BALDR GENESIS~Revive of Future World~双葉√ 作:デスイーター
水底に沈んだかのような感覚の後、俺は青白い空間に出た。
空気は重く、周囲は薄暗い。
目立った建造物はなく、地平線まで広がる地面は透き通るような青だった。
…………いや、透き通る
俺の立つ地面は実際に硝子のように透き通っていて、その
透明な地面の下にあったのは、
暗く、深い、底のない海。
水面に近い場所こそ澄んだ青色をしているものの、底が見えないその海の中は暗く冷たい深海を思わせる。
いや、事実深海なのだろう。
此処は、【リヴァイアサン】の最深部。
黄泉から湧き出た海の塊のような怪物の、一番奥。
この暗い海は、真実【リヴァイアサン】の性質そのものを示しているに違いない。
…………ふと、海の中を覗き込む。
特に、意味があったワケではない。
ただ、何気なく…………強いて言えば、
「……っ!?」
…………そして、
暗い、海水の中。
そこには、夥しい数の
青白い肌に、欠けた四肢。
そんな数多の死霊達が、眼窩のない虚ろな目で自分を睨みつけている。
「く……っ!」
俺はたまらず、その場を駆けだした。
双葉が此処にいるのは、間違いない。
こんな、こんな不吉な場所に、双葉がいる。
その事に猛烈に嫌な予感を覚えて、俺は双葉を探して走り出した。
「あ、ああ、ああ……」
双葉は、自らの罪を直視して涙を流していた。
あの時は、ああするしか無いと思った。
そうする事でしか、自分が生きていける方法は無いと考えた。
だから、見誤った。
双葉は、怜二達のような探索者ではない。
探索者は確かにその名の通り【遺跡】での探索を主目的とするが、その性質は傭兵に近い。
【遺跡】の探索で敵として立ちはだかるのは、何もエネミーだけではない。
自分達がそうだったように、ジャビットのような悪辣な盗掘者に襲われる事もままあるのだ。
故に、探索者は対人戦闘の訓練を行い、殺しの覚悟を決めるのだ。
そうでなければ、屍を晒すのは自分だからである。
これまでの探索の中で、盗掘者と小競り合いになり結果として
戦場で殺し合いになった以上、致し方ない事だ。
それでも、怜二の場合は
そうしなければ自分が死んでいたのだから、仕方ない。
そういう
探索者として生きていく以上、避けては通れない道だと覚悟していたからこそ、そういった理屈を準備する事が出来たのだ。
…………だが、双葉は何の覚悟もないまま人殺しに手を染めてしまった。
覚悟があるのとないとでは、受ける衝撃は全く違って来る。
双葉とて、言い分はあろう。
怜二の眼から見ても、双葉は後がないくらい追い詰められていた。
親殺しに手を染めてしまっても、無理はない程に。
けれど、双葉は自分を護る為の理論武装が出来ていなかった。
ただ焦りと強迫観念だけが先行して、何の覚悟もないまま両親を殺めてしまった。
だから、双葉は自らの所業から目を背けるしかなかった。
…………一概には、それが間違いだったとは言い難い。
当時の双葉は、そんな風に自己暗示でもかけなければ耐えられなかっただろうから。
だが、双葉はそれから一度も罪と向き合わず、目を背け続けてしまった。
それが、橘玲佳の策謀によって暴かれてしまったのだ。
結果、双葉は逃げ続けていた自分の罪を直視してしまった。
そこで改めて、気付いてしまったのだ。
自分が、人を二人も殺した事を。
人間二人の人生を、自分の意志で終わらせた事を。
同族殺しは、法を重んじる知性体にとって一番の禁忌である。
人間は、人殺しを
戦場以外での殺しは、双葉のような例外を除けば罪に問われ投獄される。
殺せば、罪に問われる。
だから人は人を殺さない、と思われがちだが、実際は違う。
人は普通、人を殺す際に本能的な拒否反応を覚える。
だからこそ、普通の精神状態で人を殺す事はまず出来ない。
自分の感情が、自分自身で制御出来なくなった時。
または、自分の常識が普通のそれとはかけ離れてしまった時。
人は、殺人を犯すのだ。
双葉は、一般常識を知識として知ってはいた。
【研究所】での【教育】には、そういったカリキュラムも含まれていたからだ。
けれど、その【常識】を
それまでの双葉は、有栖と同じように常識を単なる
だからこそ、人殺しへ至るまでのハードルが普通の人間より低く、容易に親殺しを行えてしまったのだ。
だが、今の双葉は常識を知識としてだけではなく、
故に、最早無垢を言い訳には使えない。
双葉は、自縄自縛の罪に意識に完全に囚われてしまっていた。
『なんで、なんでころしたぁ』
『育ててやった恩も忘れて、よくも、よくもころしたなぁ……っ!』
「やめて、やめて、わた、私は……っ!」
気付けば、双葉の足に亡者と化した両親が縋りついていた。
眼は飛び出し、口からは舌がだらんと垂れ下がっている。
白目を剥いた眼窩は恨めし気に双葉を睨みつけており、その視線に籠った有りっ丈の悪意に双葉はガタガタと震え出した。
「ごめん、なさい、ごめん、なさい……っ! だから、ゆるして、ゆるしてよぉ……っ!!」
双葉は泣きながら懇願するが、そんな彼女を見て両親の亡霊は更に悪意を噴出させる。
『ゆるすものか、ゆるすものか……っ!』
『おまえも、こっちに来い、来るんだぁ……っ!』
「いや、いやぁ……っ!」
ずぶずぶと、足元が床に沈んで行く。
両親の姿をした亡霊に引き寄せられて、床の中に身体がどんどん沈んで行く。
…………いや、それは床ではない。
海だ。
暗く、深い、底のない海。
両親は、双葉をそんな所に引きずり込もうとしている。
嫌でも、分かる。
あそこに引き込まれたら、もう帰っては来れない。
もう二度と、怜二には会えない。
それは、それだけは嫌だった。
「…………あ…………」
でも、今の自分に怜二に会う資格があるだろうか。
人殺しの自分に、親殺しをしてしまった自分に彼と共にいる資格があるだろうか。
想像が、精神を蝕む。
そんな事はないと分かっているのに、怜二に軽蔑され拒絶された自分の姿を夢想してしまう。
「あ、ああ、あああ…………」
怜二に拒絶されたら、自分はもう生きていけない。
彼が、彼だけが自分が生きる意味なのだ。
彼だけが、幼い頃の自分に
そんな彼を失ってしまったら、最早自分が生きる意味はない。
彼が自分から離れるくらいなら、死んだ方がマシだ。
それなら、このまま死んでしまった方がいいのではないか。
一瞬でも、そう思ってしまった。
『こい、こい……っ!』
『おまえも、こっちにぃ……っ!』
その隙を、亡者達が逃す筈はない。
両親の姿をした二人の亡者は双葉の足や腕に絡みつき、どんどん彼女を水面に引き込もうとする。
力の抜けてしまった双葉は抵抗らしい抵抗も出来ず、暗い海の中へ消えようとしていた。
(……ああ、これで終わりなんだ…………ごめん、怜二…………約束、守れなか……)
双葉の意識も、暗い海に囚われて溶けるように消えていく。
最早、何も見えない。
双葉は首元まで水に浸かり、そして残った頭部も水面に消える。
「────双葉……っ!!」
「……え……っ!?」
────その腕を、血相を変えた怜二が引き上げていなければ。
「れい、じ……?」
「そうだ、俺だ双葉……っ! 助けに、来たぞ……っ!」
怜二はそのまま全力で双葉を引きずり上げ、双葉の身体が腰の部分まで水面から這い上がる。
そのまま引き上げようとして、怜二は強い力でぐんっ、と双葉の身体を引っ張られている事に気が付いた。
『いかせる、いかせるものかあ……っ!』
『そいつは、私達を殺した……っ! そいつも、道連れにぃぃ……っ!』
双葉の腰には、亡者と化した両親が縋りついていた。
恨めし気な男女の亡霊は双葉を強い力で引っ張り、再び水面に引き込もうとしている。
悪意だらけの怨霊が、双葉の脱出を阻んでいた。
「……そうか、こいつ等の魂も取り込んでたワケか……っ! チッ、あの女……っ!」
恐らく、双葉を追い詰める為だけにこの二人の魂も【リヴァイアサン】の中に取り込んでいたのだろう。
双葉の精神を叩き壊す、
橘玲佳の嘲笑が脳裏に過り、ギリ、と怜二は唇を噛んだ。
『こいつは、私達を殺した……っ!』
『報いを、受けるべきだ……っ! 邪魔を、するなぁ……っ!』
両親の亡霊は何がなんでも双葉を引き込もうと、恨み言を叫びながら強い力で引っ張って来る。
その光景を見て、双葉は再びガタガタと震え出した。
「怜二、私、私は……」
「────知ってる。双葉がやった事も、苦しんでた事も、全部知ってる」
「え……?」
そんな双葉を見て、怜二は優しく双葉を抱き締めた。
双葉は目を白黒させて、ポカンとしながら怜二を見詰めている。
「知ってて、黙ってたんだ。双葉を、傷付けたくなかったから。でも、そんな俺の甘えがこの事態を招いたってんなら、改めてこう言うよ」
そして、怜二は双葉を真っ直ぐと見据え、告げる。
「────双葉がどんな罪を背負っていても、俺の気持ちは変わらない。愛してるよ、双葉」
「あ、ああ、怜二、怜二……っ!」
怜二の言葉を聞いた双葉の瞳から、涙が零れる。
その涙は止めどなく溢れ、双葉は感極まって震えている。
泣いている双葉の顔は、晴れやかだった。
憑き物が落ちたような、そんな顔をしている。
いや、事実そうなのだろう。
その証拠に、双葉に縋りついていた亡霊達にも異変が起きていた。
『うう、おぉぉぉ……っ!?』
『なぜ、なぜぇ……っ!?』
双葉を引き込もうとする力が、明らかに弱まっていた。
両親の姿をした亡霊は目に見えて狼狽え、力を失っている。
それは、当然だ。
この二人の怨霊は、双葉の罪悪感に付け込む事で力を得ていた。
その双葉が、これまで抱えていた罪悪感の葛藤から解放されたのだ。
当然、その負い目を力としていた亡霊達の力は減衰する。
それに気付いて、怜二は二つの亡霊に向き直った。
「…………一つだけ、礼を言うよ。これだけは、心残りだったからな。アンタ等を、この手でぶん殴れなかった事だけは……っ!」
怜二は拳を握り締め、亡霊達を睨みつけた。
「テメェ等が双葉を苦しめた分、しっかり地獄で反省しやがれ……っ! さっさと消えろ、糞野郎共……っ!」
『が……っ!?』
『ぐああぁ……っ!!』
拳が振り抜かれ、両親の亡霊が殴り飛ばされる。
怜二によって殴り飛ばされた亡霊達は水面の底に沈み、恨めし気な声を漏らしながら海の底へと消えていく。
それを見届けた怜二は双葉を水面から完全に引き上げ、しっかりと、今度こそ離さないように抱き締めた。
「帰ろう、双葉。俺達の世界に」
「……うん……っ!」
視界が、光に包まれる。
一瞬の浮遊感の後、俺達の意識は本来の世界へと浮上し始めた。