『ご飯用意して待ってるぞ』
LINEでメッセージを送ると、成幸はスマホをローテーブルに置いた。時刻は19時。成幸は講義が終わると真っ直ぐに帰り、ふたり分の夕飯を作っていた。
「……そろそろかな」
ぽそりと呟いた声が、テーブルにぽとりと落ちる。決して広いとは言えないアパートだけれど、それでもひとりでいるとやけに広く感じる。
LINEのトーク画面を確認すると、ちょうど既読がついた。ここから考えられるパターンは2つ。1つは可愛らしいスタンプがいくつも送られてくるパターン。
そしてもう1つは――。
考えたところで、部屋の向こうの外廊下からせわしない足音が聞こえてきた。今日は「返事をする間も惜しんで急いでくる」パターンのようだ。
成幸の表情が自然と緩み、玄関に向かう。
ほどなくして、勢いよくドアが開いた。
「たっだいまー!」
「おかえり」
――恋人の武元うるかが浮かべた、向日葵の百輪咲き、とでも言えるまばゆい笑顔に、成幸は柔らかな笑みを浮かべた。
「うはー、疲れた疲れたー!」
「今日も練習お疲れさまうぇっ!?」
スポーツバッグを床に置いたうるかが、スニーカーを脱ぐなり勢いよく抱きついてきた。慌てて受け止めると、顔を上げた元気娘がにひっと嬉しそうに笑う。健康的な小麦色の肌に、美しさと可愛さを同時搭載した魅力的な顔。ジャージ越しに伝わる柔らかな感触と、練習終わりにシャワーを浴びたのか甘いシャンプーの匂いが香ってくらりとくる。
「成幸~。おかえりのチューは~?」
「うぇっ!?」
思わぬリクエストに顔が猛烈に熱くなる。うるかは成幸の返事を聞く前に、「んふ~」と可愛らしい声を漏らして胸板におでこをこすりつけていた。小さなポニーテールがぴょこぴょこと揺れている。
「えっと、その、なんだ、そういうのは、その……」
紡ぐ言葉がたどたどしい。教師になろうとしているのにこれはないだろう……! と耳まで熱くなりながらも自責の念に駆られる。
「あ~……えっと、ご、ごめん、調子のっちゃったかも……」
成幸が迷い惑っているうちに冷静になってきてしまったのか、うるかが静かに頬を赤面させてゆく。口元をもにょもにょとさせ、ひょろひょろと視線を滑らせる。
(い、いかん!)
勇気を出して大胆な誘いをしてくれた恋人に恥をかかせてしまう――!
そんなことをしてたまるかと、成幸はうるかの両肩をがしりと掴んだ。
「ひゃわっ!? あっ、えっと、な、成幸……んむ……っ?」
躊躇したら負けだと、戸惑ううるかに構わず唇を重ねた。瑞々しい唇の感触をほんの数秒だけ味わい、すぐに顔を離す。
うるかと見つめ合うこと1秒、2秒、3秒。
うるかの顔がぼんっ、と茹だった。成幸も顔だけでなく耳や首まで熱くなった。
「ア、アリ、ガトウ……」
「い、いえいえ、どういたしまして……」
なぜか片言になったうるかは、耳から煙が出るのではと思うほど顔が真っ赤だった。
「うー……恥ずかしい……でも幸せ……」
「うぐ……っ」
腕の中でふやけた笑みを浮かべる恋人から思わず目を逸らす。
「成幸……なんで今、目ぇ逸らしたの?」
横顔に視線を感じて、ちらりと彼女を見る。ジト目にも見えるし、どこかいたずらっぽくも見える表情。女性の表情はこうも複雑なのかと、この数年で痛感したことだ。正確に読み取ることなど到底不可能に思える。
「あー、その……な、なんで、って……そりゃ、うるかが……」
「……あたしが、なに?」
「……か、可愛いから……」
開き直って正面からうるかを見つめて囁く。彼女は瞳を潤ませ、くしゃりと顔を歪ませた。溢れる幸せの表し方を知らないかのような表情。
「……もう1回言って」
「え?」
「もう1回。ほら、早く」
「……う、うるか。可愛いよ」
「……えへへ……もう1回」
「うぐ……だ、だから、めちゃくちゃ可愛いって」
「もう1回!」
「ちょ、ちょっと、勘弁してくれ……」
「だーめ。もう5回言ってくんなきゃ」
「なんでサラッと増やしてんだ!?」
結局、合計10回ほど言わされた。可愛いと言うたびに幸せそうにふやけるうるかの表情に、心臓が「大丈夫かお前?」と言いたくなるほど高鳴りっぱなしだった。
× × ×
成幸とうるかは、ともに大学2年生になっていた。成幸は教育大学に、そしてうるかは音羽大学に合格。春休みにうるかから告白され、卒業直前にお付き合いをすることになった。
彼女は予定していたオーストラリアのオズウェイ・ヨーギィ大学に水泳の1年間交換留学で向かった。付き合って蜜月のときを過ごせたのはほんの数週間で、それからすぐに超のつく遠距離恋愛が始まった。
『成幸。向こうに行く前に、思い出ちょうだい。そしたら頑張れるから』
うるかが出国する数日前、切実な声でのお願いに成幸は泣きそうになりながら承諾した。付き合うことを決めた時点でこうなることはわかっていたのに、それでも寂しさは止まらなかった。互いに初めての行為はとてもぎこちなかったが、互いにフォローしあい、肌の温もりや柔らかさを感じ、今まで経験したことがないほどの深いつながりを感じることができた。
成幸は教育大学で、うるかはオズウェイ・ヨーギィ大学でそれぞれ忙しい日々を過ごすなかでも、ふたりはできるだけ毎日スカイプで通話したり、あえて手紙を書いたりしながら絆を育んでいた。
成幸は大学のクラスメイトに「高校のときに付き合ってて大学で遠恋になったカップルはだいたい別れる」と不吉なことを言われたが、寂しさこそあれどうるかと別れるどころか日に日に心の距離が近付いている気がした。
うるかは数ヶ月に一度帰ってくると、成幸の住む学生寮に忍び込んで三日三晩求め合った。キスがやっとだった高校卒業前とは想像もつかない関係だったが、いざ始まると意外とすんなりと受け入れることができた。
成幸もバイト代を貯めてうるかの大会を見に行き、うるかの住む学生寮にこっそり忍び込んで交わったりしていた。大丈夫なのかとひやひやしたが、うるかの住む寮は寮母に内緒で恋人を連れ込む慣習があるらしく、うるかの友人も逢瀬を応援してくれていた。
オーストラリア留学中にうるかはオリンピック出場が決まり、ますます磨きがかかった容貌と相まってテレビとWEBの両方で人気者になっていた。恋人がいるとはっきり明言しており、その潔さが却って好感度を上げていた。
もうじき1年が経ち、うるかが戻ってくる……という頃。成幸とうるかはふたりで話し合い、同棲をすることにした。うるかの両親は驚いたものの、娘が「恋人がいる」と堂々と公言していたせいもあってか快く了承してくれた。
成幸の母と双子の弟妹である葉月・和樹はそれはもうテンション爆上がりで了承してくれたが、妹の水希の説得が大変だった。それでも水希にとってうるかは水泳部の憧れの先輩ということもあってか、なんとか三日三晩の説得で済んだ。唯我家が総動員で説得したのに加え、うるかと水希がお泊まりで一晩中話し合った。
そのとき何を話したのかとうるかに聞いても「んー? ないしょ」とはぐらかされてしまった。気になるが、それ以上追及するのはやめておいた。
そして現在、ふたりはさほど広くないアパートで同棲している。家が超のつくほど貧乏な成幸はもちろん、そんな家庭を支える気満々であるうるかにしてみればなんの問題もない。むしろ狭いことでふたりの物理的な距離が近くて助かる、とさえ思っているとうるかは言っていた。成幸も同感だった。
付き合って数週間での遠距離恋愛。もちろん得るものもたくさんあったが、やはり年頃の男女がそばにいられないのは相当のストレスだった。それはうるかだけでなく、成幸にとっても。
そんなふたりが同棲するのだ。ふたりとも恥ずかしがりではあるものの、今までそばにいられなかった時間を埋め合わせるかのようにイチャついていた。一ノ瀬学園の友人が見たら卒倒するのでは? と思うほどのイチャつきだった。
× × ×
「ぷはー、ごちそうさま! 成幸、料理上手くなったよね~」
「ん、ありがとな」
キャミソールとホットパンツというラフな格好に着替えたうるかが、成幸の隣で満足気にお腹をさすり、幸せそうな笑みを浮かべる。成幸は料理下手だったが、大学に入ってからの1年間は地道に料理の腕を磨き、うるかと同棲を始めてからの数ヶ月は彼女にも教えを乞うてめきめきと腕前を上げていた。
「最近さー、家に帰ったら成幸がおいしいご飯作ってくれてるんだなーと思うとすっごく楽しみなんだよね」
うるかが嬉しそうに笑い、成幸も笑みを返す。うるかが水泳部の練習で遅くなる平日は成幸が作り、休日はうるかが作ることが多い。食費を抑えることもできるし、ふたりで気兼ねなくいっしょにいることができるからと自炊の頻度は極めて高い。
「まあ、まだまだうるかの腕前には及ばないけどな。うるかの料理、本当に美味いし」
自分の腕前が少しは上がったかな……と思っていても、休日にうるかが料理の腕を振るうたびに実力差を痛感する。うるかが「週に2日しか作らないんだし」と気合を入れて作っていることは知っているが、それでも、今まで積み上げてきた時間の差を感じる。
「……うるか?」
何も喋らない恋人に視線を向けると、成幸をじっと見つめていた。赤らんだ顔、もにょもにょとさせた唇。可愛い。可愛いが何事だろう。
「……成幸、不意打ちで褒めるの反則」
ぽしょりと囁き、成幸にそっとしなだれかかってくる。ふわりと漂う甘い匂いと柔らかな感触。心臓が淡く跳ね、食器を重ねる手つきがぎこちなくなった。
「……しょうがないだろ、本当にそう思ってるんだから」
「……バカ。大好き」
「…………」
「…………」
「…………」
「……そ、そこはなんか言ってよ……恥ずかしくて死にそうなんだけど……」
「す、すまん……」
まるで互いに熱を高め合っているかのように、ふたりとも顔が真っ赤になっていた。
× × ×
片づけと歯磨きを終えると、ふたりはぴったりとくっついてのんびりとしていた。
「そういえば……うるか。今日の練習はけっこうハードだったか?」
「へ? あー……うん、そうかも。強度高めだったなー。なんでわかったの?」
「ご飯食べたあとはいつも眠そうだけど、今日はまた一段と眠そうだから。ご飯を食べて張ってた気がゆるんだのかなって」
「……成幸、あたしのことどんだけ見てんのさ」
およそ2年前、英単語の小テストの勉強をしているときに彼女に言われた「キモいなー」という言葉を思い出して苦笑する。中学のときから好きだったことも告げられているので、あの頃の言葉は照れ隠しだったのだと分かるけれども。
うるかの言葉の続きを待っていると、成幸の手をそっと握り、耳元にそっと顔を寄せてきた。
「……ありがと。大好き」
耳にかかる熱い吐息と、めいっぱいの恋慕の情が込められた声音。思わずぐびり、と喉を鳴らした。
ちらりとうるかを見やると、ほんのりと頬を朱に染め、どこか艶っぽい笑みを浮かべている。照れているのは間違ないけれど、先ほどまでとはまとっている雰囲気が違う。
時間はすっかり夜を迎えていて、明日は大学の講義もうるかの練習も休みだ。必然的に、この後の時間への期待が高まる。
「あー、そ、そうだ。マッサージなんかどうだ? もちろんストレッチもしてるだろうけど」
こなれた男ならば、ここで恋人をそっとベッドに導いて……などといった行為ができるのかもしれない。けれども成幸にはそういった経験が足りなすぎる。だからこうして、徐々にスキンシップを増やそうとする。
ぎこちない遠回しな誘いに、うるかはちょっとだけ目をぱちくりとさせ、「むー……」と片頬を膨らませた。強烈に可愛らしいが、同時に猛烈に申し訳なくなる。どうやら、もっと直接的な行動をした方が良かったらしい。
「そっかー、マッサージね……」
あごに人差し指を当ててしばし考えこんだうるかが、「あ、そうだ」と手のひらに握りこぶしをぽんと乗せる。
「じゃあ……あしを揉んでもらおっかな」
「ん? お、おう、わかった」
上目遣いでのお願いに、鼓動がどくんと高鳴る。すぐに始めるかと思いきや、うるかはするりと立ち上がって「ちょっと待っててー」とリビングの向こうの廊下へ向かった。
「おまたせ!」
「ん、大丈……ぶ……?」
1分とかからず戻ってきたうるかを見ると、かすかな違和感を覚えた。キャミソールとホットパンツ姿なのは変わっていないが、妙に肉感的に見えるのだ。
「なにボーッとしてんの? ほらほら、早く早くー」
「あ、ああ……」
違和感の原因に気付けないまま、うるかがベッドの縁に座ってぱたぱたと脚を揺らす。まるでプールに脚を浸けてはしゃぐかのような仕草に和みつつ、彼女の足元であぐらをかいた。
「それじゃあ先生、おねがいしまーす」
「べつに専門家でもなんでもないけどな……」
苦笑しながら、差し出されたすらりと長い脚のかかとを支える。健康的な日焼けをした小麦色の脚は極めて美しく引き締まっていて、それでいて瑞々しい柔らかさを感じる。中学のときからの友人の身体にこうして触れている不思議さもあれば、この身体でオリンピックに臨むんだな……といった感動もある。
「成幸……あたしのあし、味わいすぎだから」
「うぇっ!? す、すすすすまん!」
気が付くと、まるでお宝の鑑定をするかのようにうるかの脚を撫でていた。
「成幸のエッチー」
「うぐ……っ」
くすくすと笑い、もう片方の足で成幸の脇腹をちょんちょんとつついてくる。可愛らしいいたずらをしておきながら、うるか自身もちょっと恥ずかしいのかほんのりと頬を赤らめている。
「それじゃ、始めるぞ」
これ以上いじられると色々ともたない……と思い、うるかの足裏にそっと親指を押し込む。
「あんっ」
瑞々しい唇から、弾けるように可愛らしい嬌声が漏れた。
「ご、ごめん、なんでもない、だいじょぶだから……つづけて?」
「お、おう……」
口元を手で隠したうるかが促す。緊張で押す場所を間違えないように慎重に足裏を撫で、じっくりとマッサージをしていく。
「あっ、んんっ、んっく、んんっ、ふっ、んふぅぅ……っ」
(は、反応がなまめかしい……)
成幸が指で押し込むときだけでなく、足裏に指を這わせただけでもうるかは色っぽい声を漏らす。
――恋人である武元うるかが、どうやら脚が性感帯のようだと気付いたのはつい最近のことだ。
初めて交わったときは彼女のことをそこまで観察する余裕などなかったし、遠恋中に会ったときは少しでも長い時間肌を重ねることに集中していた。同棲するようになり、いっしょにいられる時間がぐっと増え、交わるときに互いのことをよく見るようになったときに初めて恋人の強烈な性感帯について気付いた。
「……今日の練習、強度高めって言ってたけど……どういうことをしてたんだ?」
足裏からふくらはぎに場所を移し、雑談を切り出す。うるかはぼうっと宙を見つめていたが、成幸の言葉にハッとしてぱたぱたと手で顔を扇いだ。
「んー? あっ、んっく、ふぅっ、んくぅぅ……っ、え、えっと、その……あっ、あっ、あっ……ご、ごめん、話、まとまんない……」
「そ、そうか、うん、大丈夫だ」
「えへへ、ごめんね……あっ、あっ、あっ、あっ……」
うるかが顔を逸らし、びく、びくと身体をわななかせる。
「な、成幸もさ……講義はどうなの? んっく、きょーいく大ってどんな感じなのか、んぁっ、ぜ、ぜんぜんっ、そーぞーつかないんだよね……あっ、んんっ」
(集中できない!)
自分で揉んでおいて何だが、非常に何だが、いつもはハツラツとした恋人が色っぽく吐息を含ませた声で喋るというのは、とても、とてつもなく『クる』ものがある。ごく普通の会話のはずなのに何もかもがなまめかしく思えてしまう。
「そうだな、まだ2年だから講義がみっちり詰まってるぞ」
「そっかー。んんっ、どっちかの大学でお昼をいっしょに食べたりとかしてみたいんだけど……んっ、んくっ」
「出歩いて大丈夫なのか?」
「だいっ、じょうぶっ、しょ……っ。ゆーてただのイチ大学生だし? あっ、んっ、んっ、んっ……」
うるかの声はもちろん、成幸の声も上ずっている。成幸の手が太ももに触れると、うるかのしなやかな身体がびくりと波打った。
「……えっと、その、大丈夫か?」
「んっ、んくっ、うん、ぜーんぜんだいじょーひゃんっ! ……だ、だいじょーぶ……っ」
「……わかった。……さっきの話だけど、大学も近いし、昼休みにそっちに行くくらいならできると思うぞ」
「でもそれだとあんまゆっくりできないっしょ? あたしが空いてるときにそっち行くよ」
「んー……うるかがそれで良いなら。俺もうるかとご飯食べたいし」
うるかの顔がにへっとゆるむ。可愛いなーと思いながらもう片方の足に触れると、ふやけた顔が一瞬で色っぽく変化した。
「うるかの顔、忙しそうだな」
「んっく、んっ、ふぅっ……だ、だれのせいだと……あ、いや、この場合だれのおかげだと……あーもう、なんかよくわかんない……んっ、んっ、んっ……」
うるかが顔を逸らし、ひくひくと身体を揺らす。たっぷりと揉みほぐした脚がすがるように成幸にすりついてくる。
「……終わったぞ」
両脚の太ももまで揉み終えて、平静を装いながらぽそりと呟く。興奮で頭が爆発しそうになっていた。
(……あれ?)
返事がないな……と顔を上げると、うるかは名残惜しそうに成幸を見つめていた。
「……もう少し、してくんない?」
「え? いいけど……どこを?」
首をかしげると、うるかがベッドに後ろ手をつき、ゆっくりと両脚を開いた。扇情的な体勢にごくりと喉が鳴る。
「……ここも、して?」
うるかが指差したのは、両脚のつけ根に近い部分――鼠蹊部だった。
次回の官能パートは6月30日0時に更新します!
できれば毎週更新といきたかったんですが、とてつもなくバタついているため不定期連載になるかと思います。ひとりのヒロインを書き上げたら土日の0時に前後編を掲載、というスタイルで行こうかと思っています。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました(^^)!!