセイバーが、未だ風を纏いきれていない剣を手に吶喊した。
互いに自動車より素早い疾駆。
やがてその疾走は、目の前に飛行機の交通事故が起ころうとしていた。
剣を掲げて振り切るセイバー。
黒衣から尋常じゃない長さの右腕をセイバーに伸ばすアサシン。
「――ッ!」
「■■―■―■」
その宝具は、悪魔に魅入られた呪いの右腕だった。
類感呪術の応用。暗殺対象の心臓を模した模造品を生成し、それを潰す事によって疑似的な死を与える呪術。しかし対象の心臓と模造品の心臓は、あくまで別物。だが悪魔に魅入られた呪いなら、その模造された死は鏡合わせとなる。
「セイバー!」
あの右腕に触れられたら、セイバーは死ぬ!
類まれな直感を駆使して、セイバーは即座に狙いをアサシンの右腕に切り替える。
悪魔の右腕を斬りつけて、アサシンの左側に身を逸らす。
「覚悟!」
そのままマントの下にある首を斬り落とそうと、セイバーは剣を振り切る――!
――月明かりの下、髑髏の首が宙を舞った。
朱色に染まった月はなく、地に撒かれた鮮血もなく、辺りにはただ影が落ちるだけ。
「……アサシンは斃した。次は貴様だ御老公」
「カッカッカッ。アサシンを、倒したじゃとう? クカックカックカッ! ――――よもやそれは既にアサシンではなく、山の翁でもなく、桜の木の下に縮こまった幼き影でしかないと、まだ気付かんのか?」
「なに? ――――ッ!」
よく判らない事を、老人はのたまった。
そのとき、境内の反対側で戦闘をしていたライダーとキャスターが、柳洞寺を一周してまたここに戻ってきた!
マントを広げて飛翔し、結界陣から魔力砲を乱打するキャスター。
それを対魔力で弾きながら空を飛ぶ相手に肉薄するライダー。
その顔には、あの目元を隠したバイザーはなく、あらわになった両眼は、何か特別な魔眼の類である事が見て取れた。
「――うわっ!」
「シロウ――!」
砲撃の雨にセイバーと分断される。
そのとき俺は空襲の中、恐るべきものを見た気がした。
首のないアサシンが、むくりと起き上がる。
セイバーは俺の方を見ていて、蘇ったアサシンに気が付いていない。
また、その後方には口元を吊り上げる老人が独り居て……爆音により嗤い声は聞こえなかったが、俺にだけは聞こえていた。
――セイバー、地に堕ちたり――
「ぐっ、セイ、バー!」
目の前に人間ひとりを焼き尽くさん魔力砲撃が着弾した。爆風に吹き飛ばされて地面を転がる。
今の余波で簡単に木刀が折れてしまった。なんてこった。本当に自分は役立たずじゃないか――――
「衛宮!」
駆け寄ってくる声は慎二のもの。這い蹲っていた俺に肩を貸してくれた。
爆音に脳を揺さぶられて吐き気と頭痛がする。俺は不明瞭な視界で、なんとかセイバーの方に目をやった。
「ぐ、う、ぅっ……これ、は――――」
苦悶の表情を浮かばせて、足元にへばり付く黒い何かを払おうとしているセイバー。
それは頑なにセイバーから離れず、徐々に彼女の体を蝕んでいた。否、あれはどちらかというと底なし沼。
セイバーはだんだん地面より下に沈んでいっている……!
「セイバー!」
「ま、待て衛宮! あれは何かやばい! やばいやつだ!」
「離せ慎二! セイバーが! セイバー!」
――再度、キャスターの魔力砲弾が辺りに着弾する。
爆風を面食らい、足元がおぼつかなくなる。
「……ぐっ。シ、ロウ――すま、ない……」
――――何を。
何を謝ってんだ。何で謝る必要がある。何で負けを認める必要がある!
「セイバー!!」
慎二の腕を取り払って駆け出す。砲撃の雨の中を掻い潜って、底なしの黒い泥沼池からセイバーを救い出すんだ。
既に首までどっぷりと浸かっているが間に合わないわけじゃない。
その金色の髪を引っ張ってむしり取っちまう事になっても、絶対に――――!
「――そこまでよ。士郎」
――――足が、止まった。止まってしまった。
このまま前に進んで、俺の首元に突きつけられる剣にわざと貫かれてでも前に進んでやるつもりだったのに、足が止まった。
何故だ。……あぁ、そうか。自分の足元を見て分かった。これはさっき、ライダーを縛っていた茨の蛇だ。
ライダーに完全に引きちぎられたと思っていたけど、もう一体いたのか。
「どけ、ソニア――――」
既にセイバーは顔まで浸かっていた。最期に見えたのは、泥に汚れながらも失われなかった聖緑の瞳。
俺を見るそのとてもすまなそうな目が、どうしても我慢ならなかった。
セイバーにじゃない。あんな目をさせてしまった、俺自身に……。
「――……っ」
最期に、重いものが水に沈みきったときの呑吐する音がして、手の甲にある令呪の色が痛みと共に消え失せた。
「……もう通っていいわ。もう士郎に用はない。最期に愛した人に別れでも残したら?」
そう言って首に向けた剣を下ろし、ソニアは俺の横を通り過ぎていく。
「おい、衛宮。セイバーは、どうしたんだよ……。まさか本当に、殺られちまったのか?」
……まさか。そのまさかだ。
少し黙っていてくれ慎二。信じられないのは俺の方だ。
目の前で死なれたのに、俺は最後に遺されたこの令呪の痕を、ただ見下ろす事しか出来ないでいる。
「慎二。偽臣の書を出しなさい」
俺の後ろにいる慎二に向かって、ソニアは泰然と歩み寄っていく。
その澄ました声色は、もう俺たちの知っている彼女ではなかった。
「――! な、なんで、お前なんかに僕の魔道書を見せなきゃいけないんだよ……」
刹那、ソニアの剣が空を切る。
「――慎二、逃げろ!」
「――慎二、逃げるのじゃ!」
セイバーを殺した野郎と声がかぶった。
次の瞬間、ソニアはサーヴァント級の移動速度を以て慎二の背後に回っており、慎二の手に持っていた本は、いつの間にか真っ二つに切り飛ばされていた。
「――――え? あ……あ、あ、あぁ! ぼ、僕の、僕の本が……!」
「や、やりおったなヴァンディミオンの魔術師! ええい、アサシン。あの魔術師は相手にするな。代わりにあの衛宮の子倅を始末するのだ」
その命令と同時に、アサシンのダークが俺めがけてかっ飛ぶ。
俺は何もできない。俺はここでセイバーを失って、何も出来なかったまま死ぬのか。
「え、衛宮ァ!」
背後から慎二の叫びが響く。
俺は諦めた。だが、体は死を避けようともがく。
しかしサーヴァントの攻撃速度に対抗できるほどの術を、俺は知らない――――。
「――ぁ」
全てが遅く見えた。
目前の死を眺め、人生終了を脳裏に体験する。
「世話の焼ける!」
刹那、数十メートル離れていたはずのソニアが、俺の前に現れていた。
簡単にダークを小剣で弾き、なぜか俺を助ける。
「――Luristan――!」
次に何かの詠唱をしながら、ソニアは懐からデリンジャーを取り出した。
銃口の先から、魔力濃度の高い呪詛の弾丸が、アサシンに向けて発砲される。
首のないアサシンに、それを避ける術はない。
もろに銃弾を喰らったアサシンは、しかし吹き飛ばされる事はなく、まるでその場で石化したかのように硬直してしまう。
「――キャスター、宝具!」
頭上を見上げてソニアが叫ぶ。
釣られて真上を見上げると、そこには既に柳洞寺を何周もして戦闘を続けていたキャスターとライダーと――――さらに、いつの間にか跳躍していたソニアの姿があった。
そこで俺は違和感を持った。
慎二の
つまり魔力の供給がなくなったサーヴァントは、途端に弱るはずだ。
なのにライダーは、逆に今までより、その威容を大きく感じさせていた。つまり、パワーアップしていたのだ。
一方、キャスターは動きが鈍っているようだった。
契約が切れたはずのライダーが強くなった事に戦慄しながら、ソニアの指示に従い、懐からあの短剣を取り出す。
そしてぶつかり合う二騎の勝負の行方は、もはや明白だった。
ライダーとキャスター。
その実力差は歴然としており、邪魔者さえいなければ、ライダーがキャスターの短剣を弾いて、ライダーの短剣がキャスターを屠る。
……そう、邪魔者さえいなければ。
一瞬のうちに俺の前から跳躍して、ライダーの背後を取ったソニア。
その手にはセイバーと鍔迫り合った小剣を手に、ライダーの首を獲りに行く!
――ここでライダーは選択を迫られた。
まず一つ目、ここでキャスターの短剣を弾けば、確実にソニアに首を切り飛ばされる。
次に二つ目、ここでソニアの短剣を弾けば、確実にキャスターに短剣を突き刺される。
どちらが致命傷で、どちらが浅い傷となるか。相討ちよりも生還を取るなら、答えは一つ。
ライダーは空中で身を反転させ、ソニアの必殺の剣をガードした。
しかし、それと同時にキャスターの短剣が背中に突き立てられる。
「
キャスターの宝具がライダーに突き刺さった瞬間、とんでもない魔力の渦がライダーの肉体から解き放たれた。
あの宝具は魔術破りの短剣。あらゆる契約を断ち切る掟破りの反則剣。
だが、既に契約が切れていたはずのライダーから、いったい何を断ち切ったというのか?
そこで全員、力尽きたのだろう。
キャスターもライダーもソニアも、ボロ雑巾のように空から降って地面に激突した。
「……な、なんだよ。いったい何なんだよ! 何が起きているんだよぅ!」
たしかに――――慎二の言う通り、状況は混沌としていた。
そのあまりのカオスぶりに、セイバーを失って白熱していた頭が急速に冷やされる。
だが、最初から最後まで俺の頭に残っていたのは、ソニアの目的の不可解さしかなかった。
砲弾の雨にめくられた大地。土は砂のように柔らかくなり、砂煙が辺りを覆う。
それもすぐに、風が吹いて払ってくれた。
――そこに立っていたのは、ソニアだった。
「……………………」
ソニアの体には傷一つない。だが、その顔ばせは苦痛に歪んでいた。
今にも倒れそうな満身創痍の体。足を引きずって、片腕は既に動かないようだった。
「…………解せぬ。解せぬなぁ。イイぞ、訊いてやるともさ。ヴァンディミオンの魔術師よ。お主は今宵の乱戦で、いったい何を為そうとしているのだ?」
「……愚問ね。決まっているでしょう。教えるわけないじゃない」
老人とソニアの問答。
それもソニアの方から話を切って、彼女は俺と肩を並べた。
その視線の先にはアサシンがいる。
ソニアがアサシンに銃弾をぶち込んでから、まだ十秒も立っていない。
「……士郎」
ソニアが小さな声で耳打ちをしてくる。
「私を信じてくれなくてもいい。ただ、生き残りたいと思うなら、私の言う事を実行しなさい」
そんな事より、おまえの目的は一体なんなんだ。
そう問いたかった。
「私じゃあ、あのアサシンは一秒も持たないでしょう。魔力無限で宝具を連発可能。さらに殺人に特化している宝具だなんて、勝ち目ないしね」
確かにそうだ。
あの呪術は、生物に心臓がある限り避けられない死だ。
「それでもサーヴァントなら話は別。今こっちにはマスター不在のサーヴァントが二騎いる。そのうちの一騎でも味方にできれば、相手も無駄な戦いを避けて帰ってくれるはず」
マスター不在のサーヴァントとは、ライダーとキャスターの事か?
まさか――――
「そのまさかよ士郎。――――貴方は今すぐここで、キャスターと再契約しなさい」
「……そのために、こんな事を?」
「あら、何でそう思ったのかは訊かないでおいてあげるけど、時間がないわ。言ったでしょ。一秒も持たないって……ね?」
その苦笑いは、俺の知るソニアの顔だった。
――あぁ、それなら信じてやるさ。無駄な足搔きなんて思わない。
だってソニアは、俺がそうしてくれると信じている。
だってその瞳には、全くの疑いがなかったのだから――――!
「走れ、士郎!」
「キャスターァ!」
アサシンに背を向けて、うずくまるキャスターに向かって駆け出す。
それと同時に、背後で短刀と小剣がぶつかり合う金属音がこだました。
「……!」
何事かと目を見張るキャスター。
猛然と突っ込んでくる俺を訝しんでいるのだろう。
だが――――俺は再契約の呪文なんて知らない。そもそもセイバーとの契約だって事故だったんだ。
手の甲に宿る柄と鞘の紋様を遺した令呪の痕。その手をキャスターに伸ばす。
本来この手は、セイバーに伸ばすはずだった腕だ。それも出来ず、今の俺はキャスターに手を伸ばそうとしている。
――ごめん、セイバー。
否、謝ってはいけない。俺のこの手は誰の手だ。
俺は正義の味方になって、誰かに手を差し伸べる人間になろうと思っていたはずだ。
それも最初の方では、俺もセイバーに助けられてばかりで、ランサーの時も、バーサーカーの時も、一度もあいつに手を差し伸べることができなかった。だから、だからこそ……俺は二度と、
何故なら、この手はそもそも、セイバーの手だけを取る腕では、なかったはずだからだ。
ゆえにこの手は、誰かのために伸ばされる手の平であらねばならない!
このままではソニアがアサシンに殺される。
このままではキャスターも殺される。
その状況を打開できる策があるのなら、俺はセイバーとの繋がりを裏切ってでも――――!
「――キャスター、手を!」
「――
刹那、背後から魔術の詠唱が囁かれた。
それはどういった魔術なのか。鼓膜に届いたドイツ語の呪文。
次の瞬間、俺の魔術回路が音を泡立てて反発した。外部から魔力を流されていると警告を発しているのだ。
魔術回路はそれ自体が抗魔力となり、魔力の異常を敏感に感知して、毒となるものを跳ね返してくれる。
だが、俺の魔術回路は警報を鳴らしながらも、何故かその魔力を受け入れていた。
……これは、ソニアの魔力?
さらに魔術基盤の法則は強化の魔術に違いない。他人の体に魔力を流し込んで強化させるのは最高難易度とされる魔術だ。
しかし、他人を強化するといっても、いったい俺の何を強化するっていうんだ?
曖昧なものを曖昧に強化する事はできないはず。
今の俺に、肉体強化なんてものを施しても――――
――再契約の呪文、知らないの? それなら、私が教えてあげる――
ふいに、見知らぬ女性の声が脳裏に囁いた。
――あぁ、なるほど。だから強化なのか。
この強化の魔術は、俺の肉体を強化させるためのものではない。これは俺の
あくまで俺の体に憑依した詠唱代行者が、俺の魂を害さないように気をつけたもの。
つまり、他人への憑依経験を成功させるための強化。謂わば“魔術の強化”と云えるものだ。
……しかし、果たしてそんな事が本当に可能なのか?
魔術とは神秘だ。神秘とは曖昧なもので、曖昧に知られているほど魔術基盤が強固なものとなる。代わりに確固として知られていたり、知られていなかったりすると、魔術基盤とは脆弱になり弱くなる。下手をすると科学と大差なくなる場合もあるのだ。
……だが、それも魔術師が一生を掛けて、己自身として磨き上げた魔術研鑽の結晶である魔術刻印ならば。
もしやそれは曖昧なものではなく、確固たる強化できる魔術になるのではないか――――?
――貴方も強化の使い手だから、なんとなく解るのね? そうよ。私のご主人様は、研ぎ澄まされた憑依経験の魔術刻印を持っていて、その憑依の対象者は自分だけではなく、最難関の強化を用いれば他者を含むことだって可能なの。
さらに魔術刻印の中には憑き物祓いの加護が刻んであって、今回強化したものにはそれも含まれている。
一人の人間の魂に、二人の精神は身に余る。だからご主人様は、貴方の“魂の容量”を一時的に強化・増量させたの。
魔術刻印や魂は列記とした一つの性質。それを己に向けて強化することは一流の魔術師にしか出来ないけど、それを他者に向けるのは万に一つの至難の技。でもソニアにはそれが出来る。しかも魔術刻印と魂を二つ同時に強化できる。
あの子は世界にただ一人の天才なの。だからそのおかげで、私はこうして貴方の中に入ることが出来た――
脳裏に女性の声がこだまする。
それから俺の代わりに、再契約の呪文を唱えてくれる。
――告げる。汝の身は我が下に、
「我が命運は汝の剣に!」
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのなら――
「我に従え! ならばこの命運、汝が剣に預けよう――!」
「させるかァ! アサシン!」
老人の叫びに合わせて、アサシンのダークが
それがソニアの剣を軽く弾き飛ばした事を、俺は剣戟の音だけで察知した。
――ソニアが危ない。ソニアが危ないということは、同時に打ち損じたということ。
つまり俺の背後には、今、アサシンの二本目のダークが……!
「――くっ!」
刹那、地面に蹲っていたライダーが飛び起き駆けた。
それは捨て身の特攻。俺の背後に飛び出て、次には何かが肉を抉り取ったような音が背後から聞こえる。
……それは言わずもがな、ライダーが俺を庇ってくれたということだ。
地面に倒れこむライダーを耳にして……だというのに俺は、それでも構わずキャスターの下へと突き進む。
キャスターも俺の言葉を受けて、歯を食いしばりながら起き上がろうとしていた。
「――キャスターの名を以て、その誓いを受けましょう……!
仮初のそれですが、今だけは貴方を我が主として認めます、坊や――!」
キャスターの指先と俺の指先が触れ合う。
そのとき、契約の大儀式は完遂された。
――――剣と鞘の令呪が、僅かに歪な形へと変わっていく。
同時にソニアに掛けられた、他者の魂を強化する魔術と、他者に対する憑依経験の魔術も解かれた。
「――――あ、ありえん! 御三家以外の令呪はすぐに消滅するはず……! いや、サーヴァントを失った直後なら、まさかあり得るというのかっ!」
「頼むキャスター! ソニアを――――」
そう言い切る前に、キャスターの周囲に展開した魔法陣から、魔力砲のビームが発射された。
間一髪ソニアに止めを刺そうとしていたアサシンの体にビームが直撃して、やつは呆気なく吹き飛ばされる。
「ぐぅぅぅ……ぬ、ぬぬぬぬぬ……アサシン! そこに転がる首を拾え、今は退くぞ! 対魔力のないお主では、キャスターの陣地内での戦闘は分が悪すぎるわい! 影はセイバーを捕食中じゃ。影がない限り、ここは退くしかあるまい!」
「――――、……御意に。魔術師殿」
地面に転がっていた首を元に戻した不死身のアサシンは、ゆらりと闇に溶けて消えていく。
そのマスターである老人もまた、その体を虫の群れに変えて飛び去っていった。
――――そうして、柳洞寺の境内で巻き起こった乱戦は、今ここに終息した。
◇
――何が起こっていたのか。僕にはまったく検討すらもついていなかった。
確か僕は、衛宮と一緒に柳洞寺にやってきて、キャスターを倒そうとしていたはずだ。
だっていうのにキャスターを目の前にして、なんとあのソニアが現れやがった。しかも、ソニアは魔術師だった!
さらにキャスターを倒すのを邪魔して、セイバーと斬り合えるほど強くて、ライダーを縛り付けて、そうして僕の顔に泥を塗りやがってくれたんだ、あいつは!
それからライダーを逃走するキャスターに向かわせたってのに、まさかお祖父様まで現れるだなんて……。
それにアサシンのサーヴァント? 衛宮を殺す?
――あぁもう何だってこう上手くいかないんだ! どいつもこいつも僕の邪魔ばかり!
それからライダーは魔眼を開放しても、死に物狂いで逃げ続けるキャスターを仕留めきれず、そのせいで衛宮のサーヴァントがアサシンに殺られた! これは僕のせいか? 違う。衛宮のサーヴァントが弱かったのが悪いんだ。
それも、あの黒い影のせいだ。なんだよあれ、なんなんだよ。
それから、それから。
ソニアが僕の魔道書を斬って、ライダーの契約が桜に戻っちまって、それでもまだ息が合ったのに、何故か衛宮を庇って消滅しちまった! まだ令呪が桜に戻っただけなら良かったのに、衛宮のやつを庇って消滅しちまったんだ! さらに衛宮はキャスターと一緒に、お祖父とアサシンを追っ払っちまって……。
「――って事は、なんだよ。脱落したのは、僕だけだってのか……?」
まるで大戦の空襲が再来したみたいに戦慄していた境内は、既に平和そのものと云えた。
「は――ははっ。なんだよ、つまんねぇの。僕だけかよ。僕だけ、いつも仲間はずれで……」
「所詮、魔術回路もないただの人間がね。魔術師になんて、なれるはずがなかったのよ」
「――ッ!」
ソニアだ。目の前にソニアがいる。こいつは今、僕になんて言った?
こいつは僕が求めていたものが、なんだったのかを分かって言っているのか?
「それで。貴方は聖杯戦争から降りるの?」
「――何を。サーヴァントもなしだってのに、どう参加し続けろって言うんだよ……」
「そう。それでもサーヴァントがいないから無理ってだけで、諦めるつもりはないのね?」
「――……ちょっとさ、黙っててくれよ。お願いだから、僕を独りにしてくれよ!」
右足で思いっきり地面を踏みつけた。
何度も、何度も地団駄を踏む。勢いありすぎてたたらを踏んだ。
「くっ――」
「慎二……」
なんだよ衛宮。僕を笑っているのか。弱くて哀れで負け犬な道化だと思ってんだろ。
僕はいつもお前のそういう顔が嫌いだった。
なんでも他人を気遣って、自分がぼろぼろなのを後回しにする、お前が……。ったくよぉ。魔術師のサーヴァントを従えたんなら、とっとと頭から流している血を治してもらえよ。見苦しいんだよ!
「士郎。今夜はもう帰りなさい。腹を割って、よくキャスターと話して、これからどう聖杯戦争を勝ち抜くのかを、じっくりと考えてから寝るように」
そうだよ。さっさと帰れよ。お前にはキャスターがいるんだ。
セイバーからキャスターに乗り換えられてよかったじゃないか。これでお前は、聖杯戦争をし続けられるんだからさぁ。
「……マスター」
「ん? どうした、キャスター」
「……いえ、なんでもないです。話は後で。私は魔力の消費を抑えるため霊体化します」
しゃらん、とキャスターは光となって消えた。
それから衛宮のやつも踵を返すと思ったのに、そのまま立ち尽くしたままだった。
なんだよあいつ。僕を見下すのがそんなに楽しいのかよ。
「……おい、慎二。帰るぞ」
「――――えっ?」
「お前、本当はまだ全然諦めてないんだろ。……なら、まだ同盟は続いている。桜も待ってるし、今日はもう帰ろう」
――――なにを。
「士郎。もう慎二のことは独りにしてあげて」
「なんでさ。慎二を独りにはしておけない。同盟相手の前に、同じ学校に通う友人だからな。なによりその友人が今にも泣きそうな顔してるんだ。それを放っておけるわけないだろ?」
――――今にも泣きそうなのは、どっちだよ。
本当に辛いのは、どっちだよ。
その顔で、自分の事をないがしろにし続けるなよ。
お前ってさ、本当に莫迦すぎて、本当に――……。
膝から頽れる。情けなさで立っていられなかった。両手を地面につけて、もう動けない。
あいつはセイバーが殺られて、涙をこらえていた。
僕はライダーが殺られて、自分が悔しかっただけだった。
まぁ衛宮はそういう優しすぎるというか狂ってるようなやつだから、僕はそんな馬鹿なやつと同じリアクションを取るつもりはない。
僕も別にライダーが殺られてもどうとも思わない。そういう人間だからね。弱いやつを気にして、何の益があるってんだ。
――だから余計に、僕という人間の矮小さが引き立ってしまう……。
――だから不快に、見下していたやつに気を使われる事が我慢ならない……。
――だから無性に、
「……桜」
「そうだ慎二。お前の妹が待っている。最近、熱が酷いんだ。寂しがっているだろうから、会ってやってくれよ」
……桜。あいつは魔術師だ。ライダーの真のマスターだ。
それもライダーが死んじまった事で、桜はただの間桐の魔術師に戻る。
そして、マスターになる手がなくなった僕は、本当にただの一般人となったわけだ……。
今の僕を桜が見たら、また「ごめんなさい、兄さん」って、謝ってくるんだろうか……?
「――っ」
唇を噛み締める。
「……桜には、会いたく、ない」
「――え?」
あいつは僕に謝り続ける。
あいつは僕を立てるために謝り続ける。
それが僕を最も貶め、蔑む言葉だと知らずに、良かれと思って謝り続ける。
謝意も過ぎれば卑屈だと親に教わらなかったのか。……あぁ、親、いないんだったな。
「……なぁ、慎二。もうマスターじゃなくなっても、お前が桜の兄である事には変わりないだろ?」
そうだ。僕は桜の兄だ。優しい兄だ。ほかの誰より頼れる、ただ一人の兄だ。
この侮辱の大きさを思えば、それくらい思ってもバチは当たらないと思い込んでいた。
だけど――――あいつは変わらない。あいつは誰よりもか弱く見える小動物だが、その実、怖いやつだ。
なにを考えているのか判らない。衛宮の家に通うようになってからも、随分と物を言うようになって、さらに手がつけられなくなった。
そんなやつなんか、どうでもいい。だから、あぁ、頼むから独りにしてくれよ――――っ!
「……あぁ、もしかして喧嘩でもしたのか? なら思う存分、家に帰ってから仲直りすればいい」
「うるさいなぁ。独りにしてくれって言ってんだろうがっ!」
激昂した。八つ当たりだ。惨め、あまりにも惨め。
くそっ。こういうときってお前、本当に下手くそだよな。
だから桜も困ってんだ。この能天気が……。
「士郎。ここに居続けるのは良くないわ。もう帰りなさい。大丈夫よ。慎二はもうマスターじゃないんだから、誰も何もしないわ」
「……ならソニア。一つだけ聞かせてくれ。お前も、マスターなのか?」
「……………………」
何も答えないソニア。
そのまま踵を返して、あいつは山門から降りて行きやがった。
「……慎二」
「帰れよ。同じことを言わせるつもりか。そろそろキレてぶん殴るぞ」
「ふぅ……分かった。気をつけて帰れよ。何かあったら言ってくれ。待ってるからな」
最後まで馬鹿みたいに人の身を案じて、あいつは去っていった。
境内に独り残されて、ただうなだれる。
「――――くそぅ……」
風の音すらない深夜の静寂に、つまらない男の口惜しさだけが尾を引いた。
◇
家に帰る。
戸を開けて玄関に入ったら、目の前に立っている人物を見て、少し驚いた。
「さ、桜……」
「せ、先輩――っ。ど、どうして、そんなに血まみれなんですか……っ!」
それからというものの、桜はあたふたして救急キットから包帯や消毒液を取り出し、俺の介抱をしてくれた。
見たところ桜の熱は完全に引いているようで、逆に元気すぎて大丈夫かと思うくらいのやんちゃぶりだった。
「いて……」
「ご、ごめんなさい。時間、かけちゃって……」
包帯を巻くのに小一時間。
キャスターの魔力砲撃で抉られた地面から飛んできた小石に頭をぶつけただけで、別にそんな重傷じゃないんだが、まぁきちんと包帯巻いとかないと見苦しいだろうし、これで良しとした。
「ありがとう。桜。いや、これはホント、転んだ拍子に石を頭にぶつけただけなんだよ。さらに転んだ先が泥沼で、見ての通り泥だらけになっちまったってわけさ」
「……はい。そういう事にしておきます。見たところ喧嘩でもないようなので、はい」
よし、言い訳はなんとかクリア。
「それじゃあ桜。あとは体を拭いて寝るだけだから、桜はもう離れに戻っても――」
「――あの、先輩。セイバーさんは、どうしたんですか?」
――――、――――――――――――。
「あぁ、帰った。ほんと急だよな。すぐに帰国しなきゃいけない理由ができちまって、送って行ったんだよ。藤ねえと桜には謝っといてくれって頼まれてたんだ」
「……いえ、そんな。でも、本当に急でしたね。もう少し一緒にいたら、もっと仲良くなれたかもしれないのに……」
「そうだな。ほんと、来る時も騒がしいやつだった――――」
そのあと俺は、包帯を巻いた体で風呂には入れないから体を拭くだけして、もう寝るから大丈夫だと桜を離れに戻した。
寝室にて電気を消す。
既に眠ったと桜に思わせなければならないからだ。
「――キャスター。いるか?」
いるか、とは聞いてみたけど、近くで霊体化しているのが感じ取れる。
セイバーが霊体化した事はなかったから、サーヴァントの霊体化、実体化を感じるのはこれが初体験となる。
……だが、キャスターは実体化をしない。
そこにいるのは分かるのだが、出てきてくれないのだ。
「……どうした? キャスター?」
(いえ、少し問題があって……)
――うおっ。これがサーヴァントとの念話ってやつか。脳に直接響いて驚いた。
「……問題、とな?」
恐る恐る聞いてみる。
(ええ、どうやらマスターとのパスが、その、繋がってないみたいで……)
それを、とても言いにくそうにキャスターは教えてくれた。
俺はセイバーとの事故に近かった契約を思い出す。確かセイバーは、召喚の不都合でパスが繋がっていないと言っていた。
だが、キャスターとはちゃんと正規の契約ができたはずだ。
それなのにセイバーの時と同じ問題が起きているということは……。
「もしかして、俺のせい、なのか……?」
(おそらくは。確か現代の魔術師は、魔術を扱うのに魔術回路というものを用いると聞きます。マスターは、それを持っていて?)
「あぁ、持ってる。というか作ってる。魔術が必要な時にだけ」
(必要な時にだけ? それは、いや、でも……それは、おかしいわねぇ?)
「あぁ。おかしいな?」
何が問題なのか、キャスターと一緒に頭を抱える。
そこでふと思ったが。俺はキャスターという人となりを全然知らない。
ただ、柳洞寺では状況の把握と適応を常に求められていたから、細かい事や余計な事は考えないようにしていたけど、落ち着いた今になって思えば、俺は正体不明のサーヴァントと契約を交わして、堂々とあぐらをかいているという謎な状況になっているのだ……。
「――なぁ、キャスター。難しい事は一先ず置いといてさ。最初は順序よく行かないか?」
(?)
「まずは自己紹介って事だ。柳洞寺では本当に混沌としていたし、あの場で生き残るために俺たちは再契約した。だから、その。一旦落ち着いてだな――――俺の名前は衛宮士郎。キャスターの名前は――って、相棒だったセイバーの真名すら教えてもらえなかった俺が訊くことじゃないと思うけどな……」
(そうね……私の事はそのままキャスターとお呼びなさい。それじゃあ改めてよろしくね? マスター?)
そのわざとらしい
「――なぁ、キャスター。あのとき、キャスターのそばに倒れていた、あの体が半分欠けた死体は一体誰なんだ? 俺が思うに、あれはキャスターのマスターなんじゃないのか?」
(――――、……ええ。彼は私の、マスター、でした)
「……じゃあ、それは、その……」
ここで何というべきか。
裏切ったのか?
殺したのか?
それともあの場にはアサシンがいたから、殺されたのか?
だが、少なくとも今のキャスターの声は、悲しさやら怒りやら、色んなものが含まれているように感じられた。
「――――あの場にはアサシンがいた。殺されたのか?」
(ええ、私のマスターは私を庇って殺された。それでも宗一郎を殺したのは私よ。既に体の半分が侵されて死人同然だったとはいえ、私はこの短剣をあの人に突き刺してしまったのだから……)
「――そうか。それは、辛かったな……」
キャスターは、たぶん。その宗一郎というマスターのことを大切に思っていたんだろう。
霊体化していて顔は見えないけど、その声の寂しさと言ったら、まさに未亡人のそれだった。
(――貴方は、信じるのですか?)
「え? 今の話をか? だって、そりゃあ……信じるもなにも、キャスターが嘘を付いているようには見えないからな……?」
いや、もちろん全面的に信じているわけじゃないけど、悪い人には見えなかっただけの話で、もしかしたら俺を誑かそうとしているのかもしれないという事は、一応、考えてはいる。
(そう――)
けれど、その警戒はすぐに余計なものとなった。
その安堵する声。
何かに洗い流されたかのような声色に、俺は本当にキャスターという女性が、根っこは善人なのかと思えてきた。
だって、誰かから信じてもらうだけで、こんなに嬉しそうにするのは、はっきり言って可哀想だとも思えたからだ。
……ぶっちゃけた話。実はキャスターの短剣を見たときから、俺は彼女の真名を予想できている。
それが正しいものか間違っているのかどうかは判らない。
それでもキャスターの口から聞くまでは、黙っていようと思った。
裏切ってもいないのに裏切ったと罵られるのは、誰だって嫌だからな。冤罪ってやつだ。
「……なぁ。それじゃあキャスターは、この戦いに勝つつもりはあるのか?」
(もちろんあります。さらにその問いは、私の願いを遠まわしに訊いているわね? まぁ、私の願望が真名に直結するものではないから教えてあげますけど。――――私が聖杯に願う事は、マスターを生き返らせる事です)
はっきりと、厳かな口調で、自分は本気なのだとキャスターは言った。
――死人を蘇らせる。
その願いに、俺はどこか胸の痛みを覚えた。
(坊やは、何か願い事はあるのかしら? ――――例えば、過去の清算。とか……)
「そんなものはない」
口から衝いて出た言葉は、自分でも唐突すぎて驚いた。
(ない? そんなはずはないでしょう。聖杯とは万能の願望機。人間なら、何か――)
「そんなものはない。俺の願いがあるとすれば、この戦いを終わらせること、それだけだ」
ハッキリと、簡潔に、俺は無辜の人々が無事でいられるのなら、それでいいと言い切った。
俺の願いは、聖杯戦争を無事に終結させること。
悪い奴が聖杯を使って人々を害する恐れを無くすよう、この馬鹿げた聖杯戦争を疾く終わらせること。
その点、キャスターは別に災害を引き起こすような願いではなかったことは、一応感謝するべき事だったか。
(そう、なのね……。ええ、分かったわ。私はてっきり――――、いいえ、なんでもありません。そんなに真っ直ぐ私の目を見て言われたら、無粋な想像は意味ないし、失礼よね?)
なんだ。とりあえず俺は誰もいない虚空を見て喋りかけていたんだが、そこにちょうどキャスターがいたのか。
声は響くが正確な位置は反響して掴めないでいたから、実は対面していたと思うと少し気恥しいものがあった。
透明人間と話すのって、こういう気持ちなのか……。
「……あれ。そういえば、キャスターのマスターの死体って、あれからどうしたんだ? 柳洞寺から立ち去るときには、死体がなくなってて変だなと思っていたんだが……」
(ああ。それなら私が、坊やがお友達と会話をしている最中に地中に隠しておきました。凍結させて防腐加工を施しておいたので、聖杯さえ手に入れられれば、すぐにでも宗一郎様は地中から生きて抜け出てくれるでしょう……)
「そ、そうか……」
なんか、お墓から蘇るアンデッドみたいな想像をしてしまったけど、わざわざ言うことでもないし、失礼なので黙っておこう……。
(それでマスター。自己紹介と互いの目的を共有したところで、次は一体何を話すのかしら?)
「それは……まぁ、作戦会議って事になるな。何か言いたいこととか、聞きたいこととかあるか? ちなみにマスターとして不足過ぎるっていう指摘はなしでお願いします……」
(ふふっ。そうね。それじゃあ別のことを聞きますけど、貴方にはほかに仲間はいるのかしら?)
仲間? はて、セイバーはもういないし……同盟相手の慎二もライダーを失ってしまった。
敵か味方か判らない相手ならソニアがいるけど……。
「う~ん。――遠坂」
思い浮かんだ人の名前が、本当にそれだけだった。
(遠坂? ……あぁ、あのムカつくアーチャーのマスターね。御三家の家名を持つ小娘。で、坊やは、あの娘と知り合いなの?)
ムカつくって……もしかしてキャスターは、既に遠坂と一戦やり合っていたのだろうか?
「――あぁ。知り合いだ。でも、それがどうしたんだよ」
(いえ。ただ、どうやら今回の聖杯戦争では、まつろわぬものたちが街を跋扈しています。聖杯もそう、サーヴァントもそう、その中身も……。だからこれをどうにかしない限り、私たちは通常の聖杯戦争すら出来ない状態にあるのです)
……???
俺には、キャスターの言っていることが十割も解らなかった。
ただ、キャスターの言葉を汲み取る事で分かることは、今回の聖杯戦争は尋常なものではない。
だから遠坂でも何でも良いから、ほかのマスターを懐柔して、それで聖杯戦争を尋常なものに戻す――――のではなく、そのまつろわぬものを相手にするため、戦う準備を整えるべき、ということなのだろうか?
(そう。貴方はまだ、あの影を知らないのですね。……ならば仕方ないわ。癪ですけど、坊や。貴方は本当にあの遠坂の娘と敵同士ではないのですね?)
「あぁ。少なくとも俺はそう思っている。次に会ったら殺されるかもしれないけど……」
(えぇっ?)
「いや、大丈夫! ちょっと前に色々あっただけだから! 放課後の校舎で一戦やり合っただけだから! でも今度は大丈夫。事情を話せば、ちゃんと相談に乗ってくれるさ。たぶん……」
(……まぁ良いでしょう。私自身癪ですが、状況を理解していない坊やに懇切丁寧に説明してあげます。耳をかっぽじってよく拝聴しなさい。――ハッキリ言って、今の私たちは絶望的な戦力です。魔術師のくせに魔術回路がない貴方と、魔力提供がなければ何も出来ないキャスター。聖杯戦争中、最弱と言っても誰も否定しないわ)
いや、それはごもっともなんですけど……。
「待ってくれキャスター。俺にはちゃんと魔術回路が――」
「黙ってなさい。まずは状況理解だと言ったでしょう!」
うっ。なんだろ。このいきなり尻に敷かれた気分。
キャスターとは数刻前まで敵同士だったんだけどなぁ……案外人間の適応力ってのは馬鹿に出来ないもんなんだな。
(だから坊やがライダーのマスターと手を組んでいたように、私たちも誰かと手を組む必要があるということ。そこで、
……なんだろ。遠坂のやつ、キャスターに随分と嫌われたものだな。
「分かった。つまり明日の方針は、何としてでも遠坂を味方に付けなきゃいけないんだな」
(そういう事です。それさえできなければ、私たちは丸裸のまま敵に襲われて犬死するでしょう。特にバーサーカー辺りに)
確かに。そもそもキャスターは、クラス名の通り魔術師なんだ。
それも高位のものだけど、白兵戦が得意な相手に地の利なし防衛なしで襲われたら、それこそ戦う前から勝負は決まっているというもの。
(聖杯戦争で上位に入る強者に御三家が入るのは当然として、アインツベルンは論外。マキリとは今夜の件で敵対していますし、本当にあの小娘しかいないのね……。ライダーもマスターを置いてどこかに行ってしまったし、セイバーは取られて、ランサーは敗退。謎の黒い剣士は未確認物体として扱うとして……あぁもう! 柳洞寺を手放してしまったのは本当に痛手だったわっ……! それも長居できるような地帯でもなかったのは重々承知していますけれどもっっっ!)
なにやら独り言をブツブツと言いながら、キャスターが癇癪を起こしている。
(ふぅ。それではマスター。色々と問題はありますけど、とにかく今夜は眠りなさい。これ以上、その死にそうな顔で作戦を練れるほど、坊やは丈夫じゃないでしょう?)
「え――? いや、俺はまだ大丈夫なんだが? そんなに死にそうな顔してるのか?」
(……これは重症ね。なによ。私の事だけ心配してくれて、自分の事は無頓着なわけ? おかしな子。とにかく寝なさい。何かあったら何もできずに終わるでしょうけど、ビクビク震えながら朝を待つのね)
それきりキャスターは黙ってしまった。
それでも、ずっとそこに座っているのは分かる。
……俺は布団を敷いて、そのまま寝そべった。
ふかふかの布団が心地いい。
今なら眠れる。キャスターの言う通り、今は休息を取って考え事は明日にしよう。
キャスターとの会話は、ほんの数十分程度のものだったが、大体の性格は分かった。
人間付き合いなら、そこそこはやれるかもしれない……。
「……おやすみ」
一応、これからの戦友に一言だけ挨拶を残して、俺は瞼を閉じた。
――セイバー……。
/了
セイバー、敗退。――――然れどその心身は、世界の悪意に弄ばれる。
衛宮士郎、キャスターと再契約。剣と鞘の令呪が、僅かに歪な形へと変わる。
魔術刻印の強化、魂の強化について。
ここだけは珍しく、特に何も考えずノリで書いたため、普通ならありえないと自分でも思うが、例外はいつだって存在するものだ。
(もちろん流石に魔術の強化は駄目だろコレと思わなくもない。しかし発想を転換させれば、別に誰もが受け入れられるモノになるとは思う。たとえばそれは、ラスボスというポジションだ。
仮にラスボスの魔術師が、自分の魔術を強化させて、さらに強化させた魔術を強化させて、最後に八極拳で殴りかかってきたとしたら、それはもう逆に凄すぎてラスボスだから納得できる偉大さ、凶悪さ、ヤバさになるのではないだろうか?
つまり一部の魔術師にしか使えないからこそ、このチートさが際立つのであって――――つまりソニアは、ラスボスだった……?)