2056年 1月21日 0914時 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ グリフィン訓練施設
五十嵐は降り積もった新雪に足を取られ、前かがみに転んでしまった。UMP9がすぐに彼を抱きかかえるようにして助け起こす。
「大丈夫だ。躓いただけだよ」
「雪が深いね。下に何が埋まっているかわからないから気をつけてね」
雪が柔らかく、脚がすぐに深みにはまってしまう。こんなに歩きにくい状況で襲撃されたら、まともに戦えるとは思えない。
「かんじきでもあればなあ。もしくは、スキーか」
「スキー?ストックを持ちながら銃を撃つなんて無理よ」UMP45が眉を吊り上げた。
「自衛隊、もとい、日本の軍隊はやってるさ。他にも、フィンランドとかロシアとかカナダとか。雪が多い国の軍隊もな」
五十嵐がそう言った直後、ビシッ、ビシッ、という音と共に周囲にペイント弾が着弾した。樹木や雪に飛び散った蛍光オレンジの塗料が付着する。
「伏せて!」
UMP45が妹と五十嵐をやや強引に地面に引き倒した。銃声が聞こえてくる。仲間たちが反撃を開始したようだ。
五十嵐はAK-101に取り付けたCOMP-MLⅡを覗きこんだ。向こうにサイボーグの姿を見つけ、しっかりと狙いをつけてからセミオートで数発撃った。サイボーグが崩れるように倒れる。仕留めたようだ。
フルオートとセミオート、両方のモードの銃声が混ざる。向こうには、リッパーやイェーガーを模したサイボーグの姿が見える。
前方ではM9や9A-91、スオミが応戦していた。彼女たちの左手では、FNCとFALが倒れた太い木を遮蔽物にして、物陰から狙い撃ちをしている。仲間が銃を向ける先には、銃を持つ模擬サイボーグの小隊が近づいてきていた。
五十嵐は膝立ちになってAKを模擬サイボーグに向けて撃った。5.56㎜弾が命中し、"敵"が倒れる。"敵"の集団がどんどん迫ってきて、ペイント銃を向けてくる。
ステアーTMPとベレッタM9が五十嵐たちを援護しに来た。銃を撃ちながら敵をけん制する。だが、模擬サイボーグは銃で撃たれてボロボロになっても、怯むことなく迫ってくる。
「AEK、援護が必要なの!火力が足りないなの!」
M9が無線のスロートマイクに向かって言った直後、フルオートで銃弾が撃ちだされる音が響き渡った。7.62×54R弾が模擬サイボーグを切り裂き、ズタボロにする。やがて、銃声が止んだ。
「みんな!撃たれて無い!?」
呉明が95式と79式を助け起こし、銃を構えて周囲を見回した。他に敵はいない。
「AUG!MG23!」
「大丈夫です。敵は片づけました」
硝煙を上げる銃を持ちAUGが歩いてきた。後ろにはMG23とSAT8がいる。
「よし。点呼を取るわよ。呼ばれた子は答えて」
呉が無線に向かって仲間の名前を呼んだ。全員から返事があった。
「よし、OKね。じゃあ、予定通りのポイントに進むわよ」
呉は全員に移動すると合図をした。戦術人形たちが後に続く。最後尾の五十嵐は鏡を手に持ち、光をSV98とファルコン、G36がいる地点の方向に向かって反射させて合図を送った。
2056年 1月21日 0918時 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ グリフィン訓練施設
へリアンが偵察衛星からの画像で、五十嵐と呉の部隊が移動しているのを確認した。トラブルの知らせは無く、訓練は順調のようだ。パソコンを操作し、周辺地域の天気図を表示させた。今のところ、強い低気圧が流れ込んできている様子は無いが、山の天気はすぐに変わる。少しでも何かおかしな雲が出てきたら、すぐに迎えのヘリを送り出す用意はしておいた。
本来は、こんなに悠長に訓練を行っている余裕は無いはずなのだが、そうでもしておかなければ、人間の部隊指揮官を無駄死にさせることに繋がってしまう。実際、グリフィン以外にも戦術人形と人間の混成部隊を編成して鉄血の制圧に乗り出しているPMCは多数あるが、中には人間にまともな戦闘訓練を受けさせず、どんどん戦場に送り出して死なせているPMCも少なくない。そのPMCは、現在、死亡した指揮官の遺族から訴えられ、裁判で係争中という話も聞く。
だが、自分たちも人のことをあまり言える立場では無い。実際、五十嵐を連れてきたケースは、ほとんど誘拐に等しいものだ。まだ未確認の情報だが、五十嵐の両親は、現在、日本で突然いなくなった息子の情報提供を警察以外にも、インターネットやメディアに訴えることで呼び掛けているらしい。
このことは、五十嵐本人には知らせてはいないが、知られた場合、どうするかは本人次第だ。それについては、クルーガーからそのように言われていた。
今日の訓練は、軽めに、夕方頃までには終わらせる計画でいた。一応、3日間は活動できる程度の物資は持たせておいたが、それはあくまでも緊急時、遭難時のための予備である。まあ、必要があれば、GHSSやドローンで届けることもできるのではあるが。それに、近いうちにまたB中隊とJ小隊は戦場に投入されることになるだろう。
「気象情報は?」ヘリアンがデスクトップのPCの前に座る若者に言った。
「最新の計算だと、バルカン半島とアドリア海の上空は穏やかなものです。この先10時間はそんな感じです」
「わかった。訓練は計画通りに続行させる」
2056年 1月21日 1003時 ボスニア・ヘルツェゴビナ グリフィン訓練施設
よくよく考えたら、ボスニアなんてグリフィンの戦術指揮官にならなかったら、一生行く事なんて無かったはずだな、と五十嵐は思った。約70年前、この国ではセルビア正教を信仰するセルビア人、カトリックを信仰するクロアチア人、イスラムを信仰するボシュニャク人が、旧ユーゴスラビアからの独立を巡り、三つ巴の内戦を繰り広げていた。
民族浄化だなんていう言葉を、五十嵐は世界史でバルカン半島の歴史を学んだ時に初めて知った。五十嵐にとっては、自分はまだ生まれてもいない、世界史の教科書の中での出来事ではあるが、実際にこの国では、NATOが本格的に介入して鎮圧が完了するまで、内戦で10万人近くもの犠牲者が出たのだ。
だが、今後は、それどころでは無い犠牲者が、鉄血の攻撃によって出ているのだ。出撃前に小耳に挟んだ話では、アフガニスタンで鉄血が一般市民、武装勢力、平和維持軍を見境無く攻撃し、千人近い犠牲者が出たとのことだ。
鉄血は、毎日のように中央アジアや東欧などで暴れまわり、虐殺を繰り返していた。しかも、中には鉄血に協力したり、出資したりする過激な人間もいるという。
インターポールなどは、そのような人間をテロ容疑者として手配しているようだが、どうも上手くいっていないのが現状のようだ。
「敵、正面!射撃用意!」
呉明の言葉で五十嵐は我に帰り、銃を構えた。光学照準器越しに敵の姿を確認し、引き金に指をかけた。
「指揮官、敵よ。でも、私の銃じゃ射程外だわ」UMP45が言った。
「アサルトライフルやマシンガンの射程内でやっつければいい話さ」
「確かにね。頼んだわよ」
「任せてくれ」
やがて、大きな銃声が断続的に聞こえてきた。その度にダミーサイボーグが倒れる。
「ファルコンにとっては、もう射程内か。だが・・・」
12.7mm弾が発射される音が何度も聞こえてきた。そして 、"敵"は五十嵐の銃の射程に入ってきた。
「撃て!」
5.56mm弾、7.62mm弾、5.8mm弾が発射される鋭い音が、山の中に響き渡った。鉄血の部隊を想定した、本格的な戦闘訓練の始まりであった。