魔界。
俺が住む世界。悪魔と呼ばれる者たちが住む世界。
俺は何千年とわからないほど昔に魔界で生まれ、何千年もの間、魔界で生き続けていた。
元々力のある悪魔であった俺は、数千年を経たいまでは大勢の悪魔を統べる魔王と呼ばれるようになり、他の魔王たちと共に魔界を長年支配していた。
しかし、自分の支配下に置いている土地を統治したり、現魔王の俺を倒して新たな魔王とならん悪魔を蹴散らしたりするのにも俺は飽きてしまった。
魔界には暇を潰す娯楽ももちろんあるが、もう生まれてから何千年……、娯楽という娯楽はすでに遊びつくしてしまっていた。
魔界の外に行けばまだまだ俺が知らない娯楽や魔界とは違う世界がある。――と、たまに人間界などという別の世界へ分霊とはいえ、呼びだされる下級悪魔や中級悪魔、一部の上級悪魔などが言っていたが、俺は魔王。
魔王である俺を分霊とはいえ、人間界に召喚しようとすると、その対価が大きすぎて人間も召喚しようともしないし、そもそも俺の存在すら知らないそうだ。
そう、俺の存在を知らないのだ。誰ひとりとして他の世界の者たちは……。
…………。
いや、まあ、俺は元々いた魔王よりも数千年ほど新参者だし、戦ったりとかほとんどしないで遊びまわっていたし、威厳とか力を見せつけるとか、そんなの考えたこともなかったし、いくつかあるらしい人間界のなかに存在する漫画とかアニメとか好きで、気まぐれに引き篭もったりしたし、女が好きで魔界一周女漁りの旅とか放浪したり、魔界中から厳選した女悪魔……、主にサキュバスたちを魔王城に囲ってハーレムとかも楽しんだり、統治している土地で美人の女型悪魔を優遇したり、魔王城の近くに人間界を元にした歓楽街を作ったり、遊びまわって他の魔王からもそれで注意されたりしたけど……。
人間界で俺の知名度がないってどういうことだよ。
ルシファーとかサタンとかレヴィアタンとか知ってるくせに俺のこと知らないって、なに?
ずっと昔に他の魔王たちが人間界で神と戦ってたときに自分だけ支配している国で「ハーレム! ハーレム!」とか言って女たちと遊んでいたからって酷くない?
神話の神々からも戦争に魔王に数えられてないし、人間界のどの聖書にも存在してないとされてるそうだし、もう世界的に空気な存在にされてるよ……。
まったく、本当になんで誰も俺の存在知らないんだよ……、ていうか、教えないんだよ……。
支配している国で主にサキュバスや女型悪魔の魔王をちゃんとしてるのに、眷属悪魔の誰も王さまである俺を宣伝しないってなんなの? 人間界に呼びだされたときに誰の眷属か言ってやらないの?
そのことを眷属悪魔やメイドとかやらせてる人間の魂とかに聞いたら、国内では『最高の魔王さま』だけど、支配してる国の外では『あまり紹介したくない魔王さま』とか言うし……。
他の魔王たちも自分の眷属の美女とかいろいろな種族の女悪魔を寄越してくるから、俺って他の魔王たちから好かれてるんだと思っていたのに、実は他の魔王たちから絶滅しそうな種族を増やすための種馬扱いされていたそうだ……。
はぁ……。
本当にいろいろ面倒になったんだよ。
魔王とか言われてるのに、土地管理するだけで暇だし……。
何千年か1回あるかないかぐらいに魔王も別世界に分霊で召喚されるそうだけど、俺はない。名前も知られてないから偶然とかも確立的にありえない。
はぁぁ……。
これからの生活を考えると……、ぶっちゃけ暇過ぎて死にそうなんだよ。
悪魔の寿命は確立されていないというか、現魔王で古株のサタンが確か3万歳超えてるぐらいだから、まだ新参で数千歳の俺なんて死ぬまでに何万年もかかるし、それまでこのまま魔界の魔王とか考えるだけで狂いそうになる……。
もうね、だから自分で行くことにしたんだ。
幸い俺が統治している国には悪魔がたくさんいるし、俺の次代となる魔王候補もいる。魔王辞めて『呼ばれないなら自分から行ってやんよ』の精神で人間界に行くことにしたんだ。
これなら人間界に大きな対価を払わせる必要としないし、寿命の内数千年ぐらいはその世界で消費できるだろうからね。
だから今から出発することにするよ。
◆
魔王城の最上階。俺が人間界に行くと決めてからすでに数年が過ぎていた。
うん、数年が過ぎていた。
魔王としての最後の仕事と次代の魔王への引継ぎをしていたからだ。
最後に、魔界を去る前に、統治していた自分の国を魔王城から見下ろす。
目下に広がるどこまでも続くような広大な土地……、というか大陸が俺が支配していた魔界だった。
現在、その魔界にいるほとんどの女悪魔たちが魔王城のいたるところに、白濁した俺の精液塗れで倒れていた。
おそらく魔王として最後に思い出や種を残せたことだろう。
いやらしいアヘ顔や放心してる暗い目、満足そうな寝顔を見下ろして、女悪魔たちから集めた魔力と自分の魔力、その他魔界を出ると言ったときに他の魔王から餞別にともらった魔力と、色欲などを司る妖艶な美女悪魔であるベルフェゴールと作りだした人間界へ行くためのゲートへと向う。
「本当に行くの?」
後ろから声をかけられた。声の主はわかっている。次代の魔王だ。
「ああ、もちろん。あとは任せるぞ、次代の魔王」
力のある悪魔で、美女で、実の娘だ。先ほどまでアヘっていたのにもうすっかり回復しているところがさすが俺の娘だな。
「……なにか最後に褒められたくない事で褒められた気がしたけど……。まあ、いいわ。いってらっしゃいお父さま」
「ああ、いってくる」
俺はそう言ってゲートへと向う。
ゲートの傍で待っていたベルフェゴールが一礼した。
「魔王さま、行き先特定できませんが、いくつかある人間界に繋がっています」
「行くための魔力は足りているか?」
人間界へ行くための魔力は分霊でさえ、元々膨大量を必要とするのに、今回は実体……肉体を持っていくのだから、必要な魔力の量は計り知れない。
そのことを心配していたのだが、ベルフェゴールは笑顔でうなずいた。
「はい。魔王さまとこの魔界の女悪魔たちの魔力では足りませんでしたが、他の魔王さまから渡された魔力が膨大な量でして。問題なく人間界へゲートが繋げられました。これで実体を持って人間界へ行けるでしょう」
「そうか」
古株の魔王たちまで俺の門出を祝ってくれているのか。
ほんの少しだけだが俺が魔王たちに感謝していると、ベルフェゴールはため息を吐いた。
「厄介払いができると、喜んで魔力を差しだされたような気もしますが……」
「口を慎め、ベルフェゴール。協力してもらっているのだ。そういうことを言うな」
「すみません」
「わかればいい」
素直に頭を下げるベルフェゴールを許してから、ゲートへと歩を進める。
目の前にゲートが迫り、あと1歩でゲートに入る。
「では、さらばだ。何千年後、何万年後かわからないが、また会おう」
俺は最後に言葉を紡ぎ――、俺はゲートを潜り――、俺は魔界から消えた。
◆
「ここが人間界か……」
魔界から人間界へのゲートを潜った俺の上には魔界の紫色の空ではない、青い空が広がり、眼前には魔界でも珍しい大樹があった。
さらに大樹の周りは魔界とは違う、青々した緑が広がり、溢れんばかりの生命の息吹を感じさせた。
とりあえず魔界ではないことを確認したので、今度は自分の体を調べる。
「ふむ、分霊ではない完全な実体だな。魔力や身体能力の低下も見られない、ちゃんと人間界へ来れたようだな。あとはこの世界がどういう人間界なのかを知りたいが――、まずは眼前の大樹だな」
他の木々とはまるで違う巨大な大樹に触れる。
「やはり魔力を内包していたか。俺がこの場に召喚されたのもこの大樹が原因かもしれないな」
もう少し調べてみると、この大樹は内包した魔力を使って人払いのような結界を張っていることがわかった。まあ、結界といっても認識を逸らすような弱々しい防衛本能のようなもののようだが。
とにかく内包している魔力といい、このまま成長すれば数千年後には立派な世界樹となるだろうな。
「幸い人間はもちろん、誰にも気づかれてないようだし……、今のうちにツバをつけておくか」
この大樹はいろいろと便利そうだ。ここを拠点にして人間界に居座ろうではないか。
自然に囲まれての生活も悪くないだろう。
俺は大樹に意思疎通を図る。
『――――、――、――――、――』
魔界に住んでいる森の民の一族から教えてもらった意思を伝えるための信号を大樹に送る。
繰り返し送ること数分、大樹が反応を見せ始めた。
『――……、――、……、――――』
『―――、―――、―――――』
『――、―――、―――』
やはり森の民から教えてもらった意思疎通法がよかったようだ。大樹はうれしそうに発光し、俺を迎え入れてくれた。
一応無償で拠点を置いていいそうだが、それでは悪いと俺は大樹と契約を交わす。
本来、将来の世界樹といえど、魔王と契約することはできない……、というか、しないどころか一方的に魔王が力を貸させるのだが、ここは人間界だ。ぶっちゃけ悪魔の契約とかしてみたかったんだよ。俺、呼びだされた事ねぇし。
そこで決まったことは、
1、世界樹が自衛できない事態に陥った場合は俺が守る。
2、世界樹はここら一帯の土地を俺に使わせる。
という、契約書もない簡単な契約だ。
これから長い付き合いなるから仲良くしようと意思を通じさせてから、家を作れるような開けた場所がないかと訊ねた。
『―――、―――』
『――――』
『――――』
大樹から場所を訊き、礼を言ってからその場所に向った。
その場所は大樹から数キロほど離れたところにあった。
周囲を木々に囲まれ、中央に広大な草原が広がり、小さな池と小川が流れる美しい場所だった。
「結構広いが、今後人が増えれば丁度いいか。まずは家だ」
まずは家の材料と、魔力で木々を切り倒して材木を作る。ずっと石畳の西洋風の古城だったので、森の民の家や人間界の漫画にでてきた木で出来た家というものに憧れていたので作業が捗る。
材料を作りだしたあとは、その木々を組んでログハウスという家を造り始める。
こちらは魔界の家とそう変わらないし、数千年前に魔王でなかったころに実際に造ったことがあるので造り方は覚えている。……うろ思えだが……。
「さてと、造り始めるか」
新生活の第一歩だな。
◆
新生活への第一歩を踏み出してから早1月……。
「まだ完成しねぇ……ッ!」
正直、家造り舐めてたわ。マジで。
いまだに半分しか造れてないんだよ。
最初に基礎となる柱を地中深くに刺して、丸太を敷いて、壁造って、屋根造って完成したんだけど、ちょっと雨が降ると地面に敷いた丸太が湿気を帯びてジメジメしたり、水漏れしたり、そもそも広いよなと思って立てた家だったけど、風呂場やトイレやキッチンとか付けると急に狭くなったりとか……。
「はぁぁ……」
本当に偉大だよ、家を造る職人は。
もういっそのこと人間に頼ろうかなぁ……。
魔王城から少し持ちだした貴金属や魔法具を対価にすれば、立派な家を建ててくれそうだし……。
「ん~……」
でもこの場所を知られたくないし、ここまでやったんだから自分の手で完成させたい気もする……。
「はぁぁぁ……、これも暇潰しになるよなぁ」
大きなため息を吐いて作業に取り掛かった。
◆
結局自分で家を造ることに決めてから約3年。
納得のいく家が完成した。
水吐きをや通気性を重視した家で、1階は骨組みと地下へと続く通路だけで、2階、3階部分に住居を立て、防腐など木が腐らないように魔力で強化し、屋根も雨漏りしないか何度も確認し、壊れないように強固にしたり、玄関部だけ別の小さな屋根を設けて雨水が跳ねないようにしたり、上質な木を使用して風呂場を作ったり、試行錯誤を繰り返して水洗便所に近いものを再現し、自家製の紙というものにも挑戦してみたり、同じく山から湧き水を引いて水道を作りだしたり、それと別に井戸を掘ってみたり、小川の向こう側に渡るため用にと橋を架けたりと、少しでも前の生活に近づけるように、自分が納得する家を造るために、暇を潰すために本当にいろいろやった。
現在はロフトで木で作りだしたロッキングチェアという揺れる椅子に座り、森で囀る小鳥の鳴き声や風と木の葉が奏でる音楽を訊きながら緩やかな時間を過ごしていた。
「はぁ」
満足だという息が出てしまう。
自然に囲まれ、誰にも会わずに、静かに時を過ごす。
…………ん?
……誰にも会わずに?
…………。
………………。
「…………家造るのに夢中で、せっかく人間界に来てるのにまだ人間と会ってねぇえええええええええええ!」
なに家造りに丸々3年かけてんだ!?
その間に人間と会えただろうになんで俺はこの森に引き篭もってんだよぉぉぉっ!
「クソ! くっ、だが、家は完成したんだ! 今からでも人間に会いに行こうじゃないか!」
そうと決まればさっそく行動だ!
出かける準備をしてから玄関から飛びだす!
森を突っ切るのは逆に遅くなるし、魔力で浮かび上がって人里を目指す!
◆
お手製のログハウスもとい、新たなる魔王城から出て人里を目指して、目的の人里までやってきた。
人里に入る前に、いままでの魔王な服装は派手だったので近くの森にまずは着地する。人間の服がどういうものか観察してから魔力でその服を創りだし、着替えてから人里に入った。
魔法で言語を誤魔化して、異文化交流してどんな世界なのか情報を得たんですが……、時代にいろいろな問題があった。
まあ、人里に住んでる人間の格好から大体予想していたけど、俺がやってきた世界は漫画やアニメといったものがない遥か昔の世界だったのだ。
いくつも存在する人間界は、時代の進みなどが似ているところがあるというので、魔界から持ってきた人間界の歴史を記した『社会の教科書』というものを数冊取り出し、ここの王の名などを聞きだして、人里から離れ、いまの時代など現在地などを大まかに調べる。
…………。
とりあえず、大気圏まで出て地図などと地形を照らし合わせながら調べた結果。世界樹と自宅がある国は日本で、住んでいる土地は将来の埼玉と呼ばれるところにあるようだ。
「えーと、王さまの名前で完全に合致するものは……ないな。似ている時代の進み方からいって今の時代は察するに室町時代か。ん~……」
漫画やアニメが生まれる時代は描かれていないが少なくても300年、400年後ぐらいだよなぁ……。
漫画やアニメがないって、なんか急にやる気がなくなったんだけど……。
ん~、どうしようかなぁ。とりあえずは生の巫女さんや侍とか見て見たいけど……。
どうせこの島国に拠点作ってんだし、この島国は後回しにして先に他のところを旅しながら巡るかな……。
丁度ヨーロッパとかいうところで100年戦争とかやってる頃らしいし、暇潰しにもちょうどいいだろ。メイドさんとか騎士とかいまの時代ぐらいしかいないらしいし、巫女や侍はいつまでもいるらしいからな。
まずは留守中に森や家、大樹を荒らされないように数年ぐらいかけて強固な結界を張ってからだな。
それにしてもヨーロッパか。
途中中国大陸も通るし、チャイナ娘がいるか物色しながら移動して、インディアンとかアマゾネスとかいう種族のワイルド女とかも探して、ヨーロッパでは金髪美女漁りだな! ジャンヌとかいう聖処女と呼ばれる女もいるそうだし! 楽しみだ!
◆
…………失敗した。
一箇所に留まりすぎてしまった。
今、私は街の中央にある広場で処刑されかかっていた。
処刑台として高く設置された場所で、体は太い木の柱に何重にも巻かれた縄で縛り付けられ、胸に杭を打たれていて、足元には燃えやすそうな小枝と藁がいくつも積まれていた。
処刑台とは別の高い台に立った肥えた男……、この街の領主が立ち、その下で羊皮紙を拡げた甲冑を着込んだ兵士が処刑されるところを見物しに来た人間たちに向って声を張り上げる。
「これより、吸血鬼、エヴァンジェリン・マクダウェルの処刑を執り行う!」
甲冑を着込んだ兵士の言葉に見物に来た住人が私を恐れるような、蔑むような視線で見た。
ざわざわと色々な会話が聞える。
それは全て私を否定する冷たい言葉だった。
私は吸血鬼だ。
胸に杭を刺されても死なない。
不死の吸血鬼……。
だが、最初からそうだったわけではない。
本当は人間だったんだ。
10歳の誕生日に吸血鬼にされるまでは……。
領主が私がどんなに残虐か、血を吸うバケモノだとか、散々広場に集まった町人に言う。
町人たちもその言葉を聞いて私を怖がり、処刑されるんだと安心したような表情をうかべた。
……私を知らないのに本当によく言う。
……私を知らないのに聞いただけでよく怖がる。
吸血鬼にされてから約100年……、私はよく1人で生きれてこれたな。
だけど、最期は油断で捕まるなんて本当に私はドジだな……。
「さあ、火を放て!」
領主の男がそう叫ぶ。
たいまつを持った甲冑姿の兵士が、たいまつの炎を私の足元に積まれた小枝や藁に近づけ、火を移した。
ああ……これで私も終わりか……。
赤く燃える炎が燃え上がる。
「あがぁあああああああ! 熱い! 熱いっ! 熱いぃいいいいいっ!」
身を焼く炎に、溜まらずに口から悲鳴が漏れる。
足元から段々と近づいてくる濃密な死の気配に、先ほどまで諦めていた生への渇望が湧き上がる。
「ああああああああああああ! がああああ、あああああああっ!」
死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!
私は! 死にたくない!
助けて! 助けて! 助けて! 助けて!
誰か! 誰か! 誰か!
「ぐあああああああああああ、がああああああああああああああ!!」
喉が嗄れてしまうほど、喉が傷ついてしまうほど、広場に、街に響くほどの悲鳴をあげるが、誰も、誰1人として助けてくれる者はいない。
身を焼く炎越しに見れば、領主は満足げな笑みを浮かべ、兵士は当然だという顔で立ち、見物にきた人間もほとんど当然だという顔で、他は目を伏せる者ばかり。
誰も……、誰も助けてくれない……。
この街に住んでいた間に出来た知り合いも、友人だと思っていた人も、誰も助けてくれない。
「あがあああああああああああああああああああああ!」
私が……、私が消えていく……。
体が熱に焼かれて消えていく……。
意識が飛びそうになる……。
死にたくない……。死にたくないよぉぉ……。
誰か、誰か助けて……。
誰でもいいから……、誰か私を……助けて……。
「――助けて欲しいか?」
――っ!
「俺ならおまえを助けられるが、助けて欲しいか?」
炎に焼かれ、ほとんど聞えなくなったはずの耳にそんな声が聞えた。
「あ……ぐ……」
喉が嗄れて声が出せないが、目は少しだけ見えた。
誰かが私の前に立っていた。
「ある契約を交わせば、俺はおまえを救おう」
幻聴? 幻覚?
もうどちらでもいい。
助けてくれるなら……、吸血鬼の私に手を差し伸べてくれるなら――誰だろうと関係ない。
私は声がしたほうへ顔を向け、懸命に、最後の力を振り絞るように口を出す。
「なん……で、も、します……! た、す……けて、く……だ、さい!」
お願いするように、すがるように、祈るように、私は言葉を紡いだ。
その瞬間――。
ブオンッ!
と、一陣の突風が吹いた。
突風は私を焼いていた炎をかき消し、次に何がが胸に刺さっていた杭が抜きさり、体を拘束していた縄が解かれた。
拘束から解放された私は前へ倒れ落ちるが、誰かに抱き止められた。
大きな、広く、温かい、懐かしい温もりだ。
吸血鬼ゆえに治り始めた目で見上げると、ぼやけた視界が段々と回復していった。
視界に映ったのは、褐色の肌で闇のように黒い髪、赤い瞳をした整った顔立ちをした野生的な男だった。
抱きとめられている体から感じる力は凄まじいものだ。
それに男からは気品のような……、私より遥かに上の存在のように感じられた。
「エヴァンジェリン・マクダウェル。……だったな?」
男がこちらを見下ろし声をかける。
「は……い」
私はゆっくりと治り始めた喉で声を紡ぎ、うなずいた。
「契約だ。対価としておまえは俺のモノとなる」
「――っ!」
正面から見つめられながら男にそう言われたとき、私の胸はドキリと高鳴ったが、その前に大事なことがあった。
「私は、きゅ、吸血鬼……ですよ?」
もしも彼が、私のことを冤罪などで捕まった人間だと勘違いしていて、私を助けたのなら……、吸血鬼である私は捨てられる。
せっかく救われたのに、また1人になるのだけは嫌だ。
私は彼の服を「捨てないで」とすがるように掴み、彼の返答を待った。
吸血鬼でも捨てないでくれるか、吸血鬼でも救ってくれるのか。
だけど、私の心配を他所に彼は八重歯を見せながら笑顔で言った。
「知ってる」
と……。
「おまえが吸血鬼でも関係ない」
と……。
吸血鬼にされて初めて、吸血鬼である私を受け入れてくれたことに、助けられたことに涙が溢れる私に彼は続けて笑顔で言う。
「これからはおまえは俺の女だ」
…………え?