「一口飲んでみれば?」
ウルベルトはフラミーに酒を勧めてみた。
今夜頼んだのは固形の食事をひとつ、それから液状食料だった。金欠ウルベルトには今夜はこれが精一杯だった。
「ほ、本当に弱いですよ?」
「寝ても連れて帰ってやるから心配すんなよ。」
フラミーはほんの一口ちびりと飲んだ。
「うまいか?」
「んまいです!へへ。」
「好きは好きなんだな。…コンビニ寄って家で飲むか。」
ウルベルトはフラミーに返された酒を一気に飲むと馴染みのバーテンダーを手招き、スマホを渡した。
「ご馳走さん。」
「宇留部さんいつもありがとうございます。」
すぐに決済され、スマホは返された。
「しかし宇留部さんが日下部君以外の人と来るなんて久しぶりですね。」
「あーそうだなぁ。これからは日下部よりこいつと来る方が多いかも。来月からはうちで働くから。」
フラミーにコートを着せ掛けながらウルベルトは笑った。
「はは、そうですか。日下部君みたいに拾ったんですか?宇留部さんは慈善家だから。」
「…よせよ。俺はそんな事しちゃいない。人の不幸で飯を食ってる悪魔の契約人だ。それに拾ったのは日下部だけさ。」
フラミーの帰り支度が済むとウルベルトもガスマスクを着け、来た時のようにフラミーに手を差し出した。
フラミーがそれをちょんと触れると握りしめ、二人は出て行った。
「宇留部さんのこれまでの趣味とは随分違うみたいな気がするけど、あれは宇留部さんが惚れてるなぁ、はは。」
マスターは片付けをした。
コンビニで軽い買い物をしてから二人は帰ってきた。
「あ、コップとお皿出します!」
「場所分かる?」
「はい。元旦に食器しまった時に見ましたから!」
フラミーが出してきた食器とコップをテーブルに置くとウルベルトは買ってきた物を袋から出した。
集成食料と酒が二つ。
集成食料は近頃出回るようになった液状食料の水分を飛ばしてギュッとダイス状に加工した物だ。
液状食料より値は張るが、物を食べている感じがするので割と人気だ。
「なんかもう元旦が随分昔に思えるわ。まだ四日なのにな。」
「はは、私なんてお引っ越ししたのが昔みたいに感じます。」
しかし、床に座ったフラミーの後ろには段ボールが数箱置いてある。
「じゃ、二次会は引っ越し祝いって事で。乾杯」
「わーい、かんぱーい!ご厄介になりますね。」
「あ、お前に鍵やらなきゃ。」
ウルベルトは日下部からもぎ取った鍵をフラミーに渡した。
「…すごい。なんか、本当に一緒に暮らすみたい。」
「はは、みたいじゃなくて、一緒に暮らすんだって。あ、お前明日会社行ったら引っ越しの届け出せよ。あの家は早く退居手続きして。家賃もったいねぇから。」
「はぁい。明日はたくさんやる事あるなぁ。」
ウルベルトはプシっとひとつ目の缶を開け、コップに半分づつ入れた。
「退去手続き、俺が代わりにやってやろうか?」
「いえ!大丈夫です。」
ちびちびと酒を飲み、たまに集成食料を食べながら、二人は知らなかったお互いの事を話した。
それは好きな液状食料であったり、休日のユグドラシル以外の過ごし方だったり、電話番号だったり、気に入りの服屋だったり、街だったりと、なんと言うことのない会話だった。
「ウルベルトさんって音楽好きなんですね。」
「ん?なんで?」
「だって、ずっと歌ってるから。」
フラミーはウルベルトの歌っていた歌を歌った。
「げ、出ちゃうんだよな…。車に詰めたり、路上で無限に立ってなきゃいけないことがあるから、癖になってんの。」
「ウルベルトさんお歌上手です。ずっと聴いてたい。」
目を細めるフラミーは集成食料をぽいと口に放り込んだ。
「…上手くないって。フラミーはなんか好きな歌ないの?歌手とか。」
「私はねー、私が作った歌が一番好きかも。」
「なんだそりゃ。」
「えっとね――」
そう言うとフラミーはふんふん歌った。
不思議な旋律の優しい歌は聞いたことのない――いや、どこかで聞いたことのある歌だった。
「――っていうんですよ!」
ウルベルトは難しい顔をした。確かにどこかで聞いたことがある。
「俺それ聞いたことあるわ。もっかい歌って。」
「あらぁ…私が作ったんだと思ってたなぁ。えっとね――」
思い出そうとしても思い出そうとしても、それをどこで聞いたのかウルベルトは思い出せなかった。
「――やっぱり子供の時から歌ってるから、誰かの曲真似てるだけなのかな。」
フラミーは頬杖を着くと少しつまらなそうに頬を膨らました。
「…子供の時から…。」ウルベルトはスマホを取り出した。「フラミー、もっかい歌って。」
「撮るんです?」
「あぁ、撮っておく。誰かに聞かせたら分かるかもしれないし。」
「やですよぅ、恥ずかしい…。」
フラミーがそう言うとウルベルトは机の下にスマホを隠した。
「じゃあ撮らないからもっかいだけ。」
「もっかいだけですよ?誰の曲だか分かったら教えてくださいね。」
フラミーが息を吸うと、ウルベルトは録音モードにした。録っているが撮ってない。
曲が進む中で、必死に記憶を手繰り寄せ――答えに行きつかないうちに鼻歌は終わった。
「ふーむ…どこで聞いたんだろうな本当。」
「ふふ、聞いたことあるっていうのは気のせいで、やっぱり私の曲かも。」
「あり得るわ、はは。」
ウルベルトはこっそりと携帯をしまい、もう一本酒を開けた。
コップにわざわざ注ぐのも面倒だがフラミーがそうするのが当たり前だと思っているようなので踏襲する。
のぼる泡を眺めながら、ウルベルトはしばらく先ほどの旋律について考えた。
何か重要なことのような気がしてならなかったから。
「なぁ、子供の頃からって何歳くらい――」
ウルベルトが顔を上げると、フラミーはうとうとしていた。
「――フラミー?」
「は、はひ。」
「寝るか?」
「も、もう少し…うるべるとさんとおはなししたい…。」
「でもお前明日から会社だろ?布団敷いてやるからちょっと待ってろ。」
ウルベルトはスチームバスに入れっぱなしの布団を取りに行った。
(…風呂は明日起きたらで良いのか?)
布団を持って戻るとフラミーは机に突っ伏して幸せそうに眠っていた。
ウルベルトは布団を部屋の隅に下ろし、フラミーを抱き上げた。小さな体は羽のように軽い気がした。
「っんぅ…ぁ…ご、ごめ…。」
「良いよ。こうなっても平気なように家で飲んだんだから。付き合ってくれてありがとな。楽しかったよ。」
フラミーはウルベルトの胸を掴み、首を振っていた。
段々手の力が抜けていき、顔を覗き込むと、頬っぺたはりんごのように染まっていて甘そうだった。
そっとベッドに下ろしてやり、前髪を整えてやる。
(この頭邪魔じゃないのかな。)
フラミーの頭にはお団子が乗っかっていた。
んん…っと唸るフラミーは少し色っぽかった。
「……ん…ぁ…ししょ…。」
「師匠じゃないだろ?」
「ししょ…狩り…。」
半分夢の世界に行っているようだった。
「フラミー?」
すぅ…っと寝息が上がり、時折「ん…」とフラミーは小さく声を漏らした。
「無防備なやっちゃなぁ…。」
だからこそこれまでオフ会も来なかったのだろうし、酒は飲まないと頑なだったのだろう。
ウルベルトはフラミーの形のいい唇をむにむにと押した。
「っんぁ…ぅぅん…。」
柔らかな唇から漏れ出る声を聞き、下腹部に血が集まるのを感じた。
ぎしりとフラミーの顔の横に手をつくとウルベルトは顔を寄せた。
アルコールで赤くなっている頬に唇が触れる。
猛烈に甘い気がし、ウルベルトはクラクラしそうだった。
「…ごめん。」
謝罪すると紳士ウルベルトはもう一度だけ頬に口付けを落とし、フラミーに布団をかけると何とかその側を離れた。
こそこそと片付けを進め、飲みかけの酒を一気に煽るとキッチンからフラミーを眺めた。
「…酒はだめだな…あんな姿でいられちゃもたねぇわ。」
ウルベルトはフラミーに酒を飲ませるのはやめようと決めると風呂に入った。
翌日、ウルベルトがいつもの時間に起きるとソファで寝たせいで体はバキバキだった。
「いつつ……っうわーまじで歳だ…。」
自分の上にはたっぷり毛布が掛けてあった。
なんとか立ち上がり、腰を伸ばすとウルベルトはベッドの様子を見た。
「え、いねぇじゃん。」
ベッドは綺麗に整えられ、フラミーの姿はなかった。スチームバスから持って来るだけ持ってきた布団は部屋の隅にある。
スチームバスにでも入っているかと廊下に出たが、靴もなく、音もしなかった。
「――ま、そんなもんか。」
確かヘロヘロがフラミーは朝の早い仕事に変えたようだと言っていたし、仕方がない。
腰を伸ばしながらウルベルトは洗面所で髭を剃り、出かけるために黒のワイシャツと紺色のスリーピースのスーツを着た。
スリーピースはウルベルトのこだわりだ。
グレーのネクタイを閉め、黒い皮の手袋を着けると昨日テーブルに置きっぱなしにした手帳に手を伸ばし――ぴたりと止まった。
――ウルベルトさん。先に出ます。スチームバスお借りしました。昨夜はとっても楽しかったです。ベッドとっちゃってごめんなさい。気を付けてお出掛けしてくださいね。フラミー
手帳の上に置いてあった手紙には最後にお団子頭のイラストが描かれていた。
「――はは、可愛いなぁ。」
ウルベルトはそれを取ると手帳の最後のページに挟み込んだ。
「さて、働くかね。フラミーのタンスと――ドレッサーのために。」
買ってやりたい物が増えた男は今日も元気に出勤した。
事務所の鍵を開け、昨日本当はやる予定だった報告書の作成やら頼まれている見積もりの作成やらを進めていると、たった一人の部下も出勤してきた。
「宇留部さんおはよう御座いまーす。」
「おーす。おはようさん。お前この見積もり作るの引き継いでもらっていい?死に方調査のやつ。」
「任せてください。」
二人は適当に仕事を進め、あっという間に午前の時間は過ぎた。
事務所に置かれている冷蔵庫から液状食料を出すと宇留部はそれを吸いながら手帳の最後のページに入れたフラミーの手紙を眺めた。
「宇留部さん、新しい手帳買っときますか?」
「あ、いや。まだまだページはあるんだけどな。フラミーが朝置いてった手紙見てんの。」
「へー!そういえば昨日はお楽しみだったんですか!」
「んなわけねぇだろ。俺は紳士なの。ほら、これ見ろよ。こんな手紙置いていってくれる嫁まじでいいだろぉ。」
日下部は昨日フラミーに貰った液状食料を吸いながらそれを覗き込んだ。宇留部は顔が緩んでいた。
「へーこう言うのに弱いんすねぇ。意外。」
「まぁフラミーじゃない奴がやったら捨てるけどな。」
「なんかそんな気します。それにしてもあのカーテンと言い、よくもちますねぇ。」
「近いうちに円満に抱かせてもらうさ。頑張って口説いてな。」
宇留部はそう言うとパタリと手帳を閉じスマホを取り出した。
「――それより、お前この歌聞いたことある?」
それは昨日録音したフラミーの鼻歌だった。
二人はしばしそれに耳を傾けた。
「いえ、まったく無いです。何の曲なんですか?」
「フラミーが自分で作った歌だってさ。お前に幸せ分けてやっただけ。」
日下部はぽかんと口を開けた。
「…俺にはもう聞かせてくれなくていいです。ごちそうさまでした。」
そそくさと宇留部のデスクを離れて行こうとした。
「はは、冗談だから待てって。俺はこれ絶対どっかで聞いたことあんだよ。」
「フラミーさんが歌ってただけじゃないんすかぁ。」
「いや、もっと何かどこか…身近じゃない所で…。」
宇留部はそう言うとふーむと唸った。
優しい旋律は続いた。
その後、素行調査の依頼人が一人訪れ、宇留部の一日は終わった。
日下部から返されたフラミーのハンカチを手に事務所に鍵をかけると、思ったよりも遅くなってしまったと早足に帰路についた。
電車で一駅行き、家に帰ると、まだフラミーはいなかった。
フラミーが帰ってくる前に風呂に入ってしまおうとジャケットとジレを掛け、スラックスをズボンプレッサーに挟んだ。
三十分セットし、洗濯物をランドリーに持っていく袋に放り込みスチームバスに入った。
(上がったらユグドラシルするか。)
今日は天気が良かったが体についた細かい毒物が流れるとさっぱりし、ウルベルトは風呂を出た。
そしてふと排水口に目をやった。
「――何もない。」
フラミーが朝使ったときに髪の毛を捨てたのだろう。
共同生活は気をつけることが割と多そうだと体を拭き、とりあえずパンツとズボンだけ履くとぺたぺたとキッチンに向かった。
適当な酒を一本開け、缶のまま飲――もうと思ったが仕方なくコップを出す。
「やれやれ。」
首に掛けているバスタオルで頭をわしわし拭き昨日の残りの集成食料を数個食べるとゲーミングチェアに座った。
「フラミーどのくらいになんのかな…。」
時計を確認するともう十時だった。
いつもフラミーは十時には食事も風呂も済ませてログインしていたのだから、少し遅い。
ユグドラシルをしようと思ったが、フラミーに電話した。
しばらくコール音が鳴るとぷつりと電話は切れ、留守電に吸い込まれた。
「あーフラミー、俺だ。ウルベルト。遅くなるかな。気をつけて帰って来いよ。」
電話を切ると不安になった。
どこかで転んで泣いてやいないか、誰かに誘拐されてやいないか。そわそわと過ごし、部屋を少しうろつく。
フラミーが戻らないまま、時間は進んだ。
まさか帰って来ないのでは――そう思うといても立ってもいられず、ウルベルトは出かけることにした。
ベルリバーの言葉が頭の中に響いた。
――(あんまり振り回すと嫌われるぜ。あのタイプは溜め込んでいきなり家出する。)
「あーもー…。やっぱり嫌だったかな…。悪いことした。本当に悪いことした…。」
ランドリーバッグに手を突っ込み、さっきまで着ていたワイシャツを取り出そうとすると、ぴんぽんっと音が鳴った。
ハッとし、慌てて鍵とドアを開ける――。
「わっ、はだか…。」
ウルベルトはびっくりした顔をしているフラミーを家に引っ張り入れると抱きしめた。
「……ふらみーごめん…。」
「う、ウルベルトさん?どしたんです?」
「ごめん…無理に連れてきて本当ごめん…。」
「そ、そんな。私とっても嬉しかったですよ。」
「本当か?帰ってくるの嫌で困ったりしてないか…?」
「してませんよぉ。遅くなっちゃってごめんなさい。」
手袋をしたフラミーの手が背の素肌に触れるとウルベルトは腕の力を強めた。
「嫌な時は嫌だって言ってくれよ…?お前、そう言うの苦手ってわかってるけど…たのむ…。」
「わかってます。ちゃんと言いますね。」
「良かった。――おかえり、フラミー。」
「ただいま帰りました、あなた。」
フラミーの声にウルベルトはそっと目を閉じた。
「で、なんでこんなに遅かったんだ?」
ズボンだけでなくちゃんと上も着たウルベルトはコートやマフラーを外して身軽になったフラミーに振り返った。
「夜間窓口があいてるお役所に転出届と転入届出して、会社に戻って提出したり、水道と電気止めたり、色々してたら遅くなっちゃいました。」
ウルベルトはそれを聞くとほぅっと椅子に溶けた。
「そうか。お疲れさん。飯は?」
「まだです!」
昨日フラミーが好きだと言っていた液状食料を出して渡した。
「ん、俺もまだ。食おうぜ、飯ってほどのあれじゃないけど。」
ウルベルトはソファ、フラミーは床に座り二人で液状食料を食べた。
ふららの謎鼻歌、意味深
次回#12資源ゴミ