イノシシ。
その正面に赤岩さん。
椚さんは耳を当てていた大きな岩を盾にする形で、拳銃を握っている。
仕掛けたのは意外にも、岩の陰からサポートに徹するのだと思っていた椚さんだった。
戦闘の口火を切る銃声が箱根の山々ではなく、結界内のみに響く。
「椚さん、発砲」
「能力じゃなくて銃での攻撃? 祈禱済みの銃弾だろうけど、効くのかしら」
「まさか。当たり前のように皮のだいぶ手前、瘴気の鎧で弾かれてますよ。イノシシは、銃弾なんて気にもせず突進です。って、……へえ。銃弾は牽制、イノシシの進路上にトゲ付きの大岩が出現」
悪くない。
銃での先制攻撃。それでイノシシの気を引き、後衛の自分に突進を仕掛けさせる。
そうなれば前衛の赤岩さんは余裕を持ってイノシシの動きを見て取り、好きなように攻撃を加えられるだろう。
それに椚さんが土を操る能力で出した岩は、イノシシの巨体の数倍はある。
敵の体重と突進力は言わずもがな。
ぶつかれば、ただでは済まないだろう。
「やるわね」
「はい。イノシシ、急激に方向転換。その横っ面へ、赤岩さんの【炎弾】が直撃」
「仕留めたの?」
「いいえ。左の眼球を焼いた程度ですね」
椚さんがイノシシの死角に回り込もうと動く。
そんな相棒をフォローするように炎の弾がまた放たれ、イノシシはウザったそうに身を捩って顔面への直撃を避けた。
その一連の動きを報告すると、棗さんは訝し気に小さく首を傾げる。
「どうしてその程度の攻撃しかしないのかしら。銀将級の炎使いなら、初撃で仕留め切れるはずだけど……」
「待ってるんでしょう。風と水を」
「こんな状況で?」
「間違いないです。あの2人、かなり戦闘慣れしてますよ。狙いは、一時的な生け捕りですね」
「なんですって?」
棗さんが驚くのもわかる。
討伐依頼対象の妖異を、一時的にとはいえ生け捕りにするなんて、どんな能力者もやりはしないから。
「次、来ます」
イノシシがまた突っかけた。
それを見て、赤岩さんはハッキリと笑う。
やれ、アヤメ!
そう叫んだ赤岩さんの声に応えるように、地響き。
能力でそれを行ったに違いない椚さんはいい笑顔だ。
河原を駆け出したイノシシの足元に、土の能力者が音もなく落し穴を仕掛ける。
すぐにそれをしなかったのは森に近すぎると木々の根なんかを痛めてしまうし、清流に近すぎれば落し穴に水が流れ込んで後が面倒になるからだろう。
作戦の立て方からその実行まで、すべてが見事な手際だ。
してやったり。
笑顔にそう書かれているのが見えるような2人は、とっくに成人しているのに、かわいらしさを感じさせる溌溂とした仕草でハイタッチを交わす。
まったく。
美人でエッチな体をしてるだけじゃなく、愛嬌もあるなんて反則じゃないか。
「あはは。決着が付きましよ。川から充分に距離を取って、落とし穴。たぶんだけど2人は成駒を果たしてて、風と水の2人はまだなんでしょう。一太刀でも浴びさせてからトドメにして、成駒経験値の足しにって筋書ですね」
「……たしかに成駒はしてるはず。でも、実戦でそんな真似を。さすがと言うべきかしらね」
「ええ。大したものですよ」
いくらイノシシが妖異化して身体能力が上がっていたって、土を掘って地中を逃げられるはずも、2、30メートルもある落とし穴の底から跳んで逃げられるはずもない。
こうなってしまえばもう、まな板の上の鯉だ。
思った通り、鈴村さんと水沢さんが河原に到着すると事情を説明して、落とし穴の中で暴れるイノシシを風と水の刃で滅多斬り。
「……ふうっ。終わりました。妖異絶命、能力者に怪我人はなし」
「甘く見てたわねえ、坂東の能力者を」
「というか、あの2人の腕が良すぎるだけなんじゃ? どんな部署に所属してるのか知りませんけど、どちらも銀将級では稀に見る手練れですよ」
「かもね」
左だけ閉じている僕の瞼の向こうで、落とし穴の底が音もなくせり上がり、イノシシに4人が取り付く。
かなり傷だらけだけど、妖異化して変性したイノシシの皮を剥ぐらしい。
妖異化した獣の皮は貴重品、それを服の裏張りに使うだけで前衛能力者の生存率は飛躍的に上がる。
「ありゃ。皮は平気だったけど、風の刃も水の刃も立派な牙には弾かれてるみたいですねえ」
「そうみたい。なんとかならないかって、鈴村が連絡を寄こしたわ。頼める、ヒロキ君?」
「もちろん。ちょっと行ってきますけど、折ります? 斬ります?」
「出来れば切断面は平らにして欲しいわ。根元をね」
「了解。じゃあ、斬ってきます」
「お願いね」
(セイ、こっちに影移動して棗さんの護衛を)
(はぁい)
たった5センチ。
そこまで姿を小さくしたセイは、妖精と呼ぶしかないほど愛らしい姿をしている。
小さな羽で僕の影から飛び立ったセイが肩に腰かけると、認識阻害魔法で姿は見えていないはずなのに、棗さんはそちらに顔を向けて小さく微笑んだ。
いってきますと言って駆け出す。
あの4人とフウカがいる河原までは、約5キロメートル。
僕なら急げば1、2分で走り切れる。
(とーちゃんとーちゃん)
(んー?)
(火と土、マジで誘ってきそうだぞ)
(やあった。喜んで着いてくしかないね)
(だなー。ひさしぶりの実戦だから、男でも咥え込まなきゃ滾った血が収まりそうにねえってよ)
(ラッキー)
(ととさまっ)
(はいはい。どしたの、セイ?)
(姿を消したまま通話魔法したら棗先生、ここで解散でいいって。報酬もいくらかは現金でくれるのっ)
(うーん、それは借金返済に充ててって言っといて)
(はぁい)
明日は上京して初めての休日。
赤岩さんと椚さんが本当に誘ってくれなくても、6、7万円は財布に入っているから、今夜の相手を探すくらいはできるはず。
どちらにしても楽しみだ。
もし相手を探す必要があるようなら、うんと年上の女の人に声をかけてみるのもいいかも。
「……ああ、やっぱり山はいいなあ。こうして走ってるだけで気が晴れる」
息が詰まるとまでは言わないけれど、僕は都会で暮らすのに向いていないんだろう。
自然の中を駆け回っているのが性に合っているんだ。
(羽もねえのにはえーなあ。さすがとーちゃん)
到着する直前にセイと同じく姿を小さく変化させたフウカが合流して、僕の影に飛び込む。
すぐにその影からにゅうっと出て来たのは、妖異を斬るためだけに鍛えられた一振りの日本刀。
(ありがと、フウカ)
(かーちゃんのお下がりじゃねえ鬼斬り、どれほどの切れ味か楽しみだなっ)
(そういえばこれ、僕が初めて自分のって言える新品の鬼斬りの太刀だったね。ちょっと緊張するや)
素材からその加工に使う道具、それどころか水や燃料にまで位の高い神職の能力者が祈祷を施し、それを鍛冶系の能力者が鍛え上げた日本刀。
これを能力者へ安定的に供給するのが可能だからこそ、この現代ではただ本社と呼ばれる陰陽寮という組織は、この時代になっても本州のすべてを支配下に置いていられるのだそうだ。
「お待たせですー」
イノシシの骸を見下ろしていた4人が一斉に僕の方を向く。
唯一の男性と赤岩さんは咥えタバコ。どちらも、ちゃんと携帯灰皿を持っている。
「君が来て、その手に鬼斬りがあるという事は……」
「はい。すぐに牙を落とすんで。骨も売りますよね、肉はどうします?」
「あたしが焼き尽くすさ」
「了解です。新鮮な腸を清流で洗ってバター焼きとか、最高なんですけどね」
「よ、妖異を食うのか……」
そう言いながら剥いだ皮を風使いの男の人、鈴村さんだったかが移動させて、4人がイノシシから距離を取る。
その代わりに歩み寄った僕が鯉口を切って抜いた鬼斬りの太刀を無造作に振り下ろし、そのまま振り上げると、「ほう」という声が2つ重なった。
鈴村さんと水沢さんだ。
まだ咥えタバコの赤岩さんは苦笑いで、椚さんは何事かを考えている素振り。
「いい腕だねえ、ボウヤのくせに」
「まったく、あの牙をこうも見事に切り落とすとはね。それもたった一振りで。まだ若いのに、これほどの剣の使い手とは。新室長が連れて来たのも頷ける」
「いえいえ」
「それじゃ、肉を焼くよ」
「はい。牙と骨は僕が運びますね」
「いいさ。依頼を受けたのはあたし達なんだから」
「あー、了解です」
たしかにこれ以上の手伝いをして、山分けするお金が目的だと思われるとめんどくさい。
黙って赤岩さんが肉だけを炭にするのを待って、換金部位を手分けして運び出した4人の背を追った。
「なあ、ボウヤ」
「はい?」
「今日のこれからの予定は? 新宿支社に戻るのかい?」
「いえいえ。僕は支社の社員じゃないんで。関東は不案内だから、家に帰って手酌で一杯ですかねえ。今日これが終わってからと、それに明日はお休みだし。昼から飲んでもいいかなって」
「へえ。なら見事に牙を落としてくれた礼に、一杯奢らせてくれないか? そこのデカパイ、椚も一緒だ。1台の車でここまで来たんでね」
「それはもう喜んで」
「ふふっ。よーしよし、今から楽しみだ」
こちらこそ。
心の中でそう呟き、みなさんの歩く速度に合わせて棗さん達の元へ向かう。
先を歩くホットパンツ姿の赤岩さんは、形の良い丸いお尻を揺らして上機嫌。
椚さんはまだ考え事をしているようだけど僕と一緒にお酒を飲むのを否定はしないので、どうやら期待してもよさそうだ。
時間はまだ昼前。
どこでお酒を飲むのかは知らないけど、セックスがなしという可能性は低いように感じる。
(いやあ、楽しみだねえ)
(だな。ついでにどっちも孕ませよーぜ、とーちゃん)
(3Pだとどっちかにバレるって)
(同時に孕ませりゃいいだけだろう)
(……やめとくよ。成駒してるんなら能力もその特性も銀将級とは思えないくらいに増えてるだろうから、それでもし僕の能力を見破られたら面倒だもん)
(チッ、もったいねーの)
相手が銀将級の女の人なら半人半蟲のそれなりに強力な使役蟲を産んでもらえるけれど、僕の人間を孕ませて使役蟲を産ませるという能力は、滅多な事では他人に漏らせない。
さっき使った使役力を回復するついでに、美人さんと3Pセックスが出来るだけで満足しておくのがいいだろう。
欲張り過ぎは身を亡ぼす。
それも師匠達が教えてくれた事だ。
……まあ、教え方がいちいちあれだから素直に感謝はしづらいけど。
「全員無事のようね、お疲れ様」
「不合格者は、室長さん?」
「なしよ。換金部位はこちらのトランクに。査定が終わったら、それぞれの口座に振り込むわ。頭割りでいいのよね?」
「はい。結界、それとこちらの少年の助力に感謝します」
「このボウヤにはあたしと椚が一杯奢る。いいよな?」
「もちろん。彼はこちらに知り合いも少ないから、仲良くしてあげてちょうだい」
「任された。よし、行くぞ」
「あ、はい。じゃあ棗さん、僕はここで」
「ええ。お疲れ様」
見惚れるような微笑。
それを棗さんが浮かべたので、思わず「まーたなんか企んでるでしょ?」と声を上げそうになる。
けれどここには他の人、それも棗さんの部下だという人もいるので、開きかけた口は閉じたままにしておく。
赤岩さんに仕草で乗るように促されたのは、僕でも知っている大きな車。
ランドクルーザーとかいう、悪路に強い車両だ。
運転席に赤岩さんが、助手席に椚さんが座ったので、後部座席に上がってドアを閉める。
「さあて、どこで飲む?」
「都内に戻ったら適当な店に入ればいいじゃない」
「ボウヤは明日、仕事が休みなんだってよ。だったら温泉に泊まるのもアリだろ。せっかく箱根まで来たんだし」
「温泉はいいけど、こんな若い子と同室に泊まる気じゃないでしょうね」
「ダメなのか?」
「当たり前でしょ。下手したら淫行罪よ」
「でも、ボウヤはその気マンマンだよなあ? あたしのケツとアヤメのおっぱいばっか見てたし」
「そりゃあ見ちゃいますって。それと年齢なら、20歳の身分証もあるんで平気ですよ」
身分証、あってよかったあ。
「へへっ、だとさ」
「……男の能力者なんだから、女なんて掃いて捨てるほど寄って来るでしょうに。私やホムラを抱きたがるだなんて、物好きねえ」
「えっと、男の能力者ってモテるんですか?」
「それはそうよ。能力者は女の方が多いもの。それに能力者は常人よりいろんな能力が高いから、その性欲を満たそうとすると相手が限られるのよ。複数の一般人を囲う能力者もいるらしいけど、それをすると正体が露見した時に面倒だし、強力や頑強系の特性を持ってる女は人前でセックスをさせられる試験にパスしなきゃ一般人とは寝ちゃダメなの。私もホムラもそうだから、そんな試験なんて受ける気はないわ」
「そうなんですか……」
初耳だ。
女の人のカラダは10ちょっと知っているけれど、半分くらいは修行の一環だと言われて祓い仕事で肌を重ねた人達。
純粋に僕を気に入って抱き合ってくれたと言い切れるのは、たった4人。
ヒロキには、とにかく経験が足りない。
だから世間を見て来い。
女も抱けるだけ抱け。
そしてせいぜい、痛い目も見ろ。
笑いながらそう言われて送り出された朝を思い出す。
「温泉もいいが、ヤリまくるのが目的ならラブホでもいいなあ」
「はいはい。キミはどっちがいいの?」
「温泉は1回だけ泊まった事ありますけど、ラブホテルはないですね」
「なら決まりだ。関連企業のラブホを検索しろよ、アヤメ」
「こんな山奥で調べる意味なんてないでしょ。小田厚で厚木インターまで行って。近くになったら、詳しい場所をナビするわよ」
「あいよ。へへっ、楽しみだなあ。男なんて初めて食うのに、それがとびきり腕のいい美少年能力者だってんだからよ」