※この作品はR-18です。

眠夢裏   作:ジッキンゲン男爵

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ウルベルト分岐物語#29村瀬文香

「宇留部社長、おめでとーう!」「お、探偵先生昨日結婚したんだって?」「宇留部先生おめでとうございます!」

 表通りに入ると、自分の店の前を掃除している面々に礼を言って回った。店先に店主が出ていないところにも立ち寄った。

 式に来ていない人も当然いて、無事に入籍した事を報告すると祝いに店のものを渡されたりもした。おばあさんの所にも顔を出し、礼を言った。おばあさんはフラミーの写真を飾っておきたいと、やはり孫のように可愛がってくれていて、フラミーは朝からまたうりゅうりゅした。

 

 表通りが終わる頃にはウルベルトは大量の祝いの品を手にしていた。

「皆さんのお陰で無事に嫁取りできましたよ!」

 はっはっはと笑うウルベルトは他所のおじさんと話すモードだった。

「あの、皆さん本当にありがとうございました!」

 フラミーは長い髪を耳に掛けて押さえるとペコペコと頭を下げた。

「村瀬ちゃん、きれかったよ〜。」「おじさん泣いちゃったよ…。」「あれ、お団子やめたの?」

「あ、やめちゃいましたぁ。昨日から下ろす事にしました!」

「それも可愛いねぇ。」「髪下ろしてる方が大人っぽい気がするよ。」「式いけなくて残念だったなぁ。」

「えへ、えへへ。」

 フラミーがふにゃりと人懐こそうに笑うと、おじさん達も釣られてふにゃりと笑った。

「じゃ、俺たちはそろそろ。今後もよろしくお願いします。――行くよ、文香。」

 大量の荷物で両手が塞がれているウルベルトが顎をしゃくると、フラミーはどうしてそんなに自然に名前を呼べるんだろうとまた顔を赤くした。

「は、はひ…あなた…。」

 中通りに消えていく大小の背を見送ると、カフェのマスターはぽつりと呟いた。

「村瀬ちゃんの首もあんな感じかな?」

「きっとものすごい事になってるよ。宇留部社長の比じゃないくらい。」

「探偵先生、本当ベタ惚れだから。」

 両手いっぱいの荷物を抱えているが、一つもフラミーに持たせる様子がないウルベルトの背中におじさん達はアハハ〜と楽しそうに笑った。

 

+

 

「………それで、その首で働くんですか?」

 日下部はウルベルトの首筋に三個ほど付いているキスマースを見ると眉間をおさえた。

「仕方ないだろ。パンみたいに顔交換できないんだから。」

「ご、ごめんなさい…。」

 フラミーは気の毒なほど顔を赤くし、首を竦めた。

 今日のフラミーは袖無しのサマーニットで、一切の透けがない。首にはスカーフを巻いていて、九月の今日の日にはまだ暑そうだ。

「…村瀬さん、ちょっと失礼。」

 日下部はフラミーのスカーフに手をかけた。

「っあ、やだっ。せんぱい、やめてよぉ。」

 ウルベルトは珍しく何も言わずに眺めた。

「良いから俺に見せてみなさい…。」

 日下部はフラミーからスカーフを取っ払うと、ため息をついた。

 フラミーの首筋には――ウルベルトの首にある三個のキスマークが生優しく感じるほどに大量のキスマークがあった。

 ぐるりと一周見て回ると首の後ろにもついていて、日下部はやはり眉間を抑えた。

「…先生、初夜は随分楽しまれた様で何よりです。」

「サンキュー。」

 日下部はフラミーから奪ったスカーフを手にウルベルトの下へ行くと、無言でウルベルトのネクタイを引っ張り出した。

「あ?なんだ?」

「…先生がキスマークつけてたら問題でしょうが。とくに女性のご依頼者様が見たらそれだけで依頼やめますよ。散財した分稼ぎ直さないといけないってのに。」

 ネクタイを取ると、ウルベルトのシャツのボタンを二つはずし、フラミーのスカーフを巻いて軽く結ぶとぎゅうぎゅうとシャツの胸元にインした。ふんわりと広げればアスコット・タイ風だ。

「お、隠れた?」

「はい、これで良いです。村瀬さん、村瀬さんはご依頼者様が来たら資料室で休憩――」

 フラミーは裸にされたのではないかと言うくらい恥ずかしがり、待合ソファで膝とナポレオンを抱えてぷるぷる震えていた。

「――…やっぱり先生のキスマークが見えてる方がいいんでしょうか…。」

 ウルベルトはブッと笑ったが日下部の頭をこんっと叩くとスカーフを外し、震えるフラミーの首に掛けた。

「ははは、日下部に悪気はないんだよ。俺に見えなけりゃお前が隠れてれば済むって、全員が良いように考えてくれてんの。でもあいつ馬鹿だから。」

「…そりゃすみません。」

 日下部の若干不服そうな声を聞きながら、ウルベルトは元のようにフラミーにスカーフを巻き直してやった。

「ほら、もう見えないよ。」

 若干何個か顎の下あたりに見えているが。

「ほんと?」

 嘘をつかない男は言葉を選んだ。

「気にならないって。」

 フラミーはぱぁっと笑った。

「働けます!」

「そりゃ良かった。じゃ、うんたんも働きますか。」

 うんたんは自分の席に戻っていった。

「うんたんってなんすか?」

「うんたんはうんたんだろ?知らねぇの?」

 フラミーはやはり待合ソファで震えた。

 

 ウルベルトは着けるようになった薬指の指輪に若干の慣れなさを感じながら日常に帰った。

 

+

 

 数日後。

 風呂から上がると、フラミーは洗面所で首筋から胸、腹、背中、腰までびっしりと着いていたウルベルトの所有物の証が減った事に歓喜した。

 体のものは消えたが、首についたものはどうも頑固だ。これは一体いつ消えるんだろうかと、一人でひーんと鳴いた。

 ウルベルトの首に付いていたものは一日で消えたというのに。

 フラミーはパジャマを着ると、首に温めたタオルと冷えたタオルを交互に当てた。餡ころもっちもちに教えてもらった痕を早く消す方法だ。気休めでも良いので続けている。

 一人であったか〜いだの、つめた〜いだのと自販機みたいなことをいっていると、ジワリとフラミーを馴染みの腹痛が襲った。

「うっ……せ、せぇりぃ…。」

 来そうな違和感はあったが、始まると途端に痛い。

 フラミーは腹痛に襲われるたびに神様に祈るタイプだ。

 腹痛から逃れようと謝ったり、二度と人に迷惑は掛けないと誓ったりする。

 神との繋がりを感じられないまま、痛みの波が大きくなってくるとフラミーは洗面所を後にした。

 トイレに入り、むんむん唸る。

 あれだけ中に出したが孕んでいなかったようだ。

 そう言えばウルベルトはすっかりお腹の調子が良くなり、一緒に暮らし始めた最初の頃よりトイレに篭ることが俄然少なくなった。

 フラミーはなるべく自分の腹痛から意識を逸らそうとあれこれ考えた。

 しばらくトイレを占拠していると、洗面所にウルベルトが向かう足音がし、引き返してくるとノックが響いた。

『おーい、大丈夫か?』

「だ、だいじょぶです。すぐ出ます。」

 フラミーは朱を流すと支度をしてトイレを出た。

「――あ、生理か?」

 ウルベルトは顔を青くしたフラミーを覗き込んだ。フラミーは恥じ入るように黙ってうなずいた。

「生きてりゃ来るんだからそう恥ずかしがるなよ。孕むの我慢して偉かったな。あったかくしろよ。」

 もじもじするフラミーの手を引いて部屋に戻るとウルベルトは冷房を止めた。

 ウルベルトはソファをぽんぽんと叩き、フラミーはその横に座ると膝を抱えて丸まった。

 唸りながらフラミーは少し揺れた。

「寒くないか?」

「平気です…ごめんねぇ。ぐずぐずして。」

「良いよ。ゆっくりしな。なんか液食食う?温めてやるから。」

 ウルベルトはそう言って立ち上がると、ふとフラミーのタンスの上に何か紙が乗っているのが見えた。

「――ん?戸籍?」

 婚姻届提出時に出したはずの古い戸籍謄本だった。

「はひ。最後の村瀬の戸籍、残しておこうと思って。二通とっておいたんです。」

 青い顔で笑うフラミーの背を叩いてやるとウルベルトはタンスに向かった。

 新しい戸籍謄本には宇留部文香-URUBE FUMIKAが載り、村瀬文香の名前はもうどこにもない。

「そっか、大事にしないとな。そうだ、額かなんかに入れようか。」

「えへへ、クリアファイルのままで十分ですよぉ。」

「良いから良いから。」

 そう言ってフラミーの古い戸籍を手にしたウルベルトは村瀬文香の名前を見ると、頭の中を強烈な既視感が駆け巡った。

(…なんだ?)

 村瀬文香-MURASE FUMIKAを食い入るように見ていると――ウルベルトの手は震えた。

「ま、まさか…。」

「ん?」

 ウルベルトは村瀬文香の戸籍を手にキッチンカウンターに向かい、置いてある手帳を開いた。

(馬鹿な、馬鹿な。こんなの絶対たまたまだ。)

 開いたページにはモールス信号とFUKAMA SUMIREのメモがとられていた。以前日下部に粉々にされたパズルのピースがピタリとはまり直した。

 FUKAMA SUMIREから一文字づつ分解していく。

 FUKAMA SxxIRE――MU

 FUKAMx SxxIxE――MURA

 FUKAMx xxxIxx――MURASE

 xxKAMx xxxIxx――MURASE FU

 xxKAxx xxxxxx――MURASE FUMI

 xxxxxx xxxxxx――MURASE FUMIKA

 ウルベルトはポロリとペンを落とした。

 名前以外の情報を消されていた、生まれた日すら分からない捨て子。

 通常のコネクターとの接続を可能とする見たことのないコネクター接続端子内部。

 龍巳のこぼした特高深間班、深間の残した箱と言う言葉。

 あの特高を以ってして見付けられないが、確かに存在する謎の箱。

 世界を転覆させる力。

 

「……文香、ごめん…俺少し行かなきゃ…。」

 お腹が痛そうなフラミーは首を傾げた。

「こんな時間にどこに?コンビニ?」

 ――あぁ、そうだよ。

 そう言えたら、どれだけ楽だろう。

 生涯嘘いつわりなく誠実であることを誓ったウルベルトは静かに首を振った。

「ごめん。俺事務所に取りに行かなきゃいけないもんがあるんだ。」

「事務所に…?明日じゃダメなんですか?」

「…ベルさんからの預かり物で、今すぐ取りにいかなきゃいけないんだ。」

「うーん…。じゃあ…仕方ないです。」

「ごめんな、お前はあったかくして――先に寝ててくれ。」

「待ってますよ。あ、一緒に行きましょうか!」

「だめだ。お前は調子も良くないだろ。寝ててくれ。」

 ウルベルトは嫌に真剣な雰囲気だった。

「でも――…ううん。じゃあ…早く帰ってきて下さいね。」

「走って帰ってくるよ。フラミー、俺が帰ってくるまで絶対に扉を開けるな。誰がきても、絶対にだ。約束守れるか?」

「誰か来るの?」

「来ない。来ないけど、もし誰か来ても居留守しろ。俺は自分で鍵を開けて入る。お前は何があっても扉を開けないと誓え。」

「むぅ…分かりました。」

「良い子だ。待っててくれ。すぐに帰る。」

 ウルベルトは頭をぐしりと撫でるとカバンを引っ掴み、電気を消した。

「…悪いんだけど、電気も俺が良いって言うまでつけないでくれるかな。」

「…じゃあ、ユグドラシルしてても良い…?」

「あぁ、良いよ。それが良いな。」

 微笑むと駆け足に出掛けて行った。

 

 ウルベルトは、フラミーの生まれる元旦の前の十二月が誕生日だった女達――死んだり特高に連れて行かれたりした女達のことを考え胃がひっくり返りそうだった。

 近頃特高案件で生きて見つかる者が少ないと毒吐いたが――(ベルさんが行き着いた"深間菫"の情報に特高も辿り着いてる…。)

 もし、万が一特高が探している女がウルベルトの思った通りなら、フラミーはどうなる。

 辺りには毒霧が立ち込め始めていた。

 静かに暮らしてきたフラミーの戸籍が動いた事でその名が誰かの目に留まってしまったら――。

 いや、名前が変わったことでウルベルトと同じことを考える者が減ると言う可能性の方が期待できる。

 電車に乗り、事務所に着いたウルベルトは電気もつけずに応接セットのソファの座面を上げた。

 ひっくり返し、中に入れ込んだケーブルを取り出す。

 ウルベルトは嫌な動機を感じたままそれを鞄にしまった。

 静寂の事務所でソファを戻すと、数秒放心した。

(……深間の残した箱…。)

 これで万が一箱が開いてしまったらフラミーは二度と日の目を見れないのではないか。

 いや、開かれなければ開かせまいとする者たちがいつかは現れるのか。

 ケーブルの回収をしたウルベルトは何をどうすれば良いのか分からなかった。

(と、とにかく帰らないと…。)

 鞄を大切に抱えたウルベルトは事務所の外に出た。

 夢中でここまできたが、夜中の戸外は残暑にじりりと暑く、更に毒霧が蔓延していた。

 鍵をかけ、マスクを着けると喉が少し痛くなっていることに今更気がついた。

(…少し吸いすぎたな…。)

 ンンッと喉を鳴らし、ウルベルトは早足で駅に向かい、いつもの駅員と頭を下げあって電車に乗った。

 電車の中はひんやりと涼しかった。

 搭載されている空気清浄機がブォーと音を立てて回っている。

 暑苦しいマスクを取りたいと思ったが、すぐに下りるべき駅に着いた。

 いつもと変わらない道のはずなのに、今日はどの路地にも何者かが潜み、自分を監視しているように感じた。

 マンションに着き、窓を確認するとウルベルトの部屋はきちんと電気が消えていた。

 安堵し階段を上がっていく。

 鍵を取り出し玄関を開けると、ウルベルトは困ったように笑った。

「フラミー。」

 廊下で膝を抱えて座っていたフラミーは顔を上げた。

「ウルベルトさん…。」

「ごめんな、ただいま。ユグドラシルはしなかったのか?」

 扉を閉め、マスクを外しているとフラミーはボフッとウルベルトの胸に飛び込んだ。

「ねぇ、ウルベルトさん…。ベルリバーさんってどこに行っちゃったの…?」

「…遠くまで。しばらくは会えないよ。」

「…だからうなされてるの…?」

「……うなされてる?俺が?」

「うん。たまに、ベルさん、ベルさんって…。」

 ウルベルトは自分の迂闊さに嫌気がさした。

 言葉を選び、慎重に話す。

「俺、ベルさんに次に会う時までに一つ夢叶えなきゃなんないんだ。だから、ちょっと焦ってベルさんのこと呼んだりしてんのかも。」

「ウルベルトさんの夢?」

「そう。俺と、ベルさんと、お前が会った事のないナインズ・オウン・ゴールにいた人と見た夢。」

 そう言うとウルベルトは数度苦しげに咳をした。

「ウルベルトさん、マスクしなかったの?大丈夫?」

「――ンンッ…あぁ、平気。俺はもっかい風呂入るよ。」

「うん…。」

「拗ねんなよ。はは。」

「拗ねてないですもん…。」

 ウルベルトはフラミーを撫でるとひらひらと手を振り、洗面所に消えて行った。

 

+

 

 風呂を上ると電気をつけて良いと言わなかったせいか、部屋は真っ暗だった。フラミーはベッドの上で冬眠中の子熊のように丸くなって寝ていた。

 ウルベルトは無言で鞄からベルリバーのケーブルを取り出し、こちらを向いて眠るフラミーの顔の横に座り、髪を避けると首にあるコネクターをパチリと開けて覗き込んだ。

 ケーブルは細く、普通の接続のコネクター端子とはまるで違う。

 噛み合うはずがない。

 普段フルダイブマシンでゲームをするときに挿すコネクターも、病院や税務署、役所で挿されるコネクターももっと太い。

 規格も決まっている。

「………。」

 ウルベルトは震えそうになる手でこちらを向いて眠るフラミーの首の後ろに入れた。

 ――スカスカだった。

「…全然あわねぇじゃん。」

 ウルベルトは自分の突拍子もない考えに少し笑った。

「はは。ま、そんなの都合が良すぎるよな。」

 何ちゅう偶然だと心が軽くなった時――それはカチリと軽い音を立てて噛み合った。

 絶望とは随分安っぽい音がするらしい。

 ウルベルトは接続口の下の方に挿さった細いケーブルを前に、言葉を失った。

 フラミーが「んん…」と声を上げるとハッと我に返った。

「……はぁ…うんたん…?」

「…俺だよ。」

「…良かった…ここにいてね…。」

「…あぁ、ずっと一緒にいるよ。」

 頭を撫でてやり、再び眠りが深くなるのを待った。

 安定した寝息が上がるとウルベルトはフゥー――と長い息を吐き、覚悟を決めた。

 静かにベッドを離れ、無線LANやWiFiの電源を切った。

 パソコンを立ち上げ、間違えて繋がらないようにネットワーク回線の検索機能を切る。

 ウルベルトはフラミーの隣に座り直し、フラミーに繋がる端子の端をパソコンに繋いだ。フラミーの肩の上をケーブルが渡る。

 デバイスドライバーのダウンロードの許可のポップアップにYESと答え、バーが進んでいくのを眺めた。

 パソコンはピ…ピ…とたまに鳴り、ガリガリと読み込みを進めた。

 無限に感じる時間が流れ、バーが100%を示すと、画面は真っ青に変わった。

「…え?」

 ブルースクリーンの中には突如としてびっしりと白い英字が表示され、一気に流れ始めた。

「あ、お、おい。ちょ。」

 ウルベルトは慌ててキッチンカウンターに置かれているフラミー手帳を取り、画面を滑る文章を少しでも残そうと単語をメモした。

(あぁ!もう!!)

 文章の流れは速すぎた。まともに一文として書き留められず、残せるものもないままに必死に書きつけていると、文字はぴたりと止まった。

「――パスワード音声の入力、または、管理者のダイブコネクタ接続の要求…。」

 パスワードはわからない。読み上げたウルベルトはキッチンカウンターに置いてあるフルダイブシステムのヘッドギアを取り上げ、ダイブ用のコネクターを抜いた。

 片側をパソコンに繋ぎ、もう片側を自分の首の後ろに繋いだ。

 カリカリとパソコンから音がすると、数秒の後にウルベルトのマイナンバーと、父親が世帯主の古い戸籍が画面に表示された。

 間髪入れずにこれまで登録してきた筆跡証明や、住民票、運転免許証、納税履歴、確定申告などの税の支払い情報が登録された時系列順に次々と表示されていった。

 ウルベルトは爪を噛みながら様子を眺めた。

 画面の明かりだけがその焦りと当惑に彩られた顔を照らした。

 最後に、宇留部透が世帯主になった、文香の名前が載った一番新しい情報が表示された。

「………。」

 何者かに全てを見られているような居心地の悪さを感じていると、全てが閉じられていった。

 ――そして、知らぬ男女が画面の中に映された。辺りは綺麗な場所だった。アーコロジーではなさそうなのに、汚れた空気の上にはほんの少し青い空があった。まだ今より空気が綺麗そうだ。

 

『結婚おめでとう、菫。これを開く日が来るなんて。』

『大人になったのね。きっと綺麗になったんでしょうね。』

 

 ウルベルトは慌ててイヤホンを繋ぐと、画面を食い入るように見つめた。

 

+

 

「洋輔、もう時間ないわよ。」

「わかってる…。」

 深間洋輔は赤ん坊のサテライト室で、生後一ヶ月の娘のコネクター端子の中身を付け替えていた。

「…もう行かないと!」

「わかってる!」

 焦れば焦るほどに手元は狂った。洋輔は汗を拭い、最後の手順を完了させた。

「――付いた!」

「早く!」

 深間紫音は生まれたばかりの深間菫を抱き上げ、洋輔は辺りの散らかした物を急いで回収した。

 二人はあらかじめ菫の戸籍情報を書き込んでおいた――拐ってきた身寄りのない新生児に菫のバンドを着けさせ、本当の菫の替わりにその場に残し「――ごめんね…」――病院を出た。

 

 長年特高で思想犯の取り締まりをしてきた二人は警察大学校の頃からの付き合いだ。思想適正や能力適正が合い、高等偵察評価局特別情報保全二課に配属させられた。

 アーコロジーで育った二人は、人類が人類らしく暮らす最後の砦であるアーコロジーを守り、世界秩序の祖たる巨大複合企業を守り――世界の調停者として、世界を汚す者(・・・・・・)を裁いてきた。

 時に殺し、時に拐い、時に拷問した。

 洋輔の調査方法、手腕はどれもお手本のようだった。

 多くの思想犯に裁きを下し、いつしか洋輔はその働きを認められ、班長になった。

 その班には昔馴染みの牧野紫音も配属され、二人は恋に落ち、結婚した。

 深間班と呼ばれるようになった班は数えきれないほど複合企業から表彰された。

 ――しかし、表彰されればされるほどに二人は疑問を抱いた。

 表彰された数だけ思想犯や反逆者を葬り、証拠やまずい情報を押収してきた。

 押収には当然確認作業が行われる。知れば知るほどにその二人が守ろうとして来たものの間違いに気付き――同時に、これまで顧みる事のなかったアーコロジーの外の生活に触れた。

 神の代行者として裁きを続けてきた二人は自分達が新しい命を抱えた時、決断した。

 

 世界はこのままではいけない。

 

 多くの命を奪ってきた二人だったが、いつでも正義を行いたいと思っていた。それは、班員の誰もが同じことだった。

 紫音は腹が大きくなっても働いた。働き続けた。

 深間班はこれまで働いて手に入れ続けて来た巨大複合企業の漏れてはまずい情報をまとめていった。

 自分達でも中枢へ潜り込んでは情報を盗み出した。

 思想犯だと報告の上がって来た者達を見逃し、逃亡を助け、何食わぬ顔をして情報を集める日々。

 ついに情報収集のゴールが見え始めたある日、紫音は無理がたたったのか予定日よりもよほど早く娘を産んだ。低体重児として生まれたその子は菫と名が与えられた。

 かつて夏目漱石は"菫程な小さき人に生まれたし"と詠んだ。

 小さく可憐な菫だが、アスファルトの割れ目からでも咲ける力強さを持っている。もう一度生まれ直すなら菫のような人に生まれたい。小さく目立たない菫だが、懸命にひっそりと力を尽くす、そんな人生を――そう言う句だった。

 入院している菫の――いや、紫音の下には毎日深間班が集った。班の朝礼はそこで行われ、皆で世界にあるべき本当の秩序を、世界の新たな礎を、真実の平和を生み出そうと、本来の特高の歌から少し変えられた――世界の希望の歌を歌った――。

 

 ある情報を少し強引な手口で手に入れた頃、深間班の者は一人、また一人と消えて行った。

 突然の班移動、出向、数名の遠方への任務――。

 洋輔と紫苑は班員がもう帰らぬ事も、自分達がもう助からない事も理解した。

 今すぐにでも情報を世に――そう思ったが、盗み取って来たばかりの、確実に世界を変えるのに必要な情報の開封と解析が終わらなかった。盗み取った情報には厳重な鍵がかかっていたのだ。膨大な情報の開封・解析には年単位の時間が必要だろう。

 しかし、もはや二人に時間の――命の猶予はない。

 二人は情報をまとめた禁忌の箱の完成が自動で済まされるように手配を進めた。

 クラウドに残して削除されることや、物理的な手段で破壊されること、エネルギーの供給が絶たれて情報解析が止まってしまうことを恐れた二人は愛娘を箱にすることに決めた。

 そして、一月の雪の降る日、箱となる菫に新しい名前を与えた。

 Fukama Sumire――その名前の中に真実の名前を持たせ、Murase Fumikaと書き込んだ。

 生後一ヶ月程度経っても菫はまだまだ新生児のように小さかった。

 箱が箱として完成する時、果たして箱は世界を救う希望として迎えられるか、世界を破壊する悪魔として迎えられるか――。

 

+

 

『――菫の中で解析が終わる頃には僕たちはもういない。でも、これを見ていると言うことは解析が終わって箱が開ける状態にあるはずだよ。』

『箱はあなたか、あなたの家族にしか開けることはできない。開く時には失うものも数えきれない程にあると思うけど――どうか、後悔しない道を選んでね。』

『僕たちは未来を生きる菫が――いや、文香が今のままで良いと思うなら、それも一つの選択だと思っているんだ。この世界をあるべき姿にしたかったのは…この汚れきった世界で、汚れきった僕らから生まれてしまった君を、少しでも綺麗な場所に辿り着かせてあげたかったからと言うのもあるんだよ。――文香、僕らはいつでも君の生きる道が美しい事を祈っているよ。』

『文香、愛してるわ。あなたの髪を結ったり、一緒にお洋服を買いに行ったり、喧嘩したりしたかった。』

『今の文香は結婚してるんだよな。はは。きっと紫音に似て美人になるから、モテたんだろうな。…菫…ちっちゃくても、どうか綺麗な紫色の花を咲かせて。いつまでも幸せに。』

 二人はフラミーとよく似た顔で泣きそうに笑うと、深呼吸した。

『『この後、処理を続けたら近くの回線に接続して世界中にむけて箱は開かれる。そうすれば全てが変わる。よく考えなさい。』』

『さようなら、僕の深間菫。元気で、僕の村瀬文香。』

『さようなら、私の深間菫。元気で、私の村瀬文香。』

 

 動画が終わると、Do you want to proceed?(続行しますか)とポップアップが表示され、ウルベルトは迷わず「いいえ」を選択した。

 その目には止まらない涙が溢れていた。

「……勝手すぎんだろぉ…あんたらぁ…。」

 フラミーを連れて逃げて欲しかった。

 箱を巡って数えきれない命が散った。

 実際に箱の謎に近づいた者も、そうではなかった者も。

 逃げて逃げて、フラミーを愛し抜いて、逃げた先で自分達で箱を開けて欲しかった。

 ――しかし、新生児に近い赤ん坊を連れてそんなことが出来るのは漫画の世界だけだろう。息を潜めることの出来ない菫を連れて行くなど、夢のまた夢だ。

 フラミーを確実に生かし、世界を次の世代に託すことを選んだ二人は、今のウルベルトとそう歳は変わらなそうだった。

 ウルベルトは遣る瀬無さに唇を噛んだ。

 

 下手に深間菫を探さなくて良かった。その名を深掘りしていればすぐに特高に絡め取られていた気がする。

 

 そして――調べずともわかる。深間菫の名を書き込まれ、フラミーの代わりに置いていかれた子供は恐らくすでに殺されていることが。

 しかし、再び特高が十二月に生まれた目ぼしい女を探している今――深間菫が生きていることは特高F班の中ではもはや常識に違いない。

 もしかしたら、ベルリバーがフラミーの歌った深間班の歌を調べたせいで深間菫の生存をF班に決定付けさせたかもしれない。

 箱を追うF班――深間事件担当班と言ったところか。

 龍巳は警察内部でも都市伝説的存在になっている深間班と言っていたが、皆が消えてしまったせいでそう言う扱いになったのだろう。

 龍巳は「深間事件から手を引きなさい。あんなものが生む世界にはどうせ価値なんかない。」と言っていたが、箱の中身をどれくらい知っていたのだろう。

 全ては離反で始まったことだ。詳しく知る者は当時所属していた者達以外にはいない気がした。知って、それを手に入れて離反する者が出ることは避けたい筈だ。

 龍巳は「人が人を殺し、騙し、傷つけ合うことでしか手に入れられない箱で生む世界に価値はない」そう言いたかったのだろうと思えた。

 

 世界を転覆させる力だと誰もが言うが――この力が想像より弱ければ、情報の開示を行った時、深間菫への苛烈な制裁が待っているだろう。

 完全に巨大複合企業を転覆させられなかった時に取り返しが付かない。

 

 ウルベルトは箱に関わる世の中に散らばるあらゆる情報の秘匿、始末を決めた。

 フラミーの敵は特高だけでなく、箱を追う全てだ。

 ウルベルトは目元を拭うと落ち着け、落ち着け、と念じる。

(……名前が変わったのは好都合だ。村瀬文香の生まれた日にされた戸籍もまんまと翌年。)

 戸籍は医師の立ち合いの下、家庭裁判所から許可が降りて取得しているはずだ。まさか一ヶ月もずれて戸籍と新たな名前を手に入れているとは特高も思うまい。これまで捕らえられていた女達は皆十二月生まれ。恐らく深間菫の――フラミーの本当の生まれた日はあの女達の誕生日の前後。

 付いている。隠し切れる。守り抜ける。

 

「泣かないで。」

 

 ウルベルトの息は止まった。




ふらら…(´;ω;`)
紫色の悪魔の王は世界を破壊する神の敵対者だったの…

次回#30きみのため
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