Fate/stay night : 2.5i+3.10i+BERSERK = The Future Remember 作:形のない者
この章の後半にある遠坂凛の謎解きシーンは【Fate/stay night[UBW]】のアニメ第一話を見てから読むと、凛と一緒に謎解きの答え合わせに挑戦できるかもしれません。
朝が来た。
それを知覚した瞬間、一拍もおかずにまぶたを開く。
目覚まし時計も朝の陽射しも要らない。どれだけ徹夜して寝不足であろうと、一週間も起き続けて一度も仮眠すら取っていなくても、私はただ体内時計で陽が昇ったと理解する。
これも研究者……じゃなかった。魔術師として当然の嗜みである。
「ふわぁあ……」
といっても、この眠気自体はどうにもならない。
とりあえず風呂に入ろうとベッドから飛び降りる。
「あれ、そう言えば……」
あることを思い出してベッドに振り返るが、そこは当然として無人だった。
「どこに行ったんだろう?」
それでも「まぁいいか」と楽観し、私は風呂場へ足を運んだ。
……身嗜みはOK。朝食も済ませた。あとは学校に登校するだけの時間となり、玄関口で靴を履く。
「おい」
すると突然、背後から野太い声が上がる。
振り返れば、そこには今朝方寝室にいなかった男がいた。
「朝の定時報告。するって言ってただろ。お前が」
隻眼に隻腕の大男。黒い外套に身を包み、その下には漆黒の鎧を着込んでいる。
さらにその背中には、およそ通常の剣とは呼べない巨大な鉄の塊を携えていた。
「なにそれ。私という女を抱いておいて、開口一番がそれかしら?」
「ハッ。ガキくせぇ体をしておいて女だと? もう少し年食ってから言え」
ぐにっ……さ、昨夜はあれほど激しくしてたくせに……!
「に、日本人は低身長なの! これでも立派な穂群原学園の二年生なのよ!」
「話をすり替えるな。それにお前、どう見ても日本人じゃねぇだろ……本気で言ってんのか」
言い合いを済ませて本題に入る。
「貴方こそ、一体どこに行ってたのよ。もしかして、さっそく仕事してくれたの?」
「いや、外を見張っていた。オレも一応、お前のサーヴァントになったんだからな」
「令呪もないのに?」
「魔力をくれてるだろ。パスだけ繋いでな。あと、この世に留まるための依代にもなってくれてる」
……そうか。意外と結構、律儀なんだ。このサーヴァント。
少し驚いて、強面な人には優しい人が多いのだという、ギャップみたいなものに感心する。
「それじゃあ学校に行ってくるわ。翌朝になるまで私には絶対不干渉。私のことも知らないフリをすること。
その命令に対して素直に頷く私のサーヴァント。否、私の同盟相手。
彼は私のことをマスターだと思ってくれているみたいだけど、そのような情けは別に要らない。
私は私で、このバーサーカーというサーヴァントを裏切らせない程度の協力関係を築くのみで終始させるつもりなのだから。
「いってきます」
誰に当てたわけでもない、一年以上前からの口癖を呟いて、いざ大好きな学校へと出発進行。
そこには私の大好きな仲間たちが待っている!
……しかし、そうやって平和な日常という至福のひとときを楽しんで、微笑んでいられるのは今日までだ。
だから存分に、今日という最後の日を楽しむつもりではあるのだが。
この私――――ソニア・ド・ヴァンディミオンは!
校門前。まだ朝も早い時刻だからか、人はまばらにいても少なかった。
その時、前方から手を振って近づいてくる女生徒を発見。美綴綾子である。
「――あ、そうだ。言語の憑依経験を解かなくちゃ」
最後の日になるというのに、自分の言葉を使わないで友と語らうなど勿体無い。
今こそ私は、これまでに培ってきた大和言葉を、彼女の前で初披露するとしよう。
……憑依経験とは、降霊や召喚によって口寄せした霊的存在を自身に憑依させることで、自分が知らない技術や知識を蒐集する魔術である。
これは様々な使い方が想定できる便利な魔術だが、私は専ら言語の問題に用いている。
まず、私の使用言語は英語のみ。外国語なんて全く使えない。
しかし私は日本に来訪したとき、適当に日本語が達者な亡霊を捕まえて、私の魔術刻印『霊魂の憑依経験』に封じ込めた。これは憑依術の工程を、たった一小節に短縮させるもの。
そのおかげで私は、すぐに日本語を用いて、日本人と日常会話をこなせるようになった。
具体的に説明すると、要はリアルタイムで行われる自動翻訳機である。私が英語で発言する際、亡霊はその英語をタイムラグなしに日本語へと置き換えて、私の口と声から日本語を発言してくれる。
つまり憑依経験とは、憑依させたその一瞬で言語を修得したことにはならず、
――――ならば、この憑依経験を解いたら、私は英語しか喋れなくなるのか? ……それは否である。
日本に滞在してから、はや二年になろうとしている。この間に私は亡霊の教鞭もあり、完璧に日本語を修得し、自分のものにしていたのだ。
なにより二年も同じ言葉を使っていれば嫌でも覚える。
さて……それでは美綴綾子を相手に、私の完全無欠な日本語会話を披露してやろうではないか。
「やっほー。おはようソニア」
「おはよう綾子」
よし、最初の挨拶なんて序の口序の口。楽勝よ。絶対に違和感はないはず!
「うん? あれ、なんかソニア……変わった?」
「……えっと、何が……?」
ごめんなさい。秒速で心が折れました。いくら鋭い洞察力を持つ彼女でも、絶対にバレないと思っていたのに……。
嗚呼……今すぐにでも憑依経験をやり直したい。
――――と、思ったら! 何よあの亡霊、拒否ってどういうこと!? 自分で頑張れってこと? まさかここで使い魔の反逆を喰らうなんて思いもしなかったわ!
「んーとね、今のソニアの言葉――――」
あー! やめてー! 今すぐこの日本語の教師の亡霊を無理やり縛って憑依させるからぁ! だからそれまで何も言わないで綾子ぉ!
「なんか……すごい完璧だったなって思って」
「……へ?」
「あ、いや、勘違いしないでよ。別に今までが完璧じゃなかった。ってわけじゃないんだ。だってソニア、転校してきた頃から日本語は流暢だったしね。ただなんというか、今の挨拶には暖かな真心のようなものがあったような気がして。……なに? なんか良いことでもあった?」
「綾子、大好き!」
「うわぁ! いきなり何するのよ。離れなさいよ、もー!」
自分で考えた言葉で、自分の声色で挨拶して、こんなことを言われたら嬉しいに決まっている。
しかし私たちは校門前でじゃれつくようなタイプの人間ではないので、人目を引く前に綾子から離れる。
「もう。何があったのかは知らないけど、あまり舞い上がらないようにね、ソニア」
「大丈夫よ、ありがとう綾子。それじゃあね」
軽く手を振って私たちは別れる。
彼女は私が知る中でも、かなり気の利く姉御肌な人物だ。あと似たようなタイプがもう一人いるが、あれはまた別のタイプである。気に入った相手しか面倒を見ない……というか、素を見せない猫かぶりな人物とでも言ってしまおうか。
昇降口で靴を履き替えた私は、自分のクラス。二年C組に赴く。
開きっぱなしの引き戸に顔を出して、本日二度目の挨拶をする。
「おっはよう!」
しかし、教室は無尽に近かった。
それでも応えてくれる生徒は一人いた。
「おはようソニア。また二番乗りだな」
それは成長した赤毛の少年。衛宮士郎だった。
「士郎が早すぎるだけよ。用もないのに早起きしても損じゃない?」
「損じゃない。それに用がないのはソニアも同じじゃないか」
「いいえ。私は大好きなこの学校に少しでも長くいたいだけです」
「……そうか。そんなにこの学校を気に入ってくれていたのか。この学校始まって以来の外国人入学生にそんなに気に入られて、教師合わせて在学生ともども嬉しみに尽きます……と。まぁ、俺が代表して言うことじゃないけどな」
まるでお姫様に礼を取る執事のように、士郎はふざけて腕を胸に付ける。
「そんなことないわ。学校っていうのは、そこにいる人たちがいて初めて気に入るものよ。それに一役買っているのが士郎、貴方もなの。だから私は別に、なまこ壁マニアってわけじゃないわ」
それから暫くして、士郎や登校してきた友人たちと会話をしていると、新たに目を引く人物が教室に入ってきた。
「やぁソニア。おはよう。今日は弾んだ声で喋るね? 何か面白いことでもあったのかい?」
教室に入ってきて早々、私に声を掛けてきたのは間桐慎二。去年から同じクラスで仲良くしてきた相手だ。
彼は物事に関して明察で、小回りの利く探偵のような人物。プライドが高いのが玉に瑕だけど、それに実力が備わっているので、まぁかっこいいとは思う。その性格を除けば。
「おはよう慎二。やっぱり判るのかしら? 日本語、上達した?」
「あぁ。でも上達したっていうより、なんだか明るくなった気がするよ。長いこと一緒にいたけど、それが本来の君なんだろ? ようやくお目にかかれて僕は嬉しいね」
くつくつと無邪気に笑う慎二は、私の席の隣に座る。
それからホームルームが始まるまで、私と慎二は暫しの会話を楽しんだ。
昼食の時間。
席を立ち上がり食堂に向かう。その時、後方から声を掛けられた。
「おいおいソニア。今日は食堂に行くのかい? なら、僕と一緒に食べないか?」
その声の主は慎二だった。どうやらわざわざ追いかけてきたらしい。
だが残念無念。今日の私には用事があるのだ。
「ごめんなさい。今日は先約があって」
「なにそれ、男?」
「ううん。女友達よ」
「そうか、判った。邪魔したね」
踵を返す慎二。彼は去り際に手を振って、ひとつ約束を残した。
「また今度誘うからさ。次は一緒に食べようぜ」
それから私は、食堂で購買したパンを手に持って屋上へ上がる。
「うぅ。寒っ!」
扉を開けた瞬間、凍えるような風が吹き付けてくる。
ぶるっと体が冷えていくのが分かり、熱を逃さないよう脇を抱え込む。
「おーいソニアー。こっちこっちー!」
誰かの呼び声をかき消すほど風が痛い。
私は寒風を面食らって、一歩も動けなかった。
「もう仕方ないなぁ。あんた寒国出身のくせに冬はダメなんだから。そんなので、よく今まで研究できてたわよねー」
勝手なことを言いながら、私の手を引いてくれる誰か。その握ってくる手の感触には覚えがある。
なにより屋上で私を待っている相手なんて、一人しかいないんだから。
不意に風が止む。というよりも、風が何かに遮られた。
気づけば私は、彼女に手を引かれて給水タンクの裏に回っていた。
「ふぅ。たしかに寒かった!」
黒髪にツインテール。制服に赤いコートを纏った美少女、遠坂凛。
彼女は冬木のセカンドオーナーであり、私の魔術師としての友である。
「それで、凛。私に何か用なの?」
「――うん? あれ、あんた……憑依経験の魔術を解いたの? ようやく。 あっはは!」
「むっ……貴女に気づかれるのは判るけど、なんでそこで笑うのよ……」
「はは……いや、やっぱりなって思ったのよ。そうか。ようやく自分の口で喋ろうとしたのか。だったらもう、ネタばらしをしてもいいかな?」
うふふふ、と。なにやら邪悪な笑みを浮かべている遠坂凛様。
――これはまずい。
もしかしたら私が知らない間に、何か弱みを握られてしまったのだろうか?
はて、ネタばらしとはなんだろう? このあかいあくまにからかわれるのは、ちょっとどころではないくらい苦手なのだけど……。
「あのね、ソニア。やっぱり会話っていうのは、自分の口と声でするものなのよ。もちろん私はあなたの声を毎日聴いているわ。けれどね、なんていうか……温度差が違うのよ」
「……それって、亡霊を通して話しているか否かってこと?」
「そうそう、判ってるじゃない。今までのあなたは心底親しみを込めて、この学校の人たちと会話していたつもりだったんだろうけど、正直どこか他人事みたいな雰囲気が感じられていたのよね。でも、もしかしてそれ……とっくに誰かに言われてた?」
「えぇ。最初は綾子に看破されて、次は慎二に気づかれたわ」
「へぇ? 綾子なら判るけど、あの慎二が? あいつも結構鋭いところあるのねー」
そう言って凛は、ジュースをちゅーちゅーと飲み始める。
私もその隣に座り、購買したコッペパンを食べ始める。
「……あのね。話っていうのは、聖杯戦争のことなのよ」
不意に話しかけてきた凛。
あまりにも唐突すぎて聞き逃してしまうところだった。
「明日、わたしはセイバーを呼ぶことにしている。教会のルールで聖杯戦争と関係のない魔術師は去るようにって、あの神父から言われなかった?」
「言われなかったわ。言われたとしても頷くつもりはない。わたしは今まで通り学校に通うわ」
断固とした口調で言い返す。
このことは今まで、何度も凛から心配されていることだったが、それでも私は頷けなかった。
「そう。それじゃあサーヴァントを目撃して、それをほかの魔術師やサーヴァントに気づかれてしまった場合、目撃者として片付けられる危険性があると判っていても?」
「えぇ。だけど自分が魔術師だと明かせば、私を殺す必要はないとすぐに相手も判るでしょう? だって神秘の秘匿は互いに了解していることだもの。もちろんサーヴァントというのが非常に強力な使い魔だということは理解しているわ。それでも自衛すらできない私だと思って?」
これだけ言えば凛も諦めてくれるだろう。
私はもうこの話題で口を開くつもりはないという意思を明示するため、販売機で買ったジュースのストローを口に咥える。
「そう……考えを変えるつもりはないのね。だったらせいぜい夜は出歩かないようにしなさい。まぁ言っても聞かないんでしょうけど。
――――ところでソニア。ちょっと服の下のお肌を見せてくれない?」
――――ぶふぅっ!?
突然のセクハラ発言にジュースを吹き出しそうになる。
そして私がリアクションを見せている間に、凛はやけに艶かしい手つきで私の服の裾を捲くり上げていた。
「な、なっ! 何してるのよ!?」
咄嗟に距離を取り、服の裾をスカートの中に戻す。
「何って、令呪を隠しているのかどうか確かめさせてもらうわ。ほら上着も脱ぎさない」
「ばばばバカなの!? 令呪って手の甲に宿るものだと貴女の口から聞かされていたのだけど!? だのに服を脱ぐ理由とは!? そ、それにもし、私がサーヴァントを従えていたらどうするつもりなのよ! だって貴女、まだサーヴァントを召喚していないんでしょう!」
わきわきと手を握ったり開いたりして、にやける凛から全力で逃げる。逃げる。
「なぁに? そんなに令呪を見せるのが嫌? 手加減してくれなくてもいいのよぉ!」
「て、手加減って……もう……」
このまま凛にからかわれているわけにはいかない。早々に諦めさせるために、私は両腕の裾を捲ってみせた。
「あら真っ白。綺麗ねーあなたの肌。だけど何事にも例外はあるわ。令呪って背中とかお尻にも宿るらしいし?」
「もう、いい加減にしてよ!」
顔を真っ赤にして怒る。すると凛は笑い転げる。
嗚呼、もうダメだ。学友として接しても、久しぶりに魔術師として接しても、こんな扱いを受けるのであれば、もうダメだ。
彼女に気に入られた者は、その誰もが、この“あかいあくま”のおもちゃにされてしまうのだ……。
といっても……まぁ、気に入られているのなら、それはとてもありがたいことなのだけど……。
「あー、面白かった。判ってるわよ。あなた、聖杯戦争に参加するつもりはないんでしょう? まぁ興味はあるみたいだけどね。そのためにあなたは、監視の目が厳しい協会から、この地に飛んできたわけなんだし」
それは……凛の言う通りだ。
私は聖杯戦争に参加する気はないが、聖杯戦争そのものには興味がある。これだけは真実であり、凛に嘘をついていることはない。
何故ならば、
「ただね、ソニア。マスターって聖杯が選ぶっていうじゃない? だからソニアが参加したくなくても、あなたに令呪が宿る場合もあるかなー? なんて、少し疑っただけよ。でも信じてはいたわ。もしあなたの体に令呪が浮き出ていたら、いの一番にわたしに
「その信頼はどうも。でも貴女と一緒にしないでよね。ただそこに戦場があるから戦う。なんて理由で聖杯戦争に参加しようとしている女の子とね」
「あら、わたしとあなたは一緒よ? だってソニアも、そこに謎があるから調べるんだー、なんてうまいことは言えないけど、同じタイプじゃない。勝負師と歴史家の違いってやつ?」
そこで会話は終わり、屋上は疾風だけの静けさを取り戻す。
どうやら凛は、私に注意喚起をするために、ここへ呼び出したらしい。それは友達としての情だと受け取り、私は感謝する。もちろんセカンドオーナーとしての務めでもあるのだろうけど、それでも嬉しかったのだ。
「ありがとう、凛。……でもそうなると、しばらく貴女の家に行けなくなるのかぁ」
「あら、なら今日うちに来る? 歓迎するわよ」
「ほんと? いくいく!」
そんな約束を取り付けて、私と凛は昼飯時を共に過ごした。
放課後。学業終了のチャイムが鳴り、生徒が一斉に教室を出る。
私は身支度をしている間に慎二の席に振り向いてみたが、その姿はどこにもなかった。先に帰ったのか。それとも部活だろうか。
なんにせよ、今晩は遠坂凛の家に行く予定だ。誘われても付き合えない。
校門を出て暫く歩き、交差点にて道を曲がる。西洋風の洋館が連なるところまでは、私の家路と同じ道のりである。
しかして遠坂邸の門前に辿り着いた。呼び鈴を鳴らすと玄関の扉が開き、凛が出てくる。
「入ってらっしゃい」
凛の家に来るのは、これが初めてではない。
最初に冬木という土地に来て滞在許可を貰った時と、冬木での魔術行使を綿密に記録した書類を送るのに毎月。さらに個人的な興味で押しかけたり、凛に茶会へ誘われたりと、ざっと数えて両手の指は優に超えている。
居間に通された私はソファに着き、凛はティーセットを持ってくると言って居間から出て行く。
その後ろ姿を見送り、廊下と通じる居間の扉が閉まった次の瞬間。私は垂直に立ち上がる。
……はて、何故に私は立ち上がったのだろうか。自分でも分からない。だが、この血が騒ぐのならば仕方がない。
私は何回も遠坂邸の居間に通されておきながら、一度もこの洋館の工房を見つけて侵入したことがないのだから。
「今日こそは見つける……」
私の得意な魔術は、隠された工房の発見や、家主に気づかれず結界を突破すること。
それでも流石は遠坂家。工房隠しの結界は一流で、その存在を気づかせない。
――――だが、何事にも弱点は存在する。
一見、完璧な才能を持つ凛だが、如何せん経験が足りない。言うなれば熟練度。実戦経験ともいう。
とにもかくにも、あらゆる結界の網をくぐり抜けて工房を見つけ出し、数々の秘奥を盗み出してきた怪盗魔術師こと私、ソニアにとっては、ちょっと時間が掛かるだけで魔法級の結界すら突破してみせる……と、豪語してみせる。
「……よし、見つけた!」
魔力探知で工房への抜け道を発見。
ここから隠密行動で居間を後にし、地下の工房まで直進する。音を立てずに早足で、疾く工房へと続く隠し扉を開ける。
「凛はまだ戻ってきていない……今なら行ける!」
何度も遠坂邸に通いつめて、ようやく手に入れたこのチャンス。無論、あとで殺し合いになるのは覚悟している。だが、どうしても目の前に知るべきことがあるのなら、私は死地へ赴かなければならない。
ここまで来たら時間を掛ける必要はない。ダダダッと工房の結界を踏み抜いて侵入する。
もちろん今ので完全に凛の魔術回路は励起したことだろう。だが、地下までたどり着ければこっちのものである。
――――見つけたのは、無尽蔵と思われる書庫。
それは数ある遠坂家秘伝のアーティファクト。だが、探すべき場所は此処ではない。もっと奥に、奥にあるはず。
……そうして見つけた。
これより先は万華鏡の迷宮。遠坂家始まりの魔術の師は、やはりあの人だったのだ。
「――――! ――――――――!!」
後方からドカドカと階段を駆け下りてくる音が響く。
それは今にも私を殺さんと、正真正銘の赤い悪魔が迫り来る足音だった。
「おんどりゃあてめぇ殺さてぇのかぁああああああ!!」
まるで遠坂凛とは思えない台詞回しの絶叫とともに、彼女は階段を転げ落ちながら宝石を投げてくる。
次に囁かれるはドイツ語の詠唱。
それと同時に、私は常に腰に帯剣している小剣を抜き放つ。
「Gale――――!」
刹那、アメシストの極光と風刃虎牙が相克する。
工房内が閃光と旋風に包まれて、爆風により書物や器具が吹き飛ばされていく中、全てがひっくり返っていく。
「あんた、前からうちの工房の在り処を調べていたみたいだけど、なんでそんなことするのよ!」
「あら、凛なら私のことをよく知っているはずだわ。いちいち説明しなくても判るんじゃなくて?」
「ぐぬぬ……」
「引き分けね……」
砕かれた風の刃と、散っていった宝石。私と凛の魔術勝負は、全くの互角だった。
「ぬぅううう! 負けたぁ! こっちは虎の子の宝石をさっそく使っちゃったのに、あんたは魔力をちょっとばかし使っただけじゃないのよ! も~~~~う! コスト良すぎぃ!」
「……それは別に、私の魔術コストが良いんじゃなくて、宝石魔術のコストが――――」
「あぁ分かってる! 分かってるからみなまで言わなくてよろしい! もうあんたのせいよ! 今まではギリギリで止められていたのにぃ! 油断したっ!」
よろよろと床に倒れる凛は、わんわんと泣く。どうやら相当悔しかったらしい。
その泣き様を放っておいて、しかし背後は警戒しながら、床に散らばった文献を目にしていく。
「くそ、くっそ。なによあのゲイルって魔術。神秘の強さが段違いのくせに魔力を流すだけでわたしの宝石が抑えられるなんて……ちょっとそこんところどうなのよー!」
「どうもなにも、サーベルタイガーの亡霊を剣に憑依させて使っているんだから当然でしょ。剣歯虎の霊が宿る剣に風を用いた強化を施し、飛ぶ斬撃を魔術として確立させたものだもの。ただ剣の素材にアゾット剣を用いているから、そこまで出力は出せないのだけど。あと新生代の生き物とはいえ、それだけで神秘が濃いという話でもないしね。ただ古臭いだけの魔術よ。
……それでも驚いたわ。まさか相殺されるだなんて。予定では胴体真っ二つのつもりだったのに」
神秘同士の鍔迫り合いは、より濃度が高い方が勝利する。だというのに、凛は紀元前の神秘を相手に自慢の宝石で相殺してみせた。
このことから、普通の魔術師なら戦慄を覚えるレベルだ。それでも時計塔に在籍する化物と比べたら、私も彼女もぺーぺーなのだけど。
「ねぇソニア……その冗談、もし次の機会があったら絶対に言わないことね。わたし、本気にして本気出しちゃうから。その時は互いに手加減抜きよ?」
殺気立って今にも掴みかかってきそうな凛を警戒しながらさておいて、私はある箱に目をつけた。
「あら、凛。これはなに?」
「あ、それはダメ。お父様が遺してくれた難題なんだから」
「難題?」
「そう。……ってやべ。今のでヒントの紙がどっかにいっちゃった……」
「片付け手伝おうか?」
「結構です。この押し切り神秘強盗! 絶対にあんたには遠坂の神秘をひとっつとも渡さないんだからね! そういうこと、ほかの魔術師を相手に何度も繰り返してきたんでしょうけど、わたしを相手にして同じことができるだなんてことは決して思わないことね! これだから研究者ってのはまったく……協会で規則としては特例で許されているとか訳わかんないわよ横暴だわ……」
ぶつぶつと凛は愚痴をこぼす。
そこで私は、足元に落ちている紙切れを発見した。拾い上げて読んでみる。
「……原則として五つのダイヤルは全て違う数字である?」
「――――え? って、ちょっとそれ返しなさぁあああい!」
とたん鬼のような形相で駆けてきた凛は、私から紙切れを分捕る。
「次に何か触ってみなさい! 後ろからとびっきりの宝石魔術で串刺しにしてあげるから!」
「ぶぅ」
「殺されたいのかしら……?」
さて、此処にこれ以上居続ければ、いくら凛でも堪忍袋の緒が持たなくなるだろう。
私としては既に目的は達成したことだし、多少もったいないとは思うが大人しく立ち去ることにした。
「ソニア! わたしもう絶対にあんたを家に入れてあげないからね!」
「まったく……こうなるのは最初から判っていたくせに。まぁ最初から入れてもらわなくても、私は黙って入らせてもらったけどね。もちろん誰にも気づかれないように……」
自信満々に胸を張り、凛に振り返る。
私はやろうと思えば、魔法使いすら黙せる結界の突破を成し得られる。故に今回は、わざと凛に侵入を気づかせてやったも同然なのだと、かなり傲慢に鼻を長くする。
「……なるほど。術理を完全に解明していなければ不可能な結界のすり抜け、か。じゃあなに? もう遠坂の結界は見破ったりってやつ?」
「私に見破れない結界はないわ。だって、誰だって目の前で結界を仕掛けている場面を目撃すれば、神秘の強さで敵わなくても突破自体は可能でしょう?」
私の返しに目を丸くした凛は、視線を下げてぶつぶつと考察を始める。
「――――過去視? それもかなり限定的な……でも、特定の過去を任意で視ることができる過去視なんて聞いたことがない。……ならば、魔術理論の解明というわけで高ランクの解析魔術? だけど結界の破壊ではなくすり抜けってことは、噂に聞く光と魔力の屈折により、肉体と精神、魔術回路を含む魂までもを透明化させる魔力感知不可能の魔術? いや、それとも……」
顎に指を当てて考え込む凛。しかし存外に鋭い。流石は遠坂凛と言おうか。これならあとは閃きさえあれば、彼女は私の魔術特性に気づいてしまうだろう。どうやら少し遊びすぎてしまったようだ。こうなったらさっさと退散するとしよう。
そうして階段を登ろうとした時、凛が呼び止めてきた。
「待った、ソニア。あんた、何が目的だったの? ここで退くってことは、もう目的は達成したってこと?」
ゆらりと身を揺らす凛は、鬼神の如しオーラを放って近づいてくる。
「何か隠し持っているなら今すぐ出しなさい? 場合によっては最後までやらせてもらうわ」
「……いいえ。私は何も隠していないんです。なんなら身体検査をどうぞ」
自分は犯人ではない。無罪だと主張して、素直に体を預ける。実際、私は本当に何も盗っていない。
そして、一度は裏切ってしまった凛への罪滅ぼしも兼ねて、甘んじて体中をまさぐられることを受け入れた。
「う~ん、おかしいなぁ。絶対に何か隠し持っていると思ったんだけど……」
「だから、本当に何も盗っていないって。ただ、私が知りたかったのは、遠坂の師が誰なのか確かめることだったんだから」
「はぁ……? なによそれ。大師父のことなんて訊かれればいくらでも教えてあげたのに」
「違う。言葉じゃなくて実際に見たかったのよ。えぇ……確かにあそこは人外魔境の入口だったわ。あれを見ることができただけで満足よ。というか、あれを見たらもう諦めるしかないもの」
「諦めるって……ソニア。あんた、まさか……」
言い止めて、凛は息を呑む。
おそらく私がさっきまで諦めていなかった『何か』に気づいたのだろう。
「ソニア。まさかとは思うけど訊くわよ。――――あなた、ゼルレッチの工房に侵入しようとしていたの?」
「ゼルレッチに工房なんてないわ。あったとしても、それはこの世界にはない。どの世界にもないでしょう。……まぁ、私はちょっと興味があっただけだから、死にに行くようなことはしないわ。安心して。
……はぁ。それでもやっぱり魔法使いって次元が違うのね。まるで神様を見た気分だわ。弟子に残したもので、あれだけの魔境具合だもの。きっとゼルレッチのところに辿り着いた時点で死んでいるか、工房に潜り込もうと企てた時点で殺されてもおかしくはなかったってわけね? やんなっちゃうわ」
溜息をついて落胆する。
もし彼の元に辿り着くことが叶えば、一族の悲願を速攻で達成できると思っていたんだけどなぁ……。
「――――あ、あのねぇ……溜息をつきたいのはこっちの方! あんた一体どんな魔術を使うのよ! これだからあんたは私と同じタイプだって言ったの!」
「……あぁ、なるほど」
「いまさら気付いたんかい!」
吠える凛にバシっと背中を叩かれて、工房から追い出される。そして私の片腕をぎゅうぎゅうと握り締めて、無理やり居間に連れて行く。その握力は、腕の皮膚に痕ができるほどの力強さだった。
強引に居間のソファに座らされた私は、泰然とティーカップに紅茶を淹れ始めた凛と、優雅なお茶会を始める。
「ほら、お茶するわよ」
うわぁ……遠坂凛とは、なんと豪胆な人物なのだろうか。
今しがた工房を荒らされた――自分で荒らしたともいう――のに、予定通りに事を進めようとしている。だが、手に持ったティーカップがカタカタと小刻みに震えていることからして、彼女の怒りは爆発寸前であることは容易に見て取れた。
こちらも紅茶を淹れたティーカップをいただく。が、目の前で殺気を放たれている状況で、平然としていられるほど私は強くない。同じくカップをカタカタと言わせて、この命はここで尽きたかと錯覚するほどの恐怖を味わう。
「ところでソニア、最近どおう?」
「そ、それはもう凛……絶好調よ?」
こわい。怖い。
こうなることは覚悟していたが、どちらかが死ぬまで殺り合うよりは遥かにマシである。そういう意味では、ほんとに遠坂凛の温情には頭が上がらない。というかセカンドオーナーを相手にこんな真似をして、すぐに街を追い出されないことを考えると、これは温情どころの話ではない。
――――そう考えると、凛はほとほと魔術師然としていないなと、ふと思った。
しばらく穏やかな会話を楽しみ、これといった重要な話ではない世間話で団欒を終わらせた。
……否、それは一触即発の腹の探り合いであり、返答を誤れば即殺し合いが始まっていたかもしれない危機的状況であった。
凛に別れを告げて館を出る。
その直後、私は門前で、あの殺伐空間から生きて帰れたことに、内心どころか全身を使って安堵していた。
「はぁ……死ぬかと思った」
そう思うのは当然であり、だが少し違う。人様の工房に侵入して殺されない魔術師など、世の中に一人もいないだろう。それがたとえ友人であっても、それは人間としての関係であり、魔術師としては全く関係のないことだ。
それでも凛は許してくれた。いや、許してはいないだろう。ここで私を殺せば、協会から減点をくらうことを恐れての見逃しだ。だが、たとえ私が協会から保護されていたとしても、減点を惜しがる者は、まだ協会に籍を入れていない魔術師だけ。
それ以外の輩は、全身全霊を以て私を殺しに来る。まだ侵入していないのに、私の姿を外で見ただけで殺しに来るやつもいる。ゆえに協会のルールは当てにしていなかったのだが……凛には期待して良かったことなのかもしれない。
それから私は、まっすぐと家路に就いた。
また、凛が心変わりして夜間に襲撃して来ないように、土塊のゴーレムを見張り番として家中に配置する。
「よし、防衛準備完了。まったくこんな研究をしていると、工房の中は実験場や研究室というよりは防衛施設に近くなってくるわね。まぁ凛と違って来るもの拒み、去る者どうぞな結界だけど。侵入者が使い魔のゴーレムを相手にしている隙に、すたこらさっさと夜逃げする。別に工房の中で取られるものはないし、まさに即席の使い捨て工房ね」
疲れた身体を布団に潜り込ませて、私は明日という戦場に備えて身を休ませる。
時刻はまだ陽が落ちた直後。寝るには早すぎる時間帯だった。
◇
夜。
「はぁ……まだ腹の虫が収まらないわ。時計塔に入学して、もし次にあの顔を見ることがあったら、今度こそぶっ殺してやる。学生にさえなれば減点なんてすぐに取り返せるんだから」
いらいら、イライライライラ。
腕を組んでは指をしきりに叩き、足を打ち鳴らしては舌打ちをする。これも全て殺意を押さえ込むためだ。
それに、もしここで暴れたら、ソニアとわたしのどちらかが確実に死ぬ。あるいは、両方とも死ぬ魔術合戦となるだろう。そんなことは許されない。
今夜はお父様が遺した箱の難題を解かなければならないし、謎を解いた箱に触媒となるものがあれば、明日には召喚の儀式に取り掛からなければならないのだから、魔力の無駄使いはできない。
「くっそ。こんな心境で冷静に謎解きなんてできるかなぁ? それもこれも――――ううん。あいつは関係ない。忘れなさい遠坂凛。思考を切り替えるのよあのクソバカソニア!」
ダン! と、どこに当てれば良いのか分からない震脚を繰り出す。だが、八つ当たりのおかげか、なんだかとてもスッキリした。
否、スッキリした理由は別にある。それは「もうなんでもいいや」と怒ることを諦めたからだ。
しかし、全てを諦めて状況を受け流すのは悪い癖となり、己を弱くする逃避行動となる。だが、今回ばかりはこれに頼らせてもらう。でなければ、今すぐに目と鼻の先にあるソニアの邸宅に乗り込んで、秘蔵の宝石を三つもぶっぱなしてしまいそうだったからだ。
……これなら、やつの家なんか一瞬で吹き飛ばせる……なんて甘い誘惑を跳ね除けて、わたしは工房に降りる。
それから私は散らかった書物や器具を整理して、いよいよあの箱と対面した。
この箱は開かずの宝箱であり、五つのダイヤルが用意されている。まず鍵穴があり、その下に二列に分かれたダイヤルが五つある。ダイヤルは上段に三つ、下段に二つ。ダイヤルの数字は一から十二まであり、キャタピラみたいな造りのダイヤルらしかった。
そして、わたしの手元には、このダイヤルの数字が何であるかを記してるらしき紙切れと、箱を開けるための鍵がある。
わたしは鍵をダイヤルの上にある穴に差し込んで、それから紙切れを読んだ。
「えっと、原則として五つのダイヤルは全て違う数字である。……これって普通に重複する数字はないってことよね? よし、やりますか!」
ぱちん、と頬を叩いて気合を入れる。思考を切り替えるのだ。
だってこれは、亡きお父様が遺してくれた、最期の宿題なのだから――――!
「えー、なになに? 第一問:君は五芒星の中央に立っている。
君は第六架空要素を召喚するため、五芒星の中央にエーテル塊を用意した。
前提として根源に辿り着くためには第六架空要素を召喚するしかなく、第六架空要素はエーテル塊を用いなければ召喚に応じないものとする。
では、この召喚儀式の結果、術者はどうなったのかを結論づけなさい。
――って、なにこれ、思考実験? ええっと、ヒントは……。
ヒント:エーテル塊とは何か。召喚した存在はダジャレが好き。
――って、はぁ? これ本当にお父様が作ったなぞなぞなの? なんだか怪しくなって来たわね……まさか綺礼が? ううん。詮索はあと。謎を解かなくちゃ!」
さて、まずは五芒星の中央に術者がいることが問題だ。何故なら目的は五つのダイヤルの数字を当てることにあるのだから。となると、五芒星の中央がこの問題に該当する数字の位置になるのだろう。だが、上段と下段では五芒星には見えない。
「……待って、鍵穴よ! 五芒星の一角を上に、二角部分を下にすれば、横の二角と数が合う! 鍵穴部分からの一筆書きで五芒星の角と合わせることができるわ! そして、その五芒星の中央ってのが上段にある三つのダイヤルの真ん中部分を指しているのね!」
そうと分かれば、さっそく問題に取り掛かれる。
次は思考実験だ。五芒星を描いて召喚すると記されている以上、これは召喚陣だと見るべき。
そして、第六架空要素とは、悪魔のこと。人の願いに取り憑いて歪んだ形で叶える魔性の存在。だが、確か悪魔とは偽物しか存在しないんじゃなかったっけ?
文献を漁って、その記述を見つける。悪魔とは何かが書いてあり、人類最大の障害であると記されている。そこに、悪魔とは第六架空要素であると書いてあった。これで答え合わせは済んだ。
この術者は、ヒントも合わせて、根源に辿り着くために悪魔を召喚しようとしている。
それはまるで魔術師としての道理を示しているかのような問題だった。
――――根源に至るためには、悪魔へ魂を売り渡す覚悟はあるか、と……。
「冗談。自分の力で辿り着けない頂点なんて、ごまかしにも程がある」
この呟きは、きっとお父様が聞いたら落胆するだろうか。それとも賞賛するだろうか。分からない。だけどわたしは、悪魔に身を売るなんてことはしたくない。魔術師としての悲願が叶うのだとしても。その願いが叶う保証や確証はどこにもないのだし。
そして、悪魔の召喚にはエーテル塊が必要であるという前提条件。これは一体なんなんだろう?
まずエーテル塊とは、それ自体はとんでもなく無意味なものだ。へっぽこ魔術師がエーテルの扱い方を誤ると、四大元素に溶け合うはずの形なきエーテルは色なき形を以て物質化する。その物体には何の用途も存在しない。どんな失敗作にだって多少の使い道はあるはずだが、このエーテル塊は有った方が損なくらいのまごうことなき真の失敗作なのだ。
とはいえ、そんなエーテル塊を用意できてしまうほどのへっぽこ魔術師が悪魔を召喚しようとしているとは、なかなか切羽詰っているのだろう。元素の扱い方も知らないやつが魔術を無理やり為そうとしているのだから。それは自己の限界を超越した等価交換。そんなことをすれば、間違いなく術者は死ぬ。
つまりこれは――魔術とは常に死と隣り合わせ――ということを伝えたいのではないのだろうか?
魔術とは安易に限界を突破できる法則にある。その限界を超えて魔術を使用すれば、それによって得られる成果は術者にとっては計り知れないだろう。だが、そのどれもが根源には届かず、ただ魔術回路が崩壊して死のみが待っているという状態になる。その場で即死することもありえるだろう。博打どころの話ではない。それはもう何の成果もない自殺同然の行為なのだ。
――だが、前提にはこうある。根源に至るためには悪魔を召喚するしかない。それならば術者は行うだろう。死んでも根源に至るために。
……あぁ、それはなんて矛盾。死んでは結果は知りえないというのに。
「ふむ……で、肝心の答えは? まったく思いつかないわ……」
少し焦点を変えてみよう。
悪魔やエーテル塊には、第六架空要素や第五元素という呼称が付いている。だが、安易に五か六だなんて解答はありえないだろう。問題作成者もそんなことは考えていないはずだ。
となれば、このメッセージ性の強い問題文から、何かを感じ取ったのが答えだと見るべきだ。
それは魔術理論を把握している者なら一目瞭然。――――これは『死』を伝えている。
この魔術儀式は死を前提にして為されている。死んでも根源に至る覚悟はあるか。根源に至るためなら死ねるのか。なにより――――魔術とは常に死と隣り合わせなのだ、という魔術師として基礎中の基礎の教えがあるではないか。
「ふん。父さんったら、初心忘れるべからずってやつかしら?」
死。し。四。
この連想法によって、わたしは上段中央のダイヤルを四に合わせた。
「はぁ、面白かったけど簡単だったわね。さって、次の問題はっと……」
わたしは紙切れの第一問から、第二問目に眼を滑らせる。
「――ふむふむ。第二問:しかして五芒星の左端には星座の精霊が召喚された。
その精霊は地属性であり、さらにその精霊は君に近い性質を持っているようだった。
ヒント:黄道十二宮。
――……うーん。第一問は悪魔だったんだけど、これは問題文作成の都合上と見るべきかしら。悪魔を召喚しようとしたら星座の精霊が召喚された、何故でしょう。なんて問題じゃないもの。……さって、黄道十二宮と来ると占星術の問題かな。どこかに卜占に詳しい本が……」
書物を漁って、その中から占星術について書き記された中世期の本を引っ張り出した。
「地属性ってことは、サインのエレメントを示しているのね。地水火風と来て地に対応する十二の星座は……あった。金牛宮、処女宮、磨羯宮の三種か……まぁ磨羯は悩むまでもなく却下ね。こんなのがわたしに近い性質を持つはずないわ」
だが、同じ性質といっても、何を指しているのか分からなければ解けるはずもない。
星座の性別を見れば、この三種の星座はどれも女性を指している。となると、単純に自身の性別に当てはめても答えはわからない。最初は処女宮なのではと思ったが、そう単純な話ではないらしい。
しかし遠坂凛が、いや、たとえ遠坂家の財政が火の車だったとしても金牛宮はありえない。こいつは
ということで処女宮。といってもわたしが処女なのは当たり前として、だからどうした。答えになっていないではないか。
「あっそうだ。その前に数字の割り出し方を……。えっと黄道十二宮ってことは、その並びが答えの数字になるってことでいいのよね? はぁ……難しいなぁ。もしかして星座の由来とか調べた方がいいのかしら? 星座の由来の大半はギリシャ神話だから……あそこらへんに神話関連の本が……」
また発掘作業に入り、ギリシャ神話の星座に関する書物を見つけた。
由来がびっしりと記されている。まずは金牛宮から調べてみた。
「獣帯、対極のサイン、違う。性質、は関係ないでしょ。牡牛座、プレイアデス星団、あぁこれってエウローペーの白い牛が元ネタだったんだ。なるほど。……ん? エウローペーってニンフの節もあったんだ。……って、素直に読んでいる場合じゃなくって!」
このままではエウローペーの悲劇なのか喜劇なのか分からない話に夢中になってしまう。
あぁ、わたしにも白馬ならぬ白牛が突然やってきて、攫ってもいいから色んな金になる宝具をくれないかなぁ。全部高値で売っぱらうから……。
「次は処女宮っと。おっ、やっぱし処女宮には色んな女神の説があふれているわね。イシュタル、アストライア、キュベレ、アテネ。うーん。でも女神と同じ性質ってどうなんだろ?」
そのまま読み進めていけど、決定打になる情報はどこにもなかった。
「う~ん。おかしいなぁ。っていうかこれは問題に責任があるわ。何よその近い性質って。曖昧すぎて特定できるものもできないわ! ……こうなったら消去法で行きましょう!
金牛宮と磨羯宮には否定できる根拠があるけど、処女宮だけにはない。だから処女宮が答えだとして、サインの並びは六番目!」
そうしてわたしは上段左側のダイヤルを六に合わせた。
「はい次々! 本を読んでいたらあっという間に時間が過ぎちゃうわ!」
謎解きに掛かってから既に三十分は経過していた。資料の引き出しに時間が掛かったせいだ。
もう睡眠時刻が迫ってきている。このままじゃ徹夜になってしまう。
「はい。第三問:星座の精霊は五芒星の左下を指差して君に訊いた。君の誕生日はいつで、何座なのかと。
そして精霊は、それを忘れずに生きて欲しいと、そう、言った…………」
……なによこれ。なんなのよこれ。ちょっとうるって来ちゃったじゃない。こっちは真剣だって言うのに、もう!
「ま、まったく。こんな簡単な問題が出るようになったら、謎解きにならないじゃない! この分だと二問目は処女宮で正解のようね。きっと次の問題も単純明快なものだわ。
さて、それじゃあわたしの星座は――――」
…………星座、は。
「…………」
いや、いいや違う。わたしはそこまで自分のことに無頓着ではない。
ただ、ちょっと、ド忘れをしているだけだ。頭を使いすぎたから、既知であることに我を忘れているだけだ。
おもむろに星座占いの本を開く。
処女宮は乙女座……違う。第二問と第三問は別物だ。惑わされるな。いや惑わされる以前に覚えているなら間違えないはず。だから別に忘れているわけじゃ……。
――――ふっ。がめついな凛。未だ湯水の如く湧き出るはずの遠坂の遺産を前にして、まだ金策を考慮しているとは、実にがめついな凛。というわけで今日が誕生日の君の星座占いでは、なんと水瓶座が最下位だったようだ。おめでとう凛。いや、今のは誕生日のお祝いの言葉だ。勘違いしないでくれたまえ。ほうら、いつもの服だ。おめでとう水瓶座最下位の遠坂凛――――
――――っ!
「う……うわぁあああ! あの外道神父のせいで思い出すとはなんたる不覚ぅううう!! そうよ、わたしの誕生日は二月三日! 最下位の水瓶座ですよーだ! うぅうぅうう……」
およよ、と泣き崩れながらページをめくって、十二星座の一覧に目を通す。水瓶座の位置は下から二番目。つまり上から十一番目にあった。
ってことで、わたしは下段左のダイヤルを十一に合わせる。
「……いいえ、ちょっと待って? 誕生日について精霊が訊いてきたってことは、二月三日の、二月が答えなのかもしれない? 月は十二ヶ月あるんだから、ダイヤルの数に当てはまるし……まぁいっか。もし次に十一が答えのダイヤルが出てきたら、その時に二のダイヤルに直せばいいんだし。よし次に行こう!」
目元を袖でぬぐって、わたしは紙切れを凝視した。涙で少し見えにくい。全部で五問の問題文が片手で持てるくらいの紙切れ一枚に収められているのだ。当然文字はすごく小さい。眼鏡持って来れば良かった……。
「さてさて……第四問:精霊は五芒星の右下を指差して君に訊いた。
君の師匠の名を教えてくれと。
……これって、父さんのことじゃないわよね? 魔術の師と言うのであれば、それは――――」
魔道元帥ゼルレッチ。大師父の事を指しているのか。
「となると、第二魔法の並行世界の運営の使い手ってことで、ダイヤルは二か。簡単すぎるわね」
下段右のダイヤルを二に合わせて、早々に次に移る。
「いよいよ最後ね。第五問:精霊は君に最後の問いを投げた。
魔術師とは、常に『何』と隣り合わせなのか、と……。
……。…………あれ、これって、まさか?」
どう考えても、この『何』に入る答えは『死』である。
そうなるとダイヤルの位置は記されていないが、最後のダイヤルは上段右端となり、合わせるべき数字は四となる。だが、それでは原則の重複する数字はないというルールに反してしまう。
と、とりあえず第五問は一先ず置いておき。わたしは第一問に、もう一度目を通してみた。
「うっそ、どういうこと? ここまでトントン拍子で来たのに、急に躓くだなんて……」
頭を掻きながら紙切れと睨みっこすること小一時間。
あくびが出てくるようになってきて、わたしはリタイア寸前にまで精神的疲労に陥っていた。
「まぁ、諦めるつもりなんて毛頭ないけど。解けるまで絶対に寝てなんかやらないんだからね。遠坂凛。しっかりしなさい。あなたにならできるわ! よし!」
気合いを入れ直して、この難解な謎解きに再挑戦する。
「……あっ、そういえばヒントの悪魔は英語のダジャレが好きってやつ。すっぽかしてたわ。となると、英語っていうのは、なんだろう? 悪魔はデビル? デーモン? エーテルはエーテルだし、もしかして数字を英語で読むとか? その場合は序数詞も気にしなくちゃいけないのかしら……」
とにかく色んな言葉を英語に直してみる。ダジャレだって言うからには、死を四と読むようなものだろう。
だが、これは日本語のダジャレであるので不正解というわけだ。
「うーん。ヒントには、エーテル塊とは何か、って書いてあるのよね~。――――あっ」
ふと、閃きというものが脳裏をよぎった。
「たしかエーテル塊って、第一魔法と関係しているって、どこかの文献で読んだ気が……」
そこで、わたしは時計塔の資料集を読み進めて、確かにエーテル塊を説明しているページに『第一魔法と関係しているかもしれない』という記述を見つけた。
「うーん。けれど第一魔法って使い手は不明だし、資料を読む以上、世界からは消失しているとかなんとかわけわかんないこと書いてあるんだけど……。さらに内容も不明ときた。これって何も無いのと変わらないじゃない。そりゃあエーテル塊って、ある意味では無を作っていることになるとか、そんな見解を持つ魔術師もいたみたいだけどさー。『無い』繋がりでそんな理論が通るってんなら、架空元素の虚数についても何か一つこじ付けでもいいから説明してみなさいってのよ、まったく。
――――あぁ、もう!
そう叫んだが刹那、
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――………………んんんっ?」
わたしは、今世紀最大の謎を解いてしまったかもしれない。
――無い。
……ない。
――ないん?
……ナイン!
「っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっってぇこれぇ……
ただのオヤジギャクじゃないのよぉおおおおおおおおおおおおおおおおこのスカポンタンのオタンコナスぅううううううううううううううああああああああああああああああ!!!」
わたしは思わず、書物が大量に乗っかって相当な重量になっているテーブルをちゃぶ台返しで吹っ飛ばし、その反動で自分自身も本棚に倒れこむ。
そして本棚にぶつかった揺れで大量の書物が降ってきて、わたしは本の山に埋もれることになった。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
思いっきり本棚の角に後頭部をぶつけてしまい、死に悶える。
――もういやだ。
わたし、こんなオヤジギャグを使う家の娘にはなりたくないです……魔術師、やめてもいいでしょうか?
魔術師としての難題を期待していたわたしの期待、返してください、お父様……。
ナイン……ナイン……ナイン……。
「……ダイヤルの中央を九にしてっと」
先ほどまでの狂乱は全てなかったことにして、工房を元通りに片付けたあと、わたしはダイヤルを回していた。
ナイン……ナイン……ナイン……。
どうやらナインの呪縛からは、まだ解き放たれていないらしい。
もしかするとお父様は、この程度の呪縛を解呪できないようではまだまだだ、とでも言いたいのだろうか。いや、そうに違いない。
「ええっと、それじゃあ最後の五問目の答えは四だから、上段右のダイヤルを四に回して……」
そして、全てのダイヤルを合わせた瞬間、箱はその隙間から白い煙を出しながら、あっけなく開かれた。
「開いた! やった!」
きっと人には見せられない顔面になっているであろう、わたしの顔にえくぼが作られる。
そのえくぼには喜びもあれば、最悪の意味も含まれていた。
ナイン……ナイン……ナイン……。
それから開いた箱の中を検めると、中には壊れた触媒と赤い宝石のペンダントのみが入っていた。
「えぇ? 期待してたのに……触媒になりそうなものがないじゃないのよう……今までの苦労はどうしてくれるのよう。このペンダントもなかなかのものだけど、触媒にはならないわ。でもほかにないし……はぁ、恨むぜ。わたしの金運を……」
わたしは箱から赤いペンダントのみを取り出し、懐にしまって工房を出る。
それから顔を洗い、お風呂に入って、一息ついてからベッドに入る。
「はぁ。今日は色々と疲れたなあ。神秘泥棒にはとうとう工房破りをさせられちゃうし、父さんが遺した宿題が、その……まさかのくだらないダジャレだったなんて……。はぁ、でも、悔やんでいても文句を言っても仕方がない。ソニアにやられたのはわたしの実力不足が原因だし、それを言うなら今日という日まで触媒を用意できなかった自分の責任よ。だから……」
いや違う。だからではない。それでも、それを理由にして敗北することは許されない。
負けたことを自分の実力不足だと反省するのは結構だが、それを言い訳にしていては成長なんてできない。
本気で聖杯戦争を勝ち抜くつもりなら、一度の失敗も許されないのだから――――
「だから、今日は、もう、休もう……おやすみ、なさい――――」
暖かい毛布にくるまって、意識が底に落ちていくのを感じ取る。
わたしは微睡みに身を任せて、とても深い眠りに就いた。
/了
凛が挑戦した謎解きについては、アニメUBWの第一話目を参考にしました。
魔術師としての才能で、凛が100~70なら、ソニアは40~30くらい。
魔術師としてのレベルで、凛が30~20なら、ソニアも30~20くらい。
このことから、伸び代は圧倒的に凛の方が高い。
その差を指摘すると、ソニアは「それでも私の方が戦闘経験豊富なんだから」と張り合い始める。
……研究職での競い合いに戦闘能力は関係ない。という指摘を受けるまで、彼女はこれを引き合いに出し続けるだろう。
――――ソニア・ド・ヴァンディミオンの情報開示が待たれる。