「――至高の御方々に我らの忠義、全てを捧げます。」
全員揃って恭しく頭を下げた。
モモンガはこれをどう思っただろうかと、ウルベルトをチラリと確認した。
昔なら大喜びで魔皇になっていただろう。
ウルベルトは静かに口を開いた。
「…顔を上げてくれ。皆、俺はここからリアルへ帰る方法を探してる。方法は問わない。誰か何か知らないか。」
全員が鎮痛な表情――とくにデミウルゴスのそれは深かった――をした後、誰か何か知らないかと互いを見合った。
知るものが居そうにないのを見ると、ウルベルトはまぁそれはそうだよなと苦笑した。
「――じゃ、全員、日下部をいじめたりしないように。俺からはそんなとこ。モモンガさんは?」
「俺も各員の考えは充分に理解しました。フラミーさんはどうですか?」
突然振られ、少しぼーっとし始めていたフラミーはハッとするとえーと、えーと、と言葉を探した。
「あ、えっと…皆…すごいです…。そう、すごいです!素晴らしすぎますよ。はは、ははは!私達、ねぇ、モモンガさん。私達、ここで生きていくんですね!」
小さかった声は徐々に大きくなり、笑いが溢れ、輝くような瞳でモモンガと守護者をとらえた。
その裏の無い真っ直ぐな言葉をモモンガと守護者は噛み締めた。
「…フラミー。」
ウルベルトの呟きは玉座に溶けて消えた。
「――それでは私達は行く。各員今後とも忠義に励め!」
ザッと音が鳴るような揃った動きで全員が頭を下げると、四人は玉座の間を後にした。
残った守護者達は静かに立ち上がった。が、立ち上がらない者もいた。
「…デミウルゴス…。」
アウラはその側に行くとそっと背に触れた。
「……ウルベルト様がリアルへお戻りになりたいというのは最初からわかっていた事です。」
「おんし、お止めしんしたらどうでありんすか…?」
立たないデミウルゴスの前にシャルティアもしゃがみ、その顔を覗き込んだ。
「主の望みは絶対ですよ。さて――防衛プランの再構築をします。ナザリックを守る事が至上命令ですから。」
デミウルゴスはそう言うと立ち上がり、静かに様子を見ていたパンドラズ・アクターへ向かった。
お互い頭を下げ合うと、握手した。
「私は第七階層が守護者、デミウルゴス。」
「私は宝物殿が領域守護者、パンドラズ・アクターです。」
「よろしく。モモンガ様に生み出されし君も、私やアルベドと共にプラン作成に立ち会ってくれ。」
「かしこまりました。」
「取り敢えず、外に他のプレイヤーも残ってないか見に行きますか?」
ここに命がある様子の今、他のプレイヤー達と争いになったりしては目も当てられない。
ウルベルトはモモンガの言に頷くと、
「フラミー、日下部。お前達にはそれぞれこれをやる。」
取り出したのは薔薇のピアスと、腕につける
「ありがとうございます、先生。」
素直に受け取った日下部と対照的に、フラミーは良いものかともじもじした。
「ん、早く着けな。」
「あの、でも…。」
「少しでも痛い思いしないようにするためだから。早く。」
押し付けられるように渡されるとフラミーは頭を下げた。
それまで着けていた物を外し、ウルベルトから渡された物に着け変える。
「ウルベルトさん、ありがとうございます。」
「良いって。じゃ、地表部行きますか。」
その様子を眺めると、モモンガも昔自分が着ていた群青の羽織るタイプのローブをズルリと引き出した。
「フラミーさん、一応これも着てください。ちょっと翼が窮屈かも知れないですけど。」
「わ、す、すみません。何だかんだ皆さんにいろいろ貰っちゃって。」
「良いんですよ。着られたら地表部に来てください。ウルベルトさん、日下部さん。先に上に行きましょう。」
二人が頷くのを見ると、モモンガの姿は一足先にかき消えた。
続いてウルベルトも消える。
「…フラミーさん。」
せっせとローブを着ていたフラミーは日下部を見上げた。
「はひ!」
「宇留部さんは、本当にずっと毎日あなたに連絡を取ろうとしてましたよ。だけど、ベルリバーさんって人が死んで、先生は責任を果たそうとしてるんです。」
日下部の言葉に、何を言われているのか分からずフラミーは数度瞬いた。
「…ベルリバーさんが…死んだ…?」
「そうです。…ベルリバーさんや、同じように親を殺された俺、世界に苦しめられるフラミーさんのために…ずっと、ずっと一人で寝る間も惜しんで色々なことを調べてやって来たんです。――先生は自分のことを何も話さないけど、いつも"もし世界を綺麗にできたら…"って言ってあなたを迎えに行きたがってました。その先生の気持ちだけは疑わないでほしい。」
「日下部さん…。」
「放って置かれて、信用できないのも分かりますけど…。」
フラミーは辛そうにする日下部をじっと見た。
「…信じます。だけど、それとリアルに戻るとか、ウルベルトさんに夢を叶えて貰うとか…そう言うことはまた別のお話です…。」
「分かってます。ありがとうございます。それだけで十分ですよ。あとは先生が頑張るところです。」
「日下部さんは、ウルベルトさんのこと大好きなんですね。」
「血は繋がってないけど、兄貴だと思ってますよ。俺の最後の家族だって。」
フラミーはそれを聞くと胸を抑えた。
「――家族…。」
「俺の欠けたものを与えてくれる――家族です。」
孤児院の大部屋と言う大勢の人の中で生きてきたが、生まれた時から一人ぼっちだったフラミーは、人に家族を与えられるウルベルトと言う存在を眩しく感じた。
「じゃ、兄貴が待ってますから。」
日下部が頭を下げ、転移しようとすると、ハッとフラミーは日下部の手を取った。
「あ、――待って下さい。」
「ん?」
「私は村瀬です。日下部さんのこと、リアルの名前で呼んでますから。私のことも村瀬って呼んでください。」
「はは、分かりました。村瀬さん。」
二人は少し仲良くなった。
地表部霊廟内へ転移すると、そこには外を眺めるように四人の悪魔が立っていた。
四人はすぐさまフラミーへ振り返った。
「これはフラミー様。護衛はクサカベ一人ですか?」
「…ご、護衛…。」
日下部は苦笑した。
霊廟内の先ではモモンガとウルベルトが茫然と立ち尽くしていた。
「――嘘だろ?ユグドラシルでもないのか…?」
「――こ、この草原…この夜空…。」
黒や紫が入り混じり、数えきれない星が瞬く空を見間違いではないかと二人は何度も目をこすった。
「綺麗な……世界……。」
ウルベルトが綺麗すぎる世界を前に呟いていると、後から現れたフラミーと日下部も空を見上げ、己を失った。
「なんと言う美しさでしょう…。」
フラミーの追加護衛として付いてきたデミウルゴスに、フラミーは頷いた。
「本当に、こんなに綺麗な星空が見れるなんて思いもしませんでした。」
この世界に来て初めて心穏やかに微笑んだ。
「星空…。いえ、この星達も、フラミー様の前ではくすみましょう。」
デミウルゴスがそう言うと、全員がそちらへ振り返り、デミウルゴスは即座に頭を下げた。
「出過ぎた真似を。」
「いや。気にするな。」
モモンガがそう言う中、ウルベルトはフラミーの下へ進んだ。
「フラミー、この世界は随分綺麗みたいだな。」
「はひ…。ねぇウルベルトさん…綺麗なこの世界で一緒に暮らしてくれませんか…?もう向こうもいいじゃないですか。」
「…ここが綺麗なのと、リアルが腐ってるのは関係ないことだろ?だけど、フラミー…。」
ウルベルトはフラミーの瞳の中の満点の星空を、死ぬまで忘れないようにしようと賢明に脳に焼き付けた。
「お前はやっぱり、ここで暮らしな。綺麗な世界の中でお前を暮らさせるって言うのが…俺の夢だから。リアルへの道が開けても、俺は…一人で戻るよ。あれこれ言って振り回してごめん。」
「師匠…。」
「日下部もここにいろよ。向こうのことは俺に任せな。」
ウルベルトが決心したように笑うと日下部はギュッと拳を握った。
「宇留部さんは済んだことは気にしないんじゃないんすか…。なのに…済んだこといつまでもうだうだ言わないでくださいよ…。」
「…それ俺のセリフじゃん。っつーか、ちゃっかり本名暴露すんなって言ってんだろ。」
ウルベルトは困ったように日下部を見た。
「いなくなった誰かのために仕方なくやるような……本当は望んでもない事なら、そんなもんもうやめましょうよ!こんなに綺麗な世界があるのに……一人であっちに帰って、また一人で全部背負い込もうなんて…あんまりっすよ…!」
「箱を待つ多くの人がいるんだ。仕方ないだろ?お前やフラミーだって、箱を待ってる一人だった。」
フラミーは箱…?と首を傾げた。
「箱なら
握られた拳は最強装備に包まれる上半身を殴った。
ドンッと音が鳴るが、ウルベルトにはたったの1ptもダメージは入らなかった。見ていたデミウルゴスはわかりやすく顔をしかめた。
「はは、レベル差があるみたいだな。リアルだったら痛そうな一撃だわ。」
日下部の顔は赤くなっていた。
「世界を綺麗にしたら…村瀬さん迎えに行くつもりだったんだろ!良い加減にあんたも幸せになる努力を始めてくれよ!俺はいつまで寂しいって泣くあんたを見てなきゃなんないんだよぉ…!」
モモンガはそれを聞くと苦笑するウルベルトの横顔を見た。
「お前、ちゃっかりフラミーの事村瀬村瀬って呼んでるけど、お前らいつの間に仲良くなったんだよ。はは――はぁ。俺のやりたい事…か。」
そんな事、とうの昔に忘れていた。
空には煌く夜空。ウルベルトは本当にやりたかったことを思い出した。
「俺のためにフラミーの夢を叶える、だな。――
日下部はハッとするとごしごしと顔を拭いた。
「…すんません。」
「良いよ、俺…おかしくなってたのかな。ベルさんや、間に合わなかったお前の父さん達…フラミーの孤児院に返さなきゃならない養育費の額とか…知れば知るほど、自分の親父達の事とか…もう色々自分の中でぐちゃぐちゃになってたのかな。」
ウルベルトは冷静に問題の分離を始めると、フラミーはその最強装備を引っ張った。
「――ん?」
「ウルベルトさん、私のこと知ってるの…?」
「……あー……俺、ストーカーだからさ〜。はは。まぁ、お前の名前と、持ってる負債額くらいしか知らないから、許してよ。」
本当は住んでいる場所も調べたが、言えなかった。これでも十分知りすぎだろう。
「リアルが綺麗になったら、ウルベルトさんもここで一緒に生きてくれる?」
「あぁ、そうだな。取り敢えずは向こうに行って…世界綺麗にして、こっちに戻ってくる方法を探すよ。きっとお前のいる場所に戻ってくるから。」
ウルベルトはそう言うと、フラミーの前に跪いた。
「――なぁ、戻ってきたら、もっかいだけ俺の言葉の意味、よく考えてよ。お前の夢叶えたいって。」
フラミーはウルベルトをじっと見るとうなずいた。
「分かりました。」
「ありがとう。じゃ、明日からリアルに戻る方法でも探しますかねぇ。――モモンガさん、日下部が鼻垂れ野郎ですんませんね。」
「い、いえ…。俺は…。それより、ウルベルトさん…そんなにリアルで辛い思いしてたんですか…。」
「いや、思ったように勝手に一人で身軽にやってましたよ。なんか勝手に泣いてたことにされてたけど。」
ウルベルトはどうと言うことはないと笑い飛ばすと、霊廟へ向かった。
戻ってくると言う言葉に瞳を輝かせていたデミウルゴスと日下部はその後に続いた。
眼前の霊廟内は薄暗かったが、そこには真っ白なドレスに身を包むアルベドがいた。
「これは…ウルベルト様。」
少し気まずそうに頭を下げられていると、ふと霊廟内は真っ青に照らし出された。
「――フラミーさん!?」
モモンガの焦るような声に振り返ると、フラミーの体の周りを青白い魔法陣が輝いていた。
「――ねぇ。ここから、リアルまで魔法届くと思います?」
「わ、分かりません。でも、何をしようって言うんですか!?」
「ふふ。モモンガさん、ウルベルトさん、私に任せてください!」
モモンガとウルベルトは何かとフラミーを眺め、フラミーが砂時計を出したところでウルベルトは何をするつもりなのか察した。
「フラミー!やめろ!!待て!!それなら俺が――!!」
慌ててフラミーの手を掴むが、フラミーの手の中にあった砂時計は砕け、重力に逆らい砂が魔法陣の中へ吸い上げられた。途端に魔法陣が光り輝くとフラミーは願いを口にした。
「私達のリアルを――世界を綺麗にしてください!!」
フラミーの体からドッと光が立ち昇る。
その日、リアルの空には朝も昼も夜も関係なく世界中の電気は付けられ、全ての人に見せ付けるように、衛生より空に、テレビに、ラジオに、あらゆる場所に世界を塗り替えるための情報が――いや、呪文が並んだ。
フラミーに触れていたウルベルトは確かに見た。
リアルの空が晴れて行き、毒霧が浄化され、箱の中身だと思われる全てが開示されたのを。
――そしてリアルとの繋がりは消失した。
「――世界を…綺麗にする天使…。」ウルベルトが呟くと、フラミーの体はぐらりとよろけた。
「フラミー!?」「フラミーさん!!」「村瀬さん?」
「っあぅ…だるい…。」
生命力の喪失――レベルダウンがその身を襲い、フラミーはそのまま眠りに落ちた。
「――――来たか。」
「世界に激しく干渉する力。今回の揺り返しはどうやら――世界の敵のようだね。」
そういうと、漆黒聖典を追わせていた鎧の足を止めた。
行き先を変える。
世界を激しく揺らした――竜帝に及ばんとする力を探すため。
フラミーが目を覚ますと、そこは知らない天井だった。
(ん……。)
ふかふかと柔らかいベッドから起き上がり辺りを見渡すと、それはどうやらフラミーの自室のようだった。ゲーム時代、寝室などは殆ど使わなかったのですぐには分からなかった。
くるりと端から端に視線を回すと、ベッドの隣に置かれた椅子で山羊が足を組んで眠りこけていた。
「――師匠。」
フラミーはウルベルトの様子に微笑み、そのもふもふの頭を撫でた。
「ん……ぁ、ふらみー。体はもういいのか?」
「平気です。よしよし、メェちゃんえらいえらい。」
ウルベルトは手を振り払うようにぷるぷると顔を振った。
「……お前、俺のことなんだと思ってんの。」
「寂しがり屋さんの山羊さんですよ!」
爛漫な顔に苦笑する。
「寂しがり屋なことは否定しないけどさぁ…。山羊さんって…。」
「山羊さんなことも否めないです。」
「まぁなぁ…。」
キャラクターメイクを失敗したかとウルベルトは己の顔をもすもすと触った。違和感ひとつなく、まるで生まれた時から山羊のようだった。
「それから、世界を綺麗にするために頑張ってた山羊さんです!」
「…お前のために、世界をぶっ壊そうと頑張ってた山羊さんだよ。」
ウルベルトはそう言うとベッドに座るフラミーの手を取った。
「――だけど、結局お前に綺麗にして貰ったみたいだ。…ありがとう。」
「いいえ、なんだか分からないけど、それは私の役目だって思ったから。」
「はは、なんだそれ。」ウルベルトは笑うと立ち上がり、フラミーを引っ張り立たせた。「フラミー、霊廟に一緒に来てくれ。」
真剣な眼差しにフラミーは頷き、二人は宝物殿に飛んだ。
黄金の山を避けて霊廟へ向かう。
「…お前が世界を綺麗にしてくれたおかげで…リアルへ帰る理由がなくなった――訳じゃないけど、ここに残る理由の方が大きくなった。」
三歩ほど前を歩く山羊を見上げ、フラミーはその後を追った。
「じゃあ、もうリアルに帰ろうって言わない?」
「あぁ、当面は言わないつもり。」
「どうしたら一生になるんです?」
ウルベルトはうーん、と唸った。
「お前が安心して本当にちゃんと暮らしていける場所なのか調べないとダメだろ。ここが実はグランデラ沼地の跡地で外に出た瞬間大量のツヴェークが土の中からもりもり出てきたりしないかとかさ。」
「――じゃあ、調べるために冒険ですね!」
「そう言うことだな。」
黒い壁の前に着くと二人は笑った。
「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗き者は全て汝より離れ去るだろう。」
ウルベルトがパスワードをスラスラと言うと、フラミーは「おー」と感心したように両手を叩いた。
黒い壁は点へと変わり、暗い廊下を行く。
真っ直ぐに待合室に抜けると、パンドラズ・アクターが二人へ頭を下げた。
「いらっしゃいませ。フラミー様、ウルベルト様。」
「よ、また来たよ。ちょっと霊廟行くから、指輪頼んでいいか?」
ウルベルトとフラミーが指輪をパンドラズ・アクターへ渡そうとすると――ウルベルトは名伏しがたい感情に襲われ、その手を止めた。
(……なんだ?)
パンドラズ・アクターの表情は何ひとつ変わらず、ぐりぐりと塗りつぶしたような点の目からは何も感じられない。
フラミーは四本の節くれた指の生える手の平にそれを置いた。
「――如何なさいましたか?ウルベルト・アレイン・オードル様。」
「…あ……いや、何でもない。」
指輪を渡すと二人はパンドラズ・アクターに見送られて霊廟へ進んだ。
「さーて、ベルさんベルさん…と…。」
何も装備していないベルリバーのゴーレムの前に着くとウルベルトはそれを見上げた。
「ベルさん、色々やってくれてありがとう。今日世界は綺麗になったみたいだよ。――こいつ、フラミーがやったわ。ははは、信じらんねぇよ。」
楽しげに語り出す横で、フラミーは手を合わせた。
「ベルリバーさん。どうか安らかに。」
「――何?」
それを見下ろすウルベルトの視線は揺れていた。
「ウルベルトさん、辛かったですね。ベルリバーさんもきっと今頃喜んでますよ。」
「フラミー…。」
「もっと早く教えて貰ってたら、向こうにいた時の私だって色々お手伝いできたのに。」
「……言えねぇよ。お前が考えるより、もっと複雑だったんだから…。」
二つ分の静かな呼吸が続くと、フラミーは聞いたこともない歌を歌った。
いや、それは確かにどこかで聞いたことがある――不思議な旋律の曲だった。
「なぁ、それ…何の曲?」
「これ?ふふ、私作曲ですよ。」
「…俺それ聞いたことあるわ。もっかい歌って。」
「あらぁ…私が作ったんだと思ってたなぁ。えっとね――」
思い出そうとしても思い出そうとしても、それをどこで聞いたのかウルベルトは思い出せなかった。
「――やっぱり子供の時から歌ってるから、誰かの曲真似てるだけなのかな。」
フラミーは少し残念そうに笑った。
「…子供の時から…か。まぁ、良いか。」
思考を破棄したウルベルトもベルリバーに手を合わせ、フラミーはしばらく鼻歌を歌った。
静かに過ごし、二人は待合室に戻った。
がらんとしたソファセットが置かれるそこには誰もいなかった。
「あれ?パンドラズ・アクターさんいないです。」
「おかしいな。
ウルベルトがパンドラズ・アクターに繋ぐと、
それは受信拒否かログアウトだ。
「どうです?」
「――出ねぇわ。金貨の山の方にいるのかな。」
そのまま待合室を後にし、雑多に金貨が積まれる場所に出ると二人は辺りを見渡した。
「パンドラズ・アクターさーん。」
「おーい、モモンガさんの息子ー。……いねぇな?<
周囲の生命反応を感知する魔法を発動させてみるが何も反応しなかった。
「少ししたら戻って来るかもしれません。」
「ふむ、それはそうだな。トイレかもしれないし、待ってみるか。」
この宝物殿にトイレがあるのかは謎だが。
「後はモモンガさん達、呼びます?」
フラミーのモモンガを呼ぶ声はどこまでも優しく、少し上ずりそうだった。ウルベルトが引退して二年、二人は遊び続けているのだ。フラミーの中でモモンガの存在はそれはそれは大きくなっていた。
「――いや、日下部に部屋あげるとか言ってたから。無理に呼び出すことはないさ。」
ウルベルトの脳裏には佐々木凛子の言葉がよぎっていた。
(…宇留部先生…でも…二年も連絡とってないんでしょ。もう相手の人だって、誰か好きな人くらいいますよ。)
それがモモンガだと言うのかとフラミーを静かに観察し、ウルベルトは小さなため息をついた。
モモンガと日下部は予備の部屋を訪れていた。二人の後には
「じゃあここは日下部さんの部屋にしてください。」
「ありがとうございます。ちょっといい部屋すぎて落ち着かないっすね。」
日下部がぽり…と頬をかくと軽い舌打ちが響いた。
「あなたには過ぎた施しです。もっと深くモモンガ様へ感謝してください。ウルベルト様の配下の者とは言え、
「ナーベラル、やめんか!」
モモンガが咎めると、ナーベラルは深く頭を下げた。
「申し訳ございません。モモンガ様。」
「私ではなく日下部さんに謝れ。ウルベルトさんの大切な部下だ。」
「…申し訳ありませんでした。クサカベ。」
「はは、ま、俺あんま気にしないっすから。ナーベラルさんも、気にしないで下さい。」
「では気にしません。」
ナーベラルはすんっとした。
「………なんかすみません、ほんと。」
「…い、いえ。」
苦笑を交わし合うと、モモンガはスイートルームの執務室兼リビングから始まり、ベッドルーム、ドレスルーム、バス、トイレと案内した。
一周し終え、リビングルームに戻ると二人は向かい合い座った。
「それにしてもウルベルトさん、寂しくて泣いてたなんて可愛いところありますねぇ。」
「ははは、死ぬほどウジウジしてましたよ。でもこれで先生もさっぱりしたでしょうね。」
日下部は憑き物が落ちたように爽快に笑った。
「はは、でも俺も少し気持ち分かるからな。フラミーさんが支えみたいになってたし…。今はウルベルトさんも戻ってきてくれて…本当に良かった…。」
良かったが、一緒にここで生きていくんですねと笑いかけてくれたフラミーの笑顔が何度も脳裏を過ぎる。
モモンガは軽く頭を抱えた。友人が好きだとあそこまではっきりと公言するフラミー。
(……参ったな。)
苦笑していると扉がノックされた。
モモンガが出るため腰を上げようとすると、日下部が立ち上がった。
「村瀬さん起きたかな?」
ナーベラルはモモンガの後ろに静かに控えている。
「はーい、どちら――あ、モモンガさんの。」
扉の向こうには卵頭の埴輪がいた。
「パンドラズ・アクター…。どうかしたか?」
「モモンガ様、一つご相談がございまして、参りました。」
「なんだ?日下部さん、いいですか?」
「もちろん、どうぞ。」
日下部はいつも依頼者を応接セットに案内する調子でパンドラズ・アクターをモモンガの正面に連れて行った。
日下部は一人掛けソファに掛け――パンドラズ・アクターは迷いなくモモンガの隣に座った。
「…ちか。」
モモンガが小さく呟くのも聞こえないのか、パンドラズ・アクターは身を軽く乗り出すようにモモンガに迫った。
「モモンガ様。つい今しがた、フラミー様がウルベルト様に連れられて宝物殿へいらっしゃいました。」
「そ、そうか。フラミーさんが目覚めたのは何よりだ。」
「そのまま霊廟へ向かわれ、こちらをお預かりいたしました。如何なさいますか?」
そう言い、見せてきたのは指輪だった。
「如何なさいますかとは?これがなければ二人は出て来られないだろう?」
「ウルベルト様はリアルへフラミー様を連れ去るおつもりです。フラミー様は宝物殿にいらっしゃるべきお方だと言うのに。」
モモンガは数度瞬いた。
「何?落ち着け、ウルベルトさんはもうリアルへ戻ることはやめた。」
「何故でしょう。あれほどお戻りになりたがっていたというのに。」
「戻る理由をなくしたからだ。フラミーさんが解決してくれた。」
パンドラズ・アクターの黒い瞳の中に流れ星が通った。
「そうでございましたか!!流石はフラミー様。しかし、それは恒久的なものでしょうか?」
「それは本人へ一応確認した方がいいだろうな。」
「なるほど、なるほど…。」
「確認と指輪の返却のためにも宝物殿に行くか。すぐに戻りますから、日下部さんは自室整えてて下さい。」
日下部は感謝を形にするように頭を下げた。
宝物殿で二人は金貨の山に腰掛けていた。
「フラミー、お前だったらあっちに帰って借金全部返したいーとか言うと思ったのに、意外だわ。」
「ん?んー…なんか、ずっと親を持たない次の私のためにもそうするべきだって思ってたのに、途端にどうでもよくなっちゃいました。」
フラミーは何でもなさそうにそういうと、ザラっと軽く金貨に背を預けた。
「…わかるよ。俺も途端に色々どうでもよくなった。綺麗な空のせいかね。」
「あの空、本当に綺麗でしたもんね。」
「あぁ。本当に。」
隣に座るフラミーの瞳は宝達を映し、輝いていた。
外で星空を映していた時に忘れないようにしようとした光景を思い出し、ウルベルトはじっとフラミーを見た。
金貨などくすむような輝きに飲まれる。
「フラミー…綺麗だ。」
「はは、元々CGですからね。」
フラミーはおかしそうにくすくす笑い、目が細められると瞳はよく見えなくなった。
可憐な姿に、息苦しさを感じるほどウルベルトの胸は締め付けられた。
「…好きだ。」
唐突に漏れた言葉にフラミーは一瞬目を丸くし、顔を背けた。
「フラミー、俺、二年お前を無視した償いをするよ。お前に好いてもらえるように努力する…。」
細い顎に指先で触れ、自分の方へ向けさせると紫色の顔は真っ赤になっていた。
「――わ、わたし…まだ…あの…。」
「俺が男だって認識したのも今日なんだって解ってる…。でも、よく考えてみてくれよ。俺とのこと。」
もう一度フラミーが「はひ」と頷くとウルベルトはポン、と頭に手を置いた。
「ありがとう。今まで本当にごめん。」
「ぃぇ…そんな…。少し…待っててください…。私、ちゃんと考えますから。」
「俺に悪いからとか、ナザリックで一緒に暮らさないといけないからとかは考えんなよ。俺は気にしないから。」
「ありがとうございます…。」
その言葉だけで、なんとなく振られるような気がした。
ウルベルトの中に凶暴な気持ちが湧き出る。無垢そうに顔を赤くしている生き物がモモンガに取られたら――
(いや、元から俺の物じゃないのに俺は何を…。)
己の思考を破棄しようと頭をわしわしとかいていると、おーい、とモモンガの声が聞こえた。
「――モモンガさんです!」
モモンガを求めるフラミーの横顔は綺麗だった。
「そうだな…。」
「モモンガさーん!」
両手を口の横に添えて返事をしているとすぐにモモンガは姿を現した。
「フラミーさん!ウルベルトさん!すみません、パンドラズ・アクターが勝手に指輪持ってっちゃって。」
フラミーは指輪を返されると首を振った。
「いえ!どのくらいで霊廟から出てくるのか言わなかったですから。」
「本当すみません。フラミーさん、体や変化はどうですか?」
尋ねられたフラミーは己を見下ろした。
力の消失だ。
「…超位魔法、一日四回は使える感覚があったんですけど、今はもう三回しか使えない気がします。それに…超位魔法が五つと…他にも第十位階魔法がいくつか使えなくなったかな…。」
超位魔法の使用回数は、習得時に一回、七十レベルを超えると、十レベルごとに一回ずつ増えていき、普通の百レベルプレイヤーなら一日四回使用することが可能だ。
習得できる数は一レベルごとに一つ。つまり、フラミーのレベルの喪失は――「五レベルダウンか…。」
モモンガの赤い瞳の灯火は心配そうに揺れていた。
「明日からの調査はフラミーさんは一緒に出ない方が良いかもしれないですね…。」
「モモンガさん、危ないって気持ちはわかるけど、レベル上げ直すなら一緒に行かせて経験値稼がせた方が良いんじゃないすか?」
「でもウルベルトさん。まずはこの世界の力がどの程度なのかきちんと確認が取れてからの方が良い気がしません?」
「ふむ、それはそうっすね。」
二人が勝手に納得している横でフラミーはそっと手を挙げた。
「あの、私も最初から冒険行きたいです!」
「俺は良いと思うけど…モモンガさん、どうします?」
「危ないと思います。」
「でも、日下部さんも一緒に行きますよね?」
フラミーがそう言うとモモンガはウッ…と声を漏らした。
日下部には悪いが、日下部をフラミーほど大切には思っていない。もちろん死んでしまうようなことは避けたいが、日下部が多少怪我をすることはまぁ良いかと思える。
すると、ウルベルトが口を開いた。
「あいつなんか怪我しても唾つけときゃ治るけど、お前はか弱そうじゃん。」
「日下部さんよりよっぽど強いですよ!」
「分かったわかった。俺は来ても良いと思ってるから、モモンガさん説得しな。」
フラミーはムゥと少し頬を膨らませるとモモンガにズイッと近付いた。
「モモンガさん!!私も一緒に世界を冒険したいです!一緒に感動したいです!!」
一緒に世界を冒険。
モモンガは即座にうなずいた。
「一緒に冒険します。」
「ちょれぇなぁ…。」
ウルベルトの横槍は二人には届かなかった。
三人が自室へ戻っていくと、パンドラズ・アクターはウルベルトとフラミーの座っていた金貨の山の形を軽く直した。
「…ウルベルト・アレイン・オードル様。危険ですね。」
自室に戻り、メイドに迎えられたフラミーはお団子頭を崩していた。お待ちかねの風呂だ。
うきうきと服を脱いで行き、リアルの自分の胸より少し大きい、控えめバストにニヒリと笑った。
そしてパンツを脱ぐと――「え?」
フラミーは己の股間に視線を落として硬直した。
声にならない悲鳴をめちゃくちゃに上げると、慌てて服を着直し、洗面所を飛び出した。
「フラミー様!?」
メイドの驚く声がするが、今は気にしていられなかった。
フラミーは寝られないはずのモモンガの部屋へ走った。
そして紫の顔を青く――すっかり血相を変えて扉を叩いた。
「も、も、も、モモンガさん…!モモンガさーん!」
少し慌てた様子のモモンガがすぐに扉を開いた。
「ど、どうしました!?」
「あのっ、お、お部屋に入れてください!!」
目を白黒させたモモンガはフラミーを部屋に招き入れ、フラミーは泣きそうな顔をしてモモンガを見上げた。
モモンガはハラハラしすぎて鎮静と昂りを繰り返していた。
「それでフラミーさん、何がどうしたって言うんですか!?」
「モモンガさん、お願い!私を助けて!!」
「何ですか!?俺、なんでも力になりますよ!!」
フラミーは青くなっていた顔を赤紫にするとローブのスカート部分を握り締めて言った。
「今、今お風呂に行こうとしたら何もかもが正常なのに、茶釜さんみたいなのがお股についてたんです!!」
叫ぶフラミーの金色の瞳の端には涙が浮かび、螺鈿細工のように光を反射させた。
(……は?)
モモンガはパカリと骨の口を開けた。
ただただその言葉を頭の中で繰り返す。
茶釜さん――ぶくぶく茶釜と言えば、怪しいピンク色の男根姿のアバターだった。
男根アバターが付いていると言うことは、この人は男なのかと数度瞬いた。
「ど、ど、ど、どうしたら…これ、どうやったら消えるの。」
すがるようなフラミーにモモンガはそっと肩に手を置いた。
「あー…いや、その、なんて言うか、二つあれば、何かと便利なこともあるかもしれませんよ…?」
「便利じゃないですよぉ!このままじゃ私お嫁に行けません…!こんなの…こんなの…。」
翼をペタリと床に落とし、心底落ち込んでいる様子のフラミーの背をさすり、なんとか慰める言葉を探す。
「と、とにかく…んーと…ウルベルトさん起こして相談します?取り方と言うか、なんか良い魔法持ってるかも。」
「でも広めたくないです!!」
モモンガはウルベルトも教えてもらえない秘密の共有に少し胸を躍らせた。
「――それはそうですよね。とは言え俺はそれ消せる魔法持ってないからなぁ。」
自分のは消え去ったが。
「モモンガさんでも…できないの…。」
「すみません。力になるって言っておいて…。」
「いえ…。」
「何か方法探しましょうね。」
「はひぃ…。」
項垂れているフラミーを前に、モモンガはぽり…と骨の頬をかいた。
「――フラミーさんの夢、可愛いお嫁さんなんでしたっけ。」
フラミーは小さくうなずいた。
「ついてても可愛いお嫁さんにはなれますよ。」
「うぅ…モモンガさんは気にしないです…?」
「…気にしないですよ。さ、今日はもう寝てください。」
扉を入ってすぐの場所のその会話は廊下にわずかに漏れていた。
飲もうと誘いに来たウルベルトは、モモンガの部屋の前で固まっていた。
中からわずかに聞こえて来た言葉を前に、ノックすることをやめ、静かに手を下ろした。
ウルベルトは扉の前からくるりと背を向け、静かに自分の部屋に戻った。
メイドを追い出し、第五階層へ飛んだ。
(俺って邪魔者かな…。)
とぼとぼと溶岩の川へ向かって歩いていると、後ろから走るような足音がした。
「――誰だ?」
振り返ると、デミウルゴスが走ってきていた。
「ウルベルト様!!」
「デミウルゴス?お前、こんな時間にどうしたんだ?」
「いえ、御身がいらっしゃったのを感じましたので!」デミウルゴスはすぐ前に来ると跪いた。「――ようこそ第五階層へ。我が創造主、ウルベルト・アレイン・オードル様。」
「お前、随分格好いいな。立ちな。」
「あ、ありがとうございます。ウルベルト様、どちらへお向かいに?」
「んー、少し溶岩でも眺めようかと思ってな。」
「ご案内いたします。」
デミウルゴスが先導する背中を、俺が作ったんだけどと苦笑しながら追った。
「――この辺でいいよ。」
黄昏るには良さそうな場所を見つけるとウルベルトは床に座った。デミウルゴスは立ち去る様子がない。
「…お前も座りな。」
この階層の全てはウルベルトの物。汚れはひとつもない。デミウルゴスは躊躇わずに座った。
「恐れ入ります。」
ウルベルトは近くに落ちている小石を拾うと数度手の中で弄び、ヒュンッと流れる溶岩の中へ投げた。
「はぁ…。」
そして、ため息にデミウルゴスは少し身を固くする。もう帰るのはやめたと眠に落ちたフラミーを抱えて行っていたが――。
「ウルベルト様…何か、お気に召さないことが…?」
「ん、んー。まぁな。ままならなくてな。」
「御身が望めば明けの明星すら宵の明星へと変わりましょう。」
どう言うこっちゃとウルベルトは苦笑した。
「俺はずっとフラミーが欲しいんだよ。でも、フラミーは俺なんか眼中にない。近いうちに多分俺は振られんだろうな。」
「そのような!御身より良い男などこの世にいますでしょうか!」
「モモンガさんだよ。」
ウルベルトは再び小石を投げた。
「モモンガ様は…確かに、ウルベルト様に匹敵するやもしれません…。」
「だろ。俺はさぁ。フラミーの事、ずっと無視してたんだよ。だけど、モモンガさんはずっとナザリックでフラミーの帰りを待ってた。俺は逃げ出してたんだ。」
デミウルゴスは黙って耳を傾けた。
「フラミーの帰る場所はもう、決まってるのかもしれないな。」
ウルベルトの儚いような笑いにデミウルゴスは胸を痛めた。しかし、モモンガと言う絶対支配者はいつでもナザリックと共にあってくれた事は紛れもない事実だった。
「ウルベルト様…。」
「なんて、いきなり聞かされても意味わからないよな。ユグドラシル時代のことなんか。」
「いえ…御身がナザリックにお戻りいただけなくなった日のことは昨日のように覚えております。」
ウルベルトは軽く目を丸くした。
「お前…。」
「ウルベルト様。私にとって、モモンガ様は絶対支配者ではありますが…我が至高の君は創造主たるウルベルト様でございます。御身が望まれるのならば、どのような物であっても、何であっても必ず御身の下へお運びいたします。」
「……フラミーを俺の下へなんて…俺が言うと思うか?」
ウルベルトに真っ直ぐ見つめられ、デミウルゴスは首を振った。
「私はいつでも御身のお言葉に従う準備がある、と申し上げた迄でございます。」
「そっか。ありがとな。」
ウルベルトはデミウルゴスの頭をわしわしと撫でた。
「な、お前って飲める?」
「アルコール、でございますか?」
お団子頭も崩し、布団に潜り込んだフラミーはちらりとベッドの脇を見た。
(……落ち着かないよ…。)
フラミーがベッドを出ようとするとメイドが指示をもらおうと動いた。
「私、少しうろうろして来ます。」
「かしこまりました。兵の準備は出来ておりますので、すぐに連れてまいります。それから、御髪はまた結われますか?」
打てば響くようにスラスラと返事が返った。
「いえ、兵も髪の毛も大丈夫です。ちょっとした約束で…とにかくすぐに戻りますから。お部屋、お願いします。」
「かしこまりました!では
サラサラとしたサテンのくるぶしまであるネグリジェに身を包んだまま、フラミーは少しだけ足早に部屋を後にした。
「――はぁ。」軽いため息と共に扉を締めると、隣のウルベルトの部屋の前にいたメイドが頭を下げた。「あれ?どうしたんですか?」
「ウルベルト様は御用があればクサカベに言いつけるそうで…お部屋の外で待機を命ぜられました。」
「あ、あ〜なるほど。」
レベル一のメイドにすら日下部と呼び捨てにされる人を思い出すと苦笑した。
「――フラミー様はいかがなさいましたか?」
「あ、私は……そう、日下部さんに少し用事が。」
「ではそちらまでお送りしましょう。」
「い、いえ!すぐそこですから、見えてますし平気です!」
フラミーは慌てて断ると、足早に第九階層の廊下を行った。
スリッパがパタパタと音を立て、フラミーは日下部の部屋の扉をノックした。
少し待っていると、扉が開いた。
「はーい。どな――あ、村瀬さん。」
「日下部さん、すみません。休んでました?」
「いえ、ミニバーがあったんで、先生とデミさんと酒盛りしてましたよ。どうかしました?」
扉の向こうにはウルベルトと、恐縮しているようなデミウルゴスがいた。
「とりあえず入ってください。」
フラミーは軽く頭を下げて中へ入り、デミウルゴスは迎え入れるために立ち上がった。
「あ、デミウルゴスさん、座っててください。」
「恐れ入ります。」
フラミーの自室とは少しだけ違う。この部屋は最初に全員に好きにして良いと配られた時のままの部屋なのだ。皆手を加えていて、壁紙やらソファやら暖炉やらとそれぞれ好きなホームを作ったものだ。
扉が閉まるとウルベルトが口を開いた。
「フラミー、日下部に何か用か?随分大量に引き連れてんな。」
「あのぅ…」と言うと、フラミーは頭上について来ている
ウルベルトは苦笑した。
「お前、断れない
「い、いえ。ジッと見られてなければ別に気にならないですから平気です。」
「共同生活には慣れてるってわけか。日下部、デミウルゴス。フラミーも少し一緒に飲んでもいい?」
「もちろんでございます。」
「俺も別に構わないっすよ。村瀬さんも適当に座ってください。しかしメイド問題、大変すね。」
人ごとな日下部はミニバーに戻ると、置いてあるよくわからない酒を、手の平大の芸術品のようなグラスに一口だけ注いだ。フラミーの
ミニバーには三脚しか椅子がないためぞろぞろとソファセットへ移動した。
「日下部さんのメイドはどうです?」
フラミーにも酒を出すと、日下部はウルベルトの隣に、デミウルゴスは一人掛けソファに腰を落ち着けた。
「ん?俺にはいないんでなんとも。好き勝手してますよ。」
「いないんです?どうしてですか?」
フラミーが首を傾げると、デミウルゴスは手にしていたグラスをテーブルに置いた。
「クサカベは使用人なので使用人は付けておりません。」
「そう言うわけです。」
「え、日下部さんは――ん?」
否定しようと上げた声は慌てて首を振るウルベルトと日下部が目に入り、フラミーは言葉を飲み込んだ。
「ともかく、メイドにはあまり御身の寝顔を見ようとしないよう、私から言い付けて参りましょう。私はそのまま第五階層へ上がりますので、これで。」
デミウルゴスが立ち上がると、一応フラミーは立ち上がった。
「助かるよ。デミウルゴス、今日は付き合わせて悪かったな。」
「とんでもございません。素晴らしい夜をありがとうございました。またいつでもお呼び下さい。」
うやうやしく頭を下げたデミウルゴスは楽しげに尻尾を振り立ち去っていった。
「――すみません、村瀬さん。俺は別にメイドいらないし、一人部屋の方がいいんで使用人のままでいんすよ。」
「こいつの地位的に断ることもできないしな。」
御方々のご温情を断るなんてーと言われそうだ。
ウルベルトの言葉に軽くうなずき、日下部は「それに…」と続けた。
「ここはメイドに疲れた人のたまり場にすると良いと思いますよ。モモンガさんにも明日伝えるつもりです。」
「…すごい。日下部さんもウルベルトさんも、すごく色々考えてて、えらいです。」
フラミーはすっかり感心したように二人を見た。
「別に普通だろ。お前もそれ飲んだらもう寝な。」
日下部のいれた酒にちらりと視線を落とすと、フラミーはくぃっとそれを飲んだ。
そして驚きに目を剥いていた。
「うまいか?」
「んまいです…!」
「そりゃ良かった。なぁフラミー。」
「はひ!」
自分の膝に頬杖をつくウルベルトは少し寂しそうな目をしていた。
「…今度二人で飲み行かない?」
フラミーは数度瞬いた。
やはりダメか、とウルベルトは心の中で呟く。日下部の心配そうな視線も今は鬱陶しいばかりだ。
一度ユグドラシル時代に断られているのに、懲りないなぁと自嘲していると、フラミーは口を開いた。
「――行きます。師匠、師匠のことたくさん教えてください。」
「…いいの?」
「行きます!じゃあ、お店探して早く見つけないといけませんね!冒険頑張りましょ!」
フラミーは少し照れ臭そうに笑うとスリッパをペタペタと鳴らして部屋を後にした。
「俺、やった?」
「やったんじゃないすか?宇留部さん、脈なしじゃなさそうっすよ。」
二人は拳を作ると互いの拳にぶつけ合い、嬉しそうに笑った。
気まま更新!
次は外に冒険に行けるぜ!