ウルベルトは事務所に泊まる時に床に敷いている段ボールを何枚か小脇に抱え、外に出た。
「ふーさみぃさみぃ。」
事務所の鍵を掛けるとトントントンっと軽い足取りで階段を下りた。
今日は割と空気が綺麗だと言うのに下には防毒マスクを着けた知らない男達がいて、ウルベルトは何だろうかと目を細めた。
男達の着ているスーツはいかにも高級品で、
が、ここは割とアーコロジーに近いとは言え特別何がある街でもないのでわざわざアーコロジーの連中がマスクを着けてまで訪れる様な用事はない。
階段を降り切ると関わり合いになるのは良そうとさっさと借りた電気自動車の扉に手をかけた。
そして、ポンと肩を叩かれた。
「宇留部透さんですね?」
「…そうですけど?」
「では、この人はお宅の従業員で間違いないですか?」
男は写真を見せた。
そこには日下部が懐に手を入れ、物陰から何かを見ている姿が写されていた。
「――間違いないですけど…何か?お宅らも人探し屋か?」
「いえ。我々は人捕え屋ですよ。」
男達は光沢のあるスーツの胸ポケットに手を突っ込むと、手帳を見せた。
縦にパカリと開いたそれは中に金色の徽章を戴いていて、何度も見たことがある――。
ウルベルトはハッとし、すぐにそこに書かれている氏名、階級、所属庁、職員番号を読み取った。
忘れないように数秒目を閉じ頭に叩き込む。
「――やんごとなき国家に仕える皆様が何の御用ですか?我々は清く正しい庶民ですよ。」
「正しい市民であるなら、この子にあまり我々の周りをうろつかない様にお願いして下さい。そうしないと――」
ウルベルトは日下部が余計な真似をしている事に思い至り、急ぎスマホを取り出すと画面が相手にも見えるように立ち上げた。
決済機能を開き、一ヶ月の売り上げを入力する。
「――おやおや。これは?」
「うちも人手不足です。よく言って聞かせますから。これは帰りに皆さんで何か召し上がって頂ければ、と。ただの心付けです。」
「あ〜なるほど、そうですか。そうしてくださるならね。助かりますよ。」
ウルベルトは心の中で舌打ちをしてから決済コードを出した。
男もスマホを取り出し読み取る。
場違いな程に軽やかな音が鳴ると、男はウルベルトの肩をポンポン叩いた。
「頼みますよ。我々だって心苦しいんですから。それが――いくら棄民相手だって。」
ウルベルトはギュッと手を握り頭を下げた。
「恐れ入ります。」
「君、話に聞いてたよりよっぽど感じ良いねぇ、じゃ。」
男はポイと日下部の写る写真を捨て、ウルベルトはそれを拾い再び頭を下げた。
男達が立ち去るまで頭を下げ続けたウルベルトは無言で段ボールを車の後部座席に積み、運転席に座った。
「………馬鹿野郎が。」
ウルベルトはすぐにズボンの後ろポケットからメモを取り出すとさっきの男の情報を書きつける。なんでもスマホに書き留められるが、いつどんな情報が流出するかも引き抜かれるかもわからないのでもっぱらアナログ戦法だ。その為に手帳は常に持ち歩いている。
きちんとメモを取ると有給を与えている男に電話をかけた。
数度コール音が鳴ると、気楽な声がした。
『はーい、宇留部さん。どうしまし――』
「日下部!!どうしましたじゃねぇだろ!!」
怒鳴るとスマホを落としたのかガタガタと音が鳴った。
『す、すみません!なんですか!?』
「お前俺に隠れてこそこそどこ行ってやがる!!済んだことでいつまでもうだうだやってんじゃねぇぞ!!」
『…す、済んだことって何ですか!!俺だって――』
「今事務所にそれはそれはやんごとねぇご身分の奴らが来たんだぞ!!ふざけやがって!!お前のために俺がこれまでいくら――」そこまで言ってウルベルトは口をつぐんだ。「いや、何でもない。良いか、相手はお前みたいな素人じゃない。そこを準備もなく調べるみたいな真似はやめろ。そんな事したって指示した奴等には行きつけない。」
『…宇留部さんは良いですよ…。宇留部さんのところと違って俺は、俺の母さん達は――!!』
日下部が興奮していくのを感じるとウルベルトは胸を痛めた。大晦日に年越し蕎麦の相場はいくらだなんてふざけた事を聞いて来ていたが、おおかた両親との何かを思い出したのだろう。長い休みは人を狂わせる。
「解ってる。悪かったよ、落ち着け。ちゃんといつかなんとかしてやるから。」
『いつもいつかって言うけど、いつそんな日が来るって言うんですか!!』
ウルベルトはハンドルに寄りかかり軽く頭を抱えた。
「――いつかだ。今
『…それもいつも言ってるじゃないですか!箱箱って…箱って一体なんなんです!』
「お前に箱の話は早い。だけど箱を見付けて晒せれば、
船――世界を牛耳る巨大複合企業はこの世界を腐らせた根源のようなものだ。
『……それなら、どうしてもっと我武者羅に探さないんですか。ユグドラシルなんかで遊んでるくせに。』
「充分我武者羅にやってんだろ。だけどな、急いては事を仕損じる。箱を探してることがバレれば何もかもがおじゃんだ。だけど俺の友達にも捜索は頼んであるからお前ももう少し余裕持て。」
電話の向こうは沈黙していた。
「おい、日下部。なんとか言えよ。俺はお前のためにこれでも多少急いでやってんだから。」
『…はい。』
「解ったら変な気起こすなよ。一応俺の楽しいおともだちに進捗は聞いてやる。」
『宇留部さん…すみませんでした…。』
「解ればよろしい。あぁ、それからお前、今日有給じゃなくて普通の休み扱いにしとくから。」
『えっ!そんな!先せ――』
ウルベルトはブツッと電話を切った。
「…はぁ。これじゃ来月までフラミーにタンス買ってやれねぇじゃん…。」
ため息を吐くと続いてもう一本電話を掛けた。
『――ウルベルト、どした?』
電話の向こうはアインズ・ウール・ゴウンのベルリバーだった。
「ベルさん、ごめん。箱探しの進捗聞いとこうと思って。」
『あぁ、箱な。変わってねぇよ。』
「ふぅ、まぁそうだよなぁ。」
ウルベルトは背もたれに寄りかかると、はぁー…と息を吐きわしわしと頭をかいた。
『もしかしてフラミーの関係で焦ってんの?』
「いや、全く。まぁフラミーの為にも箱は早く欲しいけどな。俺よりもうちの馬鹿タレが我慢できなくなってやんごとなき特高様を調べようと突撃しようとしたっぽいわ。」
特高――特別高等警察は戦後GHQに解体されたが現在はその名を冠していないだけでほとんど同じことをする部署がある。宇留部に話しかけてきた彼らはそんな所からの遣いだった。
『はぁ!?やめろよな!それでどうしたんだよ。どうせやんごとない奴ら来たんだろ。』
「来たよ。仕方ないから売り上げ一ヶ月分払ってお帰りいただいた。」
ウルベルトがうめくと、ベルリバーも少しうめいた。
『信じらんねぇ、馬鹿だなぁ…。事務所の家賃払えんの?』
「流石に払える。オーナーには六ヶ月分先に渡してるし、万一払えなくても半年は何とかなるさ。」
『六ヶ月分…えげつねぇ。事業所ならそんなもん?』
「そんなもん。まぁ金なんかただの数字だよ。」
電話の向こうのベルリバー――鈴川は豪快に笑った。
『ハハハ!ただの数字な。それは間違いないわ。』
「だろ。ところで、一つ頼みがあんだけど。」
『何?箱でいっぱいいっぱい何だからあんま面倒なのはやめてくれよ。』
「大丈夫。秒で済むから。フラミーにタンス買ってやりたいんだけど金貸してくんない?」
『貸してくんない。っつぅか本当にフラミー引き取るの?』
「ケチだなぁ。フラミーは引き取るけど、悪い?」
『いや、フラミーが大変だなと…。』
「……何が。」
苛立たしげにウルベルトはコツコツとハンドルを叩いた。
『いや、いきなり結婚してくれって言われたと思ったらすぐに引っ越せとか。あんまり振り回すと嫌われるぜ。あのタイプは溜め込んでいきなり家出する。』
「振り回すつもりはないって。ま、肝に銘じとくよ。」
『あと、適度に寝させてやれよ。どうせフラミー引き取ったらもう夜寝かすつもりないだろ。あ、懐妊したら教えて。祝いくらい送るから。』
「…寝かせるわ。それより先に結婚の祝い欲しいんだけど。」
『結婚より先に子供作ってなし崩し戦法だろ?』
「フラミーの夢が可愛いお嫁さんなんだからそんなスタート切れるわけねぇだろうが。俺のことなんだと思ってんだよ。」
『可愛い肉食山羊さんだと思ってる。それにしてもウルベルトの口から"可愛いお嫁さん"なんて言葉が出るとはフラミーには感服するよ。じゃ、俺は仕事あるから。』
「うるさい。じゃあまたナザリックでな。」
『ナザリックで。』
ウルベルトは電話を切ると静かになった車内でズルリと溶けた。
少し目を閉じると、紫色のフラミーの姿が思い浮かんだ。
(ウルベルトさん――大丈夫ですよ。去年はたくさん頑張ったから、きっと今年は少し何かが良くなります!)
「…危うく最悪な年明けになるところだったけど…お前がいてくれてるから最悪にはならなそうだ…。」
よっこらせと座り直すと、ウルベルトはスマホで気に入っている曲をかけ、すっかり待たせてしまったフラミーの家へ向かった。
(…進んでるかな。あいつあんま家に来るの乗り気じゃないからなぁ…。)
すいすいと運転していくと、三十分ほどでフラミーの家に着いた。
小さなアパルトマンの前に停め、いつも持ち歩いているメモ帳から一枚紙をビッと切り離した。
ペンを取り出し、キャップを咥えると、キュキュキュッと注意書きをしてダッシュボードに載せた。
――引越し荷物搬出中
これで多少の時間停めていても許されるだろう。
ウルベルトは車を降りると、また溜息をついた。
(…世界ってもんは本当に腐ってんなぁ。)
段ボールを後部座席から取り出すと、フラミーの住む部屋へ向かった。
ベルを鳴らし、しばし待つと扉は開いた。
「うんしょ。あ、ウルベルトさん。」
重そうに扉を一生懸命に押す姿に少しだけ心がほぐれる。
「よ、また来たよ。」
ウルベルトは扉を開き、部屋に入ると段ボールを部屋の隅に置いた。三畳間は吊ってあった服がなくなると少し広くなったように見えた。
「これ、多少薄くなってるけど、まぁ服運ぶくらいなら何とかなるだろ。」
靴を脱ぎ、家に上がるとフラミーは心配そうにウルベルトを見上げた。
「ん――ウルベルトさん、何かありました?」
「いや。何も?」
ウルベルトが軽く笑って見せると、フラミーは目を細め、じっとその様子を見つめた。どうかしたかとウルベルトはおどけたように眉を上げ――フラミーは目を閉じた。
「…フラミー?もしかしてその気になった?」
ウルベルトは思ったよりずっと早かったなと数歩フラミーに近付き、顎を掴んだ。
すると、フラミーは瞳をパッと開いた。
「やっぱり。何かあったんですね?」
「は?」
「ウルベルトさん、何があったんですか?大丈夫ですか?」
フラミーは声の情報でウルベルトの何かを探知しているようだった。普段アバターの顔に動きはない。フラミーは視覚情報を取り払い、いつものウルベルトと何か差がないか確かめた。
「…お前鈍いのか鋭いのかわかんねぇな。」
「悔しかったの?どうして?」
「いや、言ってねぇだろ。」
「大丈夫ですよ。そんなに無理しないでください。」
ウルベルトはフラミーの顎を離すと床に触り、ぷいっと顔を背けた。
「無理してないし何もない。」
「…私じゃだめなんですか。」
「お前が良いけど、何もなかったっての。」
ウルベルトは困ったなぁと、どうにか取り繕う方法を考えた。
「あなたは私の力になってくれるのに…。私じゃ力になれないの…。」
落ち込む声にやるせなくなる。
「いや…んなこたないけど…。聞いたって面白くも何ともない話だから。」
「私だってウルベルトさんの事何でも知りたいのに…。」
ウルベルトはまた溜息をついた。
日下部のせいで今日は何回溜息をついただろう。
「…分かったよ。ここに来る前に怖い人たちに声かけられたの。ウルベルトさんはびびっちゃったの。」
「そうなんです?」
「そうなんです。カツアゲされたの。それでウルベルトさんは悔しくなっちまったの。」
腕を組んで嘘でも真実でもない事を言うとフラミーはむぅ、と少し悩んだ。
「フラミー、話したんだから慰めてくれると助かるんだけど。」
「あ、はい!慰めてあげます。」
ウルベルトはそれを聞いただけでご機嫌になった。キスしてくれるだろうか、それとも抱きしめてくれるだろうか。いや、あれやこれをさせてくれるだろうか。
座っているウルベルトに、フラミーの手が伸びた。ウルベルトは尻尾が生えていたらブンブン振っていただろう。
そして――「よしよし。」
そう言って、フラミーの手はウルベルトの髪をさらりと梳かした。
(――期待してたのと違う…。)
が、頭を撫でてもらうなど母にそうしてもらって以来だった。
あまりにも久しく懐かしい感触にウルベルトは目を閉じた。
優しい手は何度もウルベルトを撫でてくれた。
「嫌だったね。大丈夫ですよ。」
「あぁ…本当に嫌だった。ムカついた。悔しかった。」
「怖いの怖いの飛んでけ!」
――とおる、いたいのいたいのとんでけ!
ウルベルトは母を思い出し胸をそっと抑えた。
「フラミー、ありがとう…割と飛んでったわ。」
目を開けると、優しく微笑む小動物がいた。
座ったままのウルベルトは何も考えず、自分の前で膝立ちになっているフラミーの腕を取り、引き寄せた。
「――ぁ。」
小さな胸に耳を当てるとフラミーの体の中からは大きな心音が聞こえた。
「ごめん、少しこうさせて…。」
ウルベルトは人が生きている音を聞けるというのは幸せな事なんだなと、生まれて初めて思った。
「…お前、こんなに早く心臓鳴らしててすぐに死んじまいそう。」
生き物は皆同じ回数だけ心臓が鼓動を打つなんて話を聞いた。嘘だろうが、フラミーは本当に簡単に死んでしまう気がした。
「…な、ながいき…します…。」
ウルベルトはそれを聞くとふっと笑い、フラミーを自由にし、耳を胸から離した。
見上げると、双丘の向こうのフラミーの顔は真っ赤で、涙がわずかに溜まる瞳は揺れていた。
「……そ、そんな顔すんなよ!」
「っはぇ、そんなかお…?」
「無自覚もやめろ!俺以外の前でそんな顔したらどうすんだよ!」
ウルベルトは慌ててフラミーを立たせると鏡でその顔を確認させた。
赤い顔を見るとフラミーはぱたぱたと手を仰いだ。
「わ、やですね。はは、暑くなっちゃった。」
ウルベルトは分かってねぇと自分の顔にパチンと手を当てた。
(…ジョニー…頑張ろうな…。)
帰ったらお宝でも眺めて慰めてやろうと決めた。
「――じゃ、詰めるか。」
二人は少し薄い段ボールを組み立て、荷物をしまった。
服は嵩張ったが、荷物の少ないフラミーの荷造りはあっという間に終わった。下着や小物などは籠に入れられ、キッチンの上に備え付けられているたった二段の棚に置かれていたので、そのまま段ボールにいれた。
ウルベルトが段ボールを持ち上げると、フラミーはウルベルトを覗き込んだ。
「本当に本当に、お引っ越し?」
「本当に本当に、お引っ越し。」
「二人で暮らす?」
「二人で暮らす。」
「むぅ。」
「むう?」
フラミーは正座すると深々と頭を下げた。
「村瀬文香と申します。よろしくお願いいたします。」
ウルベルトは慌てて箱を置くとその前に同じく正座して頭を下げた。
「よ、よろしく。――お願いします。宇留部透です。」
そうして二人はフラミーの部屋を後にした。
おめでとう!おめでとう!!
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