※この作品はR-18です。

Fate/Tomoe night   作:形のない者

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第七章・決戦

 聖杯戦争、七日目の夜。

 いよいよシウネスは聖杯降霊の地に向かおうと、アーチャーと共に森と雪原を抜けた先にある、この土地で一番潤沢な霊脈を有する“妖精の森”という場所にやって来ていた。

 

 深夜だというのに蛍の光で、森が翠緑の輝きに満たされている。

 人が寄り付かず、中に入れば二度と出られないとされるこの森は、当然セカンドオーナーが管理する場所であるため、来る者を拒み、去る者を逃がさない人避けの結界が張られている。

 

 そして、この地に踏み入ることができる者は、セカンドオーナーに許された魔術師のみ。

 今回の場合、それは聖杯戦争のマスターということになる。

 

 静かな森の奥。そこに聖杯降霊の地がある。名は妖精の湖という場所。

 神秘が濃い森の中で、魔力に溶け易い水が長い年月を掛けることで、ケルト神話におけるフィン・マックールの癒しの水と同程度の効力を持つようになった天然の治癒湖畔。

 水一リットルが成熟した魔術師一人分の魔力になる。それだけで宝具級といえる破格の魔力湖は、まさに聖杯降霊の地として打って付けだろう。

 

 やがてシウネスとアーチャーは湖畔に辿り着くまでの間、ところどころ中継地点として掘っ立て小屋が建てられているのを目にする。あるいは、大昔の人が建てたものなのか、廃墟同然の家屋も点在していた。

 

「アーチャー。おそらくこの先に、アサシンとそのマスターがいると思う。昨日からバーサーカーと連絡が取れないのが気にかかるが、復讐を果たすチャンスだ。やってやろう」

 

「はい。このアーチャー。必ずや非道なアサシンを討ち取ってみせます。……しかしマスター。そこにもし敵の魔術師がいた場合、マスターは一体どうされるので? 魔術戦になった場合、その、恐縮なのですが……マスターの実力では歯が立たないのでは?」

 

「あぁ、そこがネックだ。けど僕にも考えがある。こっちのことは気にせず、さっさとアサシンを倒してくれ。勝つことはできなくても、生き残る術は持っているつもりだから」

 

 あくまで己より、アサシンを討ち取ることを優先させるシウネスに、その覚悟を見出し、アーチャーは力強く頷く。

 

「すぐにアサシンめを討ち取ったら、マスターのもとに帰還します。……では」

 

「あぁ、頼むよ。アーチャー」

 

 拓いてきた木々の狭間でシウネスは足を止める。この先に膨大な魔力が感じ取れるため、湖があると判ったのだろう。

 アーチャーは武装化し、森の奥に走っていく。

 

「よし……アーチャーにはああ言ったけど、僕だけ生き残る為に足掻くなんて、まっぴらごめんだ。アサシンが倒されれば、そのマスターはすぐに離脱するはず。その前にこっちで蹴りをつけてやる」

 

 懐にデリンジャーがあることを確かめて、シウネスは最後の緑煙を封じたガラスの球体を握り締める。

 

「この魔力濃度の濃さだと、僕のジャミング魔術礼装は一分も持たない。奇襲の際に使おう。まずは使い魔を放って偵察だ」

 

 ローブの内ポケットから小鳥を取り出し、森に放つ。

 かくしてシウネスは、己の矮小さを聖杯戦争で嫌というほど思い知っていながら、復讐を果たすため敵マスターを探すのであった。

 

 

 

   …

 

 

 

 妖精の湖に辿り着いたアーチャー。

 

 そこでアーチャーは、湖に浮かぶ小さな丘の上に置かれた小聖杯を目にした。

 だが、なによりも彼女が驚いたのは、湖のほとりで肩を並べて、共に聖杯を眺めている、枯葉色の着物を着た謎のサーヴァントと、目元をバイザーで覆うかつての仲間、バーサーカーだった。

 

「何故、バーサーカーが此処に……? まさか、やはり、貴方は……っ!?」

 

「あぁ、アーチャーか。もはや説明は不要だろう。私が元主の亡骸を館に運んできた時から、貴様の目には疑いの色しかなかった。それは貴様のマスターも同じだったようだが」

 

「――――バーサーカーァァア!!」

 

 弓を持ち出し、アーチャーは一瞬で矢を番える。燃え上がる炎が、赤から黒に変色していく。

 しかしアーチャーは、バーサーカーの傍らに立つサーヴァント・アサシンを警戒して、すぐに矢を射ることはしなかった。

 

 やがてアサシンも振り返り、憎悪滾る焔の女武者に対して、ある要求を投げかける。

 

「儂の名はアサシン。矢を射ることをしなかったのは、二対一を恐れてのことだな? それならひとつ提案がある。つまらぬ問いだろうが言わせてくれ。――――どうだ? 儂と同盟を組まないか?」

 

「……なん、ですと?」

 

 これから戦闘が始まるかと思いきや、あっけらかんと交渉を持ち出してきたアサシンに、アーチャーはどういうつもりなのかと眉をひそめる。

 

「いやいや、話は簡単だ。儂の宝具は、二択を迫るものでの。今の要求を断ると、暗殺宝具が発動する。逆に要求を呑めば、お主にとって少しの恩恵がある。たとえば、ここでお主が断ると、儂はバーサーカーと共に貴様を潰さねばならない。だが、お主が呑めば、貴様にある程度の宝具を一発分防げる盾をくれてやろう。その上でバーサーカーと一騎打ちをすればいい。儂は既にバーサーカーと同盟を組んでいるのでな。

 ……儂は、自ら誰かを裏切ることはできない。――いや、しない信条なのだ」

 

 アサシンは詳細の説明はせず、ただ要求の是非の結果を簡潔に語る。

 

「ならばサリア殿は、その要求を断って……」

 

「そうだ。暗殺宝具は断りの文句を告げた者に発動する。――さてどうする、アーチャー?」

 

 無精ひげをさするアサシンは、疾うにアーチャーがどう答えるのかを判りきっているのに、あえて質問を投げかける。

 それにアーチャーが答えた。

 

「……アサシン。一つだけ言わせなさい。そのような問いを、愚問というのです。そのような問いに答える必要はないッ! この身はマスターの令呪を薪とし、復讐の炎を猛らせている! さぁ、二人まとめて相手をして差し上げましょう!」

 

 アーチャーは黒炎の弓矢を立て続けに放つ。

 狂戦士と暗殺者は二手に分かれて、赤黒い角を生やしたアーチャーを挟み込もうとする。

 

 かくして三騎のサーヴァントは聖杯を前に、最終決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

   …

 

 

 

 アーチャーと繋がるパスから魔力が持っていかれる感覚を肌に感じて、シウネスは戦闘が始まったことを理解していた。

 緑色の煙が森に広がる中、シウネスはデリンジャーを構えて木陰から飛び出す。

 

「見つけたぞ。アサシンのマスター」

 

 銃口を突きつけた先には、首筋に令呪を浮き上がらせる東洋人が立っていた。

 枯葉の上で佇立したまま動かない東洋人の男は、ゆっくりと両手を挙げて振り返る。

 

「……あんたがアーチャーのマスターか。グラロッソの館で一度会ったな?」

 

「あぁ、小聖杯を見るためにな。その時は眼鏡を掛けていた覚えがあるが……そうか、お前だったのか……ミスター・岩兎」

 

 グリップを握る手を強めて、歯を噛み締めながら、シウネスは岩兎を睨みつける。

 

「あんたの恨みは尤もだ。だが、聖杯戦争に参加したからには、その覚悟はあったはずだ」

 

「その通りだ。だが、お前も人を殺したからには、殺し返される覚悟はあるはずだ」

 

 復讐に燃える男の返しに、東洋人は失笑する。

 

「それじゃ……どうするってんだ?」

 

「無論、あとは引き金を引くだけで、僕の弔い合戦は終わりを告げる」

 

 言い終わると同時に、シウネスは引き金を引く。

 刹那、デリンジャーが撃鉄を上げて、内部で雷火が疾駆する。深淵の筒から一発の弾丸が回転を描いて撃ち出され、その魔弾は一秒も掛からず東洋人の額を撃ち抜くだろう。

 

 空を割くひねりを加えて飛行する魔弾。

 ――――だが、その魔弾はシウネスと岩兎の間で、なぜか急激に灰燼と成り果て、燃え尽きた。

 

「なに――っ!?」

 

「だーから、無駄だって。お前さん。オレの起源を知らないのかい?」

 

 続けて第二射を放つも、かっ飛ぶ魔弾は岩兎に届く前に中空で燃え尽きる。

 

「――――ジグマリエの縁切り魔術師、岩兎四茂野助。そのあだ名である焔の眼とは、魔眼の類だったのか!」

 

「あぁ。だが、どちらかというと邪視の類だな。オレの眼は昔から、ある間合いに飛び込んできた物の縁を、焔で無差別に断ち切っちまうんだ。かつて猛威を振るった魔術師殺しの起源と似たようなものだな。ただしオレの場合は、縁を切ることしか能がなくて、縁結びなんざ人生で一度だってなかったがな。……いや、一度だけなら、最近あったか……」

 

 自分を襲うはずの凶器たるデリンジャーを睨みつけて、岩兎はシウネスに近付こうと一歩、足を踏み出す。

 

「オレの間合いに入った人間がどうなるか、知っているか? そいつはオレとの縁を切るために内臓を破裂させるんだ。心臓が破裂しちまうんだよ。だが、魔術師だったらどうだ? 魔術師にとっての心臓は、言わずもがな……」

 

 岩兎はゆっくりと歩みを進ませ、邪視の射程圏内にシウネスを入れようとする。

 かたやシウネスは、近付いてくる敵から逃れようとするが、大木に背中をつけてしまう。

 

「今から鬼ごっこでもするか? オレに捕まっちまったら、その場で地獄行きだけどな」

 

「くっ……!」

 

 一気に形勢が逆転していまい、シウネスは窮地に立たされる。

 ……しかしシウネスの瞳は、覚悟の炎に猛っていた。

 

 

 

   …

 

 

 

 雄叫びを上げて、アーチャーが火矢の速射を放つ。

 暗殺者と狂戦士が回避と同時に二手に分かれた、次の瞬間――――

 

「いやはや。才ある者を次々と討つのは、まっこと度し難いものよなぁ。是れ、無念の境地なり。

 百花繚乱(ひゃっかりょうらん)――――」

 

 刹那、女武者の背後で囁く、暗殺者の寂れ声。

 

「な、に――――!?」

 

 刀を抜刀する武士(もののふ)が二者。

 しかし背後を取られた者は、必然として振り返る必要があり、

 逆に背後を取った者は、それだけで有利な立ち位置となる。

 ゆえに居合の速さで勝る者は、ただ一人。

 

「――――血染桜花(ちぞめおうか)」

 

 笹切と銘打たれた短刀を、アサシンは両手で突き入れる。

 それでアーチャーの背中の骨肉が裂かれて、霊核にヒビが入った。

 

「グァッ……?!」

 

 半壊したアーチャーの霊核。

 それでも力を込めて奮った刀の薙ぎで、即座にアサシンは短刀を引き抜き、飛び退る。

 

「ほう、殺しきれなかったか。ま、情(・)が(・)ま(・)っ(・)た(・)く(・)移(・)っ(・)と(・)ら(・)ん(・)状(・)態(・)なら、こんなものかの」

 

 刀を杖代わりにして、アーチャーは膝をつく。

 しかしその眼光は、捨て身の覚悟を秘めていた。

 

「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)――――」

 

 自己の闘争心を奮起させるため、アーチャーは暗示をかける。

 同時にアーチャーは駆け出して、アサシンに飛び込んだ。

 

「ほう――――力勝負かぁああ! いいぞぉお! 受けて立ァつッッ!」

 

 かたやアサシンは武器を捨てて、間合いを詰めてきたアーチャーに対し、相撲の構えを取って四股を踏む。

 

「私に……力を! 旭(あさひ)の……輝きをォッ!」

 

 地面を穿つ踏み込みを入れて、アーチャーは体から黒い炎を猛らせる。

 やがて武士が二人、その体を激しくぶつかり合わせた。

 鉄火場となった焦土の上で、彼らは雄叫びを上げて取っ組み合う。

 

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 怒号を上げる女武者の灼熱。

 それにより暗殺者の着物が燃え上がり、その屈強な上半身があらわになる。

 

「まるで秀綱の如し膂力! いや、これは参ったァアアアアアアアアアア!?」

 

「飛べェエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」

 

 相手の体を持ち上げたアーチャーは、アサシンを空に投げ飛ばす。

 そして、即座に黒炎の弓矢を番え、真名を開放しようとした。

 

 しかしその背後では、バーサーカーもまた宝具を使おうとバイザーを下ろしていた。

 

「まったく世話の焼ける男だ。……魔眼・開放――――」

 

 バイザーの下に現れた青年の顔。それはあまりにも若々しく、美青年といえる顔立ちをしていた。

 しかし、片目だけは……異様な宝石の輝きを以て、怪しい光を放っている。

 

「余の魔眼は、隻眼の石化の魔眼(キュベレイ)。女怪メドゥーサには劣るだろうが、この眼光より放たれる光線を受けて生き延びた者は誰ひとりとしていない」

 

 キュイン――――と、バーサーカーの魔眼に一閃の光輝が生み出され、莫大な魔力が収束していく。

 しかしバーサーカーは、すぐに宝具を使用しない。

 アーチャーが宝具の矢を射る次の瞬間を狙って、狡猾にも漁夫の利を狙っているのだ。

 

 しかしてアーチャーは、背後に収束する尋常ではない魔力の渦を知っておきながら、その弓矢を――――

 

 

 

   …

 

 

 

 退路を大木に絶たれて、まさに背水の陣となったアーチャーのマスター。

 前方からは徐々に間合いを詰めてくるアサシンのマスター。

 デリンジャーは小型化のため、その弾数は二発という少なさ。ゆえに彼の持つ拳銃は弾切れを起こし、疾うに役立たずとなっていた。

 

「これで終わりだ」

 

 詰め寄る歩調を大きくし、岩兎が一歩踏み出してくる。

 その一歩を踏みしめた時が、邪視の範囲なのだろう。そう考えたシウネスは、ここで勝負に打って出る。

 

 おそらく敵の邪視は、物体に焦点を合わせる必要のないタイプの魔眼。己の認識外からの飛行物体でも、邪視は対象を問答無用で燃やしてしまう。ゆえに邪視と呼ばれるものは、制御できない魔眼だからこそ、悪魔のような眼(イビル・アイ)と呼称される。

 

 しかして岩兎が、その足を前に踏み出そうとすると同時に――――

 

「ウォオオオ!!」

 

 一歩、己の足を大きく奮い立たせて前に飛び込んだシウネスは、握り締めた右手で岩兎の頬をぶん殴った。

 

「なに――――ッ?!」

 

 それは、自殺行為といえる蛮行。自ら邪視の間合いに入ったシウネスの体は急速的に燃え上がり、かつ邪視に一番近付いてしまった右腕は肌まで黒く焼け焦げて、同時に魔術回路がズタズタに引き裂かれていく。

 

「グッ……ウォオォオオオオオ――ッ!!」

 

 しかしシウネスは殴り込みをやめない。

 右の大ぶりから始まり、左のカーブ、右のジャブ、右のストレート、左のアッパー。

 ただひたすら目(・)の(・)前(・)の(・)敵(・)を(・)必(・)ず(・)殺(・)す(・)という殺意を以て殴り続ける。

 

「ガハッ――――!? て、テメェッ!」

 

 たたらを踏み、相手の覚悟を受けて立とうとしたのか。拳を握り締めた岩兎は、指先を弾ませることで鼻血をぬぐい捨てる。

 そして、彼らはゼロ距離でのボクシングを始めた。

 

 やがて数十発の乱打を浴びせあった男ふたりは、僅かに距離を取る。

 すかさずシウネスはデリンジャーを抜き取り、岩兎に突きつけた。

 

「お前の邪視は、範囲外から飛び込んできた物体を、範囲内に捉えた瞬間に燃やすんだろう? ならば範囲内から放たれる高速の弾丸はどうなる? 燃やしきれると思うか?」

 

「――――ッ!?」

 

 一足一刀の間合いで向けられた銃口に、岩兎は狼狽を見せる。

 だが、もとよりそのデリンジャーに弾はない。シウネスはにやりと笑ったあと、黒い焔に燃え上がる身体を無理やり動かして、デリンジャーを捨てた手で岩兎の顔をまた殴りつけた。

 

「グハァッ!?」

 

「あいにく弾切れでな。だがよかったじゃないか。僕は貴様を楽に殺すつもりなんてないんだからなァッ!!」

 

 地面に背中をつけた岩兎の上に乗っかり、マウントポジションを取ったシウネスは、己の右腕に滾る黒炎の魔術回路を以て、何度も何度も、サリアのことを思いながら、復讐を果たそうと殴り続ける。

 

 ――――焔の眼は、視界に捉えたものが魔術師だった場合、最初に魔術回路を切り裂き、燃やし尽くす。次に足を切り裂いて、三番目に魔術刻印か心臓のどちらかを焼こうと熟考を凝らす。さらに心臓を修復する治癒術式が魔術刻印に刻まれていた場合、邪視は心臓を焼くことを選ぶ。楽には殺さないと。甚振って、治癒させて、じわじわと、じっくりと、殺してやると……。

 

 ならば今のシウネスは、はたしてどこまで焼かれているのか。

 彼は既に知っていた。右腕の魔術回路が焼き尽くされて……今、心臓が引き裂かれたことを。

 

「――ゴボアァッ!!?」

 

 体内の血流を循環させるポンプが破壊され、口と鼻から大量の血反吐をぶちまける。

 されど復讐の憎悪で身を焦がす男は休まない。奮う右腕は、眼前の敵を殺して殺すために。

 

 シウネスの魔術刻印が明滅し、損傷を修復しようと魔力を走らせる。だが、魔術回路は疾うに焼き切れているため、行き場のない魔力は人体の内部で破裂し、細胞を死滅させていく。

 それでも悪魔のような右腕を奮い続けるシウネスは――――ふと、己の右手の甲を見て、初めて憎悪への疾走から立ち止まった。

 

「――――そうか。僕は、もう……魔術師じゃないんだ(死んでいたんだ)」

 

 焔で焼かれ始める眼球で見た手の甲には、先ほどまで光っていた魔術刻印が消え失せていた。いや、消えかかっていると言った方がいい。それも当然。彼は魔術回路の十割を失い、マスターであるための条件を満たせなくなっていた。ゆえに聖杯は、今すぐ彼からマスター権を剥奪しようとする。

 

「ならば、最後に、ひとつだけ、願いを――――最後の令呪を以て……我がアーチャーに命ずる」

 

 干ばつした涙腺から、一粒だけ残った涙が流れる。

 

「君だけは、生きてくれ――――」

 

 その言霊は、どういった意味が込められた願いだったのか。

 漆黒の炎に焼かれきった男の死体が、焦土となった森の墓地に背をつけた。

 

 

 

   …

 

 

 

「――――真言・(オン・)聖観世音菩薩(アロリキヤ・ソワカ)――――」

 

 黒炎の矢を放とうとして――――アーチャーは……、放てなかった。

 

「――――ッッ!! な、何故ッ!?」

 

 アーチャーは思う。

 ――指が、動かない。矢を番える右手の指から、矢が離れないのだ。

 ――なにゆえ宝具が放てない。己のあの人への想いに偽りなどあろうはずもない。

 

 そう、そもそも宝具は発動しかかっている。

 その事実は、アーチャーが義仲を想う気持ちが本物であると証明しているも同然。

 

 ――ならば、なにゆえ放てない!?

 

 自問自答するアーチャーは、やがて己の心中に渦巻く気持ちを捉えて、ハッと息を呑む。

 

「――生きろ……だなんて。私は現世の影法師なればこそ、世に留まり続けるはいけないこと……」

 

 顔を俯かせたアーチャーは、僅かに弓矢を下げる。

 それは、宝具の使用中断を意味していた。

 

「なにっ!?」

 

 喫驚するバーサーカーの声。彼はアーチャーの思惑を測りかねていた。

 何故なら、今ここで宝具を放てば、アーチャーは確実にアサシンを葬ることができる。その代わりアサシンによって傷つけられた霊核に反動が返ってきて、かつ宝具使用による魔力の消費で、アーチャーは消滅するだろう。

 だが、バーサーカーが見たアーチャーとそのマスターは、アサシンへの復讐に燃えていた。その覚悟は相討ちを前提にした双眸を滾らせていて、実際に今のアーチャーは、バーサーカーの存在を無視してアサシンと果し合い、バーサーカーの宝具を無視してでもアサシンを葬るために宝具を使おうとしていたではないか。

 

「どういうことだ……ここで聖杯欲しさに臆したか、アーチャー!?」

 

「いいえ。だって私は……マスターに、生(・)き(・)ろ(・)、と。命ぜられましたから――――」

 

 穏やかな面持ちで、アーチャーは弓矢を引き下げる。

 それを見たバーサーカーは、議論の余地はないとして、真名を開放した。

 

「――――毒炎息衝く魔獣の王子(プロクス・ディリティリオ)――――」

 

 ――――かの者は、かつて歴史の表舞台から消された一国の王子だった。

 その王子は、他国との戦争、あるいは幻獣の襲撃、天変地異……とにかく王国に迫り来る滅亡を回避しようと、ある魔術師から霊薬をもらった。しかしその霊薬は、飲んだ者を魔獣に変える――『幻想霊薬(バジリスク)』――魔獣化の霊薬だった。

 霊薬を飲み、魔人と化してしまった王子は、狂気に呑まれ、狂ったままその猛威を振るい、己が守ろうとした王国を一夜のうちに焼き滅ぼしてしまった。

 その後、幻想種として世界の裏側に行こうとしていたところを、名も無き一人の英雄に討たれて、小さな蛇の王子は誰にもその真実を知られないまま、悲劇の王子として英霊の座に登録された。

 

 しかして望まぬまま反英雄となったバーサーカー・バジリスクは、隻眼の魔眼から光輝のレーザービームを、アーチャーに向けて撃ち放つ。

 

「――――あぁ。お許しくださいませ――――」

 

 地面を抉り、アーチャーを巻き込んで、射線上の森を消滅させた波動砲の一射。

 

 かくしてアーチャーは、アサシンへの復讐を果たせずに――――バーサーカーの宝具を食らって、その霊基を全壊させた。

 

 

 

   /了

 

 

 

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