「そんじゃ、俺達はちょっと行って来るな。」
ウルベルトと日下部はフラミーにコートを着せられ、本日必要な装備を持たされると事務所の扉に手を掛けた。
「はーい!いってらっしゃぁい。」
「「行ってきまーす。」」
フラミーに手を振られ、ウルベルトと日下部は出かけて行った。ウルベルトの足取りは軽い。
フラミーは事務所の窓から二人が見えなくなるまで手を振り、二人もしつこく何度も振り向いて手を振り返した。
すっかり姿が見えなくなると、相談者を迎えるための事前準備を進めた。
年末に三人で一生懸命大掃除をしたが、事務所はピカピカから普通クラスまで落ちた。季節は春に湧く四月だった。
フラミーはくるくると掃除に資料整理にと忙しく動いた。
給湯室にある冷蔵庫の中を確認する。
昼に食べる液状食料がもう少なかった。
自分の手帳にメモを取っていると、事務所の扉が叩かれ、開いた音がした。
フラミーは急いで給湯室を出ると男性が来ていた。今日は予約はもうない。
早足で扉の方へ近付くとフラミーは頭を下げた。
「いらっしゃいませ。お待たせいたしました。本日はご相談ですか?」
顔を上げると男性はジッとフラミーを見てから軽く事務所を見渡した。
「どうも。宇留部先生は――いらっしゃらないですね。」
「申し訳ございません。宇留部は出ておりまして、戻るのは十七時頃になります。ご相談内容を簡単にお伺いする事でしたら私でもできますが、如何なさいますか?」
男性は右腕にする腕時計を――スマートウォッチではなかった――確認した。
「…後二時間か。では…相談しても?」
「もちろんでございます。どうぞこちらへ。」
応接セットの上座を勧めると、左腕が不自由なのか右手だけでコートを脱ぎはじめ、フラミーは男性のコートに手を掛けた。
「失礼します。」
「助かります。」
脱がせると――男には片腕がなかった。
フラミーは生まれて初めて体が欠損している人を見た。
「恐ろしいでしょう。」
「――いえ!もっと早くお手伝いすれば良かったです。お気付きもしませんで。」
今時車椅子に乗っている人も少ない。義手や義足はコネクターに繋げば思い通りに動くのだ。
「それは――ありがとう。」
「とんでもありません。お茶をお出ししますから、少々お待ちください。」
フラミーは一声掛けお茶を淹れに行った。
慣れた手付きでお茶を淹れると、バインダーに挟んでおいた相談シートを手に男の前に座った。
「お待たせいたしました。本日ヒヤリングを行います文香と申します。よろしくお願いいたします。」
深々と頭を下げる。頼りなさそうに見えないよう気を付けた。ウルベルトに一人でヒヤリングする時は注意するようにと言われている。
そして宇留部と名乗るのはややこしいので、村瀬と名乗りたかったが、ウルベルトにそれはダメだと言われた。苦肉の策として名前を名乗っている。
人によっては名前みたいな名字ですねと突っ込んで来る人もいて、訳を話したりもする。――そう言う会話から入れた方がお互い気持ちがほぐれて良いこともあるのだが。
「ふむ、フミカさん。よろしくお願いします。」
「はい!ではまずはお名前から頂戴いたします。」
バインダーを抱え、カチリとペンをノックすると、ささっと本日の日付を書いた。
「――あなたはいつからココで働いているんですか?歳は?」
質問にまるで違う質問で返され、フラミーはバインダーから視線を上げた。
やはり頼りなさそうだったかなぁと反省する。
「二月で丸二年になりました。」
そう言うと少しでも大人に見えるように背筋を伸ばし、胸を張ってから歳を告げた。
「そうですか。二年。私が宇留部先生との付き合いがなくなってからですね。」
「あ、宇留部とお知り合いでしたか。」フラミーは手にしていたバインダーとペンを下ろした。「以前のご相談内容を探して参りますので、お名前だけ先に頂戴してもよろしいでしょうか?」
「いやいや、知り合いなだけでまだ依頼した事はありませんから。それより君、ご両親は?」
「私ですか…?親はいません。孤児院育ちですから。あの、私、頼りないですか…?」
どこか剣呑な輝きがフラミーを捉える。物腰は柔らかいが怖そうなひとだなぁとバインダーで顔を半分隠した。
「えっと、お名前は…?」
「あぁ、失礼。名前は――そうだな…。では、二階堂で。」
「ニカイドウ…様。はい、下のお名前もよろしいですか?」
「それはまた宇留部先生がお帰りになったらにします。今日は人を探しに来たんです。」
フラミーは人探し…と呟きながらシートに丸をした。
「探しているのは深間と言う女性です。」
フラミーはハッと二階堂の顔を見た。
それは確か、電話があったらすぐに連絡するように以前言い含められた名前だ。ウルベルトに連絡しなければ。
「――…その顔…やはり。」
「あ、すみません。少し宇留部に連絡をしても?」
「いや、待ちなさい。それには及ばない。」
フラミーは取り敢えずフカマと名前をメモした。
「私は以前、宇留部先生に大事な話をしたんです。宇留部先生はその話を聞いて、人を使ってうまく情報を集めていたみたいなんですよ。」
「それは何よりです…?」
フラミーがよくわからない返事をしていると、二階堂が立ち上がり、フラミーを見下ろした。
フラミーは本能に――逃げ出せと告げられた。
「流石に最前線で動き続けている宇留部先生には敵わなかったようだ。しかし、私でもF班があれだけ活発に無戸籍の女を攫い初めれば嫌でも情報が手に入るし、一つの答えに行き着く。」
フラミーは近付かれると後ずさるように少しソファの上を移動した。バインダーを抱え、何か得体の知れない事を語る男を見上げた。
「あ、あの…お掛けください…。」
「長生きできるように手を引けと言ったのに。しかし、宇留部先生は私が思っていたよりも優秀で――非情な方のようだ。私の告げたパーツを短時間で集め、協力者達を生贄に……君がここに現れたわけだ。」
「…す、すみません。やはり…宇留部を――」
「良い。君がいれば十分だ。宇留部先生がどうやって見付けたのかは多少興味があるが。」
二階堂はフラミーからバインダーを取り上げると放り捨てた。
「っひぅ!」
ガランガランと大きすぎる音が事務所に響くとフラミーは慌ててスマホを取り出した。
「ウ、ウルベ――い"っ!!」
片手で容易に捻りあげられた手からスマホがポロリと落ちると、二階堂はそれを蹴り飛ばし、応接セットのソファの下に滑って消えた。
「抵抗するな、知っている事を教えろ。」
グイッと押し込められるとソファにフラミーは容易に押し倒された――。
フラミーはただ恐ろしくて、掴まれている手をもう片方の手で離させようと掴み返すことしかできなかった。
「はなして!はなして下さい!」
目の端に涙が浮かび、恐怖に彩られた顔は、嘘くさいほどに無垢だった。
「素人みたいな顔をして…!ここまでF班を掻い潜って来ただろうに!お前の存在はあまりにも不自然だ!!」
「っし、知りません…!えふはんって何なんですかぁ…!」
「F班が女を探し始め、私の情報を手にした宇留部先生が突然どこかから連れて来たその歳の女が無関係な訳があるか!しかも孤児だとぉ!?それまで宇留部先生の周りにお前は一度も現れたことがない事は解っている!!我々は協力し合っていた間互いを調べ、時に監視してきた!!ここはさぞかし特高の動きがわかる良い場所だったろう。――箱はどこだ!!」
箱――。
「…箱は見つかったんですね?」
ウルベルトは静かにうなずいた。
「…箱ってなんなんですか…?」
ウルベルトは首を振った。
フラミーの中にウルベルトとのやり取りが浮かんだ。
「は、箱…箱は…。」
「そうだ、箱は!宇留部先生が開かないのは何故だ!!」
ハッとするとフラミーは首を振った。
「わ、わかんない…!私は箱のこと、何も教えてもらえてないんですよぉ!」
「…隠し立てするか。宇留部先生は女に手を上げない主義だろうが、私は元高等偵察評価局特別情報保全二課だ。拷問も殺しもやって来た。そのやり方では誤魔化されんぞ!」
フラミーは泣きそうになりながらひぅひぅと呼吸した。
「っうぅ…本当に…わかんないの…わかんないの…。」
「宇留部先生はそれで納得したか?最後の詰めが甘い人だ。それとも、情報を共に隠すことと引き換えにここで静かに暮らさせろと宇留部先生と取引したか?いくら積んだ!!」
「…私なんにもしらないの…!お仕事も…受け付けだけで…本当に…!」
ソファの上で馬乗りにされるとフラミーはギュッと目を閉じた。
「F班があれだけ必死に追うお前が何も知らなければ、それの方が問題だろう!何人死んだと思っているんだ!――深間菫!!」
二階堂の手を掴む力が強まり、グリッと肩を回され両手を頭の上で押さえ付けられると、恐怖に荒くなる呼吸が胸を激しく上下させた。
「し、しらないっ…しらないひとです…!」
「知らない奴が深間の名前を聞いて――箱と聞いてあの顔をするか!ッチィ、接続すれば移動データが残るが――腕をするしかないか…!」
二階堂はフラミーを離し、自分の座っていたソファの隣に置いた鞄を開けると義手を取り出した。
フラミーは慌てて起き上がると自分のデスクに置かれている事務所用スマホを取り、ウルベルトに電話を掛け――ようとしたところで両手は再び捕まえられた。
「っひっ……やめて下さい…!本当に何も知りませんからぁ!」
掴まれた手はビクともせず、左手を掴む手は金属の輝きに彩られていた。
「やめて欲しかったら話せ、深間。お前は箱のありかを知っているはずだ!親が残した何かを持っているはずだろう!!」
「私は孤児なんですよぉ!!」
「尚更だ!!」
そう言った瞬間フラミーは体の向きを変えられ、デスクに寝かされた。蹴ろうとジタバタすると脚を割られ、膝の間に身を寄せられるとフラミーは一層身をよじった。
義手で両腕が押さえつけられるとフラミーのデスクの上の物が日下部のデスクへザラザラと追いやられていった。
「じっくりやるしかないか…!」
二階堂はポケットから小さなボトルを取り出した。
「な、なに…?なに…?やめて下さい…おねがい…。」
「話すならすぐにでもやめる。」
「でも…何も知らないのに…!」
「ッチィ!」
ボトルのキャップを口で開け、ペッと落とすと、義手でフラミーの顎を掴んだ。
「もう一度聞く、箱はどこにある。もしくは深間の残した鍵はどこにある。」
「…い、いや…とぉるさん…。」
「とおるさん?――…宇留部透か。宇留部先生のお戻りは十七時なんだろう。」
フラミーは顎を持掴む手に噛み付いたが、義手は冷たいばかりで、相手も何も感じていないようだった。
「飲め。」
開けられた口に向かって真っ青な液体が入れられると鼻を摘まれた。
「ッン……!!」
「窒息する前に飲め。大切な情報源を私は殺したりしない。」
フラミーは暫く我慢するとッガハと息を吐き出し、液体を飲み込んだ。
「ッングッンッグ…っんはぁ"!」
目の前がすぐにぐにゃりと歪み始めると、フラミーは強い恐怖感を覚えた。
「言え、深間。箱はどこなんだ。」
「なにも…わかんない…ふかまじゃない…。はこ…みつかってない…。みつからなかったって…とおるさん…いったもん…。」
いや、箱はウルベルトが見付けたはずだ――。
(…箱は開かれない。俺はこの期間何も見つけられなかった。)
ウルベルトは日下部にも箱を見つけたと言わなかった。言ってはいけない事だとフラミーには解った。
しかし、脳みそが溶けていくようだった。
「見付けられなかっただと?お前はなにを宇留部先生に教えた。宇留部先生に分からなくても、我々ならわかるかも知れん。情報を渡せ!」
「…わたしは…なにも…なにも…。」
「…随分強情だな。」
事務所の外を人が歩く音がすると、フラミーは朦朧とした意識の中、浮遊感に襲われた。持ち上げられたのだとわかるとジタバタと暴れた。
「っおろして!おろしてください!しらないから…何もおしえてあげられないの…!」
そう言っていると応接ソファに下され、二階堂に跨がられるとフラミーはまた身を捩った。
「やだよ、こわいよぉ、しらないのにぃ!ほんとにしらないのにぃ!やめてよぉ!!」
「
「――ッン…ウゥッ!」
口に布が当てられ、ギュと首の後ろで結ばれた。
「――ッンッグ…ッウゥッン…!」
「話す気になったらうなずけ。」
フラミーはすぐにうなずいた。
二階堂は胡散臭いものを見るような目をすると轡を緩めた。
「ッハァ!!とぉるさん!!とぉるさ――ッウゥ!!」
「…気持ちを折る所から丁寧にやらなきゃならんか。若い女相手に気分が悪いな。しかし――箱のためなら仕方ない。」
男はフラミーの服をたくし上げ始め、フラミーは絶望的な顔をした。
胸の上まで持ち上げられると、握り拳をトン…と腹に乗せた。
「私の拳がここに降り注げば、女の内臓なんて簡単に弾ける。お前達は脆いんだ。」
「ッウゥ…ッウゥゥ!」
フラミーが首を左右に振ると二階堂はもう一度同じことを告げた。
「話す気になったらうなずけ。」
フラミーはボロボロと涙をこぼし二階堂を見つめた。
「…いつまでも待ちはしない。話すか?」
腹からあげられた拳はトン…と鳩尾に乗せられた。ブラジャーの下線に拳が触れた感触がした。
フラミーは再びうなずいた。
轡を外すと、その口からは謝罪が漏れ出た。
「っうぅ…とぉるさん…ごめんなさい…ごめんなさい…。」
「言う気になったか?宇留部先生も聞いたら喜ぶ。」
「あなただけに…あなただけを…あいしてるのに…うっうぅ…。」
「……は?」
「ごめんなさい、よそのおとこのひとに…はだ…触られた…ごめんなさぁい…。っふぁぁ…っふぇっ…ひッ……ひぅ…。」
「…何だ…?鉄拳よりただ触られるのが嫌なのか…?」
力の入らない体で服を戻そうとするフラミーの手を払い除けるとフラミーはしゃくり上げた。
「やってばぁ!っふえぇ…ごめんなさい…ごめんなさい…あなたぁ…。」
「……お前、宇留部先生の一体何なんだ…?」
「っうぅ…つまなの…つまなの…。」
「宇留部先生に金を積んだ偽装の結婚だろう。それとも
「とぉるさん…あいしてるの…あいしてくれたの…。」
フラミーがそう言っていると――ッバァン!と扉が開いた音がした。
「――宇留部先生か…?」
「とぉるさん…とぉるさん…。」
応接セットから視線の通らない入り口から「フラミー!!」「文香さん!!」と切羽詰まった声がした。
フラミーは合わせる顔もないなぁと漠然と思い、自嘲した。電話はつながっていたようだ。
体はどこまでも言うことを聞かず、フラミーはだらりと転がったままだった。
「宇留部先生、早かったですね。今深間菫に吐かせ――」
「――――ッッ!袖無しぃ!!!」
二階堂に全てを言わせる前にウルベルトはフラミーに跨る二階堂の事を引き立たせ、握りしめた拳で顔を殴り付けた。
「ッ――っく、血迷ったか!宇留部先生!!」
二階堂は鼻から血を垂らし応接用のローテーブルの横の壁にもたれた。
ウルベルトははだけて小さな呼吸を繰り返し、ぼんやりとウルベルトを眺めるフラミーにジャケットをかけた。
「ふらみー!ふらみー!!――日下部!!警察呼べ!!」
「は、はい――!」
「っな!?あなたも箱を探していると言うぞ!!」
日下部は返事はしたがそれは困ると動きを停止した。
「勝手にしやがれ!!俺の一番大事なもんにふざけた真似しやがって!!ぶっ殺してやる!!」
二階堂はウルベルトを信じられないとでも言うように見た。
「……富士の情報から見付けた女との…ぎそうけっこんじゃ…。」
「あ"ぁ!?富士だぁ!?俺がこいつに惚れて何年経ってると思ってやがんだてめぇ!!俺はなぁ!!こいつがまだ十代だった頃からこいつを知って!ずっと愛して来たんだよぉ!!」
ウルベルトは立ち上がった二階堂にもう一撃くれてやろうと鳩尾を殴ろうとしたが、二階堂の義手はウルベルトの拳を掴んだ。
「宇留部先生、落ち着いてください。私はてっきり、これが深間菫なのだと――」
「それでてめぇはうちの宇留部文香に何しやがったってんだぁあ!!」
「宇留部先生、落ち着――ッグェ!」
もう片方の拳を振り挙げた瞬間――膝で鳩尾を蹴り上げると袖無しは膝を折り、咳き込んだ。
「ぶっ殺してやる!!てめぇこそ富士送りだ!!」
ウルベルトが二階堂の顔を踏みつけると、呻き声が上がった。
フラミーにウルベルトのジャケットをかけ直していた日下部は慌ててウルベルトに振り返った。
「せ、先生!ほんとに死んじゃいますよ!」
「ぶっ殺すっつってんだろうが!!」
「先生が塀の中にぶち込まれたら文香さんが!!」
「………っくそ!!」
二階堂の腹を思い切り蹴り上げるとウルベルトは背を向け、色を失ったような目をするフラミーの顔を両手で挟み、さすった。
「文香、文香。大丈夫か?」
フラミーは首を振った。
「痛いところは?病院に行こう。すぐ車とって来るから。」
再び首を振られるとウルベルトはフラミーを抱きしめた。
「ごめん、ごめん…文香ぁ!」
「宇留部さん…。――袖無し、あんた先生に関わるなって言ったくせに何で先生の城に来たんだ。」
日下部はぜぇぜぇと呼吸をする二階堂を引っぱり立たせた。
「…こ、この二年…箱の…鍵と言われるようになった…深間菫が…奥様とちょうど同じ年だった…。深間菫も親を亡くしている。F班は必死に深間菫を探しているようだが…。ここでちょうど奥様が働き始めたタイミングが…全てが動き出した時だった…。私はてっきり…宇留部先生が見つけ出したのだと…。しかし…F班が来なかったのは…奥様と宇留部先生の付き合いの長さを知っていたからか…。」
「ばかやろう…。お前何したんだよ!宇留部さんの宝もんに!宇留部さんの希望に!!」
「短時間酩酊する薬を少し飲ませただけだ…見た具合の体重でちゃんと量は加減した。問題はないはずだ…。」
ウルベルトはハッと袖無しを振り返り、具合の悪そうなフラミーの顔を再び包んだ。
目を逸らされると急いでテーブルに置いてあるお茶を取り、差し出した。
「フラミー、少しでも薄めて吐き出すんだ…フラミー…。」
顔を振られ、拒否されるとウルベルトは冷めた茶を口に含みフラミーに口付けた。
ごくごくと喉が鳴り、フラミーにお茶を飲ませた。
「っはぁ…とぉるさん…ごめんなさい…。ごめんなざぁい…わだじ…わだじ…。」
「謝るな…謝らないでくれ…。頼む…頼む…。俺が…俺がここで働けなんて言ったから…俺のせいだ…。」
「わだじ、さわられだ…とぉるさんじゃないひとに…だいじなところ触られだ…。」
「ふ、ふみか…大丈夫だよ。大事なところは触られてないって…。お前は少し混乱してるからそう思っただけなんだよ。」
「ふぇっ…ふえぇ…そうなの…?」
「そうだよ。腹がちょっとめくれてたくらいなんだから。俺はお前には嘘をつかないよ。」
「うん…うん"…。」
「良い子だね。お前は俺の宝物だよ。さぁ、もう少し飲んで。」
湯呑みを差し出すと、フラミーは首を振った。ウルベルトは泣きそうになった。
「とぉるさん…のませて…。」
ウルベルトは泣きそうな顔で笑うと茶を含み、フラミーに口付け飲ませた。
湯呑みが空になると、ウルベルトは足下の覚束ないフラミーを立たせ、二人で給湯室に入った。
「文香、はけるか…?」
「っひぅ…はけない…はけないよ…。」
「ッ……少し苦しくするよ……。ごめんな…本当にごめん…。」
フラミーを後ろから抱きしめ、シンクに顔を下させると――口に手を入れ、喉の奥を刺激し、フラミーは嘔吐した。
日下部は二階堂のスーツを掴みガンッと頭をぶつけさせた。
「あんた…あんたのやったことの結果がこれだよ!なんも知らない、なんもやってない人間に手ぇ出して!あんたら特高は人間の心一つないのかよ!!」
「…ありますし私はもう特高じゃない…。まさか…こんな…しかし…ずっと宇留部先生の周りには別れた女達くらいしか…歳だって…できすぎてる…。」
「先生達は清い文通交際みたいなもんなんだよ!目に見えることだけが全てだと思うな!!」
二階堂が申し訳ない、と言葉を漏らすと、事務所にはフラミーの嘔吐する音だけが続いた。
「二度と俺と俺の家族のそばをうろつくな。」
「…本当に申し訳ない…。宇留部先生、あなたはもう箱を探していないんですか…。」
ウルベルトはうなずいた。
「俺は箱を探していない。もう箱からは足を洗った。お前の楽しいお友達にも宇留部と宇留部探偵事務所は無関係だって伝えろ。俺の妻の名前は深間菫じゃないって事もな。」
「…わかりました。宇留部先生、お元気で。」
「……精々長生きしろ。次に俺の前に姿を現したらF班送りになる前に死ぬことになる。」
袖無しはマスクを付けると銀色の手に手袋を嵌め、手をポケットにギュッと捻じ込み事務所を立ち去った。
ウルベルトは応接ソファで放心しているフラミーの下へ行った。
日下部はお茶を淹れに行った。
「…フラミー、お前はうちで働くのやめよう。お前はもう家に入ってくれ。」
フラミーを正面から捉えると、フラミーは首を振った。
「はたらく…。」
「じゃあ…知ってる弁護士先生のところの受付を紹介するから、そっちで働くか…?それとも、関係ないところが良い…?」
「ここではたらく…。」
「でも…お前…また袖無しみたいな奴が来たら…。」
「…ふかますみれさんと…わたしを間違える人が…そんなにいるの…?わたし…そんなに似てるの…?」
フラミーの口から深間菫の名を聞くとウルベルトの背は震えた。
「それなら…私…深間菫さん…さがす…。」
「だめだ、フラミー!そんなのだめだって!」
「――とおるたん…箱って何なんですか…。見つからなかったって言ったら…情報を渡せって…。」
「お前…見つからなかったって言ってくれたのか…。」
「うん…見つけた事…秘密にしたいことだと思ったから…。」
「ありがとう…。」
ガシャンッと音がし、二人は振り返った。
「せ、せんせ…はこは……見つからなかったって…。」
ウルベルトは鎮痛な面持ちで足下に視線を落とした。
「……箱は見つかった。」
「先生…それなら早く開いてくださいよ…。そんな危ないもん惜しんで持ってるから袖無しが来たりするんだよ…。」
「……開けないんだ…。」
「もしかして…鍵ですか…?箱の鍵と言われる深間菫…?深間菫が見付からないと開かない…?…そうだ、探します。俺が深間菫を探しますよ!」
「…いや…探さないで良い…。…ピースは揃ってる。でも…開く勇気が出ない……。」
日下部は割れた三つの湯飲みを乗り越えると、ウルベルトの前にしゃがんだ。
「先生…。世界は変わるって…教えてくれたじゃないですか…。」
「世界を変える箱…ウルベルトさんが欲しいものだ…。」
フラミーの呟きを聞くと、ウルベルトはゆっくり首を振った。
「もし…もし変わらなかったら…俺は全てを失うことになる…。」
「…先生、じゃあ…もう箱を捨てましょう…。俺、今の生活気に入ってるんすよ…本当に…。」
フラミーはそっとウルベルトの背をさすった。
「捨てるくらいの事なら、私でもお手伝いできるかも…。」
「箱は…捨てられない…。」
「どして…?」
「俺がもう勝手に捨てますよ!箱は今どこにあるんですか!」
ここまでか。
「箱はここにある…。」
最終回やだ…やだ…
0時に出遅れた…