神奈川県湘南に在ると或る進学校、その名を北申高校。 校庭の桜並木が満開の花弁を舞い散らすその日、昭和の大戦時には奇跡的に空襲の被害を逃れたと言われるその由緒有る旧講堂に於いて、新二三年生の第1学期始業式が執り行われていた。
森雅:「……限られた時間をぼんやりと過ごす事の無い様に、一つでも多くの、此の学校でしか出来ない経験を積み重ねていって下さい、」……と、浪々と講堂を染み渡る声に、
僕はビクっと肩を揺らして一瞬の微睡みから帰還する。 何だかとても懐かしい甘酸っぱい夢を見ていた様な気がする。 小学校の頃の夢?それともあれは本当に遭った出来事だろうか? ふと姿勢を正して視線を上げると、壇上では見目麗しい生徒会長が今まさに新学期の挨拶を締め括ろうとしている所だった。 彼女の名前は森雅、成績優秀清楚可憐なお嬢様そして有名な政治家の娘で今や北申高校の顔と言っても過言ではない。 親衛隊も幾つかあるらしい。 学校裏サイトの週間人気ランキングでは、連続104週トップの座を明け渡していない。
朋生:「全く、なんか楽しい事でも有ったのか?」……と教室への帰り道、中学からの悪友、金平朋生が僕の背中を力任せに張り手する! 人付き合いが苦手な僕が唯一この学校で気の置けない友人だ。
一貴:「特にナンにも無いよ、」
クラスに置ける二人のポジションは何方かと言えば目立たない何時もこじんまりと二人きり連んでいる普通の男子生徒、成績も中の中、部活は帰宅部、これと言った特技も無し、そんな感じだった。
響子:「かっちーん」……と、ラルゴでアルトで妙に調子っぱずれな美声が僕に突き刺さる、
振り返るとホームルーム教室へと戻る制服の群れに混じって、何だか学びやには全く似つかわしく無い派手な私服の一寸ぽっちゃり系美人が僕の事を睨んでいる。 彼女の名は今川響子、僕の隣の家に住んでいる幼馴染、通称今日姉ちゃん。(注、響姉ちゃんでは無い)
一貴:「今日姉ちゃん!何しに来たの?大学は?」
それで何故だか行成り今日姉ちゃんは僕に抱きついて耳の後ろの匂いを嗅ぐ。
一貴:「ちょっと恥ずかしいってば、此処学校!」
響子:「これは居眠りしてた罰だぁ、それと頑張ってる私へのご褒美ぃ、」
緑茶系の爽やかな香水が、今日姉ちゃんの吐息に混じって僕のヤコプソン器官を強制的に刺激する。
響子:「ねぇ今日は何時に終るのぉ? お姉ちゃん玄関で待ってるからぁ、終ったら一緒にお買い物行こうねぇ、今晩は鴨鍋だよぉ、」……母子家庭で母親が働いている北条家では何かと今川家にお世話になっている。
一貴:「そんな事ならメールで良かったのに、」
ーーー
遅れて辿り着いた2年C組ホームルーム教室では、何やら女子生徒達が噂話で盛り上がっている。
高野:「さっきの人、もしかして北条クンの彼女さんかな?」……と、突然僕に話し掛けて来たのは高野晶、文芸部部長兼唯一人の部員。 小学生をほんの少し大きくした位の可愛らしい背丈と一寸目つきがキツメなのが玉に瑕ではあるがそれなりに整った容姿、そして何よりもかによりも高野と言えば学校中の誰もが知る所のオカルト・フリークであった。
一貴:「違うよ、隣に住んでる幼馴染、姉貴みたいな人かな、」
朋生:「いやぁ違うな、あれは姉貴ではなくてもはや母親だろう、」
高野:「ふーん、じゃあ付き合ってる訳じゃないんだね、良かったぁ、」
何故だか意味深な高野の発言に、僕は思わず目を丸くする、
朋生:「もしかして高野、カズっちの事が好きなのか?」
一貴:「わぁ、何聞いてんだよ!」
高野:「違う違う、ごめん、私も貴方達の事応援してるからさぁ、」
一貴:「えと、どう言う事かな?」
高野:「君達二人って、付き合ってるんじゃなかったの?」
と、こんな感じで思わず仲良くなった初めての女友達から、女子の間で飛び交っている噂話の事を教えてもらえる事になった。 何でも2年A組の女子 小泉美弥子が春休み中に事件に巻き込まれて入院したらしい。 その小泉が赤いラブレターを受け取っていたらしいと言う噂が流れていたのだ。
一貴:「赤いラブレターって何なの?」
高野:「ふっふっふっ、知らないの?」…で、オカルトフリークの目が俄然輝きを増す。
赤いラブレターはその学校で一番綺麗で優れた少女の所に送られて来る。 でも赤いラブレターを受け取っても決して開封してはイケナイ。 もしも開封してしまったら、どんなに逆らおうとしても偶然と必然の連鎖によって知らず知らずの内にその場所へと導かれてしまうからだ。 そこは既に誰の記憶からも忘れ去られた古いテーマパークの廃墟。 少女は其処で且つて人間であったが呪いに依って醜い姿へと変えられた大きな禍物と出会う事になる。 禍物は女生徒を塔の牢獄に閉じ込めて、二度と逃げられない様に躊躇なく手首足首を切断してしまう。 それから6日の間、朝も昼も夜も少女は汚らわしい禍物や動物達と交尾させられる。 そして7日目の晩、少女は下腹を切り裂かれて禍物の精液に浸った子宮を摘出される。 それでも未だ正気を保っていられたら、少女は一度だけ好きな所へ携帯電話を掛ける事を赦される。 赤いラブレターの呪いを防ぐ方法は唯一つしか無い。 自分の事を愛してくれる男性に赤いラブレターを開封してもらい、禍物の代わりに契りを交わしてもらう事だ。
高野:「と言うのが大体の粗筋な訳だ、」
一貴:「実際に入院している人が居るんだから、余りそう言う噂は軽々しく口にしない方が良いと思うけどな。」
朋生:「これってさぁ、結局好きな男に言いよる為の口実ナンじゃないの?」
高野:「まあ、そうかもね、」……と、高野は僕の顔を見て何故だか頬を染める、
高野:「で、君達は付き合ってるのかな?」
一貴/朋生:「付き合ってません!」
何だか学校には数多の有り得ない噂が飛び交っているらしい。
ーーー
担任の化学教師、渋谷徹、通称「渋ちん」が教室に入ってきた。
渋谷:「おう、皆席に着け!北条、後で職員室来いな、」
どうやら呼び出しの理由は、今日姉ちゃんの件で間違いないだろう、
渋谷:「おーい鎮まれー、ホームルーム始めるぞぉ、」
一瞬でクラス全体が沈黙に包まれる、が、それは勿論渋ちんの威厳に寄る所ではない、……未だかつて見た事も無い様な美少女が教壇の前に立っていたからだ。 瞬間、男子も女子も此の教室に集う全ての生徒が場違いに完璧なルックスに思わず息を飲む。
無茶ぶりな渋谷:「男共喜べ!運命の女神に感謝しろ! 藤塚文華さん、イギリスからの転校生だ、……じゃあ、自己紹介、」
文華:「藤塚文華です。よろしくお願いします。」
彼女は思いの外元気のいい可愛らしい声で一言、それで後はニッコリと微笑むだけで、他に何が足りないと言うのだろう? 瑠璃色がかった濡れ烏の長い髪、神様の贔屓としか思えない妖しい美貌、……確かに何処かで見覚えのある様な、でもそれは余りにも綺麗だから芸能人かモデルの誰かと見間違えたのかも知れない。
それでも僕はどうしようもなく確信する、彼女は、あの夢で見た少女に間違いなかった。