キーが刺さったままのバイクを押して駐輪場に置き施錠して、大嫌いな、とびっきり古いエレベーターに向かう。
15万円もするヘルメットを抱えてだ。
「こんなのが、15万円……」
しかも、バイクだけで次の依頼の報酬は吹っ飛んでしまう。
このヘルメットや4台分のテレビなんかの代金は、しばらく棗さんに借金だ。頭が痛い。
「……はぁ。ただいまです」
事務所に戻ってそう呟いて、ソファーに腰かける。
「にしし。見てたぜ。大変だなあ、とーちゃん」
「借金の総額、考えたくもない」
もし計算なんてしてしまったら、しばらく財布を持ち歩く事さえやめてしまいそうだ。
バイクのガソリンがなくなったら走ればいいとか言って。
「ま、平気だろ。はした金だ、そんなん」
「そう言い切れたらどんなに楽か……」
「まあまあ。それより、昼メシはラーメンだってよ。とーちゃんは大盛りプラス大盛りチャーハン、それに大盛りギョーザ定食」
「ええっ。ちょ、桃さん。僕は1人前あればいいですって」
「ダメ。最低でも3人前は出す」
「特性のせいでいくら食べても同じですから、僕は」
「でもお腹は空く。だから、最低3人前」
「……あんま気を使わないでくださいって」
「いいから。出前が届くまで買ったバイクの動画でも見とく」
「はぁ。なんかすいません、ホントに」
棗さんにもそうだけど、3年もここでアルバイトをしたら、桃さんにも頭が上がらなくなりそうだ。
そんな事を考えながら動画を検索する。
「あった。これだ」
「とーちゃん。そのバイクって2ストってやつだぞ、たしか。前にアニメで見た」
「ふうん。じゃあ、加速がいいのかな」
「たぶんそうだろ。でも長い距離を走るならクルマがいいから、それも早めに買おうぜ」
「お金と相談しながらだねえ。……って、1979年発売!? どんだけ古いバイクなのさ」
1本目の動画を見終えないうちに事務所のドアがノックされた。
僕が岡持ちごと受け取ってテーブルに並べる間に、桃さんが支払いを済ませる。
「わぁい、ラーメンなのっ♪」
「うっまそー。ごちんなりますっ、桃っち」
「ん。たくさん食べて」
「ありがとうございます」
ご飯を食べて午後になっても、僕には仕事なんて回ってこない。
それどころか今日はマンションに桃さんと棗さんが見繕った生活必需品が届くからと、3時には帰れと言われてしまった。
セイとフウカには影の中に入ってもらって、バイクでマンションまで。
慣れない道のせいでだいぶ長くかかると覚悟していた予定時間の倍以上、なんと2時間もかかってやっとマンションに辿り着く。
「ふうっ、やあっと着いたぁ」
(時間かかったなあ)
(セイのナビを受けながらでこれだからねえ。先が思いやられるよ)
(ととさまならすぐに慣れるのっ)
(だといいけど。バイクを駐輪場に置いたら、隣のコンビニってお店でゴハンを買って部屋で食事かな。9時までは部屋で待機してろって言われたし、出前をしてくれる店なんてわかんないから)
(へへっ。コンビニ弁当も楽しみだぜ)
(肉まんっ、セイは肉まんがいいのっ!)
(はいはい。栄養を考えたらコンビニ弁当ばかりじゃダメらしいから、たまにしか買わないからね。今日は好きなの食べていいよ。もうヤケだ、お金は気にしなくていい。僕も、できるだけ安くて量の多いお酒を買っちゃおう)
そう言ってコンビニに入り、悩みに悩んで買った1000円近くするウイスキー。
無駄になったとは言わないけれど、僕が今夜のうちにそれを飲む事はどうやらなさそうだ。
続々と部屋に届き始めた荷物の中には僕の好きな銘柄のビールや、コンビニで買ったのよりずっと上等なウイスキーが、これでもかと、ケース単位であったからだ。
それだけじゃなく大きなベッドに布団、冷蔵庫までが運び込まれて、僕の部屋はたった数時間で何不自由なく暮らせるまでになっている。
僕が注文していないのに届いた物があまりに多過ぎるのでセイに返品の方法を聞いてくれるように頼むと、それらの物は桃さんと棗さんからのプレゼントだという返事が来たらしい。
「とーちゃん、愛されてんなあ」
「……甘やかされてる、の間違いじゃない?」
「同じ事だろって。セイ、もうアニメは夜中までないだろ。ゲームしようぜ、ゲーム。2人で対戦だ」
「負けないのっ!」
「パソコンまであって、すぐに使えるようにしてってくれたし。いいのかなあ」
「いいんだって、甘えとけば」
「昨日は板張りの床に大の字になって、3人で寄り添って寝たのにねえ。ああ、借金の総額いくらなんだろ……」
考えるだけで気が滅入ってしまう。
届いたばかりのノートパソコンで調べればおおよその額は出せるんだろうけど、とてもそんな気分にはなれやしない。
「ととさま」
「んー?」
「この部屋に呼べる女の人も早く見つけてほしいのっ。セイはまだいいけど、フウカは燃費が悪いし」
「あー。心力は魔力と違って、自然回復が遅いもんねえ」
「事務所であのババアの淫気をたらふく食って、影の中で2人の体液を啜ったから今のところはいいけどな」
「でもこのマンションって、僕が通う高校に近いんだよねえ。変な噂とか立たないかなあ」
「関係ねえだろって。とーちゃんにはセックスが必要なんだから、堂々と女を連れ込めばいいんだよ。なんか言われたら、高校生じゃねえ身分証を出しゃいいだけだし」
「かなあ」
「当たり前なのっ」
「なら、近いうちに探そうか」
「うんっ」
「できるだけ欲求不満な、エロい女がいいなあ。常に汁だくの」
「だねえ」
魔法を使うセイの力の源は、魔力。
そうでないフウカのは心力だ。
どちらも自然に回復はするけれど、魔力に比べて心力の回復は遅い。
だからその回復手段である、異性との性行為が頻繁に必要となる。一般人の目には見えない淫気はセイが操って影に吸い込まれて2人が分け合うし、セックスで出た体液や精液を舐めたりしても心力は回復する。
少しでも早く相手を見つけてあげなければ、フウカがかわいそうだろう。
「とーちゃんもヤリたいだけだろって」
「だから心の中を読まないの」
「どーせなら、女優とかアイドルとかを喰っちまうか?」
「ヤダよ、面倒そう」
「じゃあどんなのがいいんだよ?」
「経験豊富な大人の女性かなあ」
「おばはんのフェラ、気に入ってたもんなあ」
「巧かったよねえ」
「だなあ。たっぷり金を稼いだら、風俗とか行ってもいいな」
「高いんじゃない?」
「それ以上に稼げばいいだけだろって」
「まあねえ」
そんなどうでもいい話をしながら、セイとフウカがやっているゲームの画面と2人の笑い声をツマミにウイスキーを飲む。
そのグラスも注文した覚えなんてないのに届いた、やけに高そうな品だ。
翌日も探偵事務所に出勤こそしたけれど、特にこれといった助手としての仕事はナシ。すぐ終わるデスク周りの掃除と大きなジャグジーがあるのにシャワーしか使われないらしいバスルームの掃除を終えれば、朝から夕方までノートパソコンで動画を見たり、その動画に出てきたわからない物をインターネットで調べたりしているだけの1日。
3日目もそうだったけれど、その日は棗さんから電話が来て、例の依頼は明日だと告げられた。
そして今日、僕は藤村探偵事務所には出勤せず、棗さんが来るのを自宅のマンションの前で待っている。
動きやすい服装でと言われたから、服は着慣れている作務衣。荷物は特にない。
ピッピー。
クラクション。
それを鳴らしたのは黒塗りのセダン。
中が覗き込めないフィルムの貼られた窓が開いて、そこから棗さんが顔を見せる。
「お待たせ。さあ、乗って」
「おはようございます。じゃあ、失礼しますね」
「ヒロキ君は私と後部座席ね」
「はい」
いかにも高そうなセダンの後部座席に乗り込む。
たしかヨーロッパ製の外車で、かなり値段の張る車だったはず。
僕がドアを閉めると、運転席に座っている中年の真面目そうな男の人はすぐにアクセルを踏んだ。
「紹介しておくわね。運転してるのが、有村。私の職場である情報室に所属する能力者よ。今日の役目は、運転手と護衛」
「はじめまして。ヒロキです。よろしくお願いします」
本社や支社で働く能力者は家名を普通に名乗るけど、師匠達のようにフリーで仕事を受ける能力者は家名どころか、名前の漢字すら人には教えないのが能力者の常識だと聞かされている。
ヒロキとだけ名乗っても、嫌な顔はされなかった。
「こちらこそ。お会いできて光栄ですよ」
「いえいえ、僕の方こそ」
「助手席にいるのが、広瀬。情報室の人間じゃなく、支店の総務課に所属してる能力者よ。美人でしょう?」
「ですねえ。纏う空気感も澄み切った感じで、神道系の能力者さんなのかな」
「ご名答よ。この東京じゃ一番と言ってもいい結界能力の使い手なの」
「それはそれは。よろしくお願い致します、広瀬さん」
「こちらこそ」
そう言いながら微笑んでくれた広瀬さんは、文句なしの美人さん。
たった1日一緒に仕事をしただけではそんなに仲良くはなれないだろうけど、仕事ついでに美人さん2人とドライブができると思えば気分がいい。
「それじゃ、道すがら依頼の詳細を説明するわね」
「あ、はい。お願いします」
目的地は箱根の某所。
そう言われても土地勘のない僕にはわからないので、曖昧に頷いておく。
討伐対象は、瘴気を吸収し過ぎた獣型の妖異。
それには問題ないし、むしろ楽そうでいい。
妖異が獣型なら、瘴気が体内に取り込まれて邪気になったそれを祓ったりはせず、その命を絶って楽にしてあげるのが平安時代以前からの習わしだからだ。
討伐を任されたのは4人の能力者。
それも全員が能力者としては上位である銀将級。
「楽そうでしょう?」
「はい。内輪揉めがないなら、僕は1歩も動かずカタが付くでしょうし」
「そうね。でも、4人共がいわゆるプロじゃないのよ。今回のは銀将級ではあるけれど、あまり実戦に出ない4人の訓練を兼ねた試験って感じなのよね」
「シロウトさんですか。……なんかありそうでヤダなあ」
「お金を稼ぐって、それだけ大変な事なのよ。ガマンなさい」
「はーい」
心の中でセイとフウカに話しかける。
戦闘なんてのとは無縁な生活を送っているのなら、腕だけでなく、心構えまでが僕達とは違うはず。
いざとなれば能力の行使をためらってしまう可能性もあるし、とっさの判断や動きになんて期待してはいけないだろう。
能力者として生まれたのに、平和に暮らしている心優しい人達。
そんな人達に怪我なんてして欲しくはない。
そのために僕達で出来る事があるなら、労は惜しまないつもりだ。
「討伐対象は単独なんですよね?」
「ええ。それはたしかよ。じゃなかったら、試験相手になんて選ばないわ」
「邪気に囚われた獣は?」
「おそらくイノシシだそうよ」
「なら、どうにかなるかな」
「ヒロキ君なら、たとえ禍神級の熊型だって余裕でしょうに」
「僕1人ならいいですけどねえ」
東京に出て高校生になる事を決めた日から、口が酸っぱくなるほど言われ続けていた事がある。
同級生が自分と同じ腕を持つと思うな。
だが、決して授業では手を抜くな、格の違いを見せつけてやれ。
その上で、弱い者の気持ちを、ソイツが噛み締めている悔しさを目を逸らさずに見ろ。そうすればいつか、弱い者の気持ちがヒロキにもわかるようになる。
大人にそんなのは酷すぎるだろうけど、もし喧嘩でも売られたら手加減はしないつもりだ。
セイやフウカを成駒する経験値の足しにしようと思っているなら、その場で斬って棄ててもいい。
「まあ、心配ないわよ。軽い怪我くらいなら負わせてあげた方が、後々のためになるでしょうし」
「厳しいんですね。やっぱり、能力者の家系に生まれるって大変なのかあ」
「状況が状況だもの。前回の大戦で、子を成さず死んでいった能力者も多いでしょう。ただでさえ少なくなった今の世代は、それでも次の災厄を防ぐ役割を生まれながらに背負っているのだから」