ツンツンと頬を突かれるむず痒い感覚に目を覚ます。
視界に広がった景色は一瞬どこかわからないもので。
思考が追いついてきた頃に、ようやくここが聖杯戦争の間の見慣れたマイルームではない、けれど今の自分のマイルームなのだということを思い出す。
自分の情報を狂った頭の中から捻り出す。
毎朝これをしないと、正確には違うとはいえ記憶喪失だった身としては自分が自分であるという保証を得られないのだ。
自分の名前は
記憶喪失の自分の身になぞらえて、知り合いはナナシと呼ぶことが多い。
そんな自分は月で行われる聖杯戦争に優勝して、そして月の王と呼ばれる存在になった。
とはいえ、月の聖杯戦争が『優勝者以外は皆殺し』という結末を迎えるためにナナシと呼んでくれるような友人はすでにもう誰一人としていないのだが。
今となっては『王』と呼ばれることが多い自分ではあるが、ナナシ、あるいは紫音と呼んでくれる人は二人だけ。
一人は自分とともに聖杯戦争に挑んだサーヴァント。
そしてもう一人は───
「おはよう、紫音」
おはよう、白野。
告げられた言葉に、彼女の顔を見るよりも先に答えを返す。
言葉にワンテンポ遅れてそちらを振り向けば俺と同年代の少女の姿が。
岸波白野。
俺の聖杯戦争決勝戦における対戦相手であり、そして先ほど言った紫音という呼び方で呼んでくれるもう一人の女性である。
ついでに言えば……その……今の彼女は『月の王妃』と呼ばれるような立ち位置にあって、俺とは夫婦関係にある。
二回戦の時に初めて会ってお互いに一目惚れをして、七回戦で戦って俺が勝利して、その後残っていた令呪を使用する形で彼女を助けた。
その結果、聖杯戦争では本来あり得ない三人の生存という事態になり、残る一人は地上に戻ったためにこのムーンセルにおけるアダムとイヴのような状態。
そんな彼女が月の守護者としての正装とはまた違うノースリーブのブラウスとチェックのミニスカートというラフな格好の上からエプロンをつけたまま、普段は薄茶色の毛先がゆるくウェーブしたロングヘアをまとめるようなことはしていないのに、今日に限っては朝食の用意の邪魔にならないように髪をポニーテールにまとめた姿が新鮮な彼女がベッドの横に膝立ち状態でいた。
その姿はまさしく若奥様といった風情。
無愛想ながらも非常に可愛らしい、美少女と言っても過言ではない少女がそんな姿を自分にだけ見せているという状況に、不謹慎ながらも興奮を隠せない。
「朝食の用意はできてるけど……」
どうする、と小首を傾げる。
普通であれば用意された以上は、冷める前、すぐにでも食べるのがマナーなのだろうがこの月……SE.RA.PHに関してはそんな常識は意味がない。
なぜならここは電子世界。
保温機能などが完備されているために、鍋を開けたらその時点で適温になっているなんてことは朝飯前。
特に、結婚指輪ということで俺たちの左手の薬指に嵌められている月の王権……レガリアによる術式の補助があればそんなものを用意することに関して苦労することはない。
そういうことなら
ぐいっ、と白野の腕を引っ張って自分のベッドの中に引きずり込む。
彼女もなされるがままに引き摺り込まれ、至近距離で見た顔は赤く染まっているが、それでも俺から離れようとしたりとか、レガリアの力で逃げようとはしていない。
朝ごはんよりも先に白野のことを頂こうかな。
「昨日は、夜のデザートじゃなかったっけ?」
ほんのりと頬が赤い彼女に問いかけられる。
そうだ、昨日はそう言った。
だが、今日は朝飯前に食べたい気分なのだ。
「それに、昨日は夜のデザートだけじゃなくて間食だとも言ってたし」
顔が赤いのは性的な方向での話をしているから。
ぎゅっと抱きついてきて赤くなった頬を隠そうとしているし、言葉は非難するようにいい加減どのタイミングで食べるのか決めて、なんて言ってきているがそれでも断ろうとはしない。
嫌なら断ればいいのに。
少なくとも、俺は白野が嫌なことはしたくはない。
好きな相手なのだ、大事にしたいと思うことは何もおかしなことではない。
「嫌では、ないよ。私も紫音のこと好きだもん。好きな人とこうしてのんびりしてられる時間が嫌なわけない」
そうだ。
そもそも俺と白野は『いずれ殺しあう敵同士』として出会って、そのタイミングで一目惚れをした。
こんなのんびりとした時間を過ごせる未来がやってくるなんて、あの時に俺の中で令呪を使うという発想が出てくるまでどちらも思っていなかったはずだ。
平和だなぁ。
「平和だねぇ……」
一度ちょっとした事件が起きたが、それを除いてはずっと平和。
その事件も、自分たちに娘ができるという結末に至ったので収支としてはプラスになったと思う。
血にまみれた霊子虚構世界SE.RA.PHは新たな大地を耕しながら広がっている。
新しい摂理の元に成り立ったこの世界は、かつてではありえないほどの平穏とともに愛する人と過ごす時間を俺たちにくれていた。
「それじゃ、どうぞ?」
わずかばかり感慨にふけっていた俺だが、白野はどうやらその間もそういうことをするつもりだったようで、いつのまにか俺の熱を持った股間部にその白魚のような指を這わせている。
それと同時に、彼女が俺に対して身を差し出すようにしてブラウスのボタンを自分で外していく。
真っ白な肌、日焼けなど一切存在しない柔らかそうな美しい肌に視線を取られながらも、彼女のことを抱きしめて。
「おとうさん、おかあさん、何をしてるんですか?」
きょとんとしながらやってきた褐色の肌と紅玉の瞳、純白の髪を持つ白き衣装の少女……アルテラによって邪魔された。
いや、別に彼女は悪くはない。
むしろここに来たのは正当な理由によるものだろう。
せっかく用意した料理……いくら冷めるという概念を取り除けるとはいえ出来立てのうちに食べることが当たり前。
なのだけれど。
「ねえ、アルテラ。誰に言われて来たの?」
「えうえうですよ」
やっぱり。
二人で顔を見合わせてため息をつく。
あの女神様は俺たちの間での性的な行為をなかなか許してはくれない。
特にアルテラがここに住まうようになってからは彼女を派遣することで邪魔をするようになった。
さすがにアルテラのことを邪険にするわけにもいかないので、俺たちの行為はだいたい寸止めになってしまうのだ。
生殺しではあるのだが、それもこれも平和だからできること。
布団の中で素早く身なりを整えた白野がアルテラと手を繋いで部屋から出て行く。
先に行って待ってるね、なんて口にした彼女に頷いて、俺も準備を整える。
昨日も今日も何事もなく。
万事が平穏なままSE.RA.PHでの一日が始まった。
・主人公
月の聖杯戦争で勝利した優勝者。はくのんとは二回戦の時に初めて出会い、七回戦で戦って勝って、シナリオ集にあるレオを助けるルートと同じように戦闘後に令呪を使って助けた。一応、はくのんと同じようにバグから生まれたNPCで記憶がないという設定はあるが一切関係ない。サーヴァントはエウリュアレ。最弱どころか一切の戦闘能力を持たない、サーヴァントとなったことで申し訳程度の戦闘能力を持った彼女を使役して戦ってきたぶん、生前から戦闘能力を持ったサーヴァントを使役していたはくのんよりも指揮能力が高いとかなんとか。
・はくのん
原作主人公。大会方式で言うのなら準優勝、けど優勝以外は全員死ぬので意味のない戦績だった参加者さん。正直二人とも初めて出会った時から同族ということで惹かれあってて七回戦終わった後にイチャコラする関係になった。結婚指輪としてレガリアを渡されちゃったせいでアルキメデスは彼女のことを月の王と勘違いしてExtella編では主人公をやってたりやってなかったり。