桃さんが生唾を飲み下す音が事務所に響く。
「話には聞いてたけど、こんな能力は反則」
「僕だってそう思います。っと、産まれますよ」
「もう?」
「ええ」
そんな短い会話を交わす間に、奥さんの充血し切った膣口から白い塊が顔を出している。
シンとした事務所の空気を震わすのは、意識を失っているのに聞こえる奥さんの荒い息使いと、苦しそうな呻き。
この現象は奥さんの記憶には残らないし、母体が消耗したりもしない。
でもこんな能力に目覚めて5年ほどが経っても、この瞬間は申し訳なさで身が縮む思いだ。
慣れる日が来るなんて、想像もできない。
「う、……ぐぅっ!」
一際大きな苦悶の呻きと共に奥さんの広がり切った膣から出て来たのは、食用の鶏卵なんかとはだいぶ感じが違う、真っ白な卵。
大きさも、かなりのものだ。
「ちょうど新生児の頭部くらいの大きさの卵。これが……」
「はい。すぐに割れますよ」
ゴクリ。
また自分の喉がそう鳴って、桃さんは初めて極度の緊張を自覚したらしい。
ジャージの袖で汗を拭い、クーラーが動いているのを目で確認までしている。
パリッ。
次に聞こえたのは、そんな音。
「卵が、割れて……」
「ええ。新たな命の誕生ですね」
パリッ、ペリッ。
パキイッ。
卵の上部が、完全に割れた。
そこから、30センチくらいの大きな蟲が顔を出す。
こうして生まれて来てくれた僕の末娘は、とてもかわいらしい子だった。
「これは。てんとう虫?」
「みたいですね。相手が一般人だから、かなり大きいだけで完全な蟲型。名前は、そうだなあ。……テンコ、はどう?」
てんとう虫が羽を広げて飛び上がる。
子供の頭ほどの体が僕の胸に突進してきたので、できるだけ優しく抱き止め、羽を納めたその背中を撫でた。
「これが、使役蟲。別に使役系の能力者は珍しくないけれど、ホントに使役対象を人間に産ませるなんて……」
「僕は使役系でも、かなり特殊な能力者らしいですからねえ。ついでって言ったら怒られそうだけど、セイとフウカも紹介しときますね。おいで、2人共」
「はぁい♪ はじめましてなの、桃っち。よろしくなのっ♪」
「やあっと紹介かよ。どっこらしょっと」
天上の蛍光灯に照らされてベッドの上に伸びる、僕の影。
そこから、幼稚園児にしか見えない2人の女の子が飛び出す。
白人とのハーフのような顔立ちで、ウェーブした長い金髪のかわいらしい女の子がセイ。
真っすぐな長い黒髪をポニーテールに結った生粋の日本人にしか見えない、キリッとした美人ちゃんがフウカだ。
「セイは使役蟲を束ねる存在の長女でそのための能力を持ち、母親から受け継いだ魔法が使えます。フウカは、その姉を補うように直接戦闘が得意ですね。今はまだ銀将級くらいの能力らしいですけど、そのうち飛車角くらいまでになってくれるそうです」
「使役対象が、そこまでの力を……」
「それより桃ねーちゃん」
「ん?」
「これ見ろよ。とーちゃんのチンポ、まだバッキバキだぜ? セイが魔法でキレイにすっから、しゃぶりまくるなりオマンコで咥え込むなり好きにしなよ。このババアは、ほっときゃ朝までグッスリだし」
「……やめとく」
「なんでだよー?」
射精はしたけれどキスもクンニもなしで、せっかく気持ちよかったフェラも、してもらったのは本当にわずかな時間。
正直、セックスはもっとしたい。
だから少しだけ残念だなと思ってしまったけれど、桃さんにその気がないのなら仕方ないだろう。
セイが繋ぎっぱなしにしている通話魔法でフウカが、「いいからフェロモンを操って発情させてから桃ねーちゃんを押し倒せ」なんて言ってるけどシカト。
セイに魔法で奥さんの愛液や僕のザーメンを清潔にしてから肌を乾かしてもらって、手早くスーツを身に着ける。
勃起を治めるのは箸を持ち上げるより簡単なので、パンツもズボンも問題なく穿けた。
「奥さんは急いでるみたいでしたし、もう起こしてしまいます?」
「ん。お願い。依頼主が帰ったら報酬を渡す」
「了解です」
8万円。
ちょうど昨日引っ越したばかりの、ワンルームマンションの家賃と同じ金額。
敷金礼金を含めた初期費用と1か月目の家賃、それに学費なんかは師匠達が出してくれるけれど、来月から引かれる家賃や光熱費、それに生活費のすべては、僕が高校に通いながら自分で稼ぐ事になっている。
それも修行なのだそうだ。
「そんじゃセイ、影の中に戻ってから魔法で奥さんを起こして」
「はぁい。ととさま、今日はおうちでテレビ見れる?」
「どうかなあ。帰りにお店に寄ってみて、僕の財布の中身でも買えるくらいテレビが安かったらね」
「むー」
マンションにあった家具類は、元から付いているクーラーやカーテンだけ。
セイの大好きなテレビもない。
買ってあげたいけど、テレビっていくらくらいするんだろう。
「そんじゃ行くぞ、テンコ。蟲型にしちゃ力がありそうだから、姉ちゃんが偵察や索敵を1から仕込んでやる。まずは体を小さくして、普通のてんとう虫に擬態する練習からだな」
「あんまり厳しくしないでよ、フウカ?」
「へいへい。んじゃ、またな。桃ねーちゃん」
「桃っち、またねなの~っ♪」
「ん」
3人の愛娘が影に飛び込む。
同時にセイの気つけ魔法が、僕の影の中から放たれた。
「う、ううんっ……」
「気がつきましたか。お疲れさまでした」
テンコを産んだ記憶なんて欠片も残っていない奥さんは全裸のまま辺りをキョロキョロと見回すと、酷く恥ずかしそうに大きなお胸を隠しながら、ベッドの向こう側に脱ぎ捨ててあった衣服を身に着けてゆく。
いかにも清楚そうな見た目なので、こんな恥じらう姿もいい。
「体調は?」
「……そういえば、ひさしぶりにあの気怠さから解放されているわ」
「祓いは終了。毎度」
「ええっと、報酬はこの封筒に」
「ん。今回は運が良かった」
「そうなの?」
「この子は、邪気祓いの腕なら関東で5本の指に入る」
「まあ。こんなにお若いのに」
「しかも腕がいいから、再発までに数年はかかる。御主人が定年退職すれば夜の夫婦生活も増えるだろうから、そうなればもう淫気詰まりにはならないはず」
そうね、なんて言いながら奥さんが小さく笑う。
まだ30ほどにしか見えないけれどかなりの年齢なのか、それとも旦那さんがだいぶ年上なだけなのか。
それはわからないけれど、依頼人と能力者の関係なんて祓いが終わればないも同じ。
このフェラが上手な奥さんに僕が会う事は、もう二度とないだろう。
「……少しだけ、残念かな」
「なにか言った?」
「いえいえ」
奥さんを送り出した桃さんが、封筒から2枚の札を抜いてから差し出す。
「これ、報酬。一般人が相手だから今回は安いけど、能力者が相手なら最低でも10倍にはなる。でもその時に蟲を産ませるかは、よく考えた方がいい」
「ありがたくいただきます。……あ。考えてみたら、1人で仕事してお金を貰うのって初めてだ」
「テストは合格。バカ女達からは討伐系の依頼も回せって言われてるけど、ホントに大丈夫?」
「あ、はい。どっちかっていうと、そっちの方が気楽だったりします」
「ん。わかった。でも最初は歩級依頼で、香車桂馬と徐々にランクを上げてく。目立ち過ぎは危険」
「了解です」
「春休み中は、午前中に出社。夕方まで事務所に詰めててもらう。連絡は通話魔法か、これで」
手渡されたのは、平べったい板のような機械。
「もしかしてこれ、携帯電話ですか?」
「スマホだけど」
「知ってます。最新式の携帯電話でしょう。うわー、スゴイ。テレビでしか見た事ないですよ、こんな最新型」
「……そういえばバカ女達の屋敷って、パソコンすらなかった。スマホはそれぞれ持ってたけど、いつも充電切れだし」
「あ、はい。でも、テレビとDVDデッキはありましたよ」
「いろいろと理解した。セイが見たがってるのは、どんなテレビ番組?」
「アニメとか、特撮ヒーローの。それと、幼児番組ですねえ」
「ん。とりあえずアニメなら、このアプリで見られる」
「なるほど。で、アプリってなんですか?」
「……そこから説明なんて、面倒すぎ。セイ」
「はいなのっ!」
影から上半身だけ出したセイが床に置いた肘で体を支えて元気よく返事をすると、桃さんはしゃがみ込んでその小さな頭を優しく撫でる。
「今日はこれでお別れだけど、通話魔法はいつでもしてきていい。スマホの使い方だけじゃなく、わからない事があったらいつでも通話魔法を飛ばして」
「ありがとうなのっ♪」
頭を撫でられて嬉しそうなセイが影の中に戻ると、桃さんはデスクに戻ってキーボードを叩き始めた。
どうやら初日の仕事は、これで終わりらしい。
「えっと、じゃあ今日は失礼します。明日の朝、またおじゃましますね」
「ん。電車は乗れるの?」
「ちゅ、中央本線って文字だけを探して駅の中を歩き回って、運良く改札を見つけたら切符は武蔵境まで。それで帰れる、はずですよね?」
「……改札を見つけるのに運はいらない。普通なら」
そうおっしゃられましても。
「いやでも、ねえ?」
「もういい。少し待ってて」
「はい?」
「本当なら明日の朝に会わせる予定だったけど、家に帰れるかも怪しいなら性悪を呼ぶ。あっちも初日だから、夕方には体が空くはず。待ってて」
「はぁ」
何の事かはわからないけれど、待っていればいいだけなら簡単な話。
僕がまたソファーに腰を下ろすと、影の中からセイとフウカが飛び出し、スマホをひったくっていった。
きゃいきゃいとはしゃぎながら、対面にあるソファーの上で2人はスマホを弄り出す。
テンコはどうしたのと聞くと、影の中でのんびりゴハン中なんだそうだ。
「冷蔵庫に缶ジュースがあるから、セイとフウカに出してあげて。コーヒーがいいなら、入り口から見て右の手前にあるキッチンでお湯を沸かせばいい」
「あ、はい。ええっと、お金とかは?」
「そんなのをいくら飲んでも、小銭を出せなんてケチな事は言わない」
「オレ、しゅわしゅわのやつっ!」
「セイはオレンジジュースがいいのっ!」
「はいはい。ちゃんと桃さんにお礼を言って、いただきますしてから飲めるなら出すよ」
2人が桃さんにお礼を言う大きな声を聞きながら、立ち上がって壁際にある大きな冷蔵庫を開ける。
コーラとオレンジジュースは、師匠達と買い物に行くといつも2人がおねだりしていたからすぐにわかった。
でもそれ以外の飲み物は、ビール以外さっぱりわからない。
「僕はコーヒーかお茶をいただきますけど、桃さんはどうします?」
「ポカリ」
「……ポカ、ポカぁ?」
「ととさま~。下から2番目の段、一番手前のがポカリなのっ」
「これかあ。ありがと、セイ」
キッチンはそれなりの広さがあって、ガス台や食器もかなり揃っていた。
ただグラスや食器もそれなりにあって調味料もかなり揃っているのに、シンクには薄くホコリが積もって使われている形跡がない。
そこで淹れたコーヒーは普通のインスタントだけど、湯気の上がるそれは文句なしに美味しかった。
朝、コーヒーとヤカンくらいは買っておけばよかったと後悔したばかりだからかな。でもそれだけじゃなく、東京での初仕事、それをなんの問題なく終えたという安心感もあるのかも。
キッチンでコーヒーを一口啜り、探すまでもなく見つけたゴミ袋を持って事務所に戻る。
これも僕の仕事だろうと勝手に判断させてもらって、デスクの周りに散乱しているゴミ、主にペットボトルとスナック菓子の空き箱とビニールを片付けた。
そしてぼーっとキーボードの鳴る音を聞きながら、スマホを覗き込んでは笑うセイとフウカを眺めるともなく見ながらソファーに座ってコーヒーを飲んでいると、不意にキーボードの音が止む。
なんだろうと視線を移すと立ち上がった桃さんが、デスクの上にあるいくつかの物を重ねてからそれを手にしてソファーに歩み寄ってくる。
「ヒロキ」
「あ、はい」
「事務所に詰めてる間は、毎日これで勉強をする」
「ええっと。これってパソコンですよね、分厚い本はなんですか?」
「ん。ノートパソコンと、お年寄り向けのパソコン入門書。しかも専門的な知識じゃなくって、つべを見たりSNSを使ったりするための本」
「……意味がまったくわかんないんですけど」
「それを本で調べながら、パソコンに慣れて。とりあえずヒロキに足りないのは、現代人としての常識だから」
「はぁ」
現代人としての常識。
都会人としての常識なら、欠けている自覚がある。
でも現代人という大きな括りなら、僕は充分その中に納まっているはずだけど。
「理解してないみたいだから、簡単なテスト。たとえば、……ん。見るからに田舎者でシャバ僧のヒロキ君は、帰りの電車内でスリに遭いました。そのスリの男をどうする?」
「えっと、電車が停まるまで関節を極めて拘束。駅に着いたら引きずり降ろして、セイの結界魔法を展開。鬼斬りの太刀で片腕を落として、盗まれたお金と慰謝料として有り金をいただきますね。反省しているようなら傷を塞いで解放。そうじゃないなら、影の中で使役蟲のエサです」
「はい、アウト」
「ええっ!?」
そんなバカな。
犯罪者にはしっかりと報復をしないと、ソイツはまた犯罪を繰り返す。しかもその被害に遭うのは、十中八九無力な一般人。
僕のような人間が犯罪者に罰を与えないでどうするんだ。
「次。スリは逃がしてしまいました。ヒロキは一文無し。家に帰っても、ゴハンがありません。どうする?」
「公園とかに野草を摘みに行くかなあ。あと影の中は時間が止ってるんで、そこに貯蔵してあるシカやイノシシをあっちでセイに焼いてもらいますね」
「はい、ツーアウト」
「なんでですかぁ……」
おかしい。
僕は間違った事なんて言っていないはず。
「最後。翌朝、お金がないのに寝過ごしてしまいました。電車に乗るお金はなく、出社時間は間近。どうする?」
「セイに認識阻害の魔法をかけてもらって、新宿まで走りますねえ。道路は危ないから、信じられないほど建ってるビルの上なんかをジャンプで移動かなー」
「はい、スリーアウト。いいから黙って一般人の動画やコメントを見て、常識を学んで。じゃないと、高校でも苦労する」
「はぁ……」