2056年 1月9日 0711時 タジキスタン某所
上空を飛ぶ飛行機の音で彼女は目覚めた。洞窟から顔を出すと、灰色の飛行機が低空で飛んでいるが見えたが、あっという間に上昇し、空いっぱいに広がる雲の中に消えていった。
3人の姉妹とはぐれてからどれだけ時間が経っただろうか。2人の姉と末の妹は、上手く味方の部隊と合流できただろうか。
弾薬はどうにか手に入った。ここに派遣されてきたアメリカかイギリスの特殊部隊とおぼしき兵士の死体を漁って、5.56mmNATO弾が入った弾倉を1つ残らず貰った。更に、兵士が持っていたM4A1カービンを分解し、予備部品としてザックの中に入れてある。
GPSは少し前に使い物にならなくなった。鉄血の電子妨害のせいだ。しかし、予備多目的バッテリーはまだ残っているので、捨てずにおいた。ジャミングが切れたら、また使うことができるかもしれないからだ。
2056年 1月9日 0712時 タジキスタン上空
作戦行動の疲れで、五十嵐はグリフィンがチャーターしたB777-200LRの機内コンパートメントでぐっすりと眠っていた。椅子はリクライニングして、ベッドになっている。旅客機ではあるものの、レーダー警戒装置、ミサイル警戒装置、電子妨害装置、赤外線妨害装置、チャフ・フレアディスペンサー、曳航式デコイといったものが装備されていた。
飛行機はこれより、アラブ首長国連邦を経由した後、イタリアへ向かう予定である。B中隊は、グリフィンのローマ支部で暫くの間、待機せよとの命令が下った。実質上の休暇という訳だ。
とは言え、ヨーロッパもまた、鉄血製造工廠との戦いの最前線の一つである。ルーマニアとブルガリアの東部、ウクライナ南東部、更に、西部の一部を除くトルコのほぼ全域は鉄血に占領されている。
ここ最近は、状況が悪化する一方だった。鉄血の攻撃とは無関係と考えられていた地域が、突如として攻撃されたり、破壊されたりしている。その上、敵の攻撃もより活発に、露骨になり始めていた。鉄血が攻撃していたのは、軍の施設及び高級軍人や各国の国防関係省庁の幹部及び軍事産業企業の幹部などであったが、突如として民間人を無差別に攻撃し始めたのだ。
まどろみの中で、そういえば、自分は日本では行方不明者扱いになっているはずだな、と五十嵐は考えていた。もう半年近く、日本に帰ってきていない。大学も除籍扱いになっているのかもしれない。だが、もうそれもどうでもいいことだ。自分の居場所は、このグリフィンにあるのだから。
2056年 1月9日 0916時 オーストラリア G&K本部
「くそっ!どうしたんだ!?」
「わかりません!しかし、一つだけ確かなのは、鉄血が大規模攻撃を行ったということです!」
グリフィンの地下司令部では警報が鳴り響いていた。スクリーンに映された世界地図の至る所に赤い点が点いている。場所はフランスのリヨン、スイスのチューリッヒ、フィンランドのトゥルク、エジプトのルクソール、サウジアラビアのジェッダ、南アフリカのヨハネスブルク、インドのムンバイ、ロシアのノヴォシビルスク、中国の西安、日本の京都と仙台、アラスカのアンカレジ、カナダのカルガリー、ブラジルのリオデジャネイロだ。
「現地の状況は!?」
「不明です。しかし、これらの都市が複数の弾道ミサイルによる攻撃を受けたとの情報が入っています!」
「これは・・・・・同時多発攻撃のようです!標的にされたすべての都市が、グリニッジ標準時の1月9日、0110時に攻撃を受けています!」
「使われたのは・・・・・・まさか核兵器か!?」
「それも不明です!しかし、未確認の情報によれば、非常に大きな被害が出ているそうです!」
「NORADの反応は!?」
「待て・・・・・・・CNNが臨時ニュースだ!」
モニターに司令部の人間の目が釘付けになった。そこには、アフリカ系の女性キャスターの姿が映り、緊迫した口調でニュース原稿を読み上げ始めた。
『国防省とNORADによりますと、東部標準時1月8日、17時16分頃、フランス、スイス、フィンランド、日本、ロシア、カナダなど数か国の主要都市で弾道ミサイルと思われる攻撃が行われた可能性があると発表がありました。政府と軍の関係者によりますと、攻撃は同時多発的に行われ、攻撃された都市での被害規模は不明ながら、非常に多くの死傷者が出た可能性が高いと分析結果が出ています。また、何者がこの攻撃を行ったのか、何が目的で行われたのかという情報はまだ発表されていません。国防省は東部標準時の18時30分頃を目途に、この事態における緊急の記者会見を行うと声明を出しました。また・・・・・』
キャスターが手元のタブレット端末を手に取った。
『先ほど、新しい情報が入ってきました。カナダのカルガリーで弾道ミサイルが複数着弾し、家屋が燃えるなどの被害が出ている模様です。更に、この攻撃により複数の死傷者が出たとのカナダ政府当局からの発表がありました。繰り返します。カナダに弾道ミサイルが着弾し、死傷者が出た模様です。しかしながら、この攻撃が何者によるものなのか、何を目的にしたものなのかもわかっていません。引き続き・・・・・・・』
クルーガーがモニターを切り替えた。
「よし!仕事だ!まずは、活動中の全ての部隊と連絡を取れ!今すぐにだ!」
2056年 1月9日 0734時 タジキスタン上空
にわかに鳴り出した電子ブザーの音に起こされてしまった。五十嵐は忌々しげにザックの中から衛星通信機を取り出し、ボタンを押した。
『五十嵐か?クルーガーだ。そちらの状況は?』
「え・・・・・・?ああ、ええ。飛行機で移動中です。ええっと、目的地はイタリアですが・・・・・・」
『わかった。君らはそのままローマの支部で命令通り待機していてくれ。新たな命令が出るまでは』
「・・・・・・何かあったのですか?」
『それは・・・・・・そうだな。ローマ支部で報告を受けてくれ。その後、新しく指示を出す。と言っても、暫く君の部隊は休ませるつもりだ。カザフスタンでの任務の疲れもあるだろう。そうそう。カザフスタンに建てられている、例のマルドゥークだが、つい先程、ロシア空軍の巡航ミサイル攻撃により、一部が破壊されたそうだ。ロシア空軍は、敵が修復を開始する前に、第二次攻撃を行う予定らしい。まずは、ゆっくり休んでくれ。以上、通信終了』
五十嵐は衛星通信機をザックの中にしまいこみ、再び横になった。ローマか。暫くの間、観光するのも悪くは無い。サン・ピエトロ大聖堂や真実の口、トレビの泉なんかを見て回ろうか。そう考えているうちに、五十嵐は再び眠り始めた。
2056年 1月9日 0922時 オーストラリア G&K本部
先程の鉄血によるミサイル攻撃で話題が吹き飛んだが、つい先月頃から、中国奥地で奇妙な感染症が報告され始めていた。
それは、にわかには信じがたいが、感染した人間や動物がゾンビやミュータントのようなものに突然変異し、他の生き物を襲うというものだった。全く、日本のテレビゲームじゃあるまいし。
だが、それが本当の話だとしたら、かなり厄介な事になる。そんなウィルスなり細菌なりを、鉄血製造工廠が入手し、生物兵器として使用されたらただでは済まない事態になるのは明白だ。すぐにでも調査チームを送りたい所だが、現在の中国は、昨年の秋から始まった民主化運動から発展した内戦が起きており、そんな事ができるような状況では無かった。そこに鉄血製造工廠が入り込み、民主化勢力、共産党双方を攻撃するという、三つ巴の構図が出来上がってしまっている。
世界を俯瞰して見ると、既に第三次世界大戦は始まっていた。だが、それは、強大な軍事力を持つ正体不明の武装勢力対各国政府及びPMCといった構図だった。しかも、各国政府とPMCは足並みが揃わず、内部で激しく対立し、内輪揉めを続けているという有り様だ。その間にも、正体不明の武装勢力である鉄血製造工廠は、着実に勢力圏を広げ、人類の生存圏を圧迫していった。