「改めてこいつは村瀬文香。色々教えてやって。でもあんまり近付くなよ。」
「む、村瀬です!よろしくお願い致します!」
フラミーは新しい職場の仲間にぺこりと頭を下げた。その姿はやっぱりギルド加入時とほとんど同じでウルベルトはふっと笑った。
「ようやくですね!よろしくお願いします。俺は一応先生の助手と事務をしてます。改めて
二人は頭を下げあった。
二月になり、今月からはフラミーにちゃんと給料も払えるため転職してもらった。
一月はフラミーは有給の消化をしていたが、多額の支払いを抱える故の届出を書いたり、手続きをするのに随分と忙しかった。
ウルベルトもそれを手伝ったり、就職先から出さなければならない書類の発行に手間とったりした。
「じゃ、俺報告書作るから適当にやっててくれ。フラミー、別にお前は座ってるだけでも良いからな。」
「いえ、たくさん働きます!日下部先輩、よろしくお願いします。」
フラミーはもう一度日下部に頭を下げた。
「はい!こちらこそ!でも、先輩なんてつけなくったっていいんですよ。」
「お気遣いありがとうございます。でも、先輩は先輩ですから。いろいろ教えてください、先輩。」
「…あーなるほど、先生ってこんな気持ちなんすねぇ。」
日下部が照れ臭そうに後頭部を撫でると、ウルベルトは顔をしかめた。
「惚れるなよ。フラミー、そいつユグドラシルの名前アンダーソンだからアンダーソンって呼んでも良いよ。」
「あ、ユグドラシルやってるんですね!」
日下部はその苗字をなぞり、日の下でunder sun。アンダーソンでプレイしていた。
「やってますよ!先生に勧められて。」
「まだ五十二レベの
「
フラミーがえへんと胸を張ると日下部は何度もうなずいた。
「お願いします!俺先生と狩り行くの本当嫌で中々レベル上がんないんですよねぇ。」
「どうしてです?ウルベルトさん、強いのに。」
なんと言っても魔法職最強の選ばれしワールド・ディザスターだ。
「…先生って狩り場かぶりするプレイヤーすぐキルするじゃないですか…。むしろプレイヤーの方が経験値もドロ品もうまいだろとか言って…。」
日下部がそう言うとフラミーは首を傾げた。
「アンダーソンさんは使ってる狩り場に入ってきたプレイヤー殺さないんですか?」
ウルベルトはぶふっと吹き出し、アンダーソンは頭を抱えた。
「アインズ・ウール・ゴウンまじどうなってんですか!!」
「ま、フラミーは俺の一番弟子だからな、ははは。」
二番も三番もいないが。
日下部が頭を抱えているのを横目に確認しがら、ウルベルトはふっと息を吐き、ブルーライトカットの眼鏡をかけた。
インターネットに繋いでいないパソコンで――ほとんどワープロだ――報告書を書いていく。
(…っち。胸糞悪いな…。ここの所、特高案件で生きて見つかる奴いねえじゃん。)
ウルベルトは社会への怒りを募らせた。
生きて見つかれば無実の証明を組み立て、依頼主のGOが出れば超高額の賄賂を渡して保護することも出来るが――死んでしまえばそこで終わりだ。
そして、ふと後ろに置かれている仮資料置き場から前回の人探しと、その前の人探しの報告書を取り出した。
(…これもこれも…同い年…?偶然…?)
ウルベルトがふーむと唸る横で日下部はフラミーを手招いた。
「村瀬さん。こっちの出口に近い方が村瀬さんのデスクです。先週先生が俺の分と合わせて新調してくれました。」
そこには二つのデスクが向かい合って置かれていて、フラミー側のデスクからウルベルトのデスクが見える。つまり日下部はウルベルトに背を向ける形だ。
「わぁ!私自分のデスクって初めてです!――ありがとうございます、ウルベルトさん!」
「ん。次はタンス買ってやるからな。」
ウルベルトは軽く手を挙げ、さらに他の報告書を取り出して並べて見ていた。
「じゃ、カバンは置いてもらって――こっちです。」
フラミーは椅子にカバンを置くと日下部の後を追った。
「そこがトイレ、ここが給湯室。たまに差し入れにお菓子や液食もらえるとここに置いてるんで、好きに食べてくださいね。で、基本的に相談者さんが来たらお茶を淹れて下さい。水はこの冷蔵庫に入ってます。急須一つにお茶の素は一杯で十分だと思います。ただ、ムラがあるんで薄そうな時は少し足してください。まぁ適当に作れば何とかなるんですけど、話してると冷めて味が濃く感じるんで入れ過ぎには注意です。」
フラミーはふんふん頷くとスマホにメモを取った。
「――それから、うちの事務所はスマホにメモは禁止です。今時信じらんないですよね。そこで、これが村瀬さんの手帳とペンです。」
日下部がそう言うとフラミーは慌ててメモを消し、手帳を受け取った。
「私、紙の手帳って初めてです。」
「俺もここで働くようになって初めて使いました。先生なんて鉛筆使う事もあるんですよ。俺鉛筆って先生が使ってるので初めて実物見ました。ほら、あの人厨二病だから。」
すると、デスクの方からウルベルトの声がした。
「ペンやシャーペンだと突然出なくなったりする事があるから俺は大事な場面は鉛筆使ってんの!!」
日下部は大きめの声で「すみません!!」と叫ぶと「前はその方がカッコいいだろって言ってたんですよ。」とフラミーにこっそりと耳打ちして人差し指を口に当てた。
「ふふ、想像できます。」
二人は抑えた声でくすくす笑った。
「それから、こっちの鍵のかかってる部屋はこれまでの調査の報告書や顧客リストが置かれてます。」
踏み込んだ細長い部屋にはぎっしりとファイルが置かれ、名前順と案件順に置かれていた。
「ファイル整理を多分一番に覚えてもらうことになります。先生のデスクの後ろに仮資料置き場があるんで、済ハンコが押されてるやつをこっちに移します。人探し、死に様調査、素行調査、身元調査、盗聴器探索、裁判記録の収集、時にはボディーガードとストーカー対策、結構何でもやります。あ、そこのは全部歴代の先生の手帳です。」
一つづつ過去の調査記録を見せられながら、フラミーは丁寧にメモをとった。
「中でも厄介なのは人探しの収納で、人探しには大きくツーパターンあります。所在・生活状況確認、身柄の保護です。」
「身柄の保護、です?」
「いきなりいなくなって自殺しようとしてる人を連れ戻したりですね。ちなみに生活状況確認はアーコロジーから都落ちして外で暮らすようになった人を探すとかが多いです。」
色々あるものだとフラミーはメモを取った。フラミーの手帳は平仮名がたくさん書き込まれ、自分の頭の弱さに苦笑する。
「それから、こっちのここは――」日下部は部屋の一番奥でしゃがむと、さらに鍵のかかっている棚を開け、資料を取り出した。「"やんごとなき人探し"です。」
「やんごとなき…?高貴な人を探すんですか?」
フラミーの疑問に日下部は首を振った。
「…やんごとなき特高に連れて行かれた――いや。拐われた、そう言う時の所在・生存確認、身柄の確保です。身柄の確保はいわゆる年収より貰います。受ける受けない、受けられる受けられないは先生にしか解りません。」
「トッコウ…。本当にあるんですね…。」
フラミーは口に手を当て震えたようだった。
「――日下部。」
資料室でしゃがむ二人は振り返った。入り口には扉に寄りかかるウルベルトがいた。
「フラミーに特高案件は関わらせない。先に言えば良かったな。」
そう言うとウルベルトは部屋に入り、フラミーに手を伸ばした。
「お前は知らなくて良いよ。」
「ウルベルトさん…でも…私もちゃんと働きますから…。」
「……日下部は最初の捜査がたまたま"やんごとなき人探し"だったから稀に関わらせてるだけだ。本当なら誰にも関わらせるつもりはない。」
「でも…私も…。」
フラミーが手を取らないところを見るとウルベルトはその頭を撫でた。
「フラミー、お前にうちに来た事を後悔させたくない。だから興味なんか持たないでほしい。」
やんごとなき人探しは辛いことがほとんどだ。
たまに助け出すことができた時のやり甲斐は破格ではあるが。
「――日下部、やんごとないのと死に様調査から少し資料出してくれ。」
「はい。何年からどんなのがいります?」
日下部がウルベルトの指示に従いあれこれと資料や報告書を取り出すのを見ながらフラミーも見よう見真似でそれを手伝った。
ウルベルトは大量の資料を抱えて出て行き、その背を見送ると、日下部はふっとため息をついた。
「村瀬さんのやりたいって気持ち、分かりますよ。俺も早く先生みたいになりたいですけど…温室育ちで全然うまく行かないです。助手兼事務名乗っておきながら、お前は危機感ないからダメとか言って置いてかれちゃう事ばっかりだったりして。クソガキなんて怒られたりとか。はは。」
「…ウルベルトさん――いえ、宇留部先生なりの愛ですよ。私…きっとお二人の役に立ちます。ちゃんと色々勉強して――お二人がたくさんお外で活躍できるようにやり切ります。」
「ありがとうございます…。俺もいつか一人でもいろんな調査やって、もっと先生に恩返しできたらいんですけど。」
日下部は新年に事務所から消えた数百万を思い若干気落ちした。
「私も恩返しできるように頑張ります!サポートしますよ。」
ウルベルトは資料室の外で静かにため息をつき――笑って席に戻った。
(全く二人とも捨て猫かって。)
一頻り資料室の説明を済ませると二人は資料室から出てきた。
「後は俺と先生が出かける時に、これからは事務所用スマホを置いて行くんで、電話に出ることも必要です。今までは手が必要ない時に俺が残ってスマホ番したり、事務したり、飛び込み相談者の対応なんかをしてましたけど、村瀬さんに引き継ぎます。」
フラミーはふんふんと聞いた。
「で、先生のスケジュールと俺のスケジュールはこのファイルにあるんで、相談に来たいって言われたらまずはこれを確認してください。」
「これも紙なんですね。」
「はは、ここは殆どが紙です。クラウドでスケジュール管理した方が楽だと思うんですけど、まぁ何があるか分からない世の中ですから。」
日下部がそう言っていると事務所スマホが鳴った。
「――お電話ありがとうございます。宇留部探偵事務所、日下部です。……はい。……はい。」
日下部はスケジュールをちょいちょいと示した。
フラミーが急いで見せると日下部は日付と三十分ごとに区切られた表を確認していき、約束を取り付けスケジュールに書き込むと電話を切った。
「と、こんなです。次掛かってきたら出て見てください。って言っても、一時間に一本鳴らないですけどね。」
「鳴らない間は困ってる人がいないと思うと、それも嬉しいですね。」
フラミーの言葉に日下部は一瞬ぽかんとした。
「それは…そうですね。」
ウルベルトも一瞬視線を上げるとふっと笑い――再び資料に目を落とした。
「じゃ、次は見積もりの作り方と見方です。ちなみにパソコンはインターネットに繋がないでくださいね。」
「はぁい。」
ノートパソコンを立ち上げ、静かに業務の伝達が進んで行く中、ウルベルトはちらりと時計を確認すると、ブルーライトカット眼鏡を外した。
「んー――…ふぅ。」
体を伸ばすと、椅子の背もたれに掛けてあったジャケットに袖を通した。
今日は黒のスリーピースだ。黒のシャツにワインレッドのネクタイは"ウルベルト・アレイン・オードル"意識だった。中二病を感じるカラースタイリングだがスーツになると大して違和感がない。"怖い人"に間違われないように品性には気を付けている。
ウルベルトの支度が済む頃、軽いノックの後に扉が開いた。
フラミーはパッと扉に振り返った。
「――よぅ、来たよ。」
巨人のように体躯の良い渋い男が事務所に入って来るとウルベルトは軽く手をあげた。
「おーす。ちゃんとスマホ置いてきただろうな?」
「あぁ、言う通りにちゃんと歩いて来た…。生まれて初めてスマホなしで外出るから、なんかハラハラしたわ。――それにしても良い事務所じゃん。家賃やばそうだな…。」
「良いだろ。割と気に入ってるよ。」
二人が話しているとフラミーはお茶を淹れる為に気配を殺して静かに立ち上がった。どことなく聞き覚えのある声の人だなぁと思いつつ、早速給湯室に行きミネラルウォーターを沸かし始めた。
ただ、二人は出入り口のそばで立ち話をしているので飲むのかは謎だ。しかし淹れろと言われてから淹れるのでは遅いだろう。
お湯が沸き、お茶の素を一杯入れ、くんくんと匂いを嗅いでいると日下部も来た。
「お茶、どうですか?」
「ちゃんと淹れられたと思います!先輩、一応味見してみて下さい。」
フラミーは湯飲みを全部で四つ取り出すと、二つに交互にとくとくと注ぎ日下部に一杯渡した。
「どれどれ。」少し先輩風を吹かせて飲むと、日下部はサムズアップした。「うまいです。お茶汲み合格です。」
「あは、なんだかスタンプラリーみたい。ありがとうございます。」
「ははは、合格スタンプラリー作りましょうか。何ができてないのか分かりやすくて良いかもしれないですね。俺合格印買おうかな。」
日下部がフラミーの寄り掛かっているミニキッチンに手を着くと、ちらりと振り返ったウルベルトがわりと早い足取りで日下部に向かった。
「日下部!近付きすぎんなって。」
「えっ、あ、はぁ。すみません先生。」
パーソナルスペースに入ったつもりはない。
「へぇ、そいつが日下部か。じゃあそっちのちんまいのがフラミー…――ってお団子頭だしどっからどう見てもフラミー丸出しじゃん。」
フラミーは給湯室から出てくるとペコリと頭を下げた。
「フラミーです。はじめまして…?」
男はニヒリと笑った。
「俺よ、俺。ベルリバーよ。最近あんま会えてなかったな。久しぶり。」
「っえ、ベルリバーさん!すみません、最近私イン率悪くって。お元気でした?」
「あぁ、もちろん。俺もちょっと忙しくて週一くらいでしかインできてないんだわ。で、フラミー。ウルベルトはどうよ。」
マフラーや手袋を外しながらベルリバーは笑顔を作った。
「はい!ウルベルトさんには机も用意していただいて、お仕事もやり甲斐がありそうですし、先輩も良い方ですし、とっても感謝してます!」
ウルベルトはそれを聞くと心底つまらなそうな顔をして自分のL字の机に腰掛け、ベルリバーは苦笑した。
「ウルベルト、プッシュ足んないんじゃねぇの?」
「…うるせえ。毎日これでもかってプッシュしてるよ。――フラミー、今のは男としてどうだって話だろ。ったく。」
フラミーはそれを聞くと数度瞬き、顔をぼっと赤くした。
赤くなった顔が熱いのか、熱を取ろうと頬を一生懸命撫でた。まるで涙を拭くような仕草だ。
「っは、あの…すみません…とっても…ウルベルトさん…素敵だと思います…。えっと…そばにいられて…毎日…幸せです…。」
ウルベルトはその様子と聞いたことのない――求めていた言葉達にぽかりと口を開けた。
感情が追いつかず動けなくなったウルベルトと違い、ベルリバーは爽快に笑った。
「そりゃ良かったよ。で、どこまで行ったんだ?なんか先週な、モモンガが二人はまだ手を繋いだくらいだって円卓で――」
「べるさん…だまって…。」
ベルリバーはウルベルトに軽い力でトン、と押されると静かにした。
「ふらみー、毎日しあわせ…?」
恥ずかしそうに足元に視線を落としているフラミーは小さく頷いた。
「とってもしあわせです…夜起きておトイレ行くときにあなたの顔見たり…。朝一緒に肩並べて歯磨きしたり…動画見て一緒に笑ったり…あなたの歌を聞きながら眠ったり…。」
フラミーは両手の人差し指をちょんちょんと触れさせながらそう言った。
ウルベルトはフラミーとのささやかな日常を思い出した。
フラミーの荷物はタンスがないので殆どまだ段ボールに積まれたままで、ソファに寄り掛かって刺繍に精を出すフラミーの横でウルベルトが仕事をしたり、玄関で靴を磨くウルベルトの近くでフラミーが一週間のことを話したりだ。
「フラミー…。」
ウルベルトがフラミーを抱き締めるとベルリバーと日下部は呆れたように笑った。
フラミーの後頭部を抑えるとウルベルトは頬に唇を寄せ、ぽこりと頭を叩かれた。
「ウルベルト、それは俺が帰ってからにしてくれ。」
「……最悪だ。天使のほっぺが俺を待ってたのに…。」
できる時にしないと次いつできるか分からないのに、と文句を言いながらウルベルトがその背と頭から手を離すと、フラミーはふらふらと後退りぽてりと床に座った。
「あ、村瀬さん大丈夫ですか。」
「ら、らめれす…。」
「えぇ…立てます?」
日下部に掴まって必死に立ち上がろうとするが腰が抜けていた。神様や女王ならいざ知らず、常に人目があるわけでもない日々の中で突然そんなことをされては参る。
「っあ!フラミー!そんな奴に触るんじゃない!」
「ウルベルト、お前本当に骨抜きじゃんかよ。箱見つけられんのかよそれで。」
それ聞くとウルベルトは途端に真面目な顔になり、フラミーを抱き上げ応接ソファに座らせると資料室へ向かった。
「当たり前だろ、来いよ。」
ベルリバーは頷き、その後を追った。
資料室に入ると、ウルベルトは盗聴器を探す機械を立ち上げ一周部屋を回った。
「念入りだな。」
「やりすぎってことはないだろ。まぁここに盗聴器あったらおしまいだけど。後ベルさん、悪いんだけどフラミーには箱のことは聞かせないで欲しい。」
「……わかった。」
二人は資料室でこそこそと箱の相談をした。
「――富士ねぇ。」
「どこまでが本当か分からん…。俺は情報持ってる奴らに嫌われたくさいからな。袖無しに拒絶されたわ。」
ベルリバーは唸った。
「どんな事情でも一度特高が来てるんだから皆情報の扱いにはナイーブになるさ。ぷにっとさんの楽々PK術思い出せよ。」
「あぁ…本当だな…。そう言うわけだから、ベルさん。悪いけどしばらく俺はフラミーどうこう関係なく動けなそうだ。」
「いいよ、俺がネットから少し調べてみる。富士のことも。箱への道は取り敢えずそれしか見つかってないしな。」
<箱>――。
世界を牛耳る巨大複合企業の不味い情報が詰められたそれは、解放されれば諸悪の根源たる企業を転覆させる力を持つと言われている。
一体何が収められているのかも、本当に箱の形状をしているかも、誰も知らないし見たこともない。
しかし、それは確かに存在するようで、箱を探していると必ず特高と行き合う。特高から訳を聞かされていない警察が来ることもある。
追えば追うほどに誰もが追われ、箱が確かに存在する証明となり、箱の噂は一人歩きを続けていた。
「頼んだよ。後ベルさん、箱に近付く時はなるべく今日みたいにスマホは持ち歩かないようにした方がいい。あれが家にあるだけで、GPS情報から言い逃れできることが多い。自分を装った誰かだってな。」
このご時世、スマホは財布でありメモであり身分証であり連絡手段であり――つまり、何をしたくてもスマホがなければ何もできないので、スマホを持ち歩かない者はいない。区によっては持ち歩くことを条例として定めているところもある。
「分かった。気を付ける。けど、俺が箱に行き着ける気はあんましねぇなぁ。」
「なんでだよ?」
「…何となく。ウルベルトみたいに特殊技能あるわけでもないし、俺はただのネトゲーマーだから。」
「馬鹿言うなよ。ベルさんの情報収集能力と検索カモフラージュ能力は並みのもんじゃないだろ。」
二人は笑った。すると、コンコンと扉が叩かれた。
「どしたー。」
声をかけると扉の向こうからウルベルトの脳を溶かす声が返った。
「お茶入ってますよぉ。」
ウルベルトはそれを聞くとうきうきと資料室を出ようとした。
「待て、ウルベルト。」
「――あ?」
「もう一つ重要な話がある。」
顎をしゃくられるとベルリバーは低く小さい声で告げた。
「フラミーの歌、どこのもんか分かった。」
「お、そうか。そりゃ重要だわ。」
ウルベルトの気楽な雰囲気と違い、ベルリバーは真剣な顔で告げた。その手の平にはじっとりと汗が滲んでいた。
「やんごとねぇ奴らの、特にF班が朝礼で歌う歌だ。」
「――何?」
二人は立ち尽くすように見合った。ウルベルトの背に軽く汗が流れる。
資料棚の間に潜む影が迫ってくるようだった。
「――F班って言えば箱案件に出張ってくるあのF班か…?」
「あぁ。意味が分からんが、そう言うことになる。もちろん、少し変わってるけどな。恐らくはあの歌だろう。あとで音源は送る。けど、気を付けろ、ウルベルト。」
「おいおい、ベルさん。俺のフラミーがやんごとなき特高だとでも言うのか?そもそもフラミーは俺が沼地で声をかけたんだぞ。」
「解ってる。落ち着け、フラミーがやんごとない筈がないと俺も思う。もしそうだったらわざわざウルベルトに歌を聞かせない。俺が気を付けろって言ってんのはフラミーが持ってかれないようにだって事だよ。」
「…それはそうだな。しかし妙だ…。フラミーはあの曲を子供の頃から歌ってるって言ってたし、自分が作ったって思い込んで――」
ガラリと扉が開くと二人はビクリと肩を揺らし、まるで野生動物がするようにそちらへ視線を送った。
「先生、せっかく村瀬さんがお茶煎れてくれたのに何やってんですか?冷めましたよ、もう。」
日下部のそれにウルベルトは笑い顔を作った。
「――あ、あぁ。ベルさん、行こう。」
ベルリバーは頷き、部屋を出て行くウルベルトの背を追った。
「お茶あっため直しましょうか?お外寒かったですよね?」
フラミーがそう言うとウルベルトとベルリバーは首を振り、応接セットに座った。
「いいよ。お茶ありがとな。」
「――ウルベルトさん?」
ヤバイとウルベルトは口を抑えた。
フラミーはウルベルトの負への感情変化に敏感だ。
「な、なに?」
「どしたの?ベルリバーさん、ウルベルトさん虐めないでください。」
ベルリバーはその
「いじめてません。誓います。」
フラミーはふむっと息を吐いた。
「えーと、俺腹痛くなった。資料室寒いから。うんこするわ。」
ウルベルトはそそくさとソファを立つとトイレに篭った。
ズボンも下ろさずに便器の蓋に座る。
(…フラミーの施設に特高が来てたのか?町の孤児院にF班?いや、訪れただけなら歌なんか歌わないか…。じゃあ近くにF班の持つ施設があったとか…?フラミーの歌――結局謎だな。…それにしても…村瀬文香…か。名前しか分からなかったってことはコネクターを持たなかったんだよな…?とんでもねぇ親もいたもんだ…。)
稀に、医者に行く金がなく適当に生み落としてしまう者がいる。
赤ん坊は生まれた時にコネクターを埋め込まれ、戸籍や身体情報を詰め込まれるのだが、医者にかからず産んでしまえば当然そういう処置はしてもらえない。
コネクターのない者をゼロにするため、一時莫大な国家予算を掛けて人々にコネクターとチップを埋め込んだが、それでもコネクターを持たない者は三万人はいると言う。
(コネクターも持たない赤ん坊…生まれた年は――――)
便座に座っていたウルベルトは立ち上がった。
「――――特高が捕まえてる女達と、親の認めない不可解な死を迎えてる女達のすぐ翌年の生まれだ。」
ウルベルトはトイレを飛び出すと目を丸くする三人に目もくれずに今朝見ていた資料をめくって行った。
(――天気の悪い日にマスクをつける事を拒否し毒霧の中自殺、バイクの運転中に
死んでいるのはフラミーの生まれたと言うことになっている元旦の直前である十二月に生まれた女達。
(特高案件じゃないと思ってたやつも…本当は特高案件だったのか…?特高は一体何を――いや、誰を探してるんだ……。)
ウルベルトは得体の知れない――何か大きな力の渦に巻き込まれているような気がした。
そしてジャーと渦巻く音が響いた。
「先生…、流さないで出たでしょ。トイレくらい自分で流してください…。」
日下部は鼻をつまみ手を振った。
「……うんこしてねぇよ。うんこ入ってなかっただろうが。」
「蓋開けて確かめてないから分からないですよ…。」
「そりゃそうだな、まぁいい。…フラミー、今夜ユグドラシルしないでお前のこと教えてくれ。」
フラミーは、ん?と首を傾げた。
「私のこと?カレンダーに毎日書いてますよ。」
「いや、もっとお前の生まれや育ち、自分の根元のこと。」
それを聞くとフラミーは困ったように笑った。
「私、根無し草だから。」
「…それでも分かってる自分の事、一つでもいいから教えてくれ。」
ウルベルトが真剣にそう言うと、フラミーはうなずいた。
その後ベルリバーはウルベルトの事務所を後にした。
(秘密警察の歌を歌う女に…秘密警察に親を殺された男…。秘密警察を追う男…。なんなんだかねぇ…。)
一度事務所を振り返ると窓からウルベルトとフラミーが見え、軽く手を上げた。
「お前のその施設、警察来たりした?」
「いいえ?警察なんて一回も。」
「じゃ、警察の持ってる施設とか近くにあった?」
「ないですよ?」
二人はフラミーゾーンで向き合い、フラミーは何度も首を左右に振った。
「ふーむ…ますます分からん。」フラミー専用手帳を作りフラミー情報を書いているウルベルトは唸った。「なぁ、お前のあの歌って記憶がある限り何歳から歌ってんの?」
「歌?うーん、二歳とかかなぁ。物心付いた時から歌ってます。施設の人は誰も知らない歌ですよ。やっぱり私の作った曲でした?」
何と答えるのがいいのか分からずウルベルトはソファに足を上げ寝転んだ。フラミーに嘘はつかないと決めているので沈黙で返すしかない。
(特高F班…。調べたいが…調べてる事がバレたら賄賂じゃすまねぇな…。)
顔に新しい手帳を載せるとフラミーの歌を歌った。
(F班――フラミー班。なんちゃって。村瀬なんだからM班だな。)
旋律はそこそこ優しいが、これはウルベルトの敵のようなものだ。
ベルリバーから送られて来た歌詞は「秩序を守ろう」だとか「世界の礎に」だとか「平和を成そう」だとか、不愉快な言葉が並んでいた。
「む、違いますよ。こうですよ。」
ウルベルトは思わずベルリバーに貰った原曲を歌っていたが、フラミー編曲の角の取れた優しい調子が部屋に満ちた。
「はは、わりぃ。そうだったな。」
「惜しかったですね。ふふ。――それよりウルベルトさん、スーツのままじゃ皺になっちゃいますよ?」
ソファから起き上がるとウルベルトは一度フラミー用手帳を胸の内ポケットにしまった。
「あぁ、そうだな。着替えるわ。お前も楽なカッコになりな。」
二人はカーテンを閉めると着替えを進めた。
ウルベルトはちらりとカーテンに視線をやった。
カーテンには着替えるフラミーの影が微妙に写っていて、いいおかずだった。
スカートのホックを外して足を抜き、セーターを脱ぐ。
ブラジャーの紐が肩に乗っているのを見ると、ウルベルトはいい光景だと唸った。これを目に焼き付けておいて夜中にジョニーをお慰めする。
うーむ、と唸っているとカーテンの向こうから「どうしました?」と声がかかった。
「いや、何でもなーい。」
ご機嫌なジョニーを隠すようにウルベルトは生地が硬めのジーパンを履いた。
柔らかい素材でなければ案外堂々とジョニーが主張していてもわからないものだ。
スラックスをズボンプレッサーに挟むと適当なTシャツに袖を通した。
「フラミー、良いか?」
「っあ、も少し…。」
「ん、悪い。」
ウルベルトは着替えを済ませ着ていたものを畳んで片付けている様子のフラミーの影を眺めた。
「フラミー?」
「はぁい、お待たせしました。」
カーテンを開けると部屋着に着替え頭を下ろしたフラミーがいた。
「可愛い。」
「…毎日言ってますよぅ。」
「毎日可愛いんだから仕方ないだろ。さーて、飯でも食うか。」
二人は適当な映画を見ながら液状食料を食べた。
相変わらずフラミーはソファに座らず、それに寄りかかるように床に座っていた。
「な、今日どうだった?」
ソファに転がるウルベルトはフラミーの髪を指先に巻きつけるようにくるくる弄びながら、床で真剣に映画を見ているフラミーに問いかけた。
「ん、あの、ウルベルトさんが眼鏡かけてたの、初めて見て、えっと、カッコ良かったです…。後、ジャケット着たり脱いだりする仕草とか…男らしいなって…。それから、先輩にすごく慕われてるのが解って尊敬しちゃいました…。あと、初めて宇留部先生って呼んでみちゃったりして…ドキドキして…それから――」
ウルベルトはウッと胸を押さえると悶えた。
「…ふらみー…今のは俺がどうこうじゃなくて…はじめての仕事のこと聞いたの…。」
フラミーの顔がワァッと一気に赤くなる中、ウルベルトも赤くなった顔を抑えていた。
「…お前、ほんと…そう言うところだぞ。」
「は、はひ…ごみんなさい…。」
床でもじもじするフラミーの様子にウルベルトは心臓がもたないと熱すぎる息を吐き捨てた。
二人揃って赤い顔を背けあって過ごしていると、映画はハッピーエンドを迎え、二人の主人公は世界を救って幸せのキスをしていた。
「んん。…週末は車借りて来るからタンス買いに行こうな。」
フラミーは小さく頷いた。
前回あま〜〜〜いだったから多少不穏じゃないとねぇ!
大晦日1万字ぃ
次回#16お家賃