銀世界に覆われた内陸国の片田舎。
広大な盆地が地平線まで果てなく伸びて、雪かぶる稲が健気に耐える終年の晩餐。
盆地を囲む外縁部。連れ立つ山脈の麓には、人避けの結界と侵入者を射殺す銀の弩級を張り巡らす、三階建ての大層な洋館が建てられていた。
洋館の屋根には雪が降り積もっており、走獣や羽虫の一匹さえ寄り付かない魔術師の工房。
その中では、水銀を用いて消去の中に退去、退去の陣を四つに刻んで召喚の陣で囲んだ、英霊召喚のための魔法陣を床に描いているシウネス・モルドールがいた。
「あなた、紅茶を入れてきたわよ」
魔法陣を描くことに忙しいシウネスのもとに、扉を開けて入ってきたサリアが声を掛ける。
「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたんだ」
西洋人らしく彫りの深い目元。端正な顔立ちをした男性。シウネスが、優しき妻に振り返る。
彼の外見年齢は二十代前半。体格は男として可もなく不可もなく。魔術の行使中に顔色が悪くなるのが玉に瑕だが、妻に笑いかける時だけは、その顔を穏やかなものにさせる。
「うふふ。あなた、今日は顔色が悪くないのね? もしかして、楽しみにしてたりする?」
「当たり前だろ。なにせ過去の英雄を、英霊という魂の形で召喚し、聖杯がエーテルという仮初の肉体を与えて、彼らと面と向かって会話ができるんだ。つまり英霊を召喚できれば、歴史の秘密を教えてくれるかもしれないということだろう? ……考古学科にいた僕からすれば、そりゃあ楽しみで仕方がないさ」
既に良い歳をしているシウネスは、まるで今にもクリスマスプレゼントが貰えると興奮する子供のように喜び勇む。
その夫の姿を見て、濡鴉の髪に端正な顔立ちの美人妻サリアが微笑みかける。
「まったく。あなたったら」
シウネスとサリアは、昨年の暮れに結婚したばかりの新婚夫婦。家門における政略結婚で結ばれた二人ではあるが、その仲を剣呑なものにはせず、反対に学科の中でも羨ましがられるほどのおしどり夫婦だった。
そんな彼らは、今回が初の新婚旅行。
だからなのか、これから魔術師としての命を賭けた闘争が始まるというのに、二人はあまり危機感を持っておらず、夫婦が共に居られることを楽しんでいる様子だった。
「……おっと。いけない、サリア。そろそろ年が変わる。召喚の儀式に取り掛かるとしよう」
「わかったわ」
和む空気に喝を入れるシウネス。
するとサリアは、突然衣服をはだけさせる。
それにシウネスは、あっと動揺して目を丸くするが、すぐに魔術行使の準備に取り掛かる。
実は、サリアの魔術刻印は背中に刻まれており、魔術回路の励起には酸素を必要とするため、衣服を着込んでいると上手く魔力が回らないのだ。
それは、どの魔術師でも同じ場合が多い。
例えばシウネスは、右腕に魔術刻印を刻んでいるため、腕まくりをしてから魔術を行使した方が効率がいい。
「それじゃあ、一緒に呪文を紡ごうか」
「まるで結婚式の時みたいね。魔法陣がウェディングケーキに見えるわ」
冗談を言うサリアに、シウネスは苦笑いをする。
――――しんと
サリアの魔術回路は眠りを誘う特性を有しており、その効力は“活動するもの”であれば全てに作用する。
例えば、人間や動物ならば分かりやすく、彼女の魔術回路から漂う香気を吸ってしまうと軽い催眠状態に掛かり、半覚醒状態になってしまう。
唐突な睡魔に襲われて、活動そのものは阻害されないものの、ゆったりとした微睡みの中に意識を漂わせてしまうのだ。
その甘い香りは霊体にも適用される。そのためサリアは降霊術を得意とし、主に召喚する霊体は悪霊の類が多い。
悪霊を召喚すれば攻撃される危険が伴うが、そういう時にこそ、霊体にすら眠りを誘うベルヴォーン家の魔術回路は重宝されるのだ。
「……っ」
一方のシウネスは、肉体の全魔術回路をフル稼働させて、抗魔力を生成し続ける。
魔術回路はそれ自体が異色の魔力を弾く対魔力の礼装となるため、魔力の生成と循環を繰り返していれば、サリアから漂う香気に負けることはない。
が、流石のシウネスでも、最優秀学徒の称号を誇るエリート魔術師、サリアの魔術回路の本数と質量には敵わないのか。
今まで努力と知略のみで時計塔をのし上がってきたシウネスは、僅かに右目の瞼を下げてしまう。
「……良い? シウネス。行くわよ」
「あ、あぁ……くそっ。立ち上がってきやがった……」
ボソリと呟き、一瞬、シウネスは視線を下げる。
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもない。……それじゃ、詠唱と行こうか」
召喚のための触媒は、既に魔法陣を挟んだシウネスたちの真向かいに設置されている。
その一つは、ある東洋の女武者が用いたとされる焼け焦げた弓矢。
もう一つは、ある亡国の王子が魔術師から渡された魔獣化の霊薬。
そして、弓矢の前にシウネスが、霊薬の前にサリアが立ち、二人は令呪の浮き出る右手を掲げる。
彼らが狙うサーヴァントのクラスは、アーチャーとバーサーカー。
何故この二枠を狙うのかというと、二人は聖杯戦争を勝ち抜くために、幾つか戦術を考えていた。
そのうちの一つが、魔力供給量の問題。魔術回路の本数に劣るシウネスに代わり、サリアが潤沢な魔力を送るため、二人は同時に召喚儀式を行うことで、互いの魔力パスを繋ぐ方法を選んだ。
それだけでなく、アーチャーは単独行動のスキルを保有するため、緊急時には単独での遊撃や魔力パスの一時停止が期待できる。その間に魔力の大半を持っていくバーサーカーに魔力を注ぎ、その狂化による圧倒的なパワーで敵を屠ってもらうなど、夫婦のマスターは臨機応変に戦い抜こうと模索していた。
『素には銀と鉄。 礎には石と契約の大公。
降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する。
――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
――誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の、守り手よ――!』
莫大なマナが空間に収束し、魔法陣の両側に一瞬の閃光と疾風が吹き荒れる。
かくして彼らは、二騎のサーヴァントの召喚に成功した。
家門の知り合いだったヒートン家に誘われて、此度の亜種聖杯戦争に参加する運びとなったシウネスとサリア夫妻は、しかし万能の願望機に託す願いなど持ち合わせていない。
ただ無尽蔵と言える魔力器さえあれば、以降の研究に役立つかも知れないと考えているだけで、必死になって勝ち抜こうとする意志は皆無と言えた。
また、考古学科を専攻するシウネスにしてみれば、莫大な魔力など無用の長物。
しかし降霊術を得手とするサリアにとっては有益に違いないだろうが……命を賭けてでも欲しいかと問われれば、それは違った。
ならば何故、彼らはこれから戦場となる舞台にやって来たのか。
それは先月の話。
ヒートン家から送られてきた亜種聖杯戦争の招待状を受け取ったシウネスは、無駄に命を危険に晒す必要はないと考えて断ろうとした。
しかしサリアは、お嬢様特有のプライドのためか、夫の取り決めに首を否と振り、彼に内緒で承諾のサインを書いた。しかもその招待状が、魂レベルで契約を交わすセルフ・ギアス・スクロールであることを知っていて。
これにより取り止めは効かず、やむなくシウネスは妻の身の安全を守るため、亜種聖杯戦争への参加を決意することになった。
それでも何故サリアは、この危険極まりない戦いに参加しようと思ったのか。
その訳を問い質したシウネスは、次の妻のセリフに胸を打たれるしかなかった。
「だって、聖杯戦争という闘技場で華やかに勝ち残って、あなたにかっこいいところを見せたかったんだもん……」
かくして彼らは、中欧の片田舎にて開催される亜種聖杯戦争を勝ち抜くため、アーチャーとバーサーカーのサーヴァントを召喚した。
逆巻く魔力の波濤に足を取られて、シウネスはたたらを踏む。
一方のサリアは、光と風の中で跪く二人の人間。――――否、二騎の英霊の姿を、確とその目に捉えていた。
シウネスの前に跪くアーチャー。その見た目は、白い髪を後ろに纏めており、平安期における甲冑を着込む女武者。
サリアの前に跪くバーサーカー。その見た目は、黒っぽい髪に、目元を覆う不気味な紋様のバイザー。身長は二メートルあり、ほっそりとした体格をしていて、薄汚いローブを羽織っている。
そこで召喚者である魔術師夫婦は、眼前の使い魔を一目見ただけで、その規格外の魔力量に驚愕する。
資料では知識として知っていたが、これは使い魔なんていうものとは比べ物にならない、異常な存在であると。
喩えるなら、その一騎一騎が戦闘機の運用方法で出力と兵装を有しており、一夜で一国を滅ぼせる神秘を有しているのだ。
それはまさに決戦兵器。
シウネス・モルドールは思う。
――――ヒートン家は、いったい何を始めようとしているのか。最近、魔術界隈で亜種聖杯戦争が乱立されていることは聞き及んでいたが、このような怪物を召喚し、魔術師が使役して、戦い、戦わせ、最後にはたったひと組のマスターとサーヴァントが聖杯を勝ち取る?
並外れた力の差を前にして、シウネスは唾を呑み込む。
一方のサリアは、サーヴァントという強力な兵器を召喚できたことに、何かの手応えでも感じたのか、その胸を誇らしく突き出していた。
「……サーヴァント・アーチャー。戦働きと聞き、召喚に応じました。貴方が私のマスターですか」
「あ、あぁ、そうだ……令呪は、此処にある」
女武者のアーチャーに見据えられて、しどろもどろになるシウネスは右手の甲を見せる。
そこには一本の木に見立てた一画の令呪に、二本の枝が互いに絡み合う模様を描いていた。
「……ならば、次は私の番か。サーヴァント・バーサーカー。聖杯をこの手に収めるため、召喚に応じ、参上した。貴方が私のマスターか?」
「――――え、えぇ、そうよ。私が貴方のマスター。令呪は背中にあるわ。ほら……あ、でも、そのバイザーは、取らない方がいいのよね?」
一瞬、サリアはバーサーカーが喋ったことに戸惑うものの、その背中をはらりと見せる。
だが、彼がバイザーをしているため、背中を見せても仕方がないと気付き、少し照れながら身だしなみを整えた。
「えぇ、そうですね。……ところで、ふとした疑問があるのですが、私は何故、バーサーカーとして召喚されたのに、喋れているのでしょうか?」
「え……? そ、それは、私が聞きたいわ?」
首を傾げるサリアは、シウネスの横顔を見やる。どうやら説明を求めているらしい。
「いや、降霊術は君の専門だろ? 僕に訊かれても困る。……ただ、僕たちが召喚したバーサーカーは、元々、狂気に呑まれたから英雄になった存在だ。ゆえに狂戦士というクラスによく馴染むため、あまり狂化スキルが付与されなかったんじゃないかな?」
「なるほど。確かにその説明は的を射ている。アーチャーのマスターよ、礼を言う」
まるで王のように尊大に佇み、しかし臣下の礼を崩さないバーサーカー。
そこで、暫し蚊帳の外にいたアーチャーが、咳払いをしながら立ち上がった。
「こほん。ところで我がマスター。私もひとつ疑問があるのです。おそらくバーサーカーも、同じ疑念を持っていることでしょう」
「それは?」
「何故に聖杯を巡って争うサーヴァントが、二騎も同じ場所で召喚されているのか、ということでございます」
確かに、召喚されたサーヴァントにとってみれば、いきなり現世に召喚された途端、隣に因縁の敵がいたようなもの。
アーチャーの問いは尤もなものと言えて、シウネスは頭を掻いて事情を説明する。
「そうだな。これは一種の同盟関係と思ってくれると嬉しい。確実に聖杯を得るために、ほかの陣営と共闘する。といっても僕とサリアは夫婦だから、いささか状況が違うが……」
「あら……マスターと、そちらのバーサーカーのマスターは、夫婦でいらっしゃるのですか?」
目を見開いて驚くアーチャー。次に彼女は、にこやかな顔で首を傾ける。
「実にお似合いでいらっしゃいますよ。それなら納得というものでございます。とどのつまり、マスターたちは共に手を取り合って、ほか三騎のサーヴァントを蹴散らそうというわけでございますね? なかなかに策士でございます!」
「あ、あぁ、そうだな……。だが、最終的にはアーチャー。君はサリアのバーサーカーと戦うことになる。だから、どうしても聖杯が欲しいという場合は、マスターを抜きで、君たちには争ってもらうことになる」
「おお。それは正々堂々とした仁義なき一騎打ちという次第でございますか。それはなかなか……」
どうやらアーチャーは、シウネス夫妻の方針を気に入ったらしく、顎に手を当て、しきりに頷く。
その時、不意にバーサーカーが、眉間にしわを寄せて問いかけた。
「どうしても、聖杯が欲しいという場合……? まさかマスターは、聖杯を追い求めているわけではない……?」
それにサリアが答えた。
「そうね。どちらかというと、聖杯戦争に参加した主な目的は、箔をつけるためかしら? でも勘違いしないで、バーサーカー。私たち、闘志はバリバリにあるんだから」
「なるほど。それは安心しました」
かくしてシウネスとサリアの説明により、アーチャーとバーサーカーは互いの同盟関係を承諾した。
ほか三陣営の敵を片付けたあと、マスター殺しを除いた仁義なき一騎打ちにて勝敗を決する。その口約束を交わして、彼らは霊体化した。
それから召喚により大半の魔力を失ったシウネスとサリアは、ダブルベッドの上で魔力補給用の林檎触媒を頬張り、今夜のうちは深い眠りに就く。
彼らの作戦としては、まずは静観。最初から外に飛び出していく必要はない。敵同士が互いに潰しあってくれるなら、それに越したことはない。かといって工房にこもりきりでは、刻一刻と変化する戦況は掴めない。使い魔を斥候に走らせたところで、今が好機と判断した時には一手遅れている。
ゆえにシウネスは、明日、妻のサリアを工房に残して、アーチャーと共に偵察に出ようと考えていた。
しかしアーチャーには単独行動スキルがあるのだから、マスターは工房で待機していても問題はない。
それでもアーチャーと共に戦場に出る理由は、サリアのサーヴァントにあった。
シウネス・モルドールは思う。
――――あのバーサーカーは信用できない。どうしてか、あいつには気をつけなければならない。そんな気がする。
その予感は、バーサーカーの正体が反英雄であることを知っているからなのか。身の心配を拭えないシウネスは、妻の令呪を信頼していない訳ではない。
だがそれとは別に、本心から妻をバーサーカーから引き離したいほど、シウネスは嫌な予感を覚えていた。
/了