フラミーは袖無しを探そうと一人街を小走りで進んでいた。
(はぁ…歩いて帰ってるみたいなのに全然近所じゃない…。)
電車に乗った様子のない袖無しへの感想はそんなだった。
そして足が痛くなり、靴を脱ごうと思いピタリと止まった。
すると――コツ、と歩いていないはずなのにもう一つ足音が聞こえるとフラミーは振り返った。
タブラに見せられたホラー映画が一瞬脳内をよぎる。
怖い。生き物であってくれ。
フラミーは声をかけた。
「…あの…二階堂さん…。宇留部です。少し、箱のことでお話したいことが…。」
そう言うと、電柱の陰からゆらりと人影が出た。
「フラミーさん。あれは二階堂なんて名前の男じゃないですよ。」
「はぇ…?」
その声は懐かしかった。
フラミーが見上げると、上等なスーツに身を包む――「たっちさん…?どうして…?」
「あなたが二階堂と呼ぶ男をずっと私はマークしていました。そうしたら、宇留部探偵事務所にいると突然通知が出たので、まとめて聴取しようかと。所が事務所に行き着いた時には二階堂がそちらを出たところでした。二階堂を取り敢えず追っていたら、さらに私を追いかけてくる者を感知しまして…追ってくる者にもマークを付けました。二階堂が確かに家に戻ったのを確認した後、追ってきた者も確かめようと近くまで車で戻って来たら――あなたでした。」
たっち・みーは軽くスマホの画面を見せると、すぐにそれを胸のポケットにしまった。画面には点が二つ接していたのがちらりとだけ見えた。
「あらぁ、警察の人はそう言うものを持ってるんですね。」
「電波を出す移動するものは探知できます。それより――」たっちは数歩フラミーへ進んだ。「箱のことで話したいこととは?二階堂に何を話そうとしたんですか。」
「ん…っと…。」
「…結局宇留部さんはあなたをこう言うことに巻き込んだわけだ。」
フラミーはたっちを見上げると困ったように笑った。
「あの、主人は何も。今日、二階堂さんは私を探しに事務所に来たらしいです。」
「…あなたを?」
「たっちさん、箱ってどうやったら開けるか知りませんか…?」
たっちはゆっくりと首を振った。
「知りません。あなたは知っているんですか。」
「はは、知りません。だけど、深間菫が玉手箱だって事は今日知りました。」
「――深間菫は鍵ではなく箱?」
「箱とか、その名前とか、鍵とか…常識なんですか…?」
「……一部界隈では。フラミーさん、箱なんて物は忘れなさい。あれは秩序を乱す混沌の箱だ。それの為に今も人が死に続けている。あなたも近付けばそうなりかねない。」
フラミーはそれを聞くと口に手を当て後ずさった。
「い、今も…死に続けて…。」
「そうです。宇留部さんがあなたに箱をなんと説明したか知りませんが、箱とは存在するだけで人を殺し、開かれても人を殺す代物なんです。」
家の塀に背がトン…と着くと、フラミーはずるずると座り込んだ。
「っあ、フラミーさん。大丈夫ですか?」
「ふ、深間菫のために…今も…人が…。存在するだけで…開かれなくても…人を…殺す…。」
「…そうです。これは戦争です。あなたみたいな人が関わるような問題じゃない。全てを忘れて静かに暮らしなさい。」
フラミーは手を差し伸ばす友人を見上げると唇を震わせた。
「たっちさん…じゃあ…じゃあ…深間菫は…どうしたらいいの…?」
「…難しい所です。ある局は連れ帰り、拷問して箱のありかを吐かせようとしています。確実に箱を抹消し、深間菫さんも殺してしまうのが世の為、と言うところでしょうか。多くの疑われた女性が獄中死しました。どれも空振りです。」
たっちはフラミーが手を取らず、怯えているようにしているところを見るとしゃがみ、自らの娘にするように目線を合わせた。
フラミーの両足は震え、とても立てそうになかった。
「…そう言う、恐ろしい物なんです。宇留部さんにも手を引けと言ってもらえませんか…。」
「わ、わたし…はやく…いかなきゃ…。」
なんとかよろよろと立ち上がったが、あまりにも危なっかしい様子だった。
「近くに車も止めてありますし、送ります。」
「へいき…わたし…ひとりにして…。」
「…フラミーさん?」
フラミーは事務所とは違う方向にふらふらと歩き出すと、あまりの息苦しさにマスクを外した。
震える手からぽろりとマスクが落ちてしまったが気にできるほどの余裕はなかった。
「えっ!フラミーさん!?」
たっちは慌ててマスクをとると小さな背を追った。
「フラミーさん、少し怖い話をしすぎたようです。すみません。ただ、恐ろしいと思ってくれたなら…どうか宇留部さんを説得して…関わらないように――」
フラミーはウルベルトさん…と呟くとたっちに振り返った。
「たっちさん…特高って呼ばれる人達は…この世を綺麗にしてくれる…?ウルベルトさんが目指した世界にしてくれる…?」
「――…しません。彼は正直言って我々の敵だ。我々は彼みたいな者から世界と世界秩序を守っています。」
「そっか…じゃあ…たっちさんは私の敵なの…。」
「フラミーさん、私は中から世界を良くします。私はあなたの敵ではありません。」
たっちはフラミーのマスクを手に心配そうに顔を覗き込んだ。
「たっちさん…あなたは深間菫をどうしたいの…?」
「私は…箱の場所を吐いて貰えば、後は日常に返せばいいと思いますよ。殺す必要はありません。」
「じゃあ…箱はどうしたいの…?」
「破壊します。秩序を乱す深間の箱の破壊の為にあらゆる手を尽くすことを――ある友に誓いました。」
「深間菫は箱なのに…どうするの…。」
「…最初もそう言っていましたね…。もし、そうだとしたら…捕らえておくしかないでしょう。世界に箱が開かれないよう。」
「でも、特高の人は箱も深間菫も抹殺するんでしょ…。」
「……そこが難しいところですね…。――でも、どうしてそんな事を…?」
たっちはフラミーを正面から見ていると――「――まさか…深間達に似ている…?」
フラミーはハッとすると顔を逸らし、歩き出した。
「ふ、ふら――待ちなさい!」
そう言われると走り出してしまうのは人間の性だろうか。
フラミーは駆け出し、追いかけられると電柱をくるりと回り、こちらへ走って来たたっちを避け、来た方向へ駆けた。
(開けなきゃ…開けなきゃいけないのに…!)
そう思って走っていると、すぐに腕を掴まれた。
「フラミーさん!!あなた、本当の名前は!!」
「――っあぅ!私は宇留部文香です!!」
「真実ですか!!」
「真実ですよ!私の戸籍もそうですもん!!」
若干の揉み合いもなく取り押さえられるとフラミーはたっちを睨んだ。
「私、何も知らないただの市民です!」
「…ウルベルトさんみたいな事を。あなたは箱をどうするつもりですか。」
「どうするもこうするも、持ってもないのにどうもできません!」
「持っていたらどうするんですか。」
「……開きます。」
「させませんよ。来て下さい。」
たっちはフラミーの手を背に固めると、抱き上げて歩き出した。
「い、行きません!私持ってないってば!」
「深間菫そのものが箱だと言ったのはあなたでしょう。全ての情報をまさか記憶しているんですか?」
「できるわけないです!私小学校も出てないんですよ!」
「…記憶…いや、記録しているとしたら?」
「そんなもの…どこに――」
(お前のコネクター、内部の形少し違うな…。)
ウルベルトの言葉を思い出すと同時に――ウルベルトが自分にコネクターを繋ぎ、親の動画を最初に見ていた日のことがフラッシュバックした。
まさかここに――。そう思っていると、チリリンっと自転車のベルが二つ鳴った。
「お兄さんとお姉さん、何を揉めてるんですか?通報あったんだけど。」
そう言って自転車を降りたのは警察官だった。
「け、警察屋さん!離させて!!」
「あぁ…困ったな。」
フラミーは再びジタバタした。
「…お兄さん、下ろした方がいいよ。」
たっちは少し迷ってからフラミーを下ろすと腕の関節を固めさせたまま地面に向けて押し、座らせた。
「すみません、フラミーさん…。」
「そう思うならやめてくださいよぉ!」
「お兄さん彼女さんもやめてって言ってるでしょう。」
「私もやめたいのですが、これも職務です。」
そう告げるとたっちは片手を胸ポケットに入れ、手帳を取り出した。
「これは高等偵察評価局特別情報保全二課の管轄です。私は普通警察ですが、仲裁官です。申し訳ありませんが、詮索はご遠慮ください。」
二人は目を見合わせた。相手は近頃若い女が消えるたびに現れると言う都市伝説。
しばしどうすると話し合い、一人が離れていくと無線機でどこかと通信して戻ってきた。
「……わかりました。」
まるで水戸黄門だ。
たっちは丁寧に頭を下げると再びフラミーを抱き上げ歩き出した。
「え?え?警察屋さん!」
「フラミーさん、"さん"を着ける呼び名は普通お巡りさんです…。それじゃ警察を売ってるみたいでしょう…。」
「たっちさん、お願い。下ろして。」
しばらく歩くとフラミーは黒い車の前で下された。
その瞬間駆け出――せず、すぐに捕まった。
「フラミーさん、乗って下さい。」
黒い車の扉が開かれ、フラミーは後部座席へ押し込められるように乗せられた。
とは言え乱暴ではなかった。
フラミーは乗るとすぐに奥まで行き、反対側の扉を開けようとすると、ガチャガチャと音が鳴るだけで開かなかった。
「…フラミーさん、結構アクティブですね。」
すぐにたっちも隣に乗り込み座った。
「…私、逮捕されちゃうんです…?」
「いえ…。あなたを警察に連れて行くような真似はしません…。フラミーさん、少し触ります。」
「や、やです!痴漢です!近寄らないで!」
フラミーがビッと手を振った瞬間、たっちの顔に爪で軽い傷が付いた。
「――あ…ご、ごめんなさい…。」
血は出ていないが、赤くミミズ腫れのようになった頬を両手で包んだ。
「はは、やっぱりあなたは優しい人ですね。なんとなくモモンガさんに似ている。どうかおとなしくしてください。あっち向いて。」
フラミーはふるふると被りを振り、コネクター部分を押さえると開かないドアに首を押しつけた。
「…やっぱり、そこにあるんですね。箱は。」
「…壊さないで…お願い…。」
「壊しません…。癒着が完全じゃない赤ん坊ならいざ知らず…コネクターを壊したら繋がる神経が麻痺して首から下が動かなくなっちゃいます…。見るだけです。ひねったり固めたりしたくないから、ご協力願います…。フラミーさん。」
フラミーは沈痛な面持ちでたっちに背を向けた。
たっちはフラミーの長い髪を避けるとコネクターをパチリと開いた。
「は、はずかしいです…。」
「すみません。普通こんなところ見ないですよね。」
胸ポケットからペンの様に細い懐中電灯を取り出すと中を照らして覗き込んだ。
「――あぁ…――これは…――…初めて見ました…。」
「…それが箱なんですか…?」
「恐らくそうでしょう。宇留部さんはもしかして、あなたが箱だから――」
フラミーはかき消す様に大きな声を出した。
「ウルベルトさんは!――…ウルベルトさんは……私のこと…愛してくれています…。」
たっちは、ふむ、と頷いた。
「…そうですね。そうでなければ彼ならすぐにでも開いていました。すみません。彼は愛する故開けなかったんですね…。」
「…でも…私は開いて欲しかったのに…。」
「そうはいかなかったでしょう…。箱の中身によってはあなたの命はありません。さて…どうしたものかな…。」
フラミーは再び開かないドアをカチャ、カチャ、と静かに鳴らした。
「ドアは開きませんよ。」
たっちは軽く告げ、今後の方針を決めようとしばらく悩んだ。
そうしていると、ドアを開けることをフラミーも諦めたようで大人しく座った。
「…フラミーさん、私がこのコネクターの内部の一部破壊を行います。あなたの体に問題が起こらないように破壊できる方法を明日から手を尽くして調べます。もしくは、ここに繋げられるケーブルを探すか、作るかして、保存されたデータを抹消します。そうすれば、あなたは晴れて自由の身だ。箱の破壊が済んだら私からF班と
「私…箱を開きたいんです…。私のために、頑張ってくれたたくさんの人の生活を…よくしてあげたい…。」
たっちは頷いた。
「安心してください。箱の破壊が行えれば、私はきっと一気に駆け上がれます。そうしたら、少しづつ世界はいい方へ変わります。」
「…ウルベルトさん達の生活も良くなります…?空は綺麗になります…?」
「してみせます。時間はかかりますが、必ず。お約束します。それに、あなたから箱がなくなればウルベルトさんもあなたも今後危険な目に合わずに二人で幸せに暮らせる様になります。」
フラミーは思い悩んだ。
「フラミーさん、世界はきっと良くなります。私達で秩序を再編成しましょう。」
「……たっちさん…。」
「はい。」
「どうして、たっちさんとウルベルトさんは同じものを目指してるのに…仲良くなかったんですか…?」
たっちは数秒考え、軽く息を吐いた。
「工程がまるで違います。かかる時間も。ウルベルトさんは短時間で、全ての破壊と創造を目指し――私は長時間かけ、今ある物の再編成を目指しました。実は目指す物も、手に入るものも少し違います。」
「…私、ウルベルトさんの事今すぐ幸せにしてあげたい…。」
「…我慢してください。多少の時間はかかります。さ、取り敢えずうちに向かいますよ。」
たっちはそう言うと一度車を降りた。
扉が閉められるとフラミーは今度はそちらの扉をガチャガチャといじった。
運転席にたっちが座り、シートベルトを締めると振り返った。
「後部座席もシートベルトはしてくださいね。後、ドアはどちらも開きません。」
「…はひ…。」
フラミーがシートベルトを締めたのを見るとたっちの車は動いた。
「お姉ちゃんも、ここで暮らすのぉ?」
たっちの家に着くとまだ幼い娘が疲れた顔をするフラミーを見上げた。
「いえ…私…もう帰り――」
「何日かお泊まりするだけだよ。ほら、みっちゃんはもう寝る時間だろう?」
「はぁーい。」
みっちゃんが二階へ立ち去って行くとたっちはフラミーの背を押した。
「上がってください。」
「あの…奥様にも悪いですし…泊まれません…。」
奥さんは複雑そうな顔でフラミーを見ていた。
「…君、ごめん。この人はそう言うわけで…アインズ・ウール・ゴウンの友達で…。」
「…それはもう聞いたわよ。だから、どうして警察官のあなたが家出みたいな真似を手伝うのよ…。」
フラミーの鞄を持ったたっちが困った様に「いやぁ〜」と笑った瞬間、フラミーはくるりと背を向けドアを開け飛び出した。
(やった!へへ、文香さんやってやりましたぁ!世界記録樹立です!)
奥さんにたっち・みーが弱いと言うのはアインズ・ウール・ゴウンの常識だ。何度も怒られる声を聞いてきた。
箱は破壊させない。
後ろからすぐに扉が開く音がすると、フラミーは何故こんなに自分の足は遅いのだと嘆いた。
「フラミーさん!!ウルベルトさんに特高を送って逮捕しますよ!!」
後ろからかかった声を聞くとフラミーは急停止した。
たっちは怒った顔をしフラミーにずんずん近付いた。
「あ、あの…そ、それだけは…。」
「…全く。箱を探していると私が言えばウルベルトさん達はすぐに御用です。いい加減におとなしくして下さい。こんな真似――私だってしたくないんだ。大人しくしていればあなたとウルベルトさん、日下部君の安全は保証します。」
たっちは辛そうに拳を握り締めた。
「……はい。」
フラミーは大人しく龍巳家に連れ戻された。
しっかりと握られた手を見ると奥さんはフラミーをギッと睨み、みっちゃんが去った二階へ行ってしまった。
「はぁ…。私は世界を手に入れても家庭は失いそうだ…。」
「あの…すみません…。」
「仕方ないです。私が連れてきたんですから。さぁ、取り敢えず今日のところはお風呂に入ってください。その後食事をして、今後の方針の話し合いです。」
フラミーは頷くと廊下の一番奥にある洗面所に連れて行かれた。
「妻のパジャマは貸せないので、取り敢えず今夜は私のこれとこれを。」
龍巳は自分のパジャマとズボンを差し出し――「…大きそうですね?」とフラミーを見た。
「はひ…。シャツだけで足りるかも…。」
「そんな破廉恥な格好はいけません。みっちゃんの教育にも悪いです。今夜は申し訳ないですが、そのスカートで寝てください。上はお貸しします。明日必要そうなものを買って来ます。」
「あ、あの…でも…帰ればなんでもあります…。」
「…ウルベルトさんが私のやり方に頷く訳がないでしょう。それこそ大戦争だ。あなたの捜索願は提出され次第こちらで握り潰します。」
「…たっちさん…あなたまるで悪者です。せめて連絡させてください…。」
「……私は正義のためにやっているんです。連絡は箱の破壊が済み次第帰しますから、我慢してください。」
龍巳はフラミー一人納得させられない箱の破壊をウルベルトがよしとする訳がないと思った。
全てが終わってから帰して、上り詰め、ゆるやかに世界を変え、これで皆がハッピーエンドだ。
龍巳は洗面所のドアを閉めた。
二階の寝室へ上がると、夫婦の寝室に妻はいなかった。ジャケットとズボンを吊り、楽な格好になる。
こっそりとみっちゃんの部屋のドアを開けると、妻はいた。
「…何よ。」
「い、いや…。本当に…フラミーさんはもう結婚してる人もいて…僕たちはおかしな関係じゃないと言うか…ね?」
「信じらんない。最近帰りが遅いと思ったら、女子連れて帰ってくるって何?しかも何日も泊まる?普通そんなの納得できるわけないでしょ。私あの子と二人で日中過ごすの?私があの子の食事も作るの?」
「フラミーさんには僕が食事買ってきて渡すから。リビングの続き間で過ごして貰って、ドアは開けないように言い含めるよ。なるべくみっちゃんと君と顔を合わせないようにするからさ、ね?」
「ね?じゃないわよ…。」
これはまずいなぁと龍巳が内心焦っているとみっちゃんがむにゃむにゃと目を開けた。
「ママとパパ…喧嘩してるの…?」
「してないよぉ。お話ししてただけ。みっちゃん、もうママと寝ようね。」
妻はそう言うと布団に潜り込み、龍巳にしっしと手を振った。
龍巳は稀に家出した様子の少年少女を拾ってくることがある。
大抵一日泊まらせて翌日には親の下に帰って行くが、知っている女が数日止まるなど聞いたこともない。
「じゃ、ママもみっちゃんもおやすみ〜。」
龍巳が猫撫で声を出すと――「っあぅ!」と風呂場から何かを耐えるような声がした。
「もう!早く行ってよ!!」
たっちは慌てて扉を閉めると一階に降りた。
まさか自殺しようとしたりしてはいないよなと大量の冷や汗が出る。
既にたっちはベルリバーを――大事な友人を――仲間を一人見殺しにしているのだ。
もう二度と友人を見殺しにしたりはしない。
フラミーが箱だったことは天に感謝したいくらいだ。
たっちは洗面所に入ると、風呂のドアを開けた。
「フラミーさん!!」
「っえ!み、みないでー!!」
顔に水をぶっかけられると龍巳は慌ててドアを閉めた。
「っは!す、すみません!でもなにがあったって言うんですか!」
「は、はわ…す、すみませ…あの…お湯じゃなくて…あの…水で…。」
風呂場から困った声を出すフラミーに龍巳は脱力して床に両手を付いた。
「はぁ…そんなことですか…。えーとなんて言うんでしょう…。スチームバスじゃないんで、出始めたときは暖かくありません…。温まるまで少し時間がかかるんです。突然浴びないで、湯が出るまで待ってください…。」
「あ、あの…シンク方式って…すぐに気付きました…。あの…すみません…。」
スチームバスはボタンを押した瞬間から温かいが普通の風呂はそうは行かない。ただ、普通のシンクや洗面所で湯を出すときは普通に出るまで時間がかかる。
「あの…シャワーってこれ、はずれるんですか…?」
「外れます…。お湯も張ってありますから、良かったら浸かって下さい。その後はお湯抜いていただいて結構です…。」
「えぇ!?こ、この量の水を…!?」
「…本当気にしないで抜いてください。じゃ、私は――洗面所の外で待ってますから、何かあったら小さめの声で呼んでください。くれぐれも小さめで。」
たっちはタオルを出すと濡れた顔を拭き、本当に困ったと洗面所を後にした。
しばらく待っていると、風呂の湯が抜かれる音がし――またさらにしばらく時間が経ってから洗面所のドアが開いた。
「あの…ゴミは…。」
フラミーは排水溝から髪の毛を集めて出てきた。
「あ、これはお気遣いありがとうございます。ゴミ箱持ってきます。」
リビングからすぐにゴミ箱を持ってくると、たっちは差し出した。
「じゃあ、晩ごはんにしますか。」
「…ウルベルトさんにあなたといるって連絡させてください。」
「必要を感じればこちらからします。」
だぼだぼのたっちパジャマにスカートを履くフラミーの手を取り、たっちはリビングに向かった。
保温モードの炊飯器には白いご飯が炊けていて、今夜の夕飯は豆腐の味噌汁、
たっちは冷めている味噌汁が入る鍋と、煮物をIHの火にかけ、青梗菜をチンした。
タッパーに入っているきんぴらゴボウを小皿に盛り付けていると、フラミーがキッチンに入って良いものかともじもじしていた。
「あの…お手伝いします。」
「お願いします。」
フラミーは初めて見る食事に驚いた。
「奥様はお料理上手です。とっても美味しそう…こんなの始めて見ました…。」
「ありがとうございます、妻に聞かせてやりたいですよ。」
「…私…奥様に本当に…申し訳ないです…。」
「私が無理矢理連れて帰って来たんですから、そう気にしないで下さい。」
「……でも、私、行かなきゃいけないのに…。」
「出ていけば分かってますね…。我慢してください。ここから一歩も出てはいけません。」
フラミーが味噌汁と煮物を盛り付け終わると、リビングの扉が開いた。
「…無理にその子連れて帰ってきたの?ねぇ、あなた悪いけどキッチンに入らないで。」
奥さんが顔を出すとフラミーは頭を下げ、早急にキッチンを出た。
「申し訳ありません。」
「……うちの主人のパジャマ着て…本当に一体何なのよ。」
「申し訳ありません…。奥様、私はすぐにでも出て行きます。」
フラミーがそういうとたっちは食事を乗せたお盆をダイニングテーブルに置いた。
「フラミーさん、出ていくんじゃない。君も…どうか分かって…。」
「…あなた、結婚してるのよね。ねぇ、あなた。どうして帰りたい子を無理に置いておく必要があるの。」
たっちは首を振った。
「それは言えない。職務に関わる。重要機密だ。」
その言い方は一切の踏み込む余地を感じさせないきっぱりとしたものだった。
「…仕事って言えば私がなんでも納得すると思ってるなら――」
「思っていない。けれど、今やらなければいけない事を私はやらなくちゃならない。君には本当に申し訳ないとは思うけれど、今は我慢して欲しい。――さぁ、フラミーさんも座ってください。今後の動き方を相談しなくちゃならない。私は日中は職務があります…。」
フラミーはなんて気まずい席だろうと小さくなりながら席についた。
「…その食事だって私が作ったのに。」
「あの…施しは受けません。お金は払います。」
「あ、そう。」
龍巳の妻は再びリビングを後にすると二階へ上がっていった。
「――はぁ。すみませんね。」
「いえ…奥様の気持ちはよくわかります。」
「では、食べながら相談しましょう。私は普段通り職務を続けます。なるべく深間菫と疑われる人が殺されたり、留置されている人が拷問にかけられないようにちょっかいを出します。そして、終わり次第コネクターの破壊方法を調べに行きます。」
コネクターの破壊は神経の破壊、身分証の破壊に相当するため重罪だ。ただし、法律に規定されていない装置の破壊等については言及がない。フラミーの普通とは違う部分の破壊ならセーフだろう。
が、一部の破壊など聞いたことはない。
「……そんなの…ウルベルトさんと一緒…。また私のせいで…。」
「…ウルベルトさんも仕事後に破壊方法を?」
「いえ…何をしていたかは分かりませんけど…半年、毎晩出かけて…私のためだって…何かを一生懸命…やり遂げてくれて…うっ……うるべるとさん……わたし……っひぅ…。」
フラミーが泣きそうになるとたっちは手を伸ばしフラミーの頭を撫でた。
「私は以前ウルベルトさんに、フラミーさんへ向ける感情は愛ではなくエゴイズムだと言いました。しかし、それが確かに愛だとわかって私は嬉しいです。」
「ずっと…愛してくれてます…。でも……たっちさん…優しくしてくれるのは嬉しいけど…触らないでください…。私…主人以外の人に…もう触れられたくない…。」
「すみません。」
つい娘のように接してしまうが成人女性に申し訳なかったとたっちは手を引っ込めた。
二人は静かに夕食を取った。
袖無しの家にも行き、家中を探し回ったウルベルトはその帰り道で電柱に手袋をはめた手を付くとウッと口に片手を当てた。
「う、宇留部さん!大丈夫ですか…。」
「ヤ、ヤベ…吐く…離れ――ッウ!!」
ウルベルトが嘔吐すると日下部は背をさすった。キョロキョロと辺りを見渡し、自動販売機を見つけると駆けた。
「ふ、ふらみー…どうして…俺はお前とただ静かに暮らしたかっただけなのに…。世界なんか…お前がいなきゃどんなになっても汚ねぇだけなのに…。」
「宇留部さん、水です!」
日下部に水を差し出されると数口のみ口を拭った。
「…わり…ありがと…。」
「宇留部さん…俺、あっち探しに行きます。何かわかったら連絡します。」
「すまない…。」
「…俺は三人の事務所が好きだって言ったじゃないですか。気にしないでください。」
日下部が駆けていくとウルベルトはハァ…と息を吐き星一つ輝かない闇を見上げた。
(…フラミー。黙ってこそこそやってた俺が悪かったよ…。お前の望む全部をやるから…。それが箱を開ける事なら…責任持って開けてやるから…頼むよ…。帰ってきてくれよ…。フラミー…。)
ウルベルトは電柱から背を離すと、再び夜へ向かった。
よ、よかった…たっちさん…よかった…
でもウルベルトさんの胃が死ぬ…
次回#40生きているから