聖杯戦争、四日目の夜。
シウネスは度重なる戦闘で負傷し、足を挫いてしまったため、しばらくは満足に歩けない状態になっていた。魔術的な医療行為なら早急に治せる怪我でも、完治するまであと一日はかかる。ゆえに今夜は静観に徹しようと、シウネスはアーチャーとゲーム三昧に明け暮れようとしていた。
――だが、サリアは反対だった。
なにもシウネスに戦いに行けと言いたいわけではない。ただサリアは、ここで己の目的を思い出したのだ。先日はシウネスに注意されたが、自分だってシウネスを守るために戦いたい。どちらかといえば、自分がほかのサーヴァントを倒して、夫に褒められたかったのが本音である。
そんなサリアは夫に内緒で、常に霊体化させているバーサーカーと戦場に赴こうとしていた。
静かに扉を閉めて、サリアは森へ出ようとする。
「……お待ちください。奥様」
「あ、あら……アーチャー……」
夜逃げするように館から出ていこうとしたサリアの前に、アーチャーが実体化する。
どれだけ忍び足で行動しても、サーヴァントの感知能力からは逃れられない。さらにアーチャーは、サリアの行動に対して少し怒っている様子だった。
「奥様。夜分遅くにどこへ行こうというのですか? 確か今日はマスターが動けないため、自らが打って出るのは中止にしたはずですが……」
「えぇ、そのことなんだけど……もしかしてあの人は、このことを知っている?」
「いえ。あまりに急だったので、マスターには何も言わず出てきてしまいました。ささっ。マスターが気付けばお怒りになりますよ? その前に戻りましょう」
「いいえ。私は戻らないわ。私だって、あの人の役に立ちたいのだもの。そもそもこの戦いは、私が臨んだものだし……本当は、怪我をするのは私の方なのに……」
「それは……誠に申し訳がありません。ですが、それとこれとは話が別です。マスターの策略では、せっかくサーヴァントを二騎、自陣に従えているのですから、バーサーカーを戦場に出すときは、共にいた方が効率的という話だったではありませんか」
アーチャーの言うことは尤もだ。バーサーカーの運用は、シウネスとサリアが魔力パスを分担することを前提としている。
その間アーチャーを単独行動させて二面作戦を行うのが、此度の聖杯戦争のために考えたシウネスの策略だった。
無論アーチャーにしてみれば、サリアの妻としての気持ちも考えられなくはない。が、同じ女武者とはいえ、サリアのその好戦的なところが、アーチャーはあまり納得できていなかった。
「奥様。何故、貴方はそうも戦いにこだわるのですか? 自ら危険に飛び込むのは、いささか浅慮と言わざるを得ません。何を失礼なことをとは存じてございます。しかし、これは奥様のためを思ってのことで……」
「えぇ。優しいアーチャー。ありがとう。でも、これは私の戦いだから。貴方は館で、あの人とゲームを楽しんでね? もちろん。敵が攻めてきた時のために、籠城は頼んだわよ。あ、それとシウネスには、このことは内緒でね?」
それじゃ、と手を振るサリアは、単身森の中に入っていく。
「お、奥様!」
「大丈夫。あの人が怪我をしても無事に帰って来られるのだもの。私だって魔術回路は多い方だし、大丈夫よね? バーサーカー」
アーチャーは追いかけたくても、マスターのことが気になって独断で行動できないのか、黙って見送ることしかできなかった。それからアーチャーは、サリアの言いつけを守って、シウネスには何も言わなかったことだろう。あまつさえサリアを探そうとする彼を引き止めて、ゲームに誘うようなこともしただろう。
何故なら己の妻がいなくなったことを知れば、おそらくシウネスは無理な足を動かして、戦場に赴くだろうから。
そして昨夜のライダーのような相手と戦うことになった場合、アーチャーはシウネスを守りきれない。
ゆえにアーチャーは、サリアのサーヴァント。バーサーカーの強さを信じることしか出来なかった。
かくしてサリアは森を抜け、田舎町を抜け、また違う森の中まで探索を続ける。
雪の上に足跡を残し、夜の静けさに怯えながら、勇気を奮い立たせて、サリアは夜の森を練り歩く。
「うぅ……暗くて怖いわ。それに寒いし……シウネスはこんな森の中で、今まで戦ってきたのかしら……?」
両手をさすり合わせて、サリアは手に白い吐息を吐く。
深夜の森は深く暗い。まるで怪物が棲んでいるかのように、その威容を誇示してくる。
木立の彫りは人の顔に見え、木立の裏にはゴブリンがいそうで、自分が歩く道の先には、もしかすると死神がいるかもしれない。
ふと――――ザ、ザ、と。草履が雪を踏みしめる音が、前方から聞こえてくる。
ハッと息を呑み、サリアは前方より来る何者かに目を凝らす。
彼女の前に現れた謎の男は、非常に恰幅のよい体格をしており、枯葉色の着物姿がよく似合う無精ひげを蓄えていた。
その男性は、和やかな顔つきを以てサリアと目を合わせ、寂れた声で語りかける。
「儂の名は、サーヴァント・アサシン。以後、お見知りおきを」
「あ、アサシンですって……!?」
闇に紛れ、不意を突いて暗殺してくる影の仕事人が、まったくその役割を果たさず前に出てきたことに、サリアは動揺を隠せない。
「お主たちの前に現れたのは、ひとえに交渉したいことがあってのこと。なに、簡単な相談事よ。ひとつ、儂と同盟を組んでもらいたいというもの。はいか、いいえかを答えるだけの、簡単な問いだ」
「そ、そんなの決まって……!」
ノーだ、と答えようとするサリアの口を塞ぐように、アサシンは一瞬の威圧感を放って、すぐの答えを制する。
「まぁ待て。話だけでも聞いてゆけ。儂にはな? この同盟要求を断った相手に対する暗殺宝具が存在するのだ。しかし、だからといって同盟要求を受け入れることが、お主たちにとって不利益ばかりというわけでもない。何故なら同盟要求を受け入れた場合、お主たちに儂の大切な盾を一枚くれてやろうというのだから」
「え……? えっと、それってつまり。同盟を断ったら私たちは殺されて、受け入れたら私たちに利点があるってこと?」
「その通り。話が早くて助かる。さらに同盟を受け入れた時に手に入る盾は、なんと儂の暗殺宝具を一発分防げるほどの強度を持っておるのだ。俗に言うお買い得というやつだな?」
あっはっはっと大笑して、アサシンは狐のような目付きで、サリアを見据える。
「でも……それで、あなたになんの利点があるの?」
「おろ? 無論、儂はアサシンであるがゆえに、ほかのサーヴァントとの正面衝突は無理難題というものだ。ゆえに同盟を組み、敵を少なくし、儂の同盟相手同士が潰し合うのを待ち、そして最後に残った儂の同盟相手が、必然的に儂を裏切ろうとしたとき……儂の暗殺宝具が火を吹くというわけじゃな。どうだ? 面白い宝具だろう?」
そう言ってアサシンは豪快に笑う。
その人柄の良さそうな態度を見て、嘘は付いていないと判ったのか、サリアはアサシンの同盟要求に関して一考してみる。
もし断れば、その瞬間アサシンの暗殺宝具が発動する。その宝具の内容が判らない状態では、むやみに断るのは危険かもしれない。
対して同盟要求を受ければ、なんと盾とやらを一枚くれるのだという。しかもその盾は、アサシンの宝具を一発分防げる代物なのだとか。
さらに、この時のサリアには預かり知らぬことだが、契約書で同盟の契を交わすとき、双方は互いの真名を明かす必要がある。その時、ようやくアサシンの暗殺宝具の正体と、契約書の宝具の仕組みが判るのだが……。
「……決めたわ」
既にサリアは、その意志を硬いものにしていた。
「よかろう。お主の決断を答えてみなされ」
「――断る。私にはもう、心に決めた一生の同盟相手がいるから――」
無論、それはシウネスのことだろう。
とどのつまり彼女は、敵の誘いに乗るか乗らないかの前に、そもそも夫婦の絆を裏切れないために、こう答えるしかなかったのだ。
「……そうか。それは、残念だ」
一方、同盟要求を断られたアサシンは、物悲しそうに腰の脇差しをひょいと抜く。
(――っ! バーサーカー!)
念話で指示すると、サリアの前にバーサーカーが実体化する。
それでもアサシンは目をつむったまま、悲哀の声色で脇差しの鯉口を切ってみせる。
「お主は味方になってくれると思うたのだがなぁ……残念だ」
しかしてアサシンは、その暗殺宝具を発動させた。
「
アサシンが宝具の真名を呟く。
刹那、和装束の暗殺者は、確かに先ほどまでサリアとバーサーカーの眼前に立っていたのに――――その足を、既にサリアの後ろに置いていた。
「え――――?」
「なにっ――ッ!?」
まるで瞬間移動のようにサリアの背後に回っていたアサシンは、バーサーカーが反応できない身のこなしの速さで、抜き身の懐刀を容赦なく彼女の背中に突き入れる。
「――――
ズブリ、と背骨の肉を裂き、心の臓に刺し込まれたアサシンの短刀。
「――――ぁ、」
心臓に届いた短刀が引き抜かれ、サリアは糸の切れた人形のように白い大地へ膝をつく。
口から鮮血が溢れ出し、背中からも血飛沫が上がって、白い世界を朱色に染めていく。
「マスター!」
振り返るバーサーカーが、数歩の距離を駆けつけた時には、もう遅い。
彼女は夫婦の絆を守るために同盟要求を断ってから一度の瞬きすらも許されず、冷たい毛布の上でその命を凍結させていた。
やがて裏返った眼球。色をなくした虹彩は一瞬の激痛を涙で満たし、一筋の涙が横向きに流れる。
はたしてアサシンは、どうやって縮地のような足運びを成し得たのか。
その絡繰を、バーサーカーは己のマスターを守れなかった代わりに、ひと目で見抜いていた。
「瞬間倍加の気配遮断か。それも殺気という概念限定の……でなければ、貴様のように神秘の薄い時代の英雄が、このような速度で動けるはずがない……」
「その通り。このスキルは、儂が英霊になってから手に入れたもの。無辜の怪物ともいうか。まぁ暗殺に関しても、己の手で行ったのは生前で一回くらいしか覚えがないのだがのぅ……」
顎をさするアサシンは、バーサーカーを見つめて「さて」と話を変える。
「こうなってはバーサーカーといえど形無しというものだのう? マスター無くしてはすぐに消える。それはどのサーヴァントも同じ。……どうする? ここで仇討に儂と戦うか?」
「……いや、実は私には単独行動のスキルがある。暫くはマスターなしでも現界できるほどのな」
「ほう。これはしたり。そうと知っておれば、すぐに退散するのだった」
一歩、二歩と、アサシンは警戒して後退る。
「いや、待て。だからこそ、その同盟要求……今度は私に向けて問うてほしい」
「……なぬ?」
まさかのバーサーカーの申し出に、アサシンは首をひねる。
だがアサシンにしても、この流れは僥倖だったため、その文句を告げることにした。
「では、バーサーカー。儂と同盟を組んでくれると申すのかな?」
「もちろんだ。手を組もう。そのためには、どのような手続きを踏めばいいのかな?」
それからアサシンは、己の契約書の仕組みをバーサーカーに説明した。
一、同盟者の欄には、必ず双方のマスターとサーヴァントの真名を記すこと。
二、盾を欲する者は、盾譲渡権の欄に、己の真名を書かなければならない。
以上の簡潔な約束事を訊いて、ふとバーサーカーは疑問を打ち明ける。
「私にはマスターがいない。その場合でも契約できるのか?」
「もちろんできるとも。この場合、契約書はお主をはぐれサーヴァントとして扱うだろう。仮に、あとでお主がほかのマスターと再契約をした場合、既にお主の霊核と繋がったこの契約書は、お主の霊基情報を更新し続けるため、勝手に契約書の欄に、お主の新たなマスターの真名……その魂に刻み込まれた名前が書き足される」
「了解した。しかし、なるほど。霊核との接続か。これはまた厄介だな。要は同盟要求を呑んだ者の霊基情報が、常に貴様に筒抜けの状態になるということだろう?」
「といってもマスターの有り無しと、消滅したか否かに限る。分かりやすく例えるのなら、この契約書は聖杯の霊基盤の簡易版のようなものだ。さほど役に立つものではない。だが、そこまで厄介だと思うのなら、やめるか?」
「いや。目の前にいるのに断った瞬間、完全に気配を消して後ろに回られるのはごめんだ。契約書を差し出せ。要求を呑もう」
それからバーサーカーは、己の真名を打ち明けてアサシンと同盟を結んだ。
「契約成立。しかしお主、魔性の化物とはのう……これは予感だが、お主は最後に残ると思う。そうなると、お主との戦いは些か苦労しそうだ」
「さて、どうかな。ところでアサシン。俺はこれから、元同盟者のところに戻るつもりだ。そこで味方のフリをして、貴様のように暗殺の機を窺う。マスター亡き今、むやみに魔力を消費したくはないからな」
「……ほう? つまりお主はこれから、なに食わぬ顔で己が裏切ったことを白状せず、自陣、もとい敵陣に戻ると?」
呆けるアサシンは、真顔のバーサーカーを見て、徐々にうすら笑みを浮かべる。
「……くっ。くはははは! いやはや、まっことずる賢い奴だなお前は!」
「狐の貴様ほどではないさ。私は絶対に聖杯を手に入れなければならない。そして俺の手で滅んでしまい、歴史の表舞台からも葬られてしまった俺の国を、絶対に蘇らせてやるんだ」
バイザーの下からでも判る、バーサーカーの執念を燃やす瞳。
それを見たアサシンは「まぁ、頑張れよ」と、がに股でその場を立ち去る。
かくしてバーサーカーは、サリアの亡骸を抱いて、館に戻るのであった。
…
一方その頃。
シウネスはアーチャーとテレビゲームに興じていたが、まったくサリアが部屋に姿を見せないことに、やや不安げな面持ちでコントローラーを操作していた。
「……なぁ、アーチャー。サリアは本当に、この家にいるのか?」
「さ、さぁ? どうでしょうか……」
サリアのために本当のことを言えず、しかしシウネスを裏切る形で嘘はつけないアーチャーは、彼の問いに答えを窮していた。
「……やっぱり、ちょっと館を回ってくる。寝るなら寝ると言ってくるはずだし、あいつ館にいる間はちょくちょく僕がどこにいるか確認しにくるんだ。そんなサリアが暫く館を歩き回らないってことは……まさか、外に出たか」
流石のシウネスも、ただでサリアの夫をしているわけではない。
彼は愛する妻の行動をよく理解していたし、だからこそ、あまり考えたくなかったのかもしれない。
「くそっ。そうと不安に思えば、すぐに行動するべきだった。アーチャー。どうせ君、サリアから口止めされていたんだろ?」
「あ……」
申し訳なさそうに頭を下げるアーチャー。
それを無視する形で、シウネスは一刻も早くサリアの姿を探すため部屋を飛び出した。
――――同時に、館の玄関が力強く開かれて、風が吹き込む音が廊下まで届いてくる。
慌ててシウネスとアーチャーは一階に駆け下りた。
「な――――」
そこでシウネスの目に飛び込んできたのは、バーサーカーの腕の中でぐったりと眠っている、既に白くなった妻の姿だった。
「――――サリアぁああああ!?」
バーサーカーは、そっとサリアの体を床に下ろし、一歩身を引く。
顔を青ざめさせて、シウネスはあられもない妻の姿に駆け寄る。彼女の前に膝をついた時点で、彼女がもうこの世を去っていることを察したのか、誰よりも妻を愛していた夫は、行き場のない慟哭を胸から吐き出そうと、嗚咽を繰り返していた。
「マスター……」
背後ではアーチャーが、どうにもならない様子で佇んでいる。己には何を言う資格はないと判っているのか、彼女は度重なる己の失態を、おそらく誰よりも惜しんでいた。
対するバーサーカーは、眼前で泣き喚く男の姿を眺めて、静かに事の次第を語り始める。
「申し訳ありません。注意していたのですが、アサシンの不意打ちに面くらい、むざむざとマスターを……」
「お前は何故、無傷なんだ」
冷たすぎるサリアの体を抱き上げたシウネスは、冷たい声色で問い詰める。
「それは……自分の口で言うことは慙死に値しますが、それが己の力不足の罰だとして悔い改めます。敵は予測不可能の一撃必殺宝具でマスターの命だけを速やかに奪ったあと、その気配を完全に断ち、私の相手をせず影に消えたのです。おそらく私がバーサーカーだと知って、放っておけばすぐに消滅すると思ったのでしょう。迎撃に出ようにも敵の行方は不明で、マスターをこの寒さの中、置いていくこともできず……なんの仇討も取れないまま、敗者として戻ってきた次第です。どうか、この無力な私を罵りください」
バーサーカーの説明を受けて、しかしシウネスは当り散らすようなことはせず、淡々と己の為すべきことを口に出す。
「妻を殺したのはアサシンなんだな? ならばバーサーカー。お前には単独行動のスキルがあるだろう。この情報は僕もサリアも予想外だったが、魔力が足りなくなった時の緊急事態として温存しておくつもりだった。だが、こんな事態のために取っておいたわけじゃない。それを、お前は……妻の死体を持って帰るために、使ったってのか……?」
この時のシウネスは、それでもバーサーカーに対する怒りを抑えられず、自分の中で言いたいことの次に、八つ当たりの言葉を口走っていた。
何も言えず押し黙るバーサーカー。
そのバイザーに隠された表情を読み取って、シウネスはすまないと、本当に話すべきことを口にする。
「殺したのがアサシンならば、僕は今すぐそいつに復讐してやる。そのためにバーサーカー。君はあと何日、マスターなしで現界していられる?」
「およそ一週間くらいかと。それが一度の戦闘で二日、三日ずつ削れて行く感じでしょうか」
「お前の魔力消費量なら妥当な計算だな。それではバーサーカー。お前がマスターを失っても、彼女をここまで連れてきたことに免じて、一つ訊きたい。……僕の復讐に、協力してくれるか?」
「――――もちろんです。この汚名を雪ぐため、私は一旦聖杯への願望を忘れ、必ずやアサシンを始末します」
殺意をみなぎらせる双眸で、シウネスはバーサーカーを睨みつける。
その眼光を受けるバーサーカーは泰然と、共闘の継続を胸に誓った。
「では行け。一日中森の中を駆け巡り、アサシンを見つけ次第、報告してくれ。戦闘は禁止だ。お前は斥候として重用したい。連絡用の使い魔を託すから、逐一それに報告しろ」
「御意」
懐から使い魔を取り出すシウネス。
それを受け取ったバーサーカーは、すぐに館の外へ飛び出していった。
「……サリア……」
充血した両眼を泣き腫らし、妻の髪をかきあげる一人の男。
その背後では、夜の闇に飛び出していったバーサーカーの足跡を見据える、アーチャーの目が睨んでいた。
「……マスター。バーサーカーを行かせて良かったのですか?」
「言いわけがないだろう。もしかしたらサリアを殺したのはあいつかもしれない。前から怪しい男だとは思っていたんだ。だが、もとより反英雄を召喚しようとしていたんだ。このくらい予想の範囲内だった。だから、だからこそ、こんなことが起こらないために、従順なバーサーカーとして召喚したのに……あぁ、うまくいかないな。だから言ったんだ。こんな戦い、応じるべきじゃなかったって……なんで君は、いつも俺の言うことを聞いてくれないんだい? サリア……サリアぁぁああ……」
いよいよ泣き崩れて、醜態を晒しても構わないと、シウネスは妻の体を抱きしめる。
「なんで……あぁ、なんでなんだ……なんで、アーチャー。君はすぐ、言ってくれなかったんだ……」
つい、シウネスは言わないようにしていたことを言ってしまった。だが、親しい人を亡くして、冷静さを失わないでいても、誰かに責任を追い求めないなんてことは、はたして何人の人間にできるだろうか。
彼は、サリアが命を落とすことになった原因を、何より自業自得の結果だと思っていたし、何よりも自分のせいだと思っていたし、聖杯戦争のせいだと思っていたし、みすみすマスターを死なせたバーサーカーのせいだと思っていたし、黙っていたアーチャーのせいだとも思っていたし、敵なのだから殺してくるのは当然としても、まっとうな復讐相手として、彼はなによりもアサシンを憎悪していた。
何が正しいのか悪いのかなんて関係ない。
とにかく彼は、生きる希望を失ったのだ。ならば彼は、これから何を糧に生きればいい?
それは、世界で最も高名な復讐鬼が教えてくれる。
――――憎悪に燃え上がる黒き焔こそ、己を茨の道に歩かせてくれる原動力なのだと。
「……アーチャー」
「はい」
「俺は、聖杯になんの願いも求めていなかった。だが、今まさにできた。願いがないなんて、そんな甘っちょろいことを言っているから、こんな結末になったんだ。だから俺は死んでも聖杯を勝ち取る。絶対にこの聖杯戦争を勝ち抜いて、彼女を……サリアを、生き返らせてやるんだ」
「……ご下命の、ままに。こうなれば、このアーチャー。今までの数え切れない己の失態を挽回する為に、鬼の角を出してでも、マスターの為に聖杯を勝ち得ましょう」
召喚に応じた時のように、アーチャーは改めてマスターの背後で跪く。
――マスターの伴侶の命を奪ってしまったのは、あの時に止めきれなかった私の責任にある。
そう考えるアーチャーは、その瞳を赤く爛々と輝かせ、白い髪は炎を象り、その覚悟を示すため鬼の角を生やしていた。
「いいか、巴御前。これからその赤い炎と鬼の角は、俺の憎悪を受けて黒く燃え上がり、俺の復讐心を表すかのように太く伸びる。それを厭うのでなければ、どうか一画目の令呪を聞き入れてほしい」
「それは、なんでございましょう」
「決まっている。――――令呪によって、我が心の鬼に命ずる。アーチャー、『絶対に復讐を果たせ』。そのためならば、如何なる手段をも選ばない」
……本来令呪とは、曖昧な命令には強く応えず、効果を発揮しない。しかし魔術とは、究極的に言えば自己暗示の極地に位置するものである。
そして令呪にしろ魔術の一種。あまりにその精神性が完璧であるのならば……つまり、マスターが魔術師として優秀であるのならば、時に曖昧といえる命令でも、その効力はサーヴァントを強く縛る程度には発現する。
たとえば今の命令を受けたアーチャーは、いつか復讐を果たすべき相手と相見えたとき、彼女はその鬼種の炎熱を黒いものに変化させ、さらに鎧までもを漆黒に染めるだろう。まるで彼女の魔力によって編み上げられる爆炎が、マスターの心象風景を表すかの如く。
アーチャーは、マスターの復讐の化身として、この聖杯戦争で猛威を奮うに違いない。
「――――その令呪、確と承りました。この巴御前。貴方様にどこまでもお仕えいたします。それが貴方のサーヴァントとして現界した者の務めでありましょう」
「あぁ、ありがとう。アーチャー」
かくしてシウネス・モルドールは、相棒のアーチャー・巴御前と誓い合った。
サリアを殺したアサシンに復讐を果たし、万能の願望機に死者蘇生を願うために。再度気を引き締めて、この殺戮舞台から立ち上がるのであった。
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