やがて小田原という街を過ぎると、法定速度で窓の外を流れる景色だけでなく、高級車を取り巻く気配そのものが変わった。
山々に生い茂る緑の木々。
その噎せ返るような香りに、人里では滅多に感じない気配が混ざっている。
「……ああ、ホントだ。人ならざるモノのニオイ、しますね」
「も、もう感じるのですか?」
驚いたようにそう言ったのは、助手席の広瀬さんだ。
中肉中背で黒髪。
パッと見はどこにでもいそうなただの美女だけれど、衣装を整えて寺社の境内なんかで舞を披露したなら、常世の国への扉でも開けてしまいかねないような、いわゆる神々が無条件で好むような無垢な類の魅力を持っている。
大昔から巫女さんなんて役目があるように、女の人は能力者としての素質に恵まれている人が多い。
この広瀬さんも、実家は神社で巫女さんだったりするんじゃないかな。
それに助手席側から漂ってくるニオイからして間違いなく、この人は20代の半ばになっても純潔を守っているはず。
……巫女服を半脱がしでとか、男の夢だよねえ。
「臭いますからね、ヤツら」
「うふふ。介入すべきかどうかの判断、するとなればそのタイミングも任せるわ」
「了解です。棗さんの小間使いかなにかのフリをしながら状況を観察して、いざとなれば迷わず動きますよ」
「それでいいわ。お願いね」
天下の険なんて謳われるだけあって、箱根は緑に満ち満ち満ちた、かなり山深い峠だった。
一般道路を外れても車はしばらく砂利道を走り続け、急に道がひらけた、広場のようになっている場所で止まる。
「揃ってるみたいね。行くわよ」
棗さんの前に車を降りて、そうと気づかれないように戦闘準備。
とは言っても、自然体で立って丹田に気を軽く凝縮し、棗さん以外の人間をすべて斬る心構えをしただけだけど。
僕達が降り立った未舗装の広場には車が3台停まっていて、その前に4人の男女がいた。
能力者、それもこれから妖異討伐に出る4人が特に武装をしていないように見えるのは意外だけれど、地水火風の能力者なら全員、鬼斬りの太刀なんかは使わず術が主体の戦闘をするのかな。
「お疲れ様です、室長」
言ったのは1人だけいる男の人。
残りの3人の女の人達は、黙って会釈だけをしている。
「皆さんもね。それで、ミーティングは終わったの?」
「ええ。2手に分かれての山狩りでいいだろうと。私と水沢さん、赤岩さんと椚さんの2班です」
「風と水、火と土の組み合わせね。いいんじゃないかしら」
「ありがとうございます。私が【囁風】で連絡役をしながらメインの索敵。赤岩さんと椚さんは気心が知れていてかなり動けるとの事なので、自由に動いてもらおうかと」
「任せるわ。もう出るの?」
「そちらがよろしければ、すぐにでも」
棗さんの授業で習った通りなら、風使いは万能型。
水は戦闘もできるけど治療なんかが得意で、火は攻撃特化、土は戦闘であれば防御寄りの能力。となると……
(セイ、風使いの男の人と水の美人さんをお願い)
(わかったのっ)
(オレは火と土のお守りか。なんかあれば魔法で山火事を消せるセイのがいいんじゃねえのか?)
(さすがに山林を延焼させるような炎使いなんて、棗さんが呼ぶはずないって。火と土の2人は、体術もなかなかみたいだからさ。ムチャして接近戦とかやりそう。怪我でもしそうなら、すぐにフウカが介入して)
(なるほどね。りょーかい)
「ちょっといいかい、新室長さん」
炎の気を振り撒いている女の人が棗さんを睨む。
この人が赤岩さんだろう。
体も鍛えているようだし、立ち姿も悪くない。
腕で言えばこの中では一番上。
それに僅差で続くのは隣に立つ土使いで、唯一の男である風使いの男の人はだいぶ落ちての3番目だ。
「なにかしら?」
「そこの美少年なんだが、手出しはしないんだよな?」
「貴方達次第ね」
「こっちは年に一度の免許更新なんだ。こんな近場でなんて、今年はラッキーだと話してたんだよ。横取りはカンベンだ」
「なら、鮮やかに対象を屠って見せればいいだけでしょう。自信がないの?」
「……抜かしやがる。言われなくともやってやるさ、見事にね」
「期待してるわ、先生」
最後に短い打ち合わせをして、2組の能力者達が森の中に消える。
それを追ったセイとフウカの姿は、有村さんにも広瀬さんにも見えなかったらしい。
まあ、当然か。
認識阻害魔法をかけて体を羽虫ほどの大きさに変化させた2人を発見するなら、少なくとも金将級以上で、しかも遠見や見鬼系の能力者でなければ無理だろう。
「それじゃ、僕も始めます。それにしても広瀬さんの結界、凄いですねえ。これ、何日も前から展開しっぱなしでしょう?」
「そこまで見抜きますか。その通りです」
「これだけ見事な結界ですからね」
目を閉じる。
「こ、これは……」
「季節外れの、雪? いいえ、違うわ。心力なの? 雪のように舞い散るこれが、すべて……」
「この子のは心力ではなくて使役力だけれど、その総量はとんでもなく規格外だもの。これくらい放出したって問題ないわ。ヒロキ君、どのくらいかかる?」
「場所がいいんで、5分はかかりませんね」
「さすがね」
「結界のおかげですよ。およそ山1つ。相手がここから出られないからこそ、簡単に発見可能なんです。……お願い、みんな。邪に囚われてしまったかわいそうな獣、僕達が楽にしてあげなくっちゃいけない妖異を探して」
ザザアッ。
今日は晴天無風。
なのでこの音は、突風が吹いて木々が戦いだ音じゃない。
無数の蟲達が僕の頼みを聞いて一斉に移動を開始した音だ。
「こ、この大きな音の元、そのすべてが虫だなんて……」
「……どれだけの力を行使すれば、こうまで」
魔力、心力、使役力。
それは能力の行使に必要な力。
昨日ロールなんとかというゲームをしながらフウカがMPというのはまんま心力で、オレもザナルなんとかに行きてーなんて言っていたのを思い出す。
僕の使役力が雪のようだとよく言われるのは、それを分け与えて力を貸してもらう対象が、大小さまざまな虫達だからだ。
今日は範囲が決まっているし、スピードが重要になるから特に羽を持つ虫達を選んで雪のように降る使役力を分け与えた。
そうするとその『蟲』の能力は飛躍的に上がるので、すぐに討伐予定の妖異を発見してくれるはず。
僕の使役力は、虫達にしてみれば天上の甘露。それに味がいいだけじゃなく少しだけれど寿命が延びたりもするから、虫達も喜んで僕の頼みを聞いてくれる。
「これが、日本で唯一の蟲使い。こんな少年が、ここまでの術を。末恐ろしいですね」
「使役系の能力者はそれなりにいますけど、初めて訪れた場所の虫をあれだけ使役するなんて……」
蟲達とセイとフウカの視界。
そのすべてを見ようと思うと少し骨が折れるので、目は閉じたまま無数のウィンドウのすべてを視界に入れておく。
(ととさま、風と水は動きが遅いのっ)
(だろうねえ。体を鍛えてる感じじゃなかったし、情報系の役人さんとお医者さんってトコだろうから)
(火と土はなかなかだぜ。軽口を叩きながら森を駆け回ってらあ)
やっぱりか。
纏う雰囲気や振り撒いている気もなかなかだったけれど、2人はしっかり体も鍛えているみたいだった。
(先生って言われてたけど、なにを誰に教えてるんだろうねえ)
(火の方は、終わったらとーちゃんナンパして3Pすっかなんて言ってんぞ)
(それは大歓迎。マジで誘ってくんないかなあ)
(どっちも23、4って年頃で、顔もカラダもいいもんな)
(だねえ)
お、いたいた。
(ととさま、蟲が見つけてくれたのっ。妖異は窪地でおねんね中っ)
僕とセイが同時に気づいた蟲の視界を一画面で表示。
相手は、どこにでもいそうな1頭のイノシシ。
(だね。ありがと、セイ)
(このねーちゃん達を誘導すっか、とーちゃん?)
(確認してみるけど、それはしないんじゃないかなあ。練習とか訓練とか言ってたし、討伐が試験にもなってるっぽい)
目を開ける。
それだけで棗さんは発見を察したようで、まっすぐに僕を見た。
「目標を発見。相手はオスで、推定体重220キロ。獣型の妖異にしては小物です」
「ありがとう。じゃあ、そのまま見張らせておいて」
「2組のどちらかが発見するまで待つんですね」
「そうなるわね」
「僕も移動しときます?」
「相手は獣型で小物。オスなら牙があるんでしょうけど、そこまでしなくていいわ」
「了解です」
「近いのはどっち?」
「火と土ですね。セオリー通り、清流を見つけて捜索範囲を広げてるんで。このままなら、30分あれば発見かな」
「ならのんびり待ちましょう。タバコ、いる?」
「今はいいです。この感じじゃ、追加報酬には期待できないかぁ」
「うふふ。また次があるわよ」
お金の事ばかり考えていては気が滅入るだけなので、時間潰しになればと火と土の能力者さんの外見を思い出す。
茶髪のポニーテールで耳にはピアスまでした赤岩さんはCかD、黒髪ロングの椚さんは少なくともFはありそうなお胸をしていた。
赤岩さんはまだ春先なのに、惜し気もなく白いふとももを晒すホットパンツにオシャレなTシャツ。
椚さんの方は登山に来たお嬢様って感じの長袖長ズボン。
どちらもそんな服装がそれぞれの魅力を引き立てていて、男ならお近づきになりたいと思って当然だろう。
3Pは大好物。
ホントに誘ってくれないかなあなんて考えながら、フウカが尾行している2人が対象に接近するのを待った。
僕の予想は少し裏切られ、赤岩さんと椚さんはその半分、15分ほどでイノシシ型の妖異の縄張りに足を踏み入れている。
「赤岩さん、椚さん。討伐対象まで100メートル。相手は鼻がいいので、体臭を消せない2人はすぐにでも気取られるかと」
「お手並み拝見ね。鈴村と水沢の両名は?」
「その3キロ手前に」
「戦闘が始まってから駆けつけても間に合わないわね」
「マズイんですか?」
「いいえ。これは本社から出向してる能力者の、年に1度の実戦経験。でもあの2人は直接戦闘が役目じゃないから、逃げずに討伐に参加すればそれでいいのよ。赤岩と椚は戦闘が試験のようなものだから、それなりに戦ってもらわないと合格できないけれどね」
「同じ後方勤務の能力者でも、いろいろあるんですねえ」
頑張って仕事をしているのに試験が必要とか、やっぱり社会人って大変そう。
(見ろよ、とーちゃん。黒髪のねーちゃん、土使いのくせに索敵なんてしてら)
(河原の大きな岩に耳を付けて、遠くの音を探ってるのか。でもイノシシは起き上がったばかりで、大きな音を立ててない。これでイノシシに気がつくなら大したものだけど)
(土以外の能力か、その特性の1つが【聴覚増幅】かなんかなのかもな。手で合図して、イノシシのいる方向を炎使いに指示してやがるぜ)
それはそれは。
なら、腕はかなりのものか。
土系の物質を操る能力に身体能力を上げる特性が付いていればそれだけで甲種か乙種の土使いだし、そうでないのなら土を操る以外にも能力がある事になって、それだけで銀将級の中では上位とされる。もしそうなら、間違いなく甲種だろう。
「椚さん、いい腕ですねえ。索敵もこなす土使いなんて、そうはいないでしょう」
「ええ。しかも努力家で、応用力もあるらしいの。教師向きよね」
「どこで誰に、っと。イノシシ、動きました。縄張りの水場に何者かがいるのを悟って、接近を開始」
清流の流れは穏やかで、河原には大小の岩が転がっている。
僕なら木々の間に誘い込んで仕留めるけど、赤岩さんの攻撃手段が炎だからか、2人は河原での迎撃を選択したようだ。
音を探っている椚さんはよほど赤岩さんを信頼しているのか、動く気配がない。
赤岩さんは赤岩さんで、身じろぎもせず椚さんに示された方向を睨んでいる。
「2人は河原での迎撃を選択。イノシシまでの距離、80メートル。【風囁】で常時連絡を取り合っていたらしい風と水が、大急ぎで援護に向かってます」
「間に合いはしないでしょうけど、いい心がけね」
「はい。イノシシ、さらに距離を詰めます」
ただでさえ鼻の利くイノシシが、邪気を取り込んで身体能力も五感も大幅に向上。
そんな相手が、たかが人間を恐れるはずもない。
ヨダレを下草の生い茂る地面に垂らしながら、巨大なイノシシは大きな吠え声を上げた。
咆哮と怒気に押し出されたかのように体内に蓄積された瘴気が漏れ出し、鬼もかくやというような禍々しいフォルムを形作って身に纏われる。
瘴気が見えるモノ、つまり敵を威嚇するために。
(火のねーちゃん、妖異の咆哮を聞いて笑ってやがる。いいねえ。こんなのになら、毎晩とーちゃんを抱かせてやってもいい)
(僕が抱くんじゃないんだ?)
(Sっぽいからなあ、このねーちゃん)
(気の強い女の人はアナルが弱いって、サラさん言ってたなあ。ホットパンツを半分だけ下ろして、肛門を舐めまくりたいね)
(くくっ。車は3台だったから、このねーちゃん達は1台で来たはず。ホントにナンパしてくれっといいな)
そんなバカ話をする間に、イノシシは地響きを立てて駆け出している。
「イノシシ、走り出しました。河原まで距離50、40、30」
「さすがに速いわね。準備は?」
「フウカはいつでもイノシシの頭蓋を断ち割れます。セイの治療も、影移動に1秒あれば」
「ありがとう」
「イノシシ、河原に駆け込みました」
瘴気の鎧を纏ったイノシシがまた吠えた。
赤岩さんが仁王立ちのまま笑う。
椚さんは油断なく身構えながら、その懐から拳銃を取り出す。
イノシシの妖異、それも瘴気の鎧を纏った禍々しい姿のそれと睨み合っているのに、いい度胸だ。
(へえ。土や岩を槍や弾にするんじゃなくて、銃を使うのか)
(両方でしょ。にしても、お金持ちなんだねえ。対妖異銃弾は鬼斬りの太刀より効果が低くて使ったらなくなっちゃうのに、お値段はかなりするんだよ)
(いいトコのお嬢って言ってたもんなあ。ハメまくって貢がせようぜ、とーちゃん)