春の澄み切った空に、1匹のてんとう虫が飛び立つ。
それを見送った僕は教科書に視線を戻し、人を眠りに誘う魔法がかけられているらしいチョークの音に舌打ちでもしたい気分で、そっと右目だけを閉じる。
(テンコ、いい速度と高度だろ。とーちゃん?)
(だねえ。さすがうちの子。そしてフウカの一番弟子だ)
閉じた右の瞼には、暗闇ではなくテンコの視界が広がっている。
先生が読み上げる教科書の文字を目で追いながら、空中散歩の景色を楽しむ。
そんなのには慣れたもの。
東京は建物がゴチャゴチャ密集して自然が少なく、気軽に運動もできないので少し溜まっているストレスを、こんな景色で宥めるのも悪くない。
(テンコ、ととさまが動かす?)
(いーよいーよ。好きに散歩させたげて。いっつも影の中じゃかわいそうだから、散歩に出かけてもらっただけだし)
(はぁい)
何年ぶりになるのかもすぐには思い出せない学校の授業は酷く退屈で、この数十分も続く静かな時間が僕の高校生活で一番の難題になるんじゃないだろうか。
もしかすると学校というのは、こういった時間をいかにしてやり過ごすか経験させ、僕達の忍耐力を培うために通う場所なのかもしれない。
(ととさま、見て~♪)
(んー?)
セイは影の中。
なので見てくれというのはテンコの視界だろう。
(まだ朝っぱらだってのになあ)
(なんの話、って。わぁお)
どこかの家の窓で羽を休めるテンコ。
その妹を斥候に出したりして僕の補佐をするセイだから、テンコのお腹から見える景色だって僕に届けられる。
うちと同じワンルームマンション。
そのカーテンをほぼ閉め切った部屋で、派手な色と髪型をした若い女の人は大きな大人のオモチャで自分の膣を貫いていた。
ああっ、くっ、ううんっ、おっき、あぁ……
そんな声と荒い息と、大きなバイブが出し入れされて鳴っている淫らな水音まで聞こえる。
にしても、経験人数89って凄いなあ。淫乱度が70と高いはずだ。
(次はあっちの方角にあるはずのおっきい学校と高校を探すのっ♪ テンコの水分補給ついでに、まずは女子トイレに向かうのっ♪)
(こらこら。トイレの覗きなんて、人として絶対にしちゃいけないよ。……それとは関係ないけど、今夜の飲み会の差し入れはフィッシュ・アンド・チップスにして、僕の分はセイにあげよう)
僕はこれからの日常生活で特に予定のない夜はホムラさんとアヤメさんの部屋に行ってお酒を飲むんだけど、「なら食費とお酒代を出しますね」と言ったら、2人はそれを即時に却下した。
こんな学校だから、教員の給料も破格らしい。
でもそれじゃあまりに申し訳ないので、僕は晩ゴハン代わりにツマミを作って差し入れをする事に決めている。
ホムラさんとアヤメさんも能力者らしくお酒とツマミをかなりお腹に入れるから、差し入れを持って行ってもムダにはならないはずだし。
(やった~なのっ♪)
(えーっ、ズリイっ!)
テンコが飛び立つ。
飛ぶ速さも高度も普通の虫とは別物なので、セイの目指す場所はすぐに見つかったようだ。
覗き、それも女子トイレのそれをするなんて、ここはガツンとしかってやらなくっちゃ。まあ、でもそんなのは授業が終わってからだよね。うん。
「六道。……六道ってば」
「ひゃいっ!?」
大きなお尻の真ん中、僕が知っている女の人より少し赤黒っぽい割れ目の下の方で生理用品であるタンポンの紐からポタポタとオシッコが垂れている視界を瞬時に消し、顔を上げる。
すると僕の机の前に、クラスに4人しかいない男子生徒が集まっていた。
「次とその次は体育だぞ。着替えて地下に行こうぜ」
「あ、うん。でも、なんで地下?」
「能力者がスポーツしてるトコなんて、普通の人に見せれる訳ねーじゃん。隠蔽系の能力とかで監視や盗撮なんかは対策してあるけど、それでも校庭なんかで授業したりはしないんだって」
「なるほど」
「ところで、六道くんって戦闘系? じゃないと普通の体育でもちょっとキツイかも」
今まで話していた浩二くんというクラスメイトではなく、どこか小動物チックな男の子がそう聞いてくる。
たしか名前は三好、えっと、……み、三好くんだ。
「使役系だけど」
「うーん。使役対象が戦闘向きなら、ギリギリ身は守れっかなあ」
「それでも危険だって。ねえ、みんなで先生に六道君だけは男子生徒とだけ試合させてくださいってお願いしに行こうよ」
「試合? ドッジボールとかサッカーじゃなくって?」
「だよ。学期の最初の体育の授業は、クラス全員トーナメント形式で武器あり能力ありの試合すんのがこの学園の恒例。ま、ランク付けして向上心を煽りたいんだろ」
「うへえ。通常授業初日にかあ」
「だからたぶん、先生に言ってもムダだ。余計なケガしねえように、さっさと『まいった』してりゃすぐに終わるさ。行こうぜ」
「うん」
試合。
そしてランク付け。
18歳になったら本社から級を決められるのは知ってるけど、まさか学校でもそんなのをしてるとは。
ホントに本気を出してもいいのかなあ。
師匠達、サラさんとアヤカさんは常に本気でやれって言ってたし、3年間1度でも実技でトップを譲ったらヤキどころじゃ済まないって脅されたけど。
でも隣の席のお嬢様、朱音ちゃんは入学式の自己紹介でトップで居続けると宣言してたし。
その翌日にそれを失敗させちゃうのもなあ。
ああ、どうしよう……
そう悩んでいる間に僕達男子生徒は、なんと職員室の隅にある階段を使って地下へと下りた。
なんでも地下にはそこからしか行けなくって、早朝や放課後も生徒なら誰でも地下の運動施設を自由に使っていいらしい。
ちょうどいいタイミングで、いい事を聞いた。
放課後はアルバイトなのでムリだけど、体を動かしたくなったら早起きをして使わせてもらおう。
学園の地下は支社のように何階層もある訳じゃないそうだけれど広い部屋がいくつもあって、浩二くん達がいなかったら始業時間までに僕が目的地に辿り着く事はなかっただろう。
中等部の頃、見学に来た事があるというみんながいて本当によかった。
「わあ。広い道場だねえ」
「まだ狭い方だって。全校稽古をする道場なんて、軽くこれの5倍はある」
「ほえー」
「お、先生達もういるじゃん」
浩二くんの顔が向いた方に僕も視線を移す。
するとホムラさんとアヤメさんもちょうどこちらを見ていたようで、ホムラさんに手招きされた。
「なんだろな。まだ授業始まってねえのに」
「やっぱり先生も六道君を心配してくれてるんだよ。優しいね」
ごめんなさい。
そんな人達じゃないと思います、絶対。
「どうしたんっすか、先生ー?」
「今年からこの学園に入った六道はこんなのに慣れてないから、最初に説明しておこうと思ってな」
「助かります」
ホムラさんの説明が始まる。
今から行う試合は、くじ引きで対戦相手を決めるトーナメント制。
武器は好きな物を使えるから、僕だと木刀になる。それはカートのような物に入ってる中から、好きに選んでいいらしい。
試合に反則とかはなし。能力も使用可能だけれど、相手が死ぬような攻撃はホムラさんとアヤメさんが即時介入して攻撃を防ぎ、そうされた生徒は失格。
他にも重症判定とかいうのがあって、それは試合を見学していればそのうちわかるし、それが出たら浩二くん達が説明してくれるらしい。
そしてなにより、試合は常に本気でやれとの事だ。
「こんなとこだな」
「えーっと、本気って言われても。先生達はある程度、僕の能力を把握してるんですよね?」
「そうなるな」
「それでも本気でやれと?」
「当り前だ」
「はあ。覚悟はしてたんでいいけど、今から心配だなあ……」
始業を告げるチャイムが鳴ると、クラス全員がホワイトボードの前に集められた。
そのホワイトボードにはトーナメント表が、アヤメさんの手にはくじ引きの箱がある。
まずは準備体操だと言われたので皆と同じく等間隔に散り、簡単なそれを終えてまたホワイトボードの前に集合。女の子ばかりなので、ごちゃ混ぜになっているシャンプーなんかの香りが凄い。
「さて、お待ちかねの格付けを決める時間だ。中学最後の試合から、ずいぶんと時間が経っている。あの試合を録画した物は私も椚先生もしっかり目を通してあるからな。成長が見られないようならば補習もあり得る。そのつもりで全力を出せ。では椚先生、お願いします」
「はい。これが今回のトーナメント表になります。クラスは35名で、すでに空欄に×がしてあるのを見てわかるように1名が欠席。なので不戦勝が1名。シードが3つありますが、昨年の上位3名がシード選手となります。その発表をしてトーナメント表に名前を書き込んだら、希望者からくじを引くように」
第1シードは本人が言っていた通り、朱音ちゃん。
その朱音ちゃんがライバルだと言っていた杏ちゃんが2番なのもまあわかる。
でも驚いたのは、3番目のシード選手だ。
幸田霧。
その霧ちゃんはなんと朱音ちゃんの前の席の、あの小柄だけど巨乳な、黒髪おさげに黒縁メガネの、処女なのに淫乱度75を誇る、マジメを絵に描いたような女の子なんだから。
「朱音と杏と委員長とだけは当たりたくねえなあ」
「へえ。あのメガネの子って学級委員長なんだねえ」
「朝のホームルームで決めただろうって。あんな席だからわかっけど、どんだけ話を聞いてねえんだよ」
「あはは」
だって常にと言っていいくらい、影の中からセイとフウカが話しかけてくるし。
「六道くん、早く」
「なにが? 三好くん」
「くじを選んで引けるんなら、あの3人と当たらない場所を引くんだよ。だから早く」
「いや、本気でやれって言われてるから。僕は最後でいいかなあ。それか3番手の人を狙って引いてもいいけど。1番と2番は普通に勝ち上がるだろうから」
立ち姿や歩き姿を見る限り、木刀を持っている朱音ちゃんと、徒手空拳ではあるけれど杏ちゃんはそれなりに修練を重ねてるんだなと納得できる。
でも委員長ちゃんは徒手空拳で、見るからに素人っぽい動き。
きっと能力や術のみで戦うタイプなんだろう。
前回のランク付け結果を鑑みても、最初に脱落しそうなのは委員長ちゃん。
だから、先に当たっておきたい。
どうせ本気を出すんなら僕も稽古のつもりでやるから、いい経験になるはず。
「委員長とっ!?」
「バカ、絶対にやめとけ! ヤケドじゃ済まねえぞ!?」
ヤケドって。
ジャージ姿の委員長ちゃんから、炎気は漏れてないけどなあ。
まあ爆乳が強調されて、エロさは漏れ出すどころか噴出しちゃってるけど。
(あれっ。そういえば委員長ちゃん、淫乱度の割に淫気がそんな詰まってないねえ)
(金持ちなら、娘の淫気祓いなんていくらでもするだろ。この学園の生徒は、みんなそうじゃんか)
(でも、ととさまはセイがいるから簡単だけど、普通の術師じゃ手も触れずに淫気祓いは厳しいのっ。だからきっと、処女の子はクンニとかで淫気を散らしてると思うのっ)
(となると、かなり頻繁にかなりの長時間、それも激しく、まだ膜のあるアソコを舐められてるって事かあ。そりゃ淫乱度も上がるよねえ。その祓い、じゃなくって散らしの依頼、桃さんの事務所に回ってこないかなあ)
そんな話をしながらトーナメント表が埋まるのを待っていたけど、結局、僕がくじを引く事はなかった。
けど僕は今、そうした判断をちょっと後悔している。
最後まで残っていた場所が、第1コートの1回戦だったからだ。一番最初は少し緊張する。
「いいか、六道。ヤバイと思ったらすぐに、まいったって大声で言うんだぞ?」
「そうだよ。というか、試合開始の声がかかっった瞬間にまいったでいいからっ」
「あはは。それも面白そうだけど、やったらいろんな人に怒られそうなんだよねえ。だから普通にやってきます」
立ち上がる。
生徒が座っているのは、第1コートと第2コートの間。
でもそのままコートには入らず、道場の入り口の方の面に移動して、一礼してからコートに入る。
「岩永流槍術、土使い岩永博美。板張りの床からでも土や岩を出せるから、油断はしないでね」
淫乱度が0という信じられない数値のショートカットの女の子は、そう言って子供のように笑う。
子供っぽいからこそ、淫乱度が0で淫気も詰まっていないんだろうか。
ショートカットに日焼けした肌とスレンダーなスタイルで、顔もかわいらしいからモテるだろうに。
淫乱度が0って事は、下手をするとオナニーすらちゃんとした事がないのかもしれない。
純真無垢。
けれど体は子供ではなくすっかり少女で、女になるために助走をつけてまでして成長を始めている。
ほんのわずかでも刺激を与えれば普通に濡れるだろうし、そうなったらこの子は未知の快感に怯えながら、どんな風に乱れてゆくんだろう。
こんな子に、1からいろいろと教え込みたいなあ。
「親切にありがとうございます。僕は六道弘樹。剣は吉喰流で能力は、……使役系ですね」
明かす明かさないは学校では個人の自由らしいので、蟲使いだとは告げないでおく。
これからセイとフウカはクラスメイトの前に、今日だけじゃなく実技の授業のたびに影から出てくるんだし。
2人には、あまり傷ついてほしくない。
「なら、もう使役対象を召喚した方がいいよ。私はしないけど、面倒だからって一撃で終わらせようとする子も多いし」
「なるほど。それじゃおいで、2人とも」
セイとフウカ。
2人が僕の影から飛び出す。
と同時に、大爆笑。
「ととさま、どうしてセイ達は笑われてるのっ?」
「あー。なんと言うべきか。僕はこうなるってわかってたけど……」
「決まってんだろっ。オレ達をバカにしてんだよっ! とーちゃん、こいつら全員ぶっ飛ばしていいかっ!?」
「試合で、しかも死なない程度に手加減するならね」
「よおっし。まずはオレがどんだけつえーか見してやるっ。セイ、この試合は手を出すなよっ!」
「次がセイでいいなら先を譲るのっ♪」
「委員長とはセイだけでやるのか。しばらくヒマになりそ」
ようやく生徒の笑いの声が収まると、審判のホムラさんがコートの中央近くに進む。
入学式の時のように怒声を飛ばさなかったのは、この後の展開を読み切っているからだろう。
飲みながら「うちの学園の生徒はほとんどがエリート気取りの修行不足なガキだから、ヒロキがその鼻っ柱を折ってくれるのが今から楽しみだ。そうすれば、少しは修行に身を入れるだろう」とか言ってたし。
「へへっ。かーちゃんから餞別に貰った木刀、やっと使えるぜ」
「鬼斬りの業物だけじゃなく、そんなのも貰ってたのか。カッコイイね」
「だろ?」
フウカが持っているのは、小太刀の木刀。
しかもその子供用なので西洋の少し大きなサバイバル・ナイフのように見えるそれを、フウカは二刀とも逆手に握っている。
「はじめっ!」
その声と同時にフウカが動く。
一直線に突撃。
「は、速いっ!」
そう叫ぶように言った博美ちゃんはその突進を止めるためコートの中央に大きな土の塊を出したけれど、もしもその土の向こうを見る術がないのなら最悪の手だ。
「見えてるのかなあ、こっち」
「関係ないのっ。全力と見せかけてマラソンくらいの速さ、そこからフウカの全力スピードにまで上げたら、目がついていかなくて消えたようにしか見えないのっ♪」
「だろうねえ」
やめっ。勝者、六道!
そんなホムラさんの声と同時に、コートの中央にあった土の塊がほろほろと崩壊してゆく。
それでやっと見えるようになった向こう側では、フウカが小さい体でヒロミちゃんに馬乗りになって首筋に木刀を置いていた。
もう片方の小太刀は、いつでも心臓に突き立てられる位置。
「ま、まいりました……」
道場が異様に静まり返っているので、そんな声がやけに大きく聞こえる。
それからいつでもまたヒロミちゃんを斬れる構えのまま大きく飛び退き、「笑ってたヤツの顔は覚えてっから、こんなんが羨ましくなるほど恥ずかしい負け方をさせてやるぜ」と言って笑うフウカの声も。