ただ男爵がやりたかった事を詰め込んだだけ
天使となったレオネが聖下と呼ばれるようになってから幾年月。
その日、ナインズは世界に
「この感覚は……始原の魔法?使える者が……増えた……?」
「ナイ様?」
「キュータさん?」
隣にいた一郎太とレオネが首を傾げる。
「……偽りのナザリックで待つように言われているけれど、気がかりだな……」
偽りのナザリックの地表部で空を見上げる。
その時、ナインズは太陽の逆光に照らされる巨竜の姿を見た。
「──誰だ?」
光を遮る者が誰なのかを確認する間もなく、その竜は呟いた。
「<滅魂の吐息>」
「まさか始原の──」
その竜の放った覚えのある力を前に強い目眩を覚え──次の瞬間、体が焼かれていく。
一郎太とレオネが悲鳴をあげる。
この焼き尽くされるような痛み。
──父と母が百年の揺り返しと呼んだ者達が
龍の背に乗り神都へ現れ、大神殿を無作法にも駆け抜けた者達と、今まさに父母は戦いを繰り広げているはず。
偽りのナザリックで待機する他の全てを守らなければと思うが、襲いかかる力のあまりの強烈さと、魂が焼き尽くされる痛みにレオネへ手を伸ばす。
「つ、伝えろ!!父様たちに!!始原の力が揺り返しによって解き放たれたと──レオネ!!行け!!」
叫ぶレオネに聞こえているとは思えない。
彼女は間もなく絶命する。
ナインズは最後の力を振り絞り、辺りの死にかけている全ての命を生贄に唱える。
「<────>!!」
──間もなく、ナインズの意識は絶えた。
世界が、竜王が、始原の魔法を取り戻した日だった。
「──っは!!」
飛び上がるように起き上がったレオネはベッドで激しい息をした。
「キ、キュータさん……?」
辺りを見渡せば、そこはナザリックではなく、神都。
乙女の頃に使っていた自らの部屋。
「……え?」
全てが懐かしい。
そっと足をベッドから下ろし、姿見の前へいく。
レオネは自分の背に翼がないことと、懐かしいパジャマに身を包んでいることを見咎めると瞬いた。
「ど、どういうことですの……」
呆然と立ち尽くしていると、部屋の扉が叩かれ、何の遠慮もなく開かれた。
「キュータさ──」
「レオネ?いつまで寝てるつもり?入学式で遅刻なんてみっともないわ」
「お、お母様……?」
「なぁに?惚けた顔をして」
若かりし日の母だった。
部屋中のカーテンを明けて光を呼び込む。
「……だ、大神殿へ行かなくちゃ」
「お祈り?とにかくお着替えなさい。それから、顔を洗って食事をとって」
母が視線を送った先には真新しい魔導学院の制服とローブが下げられていた。
立ち去る母の背を見送る間もなく、レオネは制服を引っ掴んで着替えた。
(お、おかしい……!こんなの、絶対におかしいですわ……!)
あの時キュータはレオネに何か魔法をかけてくれた。
キュータに会うのか、全知全能の神である義父に会いに行かなくては。
一分一秒──いや。一秒一刻を争う事態だ。
着替えを済ませたレオネは慌てて一階へ降り──やはり、懐かしい若かりし日の父を見つけた。
「レオネ、おはよう。よく似合っているねぇ。パパ嬉しいなぁ〜」
その手の中に神都新聞を見つけると、半ば奪い取るように開く。
「──本当に……あの日あの時だというの……」
新聞を押し付けるように父に帰し、レオネは家を飛び出した。
「れ、れおねぇ〜……」
「あら?急かし過ぎたかしら」
残された父母は目を見合わせた。
荷物も持たずに大神殿へ駆ける。
この時間、まだキュータは大神殿を出ていないはず。
「翼が欲しい……!」
こんな時にあの慣れ親しんだ体があれば。
とにかく大急ぎで大神殿へ向かい、何度潜ったかわからない神官通用口を超え、何度キュータと共に訪れたか分からない鏡の間へ。
「──あ!君!」
「──待ちたまえ!」
皆覚えている。年上の神官達のことも一人も忘れていない。共に神に身を捧げた日々を。
レオネは鏡の間の扉を力いっぱい開け──その手は掴まれた。
「君!!なにをしている!!」
「お、お離しください!わたくしは今陛下にお伝えしなくてはならない事が──」
「陛下に!?何を──いや、何故ここを知っているんだ!!」
「ディノックス神官!訳は後で話しますわ!!」
「わ、私の名を!?」
「とにかく今は両陛下に──」
神官たちと揉めていると、二つの足音にハッと振り返った。
「──レオネ?」
「ん?本当だ」
しばらく見ることも無くなった黒い髪と──仮面。それから、まだ少し小さい赤毛の体躯。
レオネは神官を振り払うとキュータへ駆けた。
「キュータさん!!」
ドッとキュータの胴に抱きつき仮面を見上げる。キュータは数歩後方へよろめいた。
「──っうわ!?ど、どうしたの!?レオネ、わざわざこんな所まで」
「キュータさん、あなたの魔法でわたくし戻りましたの!どうしたら良い!?両陛下にお伝えしろって言うの、もうキュータさんがお伝えしましたの!?大丈夫ですの!?」
キュータはレオネと神官たち、一郎太へそれぞれ仮面越しの視線を向け、頬を掻いたかと思うとゆっくりと仮面を外した。
まだ、どことなくあどけなさが残るような表情だった。
「え、えーと……どう言うこと?」
「さっきの竜のこと!力が解き放たれたって!!」
「さっきって──そう言う夢を見たの?」
「……まさか、キュータさんは戻って来てらっしゃらないの……?」
「僕、神都に戻って来たよ。今日から一緒に魔導学院、通えるね」
「……そんな。──一郎太さん、あなたは……?」
一郎太は肩をすくめた。
「俺も通うぜ?手紙出したろ?」
「そ、そうじゃなくて……さっきの……竜の……」
「なんだ?夢の話か?」
レオネは足下が抜けるような感覚に襲われた。
ちらりと
(……さっきの事は一刻も早く両陛下にお伝えなくちゃ……。元の時間に戻るためにも……)
あの鏡の向こうは激熱地帯。
レオネが飛び込めば瞬時に燃え尽きる。
とは言え、今この様子のナインズに指輪を貸してくれと頼むのも受け入れられるとは思えない。が、
何をどうしたら良いのかわからずレオネは唇を噛んだ。
「レオネ、大丈夫?変な夢でも見たの?」
「……夢なんかじゃ……ない。お願い、キュータさん。両陛下にわたくしを会わせて」
ナインズの眉が顰められる。
「……ごめんね。レオネの頼みだしできれば叶えてあげたいけど、いきなり今から会いたいみたいなのは流石に難しいと思うよ」
「じゃあ、入学式が終わった後にでも」
「……どうして?レオネ、今までそんなこと一回も言ったことなかったのに」
「どうしてもお伝えしなくちゃいけない事があるの。あなたにそうしろと頼まれたの」
「僕は自分で自分の事は両親に伝えられるよ」
「そんな状況じゃなかった時に!お願い、キュータさん!わたくし、何もミーハーな気持ちでお会いしたいって言ってるんじゃありませんの!」
一郎太からも訝しむような視線が向けられる中、レオネはハッとした。
「そ、そうですわ。聞いて!わたくしの祈りを!そうしたら、きっと──」
「ごめんね、僕には祈りは聞こえない」
「き、聞こえるはずですわ!あなたは確かに人々の祈りを──」
「……もう行こう。入学式には遅れられないよ」
「んー」
「あ、キ、キュータさん」
二人が鏡の間を出ていく中、レオネは必死にその後を追った。
「キュータさん、あなた祈りを聞こうとされたら聞こえるんですのよ!本当に!」
「……レオネ、いいから」
キュータは外していた仮面をつけ直すと肩が凝ったように首を左右に倒した。
「あー……。新入生挨拶、なんて言おうと思ってたか忘れちゃったなぁ」
「あぁあ。キュー様せっかく色々考えてたのに。レオネ、お前やっちまったな。寝ぼけてるにしても流石にダメだろ」
「ね、寝ぼけてなんて……。キュータさん、お願い。本当に。ナインズ殿下」
「……僕のことそう呼ぶのもやめてよぉ。レオネ、何がどうしちゃったって言うのぉ……」
幼い。
明らかにレオネと唇を重ねるようになる秋に比べて、彼は幼い。
レオネにはよく知ったはずのナインズがまるで違う世界の生き物のように見えた。
いや、この頃の自分は窓から身を乗り出して「キュータさーん!」と叫んで手を振っていた。それを思えば年相応──。
(……もしかして、夏に大人になるしかなかったキュータさんを守れる……?)
一瞬それはそれで素晴らしい事だと思うが、それよりも兎に角あの時間に戻る努力をしなければ。──子供たちのためにも。
きっと、両陛下に会えれば瞬時に解決するはずだ。
レオネは必死に頭を回転させ──フラミーに複写してもらったアルバムの写真をふと思い出した。
(……光神陛下。確か、校門のそばでキュータさんのお写真を……)
そこで呼びかけてみるしかない。あの画角、思い出せ。思い出せ。
そして、写真よりも校門に人が多いことに気が付いた。
(わ、わたくしのせいでキュータさんが登校する時間が変わってしまった……?陛下はどちらに……)
記憶ではこの辺りだが、この人数では──
いや、試すしかない。
「へ、陛下。光神陛下。お話がございます」
「──レオネ、何やってんだよ!」
慌てて一郎太に口を塞がれ、キュータは仮面を押さえて校門を潜っていった。
「お前、なんなんだよ。本当に」
「一郎太さん、キュータさんのことを思うならどうか邪魔されないで!」
レオネは次の写真の風景を思い出しながら、他人のようにして進んでいってしまうキュータを追った。
そして、何度も似たような事を繰り返し、結局神とまみえる事はなかった。
入学式の全てが終わり、帰り道。
「お願い!じゃあ、せめてこの後時間を──」
レオネが腕を引っ張る中、ナインズは心底思った。
(なんなのぉ……。レオネってこう言う子だった……?)
「キュータさん!お願いだから!」
「──キュータ、帰ろ!」
キュータはレオネとは違う方向にガクンと体が引っ張られた。
「あ!今大切な話を──」
「ミ、ミリガン嬢?」
「困ってるなら困ってるって言えばいいんだから!ほら、行くよ!」
先日知り合ったアガート・ミリガンに引っ張られるがままに足を動かし始めると──すぐさまもう一度ローブが引っ張られた。
「ミリガンさん!今は困りますわ!とにかく、キュータさんにイエスと言って貰わなくちゃ!!」
「あなた、ちょっと強引すぎるよ!こんなに困ってるのに何なの?」
「わ、分かってますわ。でも、そうでもしないといけないの!」
「……一太ぁ」
「……困ったなぁ。なぁ、レオネ。お前いくら幼馴染だってさぁ。そろそろキュー様に怒られるぞ」
ごちゃごちゃと揉めながら歩いているとさらに声は増え、
「キュータ君!」
「ん……?」
駆け寄ってきたのはオリビアだった。
スカートの裾を持ち、そっと頭を下げた。
「お久しぶりです」
「久しぶりだね、オリビア。畏まらないで……と言いたいけど、畏まらないと君ももしかしてこうなる……?」
「こう……?」
張り付くレオネに軽く顎をしゃくって見せると、オリビアは何度も瞬いた。
「レ、レオネ?どうしたの?」
「オリビア、お願い。協力して」
「う、うん?」
「わたくし、どうしても陛下方に会わなくちゃならないの。なのにキュータさんが──」
レオネが何を隠す気もなく話し始めるとナインズも一郎太もギョッとした。
そして、アガートが呟く。
「陛下方……?」
「っ──レ、レオネ!分かった!分かったから!!」
「ようやくその気になりましたの?バラされたくなかったら今すぐわたくしを連れて行って」
「わ〜……。レオネ、強引……」
「オリビアは絶対にこんなの真似されないで。さ、じゃあ今すぐにでも行きますわよ」
ギラギラした目をするレオネに対し、ナインズは深いため息を吐いた。
「……はぁ。レオネ、これが最初で最後だと分かってくれるね」
「もちろん。……わたくし、そしたら世界を元通りにしてみせますわ」
「……また言ってる」
「きっと、あなたはわたくしに感謝されるわ。あなたはわたくしと結婚して……子を儲けて……オリビアとエル様の子と共に大きくなっていくあの子たちの姿を笑いながら見守るんだもの」
ナインズはオリビアと目を見合わせ、オリビアはムッと頬を膨らませた。
「何で私がエル様?私もキュータ君が良い……」
「え、えぇ……そういう話……?」
「ともかく、全てを元に戻さなくちゃいけませんわ」
「……言っておくけど、レオネ。僕は子供も妻も持つつもりはないよ。さ、本当に行くなら行こう」
「その台詞も後半年もすれば気が変わりますわよ」
「……参ったなぁ。はぁ……」
ナインズはレオネが苦手になった。
いや、大変苦手になった。
フラミーは帰って来たナインズを目の前に瞬いた。
何やら朝も揉めていたが、本当にナザリックまで来てしまうとは。
「……それで、第六階層で待たせてるんです……」
「まぁ、小学校の頃からのお友達だしねぇ。少しお話し聞くくらいなら……」
「すみません……。僕も何だかよく分からなくって……」
「お年頃の女の子ってそう言うものかもねぇ。──アインズさんはどうします?」
アインズは今日の写真を一枚一枚見ながら、全ての写真でレオネが不可視化しているはずのカメラの方を向いていることを確認すると、そっとそれらを置いた。
「……私も行こう。レオネちゃんはナザリックの役に立つ特別なタレントか何かを持っているかもしれん」
「そうなんですか?そんな話聞いた事ないけどなぁ」
一行は第六階層へ向かった。
湖畔に辿り着き見渡す。
「……いない」
「……おいおい。ここにいるように言ったんだろう?森に入りでもすればスピアニードルや強力なpopモンスター達がいるというのに……」
「一太がそばにいるはずだから危なくはないけど……ちょっと待っててください」
「やれやれ」
ナインズは「一太ー?レオネー?」と声をかけながら駆け出した。
遠くから一郎太の声が還る。
「柳の方からだ」
近くまで行くと、湖を覗き込むように葉を垂らす柳の下でレオネは伏せていた。
「……一太、レオネどうしたの?」
「分かんない。大柳がないって言うから、柳ならここだって連れて来たんだけど」
「……レオネ?」
レオネの肩は震えていて、泣いているようだった。
「キュータさん……。あなたと一郎太さんが付けてくれたブランコもない……。本当にここは……ああ……あなたは違うのね……。分かっていたのに……」
「ブランコ……?」
「……何でもありませんわ。……キュータさん、陛下方は……」
「待ってるよ。向こうで」
「ありがとうございます……。それでは、失礼いたします」
レオネはまるで他人にするように深々と頭を下げると湖のほとりを歩いて行ってしまった。
「なんなんでしょうね?」
「ほんとに……。でも、何かすごく必死だったって言うことと、彼女、すごく傷付いたって言うのは分かった……。僕、間違ったのかな……」
「いやぁ……。間違ったのはレオネじゃないんですか?」
ナインズと一郎太は二人でため息を吐き、ゆっくりとレオネの後を追った。
そして、レオネはひと足先にアインズとフラミーの前へ辿り着いた。
「──神王陛下、光神陛下。レオネ・チェロ・ローラン、御方々の前に。突然お時間を頂戴しました事、心よりお詫び申し上げます」
「謝れば済むと思っているか?いくら友人だとしても、今後ああ言った無理な方法は許さんぞ。それで、お前は何か私達に話したい事があるそうだな」
「……は。恐れながら、ナインズ殿下よりの言伝を賜り、こちらへ参上いたしました」
アインズは思わずフラミーと目を見合わせた。
この子ちょっとやばい子なのかなと。
「……ナインズは何が何だかわからないと言っていたが?」
「わたくしに言伝を頼まれたのは今より遙か未来。殿下はわたくしに魔法を掛けられたのですが……ご自身には同じ魔法を掛けられなかったようです……」
「う、うーん」
「殿下は……殿下はともすれば、そのお命とすら引き換えに、わたくしに魔法をおかけになりました。どうか、小娘の言うことと切り捨てず、お聞きください。仔細話せば長くなりますので、まずは、預かって来た言葉を」
「ナインズじゃないが何が何だか分からんな。──まぁ、いいだろう。言ってみろ」
「ありがとうございます。その言葉は──"始原の力が揺り返しによって解き放たれた"──でございます」
鎮静。
アインズは確かに今鎮静された。
何故「揺り返し」と「始原の力」と言う言葉をレオネが知っているのか。
フラミーが顔色を確認する先にいるナインズは何が何だかわからないと言った様子だった。
「……未来、揺り返しが来た時、偽りのナザリックの上空へ竜が。その竜は<滅魂の吐息>と唱えました。ただ、わたくしではそれ以上のことは……。陛下、どうぞわたくしの祈りをご覧になってくださいませ……」
「……祈り、か。良いだろう。そうさせてもらう。<
バラリとレオネの記憶を開けば、そこにはアインズの知らないアインズ達の記憶。ナザリックの記憶。ナインズの記憶。──二人の記憶。
膨大すぎる情報を前に、何から精査すれば良いかもわからないままアインズは次々と記憶をめくり、湖畔にはいつしか夜が訪れた。
「……父様?」
「静かにしろ」
「は、はい」
ナインズが小さくなる。
レオネは膝をつき、胸の前で手を組んだままあれから微動だにしなかった。
骨のアインズに疲労はない。だが、レオネの顔には明確な疲れが浮かんでいた。
そっとフラミーから白い蕾が差し出され、中から生み出された光の玉が弾けると同時に疲労が拭われる。
そして、夜がさらに深まる頃。
アインズはようやくレオネの記憶を閉じた。
「──ローラン元最高神官長、よくぞ伝えてくれた」
「陛下……!とんでもありません……!」
「愚息が日中にお前にとった態度を許してほしい」
「もちろんでございます。わたくしも、急ぎすぎたと反省しております……」
「いや、急ぐだけの価値がある情報だった」
「ありがとうございます……」
「して……申し訳ないが、その記憶の場所にお前を戻す事は困難を極める。ナインズの唱えた魔法の全てをお前は聞けていない。同一の魔法を生み出すために実験と時間を要するが──その果て、本当に正しい時間にお前が戻れたかを私が確認する術はない。下手をすれば、お前は戻れず、また別の時空に行くだけになる」
「……そう……でございますか……」
「とは言え、もう少し成熟したナインズには可能かもしれん。あまり悲観的にはとらえないように。さて、何にせよ、ナザリックのギミックを深く知るお前を外にある実家へ帰すことはできない。また柳の元で暮らし、時に外に出ると言う生活を送ってもらうことになる」
「それは構いません。ただ……」
「ただ、なんだ」
レオネは視線を芝に落とすと、絞り出すように呟いた。
「……殿下は……わたくしがこちらに居てはお嫌じゃないでしょうか……」
「……ここのナインズはまだ少し幼い。だが、孫のこともある。安心しろ。──ナインズ!ナインズこちらへ!!」
離れたところでうとうとしていたナインズはハッと我に帰ると、アインズの前へ急いだ。
「は、はい!父様!」
「彼女は今日からお前の許嫁だ」
「え、許嫁?え?」
「祈りが聞こえるようになればレオネちゃんしかいないとお前から言い出すだろうが、レオネちゃんの心労にならないように夏までお前なりに精一杯大切にしろ。いいな」
ナインズはきょとんとすると、すぐに首を振った。
「ぼ、僕困ります。だって、僕は妻なんかはいらないのに」
「今勝手にそう思ってても構わん。すぐにお前からレオネちゃんの後を追いかけ回したくなる」
「え、えぇ……?」
「では、私からは以上だ。今日のところはレオネちゃんはナインズの部屋で寝ると良い」
「えぇ!?」
アインズはそれ以上何も言う事はなく、フラミーと共にいくらか言葉を交わし、二人でどこかへ消えた。
「……な、なんで……?レオネ、まさか父様に昼間の子供がどうのってやつ言ったの?」
「言ってませんわ。……そう身構えなくても平気でしてよ。わたくし、今日は柳の下で寝ますもの」
「い、いや。そう言うわけには」
「ごきげんよう、殿下。わたくし、お祈りもありますし、これで」
さっさとレオネが去って行こうとすると、ナインズは慌ててレオネの手を取った。
「ま、待ってってば。レオネ、父様がそうするように言ったんだから、今夜は僕の部屋で寝て……。僕はリアちゃんと寝たりとか何とでもできるから」
「……いえ、柳の下で眠りたい。キュータさんの無事を思って……そうしたい……」
「レオネ……?僕はなんともないんだけど……」
「……それじゃあ、これで」
レオネは小さな家が建つまで、本当に毎晩柳の下で眠った。
学校にもナインズと一郎太と共に通ったが、彼女の一日のほとんどの時間は祈りへ費やされた。
「レオネ、学校行くよ?」
「はい、殿下」
ナインズの呼びかけに他人のような返事が返る。
レオネは柳の側に建てられた家から出てくると、今日も物静かに隣を歩いた。入学式の日が信じられないほどの消沈ぶりだ。
二人の後ろを歩く一郎太は居心地の悪さに首を掻いた。
「なー、レオネ。ナイ様といられて嬉しくないの?許嫁なんてお前飛び上がって喜びそうなもんなのに」
「……嬉しく思いますわ。でも、わたくしは……」
「無理しないで良いよ。別に僕は構わないし。お嫁さん一人だって困ると思ってたくらいだからね」
「ナイ様もそんなこと言ってさあ……」
三人は大して明るくもない雰囲気のまま登校した。
ナインズとしては正直若干煩わしかった。
レオネは突然「陛下」や「殿下」と言ったNGワードを並べるのではないかと思うとあまり側にいたくないと思った。
大切な友人だったはずなのに、彼女は自分の為ならばナインズを平気で踏み躙り、大切にしようとはしてくれないと思えたから。
あの日の父とのやり取りの正体も、未だ教えてもらえてはいない。
一つ授業を終えると、ナインズはため息を吐いて教科書を片付けた。
そうしていると、教室の後方の扉から声がかかった。
「キュータ!」
「スズキさん、どもっす」
アガートとレイだった
レオネに女の子は難しいと心底思わされたが、この二人は割と気楽だ。
ナインズは呼ばれるがままに席を立った。
「や、どうかした?」
「うん!今度さ、一緒に
「良いよ。どこに行く?」
「んー、どこか!どこでも良いの!」
そうしていると、窓の外からレオネの声が聞こえた。聖歌の授業中でもあるまいに、彼女は歌っていた。
誰よりも自信を持って、誰かを思って高らかに歌っている。
不思議と聞いていたくなる。
「ごめん、ちょっと待っててね」
ナインズは「許婚だ」と言われたというのに、自分だけが置き去りにされているとしか思えなかった。
窓まで戻り、中庭を覗き込む。
満開の薔薇園で、レオネは遠くへ向かって歌っていた。
「何だ。あんまり一緒にいたくないとかなんとかぶつぶつ言ってたくせに、結局気になるのか」
ワルワラが軽口を叩きながら肩を組んでくる。
ナインズは払いのけるようにして窓に背を向けた。
「気になるとかならないとかじゃないよ。僕は父親にレオネを許婚にするって言われたの。一体何なのって思ってんの」
ぷんすか鼻息を鳴らしながらそんな事を言っていると、目を丸くしたカインがつぶやいた。
「え……そ、そうなんですか?許婚……?なんで……?」
「そんなの僕が知りたいよ。参ったよ。突然のことすぎてさぁ」
もう一度窓から外を覗き込むと、そこにはもうレオネはいなかった。
そして、そばで話を聞いていたアガートが口を開く。
「許婚なんて……そんなの、いらないって言えば良い!厳しいお母さんと厳しいお父さんで参ってるんでしょ!?自由に生きたっていいんだよ!」
「……自由に生きる……」
「そう!あなたが思うように生きるの!!皆そうしてるんだから!」
「……まぁ、彼女が望んで、父も許すなら考えてみるよ」
「そーしな!レオネちゃんなんていらないって!」
「いらないって、そこまでは──」
「──構いませんわ」
ナインズの肩がドキンと跳ねる。
教室の後ろの扉には感情の読み取れないレオネが立っていた。
「構いません。わたくし、あなたが幸せだと思う形になるなら何でも良いもの。……あの子達の顔が見られないことだけは辛いけれど……でも……わたくしはいつか向こうに帰るんだから……」
レオネのいつもの一人言だ。
婚約を解消してナザリックを立ち去り、自分の家に帰りたいのだろう。
「僕も君が帰れるように手を貸すよ」
「ありがとうございます。あなたならきっと出来るはずだわ。どうか、どうかよろしくお願いします」
深々と頭を下げたレオネの耳からさらりと髪が落ちていく。
ナインズは何となく複雑な気持ちになった。
「それで……何か用だったんじゃないの?」
「あ、ええ。昔一緒に見た薔薇があって……あ、いえ。あんまり綺麗だったから、花びらをひとつだけ貰ってきましたの。これ」
レオネは宝物を見つけてきたかのようにナインズに見せ、そっと手のひらに乗せた。
「……いつもお花をありがとうございました」
「花……?送った事ないけど……」
「えぇ……あなたは。それじゃあ」
レオネはさっと背を向け教室を後にした。
ワルワラは「変なやつだよな」と呟いた。
それから、毎日結局何だかんだと時間を共にする中で、ナインズはレオネの様子を伺い、「なんなのぉ……」と文句を言いながら彼女の後を追い続けた。
時折「ねぇ、キュータさん。あの時懐かしいですわよね」と空に微笑むレオネの愛に満ちた瞳に困惑しながら。
レオネはたった一人で、学生時代によくキュータと一郎太と横になった芝の上で休んでいた。
「──キュータさん。そっちはいかが?わたくし、こちらではあなたにあんまり好かれていないの。こんな事初めてで怖いわ。でも、あなたじゃないあなたに好かれても、それも怖い。だから、これで良かったって思うの。早く帰りたい。目印も持っていないから、あなたはわたくしを迎えには来れないのよね」
空に向かって呟き、ぽつぽつと涙が落ちていく。
どうしてもあの数十年を忘れられない。
レオネは木にもたれ、ため息を吐くと目を閉じた。
「──ローランが寝てる」
その側をリシャールと友人が通りかかっていた。
「何?本当だ。あいつ、成績だけは良いけど、なんか行動は変わってるよな」
「まあそう言うな。なんでも首席の許嫁らしいが、婚約破棄を主席に申し込もうとしているほどの女らしい」
「うひぇ〜。そりゃすごい」
「ふふん。そうだろう?まぁ見てろ。──おい、ローラン。ローラン!」
勇足で茂みを越え、眠るように目を閉じるレオネを覗き込む。
リシャールはそのまつ毛の長さにごくりと唾を飲み下した。
「……どうかされましたの?」
「なあ、お前。首席と別れたいんだろう?親に決められて迷惑してる婚約だ。婚約破棄を手伝ってやろうか!」
「……結構ですわ。あちらから破棄されると仰るなら受け入れるだけです。そんな真似をわたくしがしては失礼ですもの」
「だ、大丈夫だって。俺がうまくやってやる」
「……言っておきますけれど、あなたに何をどう手伝われても、私はあなたを見ることはありませんわ。わたくしはもう乙女じゃないから怖くもないわ。関わらないで下さいまし。導いて差し上げたいけど、今は余裕もありませんし……何より、わたくし、あなたの事あまり好きじゃありませんの」
「お、
リシャールは顔をカッと赤くすると手を挙げ──レオネは思う。
(こんな拳、きっと痛みなど感じないわ。あの魔法の吐息に焼かれ続けていたキュータさんは……一郎太さんは……。あぁ……全てが心配だわ……)
時間ばかりが無駄に流れているようにしか思えなかった。
どうぞ殴ってくれて構わないとレオネは目を閉じていると言うのに、リシャールの平手はレオネに届かなかった。
「な、何をする!!」
リシャールの叫びにレオネはそっと目を開き、あぁ、この人はこんな関係性だったとしても来てくれるのかと──キュータの背中に思わず泣きそうになった。
「……それは僕のセリフ。彼女、僕の許嫁だからやめてくれる。優しくするように言われてるんだよ」
「チッ、クソが!こいつは
「処女じゃないのなんのってねぇ。余計なお世話だよ。ほら、友達待ってるんじゃないの」
リシャールは幾度も振り返りながら鼻息荒くその場を去っていった。
助けてくれた声の主に、レオネは苦笑の瞳を向けた。
「……あなた、こんな所で珍しいですわね」
「君の特等席だからいつもはなるべく来ないようにしてるの」
隣にキュータが腰掛け、仮面を外す。
そういえば、夏も近づいて来たと言うのに彼はまだ仮面を着けているのだなとレオネはその姿を眺めた。
「レオネ、僕が父様説得して家に帰してあげるよ」
「いいえ。彼の地の大切な情報がこの頭の中にはたくさん。外で暮らすには危険すぎますわ。──でも、婚約破棄は構いませんわよ」
キュータは困ったような顔をしてレオネを眺めた。
「お互いどことなくお互いが煩わしいわけだ」
「あなたを煩わしいなんて思った事、わたくしは一度もなくてよ。あなたと見た花は何度でも摘んで行って見せたいし、一緒に食べたものは何度でも側で食べたいし……でも、あなたからしたら意味の分からない行動だわ」
キュータは正直、意味の分からない行動という言葉を否定できない。
そばにいないと思ったのに、突然現れて「見て、懐かしい。奇麗でしょう?このお花」だの「これ、あなた好きだからたくさん召し上がって」と初めて食べるものを学食で分け与えられたり、「あの夕日を覚えてる?」と呟いたり。
(不可解すぎる……)
理解不能で、ナインズは本当に振り回されていた。
「……あ、一つだけ訂正させていただいてもよろしい?」
「ん?何?」
「処女じゃないって。そんな事ありませんわよ。わたくし、キュータさんのために守り続けたもの。あんな事、あなたに言われるのは心外だわ」
「い、いや。僕は構わないし、そんな事わざわざいいよ。レオネは他に好いた人がいるんだし、本当に──」
「好きだわ。キュータさん。キュータさんに届かない日々がこんなに苦しかったなんて。わたくしどうやって七十三まで生きていたのかしら……。もう、訳がわからない」
レオネが泣き始めると、訳がわからないはこっちの台詞だけど……とナインズは思った。
ただ、優しくするようにという父の言葉に従ってその背を撫で、ハンカチを貸す。
「……キュータさん……どうか無事でいて……」
「やれやれ。いつものやつだね。大丈夫だよ」
「……ねぇ、"私と一太は大丈夫だからね。レオネ、必ず連れ返すよ"って言って……」
ナインズはレオネの肩を抱くと頷いた。
「レオネ、必ず連れ返すよ。私も一太も大丈夫だらね。安心おし」
「きゅーたさん……」
言われた通りに言っただけだと言うのに、レオネは声を上げて泣いた。
「ふぁーん。キュータさーん。あの時あなたがご自分で陛下方の所へ行けば良かったんだわ!わたくしなんか逃しても何にもなりませんのに!どうしてわたくしなんて!わたくし何て死んでも平気でしたのにぃ!」
「……どういう状況か分からないけど、きっと僕は君を見捨てられないよ。……あぁ。父様みたいに君の心の声でも祈りでも聞くことができたらな……。今は聞いてあげたいと思うよ。入学式の朝に君が言ったように」
レオネはナインズの呟きにハッと我に帰った。
「い、いけない。それを望んでは──」
「──ッウ!?」
そうして──ナインズは夏を迎えるよりも早く、レオネの本当の心の声を聞きたいと願い、祈りに貫かれたらしい。
「レオネー?」
柳のそばに立つ白い家を訪れたナインズはキョロキョロと彼女を探した。
「いない。……とすると……」
柳の葉をかき分けていくと、柳の下でレオネは祈っていた。
「レオネ、また祈ってるの?別の未来の僕のために……」
「……あなたはきっと、わたくしの声を見つけて下さるわ。キュータさん、どうかご無事で……」
「きっと大丈夫だよ。父様達がいるから」
「……そうは思いますけど……でも……百パーセントじゃないわ」
「不安なんだね。レオネ、おいで」
「……嫌だわ。こんな若いあなたに"おいで"なんて」
「ははは、おばあさんみたい」
「おばあさんだもの。話しましたでしょ」
「僕も早く歳を取りたいよ。──レオネ、君は僕が魔法を完成させないと戻れないんでしょう?」
「……神王陛下がおっしゃるには」
「諦められはしないよね?」
レオネはあの夢のような幸福を思い出すと一つ二つと涙を落とした。
「……諦められない。キュータさんも……子供達も……」
「……ここでやり直すんじゃいけないんだよね」
「……あなたの事も愛しく大切に思うけれど……共に重ねた時間のあるあなたを……忘れられない……」
「これから重ねていくとしても?」
「そうだとしても……柳のブランコも、天空城の日々も、全てが……」
ナインズはため息を吐きそうになるのを何とか止めた。
「──いいよ。君は夏まで僕を待ってくれた。僕は君が僕を見てくれるまで待ち続けるから」
「それじゃあ向こうにいた時と同じだわ」
「七十三になるよりは早く君の心を奪ってみるよ。向こうの僕は、どうやら少し無能らしいから」
ナインズは結局、この敬虔な羊に大変夢中になった。
学校で婚約破棄するのかどうなのかと周りの野次馬達がワクワクしていたと言うのに、夏休み明けには「レオネは僕の許嫁だから」と嬉しそうに公言し、レオネを抱き込んだ。
そして、帰してやれそうな魔法が完成した卒業間近の時。
ナインズは嫌だとレオネに泣いて縋り、レオネはナインズに息子にでもするようにキスをして旅立った。
──後には誰も残らず──
と言うこともなく、ずっとレオネの体の中から見ていたレオネが顔を真っ赤にしてそこには残ったらしい。
彼女には断片的に他の世界の不思議なレオネの記憶が残ったらしく、それはナザリックにとってやはり、大変有益なものとなった。
それから、残ったレオネの祈りはやはり透き通っていて──二人は十八歳同士のあるべきだった時の中で、二十五を迎える頃に大神殿で生涯を誓い合うらしい。
「向こうの僕らはずいぶん遠回りで──僕はずいぶん無能らしい。僕は君を絶対に一人にはしないよ」
その誓いは百年の時を生きるナインズの元に届いた。
──「僕はそっちの僕の方が無能だと思うけどなぁ」
ナインズはか細い自身の糸との繋がりが切れるのを感じた。
「無能じゃなかったわ。だって、たった十八歳でわたくしを帰して下さったもの」
「ふふ。僕は君を父様のところに送ろうと思って一瞬で魔法を思いついたよ」
「でも、とんでもない時間に送られましたわ」
「それだけはごめんね。おいで、レオネ。また長い旅だったね」
「本当に。すごくすごく、長い旅だった」
二人は第六階層の大柳の下で、空を飛んでいく
「あー、あの新入り、課金ちゃんにしごかれにいくね」
「いい気味だわ。それで、あなたを襲った竜は?」
「聞いてどうするの?監禁されてるけど」
「良かった。わたくし拷問してくるわ」
「天使で聖女の言うことぉ?」
二人の平和な笑い声はいつまでも響いた。
5話構成くらいでゆっくりナイ君が惹かれていくのが見たかったなぁ!