「お前服多いな…。」
「だから言ったじゃないですかぁ。」
ウルベルトはひーんと鳴き声を上げているフラミーの小さな兎小屋に踏み入れると、暖簾のように大量に吊るされている服を見上げた。
「タンスくらい買えよな。」
「高いし、タンスなんて置いたら寝る場所なくなっちゃうんですもん…。」
「ったくもー。仕方ねぇなぁ…。」
手元の買い物メモにタンスと書き足した。
そこには――カーテン、箸、ハンガーラック、タンス――とあった。
箸はウルベルトがいい加減日下部とお揃いの箸を卒業しようと言うのだ。流石のフラミーも箸くらいは持っている。
ウルベルトはメモを見下ろしながらペンでこみかみをかいた。
「他に必要なものって何だろうな?日下部の時は何も用意してやんなかったからなぁ…。」
「あのぅ、本当にお引っ越しするんです?」
「するだろ?そう怯えんなって。」
「まだ早い気がするんですけど…。」
「気のせい。お前はもう十分一人だった。」そう言いながらウルベルトが手近な扉を開くと、そこはトイレだった。「――ん?お前トイレットペーパーはダブル派か。」
シングル派ウルベルトは先ほどのメモにトイレットペーパー(ダブル)と書き足した。
トイレの様子をきっちり隅々まで見られるとフラミーはもじもじした。
「私、別にトイレットペーパーは何でも良いです。」
「そうか?まぁ俺もなんでも良いからダブルに変えるわ。絵の付いた良い匂いのするペーパーじゃなくて良かったよ。俺あれ苦手なんだわ。」
「なんでです?」
「見えないところに金掛けれます、優雅な生活送ってますって感じがムカつくだろ。値段普通のやつの倍はするし。」
ウルベルトの変わった独自理論にフラミーは「はぇ〜」と言った。
「さて、こんなもんか?しっかし服と布団意外何もねぇな。」
「普通他に何があるんです?」
「あー俺んちもソファとか、クッションとかあっただろ?女子ならアロマディフューザーとか…ドレッサーとか…まぁ知らんけど。」
テレビを持っている者はほとんどいないし、パソコンもダイブマシーンやスマートフォンで代用が効く。
フラミーは「鏡はちゃんとあるんだけどなぁ」とトイレの扉の横にかかっている鏡を覗き込んだ。そこにはスリーブがたっぷりとしたセーターにふわりと広がるトレンチスカートを着たフラミー。ちなみにウルベルトは黒いパンツに黒いシャツ、色といえば赤い靴下だけだ。
「うーん、アロマかぁ。」
「…お前アロマディフューザーってわかる?」
「わかります。」
「匂いするやつだからな?」
「わかってますよ?」
「こういう――」
「わかってます!」
「はは、悪い悪い。」
フラミーはぷんすこ鼻息を出すと小さすぎる流しのついたキッチンに向かった。と言っても玄関から五歩だ。
「ウルベルトさん何か飲みます?」
「いや、いいや。それよりいるもんといらないもん分けな。服は詰めるから畳んで。すぐに使う数日分は出しやすい様に避けとけよ。」
フラミーはキッチンに軽く腰掛けると困ったような顔をした。
「むぅ、本当にお引っ越しするなら先に会社に届け出ないと…。」
「会社?んなもんやめればいいじゃん。」
「やめれませんよぅ…。借金は給料から天引きなんですから。」
「はぁ。俺に永久就職したら俺から引かれるんだろ。難しく考えんなよ。」
「ウルベルトさんは気軽過ぎますよぉ…。私の名前だって去年の暮れに知ったばっかりだって言うのに…。」
「お前は考えすぎ。少なくともここの家賃がなくなればお前の生活は楽になるんだから。それに、別に名前なんかなんでも良いだろ。そんなもん知らなくっても俺たちはずっと仲間だったんだから。それともモモンガさんは他人か?」
ウルベルトは布団に寄りかかるように座ると暖簾のような服を見上げた。
「そりゃモモンガさんは大事な人ですけど…。」
「…お前本当モモンガさん大好きだな。じゃあ俺のことは何だと思ってたんだよ。」
「モモンガさんと同じく大事な人だと思ってましたよ。それより、私ウルベルトさんのお名前まだ教えてもらってないです!」
「え?ごめん、そうだった?」
「はひ。なんていうんですか?」
「ウルベルト・アレイン・オードルだよ。」
ニヒリと笑ったウルベルトはドヤ顔だったがフラミーは一瞬頬を膨らませた。
「ウルベルトさん!私だってそんなの信じません!」
「はは、ごめんごめん。顔がころころ変わるのが可愛くてついな。」
「もー!おちょくってないで!いいから教えてください!」
アバターと違ってこれほどまでに顔が変わるとは。実に面白かった。
「俺は宇留部透だよ。」
「うるべーとる?あれ?」
「いやキロメートルじゃないんだから…。と、お、る。宇留部透。」
「宇留部透さん。ウルベルトさんじゃないですか。」
「お前だってフラミーじゃん。」
「へへ、フラミーです。」
フラミーはキッチンから腰を上げるとウルベルトの前に座った。
「なぁフラミー、気に入ったか?」
「ん?何をです?」
「名字。変わる先の名字が気に入らないと可哀想だろ?」
「…あのぅ…口説くの終わったんじゃないんですか?」
「俺もそう思ってたんだが、お前が俺と結婚するって言うまでまた口説かなきゃならんと気付いた。」
ウルベルトのド真面目な様子にフラミーは顔を赤くした。耳まで赤かった。
「ほら、可愛い顔してないで片付け始めるぞ。」
「か、かわ――んん。ウルベルトさんは座っててください。」
フラミーは服を何着かハンガーから取り、畳んで行った。
ウルベルトはしばらくその様子を眺めた。
滑らかに動く苦労を知らなそうな白い手は目には見えない傷でボロボロなような気がし、本当に会社なんて辞めてしまえば良いのにと思った。
「…フラミー?」
「はひ!なんですか?」
「好きだよ。」
フラミーは顔を赤くして「はわ…」と一言漏らすと顔のパーツが左右に吹き飛んでしまうような勢いで顔を振り、黙々と作業を続けた。
「どした?普通好きって返すところだろ。」
ウルベルトはあれ以来聞いてない言葉をワクワクと待った。
「なんて言うか…またおちょくられてるのかと思って。」
「はは、今のはおちょくってないって。まぁフラミー観察は面白いけどな。」
ウルベルトも服を取り、畳むのを手伝おうとするとフラミーはウルベルトから服をサッと取り返した。
「――ん?」
「だめです。」
「なんで?」
「恥ずかしいですから…。」
「恥ずかしい?よくわからん。」
再び服を畳もうとすると、また服は奪われた。
「…………。」
「…………。」
「二人がかりの方が早いだろ!」
「で、でも恥ずかしいんですもん!」
二人はそう言い合いながら服を引っ張り合った。
引っ張りながらフラミーが膝立ちになると、ウルベルトも膝立ちになり引っ張り返した。
「恥ずかしくねぇっての。服の何が恥ずかしいんだよ!」
「どんなカッコしてるとか知られるのも、本当はウルベルトさんがお部屋にいるのも恥ずかしいんです!」
フラミーはムゥっとウルベルトを見上げた。
うりゅうりゅと揺れる黒目がちな丸い瞳と目が合うと、ウルベルトの顔は思わずへらりと緩み、手の力も緩んだ。その瞬間――引っ張りあっていた服はウルベルトの手からスポンっと抜けた。
「っあ!」
「――ッキャ!」
フラミーが後ろへぐらりと倒れるとウルベルトは慌てて手を伸ばした。フラミーも手を伸ばし返し、二人の手は掛けられている服に触れてしまった。服を掛けていた紐は弦のようにビンっと弾かれ、助けようとしたウルベルトとフラミーの上に大量の服を舞わせた。
服が全て落ちると、ウルベルトの頭にはコツンっとハンガーが一本ぶつかった。
「いてっ。やっちまった、大丈夫か?」
ウルベルトは見下ろすものを確認すると硬直した。ジョニーも思わず硬直した。
四つん這いの自分の下には、組み伏せたような形になってしまったフラミー。片腕を握り、床に押し付けていた。
フラミーは色とりどりの服の中に転がり、やはり天使のようだった。
「っんぅ…っはぁ…へいきです…。」とフラミーがなんとも言えない声で返事をすると慌てて握っていた手を離した。
濡れたような瞳で戸惑うように見上げられ、ウルベルトは思わずゴクリと喉を鳴らした。
「はぁ…散らかしちゃった…お片付けしないと…。」
「ん…そうだな。」
そうだなとは言ったがウルベルトは動けなかった。
(……俺はジョニーの言いなりなのか?いや、駄目だ。ダメだダメだ…。大事に…大事に大事に大事に大事に……。)
ウルベルトは目を閉じ自分に言い聞かせた。
これまでの彼女達はこんなに抱きたいと思わなかったのにおかしかった。行為は疲れるし、あれこれと女に気を使うのもめんどくさい。ジョニーに銀の靴下を履かせてやるのも面倒だし、自分でした方が良いと思っていたのに。
(……一回抱いたらこんなもんかって落ち着くか…?)
抱いてしまいたい。ジョニーがささやきかける。
「ウルベルトさん?大丈夫ですか?痛かったんですか?」
フラミーの声に目を開けると、心配そうにウルベルトを見上げていた。
長い睫毛が瞬き綺麗だった。
その様子も質問もあまりにも無垢で、自分が今欲情されているなんて欠片たりとも思っていない――ウルベルトを心から心配するような雰囲気だった。
無理を言って家に上がらせてもらったし、何もしないからうちにおいでと言っているのだからここで何かをすれば台無しだ。
ウルベルトは熱を逃がすようにふっと息を吐き、心を鬼にするとエイヤッとフラミーの上から退いた。理性が拍手喝采するが、本能と野生からは大ブーイングだ。
ジョニーを目撃される前に急いで体育座りをすると、自分の上に掛かっていた服を起き上がったフラミーに差し出した。
「…大丈夫。悪かったな。だけど俺は今から訳あって素数数えるわ。あ、素数ってわかるか?朱雀さんに習ったよな?」
「あ、習いましたよ!私も数えるのお手伝いします!えっと、1、2、3、5、7、11……。」
ウルベルトはそれを聞きながらジョニーに落ち着けと念じた。
そして、フラミーはえっとえっととウルベルトの前で指折り数えた。
じっと観察し、「17な。」と助け舟を出した。
「ありがとうございます。えーと、次は19!その次は…。」
服をたたみながら一生懸命に掛け算をする乙女という謎の光景。ウルベルトはフラミーなら何でも良いと感じてしまう自分の頭の弱さに少し苦悩した。
「フラミー、素数もういいよ。ありがとさん。」
「でも、100くらいまでは気になりませんか?」
(ならん。)
ウルベルトは素数にまるで興味がなかった。
「23、73、79、83、89、97、101。これでスッキリしたか?」
「おぉ!師匠賢い!」
「…師匠じゃないだろ。」
ウルベルトはフラミーの手を引っ張った。
「あ、あの…ウルベルトさん…。」
「何もしないから。」
フラミーが静かに頷くと、ウルベルトはその手の平に口付けを落とした。
チュッと軽やかな音が鳴ると、フラミーはぴくりと震えた。
「――あの、なにもしないって…。」
「…俺的には何もしてない。でもフラミー、いつか俺のものになってくれ。」
手の平へのキスは求婚と懇願を意味するとどこかで聞いた。
「うるべるとさん…。」
「わかってる…覚悟ができるまで全部待つから…。」
手を離すと、ウルベルトは立ち上がり、うーんと伸びた。
「じゃ、俺車借りて来るわ。段ボールも事務所から取ってくるから。」
ウルベルトはフラミーの返事も待たずにコートを羽織ると、小さすぎる土間で黒いスニーカーに足を突っ込みフラミーの部屋をそそくさと後にした。
バタンっと重めのドアが閉まると、何度も冷たい空気を吸っては吐いた。
(あー…ギリギリだわ。)
とんとんと爪先を鳴らし靴をちゃんと履く。足首には赤い靴下が見え隠れしていた。
あはぁ〜免許持ってるのね〜
いちゃつくだけの話ね〜
裏だからね〜〜
次回#8引っ越し
12:00更新慣れないので0時更新にします!
12時間後にまたお会いしましょう!