BALDR GENESIS~Revive of Future World~双葉√ 作:デスイーター
『……これは、なんだ……』
俺は眼下に広がる光景を見て、しばし茫然としてしまった。
透明な床越しに見えるのは、緑の水面とその中に浮かぶ巨大な球体。
その割れた漆黒の球体の断面からは無数の白い腕が伸びており、それはまるで生者を手招きする死霊のようだ。
いや、真実あれは死霊の腕だ。
あの巨大オブジェクト自体は、既に活動を停止している。
あれは恐らく、その
言うなれば、あれは黒い球体が内包していたものの一部が変質したもの。
元が何であったかは分からないが、あの白い腕からはジャビットが操る亡者達と似通った何かを感じる。
俺の直感が告げている。あれは、紛うことなき死者の集合体であると。
それが、あの球体の本質なのだ。
──あいつは……っ!? おいテメェ、今すぐ此処を出ろ。あいつに近寄んじゃねぇ……っ!!──
不意に、頭の奥から【声】が囁いて来る。
いや、囁くなどといったものではない。
やけに必死な様子で、その【声】は俺を押し留めようとしていた。
──おい、お前はあれが何か知ってるのか……っ!?──
──いいからさっさと此処から離れやがれ……っ! 死にたくなけりゃ、あれには絶対に近寄るんじゃねえ……っ!──
その言い様からあの球体について、こいつは何かを知っているようだ。
俺はかつて自分の身体を乗っ取った【声】の主にその真相を尋ねるが、答えは『さっさと離れろ』の一点張り。
どうやら、この【声】の主からして見てもあの球体は余程の脅威として認識されているらしい。
──けど、此処を素通りしたらあいつ等を誘導した意味がなくなる……っ! それじゃあ……っ!──
──バッキャロォ、それ以前の問題なんだよ……っ! あのくたばり損ない共と違って、
【声】は今も尚、一刻も早く此処から離れるよう訴えかけて来る。
俺にとっては自分の身体を乗っ取ろうとする忌まわしい相手だが、嘘を言っているようにも見えない。
けれど、実際問題今俺が取れる選択肢はそう多くない。
既に、死者の軍勢は広間の入口に陣取っている。
何故か今は動きが鈍くなっているが、程なく襲い掛かって来る筈だ。
どうやら通路はこの先へは続いていないようで、此処から脱するには来た道を戻る必要がある。
あの死者の群れを掻い潜るのは、有栖でもなければ不可能だ。
その有栖も奴等に狙われている上に敵に【ラビットシリーズ】がいる以上、突っ込んで無事で済む保証は何処にもない。
眼下に存在する正体不明オブジェクトを利用する以外、俺達に残された手は無いのだ。
──チィィ……っ! だったら、俺の力
──……っ!──
…………確かに、それなら可能かもしれない。
出口はないと言ったが、出口がないなら
有栖であれば、それが可能だ。
地上階をぶち抜いた時と同じ要領で、天井を突き破って貰えばいい。
俺の動体視力では生き埋めになるだけだが、【声】の主の力を使えるのであれば脱出も可能だ。
亡者達を生き埋めにしてしまえば、その間にこの場を離れる事も可能だろう。
それを考えれば、充分に考慮に値する作戦と言えた。
…………問題は、この【声】の主を信用するか否かだ。
こいつには、以前俺の身体を乗っ取った前科がある。
『力だけ貸す』などと嘯いて、また身体を乗っ取るつもりかもしれない。
【声】の主の正体や性質も不明な以上、リスキーな選択である事は間違いない。
だが、あの球体…………双葉の言葉通りであれば、【リヴァイアサン・デブリ】と呼ばれる存在に、言い知れぬ恐怖を感じている事も確かだ。
あれと相対するくらいであれば、【声】の主の相談に乗った方がまだマシだろう。
そう思えるくらい、【リヴァイアサン・デブリ】の存在は異質だった。
もう、時間もない。
【リヴァイアサン・デブリ】の姿に怯えていた亡者達は、一種の恐慌状態にある。
いつ、狂乱して襲い掛かって来ても不思議はない。
何より、これ以上の停滞をジャビットが許す筈がない。
ジャビットが己の機体に刻んだ命令は、『六条有栖の殺害』。
それが果たされない限り、あの屍が止まる事はない。
たとえ、何があろうともだ。
(…………時間はない、か。仕方ない、懸けてみるか)
俺は、決断した。
【声】の主を、信用したワケではない。
だが、今この時だけは奴の言葉に従うのが正しい。
そう思えたからこそ、俺は虎穴に入る覚悟を決めたのだ。
今回に限って言えば、【声】の主と俺の利害は一致している。
万が一あの時のように暴走しても、有栖がいれば食い止められる。
決して楽観しているワケではないが、それでもあの存在とかち合うよりはマシだ。
表情画面越しに、有栖に目を向ける。
どうやら、有栖も俺と似たような結論に至ったのだろう。
俺の眼を見て、こくりと頷いた。
『有栖、さっきの要領で天井抜きをやって貰えるか? こいつ等は、此処で生き埋めにする』
『ええ、構わないわ。どうやら、私達の求めた打開策はパンドラの箱のようなものだったみたいだしね』
『…………そうね。あれは、危険過ぎる。ジャビット=アンサーペを仕留められる機会は惜しいけど、あれと相対するよりはマシね』
有栖も双葉も、俺と同意見らしい。
俺と有栖は直にその存在を感知して危険性を察知し、双葉は特級プログラマ特有の推察で【リヴァイアサン・デブリ】の危険性を理解した。
故に、方針は決まった。
この場で天井を崩し、奴らを生き埋めにした上で脱出。
そのまま地上まで上がり、この場から離脱。
ジャビットは【ミョルニル】本隊と合流した上で追い込みをかけ、改めて打倒の機会を伺う。
有栖が【ミョルニル】の密偵を殺した事がネックになるが、四の五を言っている場合ではない。
双葉の技術であれば、この構造体から脱した上でこの場所を封鎖する事も充分に可能だ。
【ミョルニル】の本隊と合流出来れば、数の不利も覆す事が出来る。
此処で欲を張れば、命はない。
誰もが、それを理解していた。
だからこそ、迷う事なく逃走を選ぶ。
それが、俺達の決断だった。
『────困るのよねぇ。折角の餌を逃がされると、ね』
────不意に、女の声が聞こえた。
いや、正確には俺の
成熟した女性のような、それでいて無垢な童女のような、そんな歪な声を。
一つだけ、分かる事がある。
この声の主は、悪意の塊だ。
明確に、邪な願望を抱く者の声だ。
一度聞いただけで、俺はそれを理解した。
傲慢な自尊心に溢れた、フェネジールとも違う。
欲望の侭に振る舞う、ジャビットとも違う。
肥大した自我が悪意に満ちた欲望を、手段を選ばず満たそうとする。
これは、そんな声だった。
そして、変化は突然に訪れた。
『バルブ、解放』
────無機質な機械音声が、響く。
同時に、頑なに閉じていたアイリス・バルブが、開き始めた。
『な……っ!? 私は何も操作してないのに、なんで……っ!?』
その光景を見て、双葉は慌てて操作に干渉しアイリス・バルブ開閉を止めようとする。
しかし、アイリス・バルブは双葉の操作を一切受け付けなかった。
まるで、本来の主に従う従者の如く。
『嘘……ッ!? 管理者権限で、操作がロックされてる……っ!? まさか、此処の管理AIが何かしているワケ……ッ!?』
──どうやら連中はこの構造体の管理AI端末にサポートをやらせてたらしくて、逃げ道なんかも指示させてたみたい。私はそこに割り込んで、経路の指示を書き換えただけよ。AIの抵抗もなかったし、正直楽だったわ──
…………不意に、双葉に見せて貰った戦闘ログで彼女が告げた言葉を想起する。
この構造体の管理AIは、【ヒャズニング】のナビゲートを担当していた。
それは言い換えれば、こちらの動きを常にモニタリングしていたという事になる。
そして、【ヒャズニング】が壊滅した事で管理AIはその仕事からも解放された筈だ。
…………その場合、管理AIから見て自分達はどういった存在に映るのか。
もしくは、逆も考えられる。
この構造体の管理AIは、【ヒャズニング】に協力していた。
【ヒャズニング】に、AIの使用権を書き換えられる程のハッカーはいなかった。
ならば、この管理AIは自らの意志で彼等に協力していた事になる。
正真正銘の悪党である、【ヒャズニング】に自分から協力していた管理AI。
その時点で、碌な人格データではなさそうである。
どちらにせよ、わざわざ危険地帯に飛び込んだ俺達を一網打尽にしようとしている可能性は、大いに有り得る。
『……っ! 有栖、頼む……っ!』
『────任せなさい』
俺は即座に有栖に天井抜きを指示し、有栖は跳躍を開始し広間の中空を回転していく。
この状況で、悠長に地上階までの通路をぶち抜く助走を付ける余裕はない。
有栖は数度の回転で中央に跳躍。
そのままソニックブームを引き連れて、天井を突き破ろうとその身を躍らせた。
──オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォン!!!──
────瞬間、怪物の咆哮が響き渡る。
その咆哮はその場の全員の脳髄を侵し、その精神に牙を剥く。
『うあ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……っ!!』
『く……っ!?』
今まさに超スピードで天井を突き破ろうとしていた有栖は【携行式操作席】で感覚共有をしていた双葉の絶叫に気を取られ、バランスを崩してしまった。
結果、ソニックブームは指向性を失って暴走。
四方八方に飛び散った衝撃波は、天井にシュミクラム一機分程の穴を幾つも抉り抜く。
衝撃波は無差別に広間を荒れ狂い、亡者達にも突き刺さる。
ソニックブームの暴走により、広間は阿鼻叫喚の状態に陥った。
『おい双葉……っ!? 双葉……っ!? 有栖、双葉は大丈夫なのか……っ!?』
『…………気を失っているみたい。それより、早く逃げるわよ……っ!
有栖の言葉に、下を向く。
いや、向いてしまった。
『…………あれは……っ!?』
────既に、アイリス・バルブは半分程解放されていた。
そして、そのバルブの隙間から、白い触腕が幾つも伸びている。
その触腕をよく見れば、それは無数に折り重なった白い
その触腕は【リヴァイアサン・デブリ】の断面から伸びており、近くにいた亡者達を次から次へと捕らえては球体の中に引きずり込んでいた。
『あああああああああああああああ……っ!?』
『いいいいいいいいいいいいあああああああああああああああああああ……っ!?』
断末魔の悲鳴をあげながら、亡者達が次々と球体に飲み込まれて行く。
それはまるで巨大生物の捕食の光景そのものであり、生理的な嫌悪感と言い知れぬ恐怖が全身を襲った。
触腕は優先的に亡者達を捕らえているが、それが終わればきっと俺達が狙われる。
そう確信した俺は、有栖の開けた天井の穴から脱出しようとバーニアを噴射した。
『が……っ!?』
だが、次の瞬間俺は下半身に凄まじい痛みを感じて動きを止めた。
見れば、俺の機体の脚部が根本から両断されている。
視線を向ければ、そこには無数の触腕に纏わり付かれながらもこちらに脚部を振り抜いた、シュラウド・ラビットの姿があった。
俺はバーニアを失い、成す術なく落下していく。
このまま落ちれば、あの触腕達が俺を捕らえるだろう。
そうなれば、最早命はない。
だが、足がない以上移動出来る筈もない。
明確に迫る死の恐怖が、俺の身体を硬直させた。
『────少し、我慢なさい』
『え……? ぐ……っ!?』
────だが、俺の機体は落下する直前、何かによって蹴り上げられた。
突然上方に蹴り上げられた俺の機体は天上の穴を通って上階へ転がり出て、俺は残された腕部を使ってなんとかそこで踏み留まる。
そして、次の瞬間には穴から有栖の機体が飛び出して来て、俺の隣に着地した。
『乱暴にして悪かったわね。けど、此処も安全とは言い難いわ。悪いけど、除装してくれる? 流石に、片腕でシュミクラムを抱えて行くのは無理だしね』
『……あ、ああ、分かった。ありがとう』
どうやら、有栖が咄嗟の判断で俺のこの場所まで蹴り上げてくれたらしい。
有栖は片足の装甲を、自ら
故に殺傷能力の落ちた方の足を使い、俺を蹴り上げて脱出させてくれたのだろう。
俺は有栖の言う通り除装し、彼女はそんな俺の電子体を掴んでインラインスケートのような要領で床を駆け抜けその場を後にした。
有栖の腕に抱えられたまま、俺はふと床に空いた穴の底に目を向ける。
俺は、確かに見た。
ジャビットの機体が無数の触腕に捕らわれ、黒い球体に飲み込まれて行く光景を。
既に全ての亡者はあの怪物に捕食され、ジャビットすらも呑み込まれた。
────【ヒャズニング】は、壊滅した。
けれどそれは、本当の悪夢の始まりをも意味していたのである。
Chapter3/盗掘部隊ーBattle of Heodeningsー ──終──
長めだった第三章もこれにて終了。
中盤も終わり、これから終盤に突入します。
こうご期待。