「本当、効果は抜群みたいですよ。ふふ」
「何よりでございます。ふふ」
フラミーが笑った事に安心した知恵者はネックレスのトップのあったところを指でトンと押して再びもたれさせた。
デミウルゴスはそこに長く口付けると、そっと唇を離した。
「……さぁ、本日はここまでにいたしましょう。急がれる事もございません」
デミウルゴスの明晰な頭脳は今のフラミーではここまでが限界だと理解している。ヘッドボードにもたれるフラミーから離れると、安心したような顔をされ自分の選択は正解だったと確信する。
「どうぞこのままこちらでお休み下さい。私は仕事もありますので、あちらへ行っております」
頭を下げるデミウルゴスを見送ると、フラミーはもぞもぞとベッドに潜り込んで手近にあった枕を抱いた。
(……本当に良かったのかな)
それは決意のあるうちに抱かれなかった事なのか、アインズを想う気持ちを捨てる覚悟をした事なのか、フラミー自身にもわからなかった。
デミウルゴスはメガネの回収も忘れ執務室兼リビングに出るとソファにどさりともたれた。
(本当に良かったのでしょうか)
それは無理にでも抱いてしまわなかった事なのか、アインズの気持ちをわかっていながら手に入れる覚悟をした事なのか、デミウルゴス自身にもわからなかった。しかし、今夜は九階層の自室に帰らせてはいけないと言う事だけはわかっていた。まだ自分達の関係は雲の上を歩くように不確かなのだ。今後どうやってあの心を手に入れるべきか、賢く生み出されたその頭で考える。
そして、アインズに気持ちよくフラミーを諦めさせる為に必要な条件を整理していく。ここはやはりアルベドだ。アルベドを使うのが一番だろう。ただ、自分如きの頭であの支配者と正面から争う事が出来るだろうか。
フラミーがアインズを忘れたいと言わなければ、支配者にフラミーが抱かれ種付けされることも許容するつもりだった。いや、元よりそうなる予定だったのだから許すも何もない。──しかし真なる支配者の望みは心だ。一瞬たりともアインズが立ち入る隙のない完全なるものを差し出す事を、デミウルゴスは再び目の前の写真に誓った。
翌日ソファでそのまま寝ていたデミウルゴスは第七階層の騒めきに目を覚ました。少し乱暴に扉がノックされると、来たなと体を起こす。サッと自分の身なりが失礼に当たらないかを確認し、扉へ向かう。すると待ちきれなくなったのか扉は勝手に開かれた。
「デミウルゴス。フラミーさんがここにいるって?」
「は。恐れながら、フラミー様は私の寝室でお休みでございます」
アインズはデミウルゴスをじっと見た。眼鏡もかけていない宝石の瞳が直にアインズを捉えていた。何ともいつもと違う様子の部屋に入る。そのまま寝室の扉を開こうとし、デミウルゴスに止められた。
「お待ち下さい」
「……なんだ?」
「フラミー様はお休みです。せめて戸を叩かれては……」
正論にアインズは自嘲し、中の人を思って優しく戸を叩いた。中からはうにゃうにゃ言う声が聞こえ、アインズはそっと扉を開けた。
「フラミーさん。こんな所で何やってんですか」
布団の上には紺色のローブが丁寧に掛けられ、真ん中にフラミーはいた。他にデミウルゴスが起き出したような形跡もないそれはアインズを心底安心させる。
「あぁ〜あいんずさん。はは。おはようございます。何だかここにすっかりお世話になっちゃった」
へらりと笑うその首には──ネックレスがなかった。
「フラミーさん、あれはどうしたんですか?」
一度も外しているところなんか見た事がない。決して失くさないようにと簡単に抜けたり取れたりしないように首に巻いていたのだ。首にはネックレスのトップがあった場所に痕が残っていて、それだけ長い事着けていたのだとアインズに思わせる。
「ん?あっ、これ」
フラミーは困ったように手のひらを広げた。手には赤くそれを握りしめていた痕が残っていた。
「ああ……そんな風にして痛かったでしょう。ほら、貸してください」
躊躇いがちに渡されたネックレスを受け取ると、アインズはフラミーの下ろしてある髪の毛を片側にどけた。いつもしているように首に巻こうとすると、フラミーはアインズの手に手を重ねて制した。
「えへへ。ちょっと着け方変えようかと思って。昨日考えてたらそのまま寝ちゃった」
フラミーはそのままネックレスをアインズから受け取ると、チェーンの片側を咥え右腕にぐるぐる巻き始めた。
「ほら、口離して。着けてあげますから」
「むぅ」
開けられた口からポロリとチェーンの端が落ちるとアインズはその唇にどきりとした。残りをくるくる巻いて止めると、魔法の装備はピタリと再びフラミーの身に着いた。
「じゃーん。ブレスレットバージョン!」
「はは。本当ですね。こんな着け方もあるもんですか」
アインズはフラミーの腕を取るとそのまま引き寄せて軽く抱きしめた。
「あっ、あいんずさん……」
フラミーは何も言わないアインズにどうしたんだろうと思う。そのまま目を閉じ最後になる好きな人の感触に腕を回した。大きな胸もサラサラした髪の毛も、何の匂いもしない体ももうこれでおしまい。フラミーは昨日のデミウルゴスの匂いと真っ直ぐな輝く瞳を思い出し、そっと離れた。
「さぁ、あなたはご飯の時間でしょう?部屋にセバスが持って行ってましたよ」
「あれま。そりゃ可哀想でした。ははは」
「本当困った人ですね。じゃ、行きますよ」
アインズは新しい腕輪の定位置になった右腕を取るとフラミーをベッドから連れ出した。
「デミウルゴス、お前ここにフラミーさんを泊めるなら次は誰かしらにちゃんと連絡しないとダメだろう。私も心配したんだ」
「失礼いたしました。思い至りませんで」
「良い。お前にはまた迷惑をかけたな」
歩いて行くとフラミーの体がガクンと止まり、アインズはフラミーの手を取るデミウルゴスを見た。そしてやっぱりと思う。
「デミウルゴス。何のつもりだと前も言っただろう。お前はきっとこう言うぞ、失礼しましたとな」
「はい。失礼いたしました。しかし恐れながらフラミー様はこちらで朝食を召し上がって行かれます」
そうなのかとフラミーを振り返るとフラミーもうんうんと頷いていた。
「はぁ。ならば私も今日はここで食べていく。セバスに連絡しなさい」
フラミーはアインズの向かいに座ると少し離れた所で
「お待たせしました。すぐにセバスは来るそうです」
デミウルゴスはいつものように座るアインズの斜め後ろに控えて立った。支配者達がいつもと変わらぬ会話を繰り広げる中、デミウルゴスは正面にいるフラミーの首の中心に着けた自分の口付けの後をしばらく眺めて過ごした。
「アインズ様お待たせいたしました」
「アインズ様!私もご一緒いたします!デミウルゴス、お茶会の話がしたいそうね!お食事の後でもいいかしら?」
セバスと一緒に来たアルベドは仕事でいくつか確認したい点があると呼び出されていた。
「もちろんですとも」
「途端に賑やかだな。さぁ、お前達も座りなさい」
アインズの隣にアルベドがさっと座ると、フラミーの隣にデミウルゴスが座り、本日の当番二名とセバスが食事の支度を始めた。
食事が終わると、デミウルゴスとアルベドは近々訪れる支配者のお茶会について話し始めた。
「我々も立食の際には立ち合っても宜しいでしょうか?」
「もちろん好きにすると良いぞ。双子以外は特別仕事もないんだからな」
アインズは取り敢えず隣にいるアルベドの翼を撫でた。手の届かないところにある翼を想って優しく撫でる。あれのサラリと柔らかな触り心地と、アルベドの艶のある瑞々しい触り心地は似ているようで似ていない。
「左様でございますか。では、御身があまり煩わされないようアルベドと私だけでも出席しようかと思います。アルベドは宰相ですし、側に置かれるとよろしいかと」
アルベドはデミウルゴスを心の中で喝采した。
「そうですわね!おそばでお仕えいたしますわ!皆それぞれ重要な者を連れて来るでしょうし!」
アインズは僅かな時間考えると頷き、二人に任せると言い残した。
「んん。カルカ君」
「はい。あの、デミウルゴス様」
「なんでしょうか?」
「あの、良ければ、うちに婿入りなど……しては頂けないでしょうか。私はあなたと歩みたいと思って……」
「全てはお前の気持ち次第だ、デミウルゴス」
デミウルゴスは先手を打たれたと冷や汗をかいた。心配そうにしているフラミーを前に、下手なことは言えない。よく考えなければ。
「……申し訳ありませんが私には心に決めた方がいらっしゃるのでその様なお誘いはお受けいたしかねます」
「……そうですか、もうお相手が……。その方とは将来を誓われてらっしゃるのでしょうか?」
これはアインズからの尋問だろう。人を操る事のできる恐ろしいその手腕にデミウルゴスはぶるりと背筋を震わせた。
「……私はどのような事があってもフラミー様のみを愛し抜きます……。申し訳ございません……」
それはアインズへの謝罪だった。下手に争おうとしたのが間違いだ。正面から解ってもらうように動がなければいけない。頼み込むか、謝るか、とにかくフラミーの負担のないようにしなければ。
周りの人々は息を飲んだ。
「デミウルゴス様……。仕方、ありませんね……。光神陛下をお慕いしてらっしゃったとは……存じ上げませんでした。はぁ。また素敵なお婿さんを探します」
カルカは悲しそうに笑うと、ケラルトがよしよしと背中をさすった。
「デミウルゴス……お前……」
「申し訳ございませんでした……。私が愚かでございました。どうか……どうかお許しを……」
「……いや……それは構わないとも……。お前の気持ちは本当は私もずっとよくわかっていた。だと言うのにすまなかったな」
フラミーは驚きにアインズを見た。
「そ、そうなの……?」
「……はぁ。皆分かっていた事ですよ。いつ爆発するかと思ってましたが……」
フラミーはアインズも認め応援するような物だったのかと、アインズしか見て来なかった自分を悔やんだ。杖を放り激突するようにデミウルゴスの首にすがった。
「ごめんなさい!ごめんなさい本当に……!いっつも……いっつもわたし……!」
「フラミー様。あの晩も申しました通り宜しいのです。今御身が我が手の中にあると言う事だけで私は幸せでございます」
デミウルゴスはフラミーを抱きしめると震えた。日々の執務の中で優しく触れ合い少しフラミーの心を手の入れ始めたと言うのに、これで断頭されるかと知れない事も、支配者の尋問も、その手腕も、何もかもが恐ろしかった。慎重に全てを進めて支配者が何も気付かぬうちに心がアルベドへ向くような計画を練ってきたと言うのに──。自分のそれは児戯だった。
「……我が手の中か……」
アインズは空を見上げ、こちらへ向かってくる鎧を視界に捉えた。
「アインズ、フラミー、今少し良いかな?」
「妙に気が効くな……フラミーさんは取り込んでるから、私が聞こう」
デミウルゴスは今すぐ処刑されなかった事に感謝し、フラミーから体を離すとその場にへたり込んで汗を拭った。