「モモンガさんは――まだですね。」
タブラはログインするとまだ誰もいないナザリックをフラフラした。
これでもかと凝って作った城を見て歩く。
せっかくなので方々のスクリーンショットを撮った。
(うーん、実に惜しい。)
引退していたとは言え無くなってしまうと思うと残念だ。
しかし、ナザリックがまだ完全な形であったとは。
金貨の不足などから一部崩壊しているかと思っていたのに。
(金貨がなくなってダラダラ壊れるより、この終わり方はナザリックに相応しいかも知れないかな。)
そうだ。ならばいっそ――。
タブラは宝物殿へ飛んだ。
(――え?)
想像を大きく上回る大量の金貨にタブラは一瞬驚き足を止めた。
(す、すごいな…。モモンガさんが貯めてくれてるのか…?)
宝物殿をキョロキョロと見渡しながら進むと、真正面に二次元的な闇がべたりと張り付く場所にたどり着いた。
パスワードは覚えているが、最後に
タブラは漆黒の扉へ告げた。
「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ。」
その言葉に反応し、湖面に何かが浮かぶように文字が現れた。
Ascendit a terra in coelum, iterumque descendit in terram, et recipit vim superiorum et inferiorum.
凝って作っただけあって納得の出来栄えだ。
さらに続ける。
「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗き者は全て汝より離れ去るだろう。」
エメラルド・タブレット――タブラ・スマラグディナに記された気に入りの言葉だ。
中へ進んで行くと博物館のようなところに出、そして待合室に辿り着いた。
(パンドラズ・アクター。モモンガさんの影武者。)
軍服に身を包むその存在は静かに佇んでいた。
タブラの視線は胸に今も輝き続ける八芒星に動いた。
(……それの最後の時を見ることになるのは少し可哀想かな?)
ごぼりと音を鳴らし、首を傾げた。
タブラはモモンガとずいぶん昔に交わした会話を思い出していた。
『モモンガさん、なんで
『うーん…あれは俺の影――偽物の俺ですから。それにこれは――いや、何でもないです。はは、変なこと言いました。』
『いえいえ、なるほど。よくわかりました。私、少しパンドラズ・アクターが好きになりましたよ。』
『え?そうですか?はは。』
タブラはパンドラズ・アクターに優しく告げた。
「パンドラズ・アクター、変身。タブラ・スマラグディナ。」
他の誰にしてやるのが良いかも思い浮かばず、自分を選んだ。
(…パンドラズ・アクター。寂しいかも知れないけど、フラミーさんを現したものの崩壊を見るよりいいでしょう。)
タブラは指輪を机に置くとさらに進んだ。
そこには、三十八の仲間達を模った像。
そして、四箇所だけ空白がある。
全部で四十二になるそれは、ナインズ・オウン・ゴールの創設に関わり、辞めてしまったあの人の事もいつかは納めてやろうと言うモモンガの優しさだろう。
行き着いた先では
「さーて、あれ持ってっちゃおうかなぁ。」
世界を変える絶大な力を持つアイテム達の前を真っ直ぐ進むタブラは
(ふふふ。胸が躍りますねぇ。)
短杖型のアイテムを取ると、来た道を戻り、テーブルに置いておいた指輪をはめなおした。
タブラは自分の姿にさせたパンドラズ・アクターを眺め、この姿もこれで見納めだと寂寥感を募らせた。
(少し、やっぱり寂しいね。――…じゃあね。タブラ・スマラグディナ。)
指輪を煌めかせると第十階層
(ここも懐かしいな…。)
ここではごっこ遊びくらいしかする事もないので皆あまり来なかった。
タブラも第十階層なら、
それに――(ウルベルトさん達の結婚式の後割とすぐに辞めちゃったからなぁ。)
皆が幸福に笑い合ったあの日。
来られなかったのはたっち・みーとベルリバー、そして辞めたあの人だけだ。
遠方で、これまでオフ会で会えなかったメンバーとも会えた。
これで全員と「本当の友達」になれたと思ったら、場所を選ぶ必要性がタブラの中から――いや、皆の中から――急速に消えていった。既に遊び尽くしたゲームにしつこく来ていた理由は一重に友人に会うためだったというのもあり、ログイン率はグッと下がった。
あの日、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーはネットの友達から、リアルの友達になったのだ。ウルベルトとフラミーの式だが、全員の人生を繋ぐ良い式だった。
タブラはリアルの顔を綻ばせ――ふっと表情を暗くした。
(フラミーさん…。まだ見つからないんですかね。)
白いドレスを身に纏う愛娘の隣からフラミーの旗を見上げた。
(…今度朱雀さんの家に何日か泊まらせて貰おうかな。)
そのタイミングで電話があったら、元気なのか声を聞こう。
ほぅ…と溜息を吐くと、手の中の
(モモンガさんがインして来たら、二人で一緒に0時にナザリックを華々しく散らしてやろう。)
もちろん、モモンガが良いと言ったらではあるが、この対物理最強の
ここまでナザリックを維持してきてくれたモモンガにこそナザリックの介錯権利があるだろう。
運営などにナザリックを壊させてたまるか。
タブラはご機嫌に触腕をプラプラさせた。
そして、ブブッとスマホの揺れを感じた。
(モモンガさんかな?帰ったらインするってさっきメールくれたけど何時に来んだろ。)
へッドギアを外し、スマホを確認すると――差出人はウルベルトだった。
「あ、もしかして見つかったか!?」
それなら、最後はフラミーとウルベルトもインできるかも知れない。
メッセージを開くと――タブラ、朱雀、ぷにっとの三人宛だった。
〈フラミーを迎えに行きます。皆さん、後ろから支えてくれて本当にありがとう。全部の情報に救われ続けたし、全部の情報が役に立ちました。〉
タブラはよっしゃあ!と柄にもなく握り拳を作った。
そして、もう一件メッセージがあり、そちらも開いた。
〈俺はたっちを絶対に許さねぇ。ぶち殺してきますわ。〉
「た――え?」
それは、つまり――「たっちさんが…犯人…?」
いくら二人の仲が良くなかったからと言って、そんな嫌がらせをたっちがするはずがない。
何かの間違いだ。
タブラは急いで一度ヘッドギアをかぶり直した。
早く落ちねば。
コンソールを開き、ログアウトを押そうとし――
(あぁ!
アルベドに押し付けるように装備させるとタブラは慌ててログアウトした。
コネクターを抜き捨て、ヘッドギアを放るように外し、スマホを手にする。
「たっちさん、頼みますよ…たっちさん…!今のウルベルトさんなら、絶対あなたと仲良くできますから…!!」
電話をかけるが――繋がらずに留守電に吸い込まれた。
(ああ!もう!)
そんなものを吹き込む暇はない。
タブラが電話を切った瞬間、電話が鳴った。
「っおわ!」
スマホを落としかけ、慌ててキャッチすると、朱雀からグループ通話がかかって来ていた。
「はい!私です!」
『タブラ君!ウルベルト君のメッセージ読んだ!?』
「読みました!」
そう言っていると、更なる参加者を知らせる音がぴろんと鳴った。
『す、朱雀さ〜ん!タブラさ〜ん!メッセージ見ましたかぁ!』
「ぷにっとさん!見ました!今たっちさんに電話したけど通じなくて!」
『私もウルベルトさんに電話したけど通じませんでしたぁ!ここのトークにウルベルトさんも招待されてますけど、やっぱり出ませんね…!?』
『タブラ君、ウルベルト君に送った物件ってどれ?このままほっといたら、あの二人大変なことになっちゃうよ!』
「え、ええと、ええと…大量に送ったんで、めぼしいところ見つけると後から後から追撃しちゃったし…五十軒くらいあります…!」
『タブラさん、朱雀さん!まずはたっちさんの家に行きましょう!』
『ああ!そうか!そうしよう!僕はたっち君の住んでる駅までは分かるけど、二人は家の場所知ってる?』
数秒無言の時が流れ、それがどういう事なのか理解するとまた慌ただしくなった。
『と、取り敢えず、出かける準備します!』
「私も準備します!整い次第また連絡します!」
『じゃあ、どこ集合かはメッセージで連絡し合おう!』
三人は電話を切った。
「日下部!やっぱりここにいてくれたんだな!」
宇留部が龍巳の家の前に着くと日下部が玄関に座り込んでいた。
「宇留部さん。俺やってやりましたよ。へへ。」
腹をさする日下部は体調が悪そうだった。
「あぁ、気付いたよ。事務所スマホにGPSの起動通知が来た。――お前、大丈夫か?」
「問題ないっす。それより、どうですか…龍巳さんは…。」
「…アーコロジーを出た。どこに向かってるのかは分からん。お前には悪いんだけど、もう少しだけ協力してもらえるか…。」
「任せてください。俺だって先生なじる以外の事もできるってところ見せてやりますよ。」
宇留部は笑うと日下部に手を伸ばし、日下部はそれを取ると立ち上がった。
龍巳は海のそばに車を止め、後部座席でダウンロードの進む様子を眺めた。
フラミーは手足を縛られたまま正座していたが、
「後十四パーセントか…。」
「壊しちゃうの…。」
「すぐにでもそうしたい所ですが…消去する方法がまだ分かりません…。」
ダウンロードが進む傍でデバイスマネージャーからフラミーを指すリムーバブルディスクを確認するが、フォーマットや移動はできなかった。
「早急に方法を調べないとな…。終わるまで家に帰れないし…仕事も行けないか…。」
有給はたんまりあるが、突然申請して通るだろうか。
これを壊しても、登り詰める事ができなければ世界を良くすることはできない。あまり経歴に傷がつくのは頂けなかった。
取り敢えず明日金曜は風邪を引いたと連絡して休むとして――その後は療養と言うことで有給申請を行ってみるしかない。
龍巳がうーんうーんと唸っていると、フラミーはまたごんっと車の窓に頭をぶつけた。
「あぁ…やめてください。痛くないんですか…。」
フラミーを引っ張り、片方の太腿で膝枕をしてやった。寝転がらされるとフラミーは恨めしいような目をして龍巳を見上げた。
「いたい…。でも外の人に気付いてもらうの…。」
「気付いたところで警察章見せたら皆何もできないでしょう…。意味のない事はやめてください…。」
せっかく海に連れて来たのにこれでは海を見せてやるどころではない。フラミーは海のカレンダーが欲しいとねだってきたし、海が好きなのだろうとここに来たのに。
龍巳は我が子に触れるように額を撫でてやった。
フラミーはもう片方の太腿に乗せられたノートパソコンの画面に立てかけてある龍巳のスマホを見た。
「これ、透さん達…たっちさんのお家にいるんですか…?」
日下部のマークは家に留まり、ウルベルトのマークは秘密基地へ向かっていた。
「…そうみたいです。日下部君に家の番をさせて、ウルベルトさんは確認に行ったのかな…。どこに向かってるのか足掛かりがないか調べるつもりでしょう。」
「…ここ、分かるかな…。」
「秘密基地には入れません。もし入れても、私とは無関係の場所ですし、手掛かりはないです。」
「むぅ…。」
頬をふくらませる妹に苦笑する。
この妹のためにこれだけ頑張っているのに――。
「フラミーさん。保存されたデータを抹消しましょう。箱の破壊が済んだら私から箱を始末できたことを
連れて行かれた夜に言われたものと同じ言葉を聞くと、フラミーは進むバーを見つめながら答えた。
「たっちさん、あなたのやり方なら…きっと…誰もが変わらぬ生活を送る中で…ゆるやかに世界は変わるんでしょうね…。」
「変わったことにも気付かないくらい、優しく変えて見せます。」
「…痛みのない変化は…真実の変化じゃない…。」
「なぜ…。これまでだって痛みのない変化はあったはずです…。」
たっちは自らの太腿に頭を落とさせた妹を見下ろした。
「透さんが、そう言ってたんです。私もたっちさんの言いたいこと…分かる。透さんは早く世界を変えたいから、そう言ったんだってずっと思ってた…。でも、一人で長く過ごしてるうちに…それが本当はどう言う意味を持っていたのか分かったの…。」
フラミーは息を大きく吸い、吐くと続けた。
「痛みのない中で変化したら、簡単に忘れちゃうから…きっとまたすぐに元に戻ろうとしちゃうの…。だから、やっぱり…痛い痛いって泣きながら、皆で進んで行かなきゃいけないんです…。」
「…僕は菫さんにも、みっちゃんにも、妻にも痛いなんて泣いて欲しくないんだよ…。」
「痛みから隠すように守って包んでくれる人よりも、きっと誰もが一緒に傷付いて泣いてくれる人を待ってる…。」
フラミーには傷付くことも厭わずに真っ直ぐ自分にぶつかり続けてくれた最愛の人の笑顔が見えた。彼も時に全てからフラミーを隠し守ろうとしてくれたが――彼は真実を告げてくれた。
「たっちさん、お願い…。怖がらないで…。」
フラミーの向こうにウルベルトの影を見た気がした。たっちはウルベルトとこんな風に穏やかに語り合ったことはなかった。
「ぼ、僕は…――」
フラミーの言葉は心に触れるような懐かしい香りがした。
たわわに実る稲穂を揺らす黄金の風が吹いたようだった。
――しかし、バーが百パーセントを示すと、画面はキツい青に変わり、たっちは我に返った。
「――は。」
二人は画面に視線を戻した。
ブルースクリーンの中には突如としてびっしりと白い英字が表示され、一気に流れ始めた。
「こ、これは…これが…箱…?」
「開いたの…?」
「わかりません…だとしたら、どうやって消せば…。」
止め方も分からぬまま、焦っていると、画面を滑る文字は突如としてぴたりと止まった。
「――パスワード音声の入力、または、管理者のダイブコネクタ接続の要求…?」
たっちは画面に映る文字を読み上げた。
「ぱ、パスワード…?」
そう言ったフラミーの反応はパスワードなど思い付きもしないと言うような雰囲気だ。
たっちは人の身分を確認するために使うことがあったダイブコネクターを載せたままにしていたはずだと、トランクを思い浮かべた。
「菫さん、コネクター出してくるから、少し待ってて下さい。」
フラミーを起き上がらせ、再び正座させるとマスクを着け車を降りた。
トランクを開け、みっちゃんがお出かけ先の公園で服を汚してしまった時用の予備の服を避け、仕事道具を入れっぱなしにしているボストンバッグを引き寄せた。
(確かここに…。)
鞄を開けると、暗いせいであまりよく中が見えなかった。
胸から取り出したペン型のライトを付け、口に咥えると鞄の中を再び捜索した。コネクターコードは間も無く見つかり、ライトをしまった。
コードを手に車の中に戻ろうと扉を開けると、フラミーはすぐそこにいて、外を見ようとした。
「海…。」
たっちはここを選んで良かったと思った。
「せっかく来ましたし、外でやりましょうか。」
フラミーが頷くと、白い足を戒める枷を外した。
そしてたっちはハッと気付いた。
フラミーは車まで担いできてしまった為、靴がなかった。
「す、すみません。海はやっぱり明日靴を買ってからにしますか?」
「ううん、平気。海、もっと近くで見たいです。」
ぽてぽてと裸足でフラミーが外に出るとたっちはウルベルトの位置が確認できるスマホと、フラミーに繋がるパソコンを手にした。
二人海に向かった。フラミーは逃げるようではなかった。
隙を見つけて箱を開いてしまおうと思っているのがたっちには手にとるように分かった。
そうでなければコネクターコードを出すことをあれほど素直に受け入れはしないだろう。
首の後ろからコードを伸ばし、後ろ手に縛られ、夜の海を眺める様子は泥の中に咲く蓮のようだった。
「何も持たずに来てしまったから…菫さんのマスクも買わないといけないな…。取り敢えず今は僕のマスク着けてください。」
そう言いマスクを取ろうとするとフラミーに押し留められた。
「今日は空気、綺麗ですよ。」
たっちは引退を決めた日を思い出し苦笑した。
「…ウルベルトさんに以前マスクを着けるように勧めた時…同じようなことを言われました。やっぱりずっと一緒にいるから、夫婦って言うのは似ちゃうものなんですかね。」
フラミーがどす黒い浜に迷いなく座ると、たっちも座った。
「じゃあ、私達も随分似てきたかもしれませんね。」
「はは、そうですね。」
笑うフラミーにたっちは笑い返し、マスクを外した。フラミーの手枷も外してやる。
四ヶ月毎日のように会い、静かな檻の中で二人過ごした。
お茶を煎れ合い、雨が止むのを二人で待ち、床で眠るフラミーをベッドに寝かせ、コネクターを作る傍ら勉強を見てやり、笑わず落ち込む時には花束を贈り、好きそうな服を買って来て、膝を突き合わせて箱の行く末を説得し合い、許さないと泣かれ――夜の色の瞳に胸を締め付けられた。
「たっちさん、繋いでみましょ。」
たっちは頷くと自分とパソコンを繋いだ。
カリカリとパソコンから音がすると、数秒の後にたっちのマイナンバーと、生まれた時に与えられた古い戸籍が画面に表示された。
間髪入れずにこれまで登録してきた筆跡証明や、住民票、運転免許証から始まる様々な身分証、納税履歴、警察官として働いた多くの証明が登録された時系列順に次々と表示されていった。
妻と結婚した時に新しく作られた戸籍、みっちゃんが生まれて書き足された戸籍。それはたっちの人生を振り返らせた。
たっちとフラミーは肩を寄せ合い画面を覗き込んだ。
最後に、龍巳の今の配属先が表示された。
次の瞬間、全ては閉じられていった。
そして、再び――「パスワード音声の入力、または、管理者のダイブコネクタ接続の要求…。」
同じ画面に戻ると、龍巳は自分ではダメかとコネクターを抜いた。
「…菫さん、パスワードわかりませんか…?」
フラミーは首を振った。
「わかりません…。透さんなら分かったのかな…。」
パソコンの画面に立てかけられるスマホを見ると、ウルベルトの位置マークは龍巳の家の前まで戻っていた。日下部と二人でうろうろと何かをしている。
「…単語か…文章か…。とにかく、色々言ってみるしかないですね。しりとりでもしますか?」
「ふふ、しりとり好きですよ。やりましょう。」
「りんご。」
「ごりら。」
何分もぽつぽつと単語を送りあい――
「くずもち!」
「蝶。」
「う――ウルベルトさん……。」
フラミーがその名を口にするとたっちは頭を撫でた。
「あなたの負けです。」
「はは、負けちゃいました…。はぁ…早くウルベルトさんの為に世界を綺麗にしたいな…。」
『世界を綺麗にしたい。』
そう復唱したパソコンにはcortisol、noradrenaline、dopamineと書かれた三つのウィンドウが開き、それぞれに心電図のような動く腺グラフが表示された。
フラミーの身体状況を確認しているようだ。
そして、それもすぐに閉じられた瞬間、フラミーの両親が映った。
両親が何かを言おうとした瞬間――「負けはてめぇだ!!龍巳!!」
その声に二人は振り向いた。
「な!?ウルベルトさん、あなたは家にいたんじゃ!?それに一体どうやってここを!!」
「透さん!!」
ウルベルトのマークと日下部のマークは今も確かに家の辺りをうろついていた。
「やっぱりマークしてやがったな。ッハ、そんなもんばっかりに頼って縛られてっから、真実が見えねぇんだよ!」
たっちの視線はその手の中のトランシーバーに吸い寄せられた。
「長距離用無線機…!?」
パトカーや警察官の胸にも装備されているそれを、ウルベルトは見せ付けるようにたっちに向けて掲げた。
ガガッと音がすると、そこから日下部の声がした。
『先生、やりましたね!』
そして――『たっちさん!ぷにっとです!フラミーさんを帰してあげて下さい!!』
『タブラです、ちゃんと謝れば今のウルベルトさんならゲンコツ数十発で許してくれます!』
『たっち君、僕だよ。君の家族のためにもフラミー君を離してあげて!』
聞き知った懐かしい友の声がした。
「……なるほど。日下部君にスマホを持たせてうろついて貰い、智者の皆さんに動きを読まれましたか。しかし、海と読めても、この海岸にいるなんて一体どうして。」
ウルベルトは自分のジャケットのポケットをポンポンと叩いて見せた。
たっちは訝しむような顔をし、ジャケットのポケットに手を入れ――板チョコの一欠片程度の機械が出て来た。
「…小型GPS発信器…。あの時か。」
日下部が殴られ、自分に縋り付いた時の事を思い出した。
「そう言うことだな。お前はきっと、動き続ける俺達のマークに気を取られて近付くノーマーカーを気にもしないと思ったよ。」
「…探偵と言うのは恐ろしい職業ですね。」
「お褒めにいただき光栄ですよ、龍巳さん。」
ウルベルトは慇懃無礼に頭を下げると、浜を進んできた。
「止まりなさい。」
ザリッと革靴が鳴り立ち止まる。
たっちに放られたGPSをパシリと受け取ると、ウルベルトはそれを自分のポケットに戻した。
「龍巳さん、私の妻を返して下さい。お世話になっていた分のお金はお支払いします。お望みでしたら、もっとお支払いすることも可能です。」
落ち着いた声だった。
「宇留部さん…私はあなたの奥様から、あなたと奥様――そして世界を苦しめる箱を取り除きます。世界は私が変えると誓います。あなたも箱を決して開かないと誓い、破壊にご協力して頂けるなら、奥様をお返し致します。」
二人は一人の人間として真摯に向き合った。
「…申し訳ありませんが…私は妻の夢を全て叶えると先に誓っております。妻が箱の開示を望み夢見るのなら、私は開かなくては。」
「それではお返しできません。どうか分かって下さい。箱を開く事で、その効力が弱ければ――」
「妻は死に物狂いで見つけ出され、殺される。」
宇留部の目にはこぼれそうな量の涙が溜まっていた。
「わ、分かっているなら何故!あなたは確かに菫さんを愛しているんでしょう!私も一緒に過ごして、友としてだけではなく菫さんを心から大切に思っているんです!」
「……妻の名は文香です。…龍巳さん、あなたは文香を愛して?」
「…妹として…心から…。」
「であれば、彼女の望む世界を叶えてやりましょう。」
龍巳は首を振った。
「生きていれば…生きてさえいれば明日は来ます…。しかし…殺されてしまっては…!あなたは分かっているはずです!死んでしまっては何にもならないと!!それに、開いて…もしあなたの望む通りになったら、誰がこの世を引っ張ると!」
「始めた者の責任は私が取ります。」
「あなたは新世界の王になるとでも言うのか!!」
「私は王になりたいだとか、権力や金が欲しいとか、そんなことは思っていない。できるはずもない。――だけど、龍巳さんが手伝ってくれたら、きっと世界も――俺も間違わない。」
「う、ウルベルトさん…。」
「やろう、たっち。破壊の中に再生はある。」
「し、しかし…私には…私には家族が…。」
二人が対峙する海に、全てを覚悟した者達の声が響いた。
『『この後、処理を続けたら近くの回線に接続して世界中にむけて箱は開かれる。そうすれば全てが変わる。よく考えなさい。』』
『さようなら、僕の深間菫。元気で、僕の村瀬文香。』
『さようなら、私の深間菫。元気で、私の村瀬文香。』
龍巳が振り返ると、幾つも名を持った人はいつの間にか龍巳から離れ、汚染された海水に足をつけていた。まるで、近付くなとでも言うように。
「す、菫さん!いけない!!肌が焼ける!!」
「龍巳さん、透さん。」
「文香…。」
「私、お父さんとお母さんの、これを見て分かったことがあります。」
三人の間を命を奪うような黒い風が吹いた。
「これは、透さんが言うような、開かれても半端で世界を変えきれないようなものじゃない。だけど、龍巳さんの言うような、秩序や人の生活を壊す為の呪われたものでも、ない。」
パソコンを抱えるフラミーへ、龍巳は刺激しないようにじりり…と進んだ。
「わ、わかりました…わかりましたから…海をあがって下さい…!」
「いくつもの日々をたくさんの人達の中で過ごして、私は大人になった。育ててくれた社会にはとっても感謝しています。私は生まれた時からずっと恵まれてた。私を育ててくれる誰かがいたり、私と仲良くしてくれる多くの仲間に囲まれたり、私を愛してくれる透さんに会えたり、私を連れ帰った人が龍巳さんだったり、いつもギリギリの奇跡の中で、誰かに守られて来た。だけど、私の代わりに死んだ多くの人がいた。私、もし光になれたら、アーコロジーも、外も、豊かな人にも、苦しんでいる人にも、すべての場所に輝きを送りたい。」
身勝手すぎるシステムに振り回され続けた村瀬文香が笑った時、宇留部は龍巳に駆け出した。
フラミーが画面に視線を落とし――
「や、やめろぉぉおああ!!」
龍巳は愛する者も、愛した者も、仲間も、友達も、誰も悲しませない為に手を伸ばした。
手は何も掴まずに宇留部に引き倒され、命を吸った黒い砂浜に二人で倒れた。
「やれぇ!!文香ぁあ!!」
宇留部の叫びは震え、目からは涙が落ちていた。
神様、どうか箱に世界を塗り替えるだけの力を持たせて。
全てを捧げて良いと思ったこの人を守って。
二人の気持ちは同じだった。
二一三八年八月一日金曜日、00:00。
これは悪魔の王の誕生物語である。
それは神への復讐の物語である。
そして正義が塗り替えられた瞬間の物語であった。
その日、世界中に箱は開かれた。
まるで魔法が放たれたように空には光が迸った。
朝も昼も夜も関係なく世界中の電気は付けられ、全ての人に見せ付けるように、衛生より空に、テレビに、ラジオに、あらゆる場所に世界を塗り替えるための情報が――いや、呪文が並んだ。
「文香さん…先生…!やった!やったんだ!!」
強制的に火を灯された街で日下部は空に映し出される物を見上げ、失った父と母の背に笑い――これから失うかもしれないモノを想い、止まらない涙に溺れた。
「フ、フラミーさん…。これを…隠すため…たっちさんは…。」
ぷにっとが呆然と空を仰ぐ隣で、タブラは両手を空に伸ばした。
「ふ、ふふ…アインズ・ウール・ゴウンに相応しいですよ…!!これこそアインズ・ウール・ゴウンの物語です!!」
「ははは!やられたなぁ!最初からそう言ってくれれば僕らだってもっと色々できたってのになぁ!ああ…!さようなら、旧世紀!!」
朱雀は戻れなくなるかもしれない日常に爽やかに別れを告げた。
「これは――!!これは――!!」
「発信源はどこだ!!」
「止めさせろ!!迎え!!迎うんだ!!」
「この情報は――貴様らぁ!!」
「まさか、そんな――!!」
それは醜い戦争だった。
巨大複合企業は互いから隠してきた物すら暴かれ――繋ぎ止める紐を解かれ、内部から瓦解を始めた。
そして、互いへ弓を引いた。
旧世紀の支配者達は情報で世界を照らす輝く星を――人類の叡智により生み出された宇宙より地球を見下ろしていたいくつかの星を――敵となったお互いの頭上へ降り注がせた。
流れ星を見た。
天まで焼き尽くすいくつかの炎は激しく立ち昇り、それはまるで地獄に囚われたサタンを取り囲む――ゲヘナの炎。
いくつかの特区が消滅すると、アーコロジーを稼働させるための金を出す者が居なくなり、政府と呼べる物は失われ、世界中のアーコロジーは動きを止めた。
アーコロジーを維持するために食い潰していた世界に残る美しかったものは解き放たれた。
少しだけ空は綺麗になった。
毒の霧は以前より少しだけ減った。
アーコロジーは二度と月の繭のように輝くことはなかった。
あれから二ヶ月。
宇留部は晴れ間が時に見えるようになった空を見上げた。
「やっぱり、フラミーは世界を綺麗にする天使だったんだな。」
「世界を破壊する悪魔でしたよ。」
その隣で龍巳は海の写真を撮った。
世界は何かを失い、何かを取り戻した。
それはフラミーの望んだ通りのものへとこれから変わっていくだろう。
「先生、龍巳さん。そろそろ出ないと次の会議に間に合わないですよ。」
日下部の声に二人は海から踵を返した。
「国の名前なんか話し合ったって仕方ねぇだろ。そんなもん日本で良いんだよ。」
「おや、アインズ・ウール・ゴウン国にしないで良いんですか?」
龍巳の茶化すような声に宇留部はベッと舌を出した。
「長すぎんだろ。」
止まっている車に乗り込むと、生活が変わったような、変わらないようなと言う雰囲気の街を往った。
二人はたどり着いた息苦しい議事堂に入ると、多くの人々に頭を下げられ――、一つの部屋へ進んだ。
箱が開かれる時に備えて多くのレジスタンス、智者、活動家が様々な理想を思い描き、備えて来た。
新たな政府の発足にそう時間は掛からなかった。
ただ、そんな者達をまとめるのはそう容易な事ではないだろう。
しかし――。
二人は扉を開けた向こうに微笑んだ。
「ただいま、足の調子はどうだ?」
「戻りました。海は少し綺麗になってましたよ。」
多くの仲間に囲まれた女神は変わらぬ、花咲くような笑顔を見せた。
「おかえりなさぁい!透さん、龍巳さん!!」
(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)
次回#真実の終わりとその後