「おーい、フラミー、お茶ー。」
「はーい!」
あれから何事もなく一ヶ月が経ち、フラミーは今日も事務所で元気にお茶汲みをしていた。慣れたものだ。
「先生、それ言いたいだけでしょ。」
「まぁな、お前にしては中々の推理だ。」
ウルベルトのL字のデスクに日下部が振り返るとウルベルトはニヒリと笑った。
「お待たせしました。どうぞぉ。」
フラミーがウルベルト、日下部の順でお茶を出すと二人は目尻を下げた。
「ありがとさん。」「俺までありがとうございます。」
「いいえ、頑張って下さいね。」
フラミーはそう言うと玄関に近いところにある装備棚から盗聴器探知機をいそいそと取り出し、待合用ソファに出した。ソファは玄関のすぐそばだ。
「あー次盗聴器探索か。――日下部、お前一人で行ってみるか?」
割と大事に教育され、単独行動をとったことのない日下部は振り返った。
「良いんですか!」
「良いよ。俺はその間にひとつ人探し案件やって来るから、お前に任せられると楽だわ。」
日下部は何度もうなずき、フラミーは人探し装備を準備した。
「やります!ちゃんとこなします!!」
「ん。手ぇぬくなよ。銀行さんの会議室だからな。」
「はい!」
やる気に満ち溢れる日下部は猛烈な勢いで手を付けていた報告書を書き上げた。
「先輩お出かけの時間ですよぉ。」
「はーい!」
フラミーは日下部にコートを掛けてやり、手袋を渡すと、用意した装備を差し出した。
「ありがとうございます!」
「いいえ。お気を付けて。」
「はい!行って参ります!」
日下部はズンズン出かけて行き、フラミーは姿が見えなくなるまで一頻り玄関の階段から手を振った。日下部も角を曲がり事務所が見えなくなるまで何度か振り返り、手袋をした手を振った。
「あいつ一人の時はそこまでしてやんなくても良いよ。」
いつの間にか後ろにいたウルベルトはフラミーを抱きしめると耳にキスした。
「――っきゃっ!びっくりしたぁ…ウルベルトさんもお出掛けの準備できてますよぉ。」
「わかってる。でもその前に――おいで。今月の家賃貰うから。」
事務所にフラミーを引っ張り入れると背を押しつけた。
「っウルベルトさん、外から見えます…。」
「見せてやればいいさ。」
ウルベルトはフラミーの額、頬、耳とにキスした。
「っはぁ…お耳くしゅぐったい…。」
「月に一回だけじゃなくてもう少ししたいな…。」
「っはぇ…賃上げ…。」
「はは、そうだな。毎日家賃もらおうか。」
「日払い制度ですかぁ――っんぅ…はは。ふふふ。」
首筋にもキスするとフラミーからは笑いが漏れた。
「本当は毎時払ってもらいたいけどな。」
そう言い片手を絡ませる姿は大変えっちな様相であった。
最後に手の平に口付け、ウルベルトはジョニーがフルパワーになる前にフラミーから離れて椅子にかけてあるジャケットをとりに行った。
玄関に戻ると、フラミーは上気した顔をぱたぱたと仰いでからコートを広げた。
それに袖を通し、黒い革の手袋を受け取る。
「じゃ、俺も行くから。もし飛び込みの相談が来たら、少し聞いておいて。ちゃんとメモしろよ。」
「はぁい。任せてください。気を付けて行ってきてくださいね。」
ウルベルトは優しい顔で笑うと両腕を広げた。
「来いよ。」
躊躇っていると引っ張られウルベルトの胸に激突した。
ウルベルトはフラミーの背を数度撫で、ぽんぽんと叩くと体を離した。
「じゃ、行ってくるな。」
「いってらっちゃい…。」
耳まで赤いフラミーに笑い、ウルベルトも出かけて行った。
「――はぁ。」
フラミーは耳に触れるとぷるりと震えた。
軽く放心していると、事務所スマホが鳴った。急ぎスマホを取る。数コールで出ないとウルベルトに転送されてしまう。
「お電話ありがとうございます。宇留部探偵事務所、村瀬でございます。」
『ストーカーみたいな人のことでご相談したいんですけど…今日とか…とにかく急ぎで相談できませんか…?そう言うのやってるって聞いたんですけど…。』
少し気の弱そうな女性の声にフラミーは「少々お待ち下さい」と一声かけウルベルトと日下部スケジュールを開いた。
宇留部探偵事務所は卒のないホームページを持っているが、大抵口コミで客が来る。
「お待たせいたしました。本日ですと、十九時からでしたら宇留部もおります。」
『あ…じゃあ…それで……。』
「かしこまりました。お名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」
『…佐々木凛子です。』
「ササキ…リンコ様…。承りました。連絡の付くお電話番号として、今こちらに通知されている下四桁が5J4Pの番号を頂戴して宜しいでしょうか?」
『はい。それでお願いします…。」
「かしこまりました。駅から事務所までの地図をこちらの番号にお送りする事も可能ですが、如何致しますか?」
『あ…ください。』
「お電話切れ次第お送りいたします。それではササキ様、本日十九時にお待ちしております。お気をつけていらしてください。」
電話が切れるとフラミーは今日の十九時にちょちょいと予定を書き足し、地図を依頼人に送ると机から顔を上げた。
「ふぅ…私って賢い。ふふ。」
フラミーは嬉しそうに呟くと、ウルベルトの机に向かった。
「えへへ。」
勝手に人の椅子に座り、ニコニコした。
誰もいない時でもウルベルトの存在を感じられるここの仕事はフラミーにとって天国だった。
引き出しを開け、ナイフを取り出すと使いすぎて短くなった極小鉛筆から、ほとんどまだ使っていない鉛筆まで削った。
(う〜ん上手ぅ。)
最初は危ないからやめろと怒られたが鉛筆削りはフラミーの仕事になった。
日下部も鉛筆を使うようになったので、そちらの鉛筆も削る。
ただし、先は尖らせすぎない。ウルベルトはキチッと尖った鉛筆の芯を必ず最後に丸めるのだ。
尖っていると下の紙にメモの筆跡がうつるので情報漏洩対策らしい。
フラミーはなんと素晴らしい不便な生活だろうと頬を緩めた。
便利すぎる世の中で、鉛筆を削り、紙に字を書き、一杯づつお茶を沸かし、フラミーは幸せだった。
生きていると思える日々はフラミーをユグドラシルから少しづつ遠ざけた。ただ、毎週土曜は必ずログインしている。
死獣天朱雀とやまいこの特別授業を受ける為だ。
ユグドラシルプレイ時には床に収まりがちなフラミーもソファに膝を抱えてちっちゃくなって座る。
メモを平仮名でとっては分かりにくいので近頃は漢字練習にも大いに精を出していた。
フラミーは鉛筆を削り終えると、あちらこちらの掃除を行い、今日の夕方に来る依頼者の相談シートを刷り、名前と番号を記入した。
ストーカー対策案件はフラミーが働き始めて初めてだ。
ここの応接セットは非現実的なほどにいろいろなことが起こる。
時には泣いてウルベルトに感謝する人、探し人が見つからないわけがないと激昂する人、始終冷静な人、お金を払ってさらにお礼を持ってくる人、一時報告に一喜一憂する人――。
色々な人の姿を見るたびに、フラミーは相手に肩入れしすぎて怒られる。
最初にウルベルトに激昂する者を見た時、フラミーは思わず口を出そうとしてしまったが、日下部に止められた。
その人が帰った後、ウルベルトは言った。
「悪いのは世界だ。」と。
その姿は強い決意に満ちているようで、フラミーはきっとこの人の為に全てを捧げてみせると小さく決意した。
終わった案件の資料を仮置き場から資料室へ移すと、フラミーのやるべきことは一時終了だ。
フラミーはウルベルトが置いている予備のジャケットにブラシを掛けた。汚れてしまった時用のジャケットだが、人を尾行する時には帽子をかぶったり、ジャケットを変えたり、服装を変えたりして行うらしく、ウルベルトも日下部も尾行用の服を何着か置いている。
「ふーんふふーんふーんふふーん。」
自分作曲の歌を口ずさみ――「あ、いけないいけない。」
それを外で歌わないようにとウルベルトに言われていたのだった。
これまで特別外で歌った事もないが、ウルベルトがそう言うならと歌わない事にした。
(でも、どうして?)
フラミーは目の前のジャケットに首を傾げた。
おかしな歌で人に聞かれては恥ずかしいのかもしれない。フラミーはハハ、と一人苦笑すると外で歌うのはやめようと再び決めた。
埃が一切なくなった綺麗なジャケットはフラミーではとても買えないようなものだ。
そっとそれを指で撫でた。
(…ウルベルトさん…。)
掛かっているジャケットに片腕を通してみるとジャケットはかなり大きかった。
手をグーパーと動かし、眺める。
「………。」
袖を通した自分の手で頭を撫でて見ると、まるでウルベルトがそうしてくれているようでフラミーはキャー!と一人盛り上がった。出来心だ。
フラミーは一人、他人のジャケットに包まり怪しい笑いを漏らした。
「にひひ、うるべるとさん。」
「何?」
「っはゃーん!!」
その声に飛び上がるとフラミーはぴゅーんと資料室に逃げ込み、ちらりと顔を出した。片腕にジャケットが引っかかってる。
フラミーのデスクにはいつからいたのか、ウルベルトが座っていた。
ふっと息を吐いたウルベルトの顔は少し赤い。
「ななななーん!」
「どんな鳴き声だよ。はは、お前ってやっぱり観察しがいがあるな。」
頬杖を付くウルベルトの視線は愛しげだ。
「お、おかえりなさひ…。」
「ただいま。――それより、あの歌は外で歌うなって言ったろ?事務所でも禁止だぞ。」
そんな場面からいたのかとフラミーの目には恥ずかしさから涙が溜まった。資料室に資料を置きに行っているうちに帰ってきて座ったのだろう。
「で、何してたわけ?随分可愛いことしてたみたいだけど。」
ニヤニヤと近付いてくるウルベルトにぷるぷると首を振った。
「なにもしてません。」
「俺のジャケット良いだろ?」
「と、とっても、良いです。」
「寒かったか?」
「寒く――あ!寒かったです!」
フラミーはそれだ!と大いに食いついた。
「ほー。じゃあっためてやるか。」
資料室に入って来るとウルベルトは半端にかかっているジャケットをフラミーに掛け抱きしめた。
「あったかい?」
「あ、あったかいれす…。」
「そりゃ良かった。しっかし撫でてほしいならそう言えば良いのに。いくらでもしてやるぞ?」
フラミーは首を振った。
「こ、子供じゃないので大丈夫です。」
「そうか。俺は撫でたいよ。」
後ろ手に引き戸を閉めるとウルベルトは窓のない真っ暗になった資料室でフラミーを抱きしめたまま何度も頭を撫でた。扉の微かな隙間から光が針のように細く伸びていた。
「うるべるとさん、ごめんなさい、勝手にじゃけっと着て。」
「別に。いくらでも着ればいいよ。でも愛情表現はちゃんと本物にしてくれないと。」
後頭部に手を添えられると額と頬に唇が落ちる。
「――っはぅ…。」
「俺はお前がこうしてくれないから寂しいよ。」
それを聞くとフラミーは暗闇の中でウルベルトの顔に手を伸ばした。
両手で顔を包むとウルベルトはフラミーの手を握るように手を重ねた。
軽く腰を曲げフラミーからの口付けが楽なように助ける。
「目、閉じてます?」
「――閉じたよ。」
ウルベルトの額、目蓋、頬、耳に震える唇が触れた。
――そして首筋にも触れると、不意にぺろりと舐められウルベルトは思わず、ンッと小さく声が出た。
「あ、ウルベルトさんもくすぐったいんじゃないですか。ふふ。」
フラミーの楽しげな声が聞こえる。ウルベルトはギュッと体を密着させると頭を支えフラミーに上を向かせた。
「ウルベルトさん…?」
フラミーの体を引き上げ、顔を寄せる。暗闇の中で二人の息が交わろうとすると事務所の扉が開いた音がした。
『戻りましたー。――あれ?村瀬さん?』
ウルベルトは唇同士がかすり掛けている距離で止まっていた。
「っは…っやべ……………ごめん…。」
ウルベルトはフラミーからすぐに背を向けると資料室の電気を付けて出て行った。
良いと言われてもいないのについキスしようとしてしまった。フラミーの覚悟ができるまで全部待つと言ったのに。
そんなことをしたらもう今夜止まれる気もしないのに。
(あぁ〜俺の頭は直結だぁ…。誰だよあんな事教えたやつ〜。)
お前だ。
若干頭を抱えていると、デスクに荷物を置いている日下部が振り向いた。
「あ、宇留部さん戻ってたんですね。おつかれっす。村瀬さんいないんですか?」
「――ん、お前もお疲れ。…フラミーは済案件整理してるよ。」
「良かった。見てくださいよ、これ。帰るときに口座開設で貰えるとか言うぬいぐるみくれたんすよ。村瀬さんこう言うの好きそうでしょ。」
日下部はそう言い、持っていた紙袋から赤い鯛焼きのぬいぐるみを出した。クッション程度の大きさだった。
「げ、でけぇ。」
「はは、俺たちは絶対いらないやつですよね。」日下部は嬉しそうに笑い、ウルベルトと目が合うとはてなと小首を傾げた。「――あれ?宇留部さんなんか顔赤くないですか?」
ウルベルトは慌てて顔をごしりと拭いた。
「っ――熱いだろ。ほら、お前もさっさと鯛焼き置いてコート脱げ。」
「そうですか?村瀬さん寒がりだから温度あげたかな?」
日下部は鯛焼きをフラミーのデスクに置くとコートを脱いで、そのポケットに手袋を突っ込んだ。
いつもなら一目散に出てきて装備の片付けをしてくれるはずのフラミーが現れてくれないので二人は久々に自分達で装備を片付けた。
「村瀬さん、手間取ってるんでしょうか?最近は割と慣れてましたけど。」
「――そうかもな、少し様子見てくるからお前は銀行さんに出す報告書書いてていいぞ。」
「はーい。」
ウルベルトは資料室の扉を開けようとすると、扉はガラッと開いた。
「っおわ!」
真っ赤な顔をしたフラミーが出てくるとウルベルトは数歩下がった。フラミーの肩には相変わらずウルベルトの予備ジャケットが掛かっていた。
「あ、あの!お待たせしました!えっと、十九時にストーカーの事でご相談者様がいらっしゃいます!」
「お、おう。」
「あ、村瀬さん。貯鯛焼きもらってきましたよ。あげまーす。」
日下部はフラミーのデスクに置いた赤い鯛焼きを軽く持ち上げた。
フラミーはウルベルトの脇を小走りで抜けると日下部から赤い鯛焼きを受け取り抱きしめた。
「気に入りました?」
「はひ、とってもとってもかわいいです!ありがとうございます!」
「良かったです。多分背もたれに入れたらちょうどいいっすよ。」
フラミーは日下部のすヽめも聞かずに鯛焼きを抱きしめたまま自分の席にぽてりと座った。
ウルベルトの席まで視線が通るため目が合うたびに目を逸らした。
そして抱っこしている鯛焼きにもちもちと唇を当てては心の中でひーんと鳴き声を上げた。
日下部が報告書作成に精を出し始めると、ウルベルトは紙にササっと字を書いてフラミーに見せた。
――ごめん。
フラミーはそれを読むと首を左右に振った。
怒っていなさそうな雰囲気に安心し、ウルベルトは書き足した。
――ごめん。好きだ。
フラミーの頭からプシュゥと煙が出るのを幻視するとウルベルトはくつくつと笑った。
得意げに最後の言葉を書き、再び見せる。
――ごめん。好きだ。結婚しよう。
フラミーの顔が真っ赤になった頃、ウルベルトはニシシと笑い、日下部がくるりと振り返った。
「先生、もうじき――ってなにやってんですか。」
「…お前には言ってないぞ?」
「…そんな事は分かってますよ。もー高校生じゃないんだから。」
「は?高校生って結婚しようとか紙に書くの?」
「いえ、常にイチャイチャしてって意味です。」
「お前の想像の百倍惚れてるって前に言ったろ。死ぬまでこんな感じだから我慢しろって。」
日下部が眉間のシワを抑えていると事務所の扉は叩かれた。
「ん、来たか。フラ――いや、村瀬出てくれ。」
ウルベルトが脱いでいたジャケットを着ると、フラミーが扉を開け、気の弱そうな女が入って来た。
「あの…十九時にお約束した佐々木ですけど…。」
途端にとろけぎみだった事務所に真面目な空気が流れた。
えへえへ、毎日お家賃もらおうぜぇ
俺ちょっとやらしい雰囲気にしてきます!!
あけましておめでとうございます!!!
次回#17傷痕