Fate/stay night : 2.5i+3.10i+BERSERK = The Future Remember 作:形のない者
――――夢を見ている。
空が赤い。ここは学校?
まるで世界が何かを伝えているようだ。その伝言の意味なんて分からない。
ふらふらと学校に赴き、そういえば用事があったなと思い出して、生徒会室に向かった。
戸を開く。
そこには半裸の一成がいた。隣には士郎もいた。彼も半裸だった。
「――――」
彼らは一体、生徒会室の中で何をしているのだろうか。
ちょっとだけ胸が震えた。何かが胸の奥から叫び、駆け上がってくる。
そのよくわからない衝動を抑えるためには、まずここから離れなければと思った。
「ソニア……」
甘い声で私の名を呼んでくるのは士郎。一成は眼鏡を外して私を見上げている。
「どうしたんだ。こっちに来いよ」
ダメよ。邪魔しちゃ悪いもの。
そう言おうと思っても、体は勝手にふたりへ近付く。
――ダメよ!
同性愛と逆ハーレムは違うって凛が力説していたもの! あと、百合とハーレムも全然違うって凛に教えてもらったわ!
……それに、それに、どうせだったら、あいつの方が……。
「おえっ、本気ですか貴女は……」
――ふと、聞き覚えのある女性の声がした。
それでも姿は見えない。
気付けば士郎と一成はその場にいなく、代わりに床には――――
ふらふら、ふらふら。
廊下を歩いて、教室に入る。
そこには凛がいた。
いつも色んなことを教えてくれる凛。
あれ、どうしたの。凛って八重歯だったっけ?
そんなことを言おうと思ったけど、相変わらず体は動かない。
「ふふっ……」
不敵な笑みで近付いてくる凛。
だけど、その様子はいつもの悪い笑みではなく、どことなくアブナイ香りが……。
――蛇のように巻きついてくる。
否、それは喩えだ。
凛が両腕を回して、私の首に、私のふくらはぎに手を伸ばす。
お腹に凛の熱い吐息がかかった。制服の裾から顔を入れて、おへそを舐められる。
「――ひゃん!」
体が動かない。まるで金縛りにあったかのように、麻痺して動かない。
そのまま胸までせり上がってくる凛の頭。
制服が、破けちゃう。服と谷間をトンネルのようにくぐり抜けて、凛が顔を出した。
近い。
唇が近い。ダメだよ、そんな……。
凛は私の肩に顎をおいて、首を舐め回す。
次に噛み付いてきたときは、もう何も考えられなくなっていた。
全てが真っ白。生気を吸われる。
――これは■■だ。
何も考えられない。
――これは■■だ。
あはっ。全部、凛に食べられちゃった……。
――これは吸精だ!
魔術回路が危険信号を伝えてくる。鳴らさられた警鐘を、私は自分の手で切った。
否、それは己が意志によるものではない。
ふと気が付けば、凛のほかに士郎と一成が現れた。
――やめて。
この先に待ち構える淫らな顛末を想像してしまう。
絶望と欲喜が入り混じる学園の妖艶不可解さ。
男と男が。
女の子と女の子が。
――目を瞑れない。
誰か、助けて。
蛇のように巻きつくふたりの雄。
蛇のように巻きついてくる少女。
鼠のように食べられちゃった私。
魔力が底を尽きた。捨てられた。凛と士郎と一成は、私を置いてどこかへ消えた。
その場に残ったのは、裸で置き去りにされた私だけ。
それでも、その場にはもうひとつだけあった。
それは――――
――――――――
…
朝。
「――んむ……」
朝日の光と、ものっそい肌寒さに目を覚ます。
外だ。私は外で目が覚めた。どういうことだ。
「……庭?」
辺りを見回すと、この庭が自分の家の庭であることが分かった。
はて、それにしても、なんで自分はこんなところで寝ているのか?
「よいしょっ……と?」
起き上がろうとしたら、たたらを踏み、最後には尻餅をついてしまった。
おかしい。魔力がすっからかんだ。
「……、……? ――――っ!」
魔力が、ない。
それで、全てを思い出した。
私は昨夜、綾子を守るためにライダーと戦闘して、それで私は倒れちゃって、なんか変な夢を見たけど、綾子はどうなったんだっけ……!?
ふと、ガサガサと物音がして、草むらから二匹の蛇が現れた。
「……ベルナデット。そうか、あのあとは貴女たちが助けてくれたのね?」
ベルナデット。
厳密には、それは動物で言うところの蛇ではない。私の自慢の使い魔だ。
火を噴く双頭の毒蛇の霊体を召喚し、特注の茨に憑依させたのが、この使い魔。
茨の蛇が対象に巻きつけば、その毒の棘で対象を傷つけ侵し、火を噴きながら動きを拘束する。
全長は約十メートル。たとえ二つに分断されても元が双子なのもあって、それぞれ単独で活動が可能。三つ以上に切られると三本目からは活動を停止してしまうけど、くっつくことにより即時の再生が可能。
ほかにも私の魔術回路を埋め込んでいるから、自前で様々な魔術を行使することができる。
おそらく私が倒れたあと、ベルナデットが綾子と私をここまで運んでくれたのだろう。
その証拠に草むらの影では、綾子がベルナデットに守られながら熟睡している。
「って、ちょっと強く暗示を掛けすぎちゃったかな……こういう場合ってどうすればいいんだろう。教会に引き渡すといっても不安だし……もう一回暗示を掛けて、綾子の家に帰らせればいいか」
それから私は綾子を起こしたあと、暗示で記憶操作を施してから家に帰した。
異様に気だるい体を一生懸命動かして居間に上がる。時計は朝の五時を指していた。
「うー。それにしてもおかしい。なんでこんなに魔力がないのよ~」
思い当たる節があるとすれば、それは黒い剣士との契約のせいか。
魔力パスだけを繋いでいるため、戦闘が始まれば魔力を吸い上げられてしまう。
それでもかなり低燃費なサーヴァントなので、今まで負担に感じたことは一度もなかった。
「そうなると、やっぱりあのライダーの仕業か……」
とにかく紅茶を淹れて、居間で一息つく。すると玄関が開く音がした。バーサーカーだ。
ドシドシと重い足音を廊下から響かせてやってくる。なんだろう。疲れているのかな。
とにかく私は、居間の扉が開く頃合いを見計らって、彼に声を掛けた。
「おかえりなさい、バーサーカー。柳洞寺の方はどうだっ、た――――」
――――言葉を失った。
左肩から白骨を露わに、血肉が零れ出ている。
左半身は血みどろになっていて、顔は真っ青、全くの生気が失われていた。
それは半分死んでるどころの騒ぎじゃない。人間としてなら、その損傷だけでも死に絶えておかしくない致命傷だった。
「な、なっ……」
「悪い。治療を頼む。そろそろ死にそうだ」
その「悪い」という言葉が、こんなものを見せてすまない、とでも言いたげな目線だったのが気に食わなかった。
「待って、先ずは止血よ。ベルナデット、鎮静剤と魔力剤の棘を彼の左腕に!」
その命令を先に読んでいたのか、ベルナデットは黒い剣士の半身に巻き付いた。
一応、私もここまでじゃないけど生死の境を彷徨ったことは何度かある。
そのときはいつも独りだったから、傷の治療は全て自分の手で行なわなければならなかった。
自分の腹を切開して鉛玉を引き抜くのも、腕に針を縫うのも、全部、自分の手で。
だから、この程度の治療は出来る。たかが腕一本。粉砕された肩一つ程度、きっちりと治してやるわよ!
かといって、もとよりサーヴァントとして召喚された存在が受肉した場合、完全な人間となるわけではない。霊体にはなれなくなり、それでも魔力が必要となる。依代も完全に不要となったわけではない。つまりこれは半分人間、半分霊体を治療するという前代未聞の治療行為だ。
医学的な霊媒医療の経験がないと、不可能と思われる医療行為――それでも、私ならできる!
「――
今の啖呵は、決して根拠のない自信から出た言葉ではない。
こういう時のために用意したユタの亡霊を憑依し、それによって得た知識、技術を経験・模倣、疑似習得する。
「さて、サーヴァントの肉体はエーテル体で構成されているから、足りない血肉や臓器はエーテルで満たせばいいのかしら?」
「オレに訊かれてもな……」
「別に貴方に話しかけてるわけじゃないの! 独り言として受け流しなさいなっ!」
「へいへい」
それからの朝は、静けさとは無縁の慌ただしさとなった。
いや、治療自体は静かに進んではいたのだけど、互いに汗だくになっての苦行を強いられたのだ。
それから治療時間は、約二時間にも及んだ。
足りない魔力は私自身の生命力から引っ張ってきて、ベルナデットの魔力も底を尽きた。
それでもなんとか、黒い剣士の死んだ半身の大部分を修復し終えることが出来た……。
「……すげぇな。どういう原理だ。義手や鎧まで直ってやがるぞ……?」
「もとは霊体だから、魔力とエーテル塊さえあればなんとか治るのよ。実体のある真性生物には、こんな治療は逆に毒になるわ。――――はぁ。疲れた。もしも半霊体、半実体の存在を相手にしたこの霊媒医療が予想と違っていたら、どうなっていたことやら……」
「……? おい、その言い分だと、もしかしてオレのこの体をどう治せばいいのかも分かってなかったのか? それで、そのまま治療を?」
「そんなの当然でしょ。サーヴァントなら魔力を送るだけで大体
「へぇ。それでよく治ったな……すげぇぜ。ありがとよ、ソニア」
「――――どういたしまして。それじゃあ私、学校に行く支度をするから……」
立ち上がって居間から出ようとする。
そこで、黒い剣士が呼び止めてきた。
「待てよ。朝の定時報告を忘れてるぜ」
その声掛けに黙って振り返る。
確かに忘れていた。私には彼に頼みたいことがあったのだと。
「まず、柳洞寺のアサシン。ありゃ思いのほか強かった。ありゃアサシンというよりセイバーと名乗った方がいいやつだ。まぁ最優という意味には当てはまらなくなるがな」
そんなことは聞くまでもない。既に私は、そのことを知っている。
彼が、アサシンと引き分けた結末を知っている――――。
……それでも、あの怪我は予想外だったけど。
「それで残念ながら、キャスターには会えなかった。ぶっちゃけアサシンには見逃してもらったと言っていい」
「そう、報告ありがと。それじゃあ今日のところは戦闘を避けてちょうだい。実はもう一つお願いがあるのよ。――今日はね、学校で見張りをして欲しいの。それで結界を仕掛けたやつを見つけたら、その結界を解くように交渉してちょうだい。倒しちゃダメよ」
「おいおい……最初と最後で矛盾してるぜ、まったく。倒さずに戦えとは、これまた難しいことを……」
「やるの? やらないの?」
それから黒い剣士は、自分の体の調子を確かめるように席から立ち上がった。
そのまま手を振って居間を出ていく。どうやら言うことは聞いてくれるらしい。
私はため息をついて風呂場へ直行する。
その吐く息は、重い疲れを感じているためだ。
そうして私は、お風呂で気を落ち着かせたあと……いつも通り学校へ登校するのであった。
放課後。
なんと今日の私は掃除当番だった。箒とちりとりを手にゴミをかき集める。
そして、日の本の学校の掃除当番では、主に生徒ふたりによって行なわれる。
ゆえに私には、相方がいなくてはならない。
「よしっ綺麗になったな。それじゃあ机と椅子を元通りにするか」
その相方とは、衛宮士郎である。
……うぅ。今朝に見た変な夢のせいで、今日はあまり士郎と一成の顔は見たくなかったのに……。
少しの抵抗を見せようと顔を俯かせて、ゴミ箱にちりとりの中身を放る。
既に校内に生徒はいなく、夕焼けのみが教室を包んでいた。
「それじゃ、さよならソニア。あとは俺がしておくから、先に帰っていてくれよ」
「う、うん。分かった。ばいばい……」
別れの挨拶を告げて、そそくさと教室を出る。
「……?」
こんな恥を晒す――別に晒した恥は何一つないのだが――ことになるのなら、今日だけは学校に来るんじゃなかった……。
「あのさ、ソニア」
「なっなに!?」
唐突に背後から士郎に呼び止められる。
私は振り返らずに背中で答えた。
「今日はずっと顔が真っ赤だったけど、風邪なら無理せず休めよ。ほかのやつに移しちまうし、なによりソニア本人の無理はよくない」
「……別に、風邪じゃないよ……」
「ん、そうだったのか? なら余計な忠告だったかな」
「ううん、大丈夫。ありがとう、士郎」
それだけ言って、さっさと教室を出る!
三階の踊り場まで来て、階段を下りる。
――――そこでふと、踊り場の上に、誰かの気配があったような気がした。
チラリと手すりから体を乗り出して、上階を覗いてみる。
すると、なんとそこには……あの遠坂凛がいた。
「……なぁに? ソニア」
……いや、なぁに? だなんて可愛く言われても、そりゃ目を見張りますよ。
なんだって凛は魔術回路を励起させて、魔術刻印を光らせているのですかと?
「ねぇソニア。これから起こることは黙ってなさい。あなたは聖杯戦争とは関係のない、ただの部外者なんですからねぇ」
……よくわからないけど、とりあえず今の彼女は最っ高に怒っている。これは触らぬ神に祟りなしだろう。遠坂凛様の満面の笑顔を見た瞬間、私は夢の中で凛にあれこれされたことは全部帳消しにして、さっさと家に遁走してもいいくらいの出来上がりっぷりだと感じた。
――それでも一応、私は訊かなければならない。
「ねぇ凛。今、貴女は誰と戦おうとしているの?」
「訳も聞かないで、って言っても聞かないわよね。話せば大人しく帰ってくれる?」
黙って頷いて、続きを促す。
「実はね、うちの学校にマスターがいたのよ。私以外のね。で、私たちは敵同士なんだから殺されたくなくば家に閉じこもって生き残る道を探せと忠告したのだけれど、あの馬鹿、暢気に朝、
……凛。別にそれは通り越してないよ。それは充分立派な殺意です。
「ほら、私はこのままあいつを待ち構えるから、あなた邪魔なの。さっさと帰りなさい」
「……分かった。ちなみに本当に殺すつもりはないのよね?」
「ないわよ。頭ぶち抜いて記憶なくして全部元通り!」
う~ん。頭ぶち抜くのかぁ……凛は一体、どんな魔術を使うつもりなんだろう?
それから私は大人しく帰路に就くため、昇降口より靴を履き替えて外に出た。
――――チラッと雑木林を垣間見る。木立の裏には、黒い剣士が座り込んでいるのが見えた。
まったく、もう少しバレないように隠れなさいよ。不審者扱いでもされたらどうするの、もう……。
そのまま弓道場のそばを通り過ぎて、校門へ向かう。
――と、見せかけて、私は踵を返した。
私は昇降口ではなく、校庭に赴く。
窓から教室の中がよく見える。角度によっては、教室の扉や廊下も少しだけ見えた。
……三階にある二年C組の教室から、一人の人影が廊下に出る。そのまま廊下を渡って踊り場へ向かう。そろそろ四階に繋がる踊り場で、待ち構えていた凛と鉢合わせた頃か。
「なるほど……この状況はまずいわね……」
私は選択を迫られていた。やっぱり外なんかに出るんじゃなかった。
もしこれから私が選んだ道が間違っていたとしたら、それで私の計算は全て水の泡になる。
それでも世界は、私にゆっくりと選ばせる時間さえくれなかった。
――魔術戦が、始まった。
なんだか私の知ってるガンドじゃないガンドを乱射して、凛は士郎を追い詰めていく。
廊下に飛び退いた士郎は、そのまま反対側の階段まで全力疾走していく。
――私は、何をすればいい……?
反対側の踊り場に辿り着いた士郎。そこで姿を見失う。
はたして士郎は、無事に一階まで逃げ切れたのだろうか。と思ったら、今度は二階で容赦のないガンド撃ちが放たれた。
士郎はまた廊下を疾走して、やがて三年の教室へ飛び込む。
「……バカね」
自ら退路を絶った士郎。だが、あのまま廊下を走り続けていても、早くにやられていただろう。
教室に防音の結界を張る凛。魔術回路の励起がここからでも感じ取れた。
「――――――――」
それは、私がここから魔術を行使しても、
「――――」
選択を迫られる。
一の道を思いつけば二の道を思いつく。
やがて道は十に分かれ、百に分岐し、一千に届いた。
思考を分割してもなお、あまりある選択肢の数々。
道は一万に増えゆき、森羅万象、事の成り行きは、まさに神のみぞ知る一億を優に超え、一兆を跨いだ。
「…………」
これだけの道をどう選ぶ。
どうせ迷うのなら、迷った末に選んでも後悔するのは目に見えている。
ならば選ぶのはやめて、心の赴くままに動いたほうが何倍もいい。
私は京に膨らんだ道を破却する。
「……はぁ。決めた。私が凛についても不公平だもの。手を貸すのなら士郎ね」
無論、見て見ぬふりも出来た。だが、どうしても放っておけなかったのだから仕方がない。
おそらくこれも未来を思い出す流れの中に組み込まれているはずだと信じて、私は駆け出した。
◇
「くそっ。あいつ本当に殺す気じゃないか……!」
上階での鬼ごっこの末、二階に降りて三年の教室に飛び込んでから、強い魔術の発動を全身で感じ取った。机を倒して強化の魔術を施す。部屋全体に結界が張られた。
次に来るのは決まっている。あの馬鹿げた威力を持つガンドだ!
「ぐっぅぅ……!!」
教室全体が魔弾の嵐に晒された。机は吹っ飛び、椅子は粉々。
なんとか自分の身を守ってくれた机は無事だったが、教室には白煙がむしてきて、燻り出しまでしてきやがった。
「くそっ俺は諦めないぞ。ここは二階だ。窓から飛び降りてもまだ大丈夫……」
ガン、と肩をぶつけて窓を叩き割ろうとしたが、予想外に硬かった。
というか反発されたですとぉ――!?
「防音の結界だけじゃなく、獲物を逃がさないようにも出来ているとか……こりゃ詰めか」
まったく。なんだって俺がこんな目に……遠坂とは組まなかったけど、別に敵対するつもりはないって前もって言ったんだけどなぁ……?
このまま教室の外にホイホイ出ていくのが、なんか負けを認めたみたいで嫌だったので、あぐらをかいて思索に耽る。
「ちょっと、さっさと出てきなさいよ! もう詰めだって分かってんでしょ! あんたそんなに負けず嫌いなの? 楽にしてあげるからさっさと出てきなさいぶち殺すわよ!」
……今のは聞かなかったことにしよう。あの遠坂凛が言うようなセリフじゃない。
あれはきっと別人。きっとあかいあくまなんだ。
「……ごほっ、げほっ!」
まずい。煙が喉にッ……姿勢を低くはしているが、そろそろ限界か……。
「いや、まだだ。トレース・オン――」
教室に張られた結界の構造を解析する。
どこかに穴があるとも思えないが、それでも、もしかしたら、うっかり穴が空いてあったりするかもしれない……。
いや、やっぱり強化の魔術を使って即席の武器を作り、大人しく遠坂と対峙していたほうが良かったかな。
一応これ、最後の魔力だったわけだし……。
いやいや、ここまできてやっちまったんだ。一度選んだ選択は、二度は振り返らない。
――構造解析。結界は万全に張られている。
「やっぱりな、無駄な魔術というか解析をしちまっ……」
――って、待て。ある。あるぞ、これ!
教室の廊下の反対側。校庭に通じる窓際の端だけ、何故か四角く切り取られたかのように
「……ん?
冷静に考えて、これは遠坂の魔術が失敗したと見るべきだ。
仮に誰かが助けてくれたとしても、人の結界を破って気付かれないことなんてありえないし、なにより遠坂がすっ飛んでくる。
さらに
「……あいつ、案外うっかりさんなんだな」
まぁ、そのくらい可愛げのあるところがないと、俺の破壊された憧れの遠坂凛像が蘇ることはない。
このまま結界の張られていない窓を、こうガラッと開けて、脚から外に……。
「よい、しょっと」
壁の少しのくぼみに手を乗せて、バランスを取りながら飛び降りる――!
「ってあぁ! しまった! 窓閉めてくればよかった!」
飛び降りた直後に気がついたが、もうこうなったら校門まで全力疾走して、商店街に寄って買い物を済ませて堂々と家に帰ってやる。別に今すぐ家に帰ったら遠坂が襲撃しに来てくるから遅めに帰ろうとか、そんなことは決して――――
「――ほっ!」
足から地面に着地、前転して衝撃を和らげながら怪我なく着地に成功する。
日頃から鍛えていたおかげだ。そのまま間髪入れずにクラウチングスタートを切って、校門まで駆け出す。坂を全力で降りたら、交差点を曲がって商店街へ直行だ。
――よし、遠坂の裏をかいてやったぞ!
◇
「――――ちょっと、ねぇ、いつまで閉じこもっているつもりなのよー! 篭城戦をするってんなら、こっちにだって考えがあるんだからねー!」
教室をガンドで爆撃してから、未だに出てくる気配のない士郎。
わたしは段々とそれにイラついてきたので、宝石を取り出して、最後のいぶり出しを行なうことにした。
青い宝石を投げ入れる。これを喰らったものは脳を揺さぶられて昏倒する。
――閃光が走った。
てっきり教室の戸を破って廊下へ転がり込んでくるものと踏んでいたんだけど、それもなかった。
「……うん? 士郎? まさか、さっきのガンドで本当に死んじゃってたりぃ……?」
そう思うと、サァっと血の気が引いてきた。
だっ大丈夫よ。一応、手加減はしていたのだもの……い、いえ、でも、やっぱり、頭に血が上っていちゃったりして、手加減できてなかったのかしらぁ……?
「士郎? ねぇ、士郎? 返事して……返事してよ?」
恐る恐る教室の戸に手をかける。
――ふと、直感が走った。
まさかわたしをここまでおびき寄せて、戸を開ける瞬間にぶち破ってくるつもりなのではないか……!
「ふぅ。危なかった。士郎! そんなのに騙されないからねー! いいからさっさと出てきなさいよ。もしかして拗ねてんのー? へっぽこなあんたが、わたしに魔術戦で勝てるわけないでしょうに」
……返事がない。どうやら中は無人のようだ。
「――士郎!」
我慢ならず戸を開く。
目に飛び込んできた教室の中は、本当に無人だった。ただひとつの机を残して、ほかの器具は壊れ果てている。
さらに白煙で包まれていたはずの教室は、煙なんて一つもなかった。まさに煙に巻いて逃げた逃亡者のように……?
「――あれ。なんで、窓が開いているのよ……」
嘘だ。そんなのはありえない。あいつが結界を解いて、教室の隅に開けてある窓から逃げ出したとでも?
「最初から窓が開いていたとか? いいえ、それでもありえない。たとえ開けっ放しでも結界は確実に教室全体を覆っていた。ネズミ一匹逃げ出せないはずなのに……」
自分が張った結界を再確認する。
すると、士郎が逃げ出したと思しき窓の部分だけ、綺麗に四角く切り取られていた。
人間ひとり分が逃げ出せる程度の大きさに……。
「……あいつ。こんな魔術を隠していたっていうの?」
否、それはありえない。
何度も言うが、人の結界を弄って、術者本人に気付かれずに突破する魔術師なんて、私の知る限り一人しかいない。
それに士郎が嘘をつくはずはないから、強化の魔術しか使えないというのは本当だろう。
……あれ、待てよ? 私の知る限り、一人しかいないって……。
「――――――――、…………あぁ~いぃ~つぅ~~~~~~っ!」
腹が煮えくり返る思いだった。
あれだけこっちのことには関わるなと、あれほど言っておいたのにぃ……!
「あんの神秘強盗ぉ! 次会ったらタダじゃおかないんだからねー! あんたの仕業だってのは分かってんのよソニア! 今すぐここに出てきなさい! ここで決着をつけてやるんだからわりゃゃあああああああああああああああああああああああ!!」
口から火を吹いて怪獣になる。
あぁ、完全に出し抜かれた。この様子だと士郎はもう交差点のところか。
「――アーチャーァアア!」
(うぉっ、なんだね突然、凛。いきなり念話で叫ぶのはやめてくれたまえ。心臓に悪いぞ)
「今夜……攻めるわ」
(なに? それはもしやキャスターの件か?)
「えぇそうよ。腹いせにね」
(腹いせ? ……まぁ、君に何があったのかは聞くまでもない。マスターがやる気になってくれて、サーヴァントとしては頼もしいだけだ。では、今夜は新都にてキャスターと)
「えぇ。昏睡事件のことも放っておけないしね。頼むわアーチャー」
(了解した。だが、何があったのかは知らんが、あまり頭に血が上らないようにな、マスター)
念話を遮断する。
「ふぅ。そうね、アーチャーの言う通りだわ。今回は私の負け。それだけよ。それに、今回のことであいつも次会ったら命はないって分かっただろうし……のこのこと学校に来ることも、もうなくなるでしょ!」
だったら世は事もなし。
今日のところは早めに帰って、アーチャーと新都に繰り出さなくちゃ!
◇
――時はほんの少し遡り――
橙色に染まった雑木林。
学校の裏手にあるその林で、オレはマスターの指示通り、見張りに徹していた。
「…………」
首筋の烙印が疼く。近くにサーヴァントがいる。
手を背にある大剣の柄にかぶせて立ち上がる。
すぐ近くまで接近しているのは首筋の痛みからわかるが、場所を掴めない。
「まさか気配遮断……?」
アサシンが山門から降りてきたってのか?
だが、それにしては少し妙だ。
「……なるほど、そういうことか。こりゃあ、単純に忍び歩きが得意なだけのサーヴァントだな。反対に、どうやら隠れんぼはあまり得意じゃないようで――ッ!」
振り返って、今まで背を預けていた木立をぶった切る!
「――ッ!」
頭上から飛び退り、距離をとって着地する紫色の女。
――ライダーのサーヴァントだ。
「…………」
「そのバイザー。何か裏がありそうだな」
「……貴方こそ。その鉄の塊、ただの剣じゃありませんね。どうやら私の天敵なようで」
「そんなことバラしてもいいのか?」
「言わなくても、貴方なら疾うに分かっていたでしょうに……」
大剣を構えてライダーを見据える。
相手は深く腰を落として、今にも飛びかかって来そうな気迫だった。
こいつの言う通り、オレの大剣には魔物や魔性に対する特攻がある。
反英雄……というよりかは、怪物や死徒――あるいは使徒の類には効果
さらにこの大剣には竜特攻もあるだとか、よく分からないもんも追加されているがな……。
しばらく膠着状態が続く。
どうやら相手は痺れを切らさず待ち構えているようだ。だったら望み通り!
「――!」
大剣を担いで駆け出す。
すると、ライダーは後方に飛び退って、林の中を疾駆し始めた。
地を這い木を登り、いつの間にか背後を取る。その空中殺法は、とんでもなく素早かった。
「ハァ――ッ!」
ライダーを捉えた瞬間、大剣を横薙ぎに奮う。
だが、そのどれもが空振りで、ライダーはギリギリ、オレの懐には入ってこなかった。
……今の攻撃で間合いを見切られたか。なかなか賢い女だ。一体どんな英霊なんだか……。
「だが、甘いな」
奇襲のつもりなのか、頭上から短剣をむき出しにして襲い来るライダー。
しかし、そのスピードは先程よりも落ちているようだった。
大剣を天高く掲げ、一歩身を引く。
「――ッ!?」
それだけで獲物は、勝手にオレの前に落ちてきた。
「どうやら出力不足らしいな、ライダー!」
そのまま大剣を片手で振り抜く。
ギリギリで後退するライダーだったが、その腰は容易く切り裂かれた。
「ぐっ――ふ……ぁ!」
地面を転がりつつも体勢を整えて退避していくライダー。
どうやら尻尾を丸めたらしい。
「ふん……結界を仕掛けたやつなのかどうか、聞きそびれちまったぜ」
◇
――くそっ。なんだよ、なんなんだよアイツ! こんなの聞いてないぞ!
ライダーからは、郊外の森には大英雄がいると聞いていた。
柳洞寺には魔女と門番がいるとも聞いていた。
町には神出鬼没のランサーもいて、セイバーとアーチャーの野郎が手を組んでいるともライダーから聞かされていた!
聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは、全部で七騎じゃなかったのか?
「なんだよアイツ。どうなってんだよこれは! ライダーのやつも簡単にやられやがって……マスターに恥をかかせるなよなもう!」
黒い剣士から離れて、身を隠しながら癇癪を起こす。
――そこでふと、見知った友人が全力疾走で校庭を横切り、校門から出ていくのを目撃した。
……あれは、衛宮だ。衛宮士郎だ。
たしかあいつ、校内で遠坂のやつと戦っていたはずじゃあ……?
――――僕は今日、学校には出席しなかったが、それでもライダーを連れて、近くにまでは足を運んでいた。だって学校には遠坂のほかにマスターがいるみたいだったし、のこのこと登校するだなんてリスキーなことは馬鹿のすることだと知っていたからだ。
そしてライダーには、バーサーカーと戦闘をしていたというセイバーのマスターを探してもらった。そしたらすぐに見つかったよ。ライダーは衛宮を見て指を差した。
はっきりと「あの赤毛の少年です」とね――――
だからてっきり、僕はあいつらが手を組んでいると思っていた。そうじゃなきゃ、互いにマスターだと知った上で顔を合わせるなんてことをするはずがなかったからだ。
それでも様子を見ているうちに、それが間違いだと気が付いた。人っ子ひとりいなくなったら、あいつら校舎の中だっていうのに、ドッカンバッカンと怖いことを始めやがったんだから。
それで検討が付いた。
衛宮のやつ、きっと遠坂に振られちまったんだと!
……あぁあぁ。僕はね、衛宮。おまえが魔術師だと知って、僕のプライドはズタボロになったんだよ。僕に持っていないものをおまえは持っていた。僕にはそれが気に食わなかった。けれど、まぁ真の魔術師である遠坂のお眼鏡に叶わなかったってことは、おまえもそんな大したことないんだろう?
実は僕もそうなんだよ。悔しいけど、遠坂に振られちまったんだ。興味ないってはっきりとな!
はぁ、仕方ないなぁ衛宮のやつは。きっと落ち込んでいるだろうから、ちょっと声でもかけてやるか。
……それにしても衛宮のやつ、ようやく女遊びってのを覚えたのか。やるじゃん、あいつ。
「――ふぅ。おいライダー。いつまで黙っているんだ。もう動けるんなら帰るぞ!」
「…………」
黒い剣士の様子を窺って、その場から立ち去る。
――よぉし。明日の方針は決まったぞ。遠坂のやつをギャフンと言わせてやる!
◇
商店街。
茜色の夕焼けに染まったそこは、学校帰りの子供たちや主婦でいっぱいだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……っと」
走り疲れた俺は、ポッケから財布を取り出して中身を確認する。
……良かった。ポケットは破れてないし、財布もあるし、ばっちりと大金三万円が入っている。
「これで空っぽの冷蔵庫を温めてやりますかっ」
息を整えてから、慣れ親しんだ商店街を周る。
ここなら、もし遠坂と遭遇しても心臓が一瞬止まるだけで、向こうも下手には出来ないだろう。
それから小一時間かけて、買い物袋が両手にいっぱいとなった。
確か朝食はあまりのものと食パン一斤で済ませたけど、案外セイバーには好評だったっけ。やっぱり西洋の英雄らしいから、西洋風の料理の方が良いんだろうか。まぁ、あの美味しそうに食べる顔がまた見られるのなら、洋食も考えてみるか。
「さて……帰るか」
一歩足を前に踏み出したが、何故か体が動かない。
というよりも、後ろから裾を引っ張られているような……?
――振り返るか検討する。
もし、そこで遠坂の顔でも拝んでしまったら、俺は思わず自制が効かないまま飛び退いて、転んで卵を割ってしまうかもしれない。
セイバーの朝食を、割ってしまうかもしれない……。
おそるおそると背後に振り返る。
……しかし、目の前には誰もいなかった。
「なんだ。気のせいか」
前方に振り返って、再度帰路に就こうとする。
――――はて、体が動かない?
「……下っ……」
「……下……?」
言われた通りに振り返って、それから下を見る。
――――するとなんとそこにはあらびっくり。
俺の半身を彼方にぶっ飛ばしたバーサーカーのマスターが、俺の服を掴んでおいでですかそうですかってなんでぇえええ!?
「うわわわわっおいおまえ離せよ!」
「なっなによ、急に暴れないでよ――――きゃっ」
どてっと尻餅をつく銀髪の少女。
……やっちまった。
周囲からの視線が痛いのなんの前に、俺を睨みつけるバーサーカーのマスターの視線で射抜かれ死ぬ殺される。
「…………」
「…………」
気まずい。
「……ちょっと。レディが転んだのだけれど」
「あっあぁ、悪い、悪かった……」
買い物袋を下ろして、銀髪の少女イリヤの手を取り引っ張り上げる。
「ありがと。でも、そんなに驚かしちゃった?」
服についた汚れを、ぱんぱんと払いながらイリヤは言う。
「そ、そりゃあな。あと、言っとくけどな。俺、おまえのバーサーカーに一度殺されたんだぞ? それなのに普通の反応を期待されてもらっても、その、俺が困る」
「そうね、確かに。でも私も困ったわ。お兄ちゃんがバカみたいに突っ込んで来るんだもの。死んじゃったかと思ってた。……でも、生きてた。それは良かったと思うわ」
にっこりとイリヤは、
……俺にはわからなかった。
――――彼女は、俺の親父に裏切られた。だから彼女は俺を殺そうとしてきた。なのに俺が生きていたことが嬉しいと?
どういうことなのだろう。
もしかして俺を何回でも殺せるから嬉しいとか、そんな無邪気に羽虫を殺す無垢な子供だったりするのだろうか?
いや、ありえる。イノセントマーダーなこやつなら、きっとありえるやもしれぬ……。
「……なによ。そんなに人のことジロジロ見て……」
「いや、俺が生きてて嬉しいっていう
「――――え?」
途端、天地がひっくり返ったかのように仰天したイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
俺はこの少女が何に驚いたのか、皆目検討がつかなかった。
「……なんで、その呼び方、知ってるの? わたしの、名前……」
――――あっ。
「あっ、ちょっ、わるっ、ごめんっ! 間違えた! たしか
ここで戦闘になるのは避けたい。
土下座も辞さない勢いで誠心誠意、頭を下げる!
「……別に、そんなご機嫌取りみたいなこと、しなくていい。それにわたし、ロシアの方じゃないし。逆にむかつく。……だから、お兄ちゃんの名前も教えて」
――――はて? 予想外の返答が返ってきたぞ?
だが、それで許されるのなら教えたい。
それにもしかしたらこの子、実は良い子なのかもしれないし。
「衛宮、士郎。気軽に士郎って呼んでくれ」
「シ、ロウ……シロウ? ……分かった、そう呼ぶ! だからシロウも、わたしのことはイリヤって呼んでね!」
今度もまたにっこりと微笑んで、俺の腕を掴んで抱きついてくるイリヤ。
なんだか奇妙なことになってきたけど、俺は買い物袋を手に、このまま家には帰れなくなっていた。
――少しでもこの少女と話をしたいと、そう思ってしまったんだ。
それから俺とイリヤは、公園のベンチに座って色んなことを話した。
マスターは明るいうちに戦ってはならないとか、なんでか俺と話をするために城から抜け出してきたとか。
そして――城って、あのお城の事を指しているのだろうか。もしやイリヤは、まじもののお姫様なのかしら……?
そんな話を小一時間し続けて、日も暮れてきた頃。
「…………」
話が止まり、何やらもじもじとし出すイリヤ。公園の時計をしきりに確認して、時間を気にしているようだった。どうやら、もう帰る時間だというのが言いにくいのだろう。
子供ならもっと遊んでいたいだろうし、ここは年長者として後押ししてやりますか。
「なぁイリヤ。そろそろ暗くなってきたし、お開きにするってのはどうだ?」
「え? あ……うん」
……今にも泣きそうな顔で頷くイリヤ。
俺はそれだけで、もはや何をどうしたらいいのか判らなかった。
「……そろそろバーサーカーが起きちゃうから、帰るね」
「あ、あぁ……」
それで分かった。もしかしなくてもイリヤは寂しそうにしているのだと。
かと言って、これ以上話をし続けていたら夜になってしまうし、卵が腐ってしまう。
そこで思い付いた。
そういえば今までの会話の中で、俺からイリヤに質問をしたことがなかった。最後にひとつだけ質問してみてもいいだろうと思ったが、肝心の質問がまったくもって思い浮かばない……。
「ねぇシロウ……」
「なぁイリヤ……」
――――声がかぶった。
「なに、シロウから言って」
「あ、いや、イリヤも遠慮しなくていいぞ」
……暫しの沈黙。
互いにベンチから立ったというのに、公園から立ち去るのでもなく、また座り直すのでもなく、相対し続ける。
……このまま日が暮れたら、即マスター戦とかにならないだろうか……。
互いに相手の出方を待って様子を窺う。
まさかこれが殺し合いじゃなくって、単純にどっちから話すべきか迷っているのだと思うと、なんだか笑いがこみ上げてきた。
「――キリ……」
「ん? すまんイリヤ。今なんて言った?」
「…………」
唐突に口を開いたイリヤだが、すぐに押し黙ってしまう。
それでも先に口を開いたのはイリヤだ。あとは根気強く待ってやる。
……冷たい風が吹く。
日は落ち、空は陰り、電灯が点き始めた。
「ねぇ、シロウ。…………いま、キリツグって、どうしてる?」
「――――――――」
それは、予想できていた質問だった。
だから、その問いへの回答は、既に決めていた。
「……死んだよ、五年前に」
簡潔に、容赦なく。
お前が復讐する相手はもういないのだと、そう口にした。
目の前でこわばる表情。銀の髪が揺れる。
あぁ、もう少し言葉を選べば良かった。
その、今にも泣きそうで、悲しそうな顔を見て、俺が切嗣の代わりになれば、もしかしたらこの少女はこんな顔をすることはなかったんじゃないかーなんて、そんな馬鹿なことを一瞬でも考えてしまった。
だけど、それは許されることではない。
俺は切嗣の代わりになんてなれないし、復讐されるつもりなんて毛頭ない。
それでも――――
「……」
何も言わずに振り返り、俺の前から去りゆくその姿を――――
「なぁイリヤ。明日もここで、話さないか」
――――見捨てておけなくて、呼び止めた。
それの意味するところがなんであるかなんてどうでもいい。
「え――?」
「明日が無理なら明後日、それが無理でも、イリヤが来てくれるなら、俺はこの公園で待ってる」
ただ今日みたいに、なんてことはない話をしようと、そう言った。
「イリヤはいやか?」
「……別に。ただ、シロウはどうなの?」
「どうって、話したくないんなら誘わないだろ?」
「……分かった。気が向いたら、また来るね?」
「そうか――良かった」
このまま終わりで、あとは殺し合いしか待っていないだなんて、そんなのは嫌だった。
単純に俺はイリヤのことが、このほんの一時間程度で好きになっていたのかもしれない。
殺されかけてそう思うだなんて、なんだか内心狂ってるなと思わなくもないけど、無垢で純真で何も知らない少女が、聖杯戦争でマスターとして育てられたなんていうのが、俺には我慢ならないこともあったのかもしれない。
だからせめて、こうやって公園で聖杯戦争もマスターもサーヴァントも忘れて、ただ語らうことが出来たら。
少しでも、この子を笑わせることが出来たら――――
「ばいばいシロウ。またあした」
「あぁ、また明日。イリヤ」
手を振ってイリヤを見送る。くるくると踊りながら走り去っていった銀髪の妖精。
けれど途中で振り返って、大声で次のようなことを言ってきた。
「だけど忘れないでねー! キリツグはもういないけど、わたしの目的はシロウを殺す事なのは、くつがえらないんだからねー!」
「がくっ」
そんな物騒なことを大声で言うんじゃないっての……!
それから家路に就き、時刻は五時過ぎとなっていた。
出迎えてきたセイバーに「悪い。遅くなった」と伝えて、早速夕飯の支度に取り掛かる。
一応、学校帰りに買い物を済ませてくると伝えておいたおかげで、セイバーからとやかく言われることはなかった。
だけど内心では、俺が一人で学校に行くことを今でも不満がっているようだった。
「まぁそれも美味い飯で手打ちってことで……ってのは無理だよな」
手早く調理を済ませて食卓に夕飯を並べていく。
しばらくして桜と藤ねえが帰宅してきて、すぐに夕食が始まった。
『いただきます』
「なぁ藤ねえ。今日も泊まっていくのか?」
食事の片手間、気になった事を訊いてみた。
「うん。そりゃあもちろん。桜ちゃんもそうだよね?」
「あっ、はい。藤村先生が家に許可を取ってくれたので、私はそれで……」
なるほど。
まぁ桜も藤ねえも昨夜の泊まりでセイバーと随分仲良くなったみたいだし、それならそれで文句はないんだが……。
ふと、セイバーが俺に視線を向けている事に気が付く。チラリと目を合わせただけで、セイバーの心配の色が見て取れた。
そうだ。俺は今、セイバーというサーヴァントと聖杯戦争に参加しているのだ。
出来れば関係のない藤ねえや桜を家に泊まらせたくない。
――それでも仕方ない。
セイバーに視線を送って了解を取る。
流石のセイバーも藤ねえの頑固さは理解していたのか、諦め気味に目を伏せた。
◇
深夜。
柳洞寺の境内にて、私はとっても苛立っていた。
「……アーチャーの、マスターぁ!」
数刻前からだ。
境内から見える都市の範囲すべてを覆い尽くす糸を張り巡らして、人々から生気を半分吸い取る吸引の網が、数刻前からアーチャーの手によって切断され続けている。
それもすぐに新しい糸を送り出せば済むものの、こう何度も邪魔されては満足に魔力集めもできやしない。
「……はぁ、落ち着きなさい。これは罠。私をおびき出す罠なのよ」
そう自分に言い聞かせて興奮を抑える。
けれど次の瞬間、アーチャーの矢によって一気に数百本もの糸が切られた。
これは新都に張った糸の七割方を切られたということだ。
「きゃ!」
さらに魔力を送り込まれて、逆流してきたアーチャーの魔力と私の魔力がぶつかり合う。
魔力の糸口だった指先が弾けて、熱くヒリヒリしてとっても痛い……。
「ぐっぅぅ。……も、もう我慢なりません! その挑戦、受けて立ちましょう」
身体を紫の蝶に四散させ、空を飛び新都へ赴く。
それからビルの屋上で弓を構えているアーチャーの頭上に、堂々と現れてやった。
「ほう。ようやくご登場か、キャスター。待ちくたびれたぞ」
「アーチャー。これは一体どういう了見かしら? 人の縄張りを荒らしに荒らして」
「貴様に取る了見なんてどこにもないだろう。縄張りだという点も、私が何のために荒らしたのかが分からない君ではあるまい? キャスター」
「無論。そんな事は分かっています。けれど奇妙なものね。弓兵が誘いを掛けて正面切ろうだなんて」
「それは君も同じだろう、
高速で射出される三本の矢。迫り来るそれを、私は片手を前にかざしただけでいなした。
矢避けの術式を組み込んだ円形の結界を張り、矢はあらぬ方向に飛んでいく。
「面倒な結界だ」
そう言って弓をしまい込むアーチャー。
「あら、どうしたの? 弓兵が弓を捨てて、いったい何をするつもりなのかしら?」
「なぁに。弓を取るだけが弓兵の仕事ではない。中にはこういう遣い手もいるだろうさ!」
そうしてアーチャーは何かを呟いた。
「――――・――」
それから両手に現れたのは黒白の双剣。
同時に跳躍して急接近してくるアーチャーを魔弾の砲撃で撃ち落とす!
「ハァッ――!」
しかし、その砲撃をアーチャーは双剣で捌いた。面倒な対魔力だこと。
近付かれないようにビルの合間を縫って飛行し、距離を取る。
アーチャーの方はいつの間にか弓に持ち替えていて、懲りずに矢を放ってきた。
それを結界で弾き、一進一退の攻防を繰り返す。
正直、陣地作成によって神殿と化した柳洞寺での戦闘ならまだしも、そこ以外での戦闘は全く以て不利である。
溜め込んだ魔力は数あれど、それは柳洞寺を倉庫としているため、今の私には出力というものがあまりに足りない。
それでもアーチャーの攻撃を受け止め続けられる魔力はある。
ただ、こちらからの攻撃手段がないという話で、こればっかりはどうしようもない事実。
「どうしたキャスター、逃げてばかりか!」
次々と増殖して威力を増してくる矢の嵐。軌道を変えてくる矢なんて見た事……あったかもしれないけど、こっちも結界を二つ三つと、あるいは極大化させて、レーザー光線じみた攻撃から身を守り続ける。
だけど負けてばかりというのも癪に障る。よって、一度だけ精一杯の砲弾を撃ち込んで、それで退散すると決めた。
背後に数十もの結界を展開する。それはこれから放つ魔弾の砲身。
「――――!」
追撃を止め、その場に留まるアーチャー。
後退しないことから私の砲撃を受け切れると踏んでいるのか。
それが無謀だったことを思い知らせてあげましょう……!
「全魔弾連続掃射――――ヘカティック・グライアー!!」
五十七もの追尾魔弾を連続して撃ち込み、アーチャーに襲いかかる凶弾の雨。
アーチャーの周囲が魔力の渦に包まれる。それを見届けることなぞせず、私は柳洞寺へ撤退した。
――ひらひらと蝶のように舞い降りる。
おそらくアーチャーは無傷。こちらは無駄に魔力を消費しただけ。
それでも損しかなかったわけではなく、アーチャー側は新都に張った網を切るような邪魔はもうせず、大人しく消えてくれた。
「ふぅ……まったく。害虫退治は疲れるわ」
「なんだ、キャスター。虫が出たのか?」
「――! 宗一郎様……」
背後から声をかけてきたのは、私のマスターだった。
「こんな夜遅くにどうしたのです。もう眠っておられる時間でしょうに」
「いや、何か――――虫の声が、聞こえた気がしたのでな」
「……虫、ですか?」
一瞬、なんの事か分からなくて答えに窮する。
「何も変わりがないのなら、それでいい。邪魔したな、キャスター。それと、見張りを続けるのもいいが、あまり根を詰めぬようにな」
「マスター……」
そう言って去っていく、葛木宗一郎という優しい男の人。
彼は私の、命の恩人。
十日くらい前にランサーに襲われて逃げ切り、山中を彷徨う中、見るに怪しい女を拾って介抱して、あまつさえ聖杯戦争やサーヴァントという突拍子もないことを信じてくれた莫迦な人。
私は彼のために聖杯を取ると決めている。
私の願いは故郷に帰ることだったけど、それでも、それに勝るものを見つけられたから。
だから彼の言う通り、無理をして敗北を喫するなど言語道断。さっきみたいに目に見える餌に釣られて誘いに応じるなど、あってはならないことだった。
「……そうね。宗一郎様の言う通り、少し休みましょうか……」
サーヴァントが睡眠を取っても、あまり益になる事はない。
魔力の消費が抑えられる程度と精神安定剤程度の薬であり、特に必要なものではないのだ。
それでも気を落ち着かせるためなら、確かに有効かも知れない。
だけどマスターの身を守るには、気を抜くことは許されない。
「まぁ、あの門番がいるのなら少しくらいは……信用に足る人物ではないようですけど」
そのままマスターの辿った帰り道をなぞって寺に帰る。寝るなら寝室。そんなの当然のこと。
「……ふふっ」
――あぁ。私はいつから、こんな恥ずかしい女の顔ができるようになったのでしょう?
◇
底は闇。
腐臭と水気の漂う、醜悪極まりない深淵の地下室。
小さきものどもが地べたを忙しなく這いずり回っている。
しかし、儂の目の前には、もう一つ。黒い虫の如き影法師が地べたを這い蹲っていた。
「――キ、キキキ」
儂がした事は直截簡明。サーヴァント・アサシンの召喚である。
柳洞寺を陣地としたキャスターが、どうやってか令呪を手に入れて、山門を触媒にアサシンを召喚した事は疾うに知っておった。
しかしルール違反による英霊召喚は、亡霊召喚へと格落ちした。
召喚されたアサシンは、およそ英霊とは呼べない矮小な魂だったのだ。
然れど、その魂の強さは英霊に引けを取らないものだったかなぞ、儂にはどうでもいいこと。
つまるところアサシンというクラスの枠に召喚された“偽のアサシン”は、その魂の容量があまりに足りず、枠の数割を埋められた程度にしか過ぎなかった。故に儂は残り数割の余った枠に、無理やり“真のアサシン”を割り込ませる形で召喚を完遂した。
「キキ、キッ――」
宜しい。こうなる事は目に見えていた。ただ獣の如き吠え声を上げるだけの黒虫。それで良い。
いくら枠の容量が余っていたところで、一つの席を二つの魂が取り合うなど、最初から無茶な話ではあったのだ。
……故にこれから、一つしかない席を奪い合おうではないか。
――夜の街を歩く。
黒虫は儂の影のように這いずってくる。その気配は徐々に消えていった。
儂を喰らう可能性も考えなくはなかったが、そもそもこの黒虫には魂喰いをするという知性さえ持ち合わせていなかった。
ならば、ほかのサーヴァントを見せれば、おそらく本能として理解してくれるだろう。
――アイツをタベレバ、レイキハラはミタサレル――と。
しかして柳洞寺の山門に辿り着いた。
黒虫が本当に儂の後を付いてきているのかは、完全に気配を絶っていたために全く分からなかった。
それでも生まれて初めて見た者を親と思うのは、どの命でも変わらない。
きっと行儀よく、爺の後を孫のように付いてきている事だろうて。
そこでふと、目の前に陣羽織を羽織った男を見た気がした。
が、儂はそれよりも――
「今宵の月は、実に晩餐にうってつけよなぁ」
「――■■ー■ー■――」
――――鮮血が迸る。
一瞬、月が血に染まったのかと錯覚した。
それは見間違いであり、単にあの黒虫の右腕が、偽のアサシンを手荒く平らげただけである。
「……遅いのぉ。まぁ待ってやるがの。よく噛むのだぞ。大きくなれば、食べる速度も直に早まってくる」
餌を前に引き裂き噛み砕く黒虫は、徐々にその餌と取って代わった肉体を手に入れていた。
「キ――――キキキキキ」
それは最早黒虫などではなく、立派な暗殺者と成っていた。
月下に嗤う魔神の右腕。
その遣い手こそ――――ハサン・サッバーハにほかならない。
/了
結界破りについて。
ソニアによる結界魔術の破り方は、例えるなら“水の中に浸したガラスをハサミで切り取る”ようなものである。
ガラスが結界、水が麻酔属性入りの魔力、ハサミが結界切り取り用の魔術(メス)なら、 既に構築された結界の一部を膨大な麻酔魔力で飽和させることにより、メスを切り込んでも術者に気づかれず、結界を切り取ることができる。
が、僅かでも注入する魔力量を間違えたり、メスの切り込み方を失敗でもしたら、即座に術者に感知されてしまうため、なかなか集中力と根気のいる作業である。
イリヤの描写について。
イリヤの描写が難しい。ドSな小悪魔的要素を前面に押し出し、無垢な少女のところも書くとか、この二面性のバランスが難しい。さらに姉としてクールな態度を取るところとか、一転して無愛想になるところとか、結構、相手や気分によって態度が変わるため、まさに書き手にとってザ・お嬢様。
真アサシンの宝具について。
「――■■ー■ー■――」
それはもはや世界の悪意に満たされ、何か別のものへと変質している。
否、真アサシンそのものが、悪いものに取り憑かれていると言えようか。
余談。
聞きかじりの知識だが、イリヤという名前は現実ではロシア語で男性名なのだが、型月におけるイリヤはイリヤスフィールなので、おそらくドイツ出身でドイツ語の女性名なのだろう(そもそもアインツベルンがどこの国いるのか分からないけど。ラインの黄金的にドイツだと思っただけ)。また、現実のロシアでは愛称を呼べるのは親しい人物だけらしい。